foreign movie vol.5


The Old Man and the Sea
老人と海
The Old Man and the Sea


監督・脚本・作画 / アレクサンドル・ペトロフ
原作 / アーネスト・ヘミングウェイ
音楽 / ノーマンド・ロジャー
撮影 / セルゲイ・レシェトニコフ
1999年 / ロシア、カナダ、日本


1995年の製作開始から4年以上かけて作り上げられた作品。「雌牛」(1989)や「おかしな人間の夢」(1992)は朴訥で緻密で繊細な素晴らしさだった。この作品はそれらが少しずつ削られて、その隙間の部分にコンピューター技術が導入されている。それがいいかどうかはペトロフファンの私の言いたい所ではなくて、あらゆる角度からの描写の上手さ、空を飛ぶ鳥が海の魚目指して海に飛び込む、その視点を鳥に移す巧妙さ。ペトロフに余分な要素が加わったとしても、それでもペトロフさが見える限りペトロフが好き。老人は、人間は鳥や獣に較べれば大したことない、知性や理性のない獣の方が純粋に生きられる、という。空の星を殺さないだけ、ましなんだ。


tom thumb
親指トム
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監督・製作 / ジョージ・パル
脚本 / ラディスラス・フォダー
撮影 / ジョルジュ・ペリナル
出演 / ラス・タンブリン、アラン・ヤング、テリー・トーマス、ピーター・セラーズ
1958年 / アメリカ


ジョージ・パルがイギリスで監督・制作したファンタジー・ミュージカル。パペットアニメを駆使し、第31回アカデミー特殊効果賞を受賞した作品。デイヴ・ボースウィック『親指トムの冒険』(1993/イギリス)の多分元ネタであろうと思われ(こちらのトムは実写、ボースウィックのトムはパペットという違いはあるものの)、しかしその元ネタは想像以上にすごかった。始まったとたん、あまりのかわいさ、楽しさに釘付け。音楽にあわせてパペット達と踊るトム、勝手に踊りだす靴。大好きなマイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー『赤い靴』(1948/イギリス)、『ホフマン物語』(1951/イギリス)的雰囲気を持った、すばらしく素敵なファンタジー。お伽話の本はとても楽しい。二人はずっと仲良く暮らして、ジ・エンド。


The Tempest
テンペスト
The Tempest


監督・脚本 / デレク・ジャーマン
製作指揮 / ドン・ボイド
原作 / ウイリアム・シェイクスピア
撮影 / ピーター・ミドルトン
音楽 / ウェイブメイカー
出演 / ヒースコート・ウィリアムス、カール・ジョンソン、エリザベス・ウェルチ、トーヤ・ウィルコックス
1979年 / イギリス


ジャーマンが大学で英文学と美術史を専攻してした時に、テキストと出会って以来20年、このシェイクスピア最後の戯曲に魅了されつづけてきたという。ジャーマンの他の作品とは趣が違う。黒さを秘めた妖しい幻想の世界。エーリアル役のカール・ジョンソンの、青白い顔でにたりと笑い、生々しい舌を出す仕草までがどろりとした美しさを思わせる。ただ綺麗なんじゃない、深い所でそれはとても美しい。幻想のあとには何も残らない。はかない人生は眠りで始まり、眠りで終わる。王の息づかい、王の死という眠り。


La Naissance de L'amour
愛の誕生
La Naissance de L'amour


監督 / フィリップ・ガレル
脚本 / マルク・ショロデンコ、ミュリエル・セール
撮影 / ラウル・クタール
音楽 / ジョン・ケイル
出演 / ルー・カステル、ジャン=ピエール・レオー、ヨハンナ・テル・ステーヘ、オレリア・アルカイス
1993年 / フランス・スイス合作


"愛だけ 映画もお前のいない人生も 孤独におびえる日々もない 美しき瞳よ"。冬のパリ。繊細で、内側から痛くて、ガラスのようなはかなさを持った静かな静かなモノクロームの恋愛映画。愛はどのようにしてはじまり、そして終わりを迎えるのか。フィリップ・ガレルにこのような映画を作らせる動機は何だろう。ヴェエルヴェット・アンダーグラウンドのニコ、ジーン・セバーグ、親友ジャン・ユスターシュ、今はいない愛する人達への記憶の結晶なのかもしれない。「愛してる?」女は聞く。男は「愛してるよ」と答える。「証明して」と言う女に男は「子供をつくろうか」と言う。女は「キスすればいいのに」と笑う。無音のエンドロール。


