つれづれなるマンガ感想文1月後半

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一気に下まで行きたい



・「ファミレス戦士プリン」(1) ひのき一志(2002、少年画報社)
・「元祖! 浦安鉄筋家族」(2) 浜岡賢次(2003、秋田書店)
・「のりおだちょーん」全4巻 浜岡賢次(1990〜95、秋田書店)
【CD】・「ウキウキりんごだプー」 小倉優子(2003、サイトロン・デジタルコンテンツ)
・今日の「おはスタ」と「モーニング娘。分割」
【CD】・「タンデム」 HALCALI(2003、フォーライフ)
【CD】・「WE ARE THE KING!」 KING(2003、ポニーキャニオン)
・雑記(アメリカンセクシー田舎娘の謎)
【DVD】・「 メイキング・オブ ミニモニ。じゃムービー お菓子な大冒険!」(2003、東映)
【書籍】・「大槻ケンヂのザ・対談 猫対犬」(2003、ソニー・マガジンズ)
・「ハロー! モーニング。傑作コント大全集1(仮)」が発売中止
【アニメ】・「ななか6/17」 第2話「ピアニストななか」(2003、テレビ東京)
【アニメ】・「ななか6/17」 第3話「おねえさまななか」(2003、テレビ東京)
・「いちご実験室」 山名沢湖(2003、講談社)
・本当に雑記
【同人誌】・「ヤンキー風俗研究会会報誌 強面」 零号(2002、ヤンキー風俗研究会)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第42話
・「コミック1970」Vol.1(2002、徳間書店)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(テレビ東京)
・雑記(夢など)
・「POP-ZONE」Vol.2(2002、リイド社)
・「超アホ汁」 ピョコタン(2003、三才ブックス)
・「YOUNG キュン!」12月号(2002、コスミックインターナショナル)
・「YOUNG キュン!」1月号(2003、コスミックインターナショナル)
・「YOUNG キュン!」2月号(2003、コスミックインターナショナル)
・雑記
【DVD】・「TV'S HIGH」 (2001、ビクターエンターテインメント)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第41話
・雑記
・「火星探検」 旭太郎、大城のぼる(1940、2003、透土社)
【同人誌】・「ピンクのしめさば」 俊俊(2003、サマーギフトくらぶ)
・藤本美貴加入騒ぎで思ったこと







・「ファミレス戦士プリン」(1) ひのき一志(2002、少年画報社) [bk1] [amazon]

ヤングコミック連載。成年コミックか? 二十歳になったとき、エロゲー好きのオタク青年・シュウタは父の遺言により「ファミリーレストラン・アラモード」の店長になることになった。しかし、美少女ウェイトレスばかりのファミレス店長になってヤニ下がっているヒマはなかった。このファミレス、従業員が全員、悪の組織と戦う戦士だったのだ!
シュウタがヒソカに恋心を寄せるプリンちゃんももちろんその一人。今日も悪人が出現したと聞けば、戦闘服に着替えて出動するプリンちゃんと仲間たち、そしてとまどいながらも指揮をとるシュウタなのだった。

あとがきによると、おもちゃの企画先行であとからマンガが始まったらしい。「戦隊もの+魔法少女+巨大ロボアニメ」みたいな感じで、今まで百万回くらい繰り返されてきた基本設定だが、私はきらいじゃないですね。読みやすいし、何も考えずに楽しめる。設定は実はけっこう練ったんじゃないかと思いますよ。
「芸能人水泳大会」のパロディがあったりしたんで、年齢が近いんじゃないかと作者のHPを見たら、実際近かったです。それと、「エイケン」の作者もそうですが、作者コメントは明るいのがいちばんですな。
(03.0129)



・「元祖! 浦安鉄筋家族」(2) 浜岡賢次(2003、秋田書店) [bk1] [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。浦安に住む悪ガキ小学生の小鉄たちが騒動を起こすギャグマンガ。
ギャグのパターンで、だれかが何かやったら連鎖的に騒動が起こる、それもストーリー的と言うよりは、ボールを蹴ったら狙ったつもりもないのに当たってしまって……というようなアクション的なやつ。それを追究していると言えるのが本作。
ペットボトルでつくった超巨大ロボが風に吹かれて家を覆い、大騒ぎになる19固め★おなつや、小鉄の父がそのだらしなさのあまりに、トイレで手品師の上着を間違えて着てきてしまい家でやりたくもない手品をやり続けてしまう26固め★たらばスターなどがその典型。「たらばスター」って何かと思ったらそうか、手塚治虫の「アラバスター」か。

「カン違いがカン違いを呼んで雪だるま式におおごとになってゆく」といった連鎖を笑いとして描くことは、ギャグマンガのストーリーとしてはわりとあるが、その中でもとくにアクションに着目してこれでもかと毎週やっているのはこの作者くらいだろう。コメディ映画では非常によくあるパターンなのだが、逆に言えばなぜギャグマンガにおいてその動きの部分があまり継承されていないかは一考に値すると思う。
(03.0129)



・「のりおだちょーん」全4巻 浜岡賢次(1990〜95、秋田書店)

月刊少年チャンピオン連載。「赤ちゃん脳みそ」、「猿」というあだ名の中学生・のりおが柔道部でプロレス技を駆使しながら戦うギャグマンガ。

単行本が4巻なのに刊行期間が5年にわたっているのは、3巻と4巻の間に3年半の間が開いているから。事情は謎。
現在に比べると、どうしても拙い感じはする。「赤ちゃん脳みそ」と言われるとおり、のりおの小学生感覚は面白いものがあるが、「柔道の試合でプロレス技をやる」というパターンで最後まで通しており、そこに楽しみを見出さないとちょっと辛いかな、という感じ。浜岡賢次のプロレス趣味が炸裂した作品ではある。
ちょっとネット書店などで調べたが、すでに絶版のようだ。だがまあよほどのファンでないかぎり、探して読むほどのものではないかな、と。

完全に余談ではあるが、学生時代にギャグセンスにおいてかなり信頼を置いていたセンパイがこの「のりおだちょーん」を探しており、「のりおだちょーん」、「のりおだちょーん」と連呼していたので覚えていた。この人はかなりのプロレスファンなので、その辺が面白かったのかもしれない。
しかし、十数年を経た今、あまりに本作にこだわったのはこのセンパイが他に面白いものを知らなかったからじゃないかとの疑惑が自分の中で頭をもたげてきた。たぶんそのとおりなのだろう。歳月は人を変える。自分はあきらめない。
(03.0129)



【CD】・「ウキウキりんごだプー」 小倉優子(2003、サイトロン・デジタルコンテンツ) [amazon]

小倉優子のデビュー曲。自分がパーソナリティを勤めるラジオの主題歌だそうだ。
この曲がリリースした直後、どっかのニュースサイトで「小倉優子がCD出しやがりましたよ。なんだよこのタイトルは、ギャハハ! ボクは死んでも買いません」みたいなコメントをしているところがあって、くそー、それなら買ったる! と思って買った。

タイトルのすっとんきょう具合にココロ惹かれたヒトも少なくなかったようで、私もその一人だったが、曲的にまったく面白いところはない。普通すぎるほどのアイドルソングだ。逆に言えば「普通すぎるがゆえに変わっている」ということも言えるが、「質さえ問わなきゃ、何だって」手に入るニッポンのご時世、他にこういうのがまったくないわけではないし、アイドル声優さんならこのテの曲を得意としている方々も多かろう。
宍戸留美の「地球の危機」とかあるいは初期の篠原ともえみたいなのを想像していると、なかなかガッカリする。

歌の他には「凛子のモノローグ」というのが5つ入っており、単に小倉優子がアイドルのラジオ番組にありがちなポエム風味のセリフみたいのをしゃべるのが5種類。
後はライナーノートっていうの? あのCDに入ってる小冊子みたいなやつよ。名称知らないんだよ。あれに彼女の顔のアップの写真が何枚も入っている。水着じゃないところがポイント。要するにファンしか買わない、「グッズとしてのアイドルソング」のひとつの典型のような商品だ。

あとは関係ない話2、3点。すぐ終わるから、教科書をしまったりノートを閉じたりしてガタガタしないで聞いてほしい。

・もう「小倉優子 茶髪」で検索してこないで。お願い。
私は小倉優子がフリートークしているところを見たことがないので、総合的な判断は保留したいが、実はこの人のことを、ヒトが言うほどロリータ路線だとは思っていない。
どうしてかと考えるに、アニメで言うところのロリと世間一般でのそれというのはかなり感覚が違うということ。
あとほんとのロリコンの人って、15歳以上だともうアウトでしょ。たとえば加護・辻とかだととっくにターゲットからはずれてたりする。小倉優子はもう女子大生だというから、かなりはずれてると思うし。そんな世間のギャップに思いをはせてみたりする。

・カッコいいことはカッコ悪いが、カッコ悪いことを装ってカッコつけるのも一回転してカッコ悪いと思う。
もうひとつは、冒頭に書いた物言いに関連するが、情報だけ摂取して、それだけで戯れるのもほどほどにした方がいい、ということ。
もちろん、片っ端からいろんなものを買い込んでしまうのは愚かであり、「情報だけで遊ぶ」ことは一種の世渡りだということは言える。たとえば私だったら、リックドムのラジコンが出ても話題にはするが買うことはないだろう。だが気になったのは、「気になるけど買わない」ことが自分のスタンスの証明になっている場合があることだ。気になるなら買えばいい。あるいは「買いたい」と素直に言えばいい。「気になるけど、買うほどじゃない」でもいい。そこに何の言い訳も必要ない。

かつて90年代初頭に、どっかの評論家が「80年代は自分がどこに所属しているかを決めつけられないように用心しなければならなかった。それは大変なことだったが重要なことだった」と言っていた。実はそのとおりだ。なぜなら「○○をやってます」とか「○○が好きです」とカミングアウトすれば、それがそのままその人間の思想信条まであらわすと思われていたからだ。今でもじゅうぶんにそういうところはあるが、今よりもっともっと強力だったと思ってもらえればいい。
私の脅迫観念的な部分も入っているけどね。

80年代は、スプラッタホラーが好きなら殺人鬼予備軍と思われ、アニメが好きなら即ロリコンと思われた。多少誇張して書いているが。
だからこそ、90年代に入ってからいわゆる「オタク」的ジャンルに関して時代の追い風とともにそのルサンチマンがあきらかにされていったわけで、話はそれるがそういった意味でも文化的サベツに対するルサンチマンを抜きに、アイドル歌謡も含めたオタク事情は語れないはずである。
現在、テキストで浜崎あゆみを上げて小倉優子を下げたって、カッコよくも面白くもない。むしろ浜崎あゆみがジーパンずらすより、小倉優子がグラビアだからってヤングアニマルを買ってしまったら、自分のその心情について掘り下げるべきだ。

もうひとつ言えば、「どんなものにも属さないという態度」をとり続けてきたのが80年代に活躍してきたサブカル文化人……具体的に言えば泉麻人とかえのきどいちろうとかみうらじゅんとか大槻ケンヂであって、彼らがどうして「オタク」と言われなかったかの本人のスタンスと周辺事情のようなものも、いつかは検証されるべきだろう。まあ資料がどんどん散逸する分野なので、やろうと思う人は少ないと思うけどね。

たとえば、10年以上前に「泉麻人のウルトラ倶楽部」という、「ウルトラQ」や「ウルトラマン」を深夜2話ずつ再放送し、それの解説を泉麻人がする、という番組があった。
今考えると「なぜ解説が泉麻人?」という感じはある。ケーブルテレビとかビデオ、DVDなどの関係上、地上波で同じ企画ができるとは思えないが、それにしても今ならまた違った人選になるだろう。もっと専門的な人が出てくるのではないか。
オタクネタで言うなら、十年くらい前は「カルトQ!」というクイズ番組が深夜にやっていた。「ロック」とか「ディズニーランド」などのテーマ別に毎週やたら詳しい人を集めてクイズをやるというもの。
「YMO」の回に電気グルーヴ(当時)のまりんが出場して優勝したのが逸話となっている。
「カルト」という名称は「オタク」的イメージを宮崎勤的な意味あいから引き剥がすということだろうし、毎週1テーマでそれに詳しい人を呼ぶ、という形式は「大系づけられた知」に対する信仰のようなものがあったと推測できる。
で、現在やってる「トリビアの泉」とか「虎ノ門」の「うんちく王選手権(正式タイトル忘れた)」は、知識を大系→細部という見方から細部→大系という見方へ変化させてきている。このあたりもオタク的教養の世間に対する深化、と言うことができると思う。

