foreign movie vol.2


Ruka


監督、脚本、原案 / イジィ・トルンカ
音楽 / ヴァツラフ・トロヤン
撮影 / イジィ・シャフアージ
1965年 / チェコ


花を愛し、花の為に植木鉢を作っているアルルカンの家に突然「手」が侵入してくる。アルルカンは小さなもののために、小さな花のために何かが出来る生活が幸せだった。大好きな花があれば他に何もいらなかった。「手」は強制的に「手」の像を作らせる。小さなものすら守れない。自分の守りたいものが守れない。アルルカンは涙を流す。像の完成後、その花が頭に落ちてきてアルルカンは死ぬ。「手」が象徴するのは言うまでもない。この作品を完成させ、短い「プラハの春」が終りを告げた翌年の1969年にトルンカはこの世を去った。トルンカはどんな気持ちでこの作品を作ったのだろう。あまりに重く、痛い、トルンカの遺作である。


悪魔の発明
悪魔の発明

監督、脚本 / カレル・ゼーマン
音楽 / ツデネーク・リスカ
撮影 / イリー・タルンティック
特殊美術 / ツデネーク・オストラチル、ジョゼフ・ゼーマン
出演/ ラボル・トコス、アールノヒト・ナブラチール 他
1957年 / チェコ


水に絵の具をたらして煙に見立てたり、切り絵を効果的に使ったり、なんといろんなアイディアが盛り込まれている事!高度や機材はゼーマンにとってそれほど必要でなかったのかもしれない。制作費が限られていたのかどうかは知らないが、そうであったらそれがむしろ功をそうしているように見える。とても素朴で、そして味がある。このようなアニメが今見れるのは大変うれしい。


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盗まれた飛行船

監督、脚本 / カレル・ゼーマン
原作 / ジュール・ヴェルヌ
音楽 / ヤン・ノヴァク
撮影 / ヨセフ・ノヴェトニー、ボフスラフ・ピクハルット
特殊美術 / ツデネーク・オストラチル、ジョゼフ・ゼーマン
出演 / ミハル・ポスピシル、ヤン・ボール、ヨセフ・ストランニンク 他
1966年 / チェコ


時代は19世紀後半のプラハ。5人の少年達が飛行船を盗む。実写とアニメ(切り絵だったり様々な手法が盛り込まれている)の融合で実にユーモア溢れるすばらしく面白い作品。なんだかもう、あまりに色々面白い所がありすぎて何を紹介していいのか、贅沢すぎるんじゃない?という感じ。見る機会があったら是非色んな場所に目をつけてほしいと思う。


水玉の幻想
水玉の幻想

監督 / カレル・ゼーマン
1948年 / チェコ


この作品は日本で最初に紹介されたゼーマン作品であると同時に、最初のチェコアニメーション。チェコのボヘミアガラスが題材。ガラスの人形を使ったアニメなんてどんなのか想像出来る?水滴の世界をガラスの人形達が美しく乱舞する。チェコという土地を愛していたゼーマンの作品が私はすごく愛おしい。


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カレル・ゼーマンのファンタジーワールド

監督 / カレル・ゼーマン
出演 / カレル・ゼーマン 他
1962年 / チェコ


なんとカレル・ゼーマン作品のメイキング!クソつまらんメイキングは数あれど、これはもう、すばらしく面白い。これほどメイキングが面白いと思った事はない。ネタあかしを見て、その作品を見てみたいと強く思う。ちっちゃな恐竜を使った撮影なんかは、素朴な手法を使ってるんだけどバッチリだまされた!でもだまされてるのが分かっても、不思議にとても幸せな気分。なんだか笑いがこみ上げてくるような。ね。


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飲みすぎた一杯

監督 / ブジェティスラフ・ポヤール
美術 / イジィ・トルンカ
1953年 / チェコ


師匠トルンカがアートディレクションをしているため、ぱっと見はトルンカ作品のよう。飲酒運転はやめてね、というPR映画でトルンカやポヤールを使うこの贅沢さ。トルンカ独特の愛らしい人形達。しかし物語は悲劇を迎える。物語的にはPR映画なので「飲酒はあぶない」という事につきるのだけど、ポヤールの試行錯誤のアニメが目を見はる。スピード感。自分がバイク好きなのでポヤール作品にバイク出てくるだけでちょっとうれしい。余談ですが、トルンカもポヤールも酒豪だったみたい。自戒?


