断片


宇宙戦艦  宇宙戦艦は卓越した性能を持っていた。
 比類なく強力なメインエンジンは最高級の加速性能を有していた。
 さらに旋回性能を高めるべく補助推進機関も多数配備されている。
 強靭な超合金製の船体は急激な加速にも十分耐えられる。
 主砲の威力はそうたいしたことはなかったが、連射性能に優れており、続けざまに攻撃をしかけることができた。一撃で敵を破壊することはできないまでも、運動性能と合わせれば、格闘能力は宇宙最強といっていい。
 戦域から離脱するときも、船体の表面に設置された砲塔から放たれるビームが降注ぐ。
 しかし、この船の最大の特徴は、戦闘能力ではない。何の援護も得ず、補給もなしに独立して長期間航行できることこそが設計思想の中心にあった。
 核融合炉によって周辺の質量すべてをエネルギーに変換することが可能だった。
 積み荷の多くはバクテリアや人工葉緑体で、クルーの生命維持に必要な栄養素や薬品を創り出すために使われる。この船はさながら小さな工場のようでもあった。
 居住空間に余裕はあったが、定員は一名とされていた。
 クルー、というか船長が行うべきことはほとんどなく、優秀なコンピューターがほとんどの作業を行う。
 どこにでも行くことが出来、いつまでもいることができる。
 気分次第で、好きなように漆黒の宇宙空間を漂うことができた。
 明確な敵は存在しなかった。
 様々な武装も、いざという場合に備えてという意味でしかない。
 十数年後の今になって考えるに、この船はきっと一度も戦闘を行わなかったに違いない。
 そもそも、いったい、この船はいったいなんのために建造されたのだろう。
 惑星探査をするでなし、宇宙海賊を退治するでなし。
 ひたすらに漂うだけのクラゲのような宇宙戦艦。