さて、時代も一周して、ビジュアル系バンドのにいちゃんが「ガンダム」だの「エヴァンゲリオン」などについて語ったり、キャイ〜ンの天野がフィギュア集めが趣味、と公言したりするのに今さら驚いたりしたのは昨日のこと。最近、さらに一周してきているような気がする。
まあ私が覗いているのはほとんどが広義のオタク系というかサブカル系ニュースサイトだが、そういうところで別にアニソンと小倉優子とモーニング娘。と元ちとせの差ってそんなにあんの? 私はないと思う。もちろん、手放しで「好きだ」と言えるものとコッソリと「実は好きなんだよね」というものの違いはあるだろう。だがそれはコトバで説明すればいいことであり、単にあっちをおとしめてこっちを持ち上げればいいというわけではない。

私の知らないところで若い衆の間で「あっちはイイけどこっちはダメ」という「差」があるなら、それは言葉で説明するべきであり、最初からそういう差が存在していたかのように振る舞うのはあまりカッコいいものではないと思う。

実は純粋にニュースのみを取り上げてコメントが2、3行、というのもいいことはいいが、きちんと何行も自分の見解を書いているところはいいな、と思っている。が、その「何行も書かれた見解」があまりに気にくわないので巡回していないところも多い。理由はいろいろあるが、「自分個人のスタンスを絶対のように思っている」ところがイヤだなあと思う。それでたまたま見ちゃうとこうやって私の文章も長くなってしまう。
せっかく「オタクはぜんぶオタクでいいじゃねえか。その後は仲良くなったら細かい差異について語り合いましょう」というような雰囲気が出てきたのに、なんだよ、また時代を20年以上戻すつもりか、とか思ったから。
まあほっといたって戻るときは戻るんだけどね。でも「若い人って、自分のアイデンティティ確立のために些細なことにこだわって大変だなあ」とかはひとつも思わない。だって、こいつらがこれから実力をつけてキャリアを積んで追い上げてきて、私の生活圏をきっと侵していくんですよ。

あと、素朴に「中途半端にしかわかってないことを文章上のテクで誤魔化す」とかそういうのがイヤなんだよね。わかんないことはわかんないと書く。でもたいてい怒られたりするけどね。調べてきなさいと。昔、「笑点」の円楽が、長唄かなんかを習いに行って、まったく無垢の状態で言ったら先生にえらい怒られて追い返されたんだって。それで多少自己流で習っていったらすごく親切に教えてくれたんだとさ。それと同じですね。
でも、「中途半端にかじってきやがって」って文句言われることもあるから、その辺は臨機応変にしようね。あと高校ンとき、友人が「えんらく」をずっと「えんがく」って言ってたなァ。訂正するのもめんどさくて黙ってたけど。

逆に本当にわかってない場合って、文章にあらわれないから違和感なかったりする。
この辺は「格闘技を学ぶと一時期確実にケンカが弱くなる」という真木日佐夫先生のコメントに通じるものがあると思う。
ちなみに私は暴力沙汰は大嫌いなので、多少手間をかけても訴訟あるいは相手の社会的地位を姑息な手段でおとしめるなどの方法で対応していきたいと思っております。
(03.0128)



・今日の「おはスタ」と「モーニング娘。分割」

田中「さあ、UFO型のタイムマシンにのって来たここが15年後の世界だ……。過去に預金しておいたカネを降ろして大金持ちになるぞ!」
中田「あっ! UFOだ、出てきたのは宇宙人だ。しかし着てるスタジャンがダサいなあ。宇宙で流行ってるのか?」
田中「おいおい、ぼくは地球人だよ。ただし、過去の世界からやってきたんだ」
中田「(無視して)それより、
モー娘。さくら組&おとめ組に2分割……秋に再出発って知ってるか? まあ驚きはしなかったけどね(いかにも何でも知ってる風な、悪い意味でのオタク的プライドを誇示)」
田中「へえー、未来にもあるんだ、乙女塾さくらっ子クラブ!」
中田「ズコー!」

田中「……ということを、ぜったいロートルアイドルミーハーが言うと思ったんで、切っ先を制したんだよね」
中田「だよね」
田中「でも、こういう会話風のテキストって、はずすと大きいんだよねー。よく週刊誌に載ってるじゃん。『A子とB子のシネマなんとか』みたいな、女子大生とかOLに映画を見せて忌憚なく語ってもらおう系の、会話形式のやつ」
中田「二人で何言ってんの? それより臭い靴下はきかえな! みたいなやつね」
田中「靴下が臭いかどうかはわからないけれども」
中田「オマエ、『A子とB子のシネマなんとか』に味方すんのか! 敵軍か! 敗軍か! レスラー軍団大抗争か!」
田中「(無視して)今日の『おはスタ』で、『学校ソングベスト10』のベスト3が発表されたね」
中田「『学校で歌われている、子供たちの好きな歌』を募集して順位を発表するという企画ね。次世代ワールドホビーフェアでの発表となった。ちなみに3位が『校歌』、2位が平井堅の影響もあってか『大きな古時計』、そして第1位は……『ビリーブ』!」
田中「ああ、松本伊代の?」
中田「♪ビリーブ、ビリーブ、ビリーブあ〜な〜たと〜……って違うよ!」
田中「……すまん、ノリツッコミを強要して。社内で『自分はお笑いのセンスがある』と思い込んでいるというだけで、忘年会のビンゴ大会や結婚式の二次会の司会などに体よく利用されるバカな人を連想してしまったよ」
中田「……まあ、これもロートルアイドルミーハーのくだらないボケの切っ先を制したんだよね」
田中「ギャルゲーのキャラクターの『マルチ』の話をしているときに、必ず『ジェッターマルス』の弟のメルチや怪獣のムルチの話をするような雰囲気を打開したかったんだよな」
中田「しかし『ビリーブ』っていうのは知らんなあ。聞いてみたら、いかにも学校で生徒が合唱しやすいような曲だったけど。こういうのって、草の根的に広がっていくのか、仕掛け人っていうか文部科学省とかで推薦しているのか、興味深いところですね」
田中「それと、予想どおり『1位の曲を歌ってくれる特別ゲストが!』というフリで出てきたのはベッキーだった」
中田「すごいラフな服装だったよな。普段着みたい。『ワールドホビーフェア』という番組全体のスペシャル感が……」
田中「あと、『ワールドホビーフェアの人気投票で少ない方がクビ』というのをやっているゾナーとサイガー、今回のゾナーのなぞなぞがすごい苦しかったのはサイガーに票をやるためなのかな?」
中田「おまえ15年前の世界から来たんだろ。そんなこと考えなくていいんだよ!」
田中「その設定、まだ生きてるんだ。いやー、経済大国日本、もう少しハードばかりでなくソフトを輸出することを考えた方がいいんじゃないかね? それと就職が売り手市場でたいへんだよ。家に来た企業からの資料、まとめて捨ててるもん。でも内定断るとカツ丼を頭からかけられるらしいよ」
中田「バブルか……」
(03.0128)



【CD】・「タンデム」HALCALI(2003、フォーライフ) [amazon]

公式ページ

「リップスライム」が初プロデュースした、中学生・ユカリとハルカの二人組ガールユニットのデビュー曲。
えーと、どっかの説明によると「マンボ風のゆるいダンスチューン」だそうだ。ちなみに二人とも東京は目黒育ち、って近所じゃん。でも目黒育ちは普通「江戸っ子」とは言わない。どっかの説明にそう書いてあったけど。

リップスライム、「日本でいちばん楽しそうにラップをしている人たち」とどっかに書いてあって、それは同感。テレビでしか聞いたことないが、対立するグループの悪口をラップに乗せてみたりといったことはしなさそう。徹底して無思想なラップ、というと「EAST END X YURI」を思い出すが、あれは「無思想」を装ってはいたが、結局はそのときそのときの「気分」を打ち出していた。その打ち出し方には賛否あったと思う。無思想を装っていたがゆえに。
これに対し、テレビでしか聞いたことないが、リップスライムは本当にいい意味で無思想なラップを送り出すことができるかもしれん、などと思っての「ハルカリ」。

とにかくコンビニだのファーストフードだのでやたらとかかりまくっているので聞けばだれでも「コレか」と思うんではないかと。「ゆるいダンスチューン」であることはそのとおりで、もともとの無思想さかげん、音のゆるい感じと中学生女の子の「棒読みラップ」が相まってのんきな雰囲気を醸し出している。
それにしても二人の声はあまりにも「普通の中学生」なのでドキッとする。親戚の子のカラオケに付き合わされてる感じだ。いい意味でね。
(03.0127)



【CD】・「WE ARE THE KING!」 KING(2003、ポニーキャニオン) [amazon]

「HALCALI」同様、中学生のHIPHOPユニット「KING」。Ayaka、Mariya、Ayano、Sayaの4人。日本のHIP HOPの重鎮DJ YUTAKAに師事、このたびのデビューとなったそうである。
頭にカニの帽子をかぶって「カニカニ〜」「ピザーラキング!」と歌い踊る「ピザーラ」のCMに出ている子たちと言えばわかるだろう。このデビュー曲も、まんま「ピザーラ」の曲である。
「HALCALI」ののんびりムードのデビュー曲に比べると、こちらはずっとダンスっぽい、勢いのある曲。ラップもしっかりしている。「気合い」を感じる作風だ。ただCCCDで、Macでは再生できない。

ところで、女の子のやるラップというのは本当に独自のものがあると思う。男ができるだけ本場のものにテイストを近づけようと努力し、日本語をどうラップに乗せるかの試行錯誤や、口調などの研究開発に余念がないのに対し、女の子の方は商業的な音楽に安易にラップが取り入れられている=歌わされていることもあって、珍作、奇作も少なくない。
たとえば本気でHIPHOPの好きな人はSPEEDのラップをどう思っているのか? あるいはモーニング娘。の「抱いてHOLD ON ME」のラップ部分とか。つんく♂系で言えば新生タンポポの「恋のやじろべえ」では、ほとんど人に話しかけているのと変わらないある意味革新的なラップを聞くことができる。その点では「HALCALI」に近いと言える。

何が言いたいかというと、女の子がラップをやるとたいていが「有り」になってしまうと思う。本場を意識したものも、しないものも、それぞれに味がある。どうか女子供だと小馬鹿にしているとは思わないでいただきたい。何かポップスの新しい境地のような気がして仕方がないのである。

ところで、曲名は知らないが女の人がレゲエみたいな曲に乗せて声をひらべったくして歌ってるのがある。コンビニとかで流れてる。あれ、ラップじゃないけど個人的にカンにさわってイヤだと思った。そう感じたんだからしょうがない。
(03.0127)



・雑記(アメリカンセクシー田舎娘の謎)

ええと、今アメリカンプロレスのWWEって日本に来てるんだっけ? もう帰ったんだっけ? わかんない。そんなことはよく知らず、アメプロの女子レスラーが下着ショーをしたり戦ったり、その素顔にせまったりする企画「WWE ディーバ アンドレスト」[amazon]を見ていたら、ある女子レスラーが「爆発! デューク」のデイジーのコスプレをしていた。

「爆発! デューク」は、私の記憶だと80年頃に日曜日の昼間っからやっていたアメリカのTVドラマ。ボー・デューク、デイジー・デューク、ルーク・デュークという従兄弟同士の3人が、ドアの開かないクルマに乗って年がら年中田舎でカーチェイスをしているような印象のドラマだった。
内容はサッパリ覚えていないが、追いかけっこが主眼らしく、しょっちゅう急いで窓からクルマに乗り込むシーンがあったことが漠然と記憶に残っている。デイジー・デューク(キャサリン・バック)はその中の紅一点だった。

