foreign movie vol.8


Paris, Texas
パリ、テキサス
Paris, Texas


監督 / ヴィム・ヴェンダース
製作 / クリス・ジーファーニッヒ
脚本 / サム・シェパード
撮影 / ロビー・ミューラー
音楽 / ライ・クーダー
出演 / ハリー・ディーン・スタントン、ナスターシャ・キンスキー、ハンター・カースン 他
1984年 / ドイツ、フランス


パリ(テキサス)の写真を見てハンターが言う「土しかないよ」。荒れた土地しか見えないその場所に過剰な意味を求めるのは大人のほうだ。美しい思い出、または思い入れ、思いこみ。理想とは限りなく妄想であり、求めすぎて取り違えると何かが狂う。途切れた通信。トランシーバー。マジックミラーごしの男と女。媒体を通すと、何か見えないかわりにほんの少し何か別のものが見えるのかもしれない。母親とハンターが再会した場所は設備の整ったホテルだった。涙が出そうになったのは、何もかもそろってなければやりなおせなかった、大きなものを失った鏡に思えたからだろうか。


Alice in Den Stadten
都会のアリス
Alice in Den Stadten


監督 / ヴィム・ヴェンダース
製作 / ヨアヒム・フォン・メンゲルスハオゼン、ヴィム・ヴェンダース
脚本 / ヴィム・ヴェンダース
撮影 / ロビー・ミューラー
音楽 / CAN
出演 / リューディガー・フォーグラー、イエラ・ロットレンダー、リサ・クロイツァー、エッダ・ケッヘル 他
1974年 / ドイツ


"ロード・ムービー三部作"と呼ばれる第一作。CANの音楽が自己喪失した主人公によく似合う。物語は決して終わらなくてもいい。何かの終わりは何かの始まり。何か確実なものを見つけなくてもいい。発見は原因をつきとめることにはならない。わがままで少し背伸びしているアリスに翻弄されながら作家フィリップは思いもよらぬ旅を続ける。意図的であれ作為的であれ、現実を受け入れること・受け入れない(られない)という葛藤の押し付けを感じないヴェンダースの良さ。空港から飛び立つ飛行機。ジョン・フォードの死を報じる新聞記事。ラストの風景。シンプルな映像。いつまでも夢が続くようにと祈る。


Der Stand Der Dinge
ことの次第
Der Stand Der Dinge


監督 / ヴィム・ヴェンダース
脚本 / ヴィム・ヴェンダース、ロバート・クレイマー
撮影 / アンリ・アルカン、マルティン・シェーファー、フレッド・マーフィ
音楽 / ユルゲン・クニーパー
出演 / イザベル・ヴェンガルテン、パトリック・ボーショー、サミュエル・フラー、アレン・ゴアウィッツ 他
1982年 / ドイツ


『ハメット』(1982)の撮影中断時期に撮られたのが本作品。映画製作の話だが『ハメット』の苦労話なんかではなく、ヴェンダースの映画に対する心理があらわれている気がする。人類滅亡と今の私たちのとてつもない退屈・倦怠感。人物と人物の間の空間の映画であり、物語はあくまで空間の結果である。白黒映画は光と影で、形がよく見えるという。たとえば『ラ・ジュテ』(クリス・マルケル/1962/フランス)のような一瞬の美しさとはまた違う、余韻の残る美しい映像が多くあった。


L'aigle a deux tetes
双頭の鷲
L'aigle a deux tetes


監督 / ジャン・コクトー
製作 / アレクサンドル・ムヌーシュキン
原作 / ジャン・コクトー
撮影 / クリスチャン・マトラ
脚本 / ジャン・コクトー
音楽 / ジョルジュ・オーリック
出演 / エドウィジュ・フィエール、ジャン・マレー、ジャック・ヴァレーヌ、シルヴィア・モンフォール 他
1947年 / フランス


国王亡き未亡人の王妃を暗殺しようとした男と、その王妃との間に芽生えた愛。コクトー自作の戯曲を映画化。本当に美しい映画で、こういった映画らしい映画はすばらしく好き。モノクロで見る王妃は凛として、美貌の持ち主で、王妃たる王妃。暗殺者であり詩人である男はモノクロがよりほりを深く見せ、筋肉をたくましく見せる。いつの時代も階級の差を超えて愛を成就することは難しい。ありきたりの話をコクトーはありきたりに粗末に終わらせない、この結末の美しさは究極だろうと思う。