蜘蛛女のキス 「探偵映画よ。
 今どきめずらしく、白黒なの。いいえ、そうじゃないわ。最近の作品なの。ラストシーンだけはカラーなのよ。
 最初はねぇ、誘拐されるのよ、お嬢さんが。それで探偵がその娘を取り返そうとするの。そうね、頼まれて。お金を積まれてね。人間、タダじゃ働かないわ。
 その探偵っていうのは凄く貧乏なの。だけどとても楽しそうよ。
 助手が一人いるわ。二人して貧乏しているの。食事といえば卵。ゆで卵を食べるんだわ。びっくりするくらいたくさん。
 助手は嫌がっているけれども探偵は気にしないでパクパク食べるの。とてもおいしそうよ。観ているとちょっとたべたくなっちゃうわね。
 あなた卵好き?半熟と固ゆでとどっちがいい?
 あらそう。あたしは固ゆでが好きよ。黄身がほかほかしているのがいいわ。
 探偵は黒縁のメガネをかけているの。面長で、ちょっとヌケた感じ。卵を嬉しそうに食べているのがとてもかわいいわ。
 大金を積まれて探偵は大はりきりよ。
 そこに犯人から手紙だか電報だかが届くの。探偵への挑戦ね。なぞかけよ。
 謎を解いたら、お嬢さんの居場所がわかるってわけ。
 どんな謎だったかは忘れちゃったわ。けど、探偵はそれをなんとか解くの。
 けれど悪漢の一味はすんでのところで逃げていってしまうわ。
 そして次の謎かけがまたはじまるの。
 ごめんなさいね。謎の話はからっきし覚えちゃいないの。そんなことはどうでもいいんだわ。大事なのは、そんなことじゃないの。
 犯人はとっても変。一人じゃないわ。何人かでグルになってるの。心底悪い人たちじゃないってのはすぐ分かるわ。
 なにかこう……、のんきなのね。お嬢さんをさらってなにをしたいんだか全然わからない。探偵と追いかけっこがしたいみたい。
 そして、そうそう、紙芝居が始まるの。いきなり。それは犯人の一味が探偵に出すヒントのひとつなの。
 紙芝居はね、チャンバラものよ。題名はたしか「永遠の謎」。そう「謎」よ。そして「永遠」。「永遠の謎」ってわけよ。
 で、それがなんとも尻切れとんぼな話なの。
 お姫様がさらわれるの。それを助けにいくのが黒い頭巾をかぶったお侍さん。すごく強いのよ。バッタバッタと相手を倒していくわ。
 でも、負けるの。負けちゃって倒れている間に相手はお姫様を連れて本拠地にかえって行くわ。そこが最後の戦いの舞台になるみたい。
 映画もあるの。映画のなかで、映画をやっているのね。
 その映画っていうのがこれも「永遠の謎」っていうタイトルなのよ。
 内容は紙芝居と同じよ。
 ああ、大事なことを言い忘れていたわ。この映画は白黒っていったわよね?
 それだけじゃなくて、音もないの。そのかわりに字が出るのよ。字幕じゃなかったと思ったわ。字だけの画面に台詞が書いてあったような気がする。とても面食らうわ。
 で、この「永遠の謎」っていう映画はやっぱりサイレントなの。そう、映画の中の映画の方。ちょっとややこしいわね。
 その映画を上映しているのはなんだか、お祭りの見せ物小屋みたいなところなの。どういう事情でそんな映画を見る羽目になったのか思い出せないわ。わからないことだらけでごめんなさいね。まぁ、忘れてしまうことなんてきっとどうでもいいことよ。
 とにかく、ずっと集中してみているには辛い映画なのよ。ちょっと根気が必要ね。
 探偵たちは、その映画を観ていたんだけど、そこに警官がやってきて上映をやめさせるのよ。また尻切れトンボってわけ。
 客はみんなどっかに追い散らされちゃって、小屋も嘘みたいに消えちゃって、とっても寂しい感じになるの。
 きっとその時、探偵はすべてを理解したのね。
 探偵は依頼人のところに行くわ。そこはすごいお屋敷なの。
 お屋敷では探偵の到着を待ちかねていたわ。
 探偵が来たってことは準備ができたってことよ。なんのって?ラストシーンのよ。とても感動するのよ。
 事件は実は狂言だったの。つまらない言い方をすればね。
 だけど、本当に起こったことでもあったの。
 「永遠の謎」っていう映画は本当にあったわ。ただし、製作途中で終わってしまった。
 この映画は日本で最初の、女優の出てくる映画になるはずだったのだけれど、女が映画に出ると風紀が乱れるってんで撮影の途中で警察に止められちゃったの。
 この屋敷に住んでいる依頼人っていうのは、日本最初の映画女優になるはずだった人とその夫で「永遠の謎」の監督だった人なの。
 女優は、もう死期が近いの。そして「永遠の謎」のことだけが心残りだったの。
 映画が途中で終わってしまったから、悪漢に囚われたお姫様は、何十年も助けを待っているのよ。
 彼女はどうしても救い出して欲しかったんだわね。
 映画監督はカチンコを鳴らすわ。撮影開始よ。映画の続きが始まるわ。
 悪漢が現れるの。とても強そうな双子よ。お姫様を救い出すには敵を倒さなきゃいけないのに決まっているの。
 探偵はピストルで敵を倒すわ。ああ、そのピストルってもともと依頼人が渡したものなの。「永遠の謎」でも出てきた小道具よ。
 主演女優は探偵に物語の最後をたずねるの。お姫様はきっと助けてもらえるんですよね、って。たずねるというより、念を押すって感じかしら。
 そしてラストシーンよ。ここでいきなりカラーになるの。そのちょっと前からトーキーになってるわ。
 このあたりで必ず涙が出るの。映画観て泣くことなんてほとんどないのに。
 探偵と黒頭巾の侍が重なるわ。お姫様を背負って外に出るの。背中のお姫様は口をきかないわ。死んでしまったのね。
 外は夜だけど、明るくて、木から花びらが散るのが見えるわ。
 涙は出てくるけれど、これはきっととても幸せな話なのよ。
 探偵にしてみれば茶番につきあわされただけなのかもしれないわ。
 でもいいのよ。主演女優は生涯をかけてお姫様を演じきったの。そして念願かなって救い出してもらって、ハッピーエンドの物語の中で、満足して死んでいくの。素敵じゃないかしら。うまく説明できなかったかもしれないけれど。」