Nachitvlinders
夜の蝶
Nachitvlinders


監督 / ラウル・セルヴェ
音楽 / ボー・スパンク
製作 / アンネミ・デグリーゼ
アニメーション / ジョエル・セルヴェ
キャスト / ヨー・ルッツ、トレース・ボンテ、エリーゼ・デ・ブリーゲル、ヴァレリー・シャミノ、ニキ・コンスタンティニディス
1998年 / ベルギー


ベルギーの画家ポール・デルヴォーへのオマージュ作品。そのデルヴォーの絵が動き出す美しさといったら。全く動かない二人の女が何かに導かれるように立ち上がって踊り出すシーン、アニメーションだとか実写だとかどうでもよくなる美しさにうっとり。夜の駅待合室で起こる不思議なひととき。それはさながら夢のようで、魔法の時間を垣間見る感じ。つかの間生き返って、再び死んでいくというのはアニメーションそのものでは。ラウル・セルヴェはなんという作品を作ってしまうのだろう。感激。


Harpya
ハーピア
Harpya


監督・脚本・特殊効果 / ラウル・セルヴェ
カメラ / ウォルター・スメッツ
音楽 / ルシアン・フッドハルス
キャスト / ウィル・スポール、フラン・ヴァラ・ゼイパー、シェルト・ヴェイターズ
1979年 / ベルギー


1979年カンヌ国際映画祭短編部門パルムドール受賞作品。実写アニメーション。少々無駄ぽい感じのするストップモーションさが怖さでなく妙に愛らしい。夜道を散歩する男が聞いたのは女の叫び声。暴漢から助け出したその女は鳥の体を持つ半人半獣の怪物ハーピアだった。どん欲な食欲のせいで男の食べ物はすべて食い尽くされ、男の下半身すら食べられてしまう。音楽のせいか、動きのせいか、恐くはなく、こっそり笑ってしまうような感覚。


Sirene
人魚
Sirene


監督・脚本・製作 / ラウル・セルヴェ
音楽 / ルシアン・フッドハルス
アニメーション / ウィリー・ヴェルスヒェルデ
1968年 / ベルギー


不安を象徴する空の色、巨大なクレーン、空を飛ぶ太古の恐竜。釣り人が海で釣りをして、釣り糸にかかるのは魚の骨。しかし船の上で若者がフルートを吹くと、魚の骨しかいなかったはずの海から人魚が現れる。しかしその人魚はクレーンに殺され、研究所と動物園の餌食の対象となり、そこには人魚のチョークの後だけが残る。若者は自分の影をチョークでかたどり、人魚の跡と自分の手を繋がせると、空で二人は星となり肩を寄せ合い仲良く暮らすイメージが現れる。現代へのアイロニーとファンタジーの交差した作品。たった9分30秒の作品だけれど、すごく好き。涙が出た。


Chromophobia
クロモフォビア
Chromophobia


監督・脚本・製作 / ラウル・セルヴェ
音楽 / ラウル・ダルボ
1966年 / ベルギー


反戦アニメ。モノクロの軍隊が街にやってくる。街はみるみる色がはぎとられ、人々からも色が失せる。しかしこれがあまりメッセージ色の強すぎるものにならないのは可愛いキャラクターのせい。女の子や画家の仕草。カラフルな色はみんなを幸せにする。強制的なモノクロ色でなく、好きな色を自由に愛するのは、とても幸せな事。


Le Roi et L'Oiseau
王と鳥 (「やぶにやみの暴君」改作)
Le Roi et L'Oiseau


監督 / ポール・グリモー
脚本 / ジャック・プレヴェール、ポール・グリモー
台詞 / ジャック・プレヴェール
音楽・作曲 / ヴォイシエチ・キラール
歌・作曲 / ジョゼフ・コスマ
美術 / ポール・グリモー
1979年 / フランス


1947年の製作開始後4年たっても完成されなかった「やぶにやみの暴君」。それをプロデューサーのサリュが買い取り、グリモーがネガを買い戻したのは1967年。34年という年月が流れ改作してこの世に送り出したのが「王と鳥」。羊飼い娘と煙突掃除の少年の恋は王を筆頭とする「権力」の前にいばらの道を進むことになる。自由とは監獄の中で労働することだと言う王。「やぶにやみの暴君」と違い、ラストにふたりの姿はない。代わりにグリモーの「権力」への怒りがラストにある。「権力」の前にどうしようもない時代がいつもある。トルンカの遺作『手』の中の権力に踏みつぶされるアルルカンの姿はリアルかもしれない。でも、美しく気高い気持ちが、世界を変える話があってもいいと思う。それが夢や理想であっても、ふたりの愛の台詞はリアルに感じたから。世界には昼も夜もある、月も太陽も。世界の絶賛を浴びたポール・グリモーの傑作。