Jeux interdits
禁じられた遊び
Jeux interdits


監督 / ルネ・クレマン
製作 / ロベール・ドルフマン
原作 / フランソワ・ボワイエ「木の十字架・鉄の十字架」
撮影 / ロベール・ジュイアール
脚本 / ジャン・オーランシュ、ピエール・ボスト、ルネ・クレマン
音楽 / ナルシソ・イエペス
出演 / ブリジット・フォセー、ジョルジュ・プージュリー、リュシアン・ユベール、ジュザンヌ・クールタル 他
1952年 / フランス


第二次大戦中の南フランスでの、二人の子供の物語。"死"の意味が分からない、まだ小さな女の子・ポーレット。両親をドイツ軍による空襲で失った意味も理解できぬまま少女は死んだ愛犬をかかえて彷徨い、偶然出会った信心深い少年・ミシェルと、十字架を作り・盗み、死骸を集めてお墓を作るという"禁じられた遊び"をする。大人たちはこれを叱るが、世の中は戦争の真っ只中。多くの命を奪う戦争に、悲しい遊び。"死"が日常であった子供達にとって"死"はどう受け止めたらよかったのか。ラストに「ママ、ママ」と雑踏でママを探すポーレット。目の前で見た両親の悲惨な死は、彼女にはまだ分からない。内容を含まずに言うと、空を縦横無尽に飛ぶ飛行機の映像は、それだけで単純にすばらしいと思う。


СТАЛКЕР
ストーカー
СТАЛКЕР / STALKER


監督 / アンドレイ・タルコフスキー
脚本 / アルカージー・ストルガツキー、ボリス・ストルガツキー
撮影 / アレクサンドル・クニャジンスキー
音楽 / エドゥアルド・アルテミエフ
美術 / アンドレイ・タルコフスキー
詩 / フョードル・チュッチェフ、アルセニー・タルコフスキー
出演 / アレクサンドル・カイダノフスキー、アリーサ・フレインドリフ、アナトリー・ソロニーツィン 他
1979年 / ソ連


タルコフスキーの雨・水・火。私は何度見てもこの映像を飽きないんだろうと思う。陳腐な言葉で簡単に片付けることが悪い気さえする。廃墟の風景をリアルに感じ、水や火がいちばん自然に接している気がする。自分がいちばん欲しいものはなにか、自分が一番望んでいる事はなにか、小さな少女の手につかめる幸せとはなにか。何も言葉を発しなかった足の悪い少女は最後にモノを動かす念力を持っていた。これは蛇足の映像ではない。小さな少女が真理を示していた。セピアの現実、カラーのゾーン。しかしゾーンから帰ってきた時、少女の映像からカラーに変わる。『鏡』に近い作品で『鏡』同様好きな作品。


a one & a two
ピーターラビットと仲間たち/ザ・バレエ
Peter Rabbit and Tales of Beatrix Potter


監督 / レジナルド・ミルズ
原作 / ビアトリス・ポター
脚本 / クリスティーン・エドザード、リチャード・B・グッドウィン
振付 / フレデリック・アシュトン
出演 / 英国ロイヤル・バレエ団(レジナルド・ミルズ、フレデリック・アシュトン、アン・ハワード他)
1971年 / イギリス


フレデリック・アシュトン振り付けによるバレエ劇(ハリネズミのティギーおばさん役は彼だとか)。ピーターラビットの絵本から「アヒルのジマイマのおはなし」「ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし」など5つのストーリーで成り立ち、字幕はほとんどなく、着ぐるみを着た英国ロイヤル・バレエ団のダンサー総出演で華麗にバレエを舞い踊る。素晴らしい表現力にバレエの面白さを感じて、それはそれは感動する作品。カエルのジェレミー・フィッシャー(顔は見えないけどマイケル・コールマンが演じている)のバレエはすごい。なんて綺麗に美しく空中を飛ぶのだろう。


a one & a two
ヤンヤン 夏の想い出
a one & a two


監督・脚本 / エドワード・ヤン
プロデューサー / 河井真也、附田斉子
撮影 / ヤン・ウェイハン
編集 / チェン・ポーウェン
美術・音楽 / カイリー・ペン
出演 / ウー・ニエンジェン、エレン・ジン、イッセー尾形、ケリー・リー、ジョナサン・チャン 他
2000年 / 台湾、日本


