つれづれなるマンガ感想文4月後半

「つれづれなるマンガ感想文2005」もくじに戻る
「つれづれなるマンガ感想文2005」4月前半
「つれづれなるマンガ感想文2005」5月前半
一気に下まで行きたい



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)
【雑誌】・「月刊 プリンセス」8月号(2004、秋田書店)
【映画】・「ワイルド・スピード」 監督:ロブ・コーエン、脚本:ゲイリー・スコット・トンプソン、エリック・バーグキスト、デヴィット・エイヤー(2001、米)
・「カウンタック」(1) 梅澤春人(2005、集英社)
・「ONE PIECE(ワンピース)」(1)〜(12) 尾田栄一郎(1997〜2000、集英社)
・「銀魂」(1)〜(2) 空知英秋(2004、集英社)
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)
【映画】・「コンスタンティン」 監督:フランシス・ローレンス、脚本:ケビン・ブロドビン、フランク・カペロ、原作:ケビン・ブロドビン/DCコミック刊(2005、米)






【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)

4月24日放送分。

公式ページ

「占い」。

ただでさえテーマが「顔相」とか「手相」などという私にとって興味ゼロなものなうえ、その直前には矢口脱退騒動があり、恋愛の相性なんて調べたってドッチラケだ!
……とかおぼこみたいなことを言ってますけどもね、自分でも驚くほどシラケたね。
まあ、ぜんぶ事務所が悪いってことでいいんじゃないですかね。

占いは「当たらなくても興味がある」という、その女の子的な矛盾にもイライラするわけですよ。もうおっさんなんで。
そういうふるまいに30年以上も我慢してきたわけですから(笑)。
そもそも、こういうことをきっちり否定して、そのうえで「でもさあ、やっぱり占いって気になるよね」というような、健全な表と裏の二重構造が世の中的に崩壊しているから、もう日本は終わりなんですよ。
そう、裏は裏で存在していい。占いでも何でもいい。でも表ではないから。
その辺が最近おかしいね。逆に言えば、裏を全部表にして並べて評価しようったってムリですよ。
あびる優なんて、一般社会の常識で裁いたってしょうがないでしょうが。

また「大市民」みたいなこと書いちゃったよ。

石川梨華がクローズアップされてましたが、卒業間近だからなのか。フットボールアワー岩尾との相性が抜群と言われ、リアクションに困っていた石川に軽くショックでした(笑)。
ぜったい同じクラスのオタク少年なども、同じような観点で見られていたに違いない(そういえば「大の大人発言」ってのがあったんだっけ(笑))。
みんな、自殺や殺人をしないようにな。生きてりゃいいことあるから!
……まあ「岩尾」というセレクションが微妙すぎるというのがあるが。まだしも上島竜平とか年上の方が「イヤ〜!」とか言いやすかったのでは、という気もする。

それと、やっぱり安倍さんのバラエティ適性はすごいんですよ。他の女性タレントと比較してもリアクションタレントだから、二人羽織やらせても何やらせてもOK。

七期選考には興味なし。この辺はもう、下がっていくしかないでしょう。それで仕方ない気もするね。
石川の卒業が決まり、矢口の卒業が決まって「もう落ち目」とか「だれだかわかんねえ」とか、そういう発言をあちこちで目にするけど、これはもうしょうがない。「北斗の拳」で言えば、ラオウ編が終わった後に連載を続けようという方がおかしい。

でも、たとえばかつての沢田研二やピンク・レディーとかの落ち具合っていうのは本当にすごくて、その後も「落ちかけたとき」っていうのはだれも評価しなかった(少なくとも一般レベルでは)けれど、現在は違うから。そこは決定的に違う。
いわゆる「一発屋」というのが存在しにくくなったのは、送り手の手際もあるけど、やっぱり観る側の観点とか細密度とかが変わってきているからだと思う。もしそうでなくても、「観る側」にそれくらいの幻想があったって罰は当たらないんじゃないですか。

娘。の新曲「大阪 恋の歌」も、かなり冷たい目で見られてるところもあるけど、やっぱり感心する部分もあるわけですよ。2、3曲で終わったグループじゃないからね。何十枚もシングルを出してきて、それでもまだ小手先と言われるかもしれないけど新味を出してきているわけだし。
むしろ、一億総評論家時代のヲタの役割というのは、今後にかかってると思いますよ。

