foreign movie vol.1


La Riligieuse
修道女

ジャック・リベット監督&脚本、1966年の作品で長編としては2作目。ディドロの小説が原作。当時ゴダールの妻であったアンナ・カリーナ主演。アンナ・カリーナは『女は女である』『ANNA』等で見せていたコメディタッチの演技しか見た事がなかったのでこれはそんな意味で私のアンナへの見方が少し変わった作品にもなった。監督自ら「溝口健二の『西鶴一代女』のコピー」だと言っているようですが、私は『西鶴一代女』の方を見たことがないのでその事に関しては保留。見てからコメントしようと思う。が、私的には141分のこの作品がすごく短く感じられるほど、なんだかツボにハマってしまった。航海術を知らない者が航海に出ても身を滅ぼすだけ。俗世間に憧れを抱いていても、そこでの暮らし方・生きていく術を知らなければ結局何も自由を得る事は出来ない。意外にシビアな物語。


welcome to sarajevo
ウェルカム・トゥ・サラエボ

マイケル・ウィンターボトム監督、1997年の作品。『パーフェクトサークル』(アデミル・ケノヴィッチ/1997)より100倍くらいいいし、100倍くらい考えるものがある。実話を基にして制作。紛争当時、実際カメラに撮られた映像も交じって、緊張感もあり非常にリアル。血塗れで路上に横たわっている人。身体に何発も銃弾をくらって息も絶え絶えで救急班に運ばれる人。それも数えられるような人数じゃない。この映像を見て泣けてきた。人権も何もない。爆弾落とされれば一瞬ですべてが消える。政府の偉い人は「民間人は手を出さないよう保護している」なんて公言しておいて現場を見るとそんなのはウソっぱちだと分かる。悲しいのと憤りとを交互に、もしくは両方を感じる。ちなみにボスニア紛争は1995年12月で終わりをむかえた。戦争終結は平和への出発点でしかない。本当の平和とはどういう事かラストで教えてくれる。


Sitcom
ホームドラマ

フランソワ・オゾン監督、1998年の初の長編デビュー作品。ホモ、バイ、SM、近親相姦、身体障害。原題が"Sitcom"というタイトルからしてブラック極まりないです。監督自身が「ジョン・ウォーターズ世界を意識した」というように、思わず「シリアル・ママ」を思い出してしまう感じ。でも正直こっちのがインパクトはありました。誰が一番狂ってるか。一番おかしいのは一番おかしくない人だったりする。すごい変です。クライマックス、ウケました。


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海をみる

フランソワ・オゾン監督の短編。1997年ロカルノ国際映画祭オープニング作品。生々しいです。エロだけにとどまらないグロさがなんとも言えない。怖いもの見たさみたいな感じで見続けました。怖いけど、見たい。痛いのに、見たい。汚いのに、見たい。ほんとか嘘か分からないですが、子供を産むと、そうなってしまうのですか。嫌すぎです。ある程度想像出来るので怖すぎです。子供産みたくなくなります。今から子供を産もうとしている方は絶対見ないで欲しいです。ものすごいインパクトのある作品でした。


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サマードレス

フランソワ・オゾン監督の短編。1996年カンヌ国際映画批評家週間オープニング作品。ホモセクシャルの男の子のひとりが海辺で女に誘われ林でセックスをします。登場人物は少ないし、内容的にはほんとにこれだけ。でも、男の子の内面的心情の変化が伝わってくるんです。何かが目覚める。自分の知らなかった性的な何かが覚醒する。見てる方もどきどきします。フランソワ・オゾン監督のセックス描写がすごく好きかもしれない、と思った作品。


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X2000

フランソワ・オゾン監督の短編。1998年の作品。2000年を迎えたパリの朝の光景。何気ない仕草がアートな雰囲気。双子の奇妙な動作がシーンひとつをはっとさせる。風呂に入る女。隣のアパートの窓の側で見えるあるカップルのセックスをアパートの窓から覗く男。コップを割る。片づける。アリがいる。お洒落ではないです。しいて言えばグロテスクの方に入るくらい。8分の短い映像の中に何を見るか。何を見られるか。


