「ダメ人間」、自嘲できるうちが華

つれづれなるマンガ感想文 5月後半
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一気に下まで行きたい

2001年

5月25日(金)

個人的メモ。修理に出したパソコンは、5日くらい前に帰ってきました。
またもやパンクした自転車を自転車屋に持っていき、床屋に行った。
以下、録画しておいたテレビの感想。

・「TVチャンピオン」の「甘味大食い選手権」
大食い番組って見始めると病みつきになっちゃうね。プロレス的には、アカサカさんの強さをアピールする舞台のように見えたが。K−1でいうと「未知の強豪」をぶつけるという方法ね。
・アニメ「シスター・プリンセス」
私はアニメマニアというほどではないので、ちょっとでもタルいとすぐ早送りしてしまうのだが、悔しいことにこのアニメってギリギリタルくないんでつい見ちゃうんだよな。それと、本作の主人公がどんなふうに人間的成長を遂げるのかってことに興味がある。これでヘタレた結末にしたら怒っちゃうよ。あと「山田」っていう主人公の友達がいるんだけど、なんとなく「うる星」のメガネを思い出す。コイツが自我に目覚めたら、完璧にメガネ的役割を担うであろう。
あと「貝殻を耳に当てて波の音を聞く」という描写を十何年ぶりかに見て、のけぞりました。
・「ゲームウェーブ」
伊集院光司会のゲーム情報番組。今回、「ゲイムマン」っていう、だれなんだろう、エンターブレインの社員なのかな? が出てきた。その人がすっごい面白いんだよ。ただのシロウトなんだけど、マスクをかぶってヒーローの格好をしているという。ヘンにスレてなくて、独特のたたずまいがある。あんまり面白かったので何回も巻き戻して見ちゃいました。

「TLS2」は思い直して1からやり直す。コレって「七夕祭り」の時点で誘って断れたらもうダメなのかなあ? それと、出てくる妹が気持ち悪いです。1コ違いであんなに腰の低いきょうだいはいないと思います。もっとタメ口に近いのが多少のリアリズムだと思うけど。

5月24日(木)

昨日も書いたが、結局控訴は断念ということになった。が、やはり「控訴しないことによってどのようなデメリットがあるか」、「控訴していたらどうなっていたか」の説明がテレビでまったくない。いや、なんか民法と矛盾するとかなんとかということはやっていましたよ。だけどそれで実際にどのようにマズいことになるか(あるいはならないか)の説明がない。また、総理が断行したことについての彼個人についてのメリット・デメリットの説明もない。
まあそういうの、当たり前なのかな。

広義のラブコメマンガを読んでいると、どうしても「ギャルゲー」の存在を無視できなくなり、「ギャルゲーやるしかない」と思ってヒトから借りた(なんかいかにもお勉強くさい動機でこういうゲームやるのもナンだが……)。「TLS2」とかいうやつ。旧プレイステーションをずっと前に買って、箱も開けないでそのままにしていたのでそれを取り出してやってみた。なに、メモリーカードがないとセーブできないのか。仕方ないので買いに行く。
朝からずっと雨で、ジメジメして蒸し暑くていやだったが外に出ないなら出ないでストレスがたまるので中野ブロードウェイに出かけた。

すぐ家に戻ってやってみる。こういうのって説明するまでもないのか? 1ヶ月の間に女の子の気をひこうとするゲーム。いちいちしゃべるのに時間がかかるので親指連打でスキップする。どうしたら気に入られたらいいのかサッパリわからないので、適当な子を狙って追いかけ回す。
……「なかよし」ゲージしか上がらない。しかたないので別の子にする。「あこがれ」ゲージしか上がらない。一緒に帰らないとポイントがあがらないので一緒に帰る。……「話がつまんない」。もうダメだ。その後、20日目あたりでいくら話しかけても反応が悪くなった。もうダメだ。残りの10日間はプレイしても苦しさを感じるだけだろう。リセットした方がいいのか。それともラストまでやって、学習した方がいいのか。わからん。なぜ遊びでまで決断をせまられるのだ。これじゃ現実と同じじゃないか! 即死。

5月23日(水)

渋谷をウロつこうと思ったが、雨で断念。レンタルビデオ屋とCD屋を少し回っただけで帰る。
最近、仕事場で「ああ、いばりたい、他人にいばりたい」というのが口グセになってしまった。こんな考えをしているのは親兄弟親戚中、私だけらしい。きっと橋の下で拾われたのだろう。それにしてもよくみんな周囲にバカにされて平気だよな。みんなバカにされたくないために勉強したり働いたりしているのかと思ったらそうでもないらしいんだよコレが。それが最近「裏切られた」と思ったことその1。

最近「裏切られた」と思ったことその2。
「萌え」って言葉がなんだか学術的になりすぎているというか、安易におもしろがって「萌え〜」とか言えなくなった(三十過ぎてこんなこと言ってるのもどうかと思うが。……というセルフツッコミも自分でいいかげん飽きてきた。つまらん)。「自分が好意をいだいている対象について、モードを切り替えて接すること」という意味が付随してついてまわっているし、実際そうなんだなこれが本当に。
「非現実的な美少女とか好きだったら、現実世界でもさぞかし苦しいであろう」とか思ってると、なんかそうでもないみたい。やせ我慢しているのでも、不全感に悩んでいるのでもない。そういう人、確かに周囲にいる。まあ本当に本当のところは本人に聞いたってわからないわけだけど。
なんかさー、もっと現実に裏切られながら、苦難の道を歩んで「贈る言葉」の歌詞みたいに、苦しいことがあったぶん、人間としての深みみたいのを身につけてほしいワケですよ私は。やさしさは臆病者のいいわけだったとしてもだね。あと乱歩の「人でなしの恋」みたいなね。ああいうのが美しいと思ってたんだけど。
ある意味ガッカリした同人誌があって、「女神さまっ」のエロ同人なんだけどベルダンディーがヘルス嬢やってお世話してくれるって話。なんか妄想の領域が非常に中途半端なところにとどまってるって気がして立ち読みでパラパラッと見ただけだったんだけど、「瞬時にモードを切り替えられる」って理論を当てはめると、それを描いた人間にとっては、エロの妄想パーツというものがミニ四駆の部品みたいに均等に割り当てられているということで、おかしくなくなるんだよね悔しいことに。

「モードを云々」って、要するに「世の中の泳ぎ方がうまい」ってコトじゃん。おれはそんな人間はあまり好きじゃない(でもまあ頼りにするべきはそんな人間なのだろう)。もっとにっちもさっちもいかなくなった心境をちゃんと言語化できて苦悩しているようなのが好きだけどね。「不器用ですから」って言ってな。もちろん不器用を言い訳にするようなのは問題外だけど。
だから「萌え〜」という言葉は、私には当てはまらないことが判明。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。それでいいじゃないですか。みんなむずかしいことは考えずに、ムツゴロウ王国のことでも考えて生きていこうよ。

裏切られたことその3。
仕事場でテレビをつけっぱなしにしているのだが、本質的にはテレビが好きなんだがやはり「テレビばかり見ているとバカになる」と思わざるをえない。前にも書いたが、ニュース番組なんてあんなに長々やる必要はない。ちょっと15年前の番組表と比較していないんでわからないが、ワイドショーとゴッチャになっていて、ニュースの時間が異様に長くなっているような気がする。「スーパー節約主婦」と「国会」を一緒くたに放送している。
まあそれも百歩譲ったとして、事象の説明のみであまりにも「なぜそれが起こったか」についての説明がない。
たとえば元ハンセン病患者の問題について控訴するのしないのとやっていたが、漠然と聞いているだけでは「かわいそうだから控訴はやめろ」という意見しか、見ていて出てこないわけだよ。でも、たぶんだれも元ハンセン病患者を苦しめようとか思っていないわけだから(むろん、だれも思っていなくてもヒドいことと言うのは起こり得るからモンダイなんだが)、それならなぜ「控訴」という選択肢が出てくるのかという説明がほとんどない(注意していれば出てくるが、注意していないと出てこないというのは発言テロップがうるさいテレビとしては説明不足の部類だ)。

それと「やじうまワイド」で代理母の問題について、女の芸能レポーターが「子供を産むのは親のエゴだから、不妊の女性が代理母を使ってまで子供をつくるのはおかしい。それなら恵まれない子供を預かれ」と言っていたが、コイツは本当に死んでいいと思った。要するに妊娠可能な女性が子供が欲しいというのはエゴじゃなくて、不妊女性が子供は欲しいというのはエゴなわけだ。ひどい言いぐさだ。どっちもエゴに決まってんだろうが。
ここでも「なぜ代理母を使って子供をつくってはまずいのか」の説明はほとんどない。ほとんどないくせに、コイツのコメントは放送する。それは決定的におかしいだろう。とにかく私の疑問にひとつも答えてくれずに、事実だけ報道する。これではサッパリわからん。
これは報道に対する解釈を一元的にしている、もっと言えば強制していると言っていいだろう。そんなことは当たり前ですか。そうですか。

・「超クソゲー2」読了。

5月22日(火)

・映画「モータル・コンバット」
監督:知らない、脚本:知らない
魔界と天界で人間界の争奪戦みたいのが行われていて、それを決定するのが何でもありの格闘技試合「モータル・コンバット」だ。要するに「天下一武闘会」みたいなモンだ。
主人公は悪の親玉に弟を殺された拳法家。それに(たぶん)警察官の女と映画スターの男がそれぞれの目的で「モータル・コンバット」に参加する。

