foreign movie vol.6


Roman s Basou
コントラバス物語
Roman s Basou


脚本・美術・監督 / イジー・トルンカ
原案 / アントン・チェーホフの短編
音楽 / ヴァーツラフ・トロヤン
撮影 / E・フラネク、ルドヴィーク・ハーイェク
製作 / クラートキー・フィルム・プラハ
1949年 / チェコ


コントラバス奏者と美しい娘の綺麗な綺麗なトルンカの作品。愛を描くトルンカ。『草原の唄』(1949)がこの作品に近い。表情が動かない人形の顔に、観客がライトが、表情をつける、ごく自然に。トルンカの人形の質感が好き。優しくて穏やかなその表情の下には、痛みや深みが見える。


Pernikova Chaloupka
魔法の森のお菓子の家
Pernikova Chaloupka


脚本・監督 / ブジェチスラフ・ポヤル
原案 / 民話
美術 / イジー・トルンカ
音楽 / J・スルンカ
撮影 / ルドヴィーク・ハーイェク
製作 / Z・ブンバ
1951年 / チェコ


「ヘンゼルとグレーテル」をもとにしたポヤルのデビュー作品。ポヤルの色んな作品を見たうえでこの作品を見るとなんだかすごくデビューにふさわしいいい作品だと思った。トルンカを尊敬しているんだろうなというのがひしひし伝わってくる。


now printing!
「ぼくらと遊ぼう」シリーズ "お魚の話"
K Princeznam se necucha


監督 / ブジェチスラフ・ポヤル
原案 / イヴァン・ウルバン
脚本 / イヴァン・ウルバン、ブジェチスラフ・ポヤル
美術 / ミロスラフ・シュテパーネク
音楽 / ウィリアム・ブゴヴィー
撮影 / ヴラディミール・マリーク
製作 / クラートキー・フィルム・プラハ
1965年 / チェコ


"悲しい目のお魚は魔法にかけられたお姫様なんですよ"と大きなクマちゃんに言われた小さなクマちゃんはそれを信じてお姫様(お魚)を救う英雄になろうとする。焼き魚にした後だったけど。食べられてしまったお魚の骨を見てポロポロ涙を流す小さなクマちゃん。大きなクマちゃんは"お姫様なんて言ってる歳じゃないでしょ"としかる。時々感覚が微妙に子供じゃなくなるのが好き。


J.S.Bach:Fantasia g-moll
J.S.バッハ-G線上の幻想
J.S.Bach:Fantasia g-moll


原案・美術・アニメーション・監督 / ヤン・シュヴァンクマイエル
撮影 / スヴァトブルク・マリー
音楽 / J.S.バッハ
オルガン演奏・出演 / イジー・ロペク
製作 / クラートキー・フィルム・プラハ
1965年 / チェコ


脚本なしの即興的に作られた作品。ただひび割れた壁や錆びた鉄枠が映される。同じようで違う窓を何度も何度も見ていると不思議な事に人の顔のようにも見えてくる。次第に愛着を感じだす。G線上の、と思い出したのは久里洋二「G線上の悲劇」(1969/音楽:一柳慧)。この久里洋二の作品はセルアニメで、シュヴァンクマイエルのこの作品はアニメだけれど実写主体、と違うけれど、即興的な感じに通じるものを感じた。ストーリーもなにもない、けれど何か色々思わせるこういう作品達が好き。


Ti chy tyden v dome
家での静かな一週間
Ti chy tyden v dome


原案・脚本・美術・監督 / ヤン・シュヴァンクマイエル
撮影 / スヴァトブルク・マリー、カレル・スザン
アニメーション / ズデニェク・ショプ
出演 / ヴァーツラフ・ボロヴィチカ
製作 / クラートキー・フィルム・プラハ
1969年 / チェコ


題名通り、家の中の一週間の様子。こっそりやってきた男はいろんな部屋を一日一部屋のぞき見する。そこではモノ達だけが勝手に動く。「アッシャー家の崩壊」(1980)でアッシャーは「全ての無機質にも知覚はある」と言う。"ただそこにあるモノ"に命を吹き込むのが上手なシュヴァンクマイエルの作品。ただ動いているだけでなく、知覚がある。考え、動く。最後の日付を消し忘れて家に戻る男が面白い。きちんとオチのある作品。