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おもちゃの反乱

監督 / ヘルミナ・ティルロヴァ
1947年 / チェコ


最高齢の女性アニメーション作家、ヘルミナ・ティルロヴァの初期作品。零細おもちゃ工房のおもちゃ達がナチをやっつける。そんな設定からもうかわいいじゃない!小さな力が団結してナチの男をとっちめる姿はなんと可愛らしく愛らしい図。人形と生身の人間の共演。人形自体もかわいいんだ、これが。緊張感もスリルもある。ティルロヴァのアニメーションに初めて触れた作品。ああ、やっぱり女性が作るアニメは優しさと愛が溢れるのだろうか。男性監督でないのはすごく分かる。


CRIA CUERVOS
カラスの飼育

監督、脚本 / カルロス・サウラ
制作 / エリアス・クェレヘタ
美術 / ラファエル・パルメロ
出演 / アナ・トレント、コンチ・ペレス、ジェラルディン・チャップリン 他
1975年 / スペイン


アナ健在。「死んじゃえ、死んじまえ」とつぶやく少しだけ悪魔的なアナ。『みつばちのささやき』(ビクトル・エリセ/1972)出演時よりも少し成長。寡黙な少女役がよく似合う。全部夢だったらいい。すべてが夢だったらいい。もし本当にこれが夢だったら何をしよう?誰も気にせず何も気にせず色んな所に行くね。色んな事をするね。でも、これは夢かもしれないけれど、叔母さんやローサの言う事を聞いて生活しなくちゃいけない。なんで夢で暮らしていけないんだろう。なんで夢の中で暮らしていけないんだろう。「カラスの飼育」。ああ、そっか、なんて思うタイトル。


VIAGGIO IN ITALIA
イタリア旅行

監督/ ロベルト・ロッセリーニ
脚本 / ビタリアーノ・ブランカティ
制作 / マリオ・デル・パパ、マチェロ・ダミーコ
撮影 / エンツォ・セラフィン
音楽 / レンツォ・ロッセリーニ
出演 / イングリッド・バーグマン、ジョージ・サンダース、マリア・モーバン
1953年 / イタリア


ロッセリーニの映し出す風景は、すごく好きだな、と思う。そしてこの作品のイングリッド・バーグマンの美しい事。どの角度から見ても美しい。火山口で子供の様に喜ぶ姿もかわいらしい。その完璧に美しい彼女の嫉妬や苦悩する顔がまた。憎しみ、妬み、恋愛感情にまつわる色々な感情。イタリアの美術品や遺跡が人間、自分達の小ささを感じさせる。自分の抱いている感情がどれだけ小さく卑しいものか。ラストとても好き。雑踏の中で二人抱きしめあう姿は印象的。言葉で伝えきれない美しさ。


フランチェスコ
神の道化師、フランチェスコ

監督、原案 / ロベルト・ロッセリーニ
脚本 / ロベルト・ロッセリーニ、フェデリコ・フェリーニ 他
出演 / ナザリオ・ジェラルディ修道士、アルド・ファブリーツィ、アラベラ・ルメートル
1950年 / イタリア


聖フランチェスコは13世紀初め頃に存在した人物で、イタリアで最も人気のある聖人だと言われている。そんな人物なのに、この話の中では感動的だったり盛り上がったり、というのが全くない。またフランチェスコが主人公という感じもしない。フランチェスコを崇拝するジネプロと同じような比重で、10のエピソードからなるオムニバス形式で非常に淡々と描かれている。この映画はモノクロだけれど、風景がとても美しい。砂埃や綿埃が幻想的ですらある。モノクロはそんなに支持しないけれど、これは好き。これはモノクロであってほしい。モノクロでも空の青さや木々の緑がとてもよく分かる。ところでロッセリーニはこの作品の脚本をフェリーニと共同で書いている。そのフェリーニの協力のお礼としてロッセリーニはフィアット社のトポリーノ(!)を贈ったそう。イタリア、イタリアしてるなー。


Elegy from Russia
ロシアン・エレジー

監督 / アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ソクーロフ
音楽 / チャイコフスキー「子供のためのアルバム」
1993年 / ロシア