拳法と山田風太郎的(というより菊地秀行的)妖術とが混合し、炸裂する痛快アクション。最初の30分くらいは超わたし好み、って感じだったが実際の試合はどうにもこうにも安易な展開が多い。まあ「こういうもの」と思って楽しめばいいんだけど。日本のマンガでは「冷酷なプリンス」って感じで描かれる場合が多い魔王の息子が、「うがー、うがー」ってうなり声をあげる手が4本ある怪物だったり、「現魔王に政権を奪われた前魔王の娘」というのがあまりにえーかげんな感じで登場したりするのはイイ。ちなみに策士みたいな敵はまた別に存在する。

音楽があまりにも「90年代ジュリアナ系テクノ」なのも、本作のファミコンぽさを強調していてイイんじゃないかと思う(実際ゲームがあるらしい。企画でどっちが先にあったのかは知らん)。……と思っていたら音楽は「ジョージ・クリントン」だという。ジョージ・クリントンってすごく昔からいる人じゃなかったか!? どうだっけ。忘れた。

5月21日(月)

昨日だか一昨日だかに見た夢。
「親が返送されるはずの宅急便が来ない、来ないと言っているので『受け取りにある電話番号にかければ、今どの辺にいるか教えてくれるのではないか』と言ったら、受け取りをもらっていないという。どうしてもらっていないのかと聞いたら、徳光和夫(アナウンサーの徳光さん)に頼んだらしい。徳光本人に尋ねると、コンビニに宅急便を出したときに受け取りを置いてきてしまったらしい。私激怒。
ギャーギャー言う。
しばらくして私の部屋に徳光が入ってきて、はっきり釈明をせずに『私は居眠りしながらでも車を運転できるんですよ』とか、遠回しに自分は無能ではないと言ってきた。そんな夢。」
……なんで徳光が出てくるのかと思ったら、ジュディマリのベストアルバムのCMに彼が出ているのを見ていたからだった。

・映画「未来惑星ザルドス」
監督:知らない、脚本:知らない
「不思議惑星キンザザ」とけっこう間違う(おれだけか?)が、見たんだからもう間違えない。
ストーリーは、遠い未来、半裸で馬に乗って拳銃撃ちまくる盗賊みたいなショーン・コネリーが、荒れ果てた外の世界とは正反対の文明を築いている隔離された世界へ行って、ムカシの貴族みたいな男たちやたいして意味もなく胸の谷間が強調された女たちに翻弄されながらも、世界のありようが明らかになるという話。

モッタリした展開に眠くなったが、ただデタラメをしようてんじゃなく、ちゃんと伏線もあるし意外な展開も用意されている。たぶん自分が高校生くらいのときに名画座で偶然見たりしたら、かなりの影響を受けたのではないかと思われる。しかしすでに「高校生のときに見たら」とバーチャルな感想しか抱けないところが、もう終わってますね私。
無意味にオッパイを出す人が何人か見かけられたが、こういうのどう説得してるのかいつも疑問に思う。

・映画「ジョーズ」
監督:スティーブン・スピルバーグ、脚本:知らない
実は見たことがなかった。……まあ「実は見たことがない」映画は私にはいくらでもあるんだけど。「羊たちの沈黙」も「用心棒」も見てない。映画マニアじゃないんで義務も感じない。義務を感じるか感じないかがマニアかそうでないかの違いだと思う。知識の量とはカンケイない。でもいずれ見るつもりだけど。
ストーリーは、海水浴が主な稼ぎであるイナカの観光地に赴任してきた警察署長がオタクっぽい海洋学者や街の変わり者漁師とともにサメを退治するというもの(「というもの」ったってもうみんな知ってんのか?)。

有名すぎる作品なので、以下は自分(新田)語りに終始させてもらう。
本作を見て、あらためて「自分は映画が好きなんじゃなくて、昔のスピルバーグとカンフーものと東映の映画が好きなんだ」と再認識させられた。ルーカスは「エピソード1」を見たら「ボク〜黒沢明好きなんです〜」と言ってるだけのような気がしたし、スピルバーグより若干展開がモタついているからあんまり好きじゃない。詳しいことはわからんがスピルバーグ以降のハリウッド映画はとにかく展開が早くて気持ちいい(その代わり、続けて見ると飽きる)。高校生の頃、「つまらん映画はぜんぶ展開を早くすれば飽きないのに」と本気で思ってた。たぶんそうじゃないからいまだに退屈な映画がつくられるんだろう。またスピルバーグの本質は「展開が早い」ということじゃないのだろう。
……にしても本作は素晴らしい。退屈しない。何より「ダメ人間があまり根拠なく英雄となる」という点において、実は「美少女がたくさんいるアパートに管理人としてやってきてなぜか理由もなくモテる」ということと本質的には変わりないと言える。
本作や「未知との遭遇」のすごいところは、観客にその点を(おそらく)まったく感じさせないことだ。ハマっている人間でさえいちまつの疑問を感じている(と思う)「ラブひな」とはそこが決定的に違うし、「疑問を感じさせない」ことに技を磨くかどうかが、エンタテインメントのあり方としてたぶん決定的に違うところなんだと思う。

5月20日(日)

渋谷のclub asia「P」でシネマ秘宝館inSHIBUYA
インディーズバカ映画の上映会。

「club asia『P』」ってのは最近できたイベントスペースらしい。道玄坂のラブホテル街の一角にある。
ここらへんは個人的にはホント、たまに来ると面白い。ラブホテルが林立する中、「オンエアウエスト」と「イースト」、「クラブエイジア」などのクラブっつーかライブハウスみたいなのがデーンと立っている。近所のampmにはものすごい数のライブのフライヤーがぶるさがっている。当然、髪をツンツン立ててピッタリしたズボンをはいたような人がタムロしている(来る目的がはっきりしているせいか、そこら辺の深夜のコンビニよりは恐くはない)。

行き来する人も、ロックとかテクノを見に来る人や演奏する人なので楽器をかついでいたりするワケなのだが、そこにいかにも所在なげに「フツウ」なカップル(ラブホテル利用者)が通りかかったりする。今日見たカップルの女の子の方は、フツウのスカートにカーディガンの一番上のボタンをとめているようなタイプ。おそらくロックに接したのはプリンセスプリンセスくらいなのではないかと思われた。

電話で力学(ちから・まなぶ)も誘ったのだが、どれくらいの時間で来られるかわからなかったので待ち合わせはしなかった。そうしたら道の反対側から歩いてくる。なかなかの偶然だった。

その後、我々はバカ映画を堪能した。

見るのが2回目のモノもあったが、それなりに新しい発見があって面白い。「フランスファイブ」は、やっぱりだれかの指摘どおり6人目の戦隊「シルバー銃士」ってのはこの1本だけだとすればなんか蛇足だよなあ。楽しいからいいけど。

私と力学(ちから・まなぶ)は「突撃! コンパ」という作品にウケた。90年代のエセドキュメンタリー系バラエティを、空気のように吸収して育ってきた世代がつくった作品という感じ。会話と同じくらいの比重で発言テロップが重要だったりとか。コンパを題材にしていながら、必要以上に下世話にならないのもいいね。

帰りに力学(ちから・まなぶ)とチョロッと飲んだ。2人だとどうしてもツマミが多めだなあ。どうしたらいいのか。

5月19日(土)

1ヶ月ぶりくらいに力学(ちから・まなぶ)と飲んだ。例によってど〜でもいい、まったく実のない話をしたが、実のない話がうまく転がっていくというのはいい兆しだ。ただなんか、力学(ちから・まなぶ)のトークは90年代とは違った局面に入っている感じはしますな。何と言ったらいいのか……。俗を目指して裏側に行っているような。力学(ちから・まなぶ)2001。

「甘太郎」という居酒屋に入ったのだが、給料日前だというのに学生風の連中ばっかりすごくたくさんいて、合コンみたいのしててムカついた。でも私が合コンしたいってわけじゃなく、「合コン至上主義」的価値観に、敗れ去った自分自身を攻めるのみである。

カサを持っていったのだが、酔っぱらってあんのじょう忘れた。

5月18日(金)

朝っぱらから外でガキが大声で泣いているので何なのかと思ったら、登校途中に兄ちゃんが弟をぶん殴ったらしい。交通事故でも起こったかのような泣きっぷりでビビったが、そういうことだった。
うちの親が飛び出ていって、事情を聞いて叱ってた。当然、新人類(笑)の私は知らん顔。ただうるさいと思っているだけ。周囲のオトナも知らん顔。世間は冷たくなったと言われるが本当にそう。私も含め被害者ヅラだけは一人前。

・「猫の地球儀その2 幽の章」 秋山瑞人(2000、メディアワークス)読了。
あらすじはたぶん検索すればいっぱい出てくると思うので書きません。1巻を読んでからすごく時間が経ってしまった。なかなかの傑作だということを前提に書くのだけれど、本来1巻で構築した世界でお話が展開されるのだから2巻の方が読みやすいはずなのだが、意外と読みにくかった。断片断片を描いていくという手法が裏目に出て、リーダビリティが失われたように思う。
もうひとつは「大集会」と「スカイウォーカー」の対立を少し客観的に描きすぎたかな、と。双方とも対立するには狂信ぶりが足りないように思った。
繰り返しますが「面白い」ことを前提とした話なんですけどね。椎名優のアニメ絵なイラストは合っていたと思う。この絵で、読後結果的に暖かみの方が印象に残るというか。
もっとリアルな絵だったらもっとシビアな印象を与えたんじゃないでしょうか。