Jabberwocky
ジャバウォッキー
Jabberwocky


脚本・美術・監督 / ヤン・シュヴァンクマイエル
原案 / ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」より
撮影 / ボリス・バロムィキン
音楽 / ズデニェク・リシュカ
アニメーション / ヴラスタ・ポスピーシロヴァー
ナレーション / ヴェロニク・シュヴァンクマイエロヴァー
製作 / クラートキー・フィルム・プラハ
1971年 / チェコ


1988年に製作されたシュヴァンクマイエル初の長編作品はルイス・キャロル原作の「アリス」。その17年前に製作された「ジャバウォッキー」は確かにその延長線上にある。長編に至るまで色んな作品を撮り続け、「アリス」の方向性が見える作品。子供部屋で勝手に動きまわるおもちゃたち、ジャバウォッキーは「鏡の国のアリス」に登場する怪物の名前。


Rakvic karna
棺の家
Rakvic karna


原案・脚本・美術・監督 / ヤン・シュヴァンクマイエル
撮影 / イジー・シャファーシュ
音楽 / ズデニェク・リシュカ
アニメーション / ボフスラフ・シュラーメク
出演(人形遣い) / ナジャ・ムンザロヴァー、イジー・プロハースカ
製作 / クラートキー・フィルム・プラハ
1966年 / チェコ


一匹のモルモットをめぐって指人形の道化師達が殴り合う。モルモットをなでる姿は異様な中にもかわいらしさが溢れていて女の子なら誰でも"なんかヘンだけどカワイイ"感覚に襲われると思う。


Mon oncle d'Amerique
アメリカの伯父さん
Mon oncle d'Amerique

監督 / アラン・レネ
脚本 / ジャン・グリュオー
音楽 / アリエ・ジェルラトカ
撮影 / サッシャ・ビエルニー
出演 / ジェラール・ドパルデュー、ニコール・ガルシア、ロジェ・ピエール 他
1980年 / フランス


予測できない他者の行動 −それが例えば愛する人の場合− 自分だったらどういう行動をとるだろう。それが快適か不快かの記憶があるから、喜びや悲しみ、苦しみが存在する。記憶のおかげで、怒りや恋が存在する。何が美しく、何が善か、何が醜く、何が悪か、何をなすべきか、何をすれば罰せられ、何をすれば褒められるのか。生物は行動する記憶だ。発散する他者がいればいい、しかし怒りや憎しみが自分に向けられれば、自殺というカタチで貫徹される。自分の中で完全に消化すること、それはギリギリの選択にしたい。


Gandahar
ガンダーラ
Gandahar

監督・脚色 / ルネ・ラルー
原作 / ジャン=ピエール・アンドルヴォン
台詞 / ラファエル・クリュゼル
デッサン / フィリップ・カザ
音楽 / ガブリエル・ヤレド
声 / ピエール=マリー・エスクルー、カトリーヌ・シュヴァリエ、ジョルジュ・ウィルソン 他
1987年 / フランス


ルネ・ラルー監督の長編はわずかに3本。そのうちの1本が本作品『ガンダーラ』(残る2本は『ファンタスティック・プラネット』『時の支配者』)。なんと朝鮮のスタジオで製作。ステファン・ウルやメビウスの絵と同様、フィリップ・カザの絵も奇妙にかわいくない。音楽はジャン=リュック・ゴダール『勝手に逃げろ/人生』(1979)も手掛けたガブリエル・ヤレド。とはいえ『時の支配者』の音楽の方が気が抜けてて好き。会った直後に恋に落ちて数時間後に全裸で抱き合う姿を見てオトナアニメだと思った(シルバンは早速服を脱ぐ)。時の持続性、空白、時空の虚構、時の不条理、空間の相関性。時の扉。またしても敵は自分自身であり、"全体主義"。ルネ・ラルー、よっぽどそういうのが好きなのか。