小学生ヤンヤンと、その家族の物語。多くを語らず、しかし多くのエピソードのある作品。人生は目をつむっていたほうが夢のようで美しい、と祖母にいう初恋に傷ついた姉のティンティン。祖母はなにも言わず、彼女の髪に小さな白い髪飾りをつけてあげる。母親が私には何もない、と嘆き悲しむ姿を見た父親NJがヤンヤンに向かっていう、「かあさんを元気づけるためにどこに行けばいいかな」。後姿は自分では見られないから、とみんなの後姿を写真におさめるヤンヤン。家族の絆の深さ。家族の優しさ。人生は一度きり。やり直しはない。でも、それがきっといちばん良くて、喜びも悲しみも苦しみもつまった、いまがいちばん素晴らしい。


Cleo de 5 a 7
5時から7時までのクレオ
Cleo de 5 a 7


監督・脚本 / アニエス・ヴァルダ
撮影 / ジャン・ラビエ
美術 / ベルナール・エヴァン
音楽 / ミシェル・ルグラン
出演 / コリンヌ・マルシャン、アントワーヌ・ブルセイエ、アンナ・カリーナ、ジャン=クロード・ブリアリ、エディ・コンスタンティーヌ、サミー・フレイ、ミシェル・ルグラン 他
1961年 / フランス


癌だと思い込んだ歌手クレオ。その日の7時の癌の診察結果を待って、パリの街を延々と彷徨い、5時から7時までの2時間のクレオの様子を描いた作品。わりと即興ぽい場面も多く、ヌーヴェルヴァーグ初期、という感じの手法、ミシェル・ルグラン、アンナ・カリーナなどの友情出演にも、見所が多くあるように思う。ミシェル・ルグラン含む作曲家たちがクレオの家に来て、歌の練習をするシーンがとても好き。適当に(見える)ピアノを弾きながら適当に(見える)シャンソンを歌う。映画がかっこいいシーンやショットを追求しているのではなく、感覚的に物事が進んでいるように思えた。コリンヌ・マルシャンが単なるかわいい女の子でなく、かっこよさも持った女の子だったから、この映画はよかったのでは、と後から思う。


La maman et la putain
ママと娼婦
Mes petites amoureuses


監督・脚本 / ジャン・ユスターシュ
製作 / ピエール・コトレル
出演 / ジャン=ピエール・レオー、ベルナデット・ラフォン、フランソワーズ・ルブラン 他
1973年 / フランス


220分にも及ぶ長編作品。人間の視野に最も近いといわれる50mmレンズ・白黒フィルム使用。音楽は登場人物が聴くレコードのみ。私は意外にもそれほど長いと感じなかった。ママのような年上女マリーと同棲中の無職の男アレクサンドル。アレクサンドルはかつての恋人ジルベルトが忘れられなく、再び声をかけるがあっさり拒否され、喫茶店で看護婦ヴェロニカに声をかけ、娼婦のように誰とでも寝るヴェロニカと深い関係になってゆく。それまであったはずのマリーの母親という役割、ヴェロニカの娼婦という役割。マリーのヴェロニカへの嫉妬心と嫌悪感と独占欲はしだいに彼女を崩壊させ、一人の男を愛してしまったヴェロニカは娼婦性が失われていき、みながバランスをとれなくなってゆく。母親のような女、娼婦のような女。それは幻想であり、男の理想でしかない。68年の5月革命後の無気力感漂うパリで、憎悪と愛情は次第に絡まりあい、孤独感に息がつまり、誰も幸せにはならない愛の行方を考え、自伝だと言われる本作品に、ユスターシュの生に対する執着のなさ・希薄さ、また、躊躇を痛感せずにはいられない。


Mes petites amoureuses
ぼくの小さな恋人たち
Mes petites amoureuses


監督 / ジャン・ユスターシュ
出演 / マルタン・ロエブ、イングリット・カーフェン、ジャクリーヌ・デュフランヌ 他
1980年 / フランス


『ママと娼婦』同様、ユスターシュ自身の体験を描いた自伝的な作品だと言われている。短編作品などに較べると実験要素はかなり低く、見やすい作品だと思う。無理矢理大人になってしまった少年の痛ましさ。そう、ダニエル少年が性に目覚めていく姿は、微笑ましいというよりも痛ましいのだ。若いうちは背伸びに気づかない。大人になるということは、すべてを手に入れることではない。この作品では、なぜ少年が母のいる街へ行ったのかが明確に示されていない。経済力もなく、歓迎もされなかった母には、それでもそれなりの愛情があったのか、祖母が少年を育てるのを拒否したのか。描かない少年の身辺の重苦しさはユスターシュ自身の重さでもある。