妖婆・死棺の呪い

アレクサンドル・プトゥシコ総監督、1967年の伝説的怪作作品。ゴーゴリ原作の妖怪小説「ヴィー」の映画化としてはこの作品は3度目だそうです。かなりチープな特撮を想像していたのですが、思ったよりも出来のいい特撮でした。変な所で妙に面白いんですけど、結構怖いです。映画館でほんとに驚いたりしてました。面白いカメラワークなんですよね、魔女と神学生ホマーの3日間の戦い?の場面とか、ぐるぐる回ったり。水木しげるがこの作品を絶賛しているのを思わず納得してしまった妖怪達やヴァンパイア達の風貌。ヴィーって何だろう、と思っていたら、かわいい妖怪でした。映像や作り自体は荒いんですが、そんな事以上にSF作品として今の大作より全然雰囲気が好きです。


ぼくのバラ色の人生
ぼくのバラ色の人生

アラン・ベルリネール監督、1997年の作品。「女の子になりたい」と願う7歳のリュドヴィックがものすごくかわいい。なぜ男の子が女の子の格好をしてはいけないのか、と思ってしまうほど彼は女の子のお洋服が似合っていてかわいらしいです。純粋な彼は空想のバラ色の世界を夢見ます。「僕が女の子になったら結婚しようね」と大好きなお友達に言うシーンなんかは涙が出るほど純真です。そんな彼に(世間的な)常識のある大人や世界は厳しい。男であること、女であること、なんて関係ないよ。自分が思うように生きていけるような世界になればいい。常識って何だろう。常識をふりかざして少数の意見をふみにじる人々は時として恐ろしい。


L 'entfant secret
秘密の子供

フィリップ・ガレル監督、1979年の作品。ガレルとニコが7年という結婚生活を終えた後に制作された作品です。ちょうど『ニコ・イコン』を見たあとに見たので話の内容がすごくよく分かりました。『ニコ・イコン』で話されていたエピソードをいちいち思い出します。モノクロの画面で言葉少なな映画です。ガレルがこの作品で描きたかった事。ガレルの当時の心境がなんだかとても生々しい。「離れないで」「見捨てないで」「今は別れないで」 エリーのこの言葉は果たしてニコとだぶらせてもいいのでしょうか。


ギターはもう聞こえない
ギターはもう聞こえない

フィリップ・ガレル監督、1991年の作品。ニコが亡くなった年、実際のエピソードをもとに制作されたものなので、作品の最後には"ニコにささげる"と流れる。その時その時、時代や風景は変わるけれど、恋人達は同じようなセリフを繰り返す。その反復が本作品。淡々とした物語の中で、そのエピソードの繰り返しに答えはない。画面から私達が何を思うかはまったく自由。映画を"芸術"と置き換えるガレルの映画には私達の内面に訴えかける。「あたしはたぶん彼を幸せにはしなかった。幸せである必要なんてなかったの。幸せになろうなんて思わなかった。ヒーローになろうと思ったの。人生を変えようと思ったの」アリーヌが帰った後、マリアンヌが涙を流した理由について誰かと考察したい。


Le plus bel age
いちばん美しい年令(とし)

ディディエ・オードパン監督、1994年の作品。20歳前の甘美な青春、早熟な関係、物事への関心・姿勢。それが映像美とかみ合うと、ある種の恐怖感や切なさを生み出します。思春期の残酷さと純粋さ。死に対する恐怖。共産主義と非共産主義。ファシストでコミュニスト。抽象的具象から具象的抽象へ。感情的で衝撃的な結末。すべてがとてもリアルに感じられます。あまりに繊細すぎて、私はなんだかすごく痛かったです。メルヴィル・プポーの悪魔的な役柄は必見。


