美少女がツイスター・ゲームをやってるさまを覗く秘密クラブ

つれづれなるマンガ感想文5月後半
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一気に下まで行きたい

2000年

5月30日(火)

歌手で作曲家の井上大輔氏が亡くなってしまった。首吊り自殺だという。
実は今回初めてこの人がブルーコメッツのメンバーだったことを知ったのだった。
そもそも「ブルーシャトー」が私が生まれた年のヒット曲らしいので、まあムリないです。

ソロになってから「フィンガー5」、郷ひろみの「二億四千万の瞳」、シブがき隊の「ナイナイ16」、シャネルズの「ランナウェイ」、「め組の人」、ガンダムの「哀・戦士」、あとコークのCFソングなどを作曲したことが有名だそうで、それらは73年から86年までに生み出されている(以上ワイドショー情報)。

あと「マッハバロン」もそうだってね。悪の天才がときに野心を抱いた曲。

67年から73年までの6年間どうしてたのかワイドショーでは言っていなかったけれど、この間もコンスタントにヒットを飛ばし続けていたとしたら、激動? の60年代後半から80年代中期まで第一線であり続けたということで、なかなかにスゴイものがある。

歌謡曲マニアの間ではどうかはしらんが、少なくともお茶の間レベルでは、70年代後半から80年代中期にかけて、都倉俊一や阿久悠、筒見京平、松本隆、秋元康などに比べて井上大輔氏はリアルタイムでの「ヒットメーカー」というイメージは少なかったように思える。だけれども、現在つくった曲を聞いてみると知っているもの、口ずさんだことのあるものばかりだ。

私にはこの人の音楽的ルーツを云々するほどの知識は皆無だが、以前ラジオで石野卓球が「フィンガー5」をボロクソにけなしていたことがあって、細川ふみえに曲を提供したり篠原ともえのプロデュースをしたように、卓球ってわりとポップスとマイナーな音楽との接点を気にするような人というイメージがあったので驚いた記憶がある。

今から考えてみると井上大輔の曲は、いわば「ロックの人が(フォークの人が)歌謡曲をつくりました」風ではないし、楽曲全体にも過剰さがない。だがフィンガー5もそうだし郷ひろみの「ジャパ〜ン!!」もそうだし、「め組の人」の「目ーっ!!」もそうだし、きっちりキャッチーなメロディが入っていて、珍妙な歌詞やにぎやかな編曲とあいまってどこかに猥雑さを残している。こうした「ソツのなさ」、「お行儀のよさ」に(卓球氏が)我慢ならなかったのではないかと勝手に深読みすることもできる。

私個人は井上大輔氏の、こういうある意味での「洗練」さは好きでした。合掌。

5月29日(月)

たとえるなら「ウイングマン」で異次元人をやっと倒したと思ったら宇宙人が攻めてきたみたいなもんで、自宅の近くの工事が終わりに近づくと同時に、今度は「店」の方で隣が部屋の改装を始めた。
「フ……家に比べれば一室の改装など、恐るるに足らんわ!!」などと「北斗の拳」風にあなどっていたところ、これもまた異常なまでにうるさいのだった。

人生でいちばんバカな時は中学時代だ!!
大槻ケンヂの「わたくしだから」というエッセイ集を読んでいたら、自分の中学時代の卒業文集を引っぱり出してきて論評を加えるということをやっていた。

さまざまな卒業作文を「場ちがい系」、「ポエム系」、「アジリ系」などに分けているのだが、いや笑った笑った。確かに、ホントにそうだもんな。

中学か、小学校かは意見が分かれるだろうが、「なぜこの場でハジける!?」というときにハジけてしまうのがそれらを含めた子供というものだ。しかし高校を卒業する頃には、そんな自分を隠すようになる。
高校生活においては、文化祭をバカにしきっているようなヤツがすでにライブハウスでバンド活動をしていたり、漫画研究部に所属していないヤツがすでに商業誌でプロデビューしていた、なんてよくあることだ。自分の活動の場をすでに見つけているヤツもいるし、見つけられないヤツは巧妙に隠すことを覚えるのだ。

しかし小学校、中学校ではTPOをわきまえずにハジけてしまう。これは、ハッキリ言ってエロ心、色気がないからだと思う。あったとしても非常にピュアだったりする。エロ心は他人を気にしなければならないもっとも強力な理由なのだ。逆に言えばいかに中学生といえど、エロ心に目覚めてしまえばそれはまた別の生き物なのである。

エロ心はすべての座標軸となるため、モテるやつは勝手にもてりゃあいいが、モテないヤツにとってはそれが自分の中のすべてを矮小化する基準となる。「モテたいから」と活動的になるヤツもいるが、それはもう小学生や中学生のハジケ方とは違ったものだ。
もうキミは大人になっちまったんだよ!!

そんな中、チーマーと目線を合わせないようにトボトボと歩いていたところ、沖田艦長が私の目の前に立って言った。
「高校の『中学的な部分』を探せばいいじゃないか……」
ハッとひらめいた私の心は、すでに前の職場の前にあった私立S高校に飛んでいた。

私が以前勤めていた会社は、都内の某所にあった。オフィスビルと地上げを断固拒否した人々が住む住宅と、私立男子高校が居並ぶという発狂しそうに殺風景なところだった。その「私立男子高校」がS高校。
ここでは毎年文化祭をやっていたが、通常の入り口に自作の回転扉を取り付けるなどの「中学的行動」に出た者がいた。そして各クラスの出し物がポスターとして戸外に張り出されてあったのだが、目についたものと言えば、以下のようなものがあった。

・「喫茶&お化け屋敷」
どういう構成になっているのかわからないが、オーソドックスなものがミックスされ不気味な印象を受けた。ちなみに友人の高校では「女の子に触りたいから」という理由でお化けのフリして痴漢してたヤツがいたらしいぞ!! みんな気を付けよう。

・「暗闇卓球」
蛍光塗料を塗ったピンポン球を使った、暗闇でやる卓球らしい。斬新な中学的発想である。評価に値する。

・「峰やしき」
なんだかサッパリわからない。おそらく担任の教師かクラスの人気者かいじめられっ子の名前を冠したものか。斬新な中学的発想である。評価に値する。

そんな私の「心の旅」(しかも吉田栄作が歌う)はもう終わり。

さくらももこが確か「人生でもっとも醜い人種」として「中学男」という造語をつくっていた。それは当たっているが、色気づいたヤツとそうでないヤツを混同したニュアンスであろう。色気のないヤツに恐いものなんかないし、ピュアすぎて醜さもないのである。
ちなみに中学時代の私の友人の一人は「好きな本は?」と聞かれ「キン肉マン」と答えていたし、もう一人の友人は読書感想文の題材が「それゆけずっこけ三人組」だった……(当時中二)。

5月28日(日)

休みなので家の前の工事はやっていない。家全体の施行は終わり、庭というか家屋の周囲に土を運んだりしているらしい。
本来ならゆっくりできるはずだったが、まあいろいろあってまた飲みに行ったりなんかした。
んで、飲み屋でクダラナイことをいろいろ言ったりした。

ぶっとびマンガ探索の旅
「ぶっとんだマンガ」を探索して、10年くらい経つ(そのわりにはかなり中途半端な発見しかしていないのだが)。大雑把にカテゴライズした「ぶっとびマンガ」については、すでにめちゃめちゃ詳しい人がプロで何人もいるので、私がやっていることは後追いというか追認実験みたいなもんである。
それでもやっているのは、ささやかながら「オレぶっとび」の基準がある、ということなのだろう。

さて、ここで「ぶっとびとは?」を再度問い直してみたい。
なぜなら、あまりにも「ぶっとび的マンガ」と「そうでないマンガ」評価のミゾができるのは私の望むところではないので、オルグの意味があるのと、感覚だけでセレクトしてきたことに対する文章化が自分にとって意味があるからだ。