恋多き女  彼女にはいつも一緒に行動する3、4人のグループがいる。クラスにいくつかあるグループのなかでも地味な部類だ。可愛い子がいるわけでも、頭のいい子がいるわけでも、ヤバいやつがいるわけでもなかった。
 そういう部分にこそなにか秘密があるのかもしれないとは思うけれども、それが明らかにならなければ「その他」というしかない。
 彼女はその中でも目立つ存在というわけではない。しかし、他のメンバーについての印象はもっと希薄だ。
 そんな彼女のことを何故覚えているかというと、彼女が恋多き女だったからだ。
 ゴシップにうとい私ですら知っていたのだから、クラス中はもちろん、学年中のほとんどが知っていたことだろう。
 ある時、彼女からラブレターをもらったことを得意げに披露する者があった。
 するとたちまち、
「あ、俺も」
「俺も」
 と、その場にいた5人のうち3人までもが、彼女から好意をうちあけられたことを白状した。
 うすうす知ってはいたが、驚いた。
 その後、隣の席になることがあったので、興味を持って観察していた。
 教室の右端の席に座る彼女は時々前後の席の人と話をしていて注意されたりはしていたが、おおむね真面目に授業を受けていた。なお、左隣の席に座っている私とは話をしなかったのでそれについて注意されることは全くなかった。
 私自身が授業中はうわの空でイタズラ描きに熱中している質だったし、観察者としては有能ではなかったと思う。
 残念ながら、彼女が自分の気持ちを伝えるときにしたためるという噂のラブレターを書いている場面に出くわしたりすることはなかった。考えてみれば授業中にそんなことをするやつはいないので当たり前のことなのだが。
 恋に夢中な彼女の一面を目撃したのは別の形だった。
 休み時間が終わって席に着いてみると、彼女が肩を震わせて泣いていた。
 親切にも間抜けなことに「どうかした?」と尋ねたところ、答えはなく、後ろの席にいた女子に「やめなさいよ」とキツく言われた。
 たぶんまただれかに拒絶されたのだろう。
 残念なことに、耳にはさんだかぎりでは成功率はゼロだ。
 だれも彼女とつきあった者はいない。
 だから、彼女が告白以外になにをしたかったのかは残念ながら全くの謎だ。

考古学  遺跡から発掘されるHDDからデータを読みだし、過去の姿を甦らせることが電子考古学者の使命だ。
 多くは損傷しているHDDから断片化したデータを取り出し、そのフォーマットを解析して読み出す。
 データの中には墓守りよろしくウィルスを備えたものもあり、それに対処する方法を編み出すことも考古学者の重要な研究領域となっている。
 そして集められたデータを組み立てて、仮説を立て検証すること。
 これが、世間では最も脚光を浴びる部分であるが、学会の中ではそれほど重きを置かれていない。
 というのは、HDDの中に記録されているデータの多くが虚構であることが知られており、単純なデータのつなぎ合わせは必ずしも過去の現実を忠実に反映したものでないからだ。
 考古学者を志す若者に与えられる最初の箴言は「君は作家ではない」というものだ。
 自分勝手な妄想を補強するために資料を使うことになってはいないか、常に検証せよ、というのがその趣旨である。
 しかし、その箴言が存在するということはまた、その甘美な泥沼にはまっている者がいかに多いかを逆説的に物語るものでもある。
 「過去の人々も虚構によって生きてきた。虚構と現実を区別するのは馬鹿馬鹿しい」とすらうそぶく者もある。