前回の放送

(05.0430)


【雑誌】・「月刊 プリンセス」8月号(2004、秋田書店)

当サイトではおなじみになりつつある、「今頃、いつの感想書いてんの?」という古い雑誌の感想です。
一時期、アイドルマンガを収集していた時期がありまして、「ハートのダイヤモンド」という吉井怜の白血病闘病記をマンガ化した作品を目当てにこの雑誌を買っていました。
しかし、「目当てに」と言いつつ読まないままにその後8カ月も積ん読状態にしてどんどん溜まってきてしまって、ぶ厚い雑誌でジャマでしょうがないので買うのをやめました。
さらに半年以上も経ってから2004年1月号の一話だけ読んで挫折(注:この号が「ハートのダイヤモンド」の第1回ではありません)。その後、長らく積んだままにしてあったのですがジャマでしょうがなく、今頃8冊読んだという次第。

8カ月ぶん読んだトータル的な感想としては、当然私という人間があらゆる意味で読者ターゲットではないということをかんがみても、どんな読者対象かを斟酌してみても、ちょっとこれはないんじゃないかと思う。
「なぜダメか」には、いろいろ胸に去来するものがあり、「日本という国は本当にダメなのじゃないか?」とまで思い詰めましたが柳沢きみおの「大市民」みたいなことを書き出しそうになるのでヤメます。

……と言いつつ書いちゃいますが、もう「少女マンガ」っていうジャンルは崩壊してると思う。学級崩壊という意味あいでの崩壊。「プリンセス」っていう雑誌が少女マンガ界の傍流だと考えても、やはり崩壊してると思う。
新人の層がメチャクチャ薄い。おっさんになって集団での仕事を経験したからこそ思う感想だが、なんで編集の人はこの程度のネームの段階で通すのか? かつては少女マンガの指導欄というのは少年マンガとは比較にならないほど丁寧で、具体的だった。「ネーム」とか「コマ割り」とかの点数制にしていたりしたのもそう。現在でもその形式は生きているが(「プリンセス」では点数制はとっていないが)、応募作品にもっともらしいアドバイスしてあるけど、掲載読みきりを見てると「ホントに指導してるの?」とか思ってしまう。

こういうことになったのには、以下のことが考えられる。
・昔からマンガはそういうもので、私の見方が変わった
・編集者の方法論の継承が崩壊している、もしくは最初からそんなものはなかった
・読者のマンガ読解力の低下
・もともと読者は、マンガの出来不出来とは関係ないところを読んでいる

あとこれは昔っからの疑問だったのだが、少女マンガというのはもともとが非常に形式的なジャンルで、一般的には「オメメに星が入ってて夢みたいなことばかり描いてある」と揶揄され、その反動として24年組が「そういうのばかりではない」という意味で持ち上げられてきた。
一方でウェルメイドな作品の評価が、評論家の言論レベルであまりなされてこなかったということすらひとまず置いて、「ウェルメイドとすら呼べないのに人気がある」作品っていうのはいったい何なんだ、というのがねえ、いまだにわからない。

そういう、マンガとしての出来不出来以外のところに制作者サイドが評価基準を置いていると考えないと、少なくともこの時期のこの雑誌の意味っていうのはまったくわからない(たとえば「なかよし」とか「ちゃお」はまだしも理解できる。キャラクター商法とかもあるだろうし)。

マンガだけ読んでると、もう本当にこの世は終わりなんだと思いますよ。
以下、個別の作品の感想。

細川智栄子「王家の紋章」は、単行本で50巻近く出ている長寿連載作品。古代エジプトにタイムスリップした少女の冒険を描いたマンガ。いっつも見るたびにだれかにさらわれて、それを美しい王子が追いかけたりしている。
ぶっちゃけ「ドカベン プロ野球編」とかと変わらないポジションにいると思うが、「この作品はこの作品でいいんだ」って言えないところがプリンセスの弱み。だと断言する。
コレと「エロイカ」も連載してるのは別にいいけど、少なくとも8カ月分に関しては雑誌を牽引するような連載は他にないように思われた(私がそう思っているだけで、大人気の作品があるのかもしれない。その辺の疑問は前述したからいい)。だから読んでて辛い。雑誌の中で、大御所のポジションがポジションとして安定していない感じ。