Les photos d'Alix
アリックスの写真
Les photos d'Alix


監督 / ジャン・ユスターシュ
撮影 / ロベール・アラズラキ
出演 / アリックス・クレオ=ルボー、ボリス・ユスターシュ 他
1980年 / フランス


1981年、43歳でピストル自殺したジャン・ユスターシュが、亡くなる前年に製作した作品。写真家のアリックス・クレオ=ルボーがユスターシュの息子・ボリス・ユスターシュに自分の撮った写真を説明しているだけの短編映画。しかし写真という媒体を通して、いまそこにない現実だった瞬間の言葉は、どこか微妙にズレていたり、時間的な面白さがある。それに関しての感想やあいづちはさらに時差があり、ふたりの関係もよく分からない、一定のままで、もっともらしい彼女の説明に、男は納得する。言葉がいかに曖昧か、そこにある・あったという現実は、いかに曖昧か。何が本当で何が嘘で幻か。


Une sale histoire
不愉快な話
Une sale histoire


監督 / ジャン・ユスターシュ [フィクション編]
撮影 / ジャック・ルナール
出演 / ミシェル・ロンズダール、ジャン・ドゥーシェ、ドゥーシュカ 他
1977年 / フランス


[フィクション編] と [ドキュメント編] の二部構成。同じ話を繰り返すが、フィクションとドキュメントの微妙な反応の違い。穴至上主義。男はトイレにある穴から女性の性器を見るというのぞき行為を、いかに性的興奮を高めるすばらしいものか、精神的満足感を得られるものか、スキンシップの精神的傲慢さをみなに説く。穴からすべてがはじまる、穴にすべての性的享楽がある、とは昔の偉い誰かも言ったが、一般的見解だとフツーそれは犯罪。しかしこういったあまりに酷似した作品をならべ、そしてそれがフィクションとドキュメンタリーという構成は見たことがなく、面白いと思う。ユスターシュが映画という媒体で何をしたかったか、考える。


Le Pere Noel a les yeux bleux
サンタクロースの眼は青い
Le Pere Noel a les yeux bleux


監督・脚本・台詞・出演 / ジャン・ユスターシュ
製作 / アヌーシュカ・フィルム(ジャン=リュック・ゴダール)
撮影 / フィリップ・テオディエール
出演 / ジャン=ピエール・レオー、ジェラール・ツィメルマン、アンリ・マルティネーズ、ルネ・ジルソン 他
1966年 / フランス


ユスターシュの出発点、青春の地ナルボンヌで撮られた作品。そして作品の製作はジャン=リュック・ゴダール。ジャン=ピエール・レオー演じる、またもダメな男。流行のコートが欲しくて女が欲しくて、でもお金はなく女をくどいても失敗続き。ジャン=ピエール・レオーのダメ男は本当にダメで、遠目で見守りたい(近くにいてほしくはない)気持ちになる。ユスターシュの青春時代をおぼろげに想像する。


Les mauvaises frequentations (ou Du cote de Robinson)
わるい仲間
Les mauvaises frequentations (ou Du cote de Robinson)


監督・脚本・台詞・編集・出演 / ジャン・ユスターシュ
撮影 / フィリップ・テオディエール
出演 / アリスティード、ダニエル・バール、ドミニク・ジャイール 他
1963年 / フランス


自主製作による処女中編でユスターシュの名を広めた作品。とてもヌーヴェルヴァーグらしいシーンが数多くあり、初期のゴダール、ロメールを思い出す。男二人に女一人がフランスの街を歩き、カフェでしゃべり、ダンスホールに行き、なんてことのないある国の若者たちの風景。しかしその姿をとらえるカメラは軽やかで、古さを感じさせず、洒落たスピード感につつまれている。その後の作品からそれが単なる模倣の範囲ではなく−いやむしろわざと模倣したのかも−、ユスターシュ風だと思ってしまうことが不思議に感じられる。カイエ・デュ・シネマ誌、ゴダールが認めたこの作品は、ユスターシュの第一歩として観るととても興味深い。