ただ単に「ぶっとんだマンガ」を探し続けてきたが、「ぶっとんだマンガ」にも2種類ある。
ほぼ完全に客観的にならないと評価のしようがないものと、そうでないものだ。
「ほぼ完全に……」とは口幅ったい言い方だが、いわゆるVOW物件的なモノ、何かの拍子にできてしまったトマソン的な作品のことだ。
例をあげることはここではしないが、作家の熱の入りすぎ、あるいはやっつけ、安易な企画モノ、といった状況から生み出されることが多い。
こういうものは探して見つかるモノではないし、見つかればかなりの衝撃を我々にもたらす。

もう一方は、一般的なマンガと同じく作品評価が可能なモノである。
読者側の視点が変わったことでの再評価作品などがこれにあたる。ふくしま政美などはその最たる例であろうと思う。

実は両者には厳密な区分はない。「ぶっとび探索」を私は必ずしもバッドテイストな趣味であるとは思っていない理由はここにある。そこには機微があるのだ。

「ぶっとび」探索には以下の問題が潜んでいる。
・リアリティの問題
・読者の「視点」の問題

「リアリティ」の問題はここのところ個人的にずっと考え続けてきたことだ。
これはマンガではないがガンダムを例にとると、「設定がリアルかどうか」といった議論になりがちだ。ガンダムはそれまでの巨大ロボットアニメの「らしさ」と違う部分が多くあったため、いわゆる「リアルロボット」の先駆けであると言われているが、現在では同作の「いかにもアニメアニメした部分」にも注目が集まっている。
「ぶっとびマンガ」を考える際、こうした「荒唐無稽→リアル」の変化を見過ごしにすることはできない。
「リアル」の捉え方をはき違えた場合、それは作品を窮屈にするだけで終わってしまう。また「荒唐無稽」をはき違えた場合は、よくも悪くも時代からズレた作品を生み出すことになる。その狭間に、「ぶっとびマンガ」が生まれるのだ。
「ぶっとびマンガ」は、マンガにおいて「リアルとは何か」を問い直すものなのだ。

読者の「視点」の問題はいわずもがなという気がするが、説明を加えておくと、視点が変わることによって対象物がまったく変化してしまうということだ。
そこで「ぶっとびマンガ」が誕生することもあるし、逆に消滅することもありうる。
時代性とマンガを関連づけた論考は少なくないが、同じ作品が時代の変化によってどのように評価が変わるか、はあまり言及されたことがなかったはずだ。「今見ると、すごくヘン」というのはよくあることとして、雑誌掲載時や単行本になったとき、あるいはどこでどんな風に読まれたかでも感じ方は違ってくるはず。
「ぶっとびマンガ」は、その存在そのものが、名作とされているマンガも必ずしも評価は一定ではなく、時代時代で微妙に、あるいは劇的に評価が変わることを裏側から立証しているとも言えるのだ。

さて、「作家の気持ち」という点から考えてみる。
「ぶっとび的評価」が、「どんな評価でもありがたい」と思うか、「意図せざる部分を意地悪く見られ不愉快」と思うかは、私は作家ではないからわからない。
しかし、以前「新田さんはこれ以上絵がうまくならない方がいいのでは?」と言われたりしたこともあり、これは当然「絵がウマイから」の意ではない。「既存のマンガコードに乗っ取ったらヘタだ」と言われたのと同じことで、ある種のアドバイスなので不愉快ではなかったが足下がなくなるような不安感に襲われたことも事実であった。
アマ坊の私がコレなのだから、デリケートなプロ作家さんならさぞかし不愉快なこともあるかもしれない。
しかし、とも思う。やはりそうした「ぶっとび的評価」はどうしても必要だ。

読者側からすれば、「自由な見方」をすることはすごく大切であるし、評論という面から見ればそこから新しいものが生まれてくる、という確信めいたものが自分にあるからである。

5月27日(土)

右半身の恐怖
最近、右半身のケガ・病気が多い。右手を窓ガラスに突っ込んだことから始まり、朝起きたら右目に異物感があるので焦りまくったり、右側の親不知が急に痛み出したり、仕事中右手のひらに突然トゲが刺さったり、右足首を激しく捻挫したり。
口内炎も右側にできた。
現在も右の口ン中が原因不明の痛み。
これで乙女ちっくなオカルト大好きっコなら、どこかに「因果」を見つけてどうにかするのであろうが、どうにも思い当たるところがない。人形の右半身をひきちぎったりとかな。そんなことしないし。人形持ってないし。

あ、だけどこうして病気についておもしろおかしく書くと、だいたいシャレにならないくらい悪化するというジンクスが私にはある。ジンクスと言えば、マンガを拾うと災いが起こるというジンクスも持っている。そんな私は迷信に振り回されているのであろうか。この月ロケットが飛ぶ時代に!? なんてふざけるのもむなしい。

やはりダークにさせられるのはピーコ(おすぎだったか?)が目のガンだったことと、池田貴族がガンで死んだことだろう。二人ともそれほどシリアスな雰囲気をウリにはしていなかったと思うが、コトが病気になったらシリアスにならざるをえなくなった。キャラクターが変わっちゃったのだ。まあガンになろうが何だろうがそのままキャラを貫いた人、貫けなくなりそうなので早めにリタイアしてしまった人などはたくさんいるが、キャラが変わっちゃうというのはそれがあまりに人生の真実っぽいので見ててうろたえるのである。

十数年前、ビートたけしが「母親が死んだときどうするか」というような話題が出たときに、自分のキャラクターを考えたうえで「どうしたらいいんだろうね。死体持って走り回るわけにもいかないしね」と言ってたことがあったが、最近彼の母親が亡くなったときの号泣は、キャラ的に「泣き」の部分を増やしていったからこそ許されたのであって、たとえば現在のタモリが何らかの不幸に対し号泣したりしたらそうとうのイメージダウンになるのではないかと思われる。

……というわけでふだん強がりをいって有事のときにうろたえたりそれ以後キャラが変わっちゃうのはイヤなので、私は常日頃泣き言ばっかり言って暮らしているわけです。でもふだん泣き言ばっかり言っている人間というのは、いざとなったらもっとイヤなキャラの変わり方をするだけだと思います。

それが私。それを思ってまた号泣……。

5月26日(金)

音日記2
どんな工事もいつかは終わる。花は咲いたら散る。走ったら止まる。そしてまた走る。
自宅の前の家の「工事」も終わりに近づいてきたらしい。正直、これほど騒音に悩まされたことはかつてない。深夜までやってる100円ショップ建設反対の住民運動をテレビで見たことはあるが、当然夜はやらずいつかは終わる「工事」に比べて、半永久的に続く騒音には確かに人間ヒステリックになるだろうと思ってしまいました。

そんな余裕カマしてしみじみしていたところ、今度は「店」の隣のビルで改装を始めたのだ!
ドリルの音がすさまじい。もうすんごいうるさい。信じられん。

最近あまりにも騒音がうるさいので、「どこでどんな工事をやっているか」を見るようになってしまった。
世間一般の景気のことなんて知ったこっちゃないが(自分と関係なければ意味ないのだ)、こと家の新築や改装にかけては、うちの界隈に限っては増えていると思う。
増えているから何だっていうと何も言えん。ただそれだけ。雨が降ったら天気が悪い。砂糖は甘い、塩はしょっぱい。

5月25日(木)

音日記
先日ウチの向かいの「家」の周りに立てられた「棒みたいなやつ」(なんというのか? 大工さんが登って作業するための「棒」)が取り払われたので、「少しは『音』が減るか」と思っていたが、当然世の中そんなに甘くない。何かをチェーンソーで切る音、これはまあガマンできなくもないけれど、巨大なノズルで何かを吸い込む音、これが夕方近くになってから続き、私を悩ませた。