原作:吉井怜、漫画:小樹藍りん「ハートのダイヤモンド」は、白血病になってしまった実在アイドルの闘病記。コレを読んでると、少なくともレディース(広義の「少女マンガ」の世界)ではお涙ちょうだいと露悪趣味、覗き見趣味はびっくりするほどに変わっていないと感じる(それは午前中のワイドショー番組や、ドラマ「牡丹と薔薇」などの人気についても思うが)。
別にそれ自体が悪いこととも思わないし、人間何も新しいことばかりを目指す必要もないとは思うが、こういう「変わらないもの」の時代変化をとらえて、「十年一日同じなのに、時代が変わってきてこの作品ではここが変わってきた」ということを説明してくれる人が、個人的には欲しい。
あるいは時系列の問題ではなく、性差の問題なのかということ。またあるいは、同じ下世話でも男と女ではどう違うかということ。
でもそういうことをやっている人があまりいないのは、たぶん需要がないからなんだろうな。と、作品とはまったく関係ないことを書いてしまった。っつーか、こういう手法ってなんか80年代的だよね。80年代的ダヨネ、とかカタカナを交えると昭和軽薄体っぽくていいのだ。哀愁の町に霧が降るのだ。

水城せとな「放課後保健室」は、この時点で連載第2回。生まれつき、上半身は男、下半身は女である一条真白は、そのことについて悩んでいた。ある日、謎の保健の先生から謎の「特別授業」を受けろと言われる。それは夢の中に入って、同じような悩みやトラウマを抱えた生徒たちと戦い、「鍵」を奪って脱出するというゲームだった。
しかし、夢の中で首に付けられた玉が3つ割れてしまうと失格となる。夢の中で「本当の自分」に変化した生徒たち。ある女生徒はレイプされた過去により男性を憎み、別のものは中世の鎧をまとって剣で攻撃を加えてくる。真白は鍵を見つけて無事「卒業」できるのだろうか?

バトロワ+Jホラー+セカイ系、とでもいった趣向で、この第2回の段階でなかなか面白いが、「夢」を利用したカウンセリング的な授業でなぜ戦いあわなければいけないのか、「卒業」とは何で「失格」とは何かがまったくあきらかにされていないのでバトルの緊迫感に欠ける。

山田圭子「リミテッド・ラヴァーズ」は、この時点で何回目かな? わがままなお嬢様がケガで車椅子の生活になってしまい、それまでカネ目当てでつきあってきた友達が離れていってしまう。さらにわがままになってしまったお嬢様だが、ちょっと冷たくてカッコいい青年医師の面倒によって立ち直っていく。この医者に惚れたお嬢様は、ワガママを発揮してカネでその医者を専属の介護士にしてしまう。
しかし、「カネでも心までは買えない」とばかりに医者の青年は冷たい。

これ、連載で読んでいていちばん面白い。いちいちキャラクターが熱血なんだよな。これこそがウェルメイドな面白さというヤツだろう。ただし、作者の山田圭子(漫画アクションで阪神の私設応援団のマンガも描いていた人)の作品を最後まで読んでいないので、どこにおとしどころを持っていくつもりなのかがわからず、評価は保留。

くろだ美里「すっ!」は、4コママンガ。これ、一定のアベレージを保っていてけっこう面白い。和田ラヂヲの亜流とか今さら載せるんだったら、青年誌にもこの人描けばいいのに。ネタが女子高生だのOLだののあるあるネタ、あるいは心情的に共感できるだけのネタを選んでいないのも、おっさんの私には好感だ。

金田一蓮十郎「チキンパーティー」は、「ハレグゥ」の作者による恋愛コメディ。人語を解する巨大な鳥(名前は「トリ」?)と同居している少女の恋愛模様。これはあらゆる意味で「プリンセス」の中では異彩を放っている。現代的で、お話もころがっているしギャグもはずしてない。 「恋愛」をギャグの題材にしているのも「すっ!」とは対照的だ。
しかし個人的にはまったく受け付けない。まあ、別にこの作者も私みたいな人間に受け付けてもらおうとは思っていないだろうが、この際だからハッキリ書くが「女は実は恋愛に打算的」というのがギャグとして通用するかぎり、真の男女平等は訪れないし恋愛をネタにしたギャグマンガの発展もないだろう。そんなのはアレだろ? 給湯室のヒソヒソ話だろ(もちろん、本作はそれだけでは終わらないけどね)。
しかも問題なのは、金田一蓮十郎という作者が、たとえば「牡丹と薔薇」みたいに「見ている人間全員が『こんなの古い』と思っているが、つい見てしまう」ようなタイプの作家ではないということだ。ある意味、第一線を走ってる人でしょ。それが何でこんななのか。