Le petit soldat
小さな兵士
Le petit soldat


監督 / ポール・グリモー
歌・作曲 / ジョゼフ・コスマ
1947年 / フランス


愛する女の子の人形と引き裂かれ、戦争のため、かり出される青年軽業師の人形。傷ついて帰ってくる彼におもちゃ屋で一緒に並んでいた人形はいじわるをする。しかし愛は世間の風より強い。けなげさと優しさを兼ねた強さはどの時代でも古くならないとは『雪の女王』(レフ・アタマーノフ/1957)の解説で見た言葉。対戦直後に作られたせいか、戦争へのメッセージが込められている。音楽が大好きで、おもちゃが大好きで、アニメーションが大好きな優しいポール・グリモー。そんなのがすごくよく伝わってくる。ポール・グリモーの人柄とあわせて、この作品が好き。


The Very Eye of Night
夜の真の眼
The Very Eye of Night


監督 / マヤ・デレン
音楽 / テイジ・イトー
出演 / メトロポリタン・オペラ・バレエ学校の生徒
1952-59年 / アメリカ


眼球のイラストを拡大していくとそこにはカオスのマーク。夜空の星群。そこにかぶさるTeiji Itoの音楽が星のひとつひとつを表現しているかのようですごく好き。夜空でダンスする人間達。それぞれが星のイメージ。モノトーンという事を忘れてしまう綺麗さ。そこに色があるのはきっととても無意味。身体を使う表現が言葉以上に胸を打つ。怖さ、狂気にも通じる美しいマヤ・デレンの世界。


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暴力についての瞑想
Meditation on Violence


監督 / マヤ・デレン
音楽 / 中国の笛とハイチの太鼓
出演 / チャオ・リ・チ
1948年 / アメリカ


マヤ・デレンて音を選ぶセンスいいなと思う。何方向からの光をあてられていくつかの影と同調しているかと思えば、影の後を振り払うかのような動き。ゆったりした動きから次第に激しい動きに変化する。これは最初から相手のある動きだったと見ていくうちにわかりはじめる。何をしているかは想像次第。男の視線が何かを見据えているような気がしてくる。


Ritual in Transfigured Time
変容した時間の儀式
Ritual in Transfigured Time


監督 / マヤ・デレン
出演 / リタ・クリスチアニ、アナイス・ニン、マヤ・デレン
1945-46年 / アメリカ


サイレント作品。女が毛糸を使って楽しげに遊ぶようなその様子に無表情に手をのばす女。毛糸をあやつる女のまわりには風がある。女は風と遊ぶ。毛糸とダンスするように。女は突然姿を消す。その様子を見ていた女は驚く様子もない。パーティーがはじまる。着飾ったと女達ときめこんだ男達。楽しそうだけれど、内容のないその会話に音をつける意味はない。寄り添っては離れ、離れては寄り添う。男と女は激しいダンスをする。追うことと追われる意味。ラストの水の中に女の落ちていく女の覚醒したような表情が印象的。まるで写真集をぱらぱらとめくって出来上がった映像。美しすぎて、映像か写真の区別がつかなくなる。


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カメラのためのコレオグラフィーの習作
A Study in Choreography for Camera


監督 / マヤ・デレン
出演 / タリー・ビーティ
1945年 / アメリカ


サイレント作品。木々と同調するようにダンスする男。それはとても優雅で、自然で、自由で、風の精のよう。時に回り、ジャンプし、どこへでも行ける。どこへでも行ける、それはとても素晴らしい事だと。それはとても夢のようだと。どこへでも行ける事は、どこにも行けない事じゃない。


At Land
陸地にて
At Land


監督 / マヤ・デレン
出演 / マヤ・デレン、ジョン・ケージ
1944年 / アメリカ


サイレント作品。波打ち際で波にされるがままの女。女の目は開いている、空には鳥が飛んでいる。ゆっくり起きあがる女。ブルジョア達の会談。草むらからその光景を眺める女は想像の中でブルジョアのチェスをつまらなそうに眺める。音のない水の音。舗装されていない道を歩く女に話しかける足早に歩く男の会話。女は男を追う。男の家で見た彼の父親らしき人物を見る女の、ゆらめく光を浴びる顔の様子、スローモーションで崖を下る女の恍惚とした顔が絶品。やがて女は果てしない丘を石を拾いながら歩き出す。集めた石、川辺でチェスをする女達の意味のなさ。聞こえない水の音や風の音が聞こえるように、女達の笑い声までが聞こえてくる。マヤ・デレンの孤高のイメージ。