ほんっとうにうるさい。発狂寸前。休みの日、朝起きると「ああ、今日もまた『音』がするのか……」と思うし、ちょっとでかけて帰るときにまだ午後六時前だったりすると「ああ、まだ『音』がするんだな……」とか思う。

大工グループ以外にも、なぜか最近ウチの周辺で大工仕事をする人々が多く、以前話した「水墨画教室の文系青年」をはじめ、「ビン倉庫」、「近所の小児科の前にトラックを止めてパイプをノコギリで斬る男たち」など、うるさいったらありゃしない。うるせー。

こうなると「坊主憎けりゃ」というか何というか、大工さんが携帯電話で話している声などもムカついてくる。
もちろん仕事だっていうのはわかってるんですよ、えーえー。

でもなんか男が携帯で仕事の話してる、っていう図自体がムカつくんだよな。話はそれるけどな。
「コイツ、忙しぶりやがって」とか思う。ウチの店の前に立ち止まって封筒かかえたサラリーマンが大声で話しているのとか、商売のジャマだからやめてください。
あと早朝コンビニに行ったら、コンビニ前で二人の若いサラリーマンが立ちながらパンを食べ牛乳を飲んでいたが、どういう状況か知らないがハタから見れば「忙しぶっている」と思ってしまう。だってすぐそばにドトールとかあんだもの。そこ行ってホットドッグくらい食えや。5分ですむんだから。

携帯の話か。

妙齢の女性なら携帯電話をかけていても腹が立たないかというと、そうでもない。
「携帯使うほど金持っていやがって」とか(私は持ってないので)、「彼氏とラブラブデートかこのブス山さんが!!」とか思ったりする。この間なんか、自転車に乗りながら携帯電話かけてたバカ女がいて、駅のホームで化粧する女は見慣れたが、それによって私が直接的な迷惑をこうむることはない。しかし自転車でヨロヨロしながら携帯電話かけられて、ぶつけられでもしたら死ぬのはおれです。なんとかしてください。

それともうひとつ、「作業をしている4、5人の大工さんが全員妙齢の美女だったらうるさくても腹が立たないか」とも妄想してみたが、女性がたくさん群れ集うとかなりキャッピーキャピキャピとうるさいし、楽しそうに仕事されてもムカつくし、チャーリーズエンジェルみたいのに(なぜ白人?)陰々滅々と仕事をされてもうっとうしいものがある。

結論は、とにかく早くオラの村から出ていってくれ! とでもいうことだろうか。

5月24日(水)

パラパラ
昨日テレビで目撃した「パラパラ界のカリスマ」について調べようとインターネットで検索してみたが、膨大な「パラパラマンガ」のサイトにはばまれてよくわからなかった。「『マンガ』のキーワードを含まない」で検索しても全然減らないんだよ。
なんとかしろよ。

けっきょくわからなかった(っていうか5分で飽きた)んだけど、パラパラファンのサイトっておもしろい。
まあはっきり言って、パラパラって私の周辺では多少ダンスミュージック好きだって人からもメチャメチャバカにされてんですよね(ちなみに、「携帯なのに〜1分10円〜」というCMで何百人ものガングロ女が踊っている踊りのことです)。
私も「興味本位」以上のものはないんだけど、HPつくっている人々もそのサベツされ具合ってのは自覚しているらしくて、その辺の微妙な苦悩や開き直りが微笑ましい。現在、第3次パラパラブームだそうで、「ブーム」ということはすなわち人気の浮き沈みがある、っていうことで。

純粋に文化の違いって意味でも面白い。「パラパラのDJは曲をつなぐという概念がない」と聞いたことがあるし、パラパラファンの日記とか読んでたら、けっこう大きなクラブイベントに行って「いつユーロビートか、パラパラが踊れそうなテクノがかかるか?」とか気にしてウロウロしたりとか、「クラブっぽいノリ」にヒいてたりとか。

私とまったく逆の反応なんで(ユーロビートかかったら逆にヒく。クラブ系でもチーマーが溜まりそうな感じにはヒくけど)。

「自分が収集したCD」ってのも、「スーパーユーロビート Vol.なんとか」のシリーズを何十枚も揃えてたり。ダンス系テクノファンには、そのテのって異常に嫌われてるというか無視されてるし、中古CDショップのワゴンセールでも何百円っていう世界だから、それを慈しんでいる人がいる、というのは世界は広いなあ、って思う(……っていうかセールス的にはそっちが主流か)。

もう4、5年前になるのか、渋谷のCD屋でクラフトワークのイベントがあって行ったら(レア映像やカヴァー曲を流すナイスなイベント)、司会の人が「クラフトワークが好きだ、ということを80年代の後半に告白することは勇気がいった。今、ジュリアナでかかる曲が好きなのと同じくらい勇気がいったものだ」って言ってた。
私自身はCD買い始めたのが社会人になってからなのでそういう当時のことは知らなかったけど。
現在のユーロビートがまさしくそんな感じじゃない? だからそういうののファンの人にはがんばってほしいね。たとえブームが去っても。

逆に「パラパラがあたりまえ」な世界も私には困るんだけどね。

ちなみに私はユーロビートは好きなほう。さすがに「Vol.いくつ」を集める気はしないが、ベイブとかウインクとか好きだったし。
MAXは別に好きでも嫌いでもない。
アレがユーロかどうかも知らない。

5月23日(火)

「あかるくたのしく元気」という意味か
「あかたのげん」という番組を発見。
テレビ東京の、火曜日午後3時からの30分番組らしい。

放送時間からいって当然主婦向け情報番組だと思っていたら、
司会は柳沢慎吾島崎和歌子。柳沢慎吾が午後3時からすごいテンションだ!
あとレポーターの女の子2人、男の子1人。
そして「ゆめっこ」という偽ワンギャルみたいな女の子十数名が後ろに座っている。ゆめっこ……。
そして謎のおばあさん。

「コーヒーにミルクで絵や文字を描く」という名人が登場。これはまだわかる。
それと、メイク教室。これもわかる。

しかし、「松田聖子のソックリさん」(「神田聖子」という人)がとある会社の新入社員歓迎会に乱入、歌を歌いまくるという企画はなんなんだ???

そしてその後に出てきたのは「パラパラ界のカリスマ」とかいうガングロの女の子3人組。
そしてパラパラを踊らされる新入社員。

いやーもうすばらしい。最高だ!

テレビ東京系のこうしたバラエティー(と言っていいのか知らないが)は個人的に大好きなんだが、渡辺徹のゲーム番組や伊集院光のゲーム番組(ゲームばっかりだな)が最近パワーダウンか、と思っていただけに、嬉しい発見であった。

こんなの情報が入ってきようがないしな。

5月22日(月)

「うるさいこと」についてなら、いくらでも書ける……。
なんと朝から家上空をヘリコプターが飛ぶといううるささ。
やはり何かの陰謀に違いない。
「家の工事」はドリルでガタガタ。

5月21日(日)

昨日は豪雨だったためそれほど「家の工事」はうるさくなかったようだが、今日、なんと日曜日なのにやってきてトンカンやっている。
やめてくれー……。もう限界……。

通りの向こうの駐車場にも車を止めてガタガタやっている。
助けてー!!