Nosferatu:Phantom der Nacht
ノスフェラトゥ
Nosferatu:Phantom der Nacht


監督 / ヴェルナー・ヘルツォーク
音楽 / ポポル・ヴー 他
撮影 / イエルク・シュミット・ライトバイン
美術 / ヘニング・フォン・ギールケ、ウイルリッヒ・ベルクフェルダー
衣装 / キゼラ・シュトルク
出演 / クラウス・キンスキー、イザベル・アジャーニ、ブルーノ・ガンツ 他
1979年 / 西ドイツ


下記ムルナウの吸血鬼映画のオマージュ的作品。「伯爵、伯爵」とあがめる男の振るまいの狂った感じがヘルツォーク映画ぽい。顔面蒼白のイザベル・アジャーニが大変美しい。アジャーニの首に食いついて血を吸う吸血鬼が強烈にいやらしく感じる。献身さと自己消滅と生々しさ、死。死に近いほど究極な欲情や欲望や偏愛が生まれる。


Nosferatu
ノスフェラトゥ
Nosferatu


監督 / フリードリッヒ・ウィルヘルム・ムルナウ
脚本 / ヘリンク・ガーレン
撮影 / フリッツ・アルノ・ワグナー、ギュンター・クランプ
出演 / マックス・シュレック、アレクサンダー・グラナッハ、グレタ・シュレーダー 他
1922年 / ドイツ


吸血鬼映画の古典的名作。サイレント期ドイツ表現主義映画の傑作。吸血鬼の妖しいエロス。血のひいた顔、ギョロリとした目、モノクロだが口内の異様な赤さを思わせる色。血を吸う、という限りなくロマンティックな行為。時を経て変色した画像も気にならなかった。


チェブラーシカ映画祭
チェブラーシカと怪盗おばあさん

監督 / ロマン・カチャーノフ
原作 / ウスペンスキー「チェブラーシカとなかまたち」
1974年 / ロシア


わざわざ三つに分けて画像を見せたいほどかわいらしかった。ノーテンキに明るいだけではないロシアぽさ。大陸ぽさ。感想より映画を見ることが肝心。


ピオネールに入りたい
ピオネールに入りたい

監督 / ロマン・カチャーノフ
原作 / ウスペンスキー「チェブラーシカとなかまたち」
1971年 / ロシア


チャブラーシカのもさもさ感がたまらない。


こんにちはチェブラーシカ
こんにちはチェブラーシカ

監督 / ロマン・カチャーノフ
原作 / ウスペンスキー「チェブラーシカとなかまたち」
1969年 / ロシア


文句なくかわいらしい。


L'Enfant sauvage
野性の少年
L'Enfant sauvage


監督・脚本 / フランソワ・トリュフォー
脚本 / ジャン・グリュオー
原作 / ジャン・イタール
撮影 / ネストール・アルメンドロス
音楽 / アントワーヌ・デュアメル
出演 / ジャン・ピエール・カルゴル、フランソワ・トリュフォー、フランソワーズ・セニエ 他
1969年 / フランス


18世紀末のフランスでの実話。約10年間森で暮らした少年を研究対象として保護し教育する。博士役はトリュフォー。涙が出るのはなぜだろう。いらだち、不安、怒り、悲しみ、素直に表現することを私たちは忘れていく。どこかで計算して、後先を考える。"まともな人間"とは何だろう。文明や知性が豊かさではない。雨の中うれしそうに走りまわる少年はそれだけで幸せだ。まともな感覚というのはそういう感情ではないか。少年は戻ってくるけれど、それは文明への憧れや好奇心からではなかった。少年役ジャン・ピエール・カルゴルが素晴らしい。


Morte a Venezia
ベニスに死す
Morte a Venezia / Death in Venice


監督・脚本 / ルキノ・ヴィスコンティ
脚本 / ニコラ・バダルッコ
原作 / トーマス・マン
美術 / フェルディナンド・スカルフィオッティ
音楽 / グスタフ・マーラー
出演 / ダーク・ボガード、ビョルン・アンデルセン、シルヴァーナ・マンガーノ 他
1971年 / イタリア=フランス