で、20年前のテレビドラマのキャラクターのコスプレをいまだにやってる、というのが気になった。ちなみにキャサリン・バックというのはこんな人でした。↓

ネットで検索をかけてみると、「 爆発!デューク」は原題「The Dukes of Hazzard」、アメリカCBSで79年から放送。なかなかの人気ドラマだったらしい。
内容は調べたがよくわからなかった……。まあ「じゃじゃ馬億万長者」の流れを汲んだ田舎風コメディだそうなので、だいたい推してしるべしなのだが。主役の二人は日本語吹き替え版では神谷明と富山敬が演じていたそうだが、そこらへんも覚えがない。

しかし、デイジー・デュークには覚えがある。本当に人気だったらしく、彼女のポスターがアメリカで次々盗まれている、というニュースを当時見たのだ。さらに、フットボールだったか何かの音楽祭だったか、デイジー役の女性がそのポスターの姿、すなわちいつもの役柄とほぼ同じ服装で、手に花束を持った姿で登場したのを覚えているのであった。
若い衆にはわかんねーたとえだが、たぶんファラ・フォーセットがダイビングのスーツを着て海からあがってくるポスター、あれ的な扱いだったんじゃないかと思う。
ちなみに、盗まれるくらいだったはずなのに、なぜか検索をかけてもそのポスターは出てこなかった。

さて、WWEの女子レスラーがコスプレをしていたということは、現在でもデイジー・デュークがアメリカ人にとって「セクシー」イメージの代表のひとつであるということは言えると思う。たとえばナースとかミニスカポリスなどの制服系の中にカテゴライズされているということだ。
具体的には、上はタンクトップかシャツのボタンをかけずに裾を結び合わせたかたち、下はジーパンを股の付け根でちょんぎったような感じ。カットソージーンズってやつか。

番組放映当時、ポスターが盗まれるだのなんだのというのはまだわかるが、人気番組とはいえ20年以上経ってまだそれが「有り」であることは、やたらと再放送されてるんじゃないかと想像したうえでも興味深い。

で、さらに検索をかけてみると、セクシーランジェリーやコスプレ衣装などを通販しているショップで「デイジー・デューク」というのがちゃんとセットとしてあった。 ヘソが出るくらい裾が短いとか、アレンジはしてあるが基本的には田舎娘としてのデイジーのイメージである。

セクシー田舎娘というのは、どうも日本人にはイメージしづらい。ボーッと考えても、そんなイメージのキャラクターはついぞ思いつかない。日本ではカットソージーンズにこだわってる人というと、Hマンガ家の氏くらいしか思いつかないが、やはり「田舎娘」というのとはまた違うと思う。
しかし、コスプレのメジャー度としては、チアリーダーやバニーガールに比べると一歩も二歩も譲るが「カントリーガール」というカテゴリーがアメリカではちゃんとあるらしい。ちなみに髪型は、おさげや三つ編みの場合もあるし、麦わら帽子を被っている場合もある。
ここで「カントリーガール」の専門サイトなどを見つけられれば私の男も上がる、いややっぱり上がらねーかなのだが、そういうのは見つけられなかった。調査中、あるいは微妙。

微妙でありつつも、謎が解けた部分もあった。アニメ「パワーパフガールズ」のある回で、悪者のファジーが市長になってしまう話があった。ファジーというのは、田舎に住んでいていつもバンジョーをひいているモンスターである。で、こいつが市長になったとき、秘書のミス・ベラムも自分の気に入った田舎風のスタイルにさせるのだが、それがまさに「カントリーガール」の服装だったのである。
西洋人のセクシーコスプレの歴史は古いと思う。洋装していた時間が長かっただけ、妄想大国日本も及ばないところがある。あといかにも肉食人間の妄想というか。「カントリーガール」が何かアメリカ人の心の故郷的なものなのか、単にデイジー・デュークが植え付けたエロイメージなのかはわからん。もしかして日本人におけるウルトラセブンのアンヌ隊員的存在か? が、ふと「田舎からの脱却」と日本人のエロイメージってセットになってないか、などと考えてみた。「田舎エロス」って、パッと思いつくのって歌の「麦畑」とマンガの「まんだら屋の良太」くらいだし。わかんないけどな。なんかそういうのが好きな人が潜在的にいるのかもしれないし。
しかしアメリカ人のエロ妄想は何か全方向的ですな。それと、今まで書いてきたことってけっこう「映画秘宝」にぜんぶ書いてあったりするかもしれないとか思いましたけどね。

まあ国内で「属性」とか何とか言うのもいいが、そこら辺の欧米との違いを調べると面白いかも、と思った。

あ、それと、海外のコスプレ衣装通販のサイトと日本のと比べると、モデルのレベルがぜっんぜん海外の方が高い。もう勝負にならない。たぶんボブ・サップとつちやかおりがバーリ・トゥードで戦う結果くらい勝負がついてしまっている。なんでつちやかおりかというと、小さいタレントがパッと思いつかなかったんだよ。

よく戦時中のアメリカの文化的余裕みたいなものを「こんな国と戦争やって勝てるわけない」とか言うが、たぶん今やっても勝てないだろう。経済戦争でもIT革命でも勝てないだろう。それくらいモデルのレベルが違う。
それにしても、日本人モデルでちょっとランクが下がると、単にブスというのではなく「美人をイメージしたら違っちゃった」みたいになるのはなぜなんだろう。たとえば顔はまあまあでも看過できないくらい顔がデカいとか、足が短いとか。あれは不思議。不思議色ハピネス。おわり。
(03.0126)



【DVD】・「 メイキング・オブ ミニモニ。じゃムービー お菓子な大冒険!」(2003、東映) [amazon]

映画「ミニモニ。じゃムービー お菓子な大冒険!」のメイキングDVD。ナレーションはミカ! こういう微妙な仕事ばっかりミカなんだよねえ。ううう。内容は可もなく不可もなく、ミニモニ。およびミニモニ。主演映画に興味のない人は見ても1ミリもしょうがないと言えばしょうがない。
あと「ハロー! プロジェクトキッズ」の紹介とかもしっかりやってました。

映画本編は、リーダーの矢口真里が「ミニモニ。」を卒業することとシンクロした内容になっていた。で、テレビでメイキング映像が流れるとき、最後のシーンのセリフを撮影現場で読んでいる矢口が「このセリフがやばい……。(やけになったように叫ぶ)がー!!」というシーンが何度も何度も映し出されたのだが、いったい何がヤバいのかの説明がなかった。ややこしいセリフだからか、感動して自分が泣いてしまいそうになるのか……。
この「メイキング」ではその真相がやっと明らかになった。やっぱり感動してウルウルしてしまいそうになるのがヤバいということだったのだ。

ところで、最近やっと気づいたのだが、矢口ってすごく演技がヘタなのである。コントなどではまったく気づかなかったが、ぜんぶ準備を整えて「はいどーぞ!」とやられると極度に焦るタイプらしい。目が微妙に泳いでいるし、ちょっと挙動不審である。
これは現在放映中の「ハローキッズ」ではっきりわかる。「カリスマアイドルやぐっちゃん」というのを演じていて、ハロー! プロジェクトキッズ(要するに子供たち)とからむのだが、相手が子供ゆえにからみづらいのか、「自分がしっかりしなきゃ」と思うプレッシャーか、そのあやうい演技を見ていて、少しハラハラする。

それに気づいてからメイキングを見直すと、この映画における矢口の演技が「自分がミニモニ。として卒業しつつある」という、今現在しかありえない特異なシチュエーションの上に成り立っていることがわかる。
「ミニモニ。はハロプロ内でもっともつくり込んだ虚構性の強いユニットである」ということは何度も書いてきた。書くまでもないことだが。「矢口が勝手につくったユニット」という設定も、そういったタイプの虚構であることは間違いない。しかし、こう言っては矢口ファンの人に悪いが「お菓子な大冒険!」は、その矢口の演技の拙さゆえに、「矢口リーダー卒業」が矢口真里個人の現実の節目として一瞬だけかいま見えるような展開になっていたのであった。

「拙い」と書いたが、アイドルっていうのはそういうのも味方に付けてこそ。その意味では、この映画がつくられたときの矢口には「ミニモニ。リーダー」としては確実に追い風が吹いていた。それはわかる人にだけしかわからない微風だったかもしれないが。

余談としては、撮影を見に来た「おはスタ」の中沢プロデューサーがバッチリ映っていた。「ミカがカメラを覗いて撮影現場を映す」というシチュエーションで出てきたので、ミカが意図的に映したものか。
辻は画面に映っているときはおそろしいまでにマイペース。「ガンバの冒険」のボーボみたいなキャラだと思った。
(03.0125)



【書籍】・「大槻ケンヂのザ・対談 猫対犬」(2003、ソニー・マガジンズ) [bk1] [amazon]

雑誌「uv」に連載された大槻ケンヂの連載対談を一冊にまとめたもの。相手はすべてミュージシャン。役者など本業はそうではない人でも、ミュージシャンとして対談している。
「uv」って雑誌をよく知らないんですが、対談相手のミュージシャンも9割方知らない人だった。しかし、年上、同年代、年下、他ジャンルとさまざまな人が出てきて、彼らに対するオーケンの接し方がオーケン自身のスタンスを浮き彫りにして、なかなか面白い本になっている。

オーケンの対談やインタビュー記事やエッセイや自伝的小説に共通するのは、自分も含めたさまざまなことに対し、それらを取り入れて自分の表現としてどのようにアウトプットしていくか、ということに対する葛藤が描かれていることではないかと思う。
受け手を笑わせようとする場合はその葛藤が客観寄りになり、受け手を泣かせようと思うと主観寄りになる。しかし作為的に感じられないところがおそらくオーケンの志(こころざし)と才能であるなあと思うし、客観と主観、エンターテイナーとアーティストといったスタンスの揺れ動きが共感を呼ぶし、また感動させる。

そうしたスタンスは、いきおい一種の「自虐キャラ」に自分を持っていく。自己表現上の悩みを「表現者の苦しみ」というふうにステロタイプに持っていくことをも客観視してしまう態度は、さらに自分を追いつめていく芸風のようにも感じる。それがさらにひねくれた若人の共感を呼ぶのであろう。

が、まあ私ももはや若くもないんで、多くの自虐キャラが本当の自虐でないことはわかっている。そんなキャラクターの中の計算高さや加虐性、あるいは自分勝手、オレ流、というのがかいま見えるところを探してはほくそえんだりする。

伊集院光で言えば、奥さんが元アイドルだとか、ラジオで若手芸人と罰ゲーム大会をしているところとか。ところで伊集院の話になるが、本当にたまにやる若手芸人との罰ゲーム大会は面白くない。なんでこんなに面白くないことをやるのか不思議だ。ラジオDJとしてはすごい才能を開花させていると思うのだが、あれは押井守がときどきとる実写映画のようなもので、やらずにはおれないものなのだろうか。
「罰ゲーム大会」においては自虐キャラを放棄しているのも不思議である。伊集院においては自虐ポーズがもっとも安全パイだとわかっているはずなのに。以前、「自分は上から見下ろしてこういうことをやっているわけではない」という証明のように最初に自分から罰ゲームを受ける、ということをやっていたが、オチはどうせ若手になるに決まっているんだから、そんなことはエクスキューズにはならんだろうに。

話をオーケンに戻す。本書ではあるバンドに対し、「きみたちの音ってぶっちゃけミスチルだよね?」(大意)と言うところがヒドイと思ったなあ。まあ実際にしゃべっているところはどうだったかニュアンスはわからないけど、なんとなくそのバンドだけリスペクトしてないっぽかったし。デビューしたてで「ぶっちゃけ○○に似てるよね」って言われたら凹むと思うよ。まあそんなことで凹んでちゃ一流にはなれないってことですかね。
あとオンナに対してだらしないっぽいところとか、はっきりと「女の客が来た方がやる気が出る」って言うところとか「特撮(オーケンが今やってるバンドの名前)のファンって元XジャパンのTOSHIみたいな顔の男ばっかり」とか言うところとかね。

あとぜんぜん関係ないが「ロマンポルシェ。」との対談で掟ポルシェが「だけどもっと、俺達としては『不思議』層にモテたいですね。『CUTiE』っ娘の乳揉みてえなあ……(しみじみと)。」って言ってたのには爆笑した。「『CUTiE』っ娘の乳揉みてえ」っていう字ヅラだけで面白いもん。
(03.0125)



・「ハロー! モーニング。傑作コント大全集1(仮)」が発売中止

「ハロー! モーニング。傑作コント大全集1(仮)」が発売中止(ゆうこ。マガジン←天上の飛鳥

文字どおりの内容。こんなことのためだけに項目立てするのはどうかと思ったが、「ザ・ワイド」が「電車の中で痴漢に脅され、そのまま自分のアパートまで痴漢が付いてきてカネをとられた」とかなんとかいう報道がまったく被害者のデタラメだったことを訂正しなかったことを反面教師とし、載せることにします。

シロウト考えでは「ぴょ〜ん星人」に登場した「ピカチュウ」や「キン肉マン」や「おさかな天国」の着ぐるみの権利関係が中止の原因じゃないかと思うんですが。ぜんぶ顔にモザイクとかかかって出たら面白かったのに。小学館プロダクションほかも、それくらいの度量は見せて欲しかった。
それと、3つや4つはOKの着ぐるみもあるだろーよー。ないのかな?