すごい。すごいすごいすごい。今まで観たソクーロフの作品で一番感動した。人間の息づかいや森のざわめきがこれほど「生」を感じさせるものか。生活のあらゆる音が「生」につながっている。心の中で自分を見つめると、私の身体の中の「生」も強く感じた。長い長い沈黙、写真を延々と流すシーン。退屈に思えるかもしれない。ところがそのどれもがすばらしい。小さな写真をスクリーンに写した瞬間、それは手元にある写真ではなく映画になる。写真から時間を感じるようになる。ソクーロフ以外でこんなテーマを映画に出来ないのでは、と思った。


けだるい熱病のような欲望と痛みに いま魂が出会う
日陽はしづかに発酵し・・・

監督 / アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ソクーロフ
美術 / エレーナ・アムシンスカヤ
脚本 / ユーリイ・アラボフ 他
出演 / アレクセイ・アナニシノフ 他
1988年 / ロシア


アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ソクーロフ監督、1988年の作品。ストルガツキー兄弟の「世界終末十億年前」が原作だがほぼ原型をとどめていない。「ストーン」「セカンド・サークル」「静かなる一項」などと較べると一番展開があったような気がした。カラーの映画であるにも関わらず、意図的に褪せたような色しか使わない。空の色も青空ではない。褐色がかった色が全面を覆っている。そのままの色で見せるのではなく、色をいじる事によって色にまで意味を持たせる。ソクーロフの作品を見ると長いシーンが不要とは思えない。むしろ長いシーンが独特のリズムを感じさせる。ソクーロフの世界観を突きつけられる。


マザー、サン
マザー、サン

監督 / アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ソクーロフ
脚本 / ユーリイ・アラボフ
出演 / ガドラン・ゲイヤー、アレクセイ・アナニシノフ
1997年 / ロシア


これはソクーロフ作品の中で最も分かりやすいと思う。登場人物は母親と息子の二人だけ。恋人同士よりも深い所で愛し合っている二人の様子はどこか別世界の出来事のよう。特殊なレンズで覗いているような少し歪んだ画面や、意図的に対象以外の背景をぼかしている所は絵画を思わせるほど美しく幻想的。すべての構図にソクーロフの美学があり、とても精密。ただ美しいだけではなく、それぞれに意味がある。かつて「母と子」を描いた映画でこれほどすばらしい映画を観た事がない。映像は言葉を絶するのだ、と気づいた。


永遠と一日
永遠と一日

監督、脚本 / テオ・アンゲロプロス
音楽 / エレニ・カラインドルー
出演 / ブルーノ・ガンツ、イザベル・ルノー、アキレアス・スケヴィス 他
1998年 / ギリシャ・フランス・イタリア


不治の病をわずらった作家で詩人のアレクサンドレは、少年時代、海辺の家で妻の愛を分かってあげられなかった時代、さらには前世紀の詩人との関わり、出会ったアルバニア難民の少年と度をしながら様々なイメージを彷徨う。一瞬どれが現実なのか迷う。自分を深く深く愛してくれた亡くなった妻・アンナとやり直したい、そんな想いが海辺の家のイメージに駆り立てる。アレクサンドレの心の拠り所はアンナしかしない。そのことに気づいた今はもう遅い。愛し愛される人間と一緒にいたい。海辺の家のシーンは強烈な日差しが照りつけ、異常なまでに明るい。それはアレクサンドレの想いだからだ。バスの中でヴァイオリンを演奏する若者達を見て涙が出た。アレクサンドレはアンナに問いかける。「明日の時間の長さは?」アンナの声だけが聞こえる。「永遠と一日」。永遠+一日なのだ。そこには希望や期待がある。明日は永遠以上のもの。


topio stin omichli
霧の中の風景

監督 / テオ・アンゲロプロス
脚本 / トニーノ・グエッラ 他
出演 / ミカリス・ゼーゲ、タニア・パライオログウ、ストラトス・ジョルジョログウ 他
1988年 / ギリシャ 他


幼い姉弟は見知らぬ父親さがしのためにあてのない旅に出ます。混沌とした世界。光があったり闇があったり。喜びの最中に悲しみがある。安堵の最中に欠落がある。すべてが霧につつまれたように見え隠れする。霧の中のように幻想のようであるかと思えば、妙に現実感があったり。姉弟も霧の中をさまようように手探りの旅を続けます。すごい映画だと思う。こういう映画は何度見ても違う発見があるのだろう、と思う。この作品、大好きです。かなりしみます。泣けます。視覚効果も含めてすばらしい。