純粋なる美、絶対的な厳格さ、究極の形式、完璧さ、感覚の抽象化、英知、真理、人間的尊厳。少年タジオの美しさに自分の根底にあった「美」の認識は音をたてて崩れてゆく。タジオに愛されようと、あるいは近づこうと髪を染め、おしろいを塗るアッセンバッハ。疫病に犯され身体は弱り、海辺のデッキチェアに横たわり、輝くばかりのタジオを見つめる。醜くはがれ落ちていく化粧。しかしその顔には笑みがあった。手を伸ばしても届かない完璧な「美」。純潔は努力して得るものではない。この世で老いほど不純なものはない。残酷さと甘美さが混じり合う、素晴らしい映画。


Hurlevent
嵐が丘
Hurlevent


監督 / ジャック・リヴェット
脚本 / パスカル・ボニツェール
撮影 / レナート・ベルタ
原作 / エミリー・ブロンテ
出演 / ファビエン・ベープ、リュカ・ベルヴォー、ジャック・リヴェット、サンドラ・モンテギュ 他
1986年 / フランス


ジャック・リヴェットが好き。ジャック・リヴェットの作品には愛があり闇がある。ピーター・コズミンスキー版『嵐が丘』(1992/イギリス)のお粗末な演出とは全く異なる。淡々と、しかし深淵なる愛と憎しみ。精神で結ばれた愛は憎しみへ、カトリーヌが病死して亡霊としてロッシュの前に現れるが、そこにあったのは美しいとさえ思える純愛だった。露骨な愛の形のシーンがあるわけではないが、心に渦巻く憎悪はそれ以上に官能的に思えた。崩壊の後、消えるもの、残るもの、存在する、否。あなたとは死ぬまで一緒だと誓う。


Otta e Mezzo
8 1/2
Otta e Mezzo


監督・脚本 / フェデリコ・フェリーニ
脚本 / トゥリオ・ピネリ 他
音楽 / ニーノ・ロータ
撮影 / ジャンニ・ディ・ベナンツォ
出演 / マルチェロ・マストロヤンニ、クラウディア・カルディナーレ、アヌーク・エーメ 他
1963年 / イタリア=フランス合作


映画内映画、どこまで現実か幻想かあいまいな境界線。『8 1/2』とは音楽作品が作曲番号で呼ばれるように作品番号でつけられた題名(ただし普通の数え方ではなく諸説がある)、もしくは8人の女性とグイドが1/2などと言われる。即興的な喜劇映画は最大の楽しさを見せてくれる。我々は窒息させられている。無用な言葉や音や映像に。無から生じた物は無へ。完全を得られぬ時は無を選べ。あいまいな記憶と愛せなかった人々の顔。人生は祭だ、共に生きよう。


Бабушка
おばあちゃん
Бабушка / Grandmother


監督・美術監督 / アンドレイ・ゾロトゥーヒン
脚本 / ナデージダ・コジュシャナヤ
音楽 / オレグ・カラヴァイチュク
撮影 / ゾーヤ・キレーエワ
1996年 / ロスコムキノ・スヴェルドロフスク撮影所


アンドレイ・ゾロトゥーヒンのデビュー作。母親は少年の見た夢だったのか事実だったのか。クロッキー調の精密な白黒の絵。動きの生々しさがとても心地良い。白と黒のみでリアルな光や風の出せるアニメーターが好き。ゾロトゥーヒンの作品がもっと見てみたいと思う。


Русалка
水の精
Русалка / The Mermaid


監督・美術 / アレクサンドル・ペトロフ
脚本 / マリーナ・ヴィシュネヴェツカヤ、アレクサンドル・ペトロフ
撮影 / ウラジーミル・ゴリコフ
音楽・歌 / エヴゲーニヤ・スモリャニノワ
製作 / アレクサンドル・ゲラーシモフ、ドミトリー・ユルコフ
1996年 / ロシア


『雌牛』(1989)、『おかしな人間の夢』(1993)ときて本作品『水の精』(1996)。次に『老人と海』(1999)がくるのがよく分かる。ペトロフの技術が目に見えて進歩していく過程。『老人と海』ほど多数の人間の息を感じない。技術の進歩はきっといい事なんだろうと思うけれど、絵柄や風景がただ綺麗になっていく、余計な物をそぎ落としていくのは進歩とは思わない。完璧なアニメーションは面白くはない、ペトロフの手の汚れはどこへ行ったのか。


