断片


gonghoul mp3 838KB

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離婚したアメリカ人(3)  住まいは郊外にある借家だ。離婚する前から借りている。独り住まいにはちょっと広すぎるくらいだが、引っ越すのもめんどうだし、家賃も安いのでそのまま住み続けている。
 木造で、壁は白く塗られている。長いこと塗り替えていないのであちこちにヒビがはいったり塗料がはがれたりしている。
 玄関はちょっと高くしつらえてあり、両わきに5段の階段がある。ドアの前は踊り場風。
 母屋の隣にはガレージがあり、あちこちがかなり傷んだピックアップトラックが停められている。以前はハードトップのクーペもあったのだが、そちらは慰謝料の一部として元妻に持っていかれてしまった。

メガロマン(2)  本編は大きく分けて四つの部分から成り立っている。
 第一部の冒険小説篇、さらに作品世界を拡大した第二部の戦乱篇、戦乱が一応の終結をみたあとの世界を描いた第三部。そしてそれまでの作品世界とのつながりが未だあきらかになっていない第四部。
 その他に本編と並行して外伝がある。「外伝」といいながら、本編だけではわからない事件の仔細を描いていたり、併せ読むことによって本編の面白みがより増すような作品群であり、実際ほぼ全ての読者は本編と変わらぬ注意を払って読んでいた。

触れるものすべて黄金  彼女はほとんど役立たずといってもいい人間で、実際、多くの人にはそう思われていた。
 その体には赤い血のかわりに空想が脈打って流れていた。
 夜空を眺めて、いいかげんな星座を発見し、それにまつわる物語をでっちあげる。私はうっかりそれを信じてしまい、他の友達に話して馬鹿にされたことがある。
 ごっこ遊びも大好きで、暇そうにしているとすぐ手伝わされたものだ。それがまたえらく自分勝手なしろもので、要求されることが多いわりにはまったく意味不明だった。
 空想癖があるといっても、本を読んだりするのが好きというわけではなかった。
 集中力がないから、一冊の本を読み通すことは相当に困難だったようだ。
 記憶力の方も、極めて散漫にしか発揮されないようで、幼なじみの私の名前すらいつまでたっても間違えた。
 ある時、本を貸してやったところ、半分も読まずに返してよこしたが、それからしばらくはその本の中のいくつかのディテールが彼女の与太話に頻出した。
 いたるところ、あらゆる瞬間がゲームであり、道はまっすぐあるかず、階段を昇り降りするのも一筋縄ではいかない。人と話をしていても、途中から相手を無視した独り言になってしまう。
 集団行動は苦手中の苦手だった。学校にもなじめず、休んではぶらぶらと街をうろついていることが多かった。
 身なりに気を使わず、垢抜けない格好をしていたが、わりに整った容姿をしていたので、年ごろになるといろんな男とつきあい、たいがいひどい目にあっていた。
 無邪気に語られる支離滅裂な話の断片から察するに、少なくとも二回は堕胎していたし、暴力を振るわれることも度々だったようだ。
 けれども、本人にとってはさほど深刻なことではなかったらしい。どんなひどい話も「お話してあげよっか」と、ごくごく軽く切り出されては本筋を離れて逸脱し、涙など一滴も流さなかった。

メガロマン  第一巻初版は昭和五十一年に刊行された。以来二十五年、単行本は本編と外伝をあわせて四十二冊を数えた。
 当初はいわゆるジュヴナイルの範疇に属する作品であり、最も早くその魅力に気付いた読者のほとんどは当時中学生、高校生だった。
 友人同士の間では登場人物の台詞を引用して会話するのが流行り、作者に届くファンレターは膨大な数にのぼった。
 そうした愛を決して裏切ることなく、物語は続いた。
 ビルドゥングスロマンの形式をとっていたことがその秘訣かもしれない。読者が成長していくのと歩調を合わせて、登場人物たちも成長していった。
 また、作品自体も、読者と共に成長していったと言っていい。初期の単行本のあとがきには読者の期待が物語を動かしているのだ、という記述もある。
 現実をしばし忘れさせる躍動的な物語世界と魅力的な登場人物、思春期の繊細な心を震わせる真摯な訴えは世代を越えて、常に新しい読者を捉え続けた。