ところで、ふざけて「アイドルコント評論家」とか自称してみたが、学生時代やはりふざけて「学園マンガ評論家」を名乗ってみたことがあった。まあ「学園マンガ」というカテゴライズは少しムリがあり、今はどうムリがあってどうカテゴライズすればよいかはある程度はわかっているが、まあ私も若い頃はなんか、あがいてたんですよね。なんちゅーあがき方だ。
で、学生時代の友人で、会うたびに「さすが学園マンガ評論家」とかいまだに言って来るやつがいて、いまだにだよ! なんかねー、普通は忘れちゃってるじゃないですかそんなこと。
マンガに興味ないやつは忘れてるし、マンガに興味あるヤツはそういうくくりがムダなことわかってるからやはり忘れちゃってる。
それをいまだに覚えているということは、ある意味自分と本当に真逆のベクトルの世界に生きてるやつなんだな、とあらためて思いましたよ。なんかおごって欲しい。真逆の世界に生きているゆえにな。

あ、それと「ハロー! モーニング。」って最後に「。」が付くんだね。今のいままで知らなかった。でも「。」って「娘」につくものなんじゃないの?
(03.0124)



【アニメ】・「ななか6/17」 第2話「ピアニストななか」(2003、テレビ東京)

公式ページ

1月15日放送。
事故により精神と記憶が6歳児に退行してしまったななかは、父親と幼なじみの稔二のサポートもあって学校に復帰。が、クラスメイトは変わったななかに微妙に不信感を抱く。
そんな中、クラス対抗合唱コンクールのピアノ伴奏者を決めることに。ダントツでピアノの演奏がうまい雨宮ゆり子に決まりだと思われていたが、ピアニストに憧れていたななかが突然立候補する。いじわる心を起こし、わざとななかを伴奏者としてみとめてしまう雨宮。むじゃきによろこぶななかに、雨宮はピアノの特訓をすると言いはじめるが……。

原作の特徴が集約されている回と言っていいだろうと思う。雨宮がななかをピアノ伴奏者に決めた段階で、クライマックスでの合唱コンクールのシーンではななかがみごと伴奏を勤めるであろうことは予測できるのだが、そこまでの過程が実に面白いのである。
ヒソカに稔二のことが好きな雨宮と、ななかを守ってやることに精一杯でそれに気づかない稔二との関係にもガンチクがある。
(03.0123)



【アニメ】・「ななか6/17」 第3話「おねえさまななか」(2003、テレビ東京)

公式ページ

1月22日放送。
嵐山甚八(あらしやまじんぱち)は、稔二をケンカのライバルだと思っているが激弱な不良。「今度のケンカで、負けた方が相手の髪型をする」と賭けてしまい、見事に撃沈、稔二のツンツン頭をマネするハメに。
そんなイライラ状態の中、めがねを落として割ってしまったななかに路上でバッタリ出くわし、めがねのないななかは稔二の髪型をした嵐山を、稔二だと思い込む。
ななかは稔二だとカン違いした嵐山をひっぱり回し、おもちゃ屋などで「まじかるドミ子」グッズの買い物などをさせるが、かわいいななかに嵐山はまんざらでもない様子。

一方、嵐山の妹・五月は、家の剣道場を継ぐことになっている兄がだらしがないことにいつもいらだっており、兄をスキあらば木刀で殴りつけるということを繰り返している乱暴な少女。
ななかに惚れ込んでますますフヌケになった兄を救うべく、ななかをつけねらう五月だったが!?

公式ページのあらすじ、ぜんぜん使えなかった。これじゃどんな話かぜんぜんわからないよ。

今回は、30年くらい前の番長をカリカチュアライズした嵐山のアナクロっぷりが描かれ、その妹・五月初登場の回。

ネットを巡回していると「ななかが6歳に退行してクラスでバレないっていうのはムリがあるのでは」とか「ななかは生理のときはどうしているのか」など、マンガのみだったときにはなかったツッコミが散見される。
最初は「そんなヤボなこと言うなよ〜」とか思っていたが、確かに原作よりも微妙に違和感が大きい。動いて音声が入ると、やはり印象が微妙に違う。これがもし実写化だったら、もっと荒唐無稽な設定に視聴者は寛容だったかもしれないと思う。
今回も、五月が嵐山に木刀で殴りかかるシーンで、五月は殴った後空中で一回転して着地するのだが、マンガならこんなの省けるし、実写ではそもそも描かなければいいのだが、アニメだから五月は人に殴りかかるたびにクルクル回ることになる。クルクル。

思うに、これは八神健の原作の設定の微妙なリアル感、逆に言えば微妙なマンガ的荒唐無稽がアニメ化されることによって目立ってしまうということだ。
第一話でも、ななかは17歳のときの声が不自然で、6歳に退行したときの方が板についているという奇妙な現象が起こっていたし、稔二と嵐山というアナクロ番長モノのパロディ的設定も、原作では物語の背景というか設定上のオマケ的なものでしかなかったのに、アニメになるとなんだか目立ってしまうのである。
だから何だというと別に何も問題はないのだが、たとえば「うる星やつら」とか「炎の転校生」とかは、ああ、例が古くてすまん! アニメ化された際に「こんなわけねぇだろ」という設定に対するツッコミはなかったと思う。これに対して「ななか」にはツッコミが入る。
藤子不二雄の「少しフシギ」になぞらえるなら「少し荒唐無稽」ゆえに起こった事態だろう。

まあそういったことにはカンケイなく、アニメとしてはたいへんすばらしいと思った。
(03.0123)



・「いちご実験室」 山名沢湖(2003、講談社) [bk1] [amazon]

A5判。「Amie」に連載されたショートストーリー「いちご実験室」と、「なかよし増刊」に掲載された読みきりを収録。ラインナップに関しては作者ページこちらに詳しい。

山名さんの作品はアワーズライトなどで読んでいたんですが、今回まとめて読んでみて「そうか、ここまでファンタジックな作風だったんだ」と思いました。

ファンタジー的な作品を乱暴に区分してしまうと、「直接的に何かを風刺することにファンタジックなアイテムや展開を使う場合」と、「直喩ではなく、空想的な世界に読者が浸るためにファンタジー的な設定がある場合」を両極とし、そのどちらに偏るかでいちおうの区分ができると思います。我ながら本当に乱暴ですが。

で、本作では「直喩ではない」方向のものが多い。いちばん顕著なのは、8ページの短編が連続する表題の「いちご実験室」。ミソラちゃんの家のとなりに住んでいるハカセ、「ハカセ」といってもまだ若い青年が不思議な発明をするというものですが、たとえば「ドラえもん」に出てくるひみつ道具のように明確な教訓ばなしの材料になったりはしない。帯にも書いてあるが、もっとふわふわっとした感じ。
「なかよし増刊」掲載のものも、ファンタジー色が強い。ファンタジーというと最近では剣と魔法が連想されてしまうかもしれないがそうではなく、幻想味というかね。そういうのが強い印象です。

私はあまり少女マンガに強いほうではないというかむしろ弱いんですが、ぶっちゃけますがここのところ「ちゃお」とか学年誌の少女マンガなどを読んで精神が疲弊していました。
要するに、それらの雑誌ではフォーマットが完全にできあがっちゃってるんですよね。よく言えば作品のアニメ化などで培われたメディアミックスの方法論が活かされていると言えるし、悪く言えばイメージそのものがきわめて限定されたものとなっている作品が多いと言える。
私自身は、そういう方法論に対して決して否定するものではないですが、さすがにそういうのばっかり読むと疲れてくるんですよね。

しかし、本作は本当に自由に発想しているように感じられて、教訓的な展開にもあまりとらわれることなく物語が繰り広げられているので、なんだか広い空間に飛び出たような気がしましたよ。

「なかよし増刊」は実は読んだことないんですが、こういう作品が載っているのはいいことだなあと思ったりしました。
(03.0122)



・本当に雑記

いつも悩むが、ネタがないときでも更新した方がいいのだろうか? それとも、じっくり練ってきちんとしたものを更新した方がいいのだろうか? いや、自分としてはじゅうぶんネタはあると思っているんだが。
まああまりヒマに見られるのも困るけどね。

「メガ80’s」婦慰夜℃
80年代のクズっぽいアニメ・特撮・プラモなどを愛し、追想するサイト。
新規にサイトとしてこういうのが立ち上がるってのがイイですね。まだまだすごい人がいるなあ。

管理人の年齢が近いので、親近感を覚える。

・アニメの美味しんぼ
えーと、この間たまたま見た。平日の午前10時半頃からの再放送。
伊集院光のネタで、不登校時に「西部警察」や「特攻野郎Aチーム」を見ながらゴロゴロするダメさ、みたいなのがあるが、おそらく無職時やスクールエスケイプ時の真っ昼間に「美味しんぼ」を見ると空しさ100倍だろう。
中村由真の主題歌、バブル期を背景にしたことが明瞭に思い出される設定、家でゴロゴロしている人間には何の関係もない高級料理うんちく……。そして過剰につくり込んだ富井副部長のヘンな声。おそらく「ムリなつくり声」の歴史において、神谷明のオヨネコぶーにゃんを大きく引き離して一位だろう。

・藤本美貴暴れん坊説
ネット上では藤本の暴れん坊ぶりがモー娘。内でどのような影響をおよぼすか? ということが取り沙汰されているが、「生意気」のエンタテインメントとしての器は後藤真希に相当劣ると私は思っている。個人的に「タンカが板についたアイドルには萎える」のだが、後藤真希は「てめぇー、どうたらこうたらでぇー」というのが板についてない感じが結果的に視聴者を深読みさせることにもなった。そういえば弟もそんな感じだった。
で、藤本ってぜったい同年代で同じクラスになったら期末テストのときだけノートを借りに来て、「あの教科、ノート取ってないよ」っていうとふくれるタイプだと思う。後藤は最初っからノート借りる気ないタイプ。

そして田中陽子は脅し取るタイプ。それにしても、「素行不良アイドル」というと本当に田中陽子は伝説化してしまっている。いつぞやの週刊誌の元アイドル座談会でも「T・Yさんはすごかった」と言われてたし、故・池田貴族のエッセイでも変名で武勇伝が語られていた。
だれだったかな? 某アイドルが田中陽子と2人で電車に乗って、ホームまで来たファンの人に手を振って電車が発車、ホームを離れたとたん田中陽子に「なんで○○ちゃんのファンばっかりなのよ!?」とキレられたとか、言われ放題だ。
「机の上に足を乗せてタンカを切った」というウワサも聞いたし。
そんな自由連想。

