つれづれなるマンガ感想文1月後半
日記2002トップに戻る
一気に下まで行きたい
2002年
1月31日(木)
電車の中で、CDウォークマンの音がうるさいと注意されてしまった。いつも音がうるさいうるさいと書いている私としては、非常にバツの悪い思いをした。
・「音楽誌が書かないJポップ批評 まるごとモーニング娘。」(2001、宝島
社)読了。
本書では、モー娘。の活動を第1期から第5期にわけ簡単に解説している。コレがとてもわかりやすい。ちなみに別冊宝島として出たのが昨年の5月らしいから、第5期が第二次メンバー(イシカワ、ヨシザワ、ツジ、カゴ)加入以降。ここには書かれていないが、「第6期」が第三次メンバー加入以降ということになるのだろう。
今年の1月5日の日記で漏らした「いろんなことに詳しい人が、アイドルにだけはテキトーなこと書いている」という不満も、本書で一気に解消された。グループアイドルの系譜として、おニャン子、チェキッ娘だけでなく「東京パフォーマンスドール」もあげられていたし、「第3期 後藤真希加入前夜」は、つんくの「平成のキャンディーズ志向」の体現ではないか(大意)という分析には感心したりした。それと、三田格の当惑というか、奥歯にモノのはさまった文章が微笑ましい(笑)。
さて、もうこの後の感想はワタクシの自分語りでしかないのだが、本書を読んで思ったのは第4期(後藤真希加入、市井紗耶香脱退)まで、そりゃ興味を持てなくても仕方ないなあという、なんか自分確認みたいなことだった。
もともと特定の番組出身の色物ユニットというのがそれほど好きでない私は、やまかつWink、ポケビ、ブラピなどと初期「モー娘。」は同様の存在でしかなかった。
さらに「ASAYAN」の方法論(次々に試練を与えるなど)についていけないこともあった(コレを読んでヒトが妙に思うか当然だと思うか知らんが、女の子が追いつめられて毎回泣いたりする系統の番組は、かわいそうすぎて耐えられないの)。
やっと自分が「入りこめそう」な感じがしたのが、日曜午前中の番組「ハローモーニング」が始まってから。
「日曜日の午前中」、正確には11時半という中途半端な時間にやっているというのもポイントだ。昔は日曜の午前中というと、楽しいバラエティ(「プロポーズ大作戦」とか)が必ずあったが、最近はどういうわけか田原総一郎その他、中年オヤジばかり出てくる。その中での一服の清涼剤です。
まあとにかく、「ハロモニ」の登場によって(「美少女教育」とかでもイイが)わたし的アイドル基準「芸はあってもなくてもいい」、「できあがった存在である」、「根拠のない価値が認められている」、「メジャー、もしくはメジャーと錯覚されている=日常化(←この最後が重要)」がこれでやっとめでたくクリヤされたわけです。
だから本書を読むと、初期からのファンは、確かに現状が面白くないんじゃないかと思う。
でも……初期からのファンのヒトには申し訳ないが、私はどうしても現在の方が好きなんだよなぁ。これはもうしょうがないというか。「え!? ○○ちゃんが大胆発言」とか言っといて「初キスは飼い犬と幼稚園のとき」とか、それはまあベタすぎるがそういう「根拠のないありがたみ」が私にとってのアイドルなんで。
1月30日(水)
映画・「修羅雪姫」
どっかでチラシをもらったとき「たぶんつまんねんだろうなあ」とため息が出た。いや、「女の子が日本刀振り回して悪人をぶったぎる」という映画に、毎回過剰に期待しすぎるのだ私が。
そんな中、伊藤英明の妹(ショックで口がきけなくなり、心を閉ざしている少女)に釈由美子がスープを食べさせるシーンで、顔は画面に映っていなかったが(おそらく役にまったくそぐわないからだろうが)、「おいしいから食べて見て、ネッ」という後ろ姿の演技のあまりのキュートさも隠し味だ。