「ずうずうしい動物と飼い主。でも実はお互いに思っていることがわかってホロリとさせる。でもやっぱり最後はずうずうしかったり打算的だったりすることがわかってギャグで落とす」という方法も、なんかもう飽きた。「銀魂」もそうだけど、そこら辺「すすめ! パイレーツ」とかの時代とぜんぜん変わってないのな。
しかも、昔の方がもっとずっとドライだったし、いや、ドライっていうんじゃないな。もっと底に秘めた狂気、暴力性みたいなものがあって、あんまりホロリとさせるとかなかったよ。あるいはホロリとさせるパートと狂ったパートは分離してた。
でも今はそうじゃないのが多い。泣かせたいのか笑わせたいのかどっちなんだ? あ〜読んでてイライラしてくる。

「女性性」、あるいは「期待されてる女性像」みたいなものをひっくり返してギャグにするのは、もうくらたまで打ち止めだと思うんだよ。これからは新時代にならないといけないと思う。そういう意味では私はマンガよりも青木さやかや友近やだいたひかるに期待している。そこら辺に関してはマンガは20年遅れてる。

いや金田一蓮十郎は才能あると思いますけどね。何だよこのフォロー。哀愁の町に霧が降るのだ。
(05.0428)


【映画】・「ワイルド・スピード」 監督:ロブ・コーエン、脚本:ゲイリー・スコット・トンプソン、エリック・バーグキスト、デヴィット・エイヤー(2001、米) [amazon]

バイクの映画「トルク」(→感想)が面白かったので、同じプロデューサーがつくったというこの映画を見てみた。
ストリートのゼロヨンレースに命を賭ける若者たちを描いた不良ものに犯罪をからめた作品なんだけど、バカ度としては圧倒的に「トルク」の方が高い。CGに頼った作品は、近い過去のものほど見劣りがしてしまう欠点を持つが、それが出てしまった感じ。
それと、もうひとつはレースの描き方がわりとフツーなこと、脚本の前後のつながりがよくわからないことも個人的にはマイナス要因。なんでこんな単純なプロットでわからなくなるんだ?

ヴィン・ディーゼルがストリートレースの「顔」として出てくるけど、「リディック」よりこっちの方がい、とは思ったけど。
(05.0426)



・「カウンタック」(1) 梅澤春人(2005、集英社) [amazon]

ヤングジャンプ連載。空山舜、34歳。オンナにふられ、将来の夢もない。ただ目先の仕事に明け暮れるだけ。自分の人生に疑問を抱く。
ある日、彼のもとに届いた一通の手紙。それは25年前の自分が、タイムポストに投函したもの。その手紙に書かれていたのは将来の自分の夢。「社長になって、大好きなランボルギーニカウンタックLP400を買っていると思います。」
今の自分とのギャップに落胆する舜……。しかし、あの頃の夢を取り戻すため「カウンタックLP400」を手に入れることを決意。
そして試行錯誤するうち、インターネットで発見した「カウンタックお譲りします」サイトに出したメールによって、彼の運命は大きく変転する。

……昔、なんかの心理学(たぶん認知療法)の本を読んだら、人間の一生の一覧表みたいのが載っていた。思春期、進学、就職、恋愛、結婚、子供の成長、肉親の死、病気、自分の老い。そこには、もっとも順風満帆にいった人生でも必ず悩みや苦しみがあることが「表」として描かれていた。
それは私にとってある種の衝撃をもたらす表だったけど、なかなかそれらを達観して生きていくことはできない。
それに気づくのはいわゆる「中年の危機」に出会ったときだ。
現状の日本では、社会人として働ける見込みのある年代、には建前上、ケアが必要だとされている。
私はこれは、若者が日本の労働を担うからだと理由づけているが本当にそうかどうかは知らない。
とにかく、若いうちは「やんちゃ」したって、夜の校舎窓ガラス壊して回ったって、ある程度許される。「若年者の精神的危機」というのは、「将来性」を担保にしてケアされるのだ。