Meshes of the Afternoon
午後の網目
Meshes of the Afternoon


監督 / マヤ・デレン
共同監督 / アレクサンダー・ハミッド
音楽 / テイジ・イトー
出演 / マヤ・デレン、アレクサンダー・ハミッド
1943-59年 / アメリカ


花。歩く女。刃物。スローモーションで歩く女の足の美しさ。眼球の動きの夢の様。行き着いた先の薄いヴェールをかきわける。唇から鍵を出す女の唇の生々しさ。黒いマントの人間を追う。ふりむくとそれは鏡の顔。手のひらに触れるとそれは様々な変貌をする。女の首から流れる血。Teiji Itoの音楽がこの映画のモノトーンの美しさを倍増させる。意味があるかないかは問題の中心ではない。内面を表すイメージの羅列が私を魅了する。夜と白昼夢の形。すべてが波でさらわれる。映像の詩人、マヤ・デレンの傑作。


Night on Bald Mountain
禿山の一夜
Night on Bald Mountain / Nuit sur le Mont Chauve


監督 / アレクサンダー・アレクセイエフ&クレア・パーカー
音楽 / ムソルグスキー『禿山の一夜』
編曲 / リムスキー・コルザコフ
演奏 / ロンドン交響楽団(指揮:アルバート・コーツ)
1933年 / フランス


世界の最も優れたアニメーションの中でも断然トップだと思う、とノーマン・マクラレンに言わしめたアレクサンダー・アレクセイエフ(当時32歳)&クレア・パーカー(当時27歳)の処女作品。こんな作品が処女作品だとは正直驚く。イメジネーションの数々がアレクセイエフの天才さを物語る。アレクセイエフは生涯、神秘、精霊の世界という暗闇の部分を持ち続けた。彼のバイオグラフィーを見ても分かるように様々に印象づける出来事が彼のまわりで起こっている。映像の中には彼の幼少の記憶や体験が作品を通して垣間見る事が出来る。リズムもテンポもすごい。ムソルグスキー『禿山の一夜』が一瞬でアレクサンダー・アレクセイエフ&クレア・パーカーの世界にかわる。


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三つの主題
Three Moods / Trois Themes


監督 / アレクサンダー・アレクセイエフ&クレア・パーカー
音楽 / ムソルグスキー『展覧会の絵』より
演奏 / アルフレッド・ブレンデル
1980年 / ユーゴスラビア


『展覧会の絵』(1972)の続編。同じくムソルグスキーのピアノ組曲の4曲目から6曲目までの音楽のアニメーション。もうこれはアニメという言葉が正しいのさえ分からなくなるくらい素晴らしくて美しい作品。4曲目"ビードロ(牛車)"の牛の影と群葉の重なり、5曲目"卵の殻をつけたひよこの踊り"の左から右に流れる絵のイメージの数々、6曲目"サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイル"のテーブルの上の光る金貨。芸術とその価値に対する代償。この作品を制作して2年後にパーカー、3年後にアレクセイエフがこの世を去る。彼等の遺作は、あんまりすごくて、涙がボロボロとこぼれ落ちた。彼等以外にムソルグスキーの曲の完璧な視覚化なんて出来ない。アレクセイエフは「アニメーション芸術こそもっとも称賛に値するジャンル」という意見を持っていた。それを認めずにはいられない作品。


Pictures at an Exhibition
展覧会の絵
Pictures at an Exhibition / Tablesux d'une Exposition


監督 / アレクサンダー・アレクセイエフ&クレア・パーカー
音楽 / ムソルグスキー『展覧会の絵』より
演奏 / アルフレッド・ブレンデル
1972年 / フランス


モデスト・ムソルグスキー「展覧会の絵」は、若くして死んだ親友のハルトマン(建築家で画家)の展覧会を記念して作られた全10曲の作品。その「展覧会の絵」の最初の3曲をアニメーション化したのがこれ。しかしこの作品はムソルグスキーやアレクセイエフの幼児体験を元にしたイメージだという。白い影の少女たちが暗闇でくるくるとまわり、霧に包まれたような空間の中、枯れ木がまわる。美しい中にグロテクスな小人たち。音楽と呼応する映像。大きなピンスクリーンの前に小さなピンスクリーンがまわる。