よくわからんのが映画館でスタンプカードをくれること。4個たまったらなんかくれるらしい。本作を4回見に来いと言うことか……。
1月28日(月)
また桜が見られると思ってた。
松屋に寄って、カレーと豚汁を頼む。
最近、自分が発したコメントに対して相手がどんなイライラすることを言ってくるかシミュレーションしすぎて、自分がしゃべった瞬間に相手のイライラコメントが浮かぶようになり、果ては自分が心に思ったことに対しての他人のイライラコメントが思い浮かぶようになってしまった。
たとえば上記の豚汁の件なら「油ができて皮膜ができているためか湯気があまりたっておらず」と書いたが、そう思った根拠はどこにもない。単なる想像である。もしかしたら、油で被膜ができても湯気ってたつものなのかもしれない。
そういうキャラが、モヤモヤと脳内に形成されてしまう。
そいつの顔まで浮かんでくる。
「はあ……」とか曖昧な返事をしながらそのセンパイの説教を聞いている自分。そうしたら、そのセンパイがテーブルの上に無造作に置いていた左手に、背後から来ただれかがアイスピックを突き刺す。
その後、マサハルは左手に持っていた「イーカラ」を使って歌を歌い始める。何の歌がいいか。アムロナミエの歌とか。微妙に古い。
……病気である。
1月27日(日)
・コメットさん☆
うーん、ついに終わってしまったねえ。個人的には第34回 「星の絆」のエピソードとしての浮き具合が気になるし、「メモリーストーン」の扱いとかあんまりだと思うんだけど、「また桜が見られると思ってた。」という先週のコメットさんの独白や、迎えに来た「星のトレイン」のネコの車掌(カワイイ顔してるが、感情はないっぽい)が顔を伏せて最敬礼するシーンなど、あまりにグッと来る演出が「細かいことは、まあいいや」と思わせるアニメではある。
……でまあ現時点でなんとなく総評を書いてみたいんだけど、やはり後半、やや迷走した感はいなめないと思うんですよね。本編を見たかぎりでは、とても王子様の正体が早くから決まっていたとは思えないし、地球のみんな(たとえばケースケ、流木アートの青年とウェディングドレスのデザイナーなど)の人生に着地点がなかったのももったいないと思うし、星力と恋力との区別も曖昧だった。
たとえば、何度か書いてきたが「恋力」は「個人的な力」という「星力」と拮抗する存在としてもっと描けただろうなあとか。ケースケの挫折と成長も描けただろうなあとか。ケースケとコメットさんがラブラブになっていく過程ももっと踏み込めただろうなあとか。ミラとカロンの存在も、コメットさん成長に一役買えただろうなあとか。「輝きをなくした王子様」という設定ももっと掘り下げたらよかったのになあとか。
だから個人的には「コメットさん☆」って、自分の中でマルチエンディングというか(笑)、何回も味わって楽しめる作品だった。
そうした、発展しきれなかったエピソードがあると感じつつ「あるぞあるぞ」と言っておいて「なかった」といったガッカリ感が皆無なのは、王子様探しにまがりなりにも決着を付けたこと、メテオさん☆の成長がきっちり描かれていたこと(地球での親代わりの老夫婦との絆の再認識、イマシュンの気持ちが自分にはないことの認識、地球は仮の宿にすぎないことの認識、等々のエピソード)、アニメのお約束的なラバボーとラバピョンとの関係に、いちおう結末があったことなどが理由だろうか。
まあとにかく、本作の「よきご町内性」の描き方は見事だった。1年に満たなかったが、コメットさん☆とともに、この町を生きた感じがしたよ。うん。
コミティアの通知も届き、それを受け渡すため吉田等に連絡するも、「仕事が忙しくて来れるか来れないかわからない」と言う。
けっきょく、吉田等も来ず。
1月25日(金)
夏コミ申し込み。
晩飯に食った近所の中華屋のスブタが、不味かった!!