クレタ島旅行記  この島に着いて以来、何度か自分の名前を教えようとしたのだが、彼らは聞き入れようとはしなかった。そして"Boxitti"とはどういう意味だか尋ねてもニヤニヤするばかりで教えてはくれなかった。初対面の者もぼくのことを必ず"Boxitti"と呼んだ。
 「Boxitti,Boxitti」という甲高い声、ついで毛布をひっぺがす手。
 「いつまで寝ているんだ、逃祭が終わってしまうぞ」
 声の主はこの家の娘だ。島に滞在している間のガイド役を父親から仰せつかっている。
 急かされて身支度を終えると、家の者たちは皆食卓についてぼくを待っていた。人を急がせたわりにはのんびりとくつろうでいる。
 「おはよう。逃祭が始まるんだって?」
 "逃祭"とはこの島の伝統の祭りだ。祭りなどどこにでもあるが、この逃祭は開催時期が不定期だというのが変わっている。普通、祭りというのは農耕や狩猟と密接に結びついた催しであり、当然暦を無視できないものなのだが。
 おそらくはこの島が温暖な気候に恵まれた、生きる努力のたいして必要ない所だからだろう。
 神に収穫を感謝する気持ちなど芽生えようも無い地上の楽園のこの島。
 祭りの内容も非常に空疎で、宗教的な色彩もへったくれもない、ただの馬鹿騒ぎらしいと聞く。
 「まあ聞け、Boxitti」
 主人はそう言い、スープを口に運んだ。そして、思わせぶりにこちらを時々眺めながらひたすら朝食をとりつづけ、話の続きはしてくれなかった。
 最初こそこうした態度にびっくりしたものだが、滞在もすでに10日を過ぎ、たいがいのことには驚かなくなった。昨日などは朝食の途中で長男が突然、世界生成の秘密について語り出し、昼食時まで延々続けた。
 その内容も、自らに矛盾するような出来の悪い稚拙なもので、真面目に聞く気の起こるものではなかった。
 この島では、嘘が好まれる。出来のよい嘘は歓迎されるし、つまらない、些細な出来の悪い嘘は空気のようになくてはならないものだ。だからといって誰もが人をだまそうと常に悪意を持っているわけではない。むしろ非常に善良で親切で素朴だ。
 この家の娘も余所者のぼくのことを大層気に入ってくれたようで、かわいらしい嘘をつきながら、なにくれとなく世話を焼いてくれた。
 この日の朝食はこの家でとる最後の食事だった。
 だが、家族の者たちは普段と変わらぬ様子を保っている。
 荷作りを終え、皆のいる居間で世話になった礼を述べると、主人はうなづきながら、プレイボーイだった自分の昔話をし始めた。
 相手をしていてもしょうがないので家を出ると、娘があとをついてきた。
 娘もまた、ぼくが帰途にあることを知りながら、今日はあっちの方に遊びに行こうだの、これを食べてみようだのとまくしたてる。それでいて彼女の目には涙が滲んでいた。
 きっとこの島の人々はこう考えている。
 真実は尊く、繊細で、人間の手には華奢に過ぎる。
 その脆弱なものを守るためには嘘の衣が必要なのだ、と。
 島の住民は真実を貴ぶがゆえに、真実をすり減らすまいとして嘘をつきつづける。

 人力飛行機の窓の外、遠ざかる水玉模様の島を名残惜しく見つめ、格子柄の肌をした美しい娘との思い出を反芻しながらぼくはまだ見ぬクレタ島をいつか再び訪れることを心に誓った。