・デブい人
地元の本屋で、雑誌が店の前に立てかけてあって、いちばん右も本棚になっていて、そこに新発売でない雑誌が入っている。私がそのいちばん右の本棚の雑誌をとりたいと思ったときに、私も太ってるが私以上にデブい人が前をふさいじゃって、ぜんぜんとれない。

しかも、万引き防止のためか店の前の雑誌類を立ち読みできるスペースの背後にスタンドみたいのがかけてある。つまり、デブい人は雑誌が平積みになっている台とスタンドの間に、すっぽりおさまっているというわけ(特別図解参照)。私の目当ての雑誌は、その奥の棚にあった。

仕方がないので、スタンドの隙間から手を入れてものすごくヘンな姿勢で雑誌を抜き取ってレジに持っていったら、レジのおねーさんに、
「今後は、自分が取りにくい本は言ってくれれば取りに行きますので」と言われた。 万引き防止のためだろうが、なんでデブい人のために私がそんなこと言われなければならないのよ。私は浜辺で2時間泣いた後、家に帰った。

・今日の「おはスタ」
「学校ソングベスト10」がやっと発表に。学校の音楽の時間などに歌う歌で、好きなものの投票を募った企画。今回は10位から4位まで発表。「もみじ」や「翼をください」、「茶色の小びん」などオッサンの私も知っているスタンダードな曲に混ざって、なぜかつじあやのの「風になる」が入っていたりする。
まあ音楽の時間にポップスを取り入れることは、私が小学生時代から行われてきたことだが、さらにわからないのが「たんぽぽ」(注:ユニット「タンポポ」の歌にあらず)という歌が入っていること。聞いたこともない。どうも合唱曲のニューナンバーらしい。みおは知っていると言っていた。

この企画、投票数やバランスなどははなはだあやしい。投票数全体が多すぎるし、どのような経緯で集められたかも不明瞭。だがそれもわかる。ポップスが大量に取り入れられている現在の「学校ソング」では、あまりそっち方面の歌ばかり入ってはマズいだろうからね。こういうものはある程度の操作はアリだろう。
それにしても、ぜったい現役小学生はわからない「ザ・ベストテン」の中途半端なパロディ形式だったのが最高だった。こういうのはやまちゃんの独壇場であり、「おはスタ」という番組の真骨頂である。
音程をはずしまくったコンちゃんの「翼をください」もご愛敬。
来週の火曜日に、3位から1位までを発表するそうである。

・貴乃花引退
かなり近いところに二子山部屋があるし、たぶん自分と小学校同じじゃないかな? 同じ小児科に通っていたことは間違いない。貴乃花って二十代前半くらいまで、そこの小児科に行ってたんだよな。私は見たことないけど。
しかし、相撲に興味の希薄な私はあまり思い入れがない。若か貴が優勝するたびに、職場の人から「優勝パレード見た?」と言われるのが非常にウザかった。それと、若・貴の話題になると必ず登場する中野新橋の商店街の人々、よく中野新橋には行くけど1回も見たことないぞ。

なんでウチの近所では地元的盛り上がりはないかはわからん。勝手に「人情のない地域」だと思ってください。江戸時代くらいに、通りを隔てて中野新橋の人々と血塗られた抗争を繰り広げていた可能性もあるな。「カムイ伝」の世界みたいにな。
で、力士がいつも抗争の先頭に立って、ウチの近所はいつも負かされてきたんだよ。
うそ。だって二子山部屋ができたの、私が中学生くらいのときだもんな。

・避難訓練
テレビで、「実際に災害が起こったときに避難する体育館に、市民が泊まり込む訓練」というのをやっていた。で、あんまり美味しくない非常食などを食べる。訓練だからね。3日ぶんしか食料は備蓄していない、ということも教えられる。
そうしたら、インタビューされたおじさんが超真顔で「非常食はあまりおいしくない。これを3日も食べるのは辛い。近所にコンビニがあるから、いざとなったら買い出しに行くしかない」と言って、画面がスタジオに切り替わると女性のアナウンサーが「ですが、災害が3日で終わるという保証はないですし、コンビニも被害を受けている可能性がありますしねえ」とこちらも真顔でコメントしていたのに爆笑してしまった。

「死んだカブトムシに電池が入ってないと言うガキ」伝説というのがあるが、災害が起こったらコンビニに買い出しに行くと言ってるおじさんはどうなのよ、と思った。

おわり。
(03.0121)



【同人誌】

・「ヤンキー風俗研究会会報誌 強面」 零号(2002、ヤンキー風俗研究会)

ヤンキー風俗研究会発行のコピー誌。

いわゆるヤンキーに対する考えは、実物のヤンキーが自分の生活圏に生息しているかどうかで変わってくるとは思う。
しかし、ウチの近所にはヤンキー風よりもチーマー風の若者の方が多いが、それでもテレビを見れば「この人ヤンキーなんじゃ……?」と感じるタレントが出たり、事件の報道でも主役・脇役限らずヤンキーの影を見ることができる。

渋谷センター街はチーマーとコギャルの聖地のように思われるが、HIPHOP調のグラフィティ、要するに落書きがあちこち散見される中、いったん深夜となり店が閉まって次々とシャッターが降りると、そこには「○○連合」などの暴走族サインが描かれている。

つまり、ボンタンはいた実在のヤンキーがいないところでも、ヤンキー的ファッション、ヤンキー的ものの考え方等々はまるでインベーダーのように我々の日常生活をじわじわと浸食していると言えよう。しかし、それを明確に言語化することもまたむずかしい。

そこら辺を整理し、ヤンキーの現状を観察・調査・分析して楽しもうというのが「ヤン風研」の主旨であり、本書はその成果の一端を同人誌化したものである。

18ページと比較的薄めだが、多くの示唆に富んでいる。たとえば「ヤンキー人物研究」の第1回が、いきなり和泉元彌というのがふるっている。ベタにヤンキーっぽいタレントはたくさんいるが、あえて和泉元彌。
考えてみれば、あの過剰なまでの上昇志向は本書に「ヤンキーの行動原理」として示されている「過剰」、「短絡」と当てはまるし、ヤンキー血中濃度の高さを思わせる。

他にも基本的なヤンキーの定義、「ヤンキーとDQNはどう違うのか?」という定義上重要なポイントなどに明確な解答が与えられており、またギャルママや主婦雑誌に登場する節約ヤンキーについての現状と考察など、実に勉強となる一冊。
次回はオフセット誌を希望します。ほぼ同内容でも買いますよ。
(03.0119)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第42話

第42話「ミカンとコタツ」(1月18日)

公式ページ。

安純とヤシチは、夜中に路上でミカン型の謎の飛行物体に遭遇。アプダクションされそうになるが、ヤシチの手裏剣攻撃によって逃げることができた。
翌日、川原で遊んでいたミルモたちは、リゲルとデネブに出会う。不思議な銀色の服を着ている彼らを妖精だと思ったミルモは、人間界の町を案内するが、なんだか会話がかみ合わない。
そんなおり、リゲルとデネブは松竹デパートの特別催事場に展示されていた「火星の石」を奪って逃走してしまう。彼らは妖精ではないのか? ではいったい何者?

ミルモの世界では、すでに人類は火星に到達しているらしい。さりげにすごい設定でてきた! リゲルとデネブは宇宙服のようなものを着ていて、けっこうカワイイ。
「彼らは何者?」とか書いておいてナンだが、当然宇宙人である。魔法は使えないが、超文明によりサイコキネシスのような技が使える。「SFもファンタジーもものすごく発達すれば同じ」の法則だ。ちょっと大げさだが。
その技を使うアイテムが「蓄音機」なのが面白い。ミルモたちは素朴な楽器を使っているが、超文明を誇る彼らは「ハイテク」な楽器を使っているというわけだ。でも手回し式なんだけどね。

他にも、リゲルとデネブの話によると、宇宙人の間では「魔法」はすでに滅びてしまった技術体系ということになっており、妖精と宇宙人との関連性がほのめかされていたり、結末が映画「サイン」と「未知との遭遇」を足してものすごく脱力するオチになっていたりと、やはりあなどれない展開であった。

サブタイトル「ミカンとコタツ」では、宇宙人とかUFOという言葉がいっさい出てこないところがかえってしゃれている。
(03.0119)



・「コミック1970」Vol.1(2002、徳間書店)

週刊アサヒ芸能増刊12月1日号。中綴じ。昨年刊行されたもので、たぶんもう売ってないと思う。
惹句は「時代の傑作がそのまま復活! タイムスリップマガジン」。70年に発表されたマンガのみで構成された懐マン系マンガ雑誌。
次号のVol.2は「1971」で、たぶん71年の1年間に雑誌掲載された作品で構成されたもの。昨年の12月24日に、すでに発売されているはず。

本誌の掲載作品は、以下のとおり。

「アトムの最後」手塚治虫「大海賊ハーロック」松本零士「ホモホモ7」みなもと太郎「帆のないヨット」辰巳ヨシヒロ「ダメおやじ」古谷三敏「銭ゲバ」ジョージ秋山「じゃる気あんのか劇場」谷岡ヤスジ「男と女の部屋 月見草の女」上村一夫、阿久悠「蔵六の奇病」日野日出志「蟹」つげ義春

いつもは、どんなに刊行されて時間が経ち、雑誌のレビュー時期がズレまくってもあまり気にしない私だが、本誌は参った。Vol.2がゲットできていればまだしも、結局できなかったのである。
正直、Vol.2がどこにも見当たらない。しかも懐マン系の雑誌のため、「次につながるレビュー」、注目作家などの個人的チェックなどもすることができない。
……というわけで、さすがにレビューをするモチベーションが少々下がる。

これは、本誌が「けっこういい雑誌だから」でもある。70年から始め、71、72、73年……と年代を追って編集し、刊行していくというのは面白い試み。休刊してしまった実業之日本社の「コミック伝説マガジン」は、旧作の続編、要するに描き下ろしと、滅多に読めない過去のレア作品発掘を中心にしていた。
これに対し、こちらはおそらく読もうと思えば読めないこともない、現在でも文庫などで購読可能なものをふくめた名作を集めるという趣向だと思う。
本誌のやり方なら、掲載作品のレア性は薄れるかもしれないが、まとめて同時代の作品を読むことで、何となくその頃の雰囲気を読みとることができるという利点がある。

「過去の作品を再掲載する」という、昨今ありがちな編集方法には賛否あると思うが、企画いかんによってごった煮風味や単なる懐古趣味から脱することができる、ということを示していると思う。
コラムは片岡義男、野口文雄、泉麻人、米沢嘉博が書いている。ちょっと分量的に食い足りない気もするが、「70年代」というくくりで毎号出していれば、連載されることによって70年代の時代の雰囲気と、当時のマンガとの関わりを示すこともできると思う。

それにしても、Vol.2はいったいどこに売っていたのだろう?
ちなみに「小池一夫マガジン」も、話には聞くがほとんど目にしたことのない雑誌のひとつである。
(03.0119)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(テレビ東京)

公式ページ

モーニング娘。およびハロープロジェクトの番組ということになっていたが、けっきょくなんだかんだで現状はモーニング娘。のみの番組になっている。

今回は総集編とNG集で、それなりに面白かったけど内容についてはスルーします。
で、やっぱりトピックとしては今日、6期メンバーのオーディション特番があるということでしょう。そのCMが番組中、何度も何度も流れました。

個人的には、もはや「どうでもいい」領域に達してるし、女の子が歌の先生に怒られて泣かされたりしているシーンを見るのがイヤなので、特番は見ません。
マニアの人たちも、藤本ミキティー加入に意識がいってて、「6期メンいらない」の声を聞くくらいだし。

ハロー!テクストは、複数で運営しているという現状のファンサイトでは珍しい形式ではないかと思いますが、なかなか面白いです。
ここの1月14日の座談会、これとたぶん今後載るであろうBUBKAのモーヲタ座談会を読めば、だいたい藤本騒ぎに対して自分が理解できるのではないかと思います。……っていうかもう自分の中では結論出ちゃいましたが。