ところが、中年にさしかかるとそうはいかない。「中年の危機」への対策なんて、だれもしてくれない。してくれるところも探せばあると思うけど、一般的には「ないこと」になっているはずだ。
ここら辺は掘り下げるとそれだけでキリがなくなるが、別の視点から見てみる。

前述の心理学における、人間の一生で経験する悩みの表というのは、そのままマーケティングに当てはめることができる。
エンターテインメントの場合、その年齢その年齢の「危機」を軽く煽ってやって、そこに救いを提示してやれば一丁できあがり、なのである。
本音を言えば、こういう商売で出来の悪いものに関しては、私は深い嫌悪感を抱かざるを得ない。理由はいろいろあるが、まず根本的に人生に対する野狐禅的諦観にだんだんムカついてくるのである。

たとえばよくあるのが、結婚して倦怠期の主人公が、ひょんなことから若い女性と恋におちる話。
「適齢期」を過ぎて焦っている負け犬女性が、これまたひょんなことからカッコいい男と恋におちる話。
うまい具合にやってくれればいいが、安易に流れれば願望充足エンターテインメントとしては「ドラえもん」や「ふたりエッチ」以下である。なにしろ、それらを見ているのは立派なオトナ、なのだから。BOYS BEE...を見ている少年ではないのだ。

さて、前置きが長くなった。本作は、意地悪な見方をすれば上記のような「中年危機」のツボをついた作品である。現在、三十代の男性で「ランボルギーニカウンタックLP400」に郷愁を感じない人間がいるとはちょっと思えない。
あまり「これは経験した世代でないとわからない」という言い方はしたくないが、フェラーリでもポルシェでもなく、こと「カウンタック」に関しての衝撃というのは世代限定的なものがあるのではないか。

で、そんなあざとさがどう料理されているか? というと、この第1巻に限って言えば梅澤春人の腕はたいしたものだ、と思う。
カウンタックの聖性、車と女性がステイタスという男の無邪気さとミもフタもなさ、カウンタック入手に関わるちょっとありえない展開、「カウンタック」というクセのある車のディティール。
それらを描くことで、読者を引き込んでいく。
「なんで超高級車を手に入れることがそれほどのアイデンティティなのか? 自己変革なのか?」が、細かい説明なしに、読者が「カウンタックに搭乗する」ということをマンガを通して体験していくことでムリヤリねじふせられるように納得させられてしまう。

おそらく、今後の展開としては単なる走り屋マンガになってしまう可能性もあるが、少なくとも導入部に、企画先行のわざとらしさを勘ぐるような安易さは感じなかった。作者はカウンタックを自分の作品内にきっちり取り込んでいると感じた。
(05.0426)



・「ONE PIECE(ワンピース)」(1)〜(12) 尾田栄一郎(1997〜2000、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。時は大海賊時代。伝説の海賊王G・ロジャーの遺した「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を巡って海賊たちが争う時代。「ゴムゴムの実」を食べて身体がゴム体質になった少年・ルフィ(その代わり、泳げなくなってしまう)は、海賊王を目指して旅立った。

まあ、なんで最近ジャンプの感想を書いてないかというと、現在連載中のマンガで長期連載すぎてよくわからなくなっちゃってるのを読み直してから読もうという気持ちがあって。「HUNTERXHUNTER」とかもそうなんだけど。
で、本作の連載が始まった頃って、なんか記憶だけどジャンプ的に過渡期だった覚えがある。この作品が大ヒットした理由はわかるけど、一時期あまりにもジャンプ全体がこの作品におんぶにだっこだったような気が。

それにしても長すぎるな……よくわかんないけど安全パイを求めてるってコトで不景気が影響してるのかな。「北斗の拳」だって30巻行ってないからね。今、37巻くらいまで出てるでしょこのマンガ。
で、12巻まで読んだ感想としては思想はヤンキーマンガだよね。「海賊=ヤンキー」って考えるとわかりやすい。まあ、たぶん作者はヤンキーマンガが好きなんじゃなくて、映画の「男たちの挽歌」とか「レザボアドッグス」とか、ああいう海外のやくざものみたいなのが好きなんじゃないかと思うけど。
海賊たちの最大の罪というのは「裏切り」なんだね。だからやっぱりヤンキーとかやくざものにつながっていく。ジャンプで「友情」が持ち上げられるのは珍しくもないけど、その裏返しである「裏切り」を悪として押し出してくるのは案外珍しいかも。