5月17日(木)

この日記とレビューの関係も実に微妙で、両方読んでいる人もいるし片方だけの人もいる。それと、「面白い」と言ってくれる人とそうでもない人とがいて、面白い場合はどこが面白いのか、面白くない場合はどこが面白くないのかわからないまま書いて2年近くが経ってしまった。もし「面白い」ポイントが1点に集中しているのならそこだけに絞る用意はできているんだが……。

それとダーク記述に関してもみんながどう思っているかわからん。たぶん「なんたるヘタレ……」と本気でいやがっている人もいるだろうし、私の立ち姿をせせら笑っている人もいるだろう。ダーク記述というのはそれがうまくハマる場合とまったくそうでない場合がある(ものすご〜くうまくハマれば永野のりこやマンガ家の山田花子の作品みたいになるんだろうけどなァ)。だけどそれは自分でもわからないのですね。
わからないからまたダークになるんですけど。

今日は日記らしく、時系列で書いていこう。
まず休みだったので朝っぱらからネットウロウロ。そしてまたダークに。なんか、「男の(女性に対する)好みはみんな同じ」とか書いてある記述を見て。コレがまたわけあってURLを示せないんだが……。別にそのこと自体がダークになるのではなく、「みんな同じ」だからどーしたのか、それを書くことがネタになるのか、と思ってダークになった。
私は以前から主張しているとおり、「男はみんな眞鍋かをり乙葉が好き」と思っていて、それはどんなに否定されてもほぼ絶対確実、絶対運命黙示録(懐かしい)。清純さを入れたければ、これに広末涼子を加えてもいい。
こういうふうに言うと、やれ自分はもっと大人っぽいのがイイだの、学がなきゃダメだの女らしいのがイイだの、ツーテールが好きだのおねぇっぽいのがいいだの茶髪がたまらんだのごにゃごにゃ言うヤツがいるが、それはせいぜいザクとかドムの頭にツノがあるかないか程度の違いでしかない。もう眞鍋かをりか乙葉で決まり! それでいいじゃん。しかしそれは別に悪いことでもダークなことでもなんでもないと思うが。

別のニュースのサイトでも「秋葉原で童顔巨乳のアイドルのサイン会がよく開かれる、アキバは童顔巨乳アイドルの聖地だ」とかなんとか書いてあって、しかも北川某というアイドル評論家が分析までしてますが、そんなの分析する必要ないってーの!
そんな好みはむしろ凡庸な方が人間幸せなんだよ。あと「日本人男性ロリコン/マザコン説」のような俗論もナシね。読んでも時間のムダだから。
唐突だが叶姉妹に対する冷笑や反感は、ゴージャスという以前に姉の方が日本人男性の好みでない顔をしているからだと思われる(むしろ妹の方は好みに合っているだろう)。かといって、叶姉妹の姉がその妹みたいな顔だったらゴージャス感は出なかった。だからどうしたと言われるとやっぱりムダでしたね考えるの。あーあ。

朝食にとコンビニにサンドイッチを買いに行く。そのとき週刊少年チャンピオンも買う。なんだよー! まだドリアン生きてんじゃん。しかもまた独歩ピンチ! いいかげんやられろよドリアンよー。と、今どき中学生でもいだかない素朴な感想を抱いて以降チャンピオンを続けて読む気が失せる。
ビデオに撮っておいたドラマ「六番目の小夜子」「株式会社O−daiba.com 美少女IT戦士リアルシスターズ」などを見る。「六番目の小夜子」は全部見終わってから感想を書こうと思ったが、いつ見終わるかわからないのでちょっと書いてみた。美少女がいっぱい出ているのでモテない中学生とかがハマらないことを祈る。
「美少女IT戦士〜」は月曜深夜にやっている、インターネットや現実のITビジネスなどにからめた30分モノのドラマ(新聞のテレビ欄には「美少女」としか表記されていないのでなんだかわからない)。これ、やりようによってはすごく面白くなるような気がする(……といっても昔景山民夫が書いてたバラエティとドラマを合体させたようなかたちで)のだが、特筆すべきモノではない。これもタイトルどおり美少女がいっぱい出てくるので、コレとギャルゲーとインターネットにハマったらもうその中学生の一生は終わりです。それにしても両方に出ている松本まりかが小妖精みたいになって出てくるミニストップのCMは異次元ぽいですね。

・「バカゲー専科2」 ユーズド・ゲームズ編集部編(2000、キルタイムコミニュケーション)読了。
いわゆる「クソゲー」をおもしろおかしく解説した本。この頃になるとプレイステーションやセガサターンのゲームの記述も増えてくるが、やはりさすがにソフト粗製濫造時代は終わったらしく、「バカゲー」的視点も若干変わってきているように思う。

「シスター・プリンセス」のOP(私は買おうと思ってる。それと「G−taste」の釈由美子の主題歌も)と「EE JUMP」が双方オリコンでベストテン入り。まあ買ってる人がいてもおかしくないとは思うが、それが一定の量存在するとなると話はまた別だ。やっぱりバラ色の21世紀は来なかったんですね。「ブレード・ランナー」というより、ロボコップ的な世界が実現しましたね。バーホーベンの書く下品な未来が。

昼寝してたら、どっかの政党の宣伝カーが「明日がある〜」とか流していて死にたくなったのと、家の近所のビン倉庫がまたうるさかったのと、近所の中学校の生徒がうるさかった。明日なんかねえよ。あと中学生、うるさい。本当は家を「ゴミ屋敷」みたいにして、だれも近づかないようにしたい(ウチの家の前は通学路)んだけど、親と同居しているからそうもいかない。パラサイトシングルっつーよりすでにパラサイトですね。しかも寄生獣で言うと、アゴに寄生しちゃった方ね。

あとは晩飯食って、酒飲んで寝た。親が多機能の電話を使いこなすことがまったくできず、いいかげんイライラした。電話にかぎらず、そういうことに自分がイライラしている状況そのものが、ぜんぶおれ自身のせいだと思うからイライラした。ああ、こう書いててもなんだかイライラしてきた。

5月16日(水)

今月の小遣いはすでにないのだが、前から気になっていた渋谷駅前のTSUTAYAへ行く。
洋画コーナーしか見てまわれなかったが、広さのわりにはラインナップの薄さは否めない。またジャンル分けも見にくいし、これだけ大きければあるだろうと期待していた検索の端末もなかったなあ。「リクエストで入荷した」という「プリズナーNo.6」や「謎の円盤UFO」も見てみたかったけどなんか途中までしか揃えてなかったみたいだし。まあ私は他にも見てない名画がたくさんあるからイイんだけどね。

以前から入ってみたかったステーキ屋でハンバーグを食ってみたが、まずかった。
夜中にもたれて気持ち悪くなった。

・映画「名探偵コナン 天国へのカウントダウン」
監督:こだま兼嗣、脚本:古内一成。
マンガ原作のアニメ。キャンプの途中立ち寄ったツインタワービルで、コナンたちが殺人事件に巻き込まれる。
用事の前の時間つぶしのためだけに見る。そうしたら、これが案外面白い。実は「名探偵コナン」をきちんと読んだことが一度もないのだが、映画の冒頭で基本設定やあらすじをぜんぶちゃんと説明してくれるのだ。ここで新参者への配慮がうかがえてなんだか嬉しくなった。
内容も、わりとしっかりした連続殺人事件のプロットがあり、そこに「コナン」ではずっとひきずっているらしい悪の組織の犯罪がからまってミスディレクションになって話を盛り上げる。「容疑者を全員集めて探偵が演説」という映像的には退屈なシーンにも工夫が施されているし、何より面白く感じたのは「組織」の殺し屋であるジンとウォッカは、コナンともう一人命を狙われている少女(名前忘れた)の姿を確認しない(できない)まま追い続け、追いつめているということ。
ホンキで考えればかなりどうでもいい破綻はあるが、コナンが高校生なのに子供になっていたり、数々の新兵器を持っていたりという「マンガらしさ」がそこを救っている。
私がかなり好きなシュワルツネッガーの映画「イレイザー」を見たときと同じ感想だが、本作は大画面で見た方が面白さは倍増するタイプの良質のエンタテインメント作品である。やっぱり大画面で見た方が面白さが飛躍的に向上する映画ってのがあるもんねえ。
私自身はコレを見て今後「コナン」にハマることはないだろうけど、少なくとも「金田一少年」の後追いであることに対する明確な差別化、工夫が感じられて気持ちのいい作品だった。

5月15日(火)

ロフトプラスワンで単行本「ブンカザツロン」にまつわるトークライブ。出演:唐沢俊一氏VS鶴岡法斎氏。

平日だったが会場は満杯。知り合いや見かけた顔の人もチラホラ。
考えてみたら出演者2人の、別々の場でのトークは見たことがあるが、コンビ(?)としてははじめて見る。どういう内容になるのかと思ったら、本の内容にはほとんど触れず、トークだけで客を沸かす沸かす。終始笑いっぱなしだった。速射砲みたいな感じの話っぷり&話題の転換。ライターで「人を笑わせよう」というタイプのトーク、しかもたたみかけるような感じの人、というのは私の知るかぎりこの2人だけのような気がする。鶴岡さんはラジオの仕事をしているそうだが、確かにラジオ向けっぽい気がした。年齢的にも人生経験的にも、深夜ラジオでは定番の「イイ兄貴的存在」になれるかもしれないと思ったりして。
トークの内容となるとサッパリ思い出せなかったり危なすぎて書けなかったりするのだが、東京の芸人と大阪の芸人の差とか、「ある物事に対してさかのぼりたいという欲求」の話とかは印象に残っている。「うまさをチラリと見せて、そのうまさを客が感じ取るちょいいやみな感じ」が東京的芸人だそうで、その例に持ってきているのが「サムライ日本」という「チャンバラトリオ」の関東版のような人々だったり(ぜんぜん知らなかった。はじめて見るお笑いグループ)。
「ドリフ時代の荒井注を見ましょう」といって、ドリフの新撰組映画を少し流したりしていた(なんで「ドリフ時代の荒井注」が重要なのかは忘れた)。