L'ange
天使
L'ange


監督 / パトリック・ボカノウスキー
音楽 / ミシェール・ボカノウスキー、レジス・パスキエ、フィリップ・ミユレール、フィリップ・ドロゴーズ
映像・特殊効果 / パトリック・ボカノウスキー
装置・ミニチュア / クリスチャン・ダニノス、パトリック・ポカノウスキー
撮影 / フィリップ・ラヴァレット
出演 / モーリス・バケ、ジャン=マリー・ボン、マルティーヌ・グチュール、ジャック・フォ一ル、マリオ・ゴンザレス、ルネ・パトリャー、リタ・ルノワール 他
1982年 / フランス


サーベルを持つ男が天井から吊り下げられた人形を何度も何度も刺す映像からはじまる映画。ミニマル映像。こういう形をとる映画でこんなに長くなくてもいい気も少々(なかだるみを感じる)。この映画を見る前に音楽担当のミシェール・ボカノウスキー(パトリックの妻)をよく聞いていたせいで音楽はやっぱりすごく良く感じた。パトリックよりもむしろミシェールにトキメキ。映画としては少しはっきりしないどっちつかずな感じで特にアヴァンギャルドであるとは思わない(そういう枠に入れられているのをよく見るから)。もっとすごくて衝撃的でいい映画はたくさんある。良くも悪くもフランスの前衛て感じ。


Les Matres du Temps
時の支配者
Les Matres du Temps


監督 / ルネ・ラルー
原画 / メビウス
脚色 / ルネ・ラルー、メビウス
原作 / ステファン・ウル(ペルディド星の孤児)
脚本 / ジャン・パトリック・マンシェット
製作 / ローランド・グリッティ、ジャック・デルクール
製作指揮 / ミシェル・ジレ
音楽効果 / ピエール・ターディ、クリスチャン・ザネシー
主題曲 / ジャン=ピエール・ブーテイル、ジャック・ランズマン
アニメーション監督 / ティボ・ヘルナーディ
1980年 / フランス


『ファンタスティック・プラネット』同様すばらしいと思った長編アニメ映画。"思想""全体主義"が悪だという考え方、その悪には己を忌み嫌うことしかないという話のスジに驚き、そんなフランス人らしさが面白い。"時の支配者"は結局最後にチラリと登場するだけだし、浮遊する子供と老人の会話の行き先だとか、マトン王子とベル王女はどうして同行しているのかとか、いろんな謎が残る話かもしれない、けれどそんな事はどうでもいいと思えるし、へなちょこサウンドは絶妙で、最後には思惑通りホロリとしてしまうこの映画が私は大好き。


O thiassos
旅芸人の記録
O thiassos / The Travelling Players


監督・脚本 / テオ・アンゲロプロス
音楽 / ルキアノス・キライドニス
撮影 / ヨルゴス・アルバニティス
出演 / エヴァ・コタマニドゥ、ペトロス・ザルカディス、ストラトス・パキス 他
1975年 / ギリシャ


1939年から1952年までの14年間、変動の時代ギリシャが舞台。ギリシャの古典悲劇「エレクトア」を下敷きにしていること、ギリシャ現代史などよく知らなくても名作だと思える感動がある。長い長いシーン、カメラのパン、圧倒的な風景美、象徴的なセリフ、234分もあるのに関わらずこの長さは決して長くはない、必然だと思えるアンゲロプロスの圧倒的センスの作品。海辺で兵士達に芝居を見せるシーン、青白い街で横たわる人々、「僕はイオニアの海から来た。君たちは?」と言い銃で撃たれる男。舞台の始まり。すべてを理解することは難解。けれど旅芸人達の歌がいつまでも身体の中で歌い続け、私は血を流しあう人々に思いをはせ、踊り芝居する彼等の姿が瞼に残る。傷だらけの希望に光を見て、賛歌でなく詩を歌うこと。