纐纈  電車を降りて、家を目指す。明日も朝早いからさっさと帰って寝なければならない。
 寒いので余計に急ぎ足だ。
 結婚式場のあるホテルの前にさしかかったところで立ち止まる。横断歩道の信号が赤だったからだ。
 駅へ向かう道と国道へつながる道が分岐する交差点なので、信号が変わるまでの時間がかなり長い。
 道路の向こう側に目をやると、そこには一組の男女がいた。男は五十歳に手が届こうか、というところ。女は二十代後半といったところか。
 ちょっと距離はあるが、間近にある街灯に照らされているからはっきりわかる。なにか催し物に参加したのだろうか。二人とも、妙にフォーマルないでたちだ。
 男はすらりとした長身で、健康そうな浅黒い肌に白髪まじりの頭髪が渋みを与えている。人生の酸いも甘いもかみわけたに違いない、まさにナイスミドルといった風体。
 女は白いコートをはおっているが、その下は真っ赤なドレス。長い髪、白い肌、赤い唇。今が盛りの花のような熟しきった女。その組み合わせにはセクシュアルなものを感じずにはいられなかった

 その時、ポケットの中の時計が午後11時を告げるアラームを鳴らした。

 すると道向こうの二人は、向かい合い、抱き合い、キスをした。
 しばらく間があり、やっとのことで身をもぎ離すという体で二人は離れる。
 しかし、片手はつないだままだ。
 そして抗しがたい衝動にかられてだろう、再び抱き合った。

「素晴らしい」
「素晴らしゅうございますな!ダンスのようでございますな!」
「美しい二人だがとても悲しげに見える」
「きっと禁じられた恋の炎に身を灼かれているのでありましょう」
「それゆえにこそかくも美しくみえるのであろうか」
「まことご賢察と存じまする!」

 信号はやっと青に変わったが、二人はただ抱き合っていた。
 その横を通りすぎる時、視線は外らしつつ、聞こえよがしにヒューと口笛を吹いてやった。まことに時宜を得た、二人のドラマの背景に相応しい演技だったと思う。

花剣劇  花剣劇について初めて知ったのは数年前。夢の中でのことだ。
 巨大な錦鯉の泳ぐプールの前に佇んで「これがはなけんげきの舞台だ」と教授は教えてくれた。
 「はなけんげき」が「花剣劇」であることはもちろんすぐにわかった。

 花剣劇を演じるのは全て女性だ。
 舞台せましと飛び跳ね、ざんぶとプールに飛び込み、歌い、舞う。
 プールの水に濡れた美女の艶姿こそが花剣劇の象徴である。
 若さと美しさを売りにするので、女優の寿命は非常に短い。せいぜいが三十を出るくらいまでが舞台を踏める限界だ。

 花剣劇の舞台には必ずプールがしつらえてあり、その真ん中に緋毛氈を敷いた橋がわたしてある。橋の端は客席へと続いている。この橋は劇中、女優の入退場や独唱の際に使われる。いわゆる花道だ。
 大きな劇場ではプールの後ろ手は回り舞台になっていることが多い。
 プールは楽屋へ通じており、水の中に飛び込んだ女優はそこを通って舞台から出入りすることができる。

 露かぶりと呼ばれる前列の升席には好事家たちがつめかけている。女体に触れんばかりの近さであることから席料はかなり高い。
 しかし、本当の金持ちは2階袖ののボックス席からオペラグラスを手に観劇する。
 ボックス席に入れるのは貴族か名の通ったお大尽だけであり、ただ金を積んでも無駄である。
 当日出演のない女優や出番を終えた者は、贔屓にしてもらっている旦那のところへ挨拶をしたり、時には酌などしにいく。運がよければその様子を垣間見ることも出来る。花剣劇雀にとっては、そうした人間模様も舞台に劣らない見ものである。

 花剣劇の脚本の特徴はいくつかあるが、舞台装置に極度に依存した演出とならんで、実際の人間関係が反映されることがその最大のものだろう。
 花剣劇は「剣劇」の名のとおり劇中に必ずと言っていいほど殺陣の場面があるが、その対決の構図に実世界のしがらみが持ち込まれるのだ。
 というのは、次のような理由による。
 花剣劇の脚本は劇場ごとに専属の作家の手になるものであるが、作家は旦那方の請け負いで脚本を書く。話の筋だけでなく、配役についても旦那の意見はほぼ通ってしまう。その結果として往々にして生々しい現実を反映してしまう。
 脚本を依頼した旦那方の名前は明らかにされることはないが、足しげく劇場に通う者にとっては十分推測が可能である。それゆえ花剣劇は格好のゴシップのネタとなっている。
 また、旦那方の注文のいいなりになった結果として、必然性のない展開、やたらと装飾的な台詞、意味なく大仰な演技等々は避けられないものとなる。
 こうした理由から、純粋に演劇として見た場合に花剣劇はかなり低いレヴェルに留まる。