トピックス
・モーニング娘のだれそれが引退、というので親衛隊みたいのがインタビューされていたが、ヤンキーっぽかった。

・「ジップロック」とかいうサランラップみたいなやつのCMの最後のシーンで、レンジでチンしたご飯を食べる画面左側のガングロ少女の顔がものすごく面白く感じて見るたびに笑っている。

おはスタ評
・「ミエール世界地図」という、世界地図を元に絵を描く、というコーナーではメンバーそれぞれが他人の描いた絵にたいしてものすごくコメントが冷たい。

・やまちゃんはKANAに対してものすごく冷たい。裏で説教とかしてそう。あ、そういうこともしなさそう。

・やまちゃんは突然冷たくなる。視聴者のハガキにすら冷たいツッコミをしていたことも。

・KANAのデザインは典型的な80年代アニメ絵メカ美少女なので、実に懐かしい。

・ベッキーがプレスリーのことを「世界の超人」と言った。「偉人」とうっかり間違えたのかと思ったら、番長の「超人ではないだろう」というマジなつっこみにも訂正しなかった。もしかして偉人=超人だと思っているのか!? 「タッチだキン肉マン!!」(テリーマンの声で)

・「K−1モーニング」ではさまざまな空手の防御を教えているが、「おはパワー」というあれはいったい何なんだ!? だれか教えてください。

・「ムッシュメラメラ」、「寺山おしゅうじ」、「ドレミOHAドン!」など少なくとも10年以上前の単語が飛び交う。主力スタッフは何歳くらいなのか!?

・火曜日に出ている男の子二人のラップはかなり凄まじい。あれでは周りがリズムを合わせるのがたいへんだと思う。テレビ東京関連で言えばアルテミッシュNIGHTの「ラップ治療院」に匹敵する超空間を形成している。かわいいとは思うけどね。

5月20日(土)

またネットウロウロ(ヒマ)。
HなCGのサイトを漁っていたら、某所の掲示板ではずっと格闘技談義が続いている。
そこの家主自身が格闘技をやっているから、実戦的なことが書いてある。その点はおもしろい。だが「バキ」の話については薄い。現在の花山とスペックとの戦いは、「一撃必殺VS無呼吸連打」なのかなあ??? 花山も連打連打で倒すタイプだと思ってたけどなあ。
しかし、そこでもバスジャック事件の書き込みがあったんだけど、「(犯人を)殺せ! 殺せ! 殺せ!」とか書いてあった。
いや〜私も庶民感情としては何とかならんもんかとは思いますけどね、「殺せ! 殺せ! 殺せ!」ってなんか怪人に操られて暴動を起こす市民みたいじゃないスか?
安易な日和見主義とかお気楽な人権派というのもカシコイ感じはしないが、書き方っつーもんがあろうかと思うんですけど。殺せ殺せ殺せじゃねえ。上品な言い方でいらっしゃる(美輪明宏的表現)。

その関連で言えば、昨日か今日のTBSの朝の番組で、「別にゲームと17歳の犯罪は関係ないだろ」っていう論調でいろいろ言ってて、「比較的まともなこと言ってる」と思ってよく考えたら、予告文にTBSの「クイズ」とかいうドラマのマネをされたんだよな。バスジャックだか老婆殺しか忘れちゃったけど。「そのフォローかい!」ってひとりツッコミ入れたりしてましたよ(ヒマ)。

それとはまた別の予告文(ホントにどいつがどんな文書いたのか錯綜してわかんなくなってるよな。そういう点でいえばおまえら(犯人)ホント時期は悪かったよ。自分が凡庸な人間ではなかったことを証明したかったらしいが、凡庸な殺人鬼であったことは自覚するんだな)、「われは天帝なり」ってのは笑ったよ。笑うしかない。
「天帝」ってどこから拾ってきた言葉だろう? 私が「天帝」って言葉を聞いたのは、堺マチャアキ主演の「西遊記」だったと思う。中国のいちばん偉い神様が天帝っていうんだ確か。マチャアキとは関係ないだろうがどうせ手元にあったなんかから仕込んだんだね。安易だ。

コリン・ウィルソンが「切り裂きジャック」の犯人当てについて、「家柄のよい知識人だと予想するのはロマンチシズムにすぎない。おそらく犯人は、妄想の中で自分の欲望を昇華できない、できないからヤってしまう『バカ』な人だろう」って書いていたけど、現実ってのはそういうもんだよな。

コリン・ウィルソン、いろいろ問題もあるかもしれないが基本的にはマジメな人だと思う。

5月19日(金)

うるさい……。
家の前の工事がうるさいので仕事の休みを変則的にしてもらっている。
とにかくあまりのうるささに、まったく休んだ気がしないのだ。このため、休みを日曜日にしたり、今日のように金曜日にしたり、いろいろやっている。

足が痛いこともあっていつもどおり今日休んだのだが、今日にかぎって前の家が水道工事をしたため、地震が起こったかと思うくらいヒドいうるささとなった。
しかしまあ、コレは仕方がない、いつか終わるから、と思えるうるささだ。
しかし、実は伏兵がいた。

その工事が終わり、近所が静寂を取り戻した頃、今度は通りを隔てた向こう側の家の前で、何やら2人の男がトンカントンカンやっているのだ。
何をやっているのかはわからなかったが、数時間にわたってやりやがるのでがまんできなくなり、いったい何をやっているのかそこに見に行った。

ジロジロ見るわけにはいかないので通り過ぎざま見たら、最初はきやつらが作業をしているところの前が水墨画教室なので、そこの看板を直しているのかと思った。しかしトンカンやっていたやつらはどう見ても大工さん等の職人さんには見えない。水墨画教室の生徒にも見えない(水墨画教室の生徒像ってのがいまいちわからんが、まあ違う)。むしろオタクみてぇな格好をした文系的青年どもで、すでに片づけをはじめていたので何をやっていたのかはわからずじまい。
その左側には大きな駐車場ができているので、車を止めたヤツらが何も関係ないところでガンガンやっていたとしたら、私はいったいどうしたらいいのでしょうか。もう泣くしかない。あ、オチがねぇや。ちくしょう。

5月18日(木)

ヒトのフェチ見てなんとやら編
5月7日のコミティアで我々のスペースの隣に女の子サークルがあったにも関わらず、サークルメンバーと大声でインターネットのフェチサイト(いろいろあるでしょ。メジャーな(?)ところでは巨乳フェチとか足フェチとかさ。)の話をしていて気づいたんだけど、エロ関係に関しては吉田等は映像派というかビデオ中心、私はまったくエロビデオはみないので小説かマンガです(でもそんなに詳しいわけではないです)。

さらに言うなら吉田等はプロレス派、私は空手バカ一代直撃世代です(カンケイないけど)。

彼は「フェチにとって小説なんて何の意味もない」っていうんだけど、冗談じゃないとか思うよな。小説ってのはシチュエーションがあって、ストーリーがあって初めて成立するものであり、それだけにフェチを題材としたものはそのジャンルの「どの辺にそのスジの人が興奮するか」および「そのフェチの周辺領域は何か」ということまで明らかになるのである。

とはいっても、私は何でもかんでもそういったものを漁っているわけではなく、マジで自分がコーフンできるかどうかを基準にサイトなどを渉猟しているだけなので、総合的には何も言えないんだけどね。ホモ関係とかすべて興味ないし。

で、世界の変わり種フェチというのは本当にスゴイものがあるらしいが、いちいち驚いてもいられないし、また私ごときが面白半分に紹介するのもまじめにやってるヒトにシツレイというものであろう。

以上前置き。
この間またネットウロウロをしていたら、「アイドル同士が戦ったら?」という妄想キャットファイトサイトを発見(なんか最近女闘美周辺のことばっか書いている気がするが、私は別にマニアってわけではないことは強調しておく。もちろんヘンタイに見られるのがイヤなのではなく、本気で取り組んでいる方々に失礼だからである。逆に私にあれこれマニアックなことを言われても答えられないよ!!)。