A TICKLE IN THE HEART
キングス・オブ・クレズマー

監督 / シュテファン・シュヴィーテルト
出演 / マックス・エプスティン、ウィリー・エプスティン、 ジュリー・エプスティン 他
1996年 / アメリカ・ドイツ


「ユダヤの音楽が大好きだ」「自分の音楽が、人の心を震わせるものである事を心がけているだ」そんなマックスの言葉が上っ面のものなんかじゃない。彼等の音楽を聞くと素直に言葉が聞ける。昔話をしてくれているようなクレズマーという音楽が大好きになった。クレズマーなんて知らなかったけれど懐かしい響きがした。ユダヤの事も知らないけれど、エプスティンおじいちゃん達の料理もお話も、クラリネットの音もトランペットの音もドラムの音も心に響いた。何故か見ていて涙が出た。出てくる人達がみんないい顔してる。刻まれたしわ、少したるんだ頬のお肉、ふとっちょな身体つき、なんだかすごくいい。この映画を見る度におじいちゃん達に会えるなんて幸せだ。ラストすごいかわいい。何回も見たいと思える。


LA REGLE DU JEU
ゲームの規則

監督 / ジャン・ルノワール
出演 / マルセル・ダリオ、ノラ・グレゴール 他
1939年 / フランス


この作品を他の監督が撮ったらどうなるんだろう。おそらくこんなに美しく、かつ大らかな作品にはならないのではないかと思った。各所で使われる鳥の鳴き声がすごく印象的。「愛とは幻想の交換であり、皮膚の接触」だなんて優雅に言っておいて自分は相手に夢中でキスをせがんだり。男に別れを切り出されて「愛してないかもしれない、惰性かもしれない。でも不幸になりたくない」という女のセリフはエゴであり真実でもある。上流階級でも庶民階級でも男は女を自分のものにしたいし、女は男から愛されたい。男女の様々な想いが倒錯する。恋のバトルでごちゃごちゃになるあたりからのテンションは見もの。オクターヴ役でルノワール本人も出演してます。兎狩りの場面とラストの関係が面白いし一番考えるトコロ。


画像提供者J.カトールさんに感謝
小人の饗宴

監督、制作、脚本 / ウェルナー・ヘルツォーク
出演 / ヘルムート・デリング、ゲルト・キッケル、パウル・グラウェル 他
1970年 / ドイツ


大人なのに子供。外見が、ではなく中身が。閉じこめられた圧迫された生活がもたらすものは何か。社会に出たら弱者なのにその枠の中でその弱者は弱い物いじめに走る。映画の中では設定があるけれど、現実と照らし合わせたらどうだろう。何も変わらない。同じだ。殺された豚も、決闘に破れたニワトリも、円を描いて走る無人の車も、立てないラクダも、全部彼等を象徴しているように思えた。いろんな問題を内包している。見る人によって反応が違う映画だと思う。関係ないですが中原昌也さんが好きらしい映画。そんな感じ。


Sedmikrasky
ひなぎく

監督 / ヴェラ・ヒティロヴァ
原案 / ヴェラ・ヒティロヴァ+パヴェル・ユラーチェク
出演 / イヴァナ・カルバノヴァ(マリエ1役)、イトカ・チェルホヴァ(マリエ2役)  他
1966年 / チェコ


今、この年齢で見る事が出来てすごく良かったと思った。冒頭からやられた。ハサミでチョンぎっちゃうのもやられた!女の子はいつだって楽しい事がしたい。お洒落したいしおいしい物食べたいしラクしたい!人生おいしいトコだけ見れればしあわせ。そうそう、大好きなケーキの投げ合いしてお互いクリームだらけになってみたいし、漫画みたいに大きなシャンデリアでブランコするのだって一度くらいしてみたい。主演の女の子2人の洋服、いつもすごくかわいい。水着もかわいい。下着もかわいい。お互いパンダ(モード)メイクし合うのも格好いいしかわいい。映像もこれまた格好いい。効果音も格好いい。でもそれだけじゃない。彼女達に気づかない労働者の男達。「私たちはいないのかしら?」自分達の存在証明ってどうやってするのかしら?誰がしてくれるのかしら?女の子にお薦めな映画。女性監督ゆえの作品。