チャンバラ映画/金蔵  地方の商家の跡取り息子という立場はそれなりにたいしたもので、たいがいの贅沢やわがままは通ったものだ。もとより、世間知らずのボンボンに思いつくわがままなどたいしたものではなかったから、周りが我慢してくれた、というのは大いにある。けれども、いつまでもそうはいかない。
 何をしなくても生きていける。退屈しのぎのためだけに生きているような金蔵だ。いわくありげな女がこの界隈に居ついたという噂に食指を動かさぬはずもない。
 何はなくてもとりあえずからかってみたい。
 ましてその女というのが、この谷あいの小さな部落にはいそうもない、小綺麗で垢抜けた風体をしているときては。
 茶店の女中をしている女は、なにやら人には言えない事情があってここに流れてきたらしい。
 主人に無理無理頼み込んで置いてもらっているという。そのぶん懸命に働いているのが見て取れる。
 必要以上の愛想ときびきびした動き。そして時折見せてしまう、なにかしらけたような疲労の色。
 しおれかけた花の風情が金蔵にはたまらない魅力だった。
 自分には女の事情を受け容れるだけの覚悟はあるし、家にはその余裕もある。
 なんだったら、嫁にもらってやってもいい。
 都合のいい夢はたちまちふくれ上がり、それと同じ勢いでぺちゃんこにしぼんだ。
 小者を使って託した文には何の返事もない。何度送ってもだ。
 店におしかけて答えをねだっても、興ざめな、困った顔をされるだけ。
 拒まれれば拒まれるほど逆上し、店にいりびたった。
 しまいに女は、勤めを変えて、隠居した侍の屋敷に住み込むようになった。そこなら金蔵も手出しができないと考えたか。
 しかし、どうしても屋敷の外でないと済まない用事というのはある。そして金蔵は暇人。待ちかまえていて、詰め寄った。
「今日という今日は返事をきかせてもらうよ」「返事をくれないというのなら、屋敷に火をつけるぞ」
 覚悟のほどは、女の二の腕をわっしと掴んだ手に込められた力にあらわれていた。
 女の力ではとてもふりほどけそうにない。ただただおやめくださいと懇願するだけ。
 そこへ突然現れた浪人者。軽く足を払って金蔵をよろめかせると、女もろとも屋敷の中へ消えていった。
 意想外な人物の登場は金蔵の少々足りない頭脳をさらに短絡させた。

 女がどうした用事か旅に出るという。しかも件の浪人者も一緒だという。
 あの女郎め、それで俺にいい顔をしなかったのか。畜生め。
 浪人者が現れる前から、相手にされていなかったことなどすっかり棚に上げて、金蔵は浪人者を憎んだ。
 谷あいの村だから、どこに行くにも山を越えなければならない。
 荒事になれた手合いを語らって、山道でやみ討ちをかければたやすいことだ。力づくで女を奪い去れる。
 山を根城にするごろつきのような猟師に小金を握らせたら二つ返事で請け負った。
 後からついてくる浪人が少々遅れた隙をねらって、火縄で馬の腹を射抜き、戸惑う女を連れ去った。
 土地勘の無いものには跡は追えない。首尾よく猟師のねぐらに落ち着いた。
 すると今度は猟師が女に手を出そうとする。金を受け取ったくせに、頼んでもいないことをする。金蔵を小僧よばわりし、その目の前で女にのしかかる。
 馬鹿にしている。とても我慢ができようはずはない。
 不用意に置いてある斧で後ろから殴りかかった。

 怯える女を連れて山の中を何日もさまよった。
 この女のために人殺しまでした。
 その思いが、女への執着をいやが上にも強めた。
 飽きず女の体を求め、眠るときは帯をほどいて体をしばりつけ、片時も離れず、夢の中でも女を抱いた。
 食べ物も飲み物もなく、道もわからず、女は目に見えて弱っていった。金蔵も疲れていたが、弱りきって日に日に従順になっていく女を見ると、心が満たされた。
 幸い、生死の境をさまようまでにはいたらず、近くの村に落ち着いた。
 その村では、金蔵の親類が旅籠を営んでいた。跡取り息子にからっきし弱い父親のとりなしで、二人はそこで働くことになった。
 とはいっても働くのは女ばかり。金蔵は一応は番頭らしい羽織をまとってはいるものの、一日中女のことばかり気にしている。ちょっとでも女が傍を離れると機嫌が悪くなり、暴れ出す。
 ある日、旅籠に若い侍がやってきた。
 あいにくと人手が出払っており、やむを得ず、女が寝所の支度をすることとなった。
 若侍は、いかにもいい男で、腕自慢という風情。
 金蔵は女が二人きりで寝所にいるということに耐えられなかった。
「おまえはわしの傍にいればよいのだ!」
 そう叫んで部屋に入り、女の肩を掴んで引き寄せる。
 突然のことに驚いた若侍だったが、これは無論、侍が宿で受ける仕打ちではない。
 たちまちのうちに金蔵を殴り倒す。
 金蔵の体は火照っていた。頭も。
 この金蔵をいきなり殴りつけるとは。きっと若侍は密かに女と出来ていたのだ。そうに違いない。
 そしてこちらを睨み付けている侍を一睨みして踵を返した。
「火をつけてやる」
 そしてすべてを焼いてやるのだ。
 油の瓶をひっくり返し、そこに行灯を倒す。
 たちまち炎は拡がる。
 気配に気づいた家の者が大騒ぎを始める。
「若旦那が、若旦那が!」
 あたりが熱くなってきた。炎が屋敷の柱や壁を舐めている。火の見やぐらの半鐘が鳴りはじめて我に返る。
 ああ。そうだ。女だ。あの女のところに行かなければならない。
 人も殺めた、屋敷も燃やした。そこまでしたのだ。女はきっとわしの心をわかってくれるはずだ。