「ハロー!テクスト」では、「モーニング娘。というアイドルグループはデビルガンダムに似ている」という表現が妙に面白かったですね。

個人的には、亜依国精神「1.15.6期メンバー最終候補3名」というテキストというか座談会くらい、萌えと突き放したスタンスのないまぜになったあり方が理想ですね。確かに、対象物に徹底して同化していくのもファンの醍醐味かもしれないけど、あまりにも振り回されてしまうのも率直にシャクでしょ。その点、この座談会ってアイドルに対する愛と遊び心がいいバランスだと思いました。

いろんなエンタテインメントがありますが、とくにテレビの芸能モノって、やっぱり受け手が主導権を握っていないといけないと思うんですよ。それは署名を集めてどうこうっていう問題ではもちろん、ない。要するにこちら側の妄想力の問題ですね。妄想でいかに遊んでいくか。
今までつんく♂を代表する人々がハロプロでやってきたことって、受け手の「萌え」、妄想力を弄ぶことによる一種のショック療法だから、私としてはそこまで付き合う必要ないと思ってますね。マゾ趣味はないんで。
今後の私の興味は、「妄想」によって、いかにコッチ側に主導権を持ってくるかで、そういうのがねえ、大人のスタンスのような気がしますね。
(03.0119)



・雑記(夢など)

・夢
ものすごく恐い夢を見る。寒くてトイレをガマンして寝るからだろうとは思うが。
夢日記を付けると発狂するって、本当でしょうか。

夢の内容。
空き地のようなところで前衛芝居があって、それを見に行く。出演者が男女混合で5人くらい、半裸で土に身体半分くらい埋まっている。土にまみれて、動けない状態で上半身のみで演技するという奇怪な芝居だった。

演出も役者もそうとう気合いが入っているらしく、観客にも一種異様な緊張感が伝わってくる。
始まって1時間くらい過ぎた後、後ろの席の吉田等が私に対し、大声で「今まででぜんぜん面白くならないんですけど」と言ってきて閉口する。空き地で見ていたはずなのに、いつの間にか客席は小学校の机と椅子みたいなものが並べられた空間に変わっている。
吉田等は「ぴあ」かなんかを見ていて、すでに芝居からは心が離れてしまっている。
ときどき「ぴあ」を見ながら「あ、これ見に行こう!」などと、別の芝居について歓声をあげている。

その後、なぜか勤めていた会社で最も「さえない」と言われていたセンパイが芝居のスタッフとして出てきて、私の前の席に座っていた男性を手に持った鉛筆でメッタ打ちにするという暴挙に出る。鉛筆で頭部を何度も殴られ、血だらけになる観客。それを見た客席からは悲鳴があがるが、だれも何とかすることができない。

いつの間にか自分たちのいる場所は、空き地からどこかの公民館のような場所に変化している。血だらけになった客を見て、他の客はみんな帰りたがるが、そこに役者の手塚とおるみたいな顔の演出家が出てきて「回りくどいことをやらせるほどいやがらせになる。この芝居はいやがらせをするためにつくった。ここを出ていきたければ、英語でその旨を書き、この会館のFAXを使って、衛星を通じて(意味不明)自分のところにFAXしてくるように」と言う。

みんな、FAXしにいくために次々と席を経ち、行列ができる。自分は席を立たず、行列を眺めている。芝居を支配している演出家にイヤ〜な印象を抱きながら、しかしここを出るには何か他に方法があるだろうと思って、ただ座席に座っていた。
(03.0119)



・「POP-ZONE」Vol.2(2002、リイド社)

新創刊のマンガ雑誌第2号。「癒し系」がキャッチフレーズ。ものすごくぶっちゃけると、和姦系成年コミック。

公式ページリイド社)。

「すいーと・ハウス」香月りおは、彼氏がいなくなった美少女がさえない男と同居することになる話。連載第2回。

「お手伝いしちゃいます。」八月薫は、ハウスキーパーがエッチしてしまうマンガ。連載第2回。

「お嬢様のための楽しいSF生活」ちもは、新連載。大学に入学したヒロインが、入寮したらマッドサイエンティストのとんでもないセンパイ(女)とルームメイトになることに。
このマンガ、「SF」と冠してあるわりにはSFっぽくないことこのうえない。私もSFマニアというわけではないので目くじら立てるつもりはないが、いちおうメカとか「マッドサイエンティストな雰囲気」は揃えてあるのにSFっぽくないのはどうしてだろう、と思ったりした。

「ラブ☆ランジェリー」山崎あつしは、ランジェリーファミレスのウェイトレスを主人公にしたマンガ。連載第2回。

「内部 DOMESTIC」坂辺周一は、アパートに引っ越してきた貧乏親娘を主人公にしたサスペンスもの。連載第2回。

「シーラント」矢野健太郎は、一人暮らしの青年・杉田慎二が、偶然ネットオークションで見かけたシリコンボディの高級ダッチワイフを、別れた彼女にソックリ、という理由でつい購入してしまう。しかし、そこには何らかの意志が働いているらしい……。という話の第2回。
高級ダッチワイフの取り扱いのディティールがさりげなく描写されていたりと、面白い。現段階では、あらすじをどう書いてもネタバレになりそうなのが困ったところですが。

他に、梢日向、橘セブン/NAKADO、睦月のぞみ、千葉哲太郎、小林亜由美、田中雅人、湯河原あたみ、千葉哲太郎、ぷーたろう、立沢直也が描いている。
(03.0118)



・「超アホ汁」 ピョコタン(2003、三才ブックス) [bk1] [amazon]

主にゲームラボに連載したレポートマンガっぽいものをまとめたギャグマンガ。テレビ番組「おはスタ」のマスコットキャラクター「あけお」をデザインした人の単行本。
ドクター中松のところに行ったり、よくテレビに出てくる宇宙人とかUFOについて語り、不思議な石などを売りつけるじいさんのところに行ったり、鎌倉にあるRPG風の武器を売っている武器屋に行ったり、アキバのメイドさんカフェに行ったりする。

ネタ自体はそんなに珍しくはないし、肝心の部分があまりにあっけなくて「ええっ!?」みたいのもあるけど、その投げやりさが味かも。
作者のオタクに対する微妙なスタンスについても、思いをはせてみたりする。絵柄的には「ガロ」とかに載ってそうなんで。昔はそういうタイプの人ってオタクをバッサリ斬って捨ててたけど、最近はもっと世の中複雑になってるから。

そういう意味からも、オタクをネタにしたものが面白かった。コミケとか、モーヲタのオフ会にいきなり出たりとか。
(03.0117)



・「YOUNG キュン!」12月号(2002、コスミックインターナショナル)

成年コミック誌。実に4カ月ぶりくらいの同誌のレビューか。理由はあって、「麗しい課外授業」というマンガを当HPでは同誌のレビューの中心としているのだが、連続モノで先の展開が読めず、毎月のひとつひとつのエピソードだけではどう評していいかわからない部分というのがあるのだ。

で、その「麗しい課外授業」毛野楊太郎は回を重ね、謎の「お屋敷」で牝奴隷としての調教を受けてきた久美先生が学校に戻り、英才クラス専属奴隷として本格的に授業開始。Hなメイド姿で生徒からスパンキングされたり、いい成績をとったものからエロいことをしてあげるというシステムにしたりする。
作者急病のため減ページとなり、そのぶん代原として載ったのが同じ作者の「ひとりで悩まずすぐ相談」。カツラ会社「ハゲランス」の無料育毛チェックに、「陰毛のチェックをしてくれ」と訪れる美少女とカウンセラーのやりとり。
これ、小品ながら非常に面白いんで、こういうのがあったらぜひまとめて単行本にしてほしい。どこに言ったらそうしてくれんのかわかんないけど、してほしい。

「プリンセスハンターズ」IRIE YAMAZAKIは、7回目で最終回。高貴なお姫様が敵国に捕まって3人のブタ王子に犯されるというストーリーだったが、ラストは見事にお話としてまとめていた。

作家陣は、他に百済内創、水島空彦、龍牙翔、いわまよしき、高苗京鈴、椎野唯、こうのゆきよ、青玉。
(03.0117)



・「YOUNG キュン!」1月号(2003、コスミックインターナショナル)

成年コミック誌。
「麗しい課外授業」毛野楊太郎は、お休み。

「サンタさんでいこう!」椎野唯は、イブの日に一人ぼっちの男の元に美少女サンタが。SFおしかけか。
「にゅるる3号」押田J・Oは、数カ月前からときどき載っているギャグっぽいマンガ。布と糸とジェルでできた美少女人形・にゅるる3号とそのマスター(男)との生活を描く。SFおしかけか。
「ハッピーメリークリスマス」りゅうき夕海は、サンタ姿の3人の美少女天使がさみしい男のもとへ。これもSFおしかけか。
「きょうのわんこ」鶏子は、未来社会みたいなところで金持ち専用の「人化ペット」、すなわち外見が全裸の美少女ソックリの犬を飼うことになった男の話。これまた広義のSFおしかけか。

執筆者は、他にいわまよしき、水島空彦、椎野唯、百済内創、龍牙翔、りゅうき夕海、TAKI姐、大波耀子、こうのゆきよ、くいんきょうあん。
(03.0117)



・「YOUNG キュン!」2月号(2003、コスミックインターナショナル)

成年コミック誌。現在発売中。
う〜ん、もともと骨太な、ドラマチックなマンガやオーソドックスにプロットで読ませるマンガが柱として数本載っているというのが本誌の魅力だったのだが、ここ数カ月は、何本かが連載終了後、新しく始まったストーリーものの陰が薄い。

「麗しい課外授業」毛野楊太郎は、第5回。英才クラスでの久美先生の陵辱されっぷりを描く。みんなに犯され過ぎて「寝るヒマもない」という苦痛に、なんかリアリティがあったりする。
下田辺は矢野健太郎のマンガに何度か出演したオタクキャラだが、似たような感じなのに鬼畜系、「悪の下田辺」とも言うべき望月は久美先生の生徒。当初久美先生を奴隷としていた課外授業グループはいろいろあって崩壊したが、残された彼が、英才クラスに奪われた久美を忘れられず動き出す模様。

執筆者は、他に高苗京鈴、百済内創、氷純舞、いわまよしき、龍牙翔、水島空彦、さくら恵理、こうのゆきよ、りゅうき夕海、青玉、よしき龍馬、押田J・O。
(03.0117)



・雑記

・テキスト
昔の自分のテキストを読み返してみたんだが、やっぱりカッコ、丸い方のカッコと(笑)の多用は考えた方がいいなと思った。
昔、予備校で現代文の田村の講義を受けたとき「カッコのたくさんある文章はよくない文章」と言っていたことを思い出したよ。カッコの中の文章は一文の中に組み入れるに越したことはないんだね。などと、今頃思った。でも効果的に使っている人いるからね。パンダパンダ2の人とか、すごいもん。このカッコの使い方は、なかなか思いつかない。だから人それぞれかな。
(笑)は「苦笑」の意味でパソ通時代から使っていて、これはネットの場合、文章に感情が出ないような気がして、それで読んだ人が気分を害さないようにという強迫観念から付けていた。が、最近はなくてもいいような気がしてきた。
フェイスマークも、同じ意味で文章に敵意がないことを示すためにわざわざ使っていたのだが、だれも使わなくなったので最近やめている。
2ちゃんねる用語はいっさい使わないことにしている。なぜなら、私は2ちゃんねるを読まないから。
伏せ字は使う。検索で引っかかってくる人がいると、めんどくさそうだから。

ここまでの文章でお察しのとおり、私は文章でだれかに敵意を感じさせることを異様に恐れていて、それが自分のテキスト形成に影響している。まあ変わるのが人間なんで、今後変わるかもしれないし、もう変われないかもしれない。

・HP
知らない人のサイトをぼけーっと見ていて思うことを箇条書き。

・黒地に白文字で、あまりに長文だと読みにくい。全コンテンツ、黒地で白文字のところがあったのよ。
・地の一部に濃いカラーイラストが入っていると、上に乗った字が読めない。薄いアミがかかってるならいいけど。
・変な略語はやめるべき。たとえばリキッド・ルームを「液体部屋」って書いたりすんの。あと、エヴァンゲリオンを「内省バイオロボ物語破壊風味アニメ」とか。これは今考えたんだけど。桂三枝をKSSとか。そんなやついねえか。たとえばの話ね。意味わかんないもの。
・ダークな内容や同じ主張は、読んでいて一週間くらい続くともう限界。耐えられなくなる。そういう理由で5つくらい、巡回からはずした。