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道すがら
Passing By / En Passant


監督 / アレクサンダー・アレクセイエフ&クレア・パーカー
音楽 / カナダ民謡(フランス語圏)
演奏 / アルエット・カルテット
1943年 / カナダ


この立体的な家や動物たちのかわいらしい動きがピンスクリーンで作られたものかと思うと感動的。NBFがアレクセイエフ夫妻に"Chants Populaires(民謡)"シリーズとして製作依頼したもので、その依頼を推薦したのはノーマン・マクラレンだとか。フランス語の語呂合わせの歌詞が分からないのがとても残念。短い映像の中の果てしない可能性。


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The Nose / Le Nez


監督 / アレクサンダー・アレクセイエフ&クレア・パーカー
原作 / ゴーゴリ『鼻』
1963年 / フランス


ゆれ動く影と実体。しかしどちらが存在感があるかといえばそれは影の方。ゆれ動く形は一体何を意味しているだろう。太陽の光の陰影、時間の流れ、どれをとっても洗練されたアニメーション。版画の挿し絵作家として多くの文学作品を手掛けたアクレクセイエフだけど、文学作品を題材にしたピンスクリーン・アニメーションはこの作品のみ。アレクセイエフの作品は音楽が先にあり、それに映像をつけていくものが多かった。けれど、この作品は映像が先。即興性の音楽を担当するハイ・ミンがいい音を作り出す。「前衛」「実験」という言葉を使う人に、この作品を見てもらいたいと思った。


Bande a Part
はなればなれに
Bande a Part


監督・脚本 / ジャン=リュック・ゴダール
原作 / ドロレス・ヒッチェンズ「FOOL'S GOLD」
製作 / フィリップ・デュサール
撮影 / ラウル・クタール
音楽 / ミシェル・ルグラン
出演 / アンナ・カリーナ、サミー・フレイ、クロード・ブラッスール、ルイザ・コルペイン、エルネスト・メンゼル、シャンタル・ダンジェ 他
ナレーター / ジャン=リュック・ゴダール
1964年 / フランス


見る前、もっとミュージカルぽい作品だと思ってた。突然の音楽の中断、会話、とても"ゴダールぽい"ゴダール映画。ゴダールの作品をゴダール自身がパロディにしたような感じ。セリフの中の「時代は中国!」だとか「カフェ"万事快調"で」だとか顕著に(『万事快調』はこれより後の作品だけど)。一分間沈黙ゲームの背後の声もすべて消えて無音にしてしまうシーンやルーブル美術館鑑賞の9分45秒記録にチャレンジするシーンが楽しい。カフェで踊るシーン、あれはゴダールとカリーナの共通の知り合いのダンス教師に当日即興で振り付けしてもらったものだそう。前評判は高かったけれど、チラシにあったようにゴダール・ベスト・ワンだとは思わない。アンナ・カリーナ主演だったら『男と女のいる舗道』(1962)の方が好き。


French Cancan
フレンチ・カンカン
French Can-Can


監督 / ジャン・ルノワール
製作 / ルイ・フィリップ
撮影 / ミシェル・ケルベール
美術 / マックス・ドゥーイ
音楽 / ジョルジュ・ヴァン・パリス
衣装 / ロジーヌ・ドラマール
出演 / ジャン・ギャバン、フランソワーズ・アルヌール、エディット・ピアフ 他
1954年 / フランス、イタリア


パリの有名な『ムーラン・ルージュ』を舞台に、フレンチ・カンカンの由来を描くフィクション。ラストのショーのシーンを見るためにこの映画を見たかに思えた。見てるだけでウキウキした気分になり楽しくなり嬉しくなって、涙が出そうになる。恋は楽しいものよ、と歌いながら綺麗な衣装を着てスカートまくり上げて思いっきり足をあげてカンカンを踊る美しい娘達。楽しいショーがいつまでも終わってほしくない。もう、すばらしい映画。こういう映画が見たかった。大好き。


The Sand Castle
砂の城
The Sand Castle


監督・アニメーター / コ・ホードマン
編集 / ジャック・ドゥルーアン
音楽 / ノーマン・ロジェ
リレコーディング / ジャンピエール・ジュテル
製作管理 / ジャクリーヌ・マルキ
プロデューサー / ガストン・サロー
1977年 / カナダ