アッカトーネ
アッカトーネ

監督、脚本 / ピエル・パオロ・パゾリーニ
制作 / アルフレード・ビーニ
出演 / フランコ・チッティ、フランカ・パスット、シルヴァーナ・コルシーニ 他
1961年 / イタリア


パゾリーニはこの作品で初めて触れた。ローマの貧しい人々にスポットを当てた本作品は主人公アッカトーネを中心に展開していく。本国イタリアで上映された際には大批判され辛辣な酷評を受けたそう。生活(将来)への希望のなさが悲劇を生みさらに悲劇をよぶ。この映画が実体験を基にしているとは(多分)いい暮らしをしている私にはちょっと信じられない。この映像があまりにも生々しく徹底したリアルさを表現していたからこそ上流階級の人々への強烈な印象を残したのかもしれない。と、こういう事を考えながら見ないと実は結構退屈な映画にもなりうるこの作品。すごい面白い!とは決して言えないので、パゾリーニ事情を少し知ってから見てみるのがいいのかもしれない。


テオロマ
テオロマ

監督、脚本、原案 / ピエル・パオロ・パゾリーニ
制作 / フランコ・ロッセリーニ、マノーロ・ボロニーニ
美術 / ルチアーノ・プッチーニ
音楽 / エンニオ・モリコーネ、モーツァルト 他
出演 / テレンス・スタンプ、シルバーナ・マンガーノ、マッシモ・ジロッティ 他
1968年 / イタリア


一人の青年によって、変貌してしまうあるブルジョワ家庭を描いた作品。人間というのは生活していくうちに社会からはみださないような真っ当な(と認識されている)生き方を学んでいく。社会から逸脱しないように生きていくと、知らないうちに自分の本当の欲望や願望が制御されてしまう時がある。このブルジョワ一家は一人の青年に家族それぞれが影響を受け、自分の本当の姿をそれぞれが自覚しはじめるのだ。冒頭、青年が現れる前の家族の様子が青っぽい色あせた映像であるのは、この家族が本当の姿でない状態をあらわしたものだと推測出来る。時折現れる荒野の風景は家族それぞれの心の虚無感をあらわしたものかもしれない。ラスト、父親が全裸でその荒野をアテもなく歩いているのは心の風景?ブルジョワ批判だけの作品じゃない。人間の本能を浮き彫りにした作品だと思う。父親が荒野で叫ぶシーンが象徴的。


話の話
話の話

監督、アニメーター / ユーリー・ノルシュテイン
美術監督 / フランチェスカ・ヤルブーソヴァ
1978年 / ロシア


意味や理由が明確であるものほどつまらないものってある。意味なんてはっきりとわからなくてもいい。何度も何度も見るうちに、なんとく雰囲気で伝わってくる。大きくてかわいい牛がなわとびしていたり、魚が宙を泳いでいたり、草原のような場所で家族が個人個人で色んな事をしている。これは理想?平和だった過去?音楽が止まる度に女性と一緒に踊っている男性のパートナーがひとりひとり消されていく。戦争へ駆り出されるのだ。木の葉が列車を追いかける。とても悲しい気持ちが伝わってくる。オオカミの子供の仕草がものすごくかわいらしい。すごくユーモアがあって笑ってしまうのに、何故か涙が出てしまう。やきいも?を火の中から取り出してアチチッ、ふーっ、ふーっ、なんてしたり、笑ってた赤ん坊に突然泣き出されて一生懸命なだめたり。これは映像詩。大好きな作品。


霧につつまれたハリネズミ
霧につつまれたハリネズミ

監督、アニメーター / ユーリー・ノルシュテイン
美術監督 / フランチェスカ・ヤルブーソヴァ
1975年 / ロシア


ものすごくかわいいのだけど、「かわいい」という言葉に内包されるものはそんな単純なものじゃない。動きにしろ、セルで出来たハリネズミにしろ、ものすごくはかなくて、涙が出そうなくらい繊細で、吸い寄せられるように引き込まれる。実写を取り入れ方も効果的で思わずうなる。ハリネズミの小さな小さな冒険。びくびくどきどきして一緒に霧の中に入って行こう。これはアニメーションの最高峰。たった12分の作品だけれど、その密度はとても濃く、何度見たって飽きない。すばらしい。見る事が出来て幸せな気分になる。


