遠藤浩輝
Hiroki Endo

遠藤浩輝短編集1

講談社・アフタヌーンKC175
ISBN:ISBN4-06-314175-6 C9979 本体価格:505円
初版発行:98/04/23 判型:B6

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 たぶんいろいろなところで絶賛されているだろうが、俺もオススメ。「EDEN」1巻と同時に発売された「遠藤浩輝短編集」である。遠藤浩輝は、アフタヌーンの新人賞である四季賞から彗星のように現れてマニア筋の熱い注目を集めている。現在連載中の「EDEN」は第1話は非常に素晴らしい出来だったのだが、それ以降は地味な展開で少々退屈なきらいがある。しかし、「遠藤浩輝短編集」に収められた作品はいずれ劣らぬ傑作揃いだ。

 この短編集の中で、俺が一番好きなのが「きっとかわいい女の子だから」。母が死に、父は再婚話が進み家に寄りつかなくなってしまった家庭で一人残された少女の話。祖父はいるもののボケて寝たきりで実質彼女は家庭では独りぼっち。無反応な祖父の世話は彼女がすることになっているが、それが重荷になり「いっそのこと死んでしまえばいいのに」と思いさえする。
 学校では変わり者扱いで、クラスの中でも浮いた存在。好きな男の子や友人はいるものの、それもどこか遠い存在に思えてしまう。唯一の親友は彼女が好きな男の子と付き合えるようバックアップしてくれるが、その実、親友と好きな男の子が裏では付き合っていることを知ってしまう。広い世界の中で漠然とした孤独感を抱く少女は、自分と世界の狭間で宙ぶらりんになりながら、破滅への道を選んでいく。
 初めてこの作品を読んだときはガーンと打ちのめされるようなショックを感じた。とくに少女が自分の父親の殺害に至るシーンは非常に印象的。このシーン以降はとくに画面構成が圧倒的に巧みだ。心理描写、演出。どれをとっても素晴らしかった。

「カラスと少女とヤクザ」は、身内に追われるヤクザと廃倉庫に住みついているホームレスの少女の話。少女はケガなどで自然界では群れの中で暮らしていけないカラスと共生している。抗争に巻き込まれた少女が、カラスとの約束に従って自分の死体を食わせるあたりなかなか衝撃的。
「神様なんて信じていない僕らのために」は学生劇団に所属する若者たちの青春模様を描いた作品。劇と日常、そして舞台裏、コロコロと作品の舞台は相前後しつつ物語は進んでいく。頻繁な場面転換、視点の変更を破綻なく描くその構成力は見事。ストーリーやセリフはちょっと青臭いところはあるものの、遠藤浩輝の技術がきっちり発揮されている作品。

 遠藤浩輝でとりわけいいのは、コマ割りと画面構成を含めた演出だ。話を進めるところは非常にオーソドックスなコマ割りで、無駄な斜めワク線などはほとんど使わない。それが見せ場になると一転して、大胆なアングル、大ゴマを用いてたたみかけてくる。そして、空間の切り取り方が実にうまい。実にかっこいい場面をかっこいいアングルから描写する。また、背景の省略、空白を非常に効果的に使ってくる。自分の意図を的確に画面の中で実現できる描画技術もある。
 昨今では新人のレベルも上がっており、絵がうまいだけとかではさほど注目を集めることはない。その点、遠藤浩輝は実に高いレベルでバランスが取れている。ストーリー作り、描画技術、画面の構成力、演出力、どれをとってもあまり穴がなく、いずれも非常に高い水準に達している。こんな人がいきなり出てくるんだから、まだまだ漫画界も捨てたもんじゃない。「今の漫画が面白くない」などという奴は、こういった漫画を読んでからにしろ、と声を大にしていいたいところである。

 ただ、最近心配なのが、遠藤浩輝がちょっとしたカリスマっぽくなっているところだ。こういった世界に持ってかれちゃった人は視野が狭くなり、「遠藤浩輝だからいいものなのだ」といった見方をしてしまいがちである。遠藤浩輝は力があるだけに、そういう熱狂的な人を生み出してしまいやすい。でも、誰が描いていようと面白いものは面白いんだし、つまらないものはつまらないのだ。遠藤浩輝の作品であろうと、盲目的になってしまってはいけない。
「EDEN」は今のところ低調な感じがするが、遠藤浩輝だから、という理由で描かれていないものまで読み取ってまつりあげてしまうのは禁物だ。遠藤浩輝はたしかに面白い。しかし、それと同じようにほかの面白い作品も評価する。そんな視野の広さは常に持っていたいものだと思う。
 
収録作品タイトル初出
カラスと少女とヤクザ アフタヌーン1996年2月号
きっとかわいい女の子だから アフタヌーン1996年3月号
神様なんて信じていない僕らのために アフタヌーン1997年4月号