Taxidi sta Kithira
シテール島への船出
Taxidi sta Kithira / Voyage to Cythera


監督・脚本・製作 / テオ・アンゲロプロス
音楽 / ヘレン・カラインドルー
撮影 / ヨルゴス・アルバニティス
出演 / ジュリオ・ブロージ、マノス・カトラキス、ドウラ・バラナキ 他
1984年 / ギリシャ、イタリア、フランス合作


亡命先から帰還した年老いた夫。待ちこがれていた妻は「ごはん食べた?」と一言。亡命先での支えてくれた女性とそこでの子どもの話をすると「そのひとは、どんな人?」と怒るでもなく問う。それを優しさと言えるかどうかは問題ではない、そんな描き方がアンゲロプロス映画の好きな所。画面はとても広く感じられ、私の目線は画面の奥を追い、遠くの風景を眺める。父親はリンゴの歌の後に滑稽な感じを出しながら荒野で踊る。喪失感の極み。シナビタリンゴ。みんな壊されるよ。「何も信じていないことに気づき、心からぞっとする。まだ生きているという実感は、この身体だけなの」。愛する者のそばに行きたい。愛する者と一緒に行きたい。海上で寄り添う夫婦は夜明けを迎える。


Il Decameron
デカメロン
Il Decameron

監督・脚本 / ピエル・パオロ・パゾリーニ
原作 / ボッカチオ
撮影 / トニーノ・デリ・コッリ
出演 / フランコ・チッティ、ニネット・ダボリ、ジョバンナ・ジョバノビッチ 他
1970年 / イタリア 他


ボッカチオの古典文学では10日間で100の物語が語られ、登場人物は男も女も素っ裸で食べて排出しうろつきまわる。パゾリーニも映像化するにあたってその物語を切れ切れに再現する。それぞれがスカトロ色に富んだ見所のある話。修道女達がこぞって性の快感に目覚めていくシーンが好き。「(姦淫なんて)そんな罪はものの数にも入らないってさ」。常識とは何か、モラルとは何か、神への賛辞とは冒涜とは罪とは何か。


Joy Street
ジョイ・ストリート
Joy Street


監督・作画・撮影 / スーザン・ピット
歌 / 「When The Fog Lifts」デボラ・ハリー
1995年 / アメリカ


5年の歳月をかけた作品。"ジョイ・ストリート"沿いに住む陰気な女。楽しい毎日があったろう、幸せでいっぱいだった時期があったろう、何かを嘆くように窓際でタバコを吸い、ため息混じりに煙をはく女。陽気な灰皿が女をさらにくもらせ、繋がらない電話の呼び出し音がむなしく響く。偽物ミッキーのような灰皿のキャラクターが動き出し、女は幻想を見る。物語のはじまりとは明らかに違うポップな色使いのイメージ。世界は見方ひとつでこんなに明るく楽しいことだらけだ。誰の夢だったかなんてことはどうでもいい。「アスパラガス」「ジェファーソン・サーカス・ソング」とは異種の前向きな明るさがある作品。


Jefferson Circus Song
ジェファーソン・サーカス・ソング
Jefferson Circus Song


監督・作画・撮影 / スーザン・ピット
1973年 / アメリカ


切り絵、パーツごとに動くセルアニメ。実写アニメ。実写の小さな子どものピエロ。ストッキングを頭からかぶる一心同体の二人の子ども。口の中に口が見えたり、目だけがギョロギョロしたりするイメージは強烈。窓から見える風景はただの夢か、昔見た記憶か。子ども達のサーカスはいつまでも終わらない。この作品は若いせいかスーザン・ピットの他者を容認しない壁を感じる。だからやはり窓という枠があり、枠の中には子どもがいる。


Asparagus
アスパラガス
Asparagus


監督・作画・撮影 / スーザン・ピット
音楽 / リチャード・テイテルバウム、小杉武久 他
1979年 / アメリカ


すべては枠の中で起きたこと。それがどんなことであろうと、起きてもおかしくない出来事。顔のない女。便器に座る女がお尻から排出するアスパラガス。女がカーテンをあけると摩訶不思議な植物達とアスパラガス。アスパラガスは男性性器の象徴。仮面をかぶった女は街へ出て、劇場の舞台裏でボストンバックを開くと客席に不思議な光景が繰り出される。女の口に愛撫されるアスパラガスは口の動きと共に変化する。パペットアニメからセルアニメ、変態くさい淫靡な香りが画面に漂う。