ストリート・オブ・クロコダイル
ストリート・オブ・クロコダイル

監督、美術、パペットデザイン / ブラザーズ・クエイ
原作 / ブルーノ・シュルツ「大鰐通り」
プロデュース / キース・グリフィス
原作 / ローベルト・ヴァルザー「ヤーコプ・フォン・グンテン」
出演 / アリス・クーリジ、マーク・ライランス、ゴットフリート・ジョン 他
1995年 / イギリス


人形だけでなく、無機質でそっけない感じのするネジや土(地面)が意志を持って動く描写がすごくうまい。パペットアニメーションというのに甘んじる事なく、見ている方が覗いているような、覗いてみたくなるようなカメラの位置もすごく面白い。時計の中身が内臓っぽい肉になっているのや、人形が手品のように出す肉。乾燥してそうなこの世界に液体を含んだものは異様で存在感がある。「ヤン・シュヴァンクマイヤーの部屋」(1984)でもアンティークドールみたいのが使われていたけど、クエイはきっと好きなんだろうな。完成品でなく、髪の毛もない状態では後頭部にシリアルナンバーや作者名が入っていて頭の中はからっぽだ。その少し不気味な感じがクエイの作品の表情とあっている。


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ギルガメッシュ/小さなほうき

監督、美術、パペットデザイン / ブラザーズ・クエイ
共同監督、プロデュース / キース・グリフィス
音楽 / R.ウォーター
1995年 / イギリス


今から物語がはじまるよ、みたいな冒頭から好き。ギルガメッシュなのにたんぽぽの綿毛とか食べてて妙にヘルシー。たんぽぽの綿毛と比較してそんな大きさなら、実はすごい小さいんじゃん。それに移動手段は三輪車だ!部屋でも三輪車乗っちゃうもんね~、みたくキコキコこいでいる姿はちょっと不気味な外見からは想像出来ない。いじめる対象を見つけて捕まえると容赦なし。もう絶対離さない、オレのオモチャだ。と言わんばかりの仕打ち。ギルガメッシュのくだき方というか違う視点で解釈してしまった所が面白い。


ベンヤメンタ学院
ベンヤメンタ学院

監督、美術、パペットデザイン / ブラザーズ・クエイ
脚本 / ブラザーズ・クエイ+アラン・パス
原作 / ローベルト・ヴァルザー「ヤーコプ・フォン・グンテン」
出演 / アリス・クーリジ、マーク・ライランス、ゴットフリート・ジョン 他
1995年 / イギリス


ブラザーズ・クエイ、初めての実写長編作品。この作品はカフカが尊敬していたスイスの異端の作家ローベルト・ヴァルザー(1878-1956)の小説に影響を受けているとのこと。オペラなどの舞台美術もやってしまう監督さんなので、その辺りのこだわりも見逃せない。白黒画面の映画はごまかしがきかない。でも、そこをあえて白黒にする姿勢。幻想的で、おとぎ話のようで、まるで夢を見ているような感覚に陥る。美しく、不思議で、でもすごく知的な感じ。


笛吹き男
笛吹き男

監督、美術 / イジィ・バルダ
脚本、原案 / カミル・ピクサ
1985年 / チェコ


イジィ・バルダは「チェコ実験アニメーション作家の最右翼である」なんて言われたりしてる。ブレーメンの伝説である「ハーメルンの笛吹き男」のお話をイジィ・バルダが様々な技法を取り入れて彼の世界の中で物語は進む。彫刻のような木彫りの人形のアニメーションに、ねずみの実写が入り交じり、不安や混沌などを見せる。物欲のかたまりの人間達をねずみに変えてしまう聖者は一体、何者だったのか。彼の皮肉は心の奥に来るような気がする。フルートの演奏担当はイジィ・スティヴィン。


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手袋の失われた世界

監督、脚本、美術 / イジィ・バルダ
音楽 / ペトル・スコウマル
1982年 / チェコ


手袋たちが人間より人間らしい表情を見せ、さまざまなジャンルの映画のパロディーをおりなす。その映画はチャップリン映画のようなドタバタ・コメディーだったり、マレーネ・ディートリッヒが出演しそうなロマンスものだったり、フェリーニの映画や『アンダルシアの犬』や『未知との遭遇』や『ゴジラ』など。これはすごくかわいらしいようで強烈。イジィ・バルダの作品は職人芸だと言う人がいるが、私もそう思う。すごく考えていて、凝ってる。