終了後、気楽院さんを通してお客さんとして来ていた何人かの方々に挨拶する。レジで金を払ってしまった後で、ちょっとバタバタしてしまって申し訳なかったです。

ちなみに、トークの最後の方になって質問コーナーで質問していた青年は、コミティアなどでよく見かける人でした。確かウチの同人誌も買っていってくれていると思う。意外と顔は覚えているんですよね私。

終わって外に出ると夜も11時半近くになっていたので、明日も早い私は速攻で帰宅。

5月14日(月)

ネットに日記をアップしていて思うのは、「過去に考えていたことを訂正しなくてラクだなあ」ということであった。過去といってもネットを始める前、10年以上前の話ね。
のんべんだらりと生活していても、少しずつ考えというのは変わる。旧友にひさしぶりに会ったときにそれがわかる。今思うと恥ずかしい発言をしていたこともある。今書いていることが将来恥ずかしいと思うときもくるかもしれない。

で、クダラナイ話だが、私の考えがいちばん変わった点といえばいわゆるオタク的なマンガというか「萌え」系マンガというか、そういうのに寛容になったということだろう(それにしても「萌え」という言葉があまりにも学術的に取り上げられすぎているので使うのがイヤだ。新しい言葉をだれか考えてくれ)。

マンガの現状を嘆く、という人の多くが「オッパイの大きなおねーちゃんが出てきて妖魔と戦っていやーん」とか「ロリコン美少女が克明に描かれた銃器をあやつって第四帝国と戦っていやーん」みたいなマンガを嘆く。「こんなの連載するヒマがあったら、○○に描かせろ」みたいに言う。私も学生時代は少しそう思っていた。

まあ自分が商業誌で描ける立場であるとか、編集者であるとかならまた違った考えになっただろうが、完全受け身の読者としては、最近はそうは思わない。というか、そうは思わないところからこのサイトが始まっているといっていい。

考えてもみてほしい。なんで酒席に女の子がいないと男性陣はみんな荒れるんでしょうか。コンパでセンパイに「女の子を呼べ」と無理難題を言われて困り果て、ひと昔前にあった「レンタル家族」を呼んでしまった人はいませんか?(いねーよ)
逆に会社でプチ接待のような状態になったとき、会社の女の子がひとりついてきたときの先方の課長のヤニ下がり状態といったら……! どうせする会話といったら「えーっ、『オールナイトフジ』知らないの!?」とか愚にもつかない話だというのに……。こういうのって「おれって気は若いのに、実は意外と世代が離れてるんだよねえ」っていう、ひとひねりした自慢でしょ。三十を半ばもすぎて、「中澤ねえさん」とか言うのはどうなんデスカ? 中澤ゆうこが小学校1年のときにあんたら中学1年だろ!? 「デラべっぴん」とか買ってた世代だろ!? 「あんたら」ってだれだろう。いや、今はそんなことが問題じゃない。問題じゃないんだ……。

そんな状態の中で、もっとも庶民的娯楽と言えるマンガにおいて美女(美少女)を登場させないテはない。おれが編集者だったら入れる。1作あたり12人は入れるね。
いや、向上心のあるおれは15人は入れる。アニメのダイラガーなんとかみたいに。パンチラとかが作品内であんまりできなくなってから(規制とかか?)マンガ雑誌のグラビアが水着アイドルになったんじゃないかという仮説もあるし(きちんと調べてないが)。

いいや、マンガに結びつけようとする話は終わり。終わらせる。とにかく、気の進まない飲み会に若い女の子が混ざっているときの男の豹変ぶりが異常にムカつくんだよ。
昔、会社の忘年会で幹事をやらされたとき、ある女子社員と二人でやれと言われた。で、仕事を分担しようと思ったらその女は当日まで何もしようとしなかった。おれがなだめてもすかしても、ロッテ「パイの実」をモシャモシャ食っては横目でおれを見てせせら笑っていた。当日も、水割りひとつつくらなかった(強調しておくが女性が水割りつくるべきと言っているのではなく、仕事を分担して欲しかったといっているのだ)。
さらに驚いたことに、その態度に対して部内の人間、だれ一人文句を言わなかった。みんな「パイの実」をツマミにハイボールでイッパイやっていた。
その女を取り囲んで何か楽しそうに話をしていた。しかも「えーっ、『8時だよ全員集合』知らないの!?」とかいうくだらねえ話だよ。

とにかくだ、そんなやつらに「なんでマンガ雑誌なのに水着グラビアが載っているのか」とか「カジワラタケシの描く女の子はオッパイデカすぎる」とか言われたくない。
カジワラタケシの描くオッパイはデカすぎるとは思うが、言われたくない。カジワラタケシがどこに行ったのかも、あまり興味ない。

小旅行にでも行きたい。でも行った先でも白い目で見られるので、行かない。

5月13日(日)

サンシャインで、コミックレヴォリューション
とにかくもうすごい人数。反面、わがサークルの同人誌は売れない(1冊あたり5部くらい)。
さらに相方もいつものようにマイペース、私自身も何十冊も同人誌を買うタイプではない、参加者に知り合いが非常に少ない、などの理由であまり面白くなかった。
A/kodamaさんたちとメシでも食おうという話に一瞬なったが、ウチの相方が帰るということもあり解散となる。

私はレヴォには以前から疎外感があり、それは「売り手も書い手もエロ中心」ということに尽きる。エロが悪いと言っているのではもちろんなく、実際問題、男性向け創作のスペースって混みすぎてて行けないのよ。前にも進めないくらいスゴイんだから。それと、エロに特化されすぎているせいもあるのか、膨大な参加人数のわりには我々の本が売れなさすぎる。たぶん参加者は数倍になると思うが、往年のコミックキャッスルとほとんど変わりない売り上げだ。

噴水広場でワンギャルがイベントをやっていたらしい。たまたま見た相棒が「ワンギャルってのはまったくブサイク市場だ」などと放言をカマしていたが、この人は自分の将来のかみさんの容姿がワンギャル以下だったらどう言い訳するつもりなんでしょうか。そこんところを率直に聞いたら「それは関係ない」と、一般庶民にありがちな思想なき強弁で押し通そうとしてましたよ。
でもさあ、やっぱり手当たり次第に他人をブサイク呼ばわりする以上、自分はどうなんだっていうのを省みるべきだとおれは思う。かみさんがブサイクで逆に株が上がるのは、野球選手の落合のような超大物しかないということを、肝に銘じて欲しい。

そういう私は、「ヤマダクニコって最近カワイイよね〜」とか「ヤマダハナコ(ちなみにマンガ家でない方のヤマダハナコ)ってカワイイよね〜」とかいう女性軍の意見に抗しきれず、「ウ、ウン、そうだね」などと生返事をしてしまい、ガマンにガマンを重ねたあげく突然キレてしまうタイプだと思う。

レヴォ、次回は参加しないつもり。こうして私の行動範囲はじょじょに狭くなっていく。

5月13日(土)

「戦闘美少女の精神分析」を読んでたら疲れたわー。で、レビューを書く際にヒトのを参考にしようと思って、タイトルで検索してみた。
そうしたら、私にとっては面白いことに、ふだん見たこともないような感想サイトばっかり。他のレビューのラインナップを見ても、思想・哲学関係の本を読んでいる人が多かった(たまたまだろうけど)。
しかしここで素朴に驚くのは、本書で展開されているオタク論に関して「今までもっとも独創的な論」という意見が多いことだ(たまたまかもしれんが)。

本書のオタクの定義はものすごく大ざっぱに言って「瞬時に状況によってモードを切り替えることができる」ということではないかと思う。それが精神分析という文脈で語られたということに関して意味がある、というのなら私はそっちのことはわからないので「そうなのか」と言うしかない。しかし、素朴なというか俗流なというか、そういう解釈で言えば80年代に社会学者の稲増龍夫がアイドルマニアに対し「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」と言っていたこととほとんど同義ではないのか。「新人類」を含めたサブカル系ワカモノというのはおおかたこのような解釈をされていた。
えーと「別冊宝島」で新興宗教のやつが出たときも「シラケつつノっているんだ」的な解釈だった。だけどその後、オウム事件って起こったんだよな。まあ世代が重層的なため、オウム事件を世代論で斬るのは当然ムリがあるんだが、「半分ふざけているのかと思ったら超大マジメだった」という事実は忘れない方がいいと思うんだな。
レビューの方で書くのは忘れたけど、だから本書は結論部分よりも、事例として載っている「自分の好きなマンガのエロパロが許せない男が、作者自身の描いたエロパロを見てショックを受ける」とか、「テコンドーとチアリーダーをやっていた韓国人ハーフの女の子と付き合っていた思い出が忘れられず、アジアチックなものを求めて日本製アニメを見続けるアメリカ青年」というエピソードの方がなんだか人間くさくてホロリとしましたよ。