なんでもない  僕には、同年輩の友人達のやることなすことは馬鹿馬鹿しく、恥ずかしいことであるように思えた。
 実際彼らの行為は、世間的にいって低い評価しか与えられていないので、僕は自信を持って彼らを非難できた。「人生は短いから、そんなくだらないことをするのは、もったいない」と言いさえすればよかった。
 年齢を重ねるうちに、僕は、殆ど全てのことを批判できてしまう自分に気づく。その頃にはもう、自分自身をも冷徹な目で見、断罪できるようになっていた。かくして、僕は君になった。すると、過去に冒したあやまちが君を苦しめるようになったのだった。
 たまらず、君は過去を抹消しようとする。写真を捨て、日記を焼き、習慣からの脱却をはかった。
 聡明な君は、現在や未来もやがては過去となってしまうことに気づき、将来の自己批判を避けるための予防措置として、本を読むことをやめ、どこかに行くこともやめた。
 君はだんだんカラッポになっていく。数少ない君の敵も、攻撃の材料を失い、次第に減って行く。守るものも無くなった君には敗北はなくなった。更に完璧を目指して、君は名前も捨てることにした。だれも、君を名指しで批判することはなくなった。
 第三者となってしまった君にはもうだれも呼びかけられないから、これからは彼と呼ぶことにしよう。
 何者でもないことを目指した彼であったが、どういうわけか、ある娘を愛してしまった。その娘との関わりによって彼は彼氏になってしまう危険にさらされた。彼女のことを深く愛し、その娘のためなら世界をすべて敵に回してもよい、とさえ思われた。
 だが、幸いなことにというべきか、娘は変質者に犯された末に殺されたので、彼は辛くもリスクを逃れ得た。
 その後順調に時は流れ、もはや完全にカラッポになってしまった彼にも、ついに死ぬ日がやってきた。彼の最後の願いは、とうの昔に捨てた名前が墓石に刻まれないようにすることであった。
 臨終間際に彼はそのことを人に伝えようとした。しかし彼は、自分の言ったことを批判されるのがいやさに、長いこと人間の言葉を使うのをやめていたので、遺言は不可能だった。
 失意のうちに彼は死んだ。
 にもかかわらず、だれも彼の名前など知らなかったので、無縁仏として埋葬された。

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離婚したアメリカ人(2)  離婚したアメリカ人の男は白人だ。髪の毛は黒。口髭を蓄えている。瞳の色は明るい青。体型は若干太めだが、30代後半ともなれば許容される範囲だろう。
 職業は工員。いわゆるブルーカラー。
 人生をビジネスに注ぎ込んで、ビッグな成功を勝ち取ろう、という精神構造は持ち合わせていない。 
 日々の生活は、忙しくはない。それどころか、時々はレイオフの犠牲になって暇を持て余すくらいだ。
 喫煙はやめられない。飲酒もやめられない。やめようと本気で思ったこともない。
 薬の類にも興味がないではないし、実際少々試してみたこともある。しかし、常用者ではないし、リスクを犯したり、大金をつぎこんでまですることではないと考えている。