悦楽共犯者
悦楽共犯者

ヤン・シュワンクマイエル監督、1996年の作品。むちゃくちゃおもしろいです。世の中、いろんなフェチがいるもんですねえ。男女6人がいろんな所で絡み合って、秘密の趣味に走ります。変態です。その変態っぷりが笑えます。シュワンクマイエルの映画は、効果音が気になります。食べる音だとか、何かが動く時に出る音。ちなみに効果音は彼の大ファンでもあるブラザーズ・クエイが担当してます。この映画には言葉(セリフ)がありません。それがまたおもしろい。人形アニメの監督さんですが、この映画はほとんど実写。でも、それだけに要所要所のツボをついたアニメーションが光ります。


El Espiritu de la Colmena
みつばちのささやき

ビクトル・エリセ監督、1972年の作品。以前見た時は少し分からないことがありました。「みんなが幸福だったあの時代」とはなんだろう?と。舞台は1940年のスペイン。つまりフランコがスペインにファシズム政権をうち立てた翌年だったのです。スペイン解放のために努力した多くの人が死んでいきました。その時代背景をふまえた上でのこの作品はとても深いです。みつばちの行動を詩的に言葉にする父。フランケンシュタインは何を表していたのか。アナのつぶらな瞳はフランケンシュタインに何をみたのか。アナの瞳は見てるだけで何かを感じさせます。まるで絵を見ているような印象深い作品でした。


El Sur
エル・スール

ビクトル・エリセ監督&脚本、1983年の作品。『みつばちのささやき』もそうですが、スペインの政治事情をよく知らないと物語をちゃんと理解できません。ファシズムだとか社会主義。いつ頃そういう政権が確立されたか。時代背景を知ることが重要だと思いました。「エル・スール(南)」という題名なのに舞台は北の村です。そして南の映像は一切出てこない。「エル・スール」が何を意味しているのか、そのあたりもおもしろいです。なぜ父は教会に行きたがらないのか。なぜ祖父と父は意見が食い違っているのか。すべて考え方の違いです。「世の中、勝った方が正しい」という言葉はとても考えさせられます。


ぼくの伯父さんの交通大戦争
TRAFIC ぼくの伯父さんの交通大戦争

ジャック・タチ監督&出演、1971年の作品。TRAFICというだけあって、車、車、車。すごく車がコミカルに描かれてます。人物の動きもそう。なんだかかわいらしくて、憎めない人ばっかり。でも、モーターショウを開催している近くで廃車の処理をしているシーンなんかはちょっと考えちゃうのですが、全編通して見てて、すごくしあわせな感じのする映画です。こういう雰囲気好きなんですね。思わず「くすっ」と笑ってしまうような感じ。渋滞で文句をつけられて車から降りてくる髭のお兄さん。こっちだってガツンと言ってやる、という意気込みを見せるために着ていたセーターを脱ぎます。すると髭と髪の毛がいい感じで逆立ってるんだなあ。サリーちゃんのパパみたく。


The Knack
ナック

リチャード・レスター監督、1965年の作品。同年カンヌ国際映画祭グランプリに輝いた作品。60年代のポップテイストが満載。当時のロンドンの様子も見逃せない。思わず「ぷっ」っと笑ってしまうような、映像の巻き戻し・反復・早送り・停止などがとってもおもしろい。意味無く出てくるテロップだとか。街の人々の声が若者達の皮肉をこめていたり、当時の時代背景などを物語っていたりする。そういう小憎い演出が好き。一つ気になるのは、リタ・トゥシンハムがあんまりかわいくないことだったりして。女の子にモテるコツは時と場所。なんて言ってたって、偶然やってくるものなんだよね。実際。