マンガやアニメをめぐる言説が書かれるはしから消えていってプールされない、というのが以前から問題とされているけど、たぶん稲増の本も絶版だと思うし、オタクについての言説もいっこうにプールされない気がするなあ。

同書にオタクの定義で出てきた「アニメ絵美少女でヌケるかどうかがオタクか否かを分ける」という方が、まだしも「だれも言ってそうで言わなかった」って気がする。実際には、厳密には当てはまらないとは思う(鉄道オタクとか)が、まあ何らかの示唆は与えるような気がします。

5月12日(金)

早くも今月の小遣い使い果たし。マンガを読もうと思ってたけど、なんか疲れちまってダメ。録画した2週間前の「明石家マンション物語」で関根勤がやってた「巨人の松井のマネ」で大爆笑してみたり、1週前のプロジェクトX見たり、パワーパフガールズ見たり。

昨日の話の続きみたいなもんだけど、世の中って刑務所みたいなもんですね。
まあ刑務所の方がずっとヒドいと思うんで(当たり前だが)、マイルドな刑務所みたいなもんなんでしょう。
映画「網走番外地」が何本もつくられているのはそれが理由っていう部分もあると思います。
そして深作カントクの任侠映画。ずっと前にも書いたけど、あまりにもスーパーやくざばかり出てくる作品の中で、川谷拓三、田中邦衛、小林稔侍などが「報われない下っ端」として描かれているところが実にリアル。けっきょく、みんな人生においてこうした下っ端的扱いをされないように戦々恐々としてるワケでしょ。

で、私のようにあまりにも珍奇なシュミを持ち、しかも半可通という人間はなかなか生きていくのも大変なんですが、逆に「珍奇なシュミでも立派な社会人としてやっていける人間」というか「ゴマかせるタイプ」を考えてみました。

・高学歴、高収入の職業に就いている
・万民に受け入れられるスポーツをしている
・万民に受け入れられるシュミを持っている
・性欲が外に向かっている
・苦労人である

いちいち説明を書こうと思ったけど、ヤバい内容になるのでやめました。それにしても、まったくフツウ人になりたいですな。

5月11日(木)

子供の頃、日野日出志などの恐怖マンガを読んでショックで寝込んでしまったり、トロッコで遠くまで行ったら日が暮れてしまってパニック状態になったりという(そんな経験ねーよ!)ことは人間だれしもあるが、このトシになってそれに近い気持ちを味わってしまった。

ネットウロウロをしていて、自分のお見合い経験についてアップしたサイトってのに出くわした。このサイトの管理者(男性)はまだ途上で、結婚相手を見つけてない。このサイト、あらゆる意味で今のおれにとってダークすぎる。ちょっとこれから書くことはこのサイトの内容に立ち入りすぎるので、例によってURLは示すことができないんだが。
いろんなヒトの体験談が乗っているんだが、
「お見合い相手の女性に一目惚れしてしまい、あまりにも惚れちゃったんであちこち引っ張り回したり写真パチパチとったりしたら断られた。しかしあきらめきれず、とった写真を渡そうと(すでに断られているのに)そのヒトの職場近くで待ち伏せして写真を渡した」とか。自分でも今考えるとストーカーだ、とか言ってたが、本当にそうだし。その舞い上がり具合が伝わってくる文章で、あまりにイタくて読んでいるこちらが死ぬかと思った。

また、紹介文の書き方のコツも載っているんだが、「趣味にスポーツはぜったい入れておけ。ウソでも入れておけ」って書いてある。まぁなあ。会社の面接では私も「魔少年ビーティー」並みの大胆さで大嘘ぶっこいてたもんだが、相手が個人となると後々の嘘のバレる確率も高くなるし。実は「趣味にスポーツはぜったい入れろ」っていうのは、別方面でも聞いたことがあって、イメージとしてはとにかく明るい、明るいことをアピールしろっていうんだな。それが社会標準なんだよ。

よくモテない理由として、シュミの問題があがるけど、アニメが好きだとか同人誌つくってるとかってことよりも「スポーツをしてない」とか「スポーツをしてない、ということで連想させる人物像」っていうのがマズいんじゃないかと思い始めた。スポーツをしてないってことは立派な反社会的行為なのだねうんうん。
でもこのサイトの人は「女の人のシュミがロックバンドだったらヒク」って書いてあって、それで「ええ〜っ」って思う人も多いと思う。まあおれもロックバンドやってた女の人ってまったくと言っていいほど会ったことないからよくわかんないけど。「ナオンのヤオン」くらいしか知識ないしな。でも普通(……っていうか私とつきあいのある男性しょくん)は女性がバンドやってるってコトではいちいちヒカないでしょ? スポーツをやってないとイヤだの、ロックバンドだとヒクだの、あまりに「普通人」なシュミで、ちょっとどういうことなのか今後調査を進めるつもり(あ、なんか自分の中で盛り上がってきた)。

このように、チョロっと「自分のお見合い体験を語るサイト」を他にいくつか覗いたんだけど、そういうサイトを立ち上げるということ自体、マジメだと思うんですよね。で、その中でメンズリブの集会とかに出てる人いたけど、ここ、誤解だったら非常に申し訳ないんだけど、やっぱり恋愛とかお見合いに成功してないんだから、失敗について真剣に考えますよね。私だって同じ立場だったら考えます。だけど、なんつーか、そこから社会制度とかジェンダーの問題にまで思いをはせてしまうっていうのは、ちょっと考えすぎのような気もする。いや、そういうことを考えるのが大好き、って趣向は理解できるし、それが単なるシュミだというなら私も文句言わないんだけど、個人的事情をあまりにも大きく敷衍させるのはどうかと思う。
そういう意味で言えば、結婚できない男女について、たくさんの人に話を聞いてそこから共通性を引き出して、「個人主義社会の弊害が云々」とかって結論づけてる本も、なんだかなあって思う。ここらへんは読んでないから読んでから文句を書きますわ。
しかしなぜか恋愛・結婚のうまくいかなさにおいて、言語化する、しないを別にして「社会に期待される人間像」に達していないという意味での批判を加えるということも非常によくあって、ソレがこういう現場での混乱をもたらしていると思うね。
常に技術論や精神論とイデオロギーがゴッチャになり、またゴッチャにならざるを得ない場というか。それが「ナンパ必勝法」とかにはない部分じゃないスか。

とにかくサイトを見るかぎり「お見合い」ってのはその前段階で「こういうのがフツウです」っていうのを醸成することなのね。社会は多様化してるっていうのがいかに大嘘かよくわかります。その「フツウ像」については文句は言えないわけだから。ある種のクイズに答えられないと入れない古代の王の墓石みたいに、「フツウ」ってのは最大公約数だとか多様性のひとつではなく、ここでは実行されなければその先に進めないものなんだよな〜。

とにかくなんか自分がお見合いしているかのようにダークになって、心底、心底、心底おちこみました。

それとシュミで「読書、映画鑑賞」と書くのも無趣味にとられてマズいんだって。囲碁、将棋というのもダメだそうだ(絶対にやめてくれ、と言ってるところもあったぞ)。ということは、どうひねっても「趣味」はスポーツに限られるってコトだな。
でもシュミが映画鑑賞のボクは、家でVシネマを見ました。

桃色探偵団

・「桃色探偵団 Vol.1 媚薬サルオナの謎」
90年、バンダイ製作。主演が吉竹エリ、高橋えつ子、安原麗子(元少女隊)。あと豊丸に恵俊彰。
内閣調査室がヒソカにエージェントとして使っている「桃色探偵団」の3人は、新興宗教団体「ドソミ教団」が、ひとたび使えば最後、死ぬまでセックスし続けるという麻薬「サルオナ」の実験台に信者を使おうとしているという情報をつかみ、戦うのだった。教祖役に豊丸。桃色探偵団にいろいろ指示を出す役に恵。
こういうのって「何もないんだろうなあ」と思ったら、本当に何もなかった。何もないゆえに愚直なことを書きますとですな、セリフで説明するシーンのほとんどが、中途半端な遠景でえんえんしゃべるだけなのよ。カット割があまりに少ない。
冒頭、オッパイ出したまま殺される女性が出てくるのはツカミでいいと思うんですけど、その後主人公3人がえんえんと船の掃除をするという、主人公にはあまりに似つかわしくないシーン。もちろん3人の水着姿を見せるためだとは思いますけど。
あと、パッケージには「75分」って書いてあったからそのつもりで見てたら、ドラマ自体は55分で終わって、あとの20分はメイキングでした。20分もいらないよ……。
私は高橋えつ子のファンなので買いましたが、メインの3人か豊丸か恵のファン以外は別に見なくていいと思います。恵は若くって、今のポジション的に言うと当時はたぶんよゐこかガレッジセールくらいの位置づけじゃないでしょうか。

わざわざ画像をスキャンしたのは、あまりにダークな一日だったので霊的防衛のためです。

5月9日(水)