あともうひとつ指摘すべきは、わかりやすく少年の全能感を表現しているという点ね。まあ「ドラゴンボール」の悟空=ルフィなんだろうけど。ルフィが本作のすべての道徳観・倫理観を体現してるんだね。ヘンな比較だけど範馬勇次郎くらい強いでしょ、少なくとも12巻くらいまで。

作者は当然才能はあると思うけど、本誌で読んでいた感触どおり、ところどころにわかりにくい点がある。少しコマ運びがわかりにくい。
あと、ジャンプ本誌の自主規制のせいなのか、暴力描写がヌルいんで、悪人が出てきて倒されてもあまりカタルシスがない。それと、各エピソードごとの大ボスとルフィとの勝負になってもあまり戦闘上の駆け引きはないね。それがドつき合い中心のヤンキーマンガを連想させる一因にもなってる。

ヒロインのナミが体現してると思うけど、男くさい世界を描いているのに不思議と男根主義的というかマッチョ的な雰囲気はないね。「北斗の拳」が完全にマッチョ主義の世界で、鳥山明はマッチョではないけど女の子を描くのが苦手で、やっとこの人が出てきたという感じかな。
(05.0419)



・「銀魂」(1)〜(2) 空知英秋(2004、集英社) [amazon]

週刊少年ジャンプ連載。舞台は架空の江戸。20年前に宇宙からやってきた「天人(あまんと)」(要するに異星人)により、幕府はムリヤリ開国を迫られ、かつての侍たちは廃刀令によって地に墜ちてしまった。
侍の家系だが仕事もなく、日々バイトで苦しい生活を送っている新八は、「万事屋(よろずや)」というなんでも屋を営み、独自の侍魂を持っている元侍の坂田銀時に魅せられ、そのもとで働くことにする。しかし銀時のいいかげんさに後悔することもしばしば……。
さらに戦闘宇宙人美少女・神楽も加わって、ドタバタはエスカレートするのだった。

そうかあ……こういうマンガなのかあ。
現在、ジャンプでどんな展開になってるのかは知らないけど、少なくとも2巻までの展開には考えさせられるものがあった。
っていうのは、これって完璧に「ポスト男塾」のマンガですよね。
いや、「ポスト男塾」っていうのは、たとえば「マサルさん」なんかもそうだった。
要するにトーナメントとかをパロディ化する。ジャンプパターンそのものを。でも「マサルさん」って、まだ小林よしのりの描く「異常天才」や、江口寿史や徳弘正也の描くギャグマンガのキャラクターと地続きだった。
普通、ギャグマンガってふわふわしたなんだか楽しそうな世界があって、その世界はそれほどキャラクターに敵対的ではない。あるいはちょっと退屈程度。
そこに異常なバイタリティーを持った主人公が現れてかき回していく。
一種のユートピアというか。基本的には楽しい世界。「おっ、この主人公についていけばなんか楽しいことがあるぞ」みたいな。

だけど、本作の世界は最初っから不愉快な世界。幕府が敗北したところから始まっている。しかも、地球人が巻き返すチャンスは絶対ない(その後、出てくるのかもしれないが2巻までではない)。かつての志士はテロリストに成り下がっている。「真選組」は、天人が大きく関わる政府の犬だ。
かつて天人と戦った銀時は、このときに仲間を護れなかったことを悔いて、自分のルールで自分の護りたいものを護ろうと決心している。
だから、銀時はかつての志士とも現在の真選組とも敵対したがらない。戦いを挑んでくるのは勝手だが、自分は正面から戦おうとしない(その「すかし」が本作をギャグマンガとしてとどめている一因である)。
1巻収録の読みきり「だんでらいおん」では「未来も過去もない、現在があるだけ」というようなセリフが出てくるけど、それは作者の本音というかポリシーなんだろう。だから銀時は「歴史性」とか「イデオロギー」とか、そういうものをみんな拒否して生きてる。