軽蔑
軽蔑

ジャン=リュック・ゴダール監督、1963年の作品。女は何故男を軽蔑するか。昨日まで愛していた男を何故軽蔑したか。男の態度や言動に対する女の哲学・信念が見られます。男とはどうあるべきか。映画の中でもう一つの映画を制作するのですが、ギリシャ神話を含んだその内容・神々の話を男と女の中に含ませます。そして、現実の(リアルな)世界と夢のギャップ。さまざまな要素を取り入れたこの映画はまさにゴダールのなせるワザでしょう。男とは結局、女の言いなりではだめだということ。そうして決別した男と女の行く末はどうなってしまうのか。ゴダールです、ゴダール。


Une Femme est une Femm
女は女である

ジャン=リュック・ゴダール監督、1961年の作品。主演のアンナ・カリーナかわいい。ジャン=クロード・ブリアリとジャン=ポール・ベルモンドはやっぱりかっこいい。私、こんなに楽しいゴダール映画を見たことないです。すごくキュート。見てるほうも巻き込んでしまうミュージカルのような作品。でも、やっぱりゴダールの音への入れ込みはすごくって、この映画から音楽をとってしまったら、全然違うものになっちゃうんだろうなあ。と思った。あと、ゴダールはやっぱりポイントは"赤"なんですね。とにかく、コメディのような(コメディといってもさしつかえないような気がする)愉快な映画なのです。


slogan
スローガン

ピエール・グランブラ監督、1968年の作品。ご存じ、セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンが運命的に出会った作品です。ゲンスブールは最初、バーキンを気に入らなかったそうです。でも、映画を撮ってゆくうちに意気投合しちゃったんですね。いいところで流れる"chanson de slogan"がまた憎いです。バーキンの泣きじゃくる姿はふいに『ジュ・テーム・・・』を思い出させます。本気でやってるんじゃないかと思うラヴラヴなシーンは現実もこうだったんだろうなあ、と女の子の憧れの的でしょう。バーキンが二人の新しいお家で楽しそうに踊るシーンが好き。あの家にあったむちゃくちゃかわいいレコードプレイヤーが欲しい。


The White Balloon
白い風船

キアロスタミ監督の弟子であるジャファール・パナヒ監督デビュー作。ラジェは花嫁さんのような白くてすてきな太った金魚が欲しくて欲しくてたまらないのです。だってだって、欲しいんだものっ。ちいさな彼女のちいさな買い物は大冒険になってしまうのです。他人はつめたい。大人はつめたい。そう、彼女にとって大事件でも他人には結局どうでもいいことなんです。ちいさなラジェはいっぱい涙してしまいます。私、思わず涙です。「金魚なら私が買ってあげる!」って。そこかしこにちょっとした謎や技巧がばらまかれていたりするのが余韻を残します。白い風船を持った少年は新年だというのに家も宿もないアフガンの難民。ラジェとお兄ちゃんが家族の元へ帰ったあと、ぽつんと取り残されてしまう姿がちょっと悲しい。無邪気で自己中心的な子供の映画って、やっぱり好きなんです。かわいい子供に限るけど。


友だちのうちはどこ?
友だちのうちはどこ?

アッバス・キアロスタミ監督、1987年作品。ジグザク道三部作第一作。「友だちのノートかえさなきゃ」という少年の純粋でまっすぐな気持ちがほんとにかわいらしい。お母さんのいいつけもふりきって不安な気持ちのなか、友だちのうちを探しに行きます。でも、探しても探しても、聞いても聞いても友だちのうちは見つからないさて、少年はどうしたらいいのかしら?キアロスタミはどうして子供のこういう気持ちが思い出せるのでしょう。それはきっとすごいことなんだと思います。主演の男の子がむちゃくちゃにかわいい。目が、本気なのです。だから引き込まれてしまう。ものすごくいい子で友だち思いで、ひとつひとつの仕草が自然すぎ。感動してしまいます。キアロスタミの名を世界的に広めた名作です。