・つんく♂の今後の動向を考える
藤本美貴加入騒ぎで思ったことにおいて、つんく♂プロデューサーの「次の手」は理論的に過去の業績からは予想できない、と書いた。
つまり「絶対やりそうにないこと」をやるんだきっと。そこで、「鉄拳」の「こんな○○はいやだ」的に今後つんく♂のやることを考えてみようと思う。

・実写版「ド根性ガエル」のピョン吉役をやる。
モーニング娘。関係の記者会見と思わせておいて、発表するのはこのこと。もちろん映画はピョン吉の胴体にCG合成でつんく♂の顔をくっつける方式。「下町のファミリー感覚が自分のもとめていたものだ」などと言う。ちなみに「ひろし」役はシャ乱Qのたいせー。南先生はまこと。ヨシコ先生は細川ふみえ。梅さんは細川直美。モグラは細川元首相。ゴリライモは内山くん。ひろしの母ちゃんは磯野貴理子。京子ちゃんはMEGUMI。

・モーニング娘。に、CGでつくったヴァーチャルアイドルを加える。
ダテキョウみたいなやつね。

・さらなる拡大路線で、もうひとつ大人数の女性グループをつくる。全員赤と白の縦縞模様のタキシードを着て、トランペットなどを吹くのが売り。リーダーはシャ乱Qのたいせー。南先生はまこと。梅さんは細川直美。

・突然プロデューサーを降りると宣言。極端なCG合成の映画をつくり、自分が主演、映画のラストシーンで「二代目つんく♂」をまことに委ねる。画用紙でつくった金めだるをまことにかけてやるのが最大の見せ場。

・なんか気持ち悪い、ぜんぜんタレント性のない男子高校生とかをハロプロに入れる。早口でしゃべるメガネ君、スポーツ刈りが伸びたままになっている太った少年、「クイズに自信がある」って言って出てきて、1問も答えられなくてその場に突っ伏してしまう中年男性など。

・今頃「シェンムー」を嘲笑するというキャラで、さんまの番組などに出る。

・「ラムネ」を「サイダー」と言い間違えた、間違えないという理由で生放送中にやしきたかじんと殴り合いをする。

・「キッスの世界」などのヘンなグループ名を考えるところから発展して、芸名もヘンなのを付けさせる。「イカスミ三太郎」とか「イカスミゴロ吉」とか、全部イカスミが付く。本人はイカスミが大嫌い。

・「この後、とんでもないことが!」などのテロップの後、CMに入るという方式のテレビ番組に泣いて抗議する。

・「独り暮らしを始める」と言い出して、親と言い合いになり家族会議に。

・週刊プレイボーイを「エロ本」と言って同級生に笑われる。

・読書感想文を赤川次郎作品で書いてきて、先生に怒られる。

・田中麗奈ファンになって、ヨーグルトのCMを録画することに夢中になる。

・出崎統を「出崎なんとか」と言って笑われ、授業中に前の席のやつを殴る。

唐突に、終わる。

(03.0117)



【DVD】・「TV'S HIGH」 (2001、ビクターエンターテインメント) [amazon]

フジテレビ系深夜の15分番組として放送された番組を集めたもの。
ある日、木村拓哉(本人役)の住むアパートにピザ屋からピザと一緒に「テレビ開局キット」なるものが送られてくる。木村拓哉は、なしくずし的に個人放送局「TV'S HIGH」を立ち上げた。視聴率80パーセントをとるまでこの放送局を閉鎖することはできない。毎週、木村拓哉のアパートにはこの番組をめぐって奇怪な人物が次々と現れ、事件が起こるという実験的コメディ。

作:構成は三木聡、鈴木おさむ、宮藤官九郎、木村佑一。出演は木村拓哉、青島幸男、生瀬勝久、YOU、村上淳、宮藤官九郎、木村佑一ほか。

たぶん、香取慎吾がやってた征服少年カトリの後番組なんじゃないかと思うけど、違うかもしれない。本作はいわゆる不条理コメディというやつで、基本設定以外、きちんとしたストーリーはほとんどない。個人的にはこういうのはスゴイ好きなのだが、深夜枠の自由度のせいか少しメチャクチャすぎる気もした。いちおう青島幸男が「テレビ開局キット」の黒幕ってことになってるんだけど、最後に何かあるかというととくに何もないんだよね。

木村拓哉も……微妙だなぁ。とりあえず、キムタク好きのカノジョにこの番組を見せるんだったら「キムタクも意外にやるねぇ。おれ興味なかったんだけど」とでも言っておけばいいんじゃない(ものすごい投げやり)。何というか、キムタクに限らず、SMAPってそれぞれコメディやると微妙になっちゃうんだよね。どうしてだろう。

あとYOUも微妙ですねえ。「ごっつ」のときは何も感じなかったけど、ものすごく面白いかというと、そうでもない気がするし……かといってこの人を面白くないというのも酷すぎる気もするし。この人がいるべき、ってときがあるような気もするし。
なんかYOUについて考えると、考えすぎて頭痛くなってくる(悩みすぎ)。

ところでいちばん笑ったのは、「宇多田ヒカルとYOUが入れ替わる」という回で、ゲストの宇多田ヒカルが一瞬だけフェアチャイルドのヒット曲を歌っているところでした(代わりにYOUもオートマティックを歌う)。
あと木村佑一が「オートマティック」を「♪マニファクチャー」って歌ったところもものすごい好きでした。

それと、このテの深夜枠でやってる不条理コメディとか、演劇畑のコントグループって必ず「それが『芝居系』だから」っていう理由だけで嫌われたりするけれど、そこら辺、語る側はなんとかした方がいいと思う。
同じことは(最近の)純文学批判にも言える。なんだか「そういうのが好きなスカしたやつら」に対する憎悪が先に立ちすぎてて、批判の意味がよくわかんなかったりするんですよね。
真逆なのがオタク的なものに対する批判だったんだけど。別にそれを支持する人の多くが風呂入ってないとかさ、そういうのは作品自体には基本的にカンケイないでしょう。まあ風呂には入るべきだけどね。風呂入れよ〜。歯みがけよ〜。完。
(03.0116)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第41話

公式ページ。

第41話「妖精スゴロク大会だコロ」(1月11日)

楓たちは道で福引券をひろう。福引所に行って引いてみると、なんと遊園地ペアチケットが大当たり。しかし、当選したチケットの権利をめぐってみんなの間であらそいが起こってしまう。
そこでミルモは、妖精界からサイコロ妖精のコロロを呼び出す。コロロがとなえた魔法により、町自体を巨大なスゴロク盤とした「妖精スゴロク」がはじまった。これでだれがチケットをゲットできるか決着をつけようというわけだ。さて、最初にゴールしてチケットをゲットするのはだれか?

「チキチキマシン」や「デスレース2000」みたいな、特定のお宝をめぐって海千山千のキャラクターたちがレースをするパターンですね。これを「ミルモ」でやればはずれないだろうと思っていたら、やっぱり面白かった。

それにしても本当にこのアニメ、知り合いで見ている人が少ないなぁ。
(03.0116)



・雑記

深作欣二氏、12日に死去。深作ファンだと自分で思い込んでいた私だったが、「蒲田行進曲」も「火宅の人」も「復活の日」も見ていない。「バロトワ」も見てない。すいません。でも「里見八犬伝」とかはちゃんどロードショーで見たよ! ちょうどDVDで「仁義の墓場」を購入した矢先だったのだが、寂しいかぎりです。
70年代劇画とのシンクロ具合とか、「仁義なき戦い」の脚本家・笠原和夫(この方も先月亡くなったそうで……)との関係とか、私が超ヒマ人だったら調べたいことはあるのだが、まあ老後の楽しみとしてとっておくことにします。合掌。

・映画つながりというほどではないが、マジソンズ的最低映画(←マジソンズ的マジソンズ博覧会

「マジソンズ博覧会」は、バカ映画や悲惨実話などの解説が非常に充実したサイト。もしかしてものすごく有名なのかな? わからん。
とにかく文章がうまい。最近映画秘宝読んでないし、マンガ感想サイトはだいぶ必死で探したが、映画感想系はまだ私にとって未知の領域。したがって、このサイトをいったいどんな人物がやっているのかもよくわからない。名うてのライターかとも思うが、プロフィルを見ても掲示板を見てもよくわからない。

マジソンズ的最低映画では、昔の映画秘宝でもあった「タイトルが素晴らしい映画」を列挙してある。あまりに面白いので、笑いすぎて腹が痛くなった。

「おいおい俺がやるのかよ」とか「勝手にプラトーン 戦争は爆発よ」とか最高ですね。とくに「それ行け!ハイレグ消防隊」「トンチキ バナナ航空」が個人的にはいちばん笑いました。

ハロー!モーニング。傑作コント大全集発売決定

テレビ東京系の人気番組「ハローモーニング」の中の人気コーナー「ぴょ〜ん星人」と「バスが来るまで」の中からピックアップして1本にまとめた映像集だそうだ。

「言ったもん勝ちだ」と思い「アイドルコント評論家」を自称した私としては、アイドルコント史上最高水準であるアシッド系コント「ぴょ〜ん星人」とアイドルコント史上、グダグダ感のかなり濃厚な「バスが来るまで」のカップリングは衝撃的な出来事である。
……とか書いて、急速に覚めてきた。まあ何でもいいや、この際。
(03.0116)



・「火星探検」 旭太郎、大城のぼる(1940、2003、透土社) [bk1] [amazon]

中村書店1940年刊の復刻。天文学者を父親に持つ少年・テン太郎と仲良しのネコ・ニャン子、犬・ピチクンが火星人に誘われて火星を探検するSF譚。15年近く前、NHK教育でなぜか松本零士特集みたいのをやっていたとき、松本零士本人が本作を自分の原点のひとつとし、解説していたのを見て一度読んでみたかったので購入。

実際は三色刷り、二色刷りだったそうだが本書の大半はモノクロなのが残念。しかし、テン太郎少年も、ネコも犬もとてもカワイイし、いまだマンガっていうと「最新のもの」というイメージがあるが、戦前のものをたまに読んでみるといろいろ考えさせるところもある。

本作はおおまかに三部構成になっている。お父さんの働く天文台ににお弁当を届けに行ったテン太郎たちが、火星についての解説を聞く部分、テン太郎たちが火星人によって火星に連れて行かれて、奇想天外な冒険をする第二部、そして戻ってきた彼らが再び火星に関する解説を聞く第三部。

本書には、80年にオールカラーで復刻された(らしい)ときの関連の対談・評文も再録されており、それによると原作の旭太郎(小熊秀雄)という人はもともとプロレタリア詩人だそうだ。そのせいか、火星探検の部分がまったくもって荒唐無稽、天衣無縫なのに比べ、それをサンドイッチしている前後の解説部分はしごくマジメである。逆に言うと、今で言う「SF」は科学知識を叩き台にしてファンタジーを構築するものだと思うが、まじめな科学解説部分と火星での冒険部分にあまりつながりがなく、それが今読むとかえって新鮮かもしれない。

もっとも、「まじめ」と言ってもクソマジメではなく、第一部、三部とも科学解説とともに上品なユーモアがあってかわいいし、本書収録の高橋康雄の文章によると「権力者に対抗する暗殺者の殺気をみなぎらせた攻勢力旺盛な詩人」というほどの人のユーモア精神というかエンタテインメント力を考えると、興味深いものもある。

第二部は、テン太郎たちが火星に行き、火星人に歓迎を受けて火星をいろいろと案内されるという、ムカシのSF作品(これもおおざっぱなくくりだが)を見るとよくあるパターン。が、絵が柔らかみがある中に高層建造物がシャープだったり、出てくる火星人がかわいかったりして飽きない。
プロレタリア詩人だった原作者だから当然(?)、火星社会は素朴な社会主義みたいな感じ。食料分配は、トマトをたくさん栽培して、1日2階、高層ビルの住人に配るという方法で行われる。火星人はトマトしか食べないらしい。どうやって配るかというと、高層ビルの下から上に向かって放り投げるのを、上の住人が窓から顔を出して受け取る。何かのんきでおかしかった。