Blue
ブルー
Blue


監督・脚本 / デレク・ジャーマン
製作 / ジェイムス・マッケイ、浅井隆
音楽 / サイモン・フィッシャー・ターナー
演奏 / ブライアン・イーノ 他
声の出演 / ジョン・クェンティン、ナイジェル・マリー、デレク・ジャーマン、ティルダ・スウィントン
1993年 / イギリス、日本


デレク・ジャーマンの遺作。カメラを一切使わない全編青一色のこの作品は、画家イヴ・クラインにインスパイアされたもので、ジャーマン自身が入院していた時に書かれた、エイズのための失明の恐怖を綴った日記が朗読される。発色しない、ただそこにひっそりとある深い青。不安な音楽と青色が交差する。色の出る言葉が多く、画面は青一色なのにその色が目の前にちらつく。私の網膜は遠い惑星。SFマンガの赤い火星。目の隅の黄色い汚濁。ブルーは人間の限りある地学を超越する。感性の血の色はブルー。ブルーは見た。きらめきの中で実体化した言葉を。燃えあがる光で、すべてを闇に帰す炎の詩を。電光石火。ブルーを刺す。これは苦しむジャーマンの独り言。人生は一瞬のきらめき。ジャーマンは青い空が見たかった。太陽で光り輝く青い空を見たくて、そしてキスしてほしかった。


Down by Law
ダウン・バイ・ロー
Down by Law


監督・脚本 / ジム・ジャームッシュ
製作 / アラン・クラインバーグ
音楽 / ジョン・ルーリー
演奏 / アート・リンゼイ 他
歌 / トム・ウェイツ
出演 / トム・ウェイツ、ジョン・ルーリー、ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ 他
1986年 / アメリカ、西ドイツ


物語がトム・ウェイツの曲からはじまり、トム・ウェイツの飲んだくれで薄汚い(当時の)風貌が見られるというだけで、この映画を見た人も数多いはず。若い頃のトム・ウェイツがいい感じでやさぐれていて、ちらっといい人で好感度大。例えばどんなに凝ったアーティステッィクで詩的な映画を見ても、こういう映画の良さはそことは違う部分でとてもいい。モノクロの三人は楽しくて、おかしくて、それでも生きていくのさ、と別の道を歩いていく姿が印象的。


ベルリン・天使の詩
Der Himmel Ueber Berlin


監督・脚本 / ヴィム・ヴェンダース
製作 / アナトール・ドーマン
脚本協力 / ペーター・ハントケ
撮影監督 / アンリ・アルカン
美術 / ハイディ・リューディ
音楽 / ユルゲン・クニーパー
編集 / ペーター・プルジゴッダ
出演 / ブルーノ・ガンツ、ソルヴェイグ・ドマルタン、オットー・ザンダー、クルト・ボワ 他
1987年 / ドイツ、フランス


小津安二郎、フランソワ・トリュフォー、アンドレイ・タルコフスキーに捧げられた映画。Nick Cave and The Bad Seeds も出演。統一前のベルリン。天使達に聞こえる人々の呟き。なぜ僕は僕で君でない? なぜ僕はここにいてそこにいない? 時の始まりはいつ? 宇宙の果てはどこ? この世で生きるのはただの夢? リリエンタール通りで男が歩みを緩め、振り向いて、虚無を見た。「美しい!」 盲目の老女がぼくに気づき、時計を探した。ただ見守り、集め、証言し、守るだけでいい。距離を保ち、言葉でいよう。子供のまなざし、滝の中の水遊び、雨の一滴のひろがり、太陽、パンと葡萄酒、戸外の白い卓布、隣に眠る美しき隣人、のどかな日曜日、地平線。昔ははっきりと天国が見えた。昔は虚無など考えなかった。外はもう十分だ。不在はもういい。世界の外はもういい。リンゴを掴むのさ。