んでそのヒトの妄想の中では森高千里がキャットファイトのチャンピオンなんだそうだ。「森高千里VS井上晴美」などの架空戦記が書かれているなかで、「高岡早紀VS高橋由美子」ってのがあった。
私は高岡早紀ファンなのでチェックしておかねばなるまいと思ったが、2人の架空ファイトの過程はどうでもいいので(こういうのはプロレスの実況風にえんえん書いてあるのが普通らしい)、高岡早紀が勝ったかどうかだけ確認するためにクリッククリックした。
最後は高岡早紀が勝っていた。形式はアルティメットだったので、勝たなければ意味がないのだ。
満足満足(笑)。

5月17日(水)

何をしていたかまったく思い出せない。ただ、足が痛いので苦しみ抜いた。

あ、「ビン倉庫」がうるさかった。あとコロコロコミックとか買った。

かなり追いつめられ状態がたまっていたと見える。それが現在も継続していることなのか、私個人の問題なのか人間「関係」によるものなのかはわからない。
考える気もしない。

5月16日(火)

「死ぬかもしれない」と思っていたら、玄関を降りるときに右足を驚くほど強く捻って捻挫。その場をのたうち回った。足に関しては、今まで生きてきた中でこれほどの激痛を感じたことがない。足場の悪い作業はむずかしいこともあって、店は休んだ。

店を休んだために、親から「クイズ王西川山」的な視線を浴び、家の外ではまだ工事、そして思わぬ伏兵として「近所のビン倉庫」が、近年と違うデカい音を立てるようになり、苦しみ抜いた。

ほんとに死ぬかもしれない。

5月15日(月)

二日酔いで体調最悪な上に、詳しい言い方は避けるがたとえるなら「ウホッ、ウホッ? ウホホ。ウホ? ウホーッ(急に怒り出す)」というような状況に陥ってしまい、その上「男みたいな女性歌手……『ガオ』ってのがいた。ということは女みたいな男性歌手、イザムは本当は『オガ』と名乗るべき」というようなことになってしまった。
もう死ぬかもしんない。

5月14日(日)

コミックレヴォリューション。
来てくださったみなさん、ありがとうございました。
おれ的には買い物はしなかった。なぜなら、混んでいるから。
そりゃもうすごい混みっぷりで、人類全員が箱船に乗り込んできたのかと思いましたよ。それでいっぱいになったぶん、反対側の出口から人類が降りていく、みたいな。で、海の中にドボドボと入っていく。

イベント終了後、サンシャインの前のアニメイトに「横の窓に自作の『女神さまっ』イラスト、正面にも『Oh my goddess』とか書いてある、さらにシートによくわかんないアニメ絵が貼り付けてある」凶悪な車を発見。感心しつつ爆笑する。
ヤンキー文化に対抗できるか、オタクカー。

帰りに、A/kodamaさんと合流、「大馬鹿地蔵」という居酒屋で飲む。
「大馬鹿地蔵」とは、むかしどっかの大学の「大馬鹿門」っていうのが撤去される騒ぎがあったけど、その門をつくった人のオブジェが飾ってある店。
力学(ちから・まなぶ)も合流し、「焼きイモ軍艦ゴー!」について語り合ったりして大いに盛り上がったのだが、その後私に恐ろしい日常が待ち受けているとは思いもよらなかった。

5月13日(土)

焼きイモ軍艦ゴー
明日のコミックレヴォリューションに備えて、少量コピーした同人誌の製本を手伝ってもらうために、力学(ちから・まなぶ)を呼ぶ。
少量なのですぐ終わる。

その後新宿の串八珍に飲みに行く。
「モテたい」という話題になったのでいろいろアドバイスしていたら、ちょい呆れ顔をされた。
当たり前です。モテないヤツ(私)から、何の参考にもならないことを飲んだ勢いでえんえんと言われれば、ボクだって泣きます。
何言ったか忘れちゃったけど、「女の子との会話をつなぐために左頬にはがれそうではがれないサロンパスを貼っていけ」くらいのことは言ったかもしれない。
なぜなのか? その答えはみなさん一人ひとりの心の中にあります(いえ、ないと思います)。

いまいちパッとしない話題が出ないまま宴はお開きとなったが、駅の構内の別れ際にも私は大喜びで「最近女の子がよく来ている上着ってさー、ジーパンを改造したものなのか? あのソデの部分は足を通すところなのか? 足を通すところに手を通しているのか?」などと言っていたところ、力学(ちから・まなぶ)は「そりゃ新田さんは『焼きイモ軍艦ゴー!』とでも言ってればいいですよ。でも現実は違うんですよ!」と言ってきた。
私は「それだ!」と思った。
私は親指立てサインをさわやかにかざすと、駅の構内に消えていった。

5月12日(金)

ガンダムと私
ガンプラ本を2冊読んでガンダム気分に浸ったので、ありがちだが「オレガンダム体験」をブチかましてみよう。

オレとガンダムアニメ
最初に見たのは小学校6年のとき、ずっと裏番組の「まんがはじめて物語」を見ていたのだが、たまたまチャンネルをひねったら「ガンダム」がやっていた。
すでに物語は終盤に入り、ララァが出るか出ないかの頃だったと思う。

ガンプラ本を読むとガンダムのミリタリー性がものすごく強調されているのだけれど、私としてはやはりニュータイプの話が気になってましたよねえ。
その後のガンダムをよく知らないんで素朴な疑問だが、その後ニュータイプってどうなったの???
「ガンダム」のラストって、ホワイトベースの乗組員全員がニュータイプっぽい描かれ方してたじゃん。

人類みんなニュータイプになって、ミノフスキー粒子ノープロブレムになって、先の先まで読むようになって、お互い何もしないでにらみ合って脂汗流すような、明智小五郎と二十面相が催眠術をかけあってるような戦いを描いてほしかったなぁ。

おれとガンプラ
ガンプラ、私もつくってみたかったけど、かろうじて手に入ったのは1/144ガンダム、1/144グフ、1/100シャアザク、ホワイトベース、ジオングだけだったなぁ。これらっていずれも、よくも悪くも「ロボットまんが」的要素が強かったんで、あまりガンプラをつくったという気はしない。とくにジオングのプラモはあまりカッコよくなかったなぁ。
ところがさ、死ぬほどたくさんガンプラを買ってきてつくってるヤツがクラスにいたんだよな。
どこからともなく買ってくんの。それでつくりまくってた。「もう飽きちゃった〜」って言わんばかりに。

近所のおもちゃ屋で整理券配ったりくじ引きしたりしてたけど、めんどくさくてやらなかった。そういう行為なくして買える店があったのかどうかも不明。つまり情報収集能力の欠如。
「土曜日にジャンプが買える店」も近所にあったらしいけど、とうとうどこだかわからなかった。情報収集能力の欠如。

それと、プラモを「改造する」という概念がなかったね。考えたこともなかった。
もうメーカーのつくったものはそれで正しいんだ、みたいなものすごく素直な考えしてた。

結論
私が「ガンプラ」で学んだことは、
・自分の情報収集能力の欠如
・自分の不器用さ(なかなかうまくつくれなかった)
・与えられたものをそのまま受け入れるだけの想像力、創造力の欠如
……ということだけなのであった。

5月11日(木)

メールは来た。ああ、幸せウットリ気分。

我々もまた、ゲームのプレイヤーでございまちゅ。
17歳の少年知らない老人イキナリ殺害事件(正式名称は何だ???)と、バスジャック事件に関して、やはり「TVゲームと現実の区別がつかない」という意見が横行してますね。
……っていうか、近所のおばちゃんが行ってたもん。
こうした意見に対し、ゲーマーたちはウンザリしていることだろう。
何か凶悪事件が起こるたびに、虚構というか妄想世界のあり方が批判されるのは毎度のことではある。また、常識的に考えてTVゲームにかぎらずヤリ過ぎはよくない。それは酒の飲み過ぎ、あんパンの食い過ぎなどと同じことだ。この「常識」……皆が無前提に信じている善悪の基準が、けっこう大事だったりするときもある。
だが「常識」には理論もそれ自体の検証性もないので、一斉に「ちょっとどうか」という方向に行ってしまうことがないともかぎらない。そういうときにこそ、常に妄想に浸かっているボンクラたちが立ち上がるときだ。……などという「妄想」をまた抱きながら、寝っころがって「おはスタ」を見ているのが私なのである。 ベッキーイェーイ、ベッキー。だれかレイモンドの出した本買ったヤツいない?