実質的ダメ日。
最近、10年前だったらたいしてこたえないような他人の注意が異常にこたえてくる。いや、最近というのはウソで、ここ4年くらいずっとそうだ。
これは、注意されたことに対してもう直しようがないことに気づいてしまったからだろう。直しようもないことを注意されても、それは背丈とか出身地とかにヤイヤイ言われているのと同じだからな……。しかも言い訳することもできんし。でも本当に直すことはムリなんだよ。もしこれを口に出したら、最悪に向上心のない人間だと思われるので黙っている。喉まで出かかるのをグッとこらえて、しばらくたって「イチロー、やっぱり本物っスねえ!」などと薄笑いをしてみたら、相手は「大リーグ人気に日本のプロ野球が食われてしまう危機を、おまえはわかってない」とさらにヤブヘビな説教ときた。そして何度も何度も草野球におれを誘ってくる。おれがボールをまっすぐに投げられないことを知っているくせに。

こんな状態で私が金を稼いで生きていけるかどうかは、本当の賭けだ。カイジだってゴッドギャンブラーだってそう思うだろう。とにかく気持ちの持って行き場がどこにもない。「倉庫番」っていうパズルゲームがあって、「テトリン」などのちっさいゲームでやったことがある方もおられると思うが、ソレの煮詰まった状態が今の私の心をまさに表現している。実際倉庫番みたいな仕事だし。「ファスタープッシーキャット・キルキル」とかいう映画で、無口なダメ男みたいのが確か出ていて、そいつが自動車をガッシととらまえて力比べをするシーンがあると記憶しているけど、仕事で腐るとあいつを思い出す。けっきょく死ぬんだっけか。忘れたな。でもあの力比べシーンは見てて力入ったよ。あのシーンを思い出し、おれはいつも武田鉄也の歌を通して「がんばれがんばれ」と声援を飛ばしている。

……ヘコみまくり、あまりにもガッカリすると、気晴らしに何かをやろうとしてもどれもちっとも楽しくない。とくにブラックな笑いとかは見ていて心底暗くなる。きれいなおねーちゃんとかをテレビで見ていても、どうせこんな子と一生お近づきにもなれない、道であっても挨拶もされないんだから、大金持ちの一家が高級レストランで飯を食っているのをガラス越しに見るのと同じだと思う。
そもそも、もうテレビや雑誌にカワイイ子出なくていいよ。まったくくだらねえ、うなぎの焼けるにおいで飯食ってるようなモンで。うなぎのにおいには小銭の音で返してやる、とか思ってもそうはいかないのが資本主義社会だ。テレビだって電気代払ってるわけだしな?

眠ろうにも眠れない。

ラーメンを食いに行こうと思って(また太るのに)夜中の街へ出ると、見張り番みたいにコンビニの前では茶髪・ロンゲの少年たちがあたりを睥睨している。本当にコンビニの前で3人並んで、通り過ぎる人をじっと見つめているんだよ。ラーメン屋に入ると、携帯電話片手に店員を「社長、社長!」と呼ぶ老人が、こちらに向かって話しかけてくるから自分に話しているのかと思ったら、首だけ左に向けているが店員に用があるらしかった。なぜかビールだけ飲んであわただしく去る老人、ところでこのラーメン屋は夕方6時から朝4時までの深夜営業だがお客がいつも3人くらいしかいない。そしてついにランチタイムも始めた。つぶれんことを祈る(けっこううまいんだから)。

戻ってきてテレビでアニメ「シスター・プリンセス」とか見てたら「おれって本当にマズい状況なんじゃないか」と思えてくるし。だいたい見る必要ねんだよなこんなの。別にもうアニメの流行に追いつかなくちゃってトシでもないんだし。コレが流行かどうかも知らないけど。しかしOPの歌はなかなかいいなあ。80年代っぽいアイドルソングなんだよ。

さて、日記の更新状況をどう見てくれている人に説明するかだが、考えてみればトップの部分を日付に変えればたいして手間はかからないと気づいた。が、どうもここに書いていることは、わざわざ日にちを見て覗いてもらわなくてもいいというような心理が自分に働くらしい。そんなに構えて見られても困るというか……。だからやっぱりこのままにしておきます。
「このままにしておこう。この研究はまだ人類には早すぎる」……ってなことを言いながら、少年ヒーローは秘密兵器の設計図の入ったマイクロフィルムを海に投げ入れる。それを見守る少女。

日記で思い出したが、話には聞いていたがTVBros.のコラムはリニューアル後に圧倒的につまらなくなった。だいたい残留組を越えるものが1本もないではないか。そんな中、今週号の掟ポルシェの文章はなかなかよかった。この出だしはいいなあ。これはやられたと思った。
TVBros.も創刊当初はずいぶん楽しみで読んでいたモンだが、そもそもドウデモなコラム的文章なんて今ではネットで、タダでいくらでも読めるんだからココに書いている人も大変だとは思う。ブロス的なテレビの見方、およびそれを言語化して流通させるということも今では珍しくもなんともなくなってしまっている。確かに辛いとは思うが、揃いも揃ってイマイチというのはどうしたもんなのか。それと松尾スズキ。この人の文章力がどれほどのものかは、おれ固唾を飲んで見守っているよ。2、3本読んだけど、スゴイ微妙なんだよな。とかってねえ、他人事だと思って率直すぎる感想を書いてしまいました。

5月7日(月)

最近、帰ってきたらすぐ眠ってしまい真夜中に目が覚めるという変な習慣がついてしまった。マズい。

・「バカゲー専科」 ユーズド・ゲームズ編集部編(1998、キルタイムコミニュケーション)読了。
いわゆる「クソゲー」をおもしろおかしく解説した本で、発行年度からすると今更という気もしたがやっぱり面白い(出たことを知っていればリアルタイムで買っていたと思うけれど、知らなかったのよ)。
シミュレーションゲームだと思ったら横スクロールアクションゲームだった「武田信玄」、推理ゲームだと思ったらやっぱりアクションゲーム(でいいんだろうな)だった「シャーロックホームズ伯爵令嬢誘拐事件」、天狗の面がアメリカで宇宙人を撃退する「暴れん坊天狗」などのバカゲーの数々が紹介されている。
でも最終章のネタ記事「バカゲーマーで行こう!」はちょっと苦しかったかな。コロコロ系ゲームマンガのパロディ「究極バカゲーマームサシ」も、ツカミはめちゃくちゃ面白いんだけど結末があっけなかったのが惜しい。
でも本書は続編出てるんですよね。いずれ読みたい。

5月6日(日)

GW最終日で、人通りもなくお客も少ない。

DJ KEMCOのワキガ研究所を見たら、「スペランカーズ」のライブのなんとはなしの消化不良感は、機材トラブルで時間が足りなくなったための曲の割愛にあったことが判明。
また、スマイルハンターズのライブで舞台に上がって踊っていた女性が「元気が出るテレビ」で一世を風靡した「イマキタ加藤」だったということも判明。おれダンス甲子園、スゴイ好きだったからなあ。まさか新世紀になって生のイマキタ加藤を見られるとは思ってもいませんでしたよ。
こういうのがすぐわかるってのがインターネットのイイところかな。ふつうぜったいわかんねーもん。

ところでテキトーにパパイヤ鈴木のことを書いてきたが実はこの人のことをよく知らなかった。だが最近注目し始めた。
……というのは、目が死んでるから。「でぶや」という、ホンジャマカの石塚と組んだ番組があるのだが、石塚と息があっているんだかいないんだかわからないし、石塚のつくり笑顔とパパイヤ鈴木の死んだ目は実に好対照だ。番組的には見るべきものは何もないが、パパイヤ&石塚がメシを食って「まいう〜」(「うまい」を逆にした言葉)といかに面白く叫ぶか、というだけのコーナーにいろいろ考えさせられるものがある。しかも二人は番組内ユニットで歌を出しているのだが、それのタイトルが「MY YOU」で「まいう〜」から取ったらしい。

「でぶや」はテレビ東京の番組で、テレ東好きの私はテレ東の偉い人の書いた本を買ったが、パラパラとめくったらテレビ界草創期の現場のヒドいディレクターいじめの話から始まっていて一挙にダークに。まあどこの業界でもある話とはいえ、もっとも大衆的でありながらテレビってその辺のことよく知られてないよな。とくに草創期は。ダン池田の本も、そうした体質への恨み節と考えれば読めんこともないね。

5月5日(土)

「GABBER DISCO」終了後、外に出て黒ずくめの男たちがだれかが車で出ていくのをお見送りする謎のシーンを横目で見つつ、「珈琲貴族」に入ってダベった後、解散。

帰宅して、クーベルタン男爵的マッタリ状態。買ってきた同人誌をぼちぼち読む。

5月4日(金)

コミティア、東京ビッグサイト。今回も気楽院さんに手伝ってもらう(ありがとう〜)。

私のイメージ的に「ビッグサイトはWAIスタの本はあまり売れない」というのがあって、売れるも売れないもあまりにビビたるものでどうでもいいんだが、まあそういうことでテンションいまいち低し。
今回は「ぶっとびマンガ」のネタもなかったし、もう5年以上続いているとはいえ、初回の売り部数があまりに微妙なので毎回新刊をつくろうとするたびに悩んだりする。要するに「毎回新刊を出してはある程度の部数を売りきり、次のイベントへ向けてまた始動する」というサイクルがまったくできていないということ。ここ数年というもの悩みに悩んだが、今回は趣向を変えて「限定20部」という突発本をつくった。題して「SFおしかけ女房 『女神さまっ』的マンガの研究・仮説」
14ページで、100円で売った。頭がテンパっており、「原価120円のものを100円で売るんだからおれって豪快さんだよなぁ」などと言っていたら「14ページなら原価70円じゃないんですか?」と言われて我に帰る。なんだ、30円儲けてるじゃんおれ。