追跡  夢見られていた。
 追い詰めていた。
 黒革と鋲の装具を身に付けて。
 身体を申し訳程度に覆う紐のようなそれらの隙間から、剛毛が覗ける。会陰部から臍へつながる一連の部分はとりわけ禍々しく、陳腐で、夢の酷さ加減をよく現していた。
 地下。下水道か?地下鉄の工事現場か?
 なんにせよ、じめじめしたところだ。
 同じペースで追いかけていく。
 時折振り返ってはこちらを確かめているのが分かる。口もきけないでいる。叫べもしない。
 時間が過ぎるのが遅い。スローモーションで、たっぷりと恐怖を味わっているに違いない。
 助けてくれる者はだれもいない。
 いつのまにか高いところに出る。窓の外。手すりのないベランダ。下を観ることも叶わないほどの漆のような闇。逃げ場はないようだ。
 その足元には黒々として、丸々と太ったナメクジが這っている。  

初恋  そのことに気付いたのは、林間学校の夜のことだった。
 見回りにやってくる先生を警戒しながら、クラスの友達は、好ましく思う女子の話題でもちきりだった。
 普段はそんな素振りをかけらも見せないくせに、彼らは突然彼女たちについて語りはじめた。怪獣や巨大ロボットや宇宙戦艦について語るときよりも遙かに熱っぽく。
 ぼくはただ、息を殺していた。話に参加する資格はなかった。ぼくが眠った後も彼らは話し続けていた。
 「ぼくには何か、欠けている」
 その思いに耐えることはできなかったので、恋することにした。
 相手はその夜話題にならなかった女の子に決めた。
 最初はなかなか難しかった。もとより話題にのぼることさえない子だったから、顔と名前を一致させるのも一苦労だった。
 不確かな記憶の中から、彼女に関する断片をかきあつめた。言葉を交わした時の状況、彼女の声、彼女の服装、歯並び、髪型。
 それからは、彼女のすることすべてに注意した。仲のいい友達は誰なのか。帰る方向はどっちの方か。授業で先生に指されたとき、どんな風に受け答えしたか。
 卒業して、逢うことがなくなるまで、ぼくの「恋」は続いた。
 残念だったのは、期待していたように「おまえ、誰が好き?」と尋ねられる機会がその後訪れなかったことだ。
 彼女との「恋」は最後までぼくだけの秘密だった。

砂の本  気がつけば、私は何のためにその本を手にしたかを忘れてしまっていた。
 何の表題もない、作者の名前すら記されていないその本を、いったい何故私は手に取ることになったのか。
 過剰なほどに充実した補遺や脚注は、本文よりも私を楽しませた。
 頁を開く度に書き替えられる、細分化された情報に時を忘れて酔いしれた結果気付いたのは、それが結局は何の知ももたらさないということだった。
 その空虚さ。しかし、真の恐怖は、その本が遍在するということだ。古本屋の棚や図書館の書架にそっと紛れ込ませることはもうできない。
 その本を呼び出す呪文は街角に溢れていて、もはや忘れることは不可能だ。