早い話が、自分のルールに従って生きる、すなわちハードボイルドということである。だがそれだけでなく、本作が看過しがたいイマドキ感を持っているのは、「外敵が存在しない」という世界設定にある。
いや、本当は存在しないんじゃない。「天人」というのがいるんだけど、強大すぎて地球人は共生していくしかないともう結論は出ている。
「男塾」だったら、キャラクターは最後まで抵抗して死ぬ。あるいはリベンジをはかろうとしてそれを目的に生き残る。でも銀時はどっちの行動もとらない。外敵を自分の中で設定しない。彼が敵としているのは、むしろ「真選組」として侍のアイデンティティを保つことと、「志士」という名のテロリストになることの誘惑。まあ、それほどシビアに描かれているわけではないが、読んでいてどうしようもないいたたまれなさに見舞われるのは、本作が「マイナスの世界の中で自己を保っていこう」という実に今日的な、せつないテーマを持っているからだろう。

これはあながち深読みではないはず。というのは、「だんでらいおん」に出てくる「この世に未練のある霊をあの世に送る」という主人公の仕事は、弱者を何らかの居場所に納めること、なおかつその執行者自身が権力者なのではなく、何か大きな抵抗不可能な(早い話が神の)「力」があり、そこから権力を委託されているところからドラマが始まっている。霊もそれを霊界へ送り込む側も、一種の弱者であることは変わりない世界。
そして2巻収録の読みきり「しろくろ」も、妖魔退治というベタな設定ながら、けっきょくは「自分の心の闇」と対峙するということがテーマになっている、というふうに共通のテーマが見られるから。

確かにギャグのノリは面白いんだけど、コレはちょっとせつなすぎて読めないなあ。
たぶん、今描いたようなことは制作者サイドは言語化して考えたことないと思うんだよ。もうそういう世界、具体的に言っちゃうとものごころついた頃からバブル後だった人が無意識に設定を考えて描くとこういう世界になるんじゃないかなあ。過去にきっと「男塾」みたいなバトルがあって、それで生き残っちゃった人の話でしょ。しかも世界はパラダイム変換しちゃってて居場所もなくて。

辛辣なギャグの合間に、キャラクターたちの本音らしいクサいセリフが入るんだけど、それって本当に「プライド」のレベルの話で、世界はもう変えようがない。
人間一人の能力が過剰評価されている「ワンピース」とかの対極にあると思うし、よくこんなマンガが少年誌に載ってるな、と思った。もちろんいい意味で、なんだけど。

私はコレはせつなくて、なんか笑えない。才能はあると思うけど。
(05.0418)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2005、テレビ東京)

4月17日放送分。

公式ページ

「私をデートに連れてって#4」 モト冬樹と行く東京レトロデート。

保田、紺野、新垣の3人がモト冬樹と東京のレトロスポットをデートする。
もんじゃを食べ、金魚を釣り、紙芝居を見て人力車に乗って屋形船に乗る。
こんこん、微妙に太ったねえ。ホントに顔がカマンベールポテトになってたよ。
新垣はかわいいけど、このかわいさって子犬がかわいいみたいな感じのかわいさで、アイドル好き少年たちの疑似恋愛心はそそられないタイプのかわいさだよなあ。

紙芝居の梅田佳声さんって、トンデモ本大賞2005(2005年6月4日(土曜)午後12時開場、1時開演、場所:千代田区公会堂)に出演予定の人だあ。
「どんなのだろう?」って興味津々だったのに、紙芝居部分は全編カットというのはひどい(涙)。

屋形船で出てきた漫才はU字工事。漫才見たの初めてだったけど、面白いじゃないですか。
モト冬樹は、なんか良かったなぁ。言葉では形容できない良さ。3人がかわいくてしょうがないという感じ。
まあ、もうちょっと編集をタイトにしてほしいという感想は変わりませんが。

ハロモニ。劇場「三丁目飯店」。最初の石川梨華と藤本のチャーシューメントークは何なんだ? 続く展開もすべてにオチがない。アンガールズをもっと先鋭的にするとこうなるだろう。シュールもつきつめればベタに回帰するということなのか。いや、ベタにすらなってないということなんだけどね。

モーニング娘。オーディション2005。オーディション中に矢口が抜けるなんて、選ばれた人は「ちぇっ」と思ってるんだろうなあ。前回オーディション通過者はやっぱり一種の噛ませ犬だったか。
「エース候補を探す」という物語も、矢口が抜けたことで「屋台骨を支えてる人がいなくなったのに、エースどころじゃねえだろ」的雰囲気が出てきてしまっている。