今回は図版もまったく入れず、資料も揃わず、仮説の上に仮説を重ねたような本で、かなりダウナーな気分になっていた。また、まったく売れないことも予測していた。しかし、「楽しい午後の過ごし方」や「ぶっとびマンガ」を買ってくれるお客さんから「あ、SFおしかけ女房ですね」と納得ずくで買ってもらったりして、少なくない驚きとともに、自分の今回の本に対するツメの甘さを恥ずかしく思ったりした。またWAIWAIスタジオが、微量ながら信用を付けてきたということでもある。私自身、矛盾するようだが箸棒な本をつくってしまったという意識もないながら、不完全なものを出してしまった後悔はある。ある意味お客さんに教えられたということも言える。

私は、例によって「いつものサークル」でしか買わなかった。いつもイベント前には「さあ同人誌を買うぞ!」などと意気込むのだが、会場に行ったとたんにテンションが下がるのだ。なぜなんだろう。
まあ現在の購入冊数から言えば、もうひとまわり多く買わないと、出会えなかった名作には今後も出会えないという予感はあるのでよしとする。
今回の収穫は何といっても、ほとんどアウトサイダー・アートといっていい、新田的言い方をすればぶっとび大ばく進GOLDの「木持アート出版」が出した新刊「スーパーレディレナちゃん 予告編」をゲットできたことだろうか。それはともかく、相棒・吉田等は「『レナちゃん』のレナは田中麗奈からとったんじゃないか」と突然眠たいことを言ってきたので、「そんなわけないじゃん。女闘美と何の関係もないじゃん」と説明するがわかってもらえなかった。ふだんは的確な「読み」をするこの人も、突如として説明するのもめんどくさい謎の発言をすることがある。

夕方から、新宿で某飲み会。いろいろとマンガやアニメの話などをしたりして、う〜ん刺激&勉強になるなあ。現役バリバリのイキのいい人々と話をしているだけで影響を受け、自己反省したりしています。
また、当サイトをみんな見てないようで見ていたり見ているようで見てなかったりしていて興味深かったり。今回の同人誌はネットに上げた文章をたたき台にしてみたんだが、漠然とした感触によるとネットに上げたからといって読者がそれを全部読んでいるわけではないので、アレンジはするにしろ、ネットの文章を本にすることは必ずしもムダではないのだと思ったりした。

朝方まで飲んでいたグループもあったみたいだけれど、私は夜11時からテクノイベント「GABBER DISCO」に行くため中座。
10時50分頃まで飲み続け、11時には新宿紀伊国屋で吉田等と待ち合わせてロフトに向かうというスケジュール。ガバガバ食ったり飲んだりしたので頭がクラクラしてヤバい感じ。

新宿ロフトは初めて行ったが、実に恐い感じのところにある。客引きもたくさんいるし。今回はかなりハードコアな曲中心ということで、お客さんも心なしか恐そうな感じ(吉田等からは気のせいだと言われた)。
メンツは「GABBER AREA」がDJ Digitalboy+MC Rage(From D-BOY Rec(italy)、SoReal Rec(USA))、DJ CHUCKY+MC JAGE、急行、カワシマ。
LIVE: DJ SHARPNEL、スマイルハンターズ。
サブフロアの「RAVE AREA」が、LIVE: スペランカーズ、RAVERS PROJECT。
DJ: KAMIZATO、BLUEBOX、ANGEL、TETSUYA。

スマイルハンターズは見るのが4回目なのだが、ナードコアというくくりではかなり異色のユニットではないかと思い始めた。パンクに近いんじゃないかと思うがどうでしょう?

今回は「GABBER AREA」のDJのほぼ全部にMCがついて客を煽り続けるという形式で、ガバのDJの形式ってみんなこうなのかな? テクノではそういうことはほとんどないのでちょっと驚いたし、ビビってしまった。音的にもハードすぎてちょっとついていけず、「RAVE AREA」でトランステクノを聞いてホッとしたりしていた。

吉田等は「ガバはフロアで聞くとこんなに気持ちのいいものだとは思わなかった」と感動していて、実はガバのCDは私の方がよっぽどたくさん持っているんだけど頭でっかちだと痛感しましたね。

スペランカーズは、ライブが「インターネット生中継されている」という設定の仕込み系。吉田は「ちゃんと曲を聴きたかった」と残念がっていたが、私はつくりこんだライブは大好きなのでよかった。DJ SHARPNELも吉田はイマイチって言っていたけど、私はセーラー服着た女の子がMCで客を煽っているってだけで素晴らしいと思ってるから。バックにはずっと美少女アニメをぐちゃぐちゃに編集したものが猛スピードで流れていたし。私が最近のテクノに求めているのものはその「日本的解釈」、「意図的曲解」の部分なので。
……ってリクツで考えているわけではなくて、ただそういうのが好きなの。リクツはないの。

逆にイタリアとアメリカから来たというDJ Digitalboy+MC Rageは、あまりの本場感&ハードさについていけず。これも吉田等には評判よし。

……ということで、今回は一緒に行った人間とことごとく意見が合わないという結果になってしまった。

余談だが、まったくその場にそぐわない、黒ずくめのスーツにサングラスという謎の男と、彼に付き従うアタッシュケースを抱きしめた男がいたが、あの2人が謎だった。これが「漂流街」新宿なのか。

5月3日(木)

一日中雨。思う存分マンガを読むぞ、と思っていたら一日中眠ってしまってかなわなかった。なんとなく体調が悪いので食ってばかりいた。食えば太るし食わなきゃ体調がおかしくなるし、こういうのをダブルバインドというのか。これがポストモダンか。かっこいい〜。
買ったままほっぽり出しておいたSPA!(4/25)をパラパラとめくってみる。
久しぶりに買ったんだが、なんだ、中森明夫とおれとMETAMOに対する見解はほとんど一致してるじゃん。特集「良いチラリズム、悪いチラリズム」も読むまでもない内容だなー。企画自体はわからんでもないけど、おれだったら取材&構成もめんどうだ。作る前からデキわかっちゃうもん(えらそう)。「バカサイ」は相変わらず面白い。一時期飽きてしまったけど、忘れた頃読むとやっぱり面白いね。読者が飽きてた時期も続けていることが重要なんだな。「夕刻のコペルニクス」もいろんな意味で面白い。

後のコラムはどうでもいい感じ。SPA!の対象年齢って20〜30代前半くらいのサラリーマンか? 会社やめたからわかるけど、あまりにピンポイントなターゲットって感じ。おれに関係ない記事ばっかり。まあ売れてりゃ私がとやかく言う筋合いないわけだけど。くらたまのマンガはさ〜(あ、ここでも連載してたんだ)、なんかこういう「業深い系」っていうの? こういうの描く人って日本に10人いればいいと思うんだよね。もう増える必要ないと思うんだけど。しかもこれって作風が妙にポップで、「20〜30代の、おれ根本敬も守備範囲です」っつってるくせに最終的には「ガチンコ」で感動しちゃうようなヤツらの酒飲み話って感じがする。おれはもっと癒されたい。際限なく。もう政府にパンとサーカスを求めるほどに。

……さ、井川遙のフランス語講座を見るか。

リス顔の男2

ウチの近くのなんとか会館とかいう公共施設で、こじんまりとした同人誌即売会があるというので見に行った。
何かの作品のオンリー即売会だったようだが、よくわからない。売り子もお客も全員、パンチパーマだった。

さて、公共施設内部をブラブラしていると「中学生討論会」というのが目をひいた。
どうも1室を借り切り、客を集めて中学生が議論しているらしい。
覗いてみると、壇上のパイプ椅子に二人の中学生が腰かけて、熱い議論を戦わせている。
50人は入れる会場だったが、客はまばら。教育関係者っぽいおっさんや、父兄みたいのがパラパラと。
入場料は無料。おれものこのこ入っていって、中坊(文字どおりの中坊)の青臭い議論を見物としゃれこんだ。だがそれが間違いだった……。

議論のテーマは「大人は汚いか」といった実にクダラナイもので、NHKでやってる「真剣十代しゃべり場」みたいだなと思った。しかし、そういう青い議論を見てやろうと少し意地の悪い気持ちになっていたのだ。
だが椅子に腰かけて壇上に目をこらして、しまったと思った。
舞台向かって右側の、学生服を着た少年、それは少年ではなく「リス顔の男」だった。

……また出やがった。おれは舌打ちした。
「リス顔の男」は、4月15日の日記でも登場した私の天敵である。ここでの彼は、三十代のくせに詰め襟の学生服を着ていた。下はおそらく背広とセットになったグレーのズボン。その時点で気持ちが悪い。相手の中学生は、なにやらまさに口角泡をとばすという感じでリス顔の男に食ってかかっていたが、それを彼はニヤニヤしながら見守っていた。

相手がひととおり話し終わると、リス顔の男は「キミの言うことも間違ってはいないと思うんですが……」と言いながら「なかんずく」とか「たまさか」とか「日和見的」とか「共同幻想」とか、中学生が使いそうもない言葉をいかにも自分のものとして、しかし文脈上はちっとも自分のものになっていない用法で用いて、得意げにとうとうと話し始めた。