昨日、TVチャンピオンで「食べ放題選手権」みたいのをやっていた。あ、「食べ放題」しまくる(大食い)んじゃなくて、「食べ放題」に詳しい人の大会ね。そこで、「ホテルメトロポリタンのケーキ食べ放題は15年の歴史を持つ、食べ放題の草分け的存在」と言っていた。
以前から気になっていたNHK教育の人形劇「ぼうけんメカラッパ号」が新春4時間まとめて再放送していて、それを録画していたヤツをやっと少し見る。
その「メカラッパ号」を「中途半端だな〜」と思いながら、見たところまで「タモリ倶楽部」を録画したら、「あしたまにあーな」とかどうでもいいものまで一緒に録画してしまい、見ていない部分まで消してしまった。メ〜カラッパ号、すすめ〜(←ものすごく嬉しそうな感じで歌うのがコツ)。
1月24日(木)
こんなにどうでもいい文章ばかり書いてていいのだろうか。と思いつつ、1月後半。
ちなみに1月の日記後半の副題である「呑邪鬼」とは、本宮ひろ志の三国志を題材としたマンガ「天地を喰らう」のいちばん最初に出てきた鬼で、こいつの肝を喰らうとどんなことにも動じない男になれるという。
ネットウロウロしていて、昨年のマンガベストテンを発表しているサイトを見る。取り上げられている作品の大半を知らないのでヘコむ。
まあ、知ってたとしても結局シュミに合わなかったりするんだが。
(田口トモロヲのナレーション)
「今年の年末年始は何にもしないでゴロゴロしようかと思って」
しかし、そんな休息をとることが許されなかった頃の日本で、徹底的になまけきった男たちが、いた。
これは、日本で最初になまけた人々の物語である。
(中島みゆきの主題歌)風の中のす〜ばる〜(以下略)
タイトル「寝転がってピーナッツでもかじれ 〜なまけを正当化した男たち〜」
国井雅比古アナウンサーが、スタジオで布団にくるまってテレビを見ている。
昭和三十年代、日本は高度成長の機運にわいていた。
スタジオ。
膳場「物語は、田中さんに仲間ができるところから変わり始めます」
二郎の行きつけの居酒屋に、いかにもなまけ者そうな常連客が、いた。
スタジオ。
膳場「物語は、大きく動き始めます」
二郎と一雄が、近所のムカツクOLを落とそうと落とし穴を掘っていると、何やら油臭い何かが出た。
こうして二人は大金持ちになった。
スタジオ。
涙ぐむ田中と鈴木の顔のアップ。
膳場「それでは、田中さんと鈴木さんのその後はどうなったのでしょうか」
(エンディングテーマが流れる)
田中さんは言う。「やっぱり働いた方がいいよ」
旅は〜まだ〜終わらない〜。
(次回予告)
ちなみに聞いていたのはMIX-UPの田中フミヤ(懐かしい)。数年前、やはり田中フミヤのDJミックスを聞いていて電車の中で注意されたことがある。よほど周囲が気になる音なのか? まあそんな気もするな。
宝島社文庫。一気に読んでしまった。昨年の4月26日で「モー娘。」という団体に対する警戒感を表明したつもりであったが、最近ではそうした自己防衛も怠りがちなワタクシ(理由は詳述。別に聞きたくもないだろうが)。
複数のライターが各時期やメンバーについて分担執筆しているが、それぞれの時期、人物に対する思い入れが見え隠れして面白い。やはり「自分にとって本当に盛り上がったのは○○まで」というのは、いろんなことに存在するものだから。
さらに「アイドル好きのするカワイイ子」がナッチしかいなかった事実、「ナッチがエース」とか言われても、そりゃ当然だろうと思ってたし。市井紗耶香の魅力に気づくには「ASAYAN」を続けて見る必要があっただろうし、代わりに入ってきたのが、今思えばアイドル視点的にはきわめてミュータント的なゴトウマキだというのだから、そりゃなじもうったってなじめません。