そして人生はつづく
そして人生はつづく

アッバス・キアロスタミ監督、1992年作品。ジグザグ道三部作第二作。1990年に本当に起こったイラン北部の大地震。この地震は『友だちのうちはどこ?』の撮影現場を直撃しました。監督は映画に出演していた子供達の消息が心配でちょっと古めの車で彼等を探しに行きます。この作品を観てドキュメンタリーなのかフィクションなのか困惑してしまった。半分真実で半分フィクションなのだろうけれど、その境目がわからない。キアロスタミ映画の特徴的な部分かもしれない。結局、主演してた男の子に会えたのかなあ。なんてヤボな想像ですね。


オリーブの林をぬけて
オリーブの林をぬけて

アッバス・キアロスタミ監督1994年作品。ジグザグ道三部作第三作。青年のささやかな愛の言葉にだんだんと惹かれていってしまいました、私。「好き=結婚」ってものすごく純粋な考え方かも。当たり前なんだけど、私達には考えにくいことでしょう?僕は字も読めないし、家もない。でも、字の読める君と結婚したら二人の子供は字が読めるようになるよ。君のためだったらイヤな日雇い肉体労働もするよ。けっこう割がいいんだ。そしたら、家が建てられるよ。って。そんな愛がいじらしい。「僕がお茶を君にくんだり、君が僕にお茶をくんだり。そういうことじゃないかな、人生って。そういうことじゃないかな、結婚って。」ジグザグ道を駆けて、キレイなオリーブの林をぬけて、青年は少女を追いかけます。


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クローズ・アップ

アッバス・キアロスタミ監督、1990年の作品。映画監督になりすましたサブジアンという男の実際にあった話を本人達をそのまま起用したドキュメンタリーです。イランという国は本当に映画にかける情熱がすごい国ですね。映画監督っていうのはみんなの憧れなんです。彼がどうして映画監督マフマルバフのふりをしたのでしょう。とても興味深く描かれています。この映画の中でのキーワード的な存在の『サイクリスト』も是非見てみたい一本となりました。


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エブラハム・フルゼシュ監督、1987年の作品。脚本と編集はアッバス・キアロスタミ。お母さんに赤ちゃんの面倒とお留守番を頼まれた4歳のお兄ちゃん。子供の行動って見てるだけでも飽きない。でも、いつの間にかこっちがお母さんみたいな心境になっちゃって、ハラハラドキドキ。「あっ、あぶない〜」って。お兄ちゃんの行動にじれったくって「ああっ、もうっ」と身をよじること数回。セリフらしいセリフというのじゃなくて自然に出た言葉を重要視しているような感じがします。セリフなんかなくてもお兄ちゃんの気持ちはすごい伝わってくるんです。


STEP ACROSS THE BORDER
ステップ・アクロス・ザ・ボーダー

ニコラス・フンベルト、ヴェルナー・ベンツェルの二人の監督がフレッド・フリスのドキュメンタリー風の映画を制作。1989年作品。ものすごく興味深い映画です。ジョン・ゾーン、ルネ・ルシェール、アート・リンゼイ、ハコ、ボブ・オスタータグ・・・と出演者もものすごい。イヴァ・ヴィトヴァのヴァイオリンでの演奏シーンは筆舌に尽くし難く、すばらしい。音楽に対する姿勢、音への感性、そして取り組み方にいたるまで一見の価値アリ。


TRUST
トラスト・ミー

ハル・ハートリー監督、1990年の作品。映画自体はとてもシンプルなのに、飽きさせない。女の子は16歳で妊娠してしまい、恋人は迷惑がる。そんな女の子に自分の子供でもないのに、産婦人科についていってくれる男。彼は彼なりに彼女を愛している。「はじめてか?一回目(子供をおろすこと)だけだぜ、つらいのは。二回目からはそんな風には思わなくなる」と、同じ病院にいた男に話しかけられ、彼はその男をなぐる。こういう愛に弱いのです。私。彼女を傷つけたくない、という想いが、とても痛いです。主演の女の子、最初濃い化粧をしてます。で、途中から化粧しなくなるのですが、絶対、お化粧しないほうがきれい。かわいいもの。