La Jetee
ラ・ジュテ
La Jetee


監督 / クリス・マルケル
脚本 / クリス・マルケル
撮影 / ジャン・チアボー
音楽 / トレバー・ダンカン
出演 / エレーヌ・シャトラン、ジェック・ルドー、ダフオ・アニシ、アンドレ・アンリシュ、ジャック・ブランシュ、ピエール・ジョフロワ、エチエンヌ・ベッケル 他
1962年 / フランス


パリ崩壊後、現在を救うために過去と未来を往還する、過去にとりつかれたひとりの男。見覚えのある女性。幼い頃飛行場で見た女性。フォトモンタージュという手法は違和感なくただ写真の並びでもなく、動画が映画というわけでもなく、現在の一瞬一瞬はストップモーションだと感じた。飛行場のフォトが美しい。美しいと感じるのは美しいと感じたただ一瞬を焼きつかせているからだ。


Masculin-feminin
男性・女性
Masculin-feminin


監督 / ジャン=リュック・ゴダール
製作 / ジャン=リュック・ゴダール
原作 / ギイ・ド・モーパッサン
撮影 / ウィリー・クラン
音楽 / フランシス・レイ
出演 / ジャン=ピエール・レオー、シャンタル・ゴヤ、ブリジット・バルドー、マルレーヌ・ジョベール、カトリーヌ・イザベル・デュポール、ミシェル・ドゥボール、フランソワーズ・アルディ 他
1966年 / フランス


シャンダル・ゴヤの映画デビュー作。反米・左翼活動が横行する1965年のフランス。愛してる、と言いつつ女は世界の中心は自分には変わりはなく、いつも鏡を気にして化粧を気にして恋の歌を歌い切ない恋を夢見る。男は愛が世界の中心で愛なしでは生きられないと言う。"Masculin(男性)"には"masque(顔)"と"cul(お尻)"が含まれる。けれど"Feminin(女性)"には"Fin(終わり)"だけがある。中途半端な男達とマイペースな女達。けれど女は生き残るが男は死ぬ。「私の愛は 海の中 夢の中 二人は死を迎える」と歌った女は夢の中での恋に終始する。理想と現実。世論調査での女の無知。無知や恥じらいのなさからくる強気。


Nuit Et Brouillard
夜と霧
Nuit Et Brouillard


監督 / アラン・レネ
製作 / エドゥアール・ムスカ
原作 / ジャン・ケイロール
撮影 / ギスラン・クロケ、サッシャ・ビエルニー
音楽 / ハンス・アイスラー
出演 / ミシェル・ブーケ
1955年 / フランス


わずか30分ほどのナチ収容所に関するドキュメンタリー映画がこれほど印象を与えたのは、あまりに現実的で辛くて悲しく冷静かつ美しいとも思える映像だったから。ブルドーザーで数え切れない人間の死体を始末する映像を見て何を思うか。しかしナレーションは冷静で、独りよがりの意見を反映しない。強烈なドキュメンタリーとは、息荒くして撮ったものではない。現実を現実としてつきつける冷静さ。なんというハンス・アイスラーの音楽。絶え間ない悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる、とはその通り。


Roma
フェリーニのローマ
Roma


監督 / フェデリコ・フェリーニ
製作 / トゥーリ・バジレ
原作 / フェデリコ・フェリーニ
脚本 / フェデリコ・フェリーニ、ベルナルディーノ・ザッポーニ
撮影 / ジュゼッペ・ロトゥンノ
美術 / ダニーロ・ドナーティ
音楽 / ニーノ・ロータ
衣装 / ダニーロ・ドナーティ
出演 / ピーター・ゴンザレス、ブリッタ・バーンズ、ピア・デ・ドーゼス、フィオナ・フローレンス 他
1972年 / イタリア


フェリーニの自伝的ドキュメンタリー映画。ものすごく色濃い映画でウソを塗り重ねるとこんなにリアルになることに感動する。現実や真実は実のところどうでもよくて、滅亡と復興を繰り返したローマの猥雑で雑多でその誘惑的な魅力について考える。真偽など必要ではない。フェリーニの映画はフェリーニだと分かること、フェリーニでなければ撮れなかっただろうと思うのがすごくてクラクラしてくる。力強く迫力がある映像にのまれてフェリーニの手のうちにいることに快感を覚える。ローマの遺跡と暴走族の取り合わせ。国葬された偉大な監督の偉大な作品。