さて、TVゲームとこうした少年犯罪との関連だけれども、おそらくあると言えばある、ないと言えばない、という程度のことだろう。
TVゲーム批判派が、マンガよりも映画よりもTVゲームを恐れるのは、「新しいから」という理由だけのオッチョコチョイを論外とすれば、その没入性というか「自分が主人公になれる」度合いの高さから、非常識なことへ踏み出せない敷居をとっぱずすのではないかという懸念があるからだろう。
しかし、広い意味でのVR技術の発達というのは、それほど影響しないのではないかというのが私の個人的考えだ。
「非常識への道を歩ませる」ということで言えば、もっとすごいものはいろいろあるのである。

アイテム的には「拳銃」がある。
「拳銃」は、おそらく殺人史をひもとけば特別な武器として特記されているはずだ(コリン・ウィルソンあたりの本を読めば書いてあると思う)。
拳銃こそ、相手の肉の手応えを感じることなく、また自らの肉体を酷使することなく殺人できる人類最初の道具だからだ。もっと古いテで「毒殺」というのもあるが、こちらはそれなりの肉体感覚を伴うものだろう。ヒ素を少しずつ混ぜる、なんてかな〜り昔からある方法らしく、そのじわじわ感もあって残酷性もひとしおである。

ヴァーチャル的といえば拳銃こそ最初のヴァーチャル的兵器である(「弓矢」ってのもあるが、機械に頼った気楽さは拳銃に軍配が上がるだろう)。
拳銃を手にしたことによって起こった殺人は、TVゲーム殺人より明確にカウントでき、なおかつ数も多いはずだ。

もうひとつには「思想」がある。
人間、主義主張のためならけっこう人なんか殺しちゃったりする。最近ではオウムがいい例だろう。テロなんかは全部そう。「気持ちひとつでけっこうがんばれちゃう」というところが恐ろしい。徒手空拳でもやるときゃやっちゃうからなあ。
「ゲーム的」という意味でなら、主義主張で動くのもゲーム的な感じはする。
だって到底首肯しがたいような「論理性」や「見込み」でもって、多くの場合「こうすれば革命が成功する」とか「こうすれば世の中がよくなる」っていう目的にしたがって動いてんでしょ。でもハタから見るとそうでもない場合が多いよな。じゃゲームじゃん。

「常識の一線を超える」ほど過激ではなくても、人間多かれ少なかれ何らかの「思想」によって動いている。
……などと言うと、前の会社の上司には価値相対主義だなんだと陰に陽に批判されたもんだが、法治国家にあって人なんか殺した日にゃ裁きを受けるのが当然で、当然すぎてそこまで言及しなかっただけ(どうも前の上司は私を「新人類」に仕立て上げたかったフシがある)。いちいち脊髄反射的に「価値相対主義だ」って言う方がよっぽど価値相対主義だと思うがね。常識で考えようよ、常識で。

TVゲームなんかより気になるのは、少年が自宅で殺した方かバスの方か忘れたが「殺人によって自己実現できると思った」とかなんとか発言したってこと。
「電波の命令でやった」だの、そのわりには計画的だったりと、ニュースを断片的に見るぶんには「嘘ついてんじゃないか」とか「相手が気に入るような答えを言っているだけなんじゃないか」とも思えるのではっきりしたことは言えないのだが、「自己実現」という言葉にひっかかった。確かスポーツ新聞に載ってたんだけど。
「自己実現」や「自分探し」こそ、ゲームなんじゃないの? ん?
奇矯なことをすることによって大人の仲間入りができる、という考えは、昔からある(「大人になる」ことと「自己実現」は、まあぶっちゃけた話ニアイコール)。米俵かつげるとか、入れ墨をするとか、バンジージャンプもそうか? ただ、それは社会が強固に要求するという絶対性がないかぎり、ゲームに堕する。
評価するのは自分だけになってしまうからだ。

さっきあげた「思想」という意味でもそうなんだけど、目標を定めて、そのためにはどうすればいいか、という筋道が決まってれば私にとってそれはゲームだ。
ちょっと前は一生懸命社会変革の運動をすることが多かった。社会変革がダメだとわかると、今度は目標が自分に向く。しかも何がどう変わるかはフィードバックがないので、どんなことでもアリになってしまう。たとえ殺人でも。
つまり、(この文章はかなりバカ正直に少年の発言報道を信じたうえで書いているわけだが)広義の「ゲーム」の危険性というのは、それがエレクトロニクスによって没入性が高まっていくことにあるのではなく、そのゲーム自体の魅力にある。
観念にハマりやすい年頃の少年が「自己実現」を目標に定めたというのは、(デキすぎている感じもするが)ありそうな話ではある。

広義の「ゲーム」の危険性を解除するには、以下の方法がある。
・「広義の『ゲーム』の社会性」を保証すること。
・そのゲームそのものを無意味化、解体すること。たとえば「自己実現」に焦るならば、まず「自己」や「実現」から疑ってみること。
・第三には、原因→結果、という広義の「ゲーム」の基本構造を放棄すること。具体的に言えば、ある種の諦念に至るということですな。原因も結果もないんだと。

ただし、以上にあげた方策は、実際に犯罪に走る少年には無意味に等しいだろう。
むしろ、少年犯罪にシンパシーを感じる者、逆に何とかしなくちゃいかんと思っている者がどう考えるか、ということが重要であり、そこらへんの人間の認識をシャープなものにすること。そこら辺にしか方策はないと思うんですね。
犯罪少年の心にギリギリまでアプローチすることは必要なんだろうけど、「どうせわかるわけない」とあきらめている私としては、そうした事件が各方面から「どう解釈されるか」ということに焦点を当てていくべきだと思ってる。

余談だが、バスジャック事件で「内部の人間があの少年を取り押さえることはできなかったのか」と、ボケーと考えたが成功の確率はかなり低かっただろう。
ぶっちゃけた話、少年の行動は狂っているとしか思えない。バス内という密室で、狂った人間に主導権を握られ、乗客が異様な精神状態に陥ったことは想像にかたくない。
思想犯や金目当てならともかく、こういう目的不明の行動に人間はいちばん恐怖を感ずる。考えているうちにどんどん時間が過ぎていった、というような雰囲気ではなかったかと推察される。

一方で、こういう状況になったら自分はどんな行動がとれるか? をいつも考えてしまう。
不謹慎かもしれんが、真木日佐夫先生などの格闘技の達人に対処法を聞いてみたい気がすごくするんだよね。

5月10日(水)

……いつもは速攻で来るはずのメールが来ない。こういうのは知り合い同士で忙しさやルーズさを確認し、「どうせすぐには来ないだろ」と割り切っている状態よりもかえってイライラする。

おまけに、今流行りのネットウロウロ(そう、今やネットウロウロは大人気!!)をしていたら、以前一度行ってムカついたサイトにまた行き着いちまった。どことは言えないがな。
ここは結構な人気サイトらしく、どこへ行ってもそこに通じるような業腹なところだ。ううう。一体どうしたというんだ。

嗚呼、運がない。

自分の運の悪さを呪っているのもアレなので、おれさまが今後の日本を占ってやろう。「♪日本の未来は ♪世界もうらやむ」なんてことには絶対ならねぇからみんな安心しろや。