FRILT
フラート

ハル・ハートリー監督の各3都市を舞台にするオムニバス作品。全部見て、はじめてつながります。反復という方法によって意味を強調するような手法はよく見かけますが、ハートリーの場合、いい感じで難解さが感じられなくてストレートで見やすい。東京編で主演した二階堂さんとは、これをきっかけに結婚しちゃいました。しかも、彼女の恋人役というオイシイ役所のハートリー。はじめて容姿をみましたが、かわいい上にいい男でした。3本とも似ているようで似ていない。各所に笑い(意図的?)があって、飽きずに見る事が出来ました。ラストがね、ちょっと、いいんですよ。泣く。こういう温かさがハートリーの良さ。


MONDO
モンド

フランス文学のル・クレジオの短編をトニー・ガトリフが映画化。太陽の輝く街ニースで純粋で無垢な少年モンドのいろんな人々との交流を描く。モンドが街から消えたあの夏、みんなが大切な何かを失います。
「いつまでも たくさん」
覚えたての字でモンドはすてきな言葉を残してくれました。ホントにステキないい作品です。ほっとする。


どこにトリュフォーの娘が?
トリュフォーの思春期

映画が大好きで大好きで映画監督になっちゃった、フランソワ・トリュフォー。この作品はものすごーく、「愛」を感じます。日常の細かい出来事がかわいくつづられて、子供たちもみんなイキイキしてます。見終わったあとには、こころよい至福が体中を満たします。『大人は判ってくれない』を撮った時、トリュフォーは26歳だったそうです。そして、この作品を撮った時、40代で子供もいたそうです。そのギャップがおもしろいと思う。子供の視線の『大人は判ってくれない』にくらべて、大人の視線から撮った『トリュフォーの思春期』。観てない方は、ぜひ、見較べてみてください。おもしろい発見があるかもしれません。


浮き雲
浮き雲

フィンランドのアキ・カウリスマキ監督1996年の作品。この作品は「4割がヴィットリォ・デ・シーカ、3割が自分、2割が小津安二郎、1割がフランク・キャプラの世界」と、監督自身が言ってます。人生は浮き雲みたいで、悪い風にのっちゃうと、それが続いちゃうんだけど、いい風にのると、うまくいっちゃうもんだよね。人生は一回きり。思ったことをしましょ。


アンダーグラウンド
アンダーグラウンド

映画界のパンク・スター、エミール・クリストリッツァの傑作。『パパは出張中!』や『アリゾナ・ドリーム』でも有名。50年もの間、アンダーグラウンド(地下)で暮らしていた住人が、やっと地上へ出た時、祖国が無くなっていることを知る。祖国に対する、希望や笑い、ユーモア、悲劇をクリストリッツァが全力を注いで完成させた作品。美術は『デリカテッセン』を手がけた、ミリェン・クリャコヴィチ。私はこの映画でかなりのショックを受けました。感想はとても一言では表せないです。


A CLOCK WORK ORANGE
時計仕掛けのオレンジ

鬼才スタンリー・キューブリックの代表作。アヴァンギャルド、パンク、斬新、こんな言葉じゃいい足らない。衝撃を受けました。「雨に唄えば」の曲にのせながら婦人をレイプするシーンなんかはすごくシュール。暴力とドラッグとセックスが生き甲斐のアレックスが、あるきっかけで立場が逆転して暴力を受ける被害者になってしまう。ところが、そんな彼が再び暴力を取り戻してしまうという、なんともいえない皮肉をつづっている。欲をいうと、最後が若干しつこかったかも。


フリークス
フリークス 怪物團

トッド・ブラウニング監督、1932年の作品。恐怖映画でしょうか。すごく印象深いです。「フリークス(怪物達)」というタイトルが示す事が言葉ではうまく言えない・・。この映画が公開された当時、社会的にも大変な衝撃だったそうです。しかし、この映画が及ぼした影響は大きいのではないかと思います。サーカスで働く彼らとそれを見に来る人たち。いったい、どちらがフリークスか、なんて言い始めたらキリがないんですけど。