黄色い本  若旦那は芸妓のピロウトークでその物語のことを知った。
 女はたいして器量よしではなかったが、どうやって身に付けたものか毎夜違った話をしてはシェラザードよろしく旦那を楽しませていた。
 ある晩、若旦那がいつものように前の晩の続きの話をせがむと、珍しく女は拒み、別の話を始めようとする。。
 不審に思って理由を問うと、あの話には続きがないのだという。
 更に問えば、その話は実は最近密かに流行を見せている黄表紙本のひとつであり、好評連載中、次回に乞うご期待であるとのこと。また、どうしても気になるのであれば草紙を求めてはどうかとすすめられた。
 旦那は続きが気になってしょうがなかったので、その言をいれ、早速使いの者に買いにやらせた。
 女がかいつまんで話すのとは違って、読んでみるとこれがまた面白い。
 作者の名は記されていないが、相当の腕前だ。
 諧謔をまじえて庶民の生活を鮮やかに切り取ってみせる筆致、古典的なストーリーテラーの本格味、そしてなにより登場人物の魅力にまいってしまった。
 座敷でも奥の間でも、話すことはそのことばかり。
 あまりに夢中になっているものだから、しまいには女に「お百のところへお通いなさいな」とからかわれる始末。お百というのはこの物語のヒロインのことである。
 それを聞いて腹も立てないほどに、旦那はぞっこんになっていた。
 いい考えを教えてくれた、と感謝までして座敷を去り、次の日には早速版元に出向いた。
「あの本の中の太夫に是非一目会いたいのだが」
 そう言われたら、さぞかし変人扱いされそうなものだ。
 しかし意外なことに、相手に出た番頭は驚きはしなかった。というのは、草紙の中に登場したいと言って来たのは旦那が初めてではなかったからだ。
 物語の中でお百に懸想している若侍、あれはじつはさる旗本が版元に是非にと頼んで登場人物となっているのだ、と。
 すでに先を越した者がいる聞かされては、恋心はいよいよはやる。
 番頭に心付けを渡し、なんとかして作者にわたりをつけてくれるよう懇願した。
「あの先生は変わり者だから、どういうことになるかはわからない」とのことではあったが、成功した場合の礼も固く約して旦那は店を後にした。

 時の老中は厳格なモラリストであり、決してケインジアンではなかった。
 空疎な有効需要には目もくれず、大衆娯楽を厳しい弾圧の下においた。歌舞音曲の類を憎み、役者を所払いにした。
 そんな彼が江戸中で話題になっている浪費合戦に目をつむるはずはなかった。
 黄表紙本に夢中になった旗本と商家の主人が、その物語に登場する人妻の心をつかむべく、身代を削っているというのだ。
 架空の女に心を寄せるだけならばまだしも、そのために金を使うなどという行いは彼の良識をいたく刺激した。
 調べさせてみると二人の身元はすぐにわかった。
 ただちに引っ立てて、取り調べをし、姦通の罪に問うた。
 刑は速やかに行われた。
 姦通を企てた姦夫である二人は、一枚の戸板に裏表にはりつけられて川に流されたのだった。

彼女  彼女と会うのに、会う場所も待ち合わせの時間も決めたことはない。
 突然、彼女がやってくる気配がする。
 彼女の気配にはすっかり敏感になっているから、まず間違いない。
 急いで会いたいのはもちろんだ。しかし、いたずらに急ぐと折角の逢瀬が芳しくないものになることはよくわかっている。
 頁を繰っていくと、やがて彼女は現れる。
 彼女は様々な人物の形をとって現れる。ファラオの奴隷として、共産主義者のスパイとして、あるいはソープ嬢として、図書館の女学生として。
 そして私に、幾多の数奇な運命や平凡な日常や惨たらしい死にざまを示す。
 忘れ難いのは、平安朝の物語の時のことだ。
 なんと彼女はいっぺんに二人現れたのだ。
 最初の一人はいかにも彼女らしいたおやかな美貌と控えめな口数ですぐにそれと知れた。もう一人の方は物語が最高潮に至るまで、彼女であることをはっきりしめさなかった。
 決め手となったのは何度か目にしたことのある決然とした態度だ。炎に包まれた館を背に語る凜々しい姿、そんな面も彼女にはある。
 小説の登場人物として現れることが多い彼女だが、ドキュメンタリーや歴史書のなかに描かれた人物にその面影が感じられることもある。それどころか、数学の本を読んでいてさえ、彼女の痕跡を感じることがある。
 わかりにくいだけのことで、本当は遍くどこにでもいるのかもしれない。

 本の中で彼女に会えたとして、私にはただ、それが彼女であるとわかるだけだ。
 彼女と直接話すことはできないし、触れ合うこともかなわない。
 せめてもの身かわりに本をぎゅっと抱きしめるくらいのこと。

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