・政治面
公然と不正がまかりとおり(「コータローまかりとおる!」には関係なく)、不正をしなければ学校でも仲間はずれにされる。「昨日欽ドン見たあ?」とか言ってな。欽ドンは不正とは関係ないよ。たとえだよたとえ。

・経済面
通信関連バブルがハジけて、みんな携帯電話をおさじがわりにしておかゆを食べる。
パソコンは、中身をくり抜いてテレビごっこしかできなくなる。
↑なんか、はからずも風刺っぽくなって面白くねえな。

・少年犯罪
地方都市では凶悪犯罪、都市部ではギャング的な組織犯罪が横行。残りの若者は青っパナ垂らして、道にねそべって焼きプリン食いながら青空を眺めている。

・働かない若者
就職できない若者が増え、そのままズルズルと三十代を迎えてしまう者が急増。 みんな青っパナ垂らして、カップラーメンを2つに分けて昼と夜に食べたりする。 エリートコースを歩む者も、青っパナは垂らす。青っパナ中心。

・女子大生ブーム再燃
女子大生ブームを起こそうとだれかが画策、みんな青っパナたらして「○○学院大学文学部のなんとかでェす」とかいうのを喜んで見る。あとトゥナイト2を喜んで見る。

・アイドル
試練を与えてそれをクリアしていくというパターンが完全に定着、みんな磔になったり火であぶられたり、カマンベールチーズの早食い競争をやらされる。

・内山くん
「内山くん」のトークって面白いかあ!? なんかノリのいい学生の域を出ていないと思うんだが。しかし日本の苦悩は内山くんの苦悩とシンクロしていると思う。

・音楽
「宇多田ヒカルは意外と巨乳」という認識が広まり、老いも若きも青っパナ垂らしてニンマリする。倉木麻衣も豊胸手術を受けるとか受けないとか(受けない)。

・SFX映画
みんな「すごいCG」には飽き飽きしたが、代替策も見つからずあいかわらずすごいCGで青っパナを描いたりする。

・ゲーム
チープなゲームが流行る。「コリントゲーム」など。それにしても「コリントゲーム」って「コリント商会」が発売したからこの名前になったというのは本当だろうか。

5月9日(火)

キムタクゲストの古畑任三郎、イマイチ。
「観覧車の中に入っているのが女性」であることが、ビデオで巻き戻さないとわからなかった。時間に追われながらキムタクを罠にかけるというのもムリがありすぎる。
犯行の動機もテキトー。
トリックがどうのというのではない。説得力がないということ。

「タイムレンジャー」、「カジノバトル」、サイコー。
非合法の地下格闘技カジノにタイムレンジャーのメンバーが潜入するというものだが、カジノのチープな胡散臭さ、出場格闘家の怪しさ具合、そして意外な(笑)トリックなど、どこをとっても申し分のない素晴らしさ。
同じギャンブルを題材にした戦隊シリーズと言えば「鳥人戦隊ジェットマン」の「廻せ命のルーレット」という傑作があるが、それには及ばずともかなりのワクワクな回となった。

5月8日(月)

居るって言われてもねぇ……。
・「絵を描く犬」 写真・文 斎藤忠徳(1998、ぶんか社)

私こと新田五郎が、「絵を描く犬」というあらゆる意味でどうでもいいマンガを描いていたことは、この日記を読んでいる7人くらいの人は知っているだろう(個人誌:「ふぬけ御殿」所収)。

「絵を描く犬を見ないか」と、じじいとその犬が女子高生に執拗にせまり、絵を描いて見せ、1億円を請求するという、書いていてため息が出るくらいどうでもいいシロモノだったのだが、このマンガの冒頭で本物の「絵を描く犬」について書いた。
テレビで見たその黒犬は、コルセットで固められ、椅子に座らされ、まるで機械に操られるかのように前足を動かして絵を描いた。その「インチキ然」とした様子が強く印象に残っていたのだが、なんとその「絵を描く犬」の追跡ルポが本書だ。こんな本が出るなんて、だれが予想しただろうか。まったく情報大国日本か。

本家「絵を描く犬」とその飼い主のじじい(本当にじいさんだった)は、私が描いたマンガより数段珍奇な存在だった。根本敬か畸人研究学会の領域のヒトであった。

私の描いたマンガの中で、じじいは1億円要求するが、本家じじい(じじいというのも失礼だから「じいさん」にしとくか)は絵を描く犬のドキュメンタリー映画を撮らせろといろんな人に言ってまわり、希望はスピルバーグかゴジラの監督。契約料は1億2500万円を希望していた(マンガ以上の存在)。

このポーランドのじいさん、イエジィ・ポドラックは、サーカスのようなド派手な衣装を着た女性、リ・カナベッタと新聞社などを営業してまわり、「絵を描く犬」ホモ・セプテムス(別に犬がホモなわけではなく、たぶん「ホモ・サピエンス」とかのホモ)を宣伝。ホモは、絵も描いたがピアノ演奏や射的もこなし、人間の言葉をしゃべる特訓も受けていたという。
こうして書くと陽性の珍奇本のように感じられるが、実際は政情不安で物資も乏しい80年代ポーランドでのできごとだからか、何か薄闇の向こうを覗くような不透明感がある。
筆者の斎藤氏がホモの写真を撮ろうとしてもあちこちでジャマが入る。新聞社やら何やらはどこも怠けているとしか思えないほどルーズ。町中では電話は半分壊れていてロクにかけられない。下宿のばーさんともまったく話が通じない(狂っていたらしい)。そのうち町の有力者の奥さんが動物愛護協会員で、「ホモには不当な虐待と手術が施されている」と決めつけたうえホモを誘拐
だがすぐに息子のホモ・オクタブスが登場(何? ドラゴンボール?)。

お話はモヤモヤとしてきて見せ物小屋的胡散臭さも、謎解きの快感も、あるいはインチキがバレた種明かしも、人間そのもののアホらしさのようなものも、すべてが中途半端、どんよりした空気の中を進むがごとしでモヤ〜とした気分になることこのうえない。

その後「畸人」ポドラックの伯父、ロマン・ポドラックが「絵を描く犬」研究の祖として語られる。彼はパブロフに心酔し、人間並みの知能を持った犬の研究を続け、最期には「パブロフ万歳!」と言って息を引き取ったという。

なにも謎は解けないまま、物語は終わる。ただひとつ、「ホモの子供がどこかに生きていて、研究が続けられている」という曖昧な情報だけを残して……。

ちなみに、私が「絵を描く犬」を見たのは、本書によると訪日した87年らしい。

この事件には、私が知らない、たとえば犬の知能をどのように計測するのかとか、フェイクにしろ犬は訓練でどのくらいのことができるのかといった興味を喚起するところはあるのだが、それらも本書だけでは何も明らかにならない。そして、「絵を描く犬」の話なんて、「不思議な事件」としても容易に忘れ去られていくだろう。
UFOよりも、陰謀論よりも間抜けでドウデモなできごととして。

いやしかし、今こうしている間にも、第2、第3の「絵を描く犬」が……ってもういいですか。パブロフ万歳……。

5月7日(日)

某H小説掲示板で、「恋人に自分のシュミ(もちろんいっぷう変わったシュミ)をいつバラすか?」の悩み相談。
こいつぁーたいへんだあねー。私もヒトゴトではないわ。一般市民の差別意識ってスゴイからな。自分のささやかな日常を守るためなら親でも殺すもん。

私の場合、まあこのHP見ればだいたいわかるようにしたいんだけど。現在の時点で、80パーセントくらいは私のシュミわかると思います。

しかしどうしてもいいこちゃんな文章書いてしまうからな。
後は荒井海鑑の作品リストを早く完成させたいね。
タイトルが「剃毛看護婦」だから、なにしろ。あと「女子高生隷奴」とか。「奴隷」じゃなくて「隷奴」ってのがスゴイよね。
まあ逆にあんまり詳しいと思われても困るんだが。あくまでも半可通ですよぼかぁ。