ぐわあ、なんだコイツは!
しまった。リス顔の男と私は距離が離れているため、私自身がサカナにされることはないと思っていたのだが、コレはハタから見ているだけでかなりイタイ。
きっとこいつは「失敬な」と言って怒り、「さもありなん」とかつぶやいたりするんだ。謝恩会にとつぜん紋付き袴とか、スーツなんだけどネクタイは大橋巨泉みたいにぶっといやつとか、そういう妙におっさんじみた格好で着て、つっこまれるのを感心されていると勘違いするんだ。
「どういうタイプの女の子が好き?」と聞かれると戦前の文学に出てくるよくわからないヒロインの名前を出して周囲を当惑させたり、逆に「モー娘。のだれそれ」と言った後に、その理由をポストモダンがどーたらとかいってしなくてもいい説明をしたりするんだ。はっきり乙葉なら乙葉って言えばいいじゃねえか。中学生の好きなタレントなんて眞鍋かをりか乙葉に決まってんだよ(決めつけ)。

あとあれだね。中学生なのに文庫本に皮のカバーかけて読んでる。読んでるのは三島由紀夫か筒井康隆。レイモンド・カーヴァーとかの場合はモロ村上春樹の影響だね。つっこむと案外知らなかったりする。カート・ヴォネガットという可能性もあるな。

スポーツは苦手かというと案外そうでもなくて、卓球が異常にうまかったり、水泳が得意だったりする。しかし基本的には個人技だね。ソレで、運動が苦手なおれがみんなから白い目で見られているのとは裏腹に、そういう批判からは逃れているんだ。

「自分はジョークをわかっている」と思うのがコイツの勘違いの最大の部分で、お笑いの知識は豊富なんだけど、「葉っぱ隊」で大爆笑してたりする。でもそういう無防備でアホなところが、クラスで完全孤立しない妙な理由になってたりするんだ。

……そんなおれの苛立ちが脳内に濁流のように流れ込んできた。おれは「リス顔の男」の遠隔攻撃にやられたのだ。リス顔の男はおれに近づかずにおれを攻撃する方法を知っていた。おれが「どうかと思う」人間像をなぞってみせることで、おれをイヤ〜な気持ちにさせようとしているのだ。

リス顔の男はおれの方を向いて嗤った。

しかし、そこにまた救世主が現れた。
パパイヤすずだった。

「パパイヤ鈴木」ではない。
「パパイヤすず」である。
彼はおれの敵である「リス顔の男」と敵対関係にあるらしい、パパイヤ鈴木そっくりの男だ。
とつぜん室内に軍艦マーチが流れたかと思うと、両手にアニメイトの手提げ袋を持ったパパイヤすずが行進しながら舞台に上がってきた。
スタッフらしき中学生や教師のような大人が止めようとするが、彼らはいつの間にかやってきた、パンチパーマの同人誌即売会にいた少年少女に取り押さえられている。 パパイヤすずは、軍艦マーチに合わせて両手を左右にふる。アニメイトの紙袋がプラプラ揺れる。右側からは魔法少女アニメのおもちゃのステッキが飛び出している。

議論相手の中学生はすでに逃げ出していた。「リス顔の男」も「しまった」という顔をすると、舞台右手からせまってくるパパイヤすずから逃げだそうとしたが、左手から来たパンチパーマの少年少女にはばまれて挟み撃ちになってしまった。
パパイヤすずは機械的に両手を振って歩いていたが、途中でベルトがはずれてズボンがずり下がってしまった。しかし意にかいした様子はない。足下にずり落ちたズボンに足を取られて、うまく前に進めない。ヨチヨチ歩きのようになった。

リス顔の男はこれ幸いとばかりに、パパイヤすずに向かって学生服を脱いで投げつけ、そのスキに舞台正面から飛び降りて逃げ出した。学生服の下に、彼はいかにも「肌着」って感じの肌着を着ていて、それがいかにも三十代だと思わせた。

当然正面にもいたパンチパーマの少年少女が、走ってくる「リス顔の男」にタックルをかませた。くんずほぐれつする状態で、リス顔の男は「失敬な!」と言った。
思ったとおりだ。そのセリフだけ聞けばいい。おれは大笑いして、その場を立ち去った。

舞台上ではまだ「パパイヤすず」が無表情のまま、ズボンに足を取られてヨチヨチ歩きしていたと思う。今回も騒動の結末まで確認しなかった。バカバカしくてその気になれないし、パパイヤすずだって自分のためにやってるんだから、おれごときのお礼など聞きたくもないだろう。彼らはハブとマングース、グレイシー一族と日本格闘技界のごとき宿敵同士なのだ。戦い続ける運命にある。両者に食われてしまいそうな弱小動物のおれとは違う。

帰りはバスに乗って帰った。GWだからか、空いていた。

・「リス顔の男3」

5月2日(水)

体調最悪。クーベルタン男爵(暗号)。
4日のコミティアへ向けて、何か軽いペーパーでも、と思ったのだが何しろ言いたいことはこの日記に書いたりしてしまっているので書くことがない。また、ペーパーを持ってきたときの吉田等の冷たいことと言ったら……。今まで私のペーパーでウケたことは一度もないし、「お客さんに手渡すのがメンドクサイ」とはっきり言われたこともある。こんな状態でヤル気が起きるはずがない。

というわけで、コピー誌をつくろうと思い昨日は必死に原稿を書き、今日も書いて台紙に張り付けてコンビニにコピーしにいった。それと合わせて「ぶっとびマンガVol.5」もコピーしにいった。この作業が意外なほど疲れる。さらに製本。この作業も疲れる。やっている間中、なんか学校の柔道の授業で、柔道部のやつと乱取りをやらされているような気分になる。あまりにすさんだ気持ちでいたので原稿の文章が荒れてしまった。反省する。

私の同人活動はもうマジで潮時だと思う。作業が終わったとき、嬉しい気持ちよりもホッとした感じの方が強かった。こうなっちゃもうオシマイだろう。身体の芯から疲れた。飲むまい飲むまいと思っていたビールを飲んで寝る。

「日記系」
漫画サイト「ニュー漫画大学」でサイトの更新のことを「タイ焼き屋にいつも行っていたら店のオヤジに顔を覚えられてしまい、逆に間隔をおいて行くことができなくなって、ついにはそのタイ焼き屋の前を通ることさえ苦痛に」とたとえていて傑作だと思った。要するに「頻繁に更新しているときに覗いているヒトが増えるとそれなりにプレッシャーがあるが、それがやがてかえって重荷になってくる、しかも実生活にダイレクトに関係があるわけではない」という妙な状態を非常によく表しているということだ。
当サイトの日記は、メンドクサイときも必死に更新している。なぜかというとトップページで「随時更新」となっており、さらに2回クリックしないと更新されたかどうかがわからないからである。こんな駄文のために2回もクリックしてもらうのは申し訳ない。顔を覚えられたタイ焼き屋には嫌われたくないと思ったりする。

日記を見るために、わざわざ当サイトを訪れるヒトがいるとすれば、都合3回はクリックしなければならない。「2回以上クリックしなければならないものは見ない」という法則があるらしいので、それは困ったことである。ので、なるべく無駄足を踏まさせないようにそのようにしている。

この「随時更新」という「年中無休」とかかげておいて休んだり店を開けたりといった状態のいいかげんな表示は、単に日記の更新のたびにトップを更新するのがメンドクサイという理由による。日記系の場合、トップに日記を貼っている人も多いが、アレをやると過去テキストの整理のときにいちいちカット&ペーストをしなければならないのでメンドクサイ。さらに、日記ページのトップに最新の日記を貼る、というのも多いが、これも「diary0105.html」といった名前を保存の際、書き換えなければならないのでメンドクサイ。だから2年以上、現状でやっているというわけ。
しかし「メンドクサイ」からかえってよけいメンドクサイ状態になっているような気がするな。

また、どうでもいいと思っている人に見られて、苦情だの荒らしだのをされても困るという、気休め的防衛手段ともなっている。直リンク貼られたらオシマイだし、特定のキーワードで検索してくる人もいるんで本当に気休めなんだけどね。

ところで「先行者」で話題の日記系サイト「侍魂」だが、確かに面白いことは面白いのだが、1日に6万ヒットというのはヒットしすぎのように思える。私のお気に入り日記サイトでも1日、300〜400ヒットくらいで多い方なのではないか。私も計4人くらいの知り合いから「先行者」がらみで「侍魂」を紹介してもらったのだが、こんなことはどんな人気のテキスト系サイトでも今までありえなかったことだ。

リードミーとかぜんぜん見ていないし、私がインターネットを始めた2年前に比べると通信人口やその構成員も様変わりしていると思うので、私の知識ではこの現象は分析不可能だ。おそらく「先行者」のインパクトやサイトの面白さとは別に、この異常なヒット件数の多さはだれかが分析するだろうし、もうなされているかもしれない。

5月1日(火)

昨日の夜、かなり寒かったせいでもう風邪気味になった。舌の先がなんか痛いし。
最近、ちょっと寒暖の差が激しいとすぐ風邪気味になる。「最近、寒暖の差が激しいから気を付けよう」と思ってもダメ。100パーセント風邪気味に。

新宿の、あまりうまくないカレー屋があって、毎回食うたびにうまくないと思うのだが、ウィンドウに飾ってあったカツカレーがうまそうだったので頼んだ。これならば間違いないのではないかと。
……今まで食った中でいちばん不味かった。

同人誌をつくろうと思って文章を書いたらすごく疲れた。毎回「手を抜けるものを」と思うだのだが、書いているうちに異常に肩に力が入ってきて、しかもできるものは不満足だし、たいして売れないし、「こんなことやってて何か意味があるのだろうか」と作業している間中思う。しかし即売会に出て手ぶらというのもどうかと思うし。そんな思考の繰り返し。



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