モー娘。およびハロプロメンバーが他愛ないゲームをする番組だが、コレでやっと「コチラ側」に来た来た来たっ、と思ったものだった。「ハロモニ」では何の試練も存在しないし、ゲームの罰ゲームといったって頭上の風船が割れるとかオモチャのゴキブリを投げつけられるとかそんな程度。少なくともここで失敗しても脱退の直接原因にはならんだろう。そんな安心感が横溢しているように思う。
「日常化」というのが、個人的にはアイドルの条件なんで……。ほら、おれらの世代だと同級生の女の子が透明の下敷きに雑誌の切り抜きを入れてたり、学生カバンに「三原順子」っていうステッカー貼ってたり。そういうたぐいの日常化。
そしてそうした状態が「メンバー間のしのぎ合い」を見えにくくして私も入りやすくなり、「警戒心」も少しずつ解けていったワケだ。
ASAYANに出なくなったということは、「次週どうなる!?」という緊迫感がなくなるということだし、「海のものとも山のものともつかない団体」が徐々にかたちをとっていくというダイナミズムも失われたからだ。
音楽性という観点からも、しっとりしたものは少なくなり、「LOVEマシーン」みたいなバンザイワッショイ路線になってるし。音楽のことはよくわからんが、脱退したフクダやイシグロが楽曲に幅を持たせていたらしいがこの二人も今はいないし。周知のとおり、元リーダー・ナカザワもすでに脱退している。
監督:佐藤信介、脚本:佐藤信介、国井桂
アクション監督:ドニー・イェン、特技監督:樋口真嗣
しかし、「意外にイイ」という評判を聞いて見る。ホントにイイ! とにかくアク
ションがすごい。青竜刀のように振り回す日本刀、剣技に足技をミックス、ワイ
ヤーアクションと、Vシネのヘロヘロな女の子アクションに絶望していた身としては新鮮。いい意味で裏切られた。
とくに寝そべった状態から敵の刀を持った腕を両脚で掴んでひねり、そのままの状態で敵を殺すという技のあざやかさはウットリもの。
ストーリーも、くどくなくあっさりすぎずアクションを引き立てていたし、主演の釈由美子も「小さい頃から暗殺術を仕込まれてきた、笑ったことがない少女」という設定上、セリフが少ないからか戦士としての孤独をよく表していた。
(どうでもイイが、「コワモテの役なのにカワイイ仕草が出てしまう」美少女タレントはオイシイが、その逆に「思いのほか板に付いたタンカ」に「ふだんもこうなんじゃねえか?」と視聴者がヒクこともあるので注意。)
それと、今日(毎週水曜日)、テアトル新宿って入場料1000円なんだね。前売り買ってソンした。
今日、火曜日だと思ってた。
「早く休みにならねえかなあ」という私の願望であろう。
ところが、もともとすべての品がみそ汁付きのため、一緒に頼むには「豚汁交換券」とかいうものを買わなければならない。おまけにカレーを頼もうと思ってカレーセットのチケットを自販機で買ってしまった。
要するに、「カレーセット」と「豚汁」のチケットを両方取り替えてもらわなければならないということ。
中途半端な時間なためか、やけに待たせる。
やっと来たと思って、湯気のたっていない豚汁をガブリと飲んだら、異常に熱い。
油で被膜ができているためか湯気があまりたっておらず、器を手にとっても熱さを感じないのでさまさずに飲んでしまったのだ。火傷を負った。
その後も舌が痛くてイライラ。
なんだこれ。超能力? 超能力とは言わないまでも、特殊能力? 山手線の駅名をぜんぶ言えるガキみたいな? 山手線の駅名をぜんぶ言えるガキには絶対なりたくない?(三代目魚武?)