5月6日(土)

体調が優れない。ここらでそんじょそこらの三十代ならば、「オレもトシだなぁ」などとくだんらんことを言うのだろうが、私は違う。「もともと体力がないのです。」

連休の途中の中途半端な日だった。帰ってすぐに寝た。

5月5日(金)

東京ビッグサイトでコミティア。
いろんな人が来ていろんなことを話す。
ブースに来て本を買ってくださったみなさん、ありがとうございました。
気楽院さんに手伝っていただき、ありがとうございました。

私がいないときだったけど、むかし私の方の不手際もあって、通販したんだけどお金が100円くらい足りなかった人が、ひっさしぶりに来てお金を払ってくれたらしい。
こういうのって、すごく気持ちがいいですね。ありがたい。

予想どおり? ビッグサイトでのコミティアではあんまり売れないことと、どうしても、何年経っても今一歩売り上げが伸びないことに思い悩んだ。

相方(あえてキンキ・キッズ風に相方と呼ぶ)の吉田等は、現状に満足しているので話が噛み合わない。
売り上げについては、私の営業が足りないのか、作品がダメなのか、ここ6年間というものいつも思い悩んできた。
吉田等はあまり気にしてない。その繰り返し。
ちまちま献本したり、いくつか委託を頼んだこともあったんだけど、ちょっとやってみて効果がないと異常に落胆するというのが私のとっても悪いところで、中途半端に精力的に活動した後、極端なまでに落ち込んだりした。そういうときに描いたサークルカットはだいたいものすごくてきとうだったりした。
ちなみに、そんな私を吉田等は「?」という感じだったと思う。 まあ私は「物欲しげなんだけど動きたくない」という、中途半端な同人野郎にありがちな性格なんで、どうせおれが悪いんだろ! ってな感じですか。

あとありがちだけどヨソのサークルのケンカとか見てビビったり、絶望したり。
そんな繰り返しの6年間。6年間って行ったら小学校と同じ年月ですよ。先生ありがとう! みなさんありがとう!

全然関係ないが、吉田等には変態小説読ませなきゃダメだね(笑)。「フェチにとって小説なんて何の意味もない」っていうんだけど、果たしてそうかね? とりあえずキャットファイト小説から読ませよう。あ、ボクはいいです。

その後、一郎、次郎と池袋で飲むが、途中から眠くなってきた。
そして、言うこと言うことまったく理解されず、それで自己満足できればまだいいのだが自分でも面白いと思えないという絶不調、雲のかなたへ消えていった(何が)。

5月4日(木)

前々から行きたい行きたいと思っていた「電撃ボディー・ザ・スラッシャー」というトーク&ライブイベントに力学(ちから・まなぶ)を誘っていく。
ロフトプラスワン。

ロフトプラスワンという、いろんなイベントをやる居酒屋が歌舞伎町にある、ってことは知っていたのだが、行ったことのあるヒトになんべん聞いてもそのシステムがわからず(入場料が飲み代だけとかなんとか)、敷居が高かったのだ。

たとえば、「飲み食いしながら舞台上のトークを見る」と聞かされても、オーダーはどう取るのか、飲んでたらいいココロモチになっておしゃべりする客も出てくるだろう、そうしたら壇上の人は怒ったりしないのか、トークとライブを同時にやるらしいが、その際テーブルや椅子はどうするのか、など細かいことが事前に非常に気になっていたのです。

で、いざとなったらテーブルマジックの得意な力学(ちから・まなぶ)に助けてもらおうと思い(念のため書いておきますが「テーブルマジックが得意」というのは嘘)、行った。

第1部がおもしろマンガ&おもしろ映画を見ながらのトークで、第2部がライブ。
第1部では女闘美マンガ特集、それと韓国のロボットアニメ「テコンV」を見れて大満足。「テコンV」は、テコンドーの達人がマジンガーZとザブングルとコンバトラーVが合体したようなロボットに乗り込み、アッガイもどきやエルメスもどきと戦うというもの。「0テスター」とか「ゲッターロボ」的な劇画キャラと、新旧ごちゃ混ぜに登場してくるロボット群が魅力。他にも、アメリカンプロレスの紹介もあっておもしろ。
第2部では、いろんなパフォーマンスをしつつのネタものテクノ(「ナードコア」)で、非常に盛り上がって楽しかったです。「笑っていいとも!」の打ち込みとかサイコーでしたね。
ライブ中におむすび食ったりとか。

サンプリングしたネタに口パクを合わせて叫んだり、そういうの大好きなんで、わたし的には大喜びでした。

なんか、スピリチュアルなのがどーのとか、妙に理屈っぽかったりオッシャレーなテクノに飽きていたので、今回のライブはたいへんに気持ちのいいことでありましたよ。

それにしても、何でナードコアの人々はこんなに文章面白いかね。実際、プロのライター活動をしている人もいるんだが。
当日の出演者のホームページはここ。↓

DATゾイドDJ急行レオパルドンパリッコ 

冒頭の疑問だけど、まずオーダーは、テーブルの上に乗っているハエ叩きみたいな棒を上げると店員の人が来てくれる。
会計は、「何人で来たか」を聞かれてまとめる。
オーダーは、トークの進行と関係なくとっていいようだ。ただ、やはり盛り上がってる最中に注文はしにくい。話が盛り上がるイベントほど、売り上げ悪いかもしんない。

テーブルと椅子は、第1部のトーク終了時に、店員さんやお客とともに後ろに片づけた。
あ、あと座敷もあったよ。ホントに居酒屋なんだね。

店員のカッコした吉井怜の写真が飾ってあった。スバラシイ。

5月3日(水)

「まむし三太夫」と「スクラップ三太夫」と3人で飲んだ。
「K−1グランプリ」の話をしていたら、「レバンナ」っていうK−1選手の名前が出なくって、「だれだっけ……だれだっけ……」と言っていたら、隣のテーブルのにーちゃんが「レバンナだよ」と言ってきた。格闘技好きらしい。
その後も、そこのグループはずっと「プライド」の話をしていた。
半可通なこと話さなくてよかった。プライドファンの人たちに殺されるかもしれないもん。しかも胴タックルからのマウントパンチで。などとお決まりの小心ぶりをはっきして、ガブガブ酒飲んで家帰って寝た。

おれ的におもしろい話題はとくにナシ。「宇多田ヒカルは胸デカいと主張する会」をつくろうとか言ったけど、いまいちピリッとしなかった。
あとさー、TBSの木村郁美アナもほどよくボインだと思うね。
「ほどよくボイン」ってのは永井豪のマンガに出てきた言葉(「ズバ蛮」という作品ね。読むべし!)。
すばらしき永井豪。

5月2日(火)

早朝、コンビニで同人誌をコピーしていたら、店員のにーちゃんたちがスポーツ新聞を揃えながら「優勝者載ってますよ」「おまえ、そういうのすぐバラしちゃうからなー」と会話していた。
何かと思えば、「プライド」の話であった!(「プライド」といっても、森川美穂の歌のことでも津川雅彦主演の映画のことでもないです。格闘技の「プライド」です)
桜庭、ホイスに勝利! バンザーイ! バンザーイ!
いや、ホイスもスゴイヤツだとは思うし、グレイシー一族の試合前までの盛り上げ方もスゴイんだが、桜庭の戦い方もスゴイものだったらしい。
途中で気になってコピーを適当なところでやめ、スポーツ新聞買って家に帰った。
藤田も勝ったし、決勝はボブチャンチンとコールマン、ボブチャンチンは応援していたので決勝まであがれてよかったよかった。



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