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絶対芸術者  弓取りの家に生まれた彼だったが、幼い頃から歌詠みに目覚ましい才能を発揮した。
 けれども早熟の才は、限界に到達するのもまた早かった。
 いかに技巧を尽くしたとて、それが効果に結びつかねば心を砕く意味がない。
 手すさびに吟じたつまらぬ歌がもてはやされる一方で、会心の歌が思ったとおりには伝わらないことを彼は知った。
 それゆえ、歌人としての将来を嘱望されながら、元服を前に筆を折り、家の道である武芸を修めることとした。
 若い才能を惜しむ声は多かったが、その声はやがて彼が武道で明らかにした才の前に沈黙した。
 太刀をとらせて彼の右に出る者は無く、その名は都中にあまねく轟いた。
 「天晴れ都一の剣士よ」と、時の帝にも称賛されたものだったが、いかなる褒め言葉も彼にとっては全く意味がなかった。
 彼にとって重要だったのは、彼が振るう剣が、確実に対象を屠っていくという効果。おのが意図した「殺」を誰の目にもあきらかにする効果。
 誰を相手にしてもその効果をあげる。すなわち必ず殺す。絶対に殺す。
 そのためにこそ飽かず技に磨きをかけた。
 そして、技が極みに至ったと感じたとき、それを世にあらわすためにさまざまな機会を捉えて殺し始めた。
 相手は腕に覚えのある剣士だけにとどまらなかった。武器を持たぬ町人、坊主、生まれたばかりの子供、老婆、自身の妻。
 夜の都で、白昼の内裏で、心の赴くままに手当たり次第に死をまき散らした。通りすがりに斬り殺した小者も、丁々発止のやりとりの末に敗れた武士も、皆等しく死んだ。

 太刀を持つ限り何人も敵し得ない彼は、自ら剣を捨てて縄目についた。
 いくら技巧をつくしても「死」という効果にしかいたらないという当たり前のことに気付いてしまったから。
 剣の道で「死」以外のことを表現しようとするならば、そこにはかつて歌の道で味わったと同じ絶望が待っていること悟ったから。

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学校  校舎の窓のあかりが夜8時をまわっても消えない。
 いつもそうだったろうか。
 なにか特別な行事でもあるのかもしれない。
 たとえば文化祭が間近にせまっていて、その準備のために生徒たちが準備をしている。
 普段はさして面白くもない、長居はしたくない場所なのに、この時は別だ。
 あたりは暗く、グラウンドの一部だけが窓の形に四角く照らされている。
 昼の光の混じらない、蛍光灯の光の下でみる同級生の顔はいつもとは少し違っていて、それだけでなにか秘密を知ってしまったような気持ち。
 やがて「もう遅いから」「早く帰れ」と先生に追い出される。

 その時や、その時ではないいつか別の時、図書館の二階の自習室に居て。
 参考書を広げてはいるが、あまり熱心に勉強してはいない。小説か社会科学系の本を斜め読みして。
 他にいくあてもないから、何年も通い続けてしまった図書館。
 書架の配置はもちろん覚えてしまっている。内容は知らないが背表紙は知っている本の数々。
 時間はたっぷりあるようで、それほどでもないような気がして、全集は目次をぱらぱらとめくってみる程度。
 あるいは本文は読みきっていないのに本の末尾の、「その他の刊行物」は何度か繰り返し読んでしまう。

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離婚したアメリカ人  離婚をしたアメリカ人の男が、元のパートナーとやりなおそうとする。
 離婚を申し出たのは彼ではない。一方的に愛想をつかされたのだ。
 彼女の方には全くその気はない。仮によりをもどしたとしても、また同じ結果になる確信がある。
 元パートナーには、彼が別れた時とまったく変わっていないことは容易にみてとれた。
 彼は、八の字にたわめた、濃い眉毛の下からこちらの様子をうかがっているのだが、心配そうな表情の下で彼はきっと都合のよい考えを巡らせている。
「君が必要なんだ。愛している」
 そういいさえすればすべてが解決するとでも思っているのだろうか。
 しおらしい顔をしていても、それは彼女を騙そうとしているに過ぎない。そして、そんな下心を見透かされていることに気付いていない。
 この鈍感さこそが離婚にいたった原因であることをを彼は全く理解していない。

愛のある風景 「俺、彼女のこと好きになっちまったよ」と頓狂な声を上げる友人。
 彼と私は親しいことになっている。
 彼は続けて彼女の魅力について語る。
 彼の語る彼女の美点については納得することが出来ない。なぜ彼が彼女に惹かれるのかを説明出来ていないし、事実を語るというよりはすでに評価含み、彼の都合のいい考えをふんだんに含んでいるからだ。
 人に話したことはないが、彼女のことは私も好きだ。

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