11'09”01
セプテンバー11
11'09”01


監督 / サミラ・マフマルバフ(イラン)、クロード・ルルーシュ(フランス)、ユーセフ・シャヒーン(エジプト)、ダニス・タノヴィッチ(ボスニア=ヘルツェゴビナ)、イドリッサ・ウェドラオゴ(ブルキナファソ)、ケン・ローチ(イギリス)、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(メキシコ)、アモス・ギタイ(イスラエル)、ミラ・ナイール(インド)、ショーン・ペン(アメリカ)、今村昌平(日本)
2002年 / フランス


相対的に見る映画であって個々の短編について何か言うのはおかしいのかもしれないけれど、サミラ・マフマルバフとケン・ローチ、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥがよかった。1973年9月11日のチリのクーデターと重ならせたケン・ローチはいかにもケン・ローチらしく、重い作品。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥはほとんど音声だけで、時々実際の世界貿易センタービルの当時の映像をかぶらせ、11作品群の中でもっとも前衛的な手法をとる。混乱を隠せない世界各国のニュース音声、貿易センタービルの中にいる夫からの電話の音声、つっこむ前の旅客機から携帯電話で夫に電話をかける女性の声、当たり前だけれどすべてが生々しく、「闇」という混乱を描く。「誰よりも愛してるわ、バイ、ハニー」そう留守番電話に入れた女性はおそらく亡くなっている。私のなかで生きているうちでもっとも印象深い大きな事件は2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタービルテロ事件かもしれない。


Chappaqua
チャパクア
Chappaqua


監督 / コンラッド・ルークス
製作 / コンラッド・ルークス
脚本 / コンラッド・ルークス
撮影 / ロバート・フランク、オイゲン・シュフタン
編集 / クノー・ベルティエ
美術 / レギ・パグニズ
衣装 / クラウディン・メルリン、クラウデ・ガロウ、キャサリン・ペルティー
オリジナル音楽・作曲・監修 / ラヴィ・シャンカール
音楽アドバイザー / フィリップ・グラス
出演 / ジャン=ルイ・バロー、コンラッド・ルークス、ウィリアム・S・バロウズ、アレン・ギンズバーグ 他
1966年 / アメリカ


1966年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞した後、突然姿を消したルークスの伝説・幻のビートニク・ムーヴィー。ドラッグとアルコールの中毒を克服するためのサナトリウムで体験するラッセルの生死のイメージ。セックスから死につながる、死を体験したことはもちろんないので多くの人が持つであろうイメージ、は誰しも危険な華やかさを想像する。危険だからこそ、そこにたどり着けないからこそ、現実と幻想のはざまでゆれて、甘美の世界に通じる。どちらかといえば、イメージの世界をもっと見たかった。シャンカールのシタールがすごい。ムーンドッグも出演。


Hangmen Also Die
死刑執行人もまた死す
Hangmen Also Die


監督 / フリッツ・ラング
製作 / フリッツ・ラング
脚本 / ベルトルト・ブレヒト、ジョン・ウェクスリー
原案 / フリッツ・ラング、ベルトルト・ブレヒト、ジョン・ウェクスリー
撮影 / ジェームズ・ウォン・ハウ
音楽 / ハンス・アイスラー
出演 / ブライアン・ドンレビー、ウォルター・ブレナン、アンナ・リー、デニス・オキーフ 他
1943年 / アメリカ


第二次大戦中ドイツ軍占領下のプラハ。"死刑執行人"とはボヘミアのメーレン総督ラインハルト・ハイドリッヒなる人物。ドイツからアメリカへ亡命したフリッツ・ラングが1942年にチェコで実際に起こった「ハイドリヒ暗殺事件」とそれにに起因する「リディツェ村の大惨劇」をモデルに製作したプロバガンダ映画。ラングのナチへの怒りと憎しみがあらわれている。「NOT」「THE END」というラストがそれを物語る。忘れるな、戦ったことを。自由が戦いの勝利だということを。サスペンスというにはあまりに史実に基づいていて躊躇するが、サスペンス映画として見ると大変面白い映画。