ちょっとマイってしまう、こんな可愛らしさ。砂から生まれる生き物たちが一生懸命に"砂の城"を作る。砂嵐が来ればたちどころに消えてしまう砂の城。何か残るわけではないけれど、ほんの一時の遊び(楽しみ)のために、一生懸命になること。城が完成してパチパチと手を叩く砂の男の子(に見える)の様子の可愛らしい事! すべてを砂で作ったこの作品、これだけでコ・ホードマンを好きになってもいいでしょ。アート性を必要とするかしないか。こういう作品があって、アート性重視の作品がある。きっとこの作品で見たものは、私たちの時間にしたら、すごくすごく短い時間の出来事。


TCHOU-tchou
シュッ・シュッ
TCHOU-tchou


監督・スクリプト / コ・ホードマン
キャラクターデザイン / スザンヌ・ジェルヴェ
アニメーター / ジャナ・B・スバール
編集 / イブ・ルダック
音楽 / ノーマン・ロジェ
録音 / ロジェ・ラムール
リレコーディング / ジャンピエール・ジュテル
製作管理 / ジャクリーヌ・マルキ
プロデューサー / ピエール・モレッティー
1972年 / カナダ


合計3,000個のブロックを使用し、ブロックそのものとブロックに描かれたアニメが動く。カラフルなそのブロックはオランダ製らしく、そんな所に女の子の食指は動くというもの。コ・ホードマンのアニメはきっと子ども向けに作られるものが多い。大人が見るアニメのように、テーマ重視だったりするわけじゃない。大人が見たら、きっと大部分忘れてしまう内容かもしれない。けれど子どもたちの心には、青や赤や緑のブロックが楽しい記憶を蘇らせるのかもしれない。


Street Musique
ストリート・ミュージック
Street Musique


監督・アニメーター / ライアン・ラーキン
音楽 / リック・スコット、ディック・ターノフ、リック・ストーン、リック・ワトソン、ジム・コルビィ、ジョン・バン・アスデル
音楽録音 / ローランド・ニュートン
撮影 / ピエール・プロボー、カメロン・ゴール、シモン・ルブラン
リレコーディング / ジャンピエール・ジュテル
1968年 / カナダ


難しい事なんて考えなくてもいい。アニメーションの中では何が起こっても不思議ではないし、何をしてもいい。色んな形に変化することだって、色んなものがどんな色づけされようと、どんなイメージを持とうと自由。すごく基本的な事。ラーキンの頭の中では愉快なイメージがたくさんつまっていて、大人になっても子どものように豊かな遊び心を忘れない。軽快なストリート・ミュージックにのせて、絵が、自在に動き出す。


Syrinx
シリンクス
Syrinx


監督・アニメーター / ライアン・ラーキン
音楽 / クロード・ドビュッシー
1965年 / カナダ


木炭画を描いては消し描いては消し、という手法のアニメーション。ドビュッシーのフルート曲"シリンクス"(1919)が流れる中、水の精"シリンクス"と彼女を愛する牧神の話が展開される(このイメージはライアン・ラーキン独自のもの)。とても短い話だけれど、木炭画の余韻と水の精"シリンクス"の美しさに心奪われる。下に少し書いたドゥルーアン『エックス・チャイルド』は実はこの木炭画によるものだと当時ずっと思ってた。そんなピンスクリーンにも近い手法にも思えるこの手法。私はこの作品が好き。ゆらゆらゆらめくウェンディ・ティルビー『やすらぎのテーブル』(1986)は、この作品の延長上のもののようにも感じた。


Mindscape/Le Paysagiste
マインドスケープ
Mindscape / Le Paysagiste


監督・アニメーター / ジャック・ドゥルーアン
音楽 / ジャンドニ・ラロシェル
録音 / ロジェ・ラムール
リレコーディング / ミッシェル・デコム
製作管理 / ジャクリーヌ・マルキ
プロデューサー / ガストン・サロー
1976年 / カナダ


アレクサンドル・アレクセイエフのピンスクリーンを使ったNFB時代の作品。ジャック・ドゥルーアンの事を調べていたらその昔何も知らないで見た『エックス・チャイルド』もピンスクリーンだと気づく。ああ、あの不思議な余韻の残る動きはピンスクリーンだったんだ。ピンスクリーン技法はその緻密さに驚嘆するほど。白黒であるにもかかわらず、雲の流れ、木々の煌めき、落ちてゆく太陽の揺らめき、その美しさはとても言葉に出来ない。『マインドスケープ』の製作年数は2年だという。絵画の中に吸い込まれる少年の夢の世界。改めて私がきちんとドゥルーアンのピンスクリーンの可能性を見た作品。