病気である。
もし、おれが間違ったことを言ったと知ったら、非難する人間が出てくるだろう。
「調理師免許を持っていて、若い頃いろいろヤンチャもしましたけど今はマジメにやってます」みたいなやつ。会社のセンパイ。そいつに、こんこんと説明される(……シーンが瞬時に頭に浮かぶ)。
場所は、会社の休憩所的な、自販機が2、3台ある灰皿とかがあるスペースね。
その後、火傷のネタを面白おかしく話したつもりが、私の不注意に対する批判になる。そして、さらに「自炊しないことへの説教」へとつながっていく。それと、なんで独身なんだとかホモじゃないかとかいろいろ言われる。
と、咄嗟に想像してしまう。
やっぱり病気だ。
たぶん春一番(猪木のモノマネをやたらやる人)の性格がねじまがっちゃったような顔をしている。上は作業着、下はズボン。左手には分不相応なほど高価な腕時計。作業着の胸ポケットには、不自然に5、6本ものそれぞれ種類の違ったボールペンをさしている。
「○▲×!○×!○▲×!?」
と、藤子不二雄のマンガのように絶叫するセンパイ。彼の背後に突っ立っているのは、アイツだ、元チェッカーズのマサハルみたいな髪型だから『マサハル』ってあだ名だったやつ。女子社員からヒソカに「抱かれたくない男ナンバーワン」に選ばれていたやつ。
雑談の中で「それじゃマサハルじゃん」と、最低の形容に使われていたやつ(もはや「マサハル」の意味も社内では変貌していた)。
で、なんか裏声みたいになっちゃってんのね。女の歌を男がムリヤリ歌うわけだから。
うずくまっているセンパイと、アムロナミエを歌う「マサハル」と、おれとがいた空間が30秒くらい形成される。
その後、コーヒー買いに来た社員の一人目は驚くべきことに見て見ぬふりをし、二人目にやってきた女子社員(この間「ビューティコロシアム」で、「彼氏にブスと言われて引きこもりになった人」として出演していた女にちょっと似てる)が小さい悲鳴をあげてどこやらへすっとんでいく。
・第43話(最終回)「瞳に映る輝き」
コメットさん☆も、結局星国に帰ることにした。メテオさんともども、みんなに別れを告げるコメットさん。
「星のトレイン」に乗って旅立つと、タンバリン星国で重大発表があるとのこと。お妃選びの結果がどうやら出るらしい。コメットさんとメテオさん、果たしてどちらが選ばれるのか。
ラストのラストはお約束で、「魔女っ娘メグちゃん」に近い終わり方となった。これはこれでいいと思う。ケースケがいったいどこに出てくるのかが非常に不安だったが、サラリとしててこれもまたよし。
しかし、明らかに私のひいき目だが、それらが伏線の処理のマズさとか演出のつじつまの合わなさでありつつ、個人的には本作の「まっとうな」面白さとは別の面白さを感じさせてくれたことも事実。
「もしかしてすごいアニメになるのでは」という想像をめぐらすことができた。
第34回 「星の絆」で、なぜタンバリン星国の人間がラバボーをむりやり送り返そうとしたのかがまるでわからないが、もしかしてタンバリン星国のお家騒動を描こうと思って中断してしまったのだろうか? とか。それともおれの見た幻だったのか? あるいはカン違い?