LOVE SONGS
LOVE SONGS
スタン・ブラッケージ ハンドペイント作品集


監督 / スタン・ブラッケージ
1994-2001年 / アメリカ


『アーサン・エアリー』(1995/2分)『美しき葬列』(1996/1.5分)『コミングルド・コンテナーズ』(1996/3分)『カップリング』(1999/4.5分)『LOVE SONG』(2001/11分)『LOVE SONG2』(2001/2分)『マイクロ・ガーデン』(2001/3.5分)『コンクレサンス』(1996/3.5分)『エレメンタリー・フレーズ』(1994/33分)の9作品からなるオムニバス。フィルムの上に直接描かれた絵具が画面上に不正確なリズムで映し出される。言葉にするのが無意味だと感じるほどすべては映像にある。青や黒がアクセントになり中心となり多様なイメージを作り出す。自分の根底にあるものを突き動かされ、言葉にならない言葉が身体を走る。


now printing!
自分自身の眼で見る行為
The Act of Seeing With One's Own Eyes

監督 / スタン・ブラッケージ
1971年 / アメリカ


死体解剖の様子の一部始終。もちろんぼかしなどなく、人間を切り刻む映像が延々と、淡々と流れる。胸から身体を刻み、あっという間に内臓が取り出される。頭の皮をはぎ、頭蓋骨を切り、脳みそを取り出す。あまりにも冷静なブラッケージの視線に、思わず視線をそらす。直視できないとは、自分の中でとらわれている部分があるからだ。ある部分になると感情で見てしまうこと、を、考える。


Mothlight
Mothlight

監督 / スタン・ブラッケージ
1963年 / アメリカ


即物的で物語や情緒的感情がはぎとられ、ダイレクトに接触する。『騎手・女・蛾(The Horseman,the Woman,and the Moth)』につながる作品。『騎手・女・蛾』と違うのは二重焼き付けをしたり、フィルムに色を直接塗ったり傷をつけたりせず、シンプルに蝶や草花をフィルムに貼り付け、立て続けに映像化する。『騎手・女・蛾』の感動をもう一度思い出した。


now printing!
思い出のシリウス
Sirius Remembered

監督 / スタン・ブラッケージ
1959年 / アメリカ


事故で死んだ飼い犬の死体が草むらの中で朽ち果てていく様子を記録した作品。長い月日を要して姿を変えてゆく犬をたった11分という中で完結させる。何も見えていない犬の目は、見ているものに何も訴えない。けれど、私たちはそれに過剰な意味をつけたがる。意味ではない。犬はひとつの例であって、朽ちてゆく姿を、どう受け止めるか。


now printing!
The Dead

監督 / スタン・ブラッケージ
1960年 / アメリカ


ネガとポジを微妙にずらす。墓場の映像と、人間の動きのある川辺での映像。セピアとカラー。誰もがどこか曖昧な生と死の概念。60年代アメリカアンダーグラウンド映画の、新しい切り口の模索に思われる。以降、質的変化がおこる。


Anticipation of the Night
夜への前ぶれ
Anticipation of the Night

監督 / スタン・ブラッケージ
1958年 / アメリカ


空に浮かび上がる木々の枝。遊園地の明かり。光の動きがあまりに美しく、涙が出る。『夜への期待』と訳すのは厳密には誤訳。この作品はブラッケージのスタイルにおけるひとつの分岐点。日常の視覚世界を粉砕し、新しいヴィジョンを打ちたてようとし、当時の実験映画の観客が拒絶反応を示したそうだ。後の『DOG STAR MAN』の原点ともいえる作品。


now printing!
窓のしずくと動く赤ん坊
Window Water Baby Moving

監督 / スタン・ブラッケージ
1959年 / アメリカ


一組の仲の良い幸せそうなカップル。彼が彼女にささやく・キスをする・愛撫をする。この映像が大変いい。破水し、性器から子供が出てくる出産シーンはブラッケージの実際の妻の出産の記録である。単純な日常の記録とは違い、明らかにホームムーヴィーの枠を超えるブラッケージの目がある。作品には"by BRAKHAGE"とあり、"STAN BRAKHAGE"ではない(初期の作品はほとんど"by BRAKHAGE"になっている)。妻との共同であった、という意味なのだろう。


Fire of Waters
Fire of Waters

監督 / スタン・ブラッケージ
1965年 / アメリカ


サウンド入りの作品。闇の中の光を扱わせてブラッケージの右に出るものはいない。家々のシルエットの中の光。閃光。きらめき。雷。闇はこんなにも光を強調させ、また光は闇の中だから輝く。夜が明ける。美しい。