本作の刊行された背景については、収録された手塚治虫や小松左京、松本零士の解説に詳しい。それによると、戦前は講談社が少年マンガとしては最も優勢で、子供の「山の手文化」として君臨しており、中村書店のものは一歩譲るかたちだったらしい。あるいは「表」の講談社に対する「裏」。
しかし、本作もその中のひとつだった「ナカムラ・マンガ・ライブラリー」というシリーズは、当時の講談社のものより数段くだけた内容で、子供の支持を受けていたという。

解説部分は多くが80年のものだが、他の解説者の文章を読んでも、本が手元にない状態でうろおぼえで書いていたり、記憶違いがあったりするのが驚かされる。それだけ資料がなかったらしい。
それと、手塚治虫の「ナカムラ・マンガ」に対する入れ込みようが面白い。私自身が手塚のことをよく知らないってこともあるんだが、一般的にディズニーアニメや映画の影響を受けていたとする手塚、自分以前のマンガ家にもけっこう影響を受けているようだ。
大城のぼるのマンガに関しては、1ページずつ模写したというんだから相当なものだと思った。

80年当時というのは、マンガの歴史をたどらなければいけない、という機運があったにはあったが、とにかく手塚治虫の功績が突出していたため、それ以前は「前史」といったイメージだったと思う。当時の本自体持っていない人も多いようだし。
20年以上経った現在、本作はもっと俯瞰して読めるのではないかと思った。やっぱり、手塚以前に何もなかったみたいに考えがちなのは、マンガ読みとしてもどうかと思うし。
(03.0115)



【同人誌】

・「ピンクのしめさば」 俊俊(2003、サマーギフトくらぶ)

アニメ「コメットさん☆」の健全パロディ同人誌。「鎌倉スパッツ」(→私の感想)で「まったくカンケイないオリキャラを登場させ、ギャグを展開する」というおもしろコメットさん☆マンガを描いていた人。今回も、いろいろと楽しませてもらいました。

とくに「タンバリン星国の王子様」とか「メテオさんを追いかけ回していたパニッくんのお兄さん」とか、作品内でもかなりダメっぽい人をギャグのキャラとして立たせるのがうまいなあ、と思いましたね。 途中から「イマシュンのお母さん」(なんかコシノジュンコみたいなデザイナー。オカッパみたいな変な頭と派手なグラサンが特徴)が何度も何度もオチで使われてたりとか。確かに、あの人はヘンでした。
(03.0114)



・藤本美貴加入騒ぎで思ったこと

1月前半は、何度も何度も「モーニング娘。」に藤本美貴が加入したことについて書いてしまい、我ながらマズいと思った。当HPでは、高岡早紀や平田裕香やボンボンブランコのことはいくら書いてもいいが、モーニング娘。とか浜崎あゆみや椎名林檎のことはあまり書いちゃいけないことになってるのである。なんでかというと、それは自分で決めた掟。

なぜ何度も何度も書いたかというと、「藤本美貴加入」の報によって、徐々にネット上でのファンの見解が固まっていった経緯にいちいち感想を書いていたから。ンなもの、「加入」の報があってから1週間くらい期間を置いて、そこで総括すればよかったのだ。後で後悔した。

最初に言い訳しておくと、そもそも私が地味に推していた「チェキッ娘」が完全敗北してしまい、その後バラけてからもだれ一人有名になっていないということ、および他のアイドルの出てこないっぷりがモー娘。に目を向けざるを得ない結果になっている。ちなみに6期メンバー決定の経緯については、見ないかもしれないです。なぜなら、裏で努力している部分を見せないのがアイドルだと私は思っているので。
モーニング娘。に関しても、「涙の努力シーン」は全部なかったことにしてます。
昔、だれかが言っていた「納豆の一人前はご飯にかけるには多すぎる」ということで、最初少し納豆を食べてしまい、ちょうどいい量になってから何事もなかったかのように「さ、納豆を食べるか」とご飯にかける、というような感覚ですね。エロマンガで、好みじゃないエロシーン全部飛ばしちゃうみたいな感じで。

……でまあ、いわゆるモーヲタじゃなくって、「チーズはどこへ消えた?」を買ったはいいが読みかけでスナックに忘れて来ちゃうような俗人・Aくんに今回の加入について飲み屋で意見を聞きました。今回、そこから連想したことを締めくくりにしたいと思います。
後は新メンバーが加入して、藤本美貴が入って新曲が出てからのことで。だれも聞きたくもないだろうが。

・「なんで松浦じゃないんですかね?」
酒を飲みながらAくんに藤本美貴加入についてちょっと話をふったら「なんで藤本ではなく、松浦亜弥を入れないんですかね?」と言われた。ちなみに、彼はネットをほとんどやらないし、他人の意見などどうでもいい人間である。一時期、四六時中「石川梨華、石川梨華」と言っていたが最近はそれもおさまり、情報収集も怠る毎日だ。

それにしても、考えてみれば、ネットでのファンの意見を読むと松浦加入なんて問題外とされている。今後のifすらない。
理由は、藤本加入に関して不満を漏らしている人も賛成している人も、「松浦はソロでじゅうぶん行ける」、「松浦がモーニング娘。に入っても何のメリットもない」と考えているから。この点では、意見がほぼ一致している。
ところが、ハロープロジェクトが好きな人々がほとんど議論もなしに自明としている松浦の絶対性を、ハロプロに積極的な興味のない人間はそれほど感じていない。この温度差は、面白いと言ってはナンだが、面白い。

それとAくんとの会話でもうひとつ感じたのは、ネット上で藤本加入に不満を漏らしている人のほとんどは、今までのモーニング娘。のあり方、すなわち経験的事実から帰納法で「これこそが『娘。』の本質である」とする法則を求め、それに当てはまらないから不満だ、というテキストの組み立てをしているということである。
過去のあり方から普遍的法則を求めない人間にとっては「なんで加入するのが松浦じゃないんだ」という疑問が出てくるが、法則を求めている人間からは「松浦」という答えは出てこない。
「なぜ松浦じゃないのか」は、ある意味「素朴な疑問」だと言える。しかし、「松浦」を容認すると、思考実験として「だれが入ったらいいか」の予測や、決定した藤本加入の意味を考えることがほぼ無効化してしまう。一気に「何でもありゆえに、どうでもいいこと」になってしまうのである。松浦がアリならソニンだってユウキ(男)だって、根本はるみだっていいじゃねえか、それじゃ考えとして面白くない、という不満を持つ人も少なくないだろうと思う。

しかし、こういう「物語の流れを知ってこその予想」が成立する面白さというのは、かなりあやういところにあると思う。考えてみれば、昨年7月末に発表されたハロープロジェクトの大改変において、その答えがきっちり出つつあるのは後藤真希のソロプロジェクトだけだ。しかも、ある意味伝説をつくったメンバーが脱退して旅立っていく、という最もわかりやすいドラマだった。
それ以外の変化が、コアでないファンにどういう反応をもたらすかは、まだひとつも答えが出ていない。
私が最も興味のなかった頃でも、福田脱退の意味であるとか、金髪中学生・後藤真希伝説であるとかはワイドショーを見ているだけでなんとなく把握できた。それだけのわかりやすさを持ちつつインパクトを得られるかは、フタを開けてみなければわからないといったところだろう。

似たようなことは、「ウルトラマン」とか「仮面ライダー」などのシリーズものの新作にも言える。これもネット上での話だが、新シリーズが始まる前に「本来、○○の醍醐味は××という部分にあるのであって、今回の設定ではその××が意識されていないのが心配だ」みたいな意見をよく目にする。
しかし、送り手は新味を出そうとすると必然的に過去のものの何かを崩さざるを得ない。正確に言うと、シリーズを積み重ねるにあたって、何かを崩さないと新作ができないものと、そうでないものがあるんじゃないかと思う。戦隊シリーズは新作の積み重ねにあたってマンネリ化をも包含している印象がある。過去にやりたいほうだいやったから見ている方もたいていのことには驚かなくなってるし。水戸黄門とかもそう。
対するに、仮面ライダーの方は「ウルトラ兄弟」とか「○号ライダー」というパターンを継承しなかったぶん、新シリーズが始まるたびに仕切り直さないといけないのでめんどくさくなっていると思う。
何が言いたいかというと、「作品」として完結したものに対しての比較論ならともかく、設定部分だけで「これは××がない」とか文句を言っても、あまり意味がないのではないかということ。

・つんく♂の改革はなぜ予想できないのか
それともうひとつ。つんく♂(あるいはつんく♂に代表されるプロデュースの決定権を持っている人たち)のやることには予想がつかないという意見を本当によくネットで目にするのだが、帰納法的に考えてもぜったい予想はうまくいかない。なぜなら、過去の事実から見出された法則性でつんく♂が思考していないからだ。
比較するのが変かもしれないが「グラップラー刃牙」と「バキ」は非常に予測がしにくいマンガだ。しかし、「バキ」の場合は「ジョジョ」におけるスタンド能力の正体やそれの倒し方の予測がつかないのとは意味合いが少々違う。
「ジョジョ」が大枠「スタンド」の法則性にのっとって物語を組み立てているのに対し、「刃牙」や「バキ」では、読者がこう予測するだろう、とあらかじめ仮定した上で、次の展開を決めているフシがある。「バキ」はかなりメチャクチャになってきているのでまた別だが「刃牙」の最大トーナメント編は、まさにそういう感じだった。

ではつんく♂のやり方はどうかというと、そういう板垣恵介の方法論とも違う。いろいろな力関係のバランスの結果なのだろうが、提示されたことどもに関しては出された結論はほとんど有機的なつながりがないとしか思えない。ファンが予測できないのは当然と言える。
おそらく、アイドルやミュージシャンの人事という点においては最も過激であることは間違いない。そして、そのオリジナリティは、ファンの予測や「こうあるのが普通」という考えをまったく斟酌していないかのように見えるデタラメさにある(コアなファンによって、後から非常に納得の行く説明が付けられるが、それは後になってからだから当然と言えば当然と言える)。その意味ではプロレスよりも分かりにくい。
だが、繰り返すが、まだその結果のほとんどが出ていない。二期、三期、四期とメンバーを増やしていくにあたってもそのときそのときの衝撃があったのだろうが、それは「ドラマ」としては非常にわかりやすい。ところが昨年7月末の改変と今度の藤本加入に関しては、もうたいして興味のない人間にはサッパリわけがわからないものになっているだろう。

「王様のブランチ」を見ていると、いくらモーニング娘。がどう、松浦がどうといってもCDの売り上げが絶対的価値と考えた場合、浜崎あゆみに一歩譲っている。
浜崎あゆみもドキュンっぽいというか、(ディスカウントショップの)「ドンキホーテ」感のある人だが、それをさらにカリカチュアライズしたモーニング娘。がいい意味での「ニセモノ感」で勝負し続け、自転車操業的なのは今頃になって考えさせるものがあると思った。

話を戻すと、今後もつんく♂の人事は予想しにくいものであるに違いない。ヘンな言い方だが彼の「やったこと」は、つんく♂本人だから実際に反映されるというにすぎない。そして後付けでつじつま合わせがなされる。
したがって、「つんく♂」という人格が何かの法則性にしたがっていろいろなことを仕掛けている、と考えても徒労に終わるような気がする。

・おわりに
Aくんは、一時期「石川梨華、石川梨華」とうわごとのように言っていたので、てっきりモー娘。のファンだと思っていたら、もうそのことについてはすっかり忘れ去ったみたいでした。
あと、石川梨華と言っていたわりには、携帯の待ち受け画像を吉澤ひとみにしていました。ま、徹底して無思想だということですね。

こういう人を相手にしないといけないんだから、ショービジネスも大変だと思いました。

(03.0114)

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