こういう「作者、どうするんだろう」っていうハラハラ感は、アニメでは今までそれほど感じたことはないんだが、そういった意味も含めて毎週楽しみにしていた作品ではあった。
「お約束を突き崩しておいて、その後の展開に悩んでいるような感じ」は、週刊マンガの連載に近い印象であった。
・「涅槃の王」巻ノ弐 神獣変化・霊水(アムリタ)編 夢枕獏(1992、祥伝社)
このため、待ち合わせ場所は吉田等の留守電に連絡し、いちおうチケットを持って力学(ちから・まなぶ)と会う。とくに何もナシ。
15年!! 新入生のときに食いにいって、もう15年も経っちまった!! 10年と15年、この差はデカい。若ぶるのも年寄りぶるのもキライだが、この15年の埋め合わせはできない。「私の人生を変えた瞬間」とかよく言うが、むしろ決断しない部分が、後から考えると重要な分岐点になっていたりする。
そうしたら、「何とも言えない中途半端な作品」であることがわかった。う〜ん。
これって、不老不死やいくらでも金が出てくる財布などより、よほど便利なんじゃないかと当時真剣に感心したのだが、マンガとしての人気は今一歩だったらしい。
そもそも、劉備玄徳というキャラクターそのものが現代的なダイナミズムに欠け、マンガに向いているようで向いていないようだ。小悪党のように描くとイマ風のリアリズムは増すが、主人公とは言いがたくなるしなあ。
(かすれ声で)「エーッックス……」
昨年末から年始にかけての海外旅行者の数は、○○人。
(空港での旅行者)「今回はリゾート地でのんびりしてきます」、「海外といっても、向こうでは何もしないんですよ」
レンタルビデオ店は、寝正月をしようという人たちで、にぎわった。
今では、人々はのんびりするときはして、明日への糧としている。
(古い白黒の写真が次々と現れる、縦横に流れる文字列)
昭和三十年代
高度成長期
モーレツ社員
働き蜂
なぜなまけるのか
周囲の反発
「穀潰し」と言われた
油田が掘り出された
一発逆転
大金持ちでもまだなまけた
そんな我らの
だらけ人生
膳場貴子アナ「どうしたんですか〜、そんなになまけちゃって。うらやましいですね」
国井雅比古「うらやましいでしょう。寝転がって手を伸ばしても、ビデオのリモコンやお菓子などはすべて届くようにしてあるんですよ、あ、宅配ピザが届いた」
(ピザを食べる、国井アナと膳場アナ)
膳場「おいしいですね、モグモグ」
国井「世の中に 寝るほど楽はなかりけり 浮き世の馬鹿は起きて働く、ってね(笑)」
「でも、そんな行為が罪悪とされていた時代があったんですよ」
膳場、カメラ目線で、「物語は昭和三十年代、高度成長期から始まります」
だれもががむしゃらに働く時代だった。
そんな中、なまけている男がいた。
田中二郎。生まれながらの、なまけものだった。
二郎は東京に生まれた。
貧しかったが、子供の頃から一日中寝ていた。
家に初めて来たテレビのチャンネルは、手を使うのがめんどうで、足で変えた。
そんな二郎は、父親に怒鳴られた。
「なぜテキパキ動こうとしない。なまけるな。」
二郎は反発したが、言い返せなかった。
膳場「今日はスタジオに、日本で戦後初めてなまけた男、田中二郎さんにおいでいただきました。どうぞ」
田中、席に着く。
国井「当時、なまけていたら相当怒られたんじゃないですか」
田中「やっぱり人間、働かないと怒られますから。収入もないし」
鈴木一雄。町内で有名な、なまけ者だった。
二人は意気投合し、二人でなまけることに決めた。
「二人とも怠け者なんだから、どっちがほんとのなまけ者かくらべっこしよう」
田中は言った。
「よせよ、めんどくさい」
一雄は、そう言い返した。
膳場「今日はスタジオに、田中二郎さんの友人である、鈴木一雄さんにおいでいただいています」
鈴木、席に着く。
国井「どうしてそんなになまけるんですか」
鈴木「そこに『なまけ』があるから、ですかねえ」
石油だった。
国井「どうでしたか、田中さん、石油を掘り当てたときは」
田中「これで、バカにしたやつらを見返せるって……」
鈴木「まあ、バカにされたのは自業自得なんですけどね」
田中さんは、掘り当てた石油を活かすことができず、3年後に破産。親戚の家にやっかいになり、ご飯も三度三度、三杯ずつ食べている。
鈴木さんも、掘り当てた石油を活かすことができず、やむなく就職。しかし、このほどその会社もリストラされた。現在は、おかゆを食ってじっとしている。
わたくし、国井雅比古は東大卒。膳場貴子アナも東大卒です。東大卒はツブシがききます。慶応? 何を言ってるんですか。やっぱり大学と言ったら東大です。ちなみにクボジュンは慶応です。
しかし、そんな我々をねたむお調子者たちがいました。
次回「チューハイ1杯で3時間愚痴 〜高学歴をねたんだ男たち〜」に、ご期待ください。