エリック亀造の毎度ありぃ。前から思っていたが、エリック亀造は夢枕獏の「混沌の城」という小説に出てくる、「カバンの中から次々に秘密道具を出してくる謎のスーツ姿の男」のイメージだ。
安倍さん、髪切った方がいいだろう。
小川はこのタイミングで痩せてきた。あそこまで頑固に太ったままだと、いざ痩せてみると身体の調子でも悪いのかと心配になってしまう。

スタジオライブは安倍なつみ「夢ならば」。「だって生きてかなくちゃ」と同傾向とでも言いましょうか。やっぱり髪切った方がいいと思うなあ。

番組として矢口脱退にはいっさい触れず。

さて、その矢口脱退問題だが。
掟ポルシェのこのテキストは名文だわ。コレに付け加えることって何もないなあ。
矢口本人とともに、「裏切られた」と口走ってしまうファンや「愚にもつかないB級アイドル」への優しい視線がたまらないね。泣けるよ。

とにかく、現時点では情報が少なすぎて私としては何も書けない。妊娠→結婚説も何ら不思議に思えない。脱退がクビなのか、矢口自身から言い出したことなのかもわからない。
ただ、現時点で、何もわからないままで妄想だけで書くんだけど、たとえば妊娠がないとして、事務所側からお説教みたいなこと言われて、だんだんキレてきた矢口がテーブルの上に片足乗っけてさ、タンポポとミニモニ。の件を引き合いに出して「いつまで私に中間管理職させるつもりだ? 沈む船と心中するつもりはないよ?」ってタンカ切ってさ、「引退」を人質にして意図的に卒業ビジネスを潰したりしてたら、それはそれで本当にロックやん。

まあ、私自身は森高千里なんかに対してみたいに、アイドルにロック性とか革新性とかを求める心性というのはあまり持ち合わせていないんだけど、今回の件は矢口だし、今までの扱いがあって最後にクビじゃ、さすがにひどいだろ。世の中にもっと理不尽なことがあるのは知ってるつもりだが、エンターテインメントとしてひどいよなあ。

前回の放送

(05.0417)


【映画】・「コンスタンティン」 監督:フランシス・ローレンス、脚本:ケビン・ブロドビン、フランク・カペロ、原作:ケビン・ブロドビン/DCコミック刊(2005、米)

公式ページ(注:音が出ます)。

ジョン・コンスタンティン(キアヌ・リーブス)は、霊や霊界のことどもが見たくなくても見えるという能力に生まれたときから苦しめられてきた。
その苦しみのために自殺未遂を犯し、それが原因で天国に行けないことが決定している(キリスト教では自殺は罪なので)。コンスタンティンは、神との協定をやぶって現世に出てこようとする悪魔を封じ込める仕事をしている。善行を積んで天国に行くためだ。
彼は、いつもどおりエクソシストの仕事をするうち、強大な悪魔が人間界に現れ出ようとしていることを知る。

監督は新人だと言うが、導入部が非常にわかりにくい。天使も悪魔も人間界には出て来れず、その中間的存在である「ハーフ・ブリード」というのが人間界にはいるらしいが、それが何なのかもはっきりわからない。
「神への心証をよくするためにエクソシストをする」という設定は面白いが、ハーフ・ブリードの視覚イメージなどは実に陳腐。陳腐でもいいが中途半端なんだよなー。この映画のサタンのイメージはなんだかダサいし。

「信用ならない神や悪魔などの超越者」というのは、目新しいと言えば言えるのかもしれないけど「デビルマン」や「聖魔伝」や「ゴッドサイダー」や「DEATHNOTE」を体験している日本人にとっては、「それが何?」ってなもんじゃないだろうか。
「自殺すると確実に地獄に堕ちる」という作品内ルールを利用したオチも、「ジョジョ」を体験した者にとっては「ふ〜ん」という感じにすぎないだろう(まあ、ちょっとは良かったけどね。これがあるのとないのとでは作品の印象が大いに違う)。
(05.0417)

「つれづれなるマンガ感想文2005」もくじに戻る
「つれづれなるマンガ感想文2005」4月前半
「つれづれなるマンガ感想文2005」5月前半
ここがいちばん下です
トップに戻る