''※このページの内容には誤りが発見されています。くわしくは「村崎零」の項目を参照して下さい。 →村崎零''~
~
#br
以前、当サイトでは、葵ヒトリ先生ご本人からの情報として、デビュー当時のペンネームを「村崎一彦(むらさき・かずひこ)」としていましたが、調査の結果それはご本人の記憶違いであると判明しました。「掲載の直前に〔ペンネームを〕変更したため、どちらがどちらだかわからなくなってしまっていた」((葵ヒトリ先生は村崎名義作品の掲載誌を所持しておられないとのこと。))とのことです。

*プロフィール [#n3027b05]
,ペンネーム,村崎一彦 
,ペンネーム読み,むらさき・かずひこ 
,ペンネーム別表記,不明 
,別ペンネーム,葵ヒトリ、A・O・I 
,公式サイト,なし 
そのため、正しいペンネーム「村崎零」で新たに項目を作り、このページにあった内容をすべてそちらに移動しました。以降はそちらをご覧ください。 →村崎零

 「村崎一彦」は、葵ヒトリ(A・O・I)がデビュー当時(1996年前後)に使用していたペンネームとのこと(作者ご本人からの情報)。その後、「A・O・I」に改名し、さらに2003年には「葵ヒトリ」と改名している。
(2008年9月28日記)


*単行本 [#a82aa328]

 この名義では発表されていない。

*作品リスト(村崎一彦名義のみ) [#qc4826f5]

:「遊戯」16p|『(掲載誌不明)』メディアックス発行 1995年、もしくは96年発行~
※デビュー作。作者によると、雑誌『コミック花いちもんめ』(メディアックス発行)((雑誌「花いちもんめ」は、1995年2月号をもって休刊。なお、この雑誌は「コミックゲイザー」(創刊号(1995年3月号)のみ発売)を経て、「コミックライズ」(創刊:1995年5月号〜休刊:2001年7月号)→「コミックPOT」(創刊:2001年9月号〜休刊:2006年6月号)へと改題されていった。(すべて、メディアックス刊)))に投稿した作品。のちに同社刊のSMアンソロジー(誌名不明)に再録された(らしい)とのこと。


:「酔夢」16p|『(掲載誌不明)』(フランス書院発行の雑誌か?)~
※デビュー第2作。作者によると、『COMICパピポ外伝』1996年4月号(フランス書院発行)に掲載された(はず…)とのことだったが、当該雑誌を確認したところ掲載されていなかった。 


 以上2作。いずれも単行本未収録、管理人未見。''詳しい情報が全くないため、情報を募集しています。''

&shiftnote();


*メモ [#v21eee29]

**メディアックス発行の成年向け漫画雑誌について [#n587cc90]

村崎一彦名義の作品が掲載された可能性の高い、1995年〜1996年前後に発行されていたものを中心に記述する。結論としては''「コミックライズ」か「コミックギガテック」に掲載された可能性が高い''と思われる。

***コミック花いちもんめ (1990/12-1995/2) [#aecf59c1]

創刊号は1990年12月号。当初は「デラべっぴん」増刊としての発行だった(雑誌コード:06442)。前後の号から判断すると、通算5号に当たる1991年4月号が独立創刊号と思われる((独立創刊号は未見。))(雑誌コード:13885)。以降月刊として毎月発行されていたようだが、1995年2月号をもって休刊。(現物を確認できたのは以下の通り。1990年12月号((号数表記はNo.1。))、1991年1月号((号数表記はNo.2。))、同3月号((号数表記はNo.4。))、同5月号、同6月号((背表紙には「No.7」と併記。))、そして休刊号となる1995年2月号。)

また、1992年から1993年ごろには、増刊誌として「ジャンケンポン」((未見。正確な誌名は不明。))が発行されていた模様。特定作家の特集号となっているようなので再録誌なのだろうか?

1994年には増刊号として「コミックジオトピア」が創刊(雑誌コード:13886)。創刊号は2月号で、以降隔月で発行。同年10月号からは月刊化されたようだ((「花いちもんめ」休刊号掲載のバックナンバー案内による。))。休刊号は1995年1月号(通巻8号)か?((「コミックゲイザー」1995年3月号のバックナンバー案内では「ジオトピア」1月号までしか記載されていない。)) なお、通巻第3号となる1994年6月号までは現物を確認済み。

''本誌の休刊号(1995年2月号)には、村崎作品は掲載されていなかった。''時期的に考えて、「花いちもんめ」への掲載はないと思われる。

&shiftnote();

***コミックゲイザー (1995/3) [#q2223302]

「花いちもんめ」の後継誌。1995年3月号のみ発行された。雑誌コード(13885)と通巻数を「花いちもんめ」から引き継いでいる(なお、この通巻の数え方は通例とは異なっている可能性がある。くわしくは[[後述>http://www.picnic.to/~kurimuzo/index.php?%C2%BC%BA%EA%B0%EC%C9%A7#vde19d42]])。

''本誌を確認したが、村崎作品は掲載されていなかった。''第18回FP新人賞の結果発表が掲載されていたが、村崎一彦の名前は記載されていない。もしかすると別ペンネームでの応募だったのかもしれない。また、次回第19回の募集告知もあるので、そちらへの応募だったのかもしれない。

***コミックライズ (1995/5-2001/8) [#kc45b0e8]

「コミックゲイザー」の後継誌。1995年5月号〜2001年8月号まで毎月発行されていた模様。雑誌コードは 03949。また創刊当初は、増刊誌として「コミックギガテック」が毎月発行されていたようだ。
//雑誌コード:03949?

''本誌1995年6月号と同年9月号を確認できたが、村崎作品は掲載されていなかった。''

***コミックギガテック(1995/6-?) [#z0a4eaea]

「コミックライズ」の増刊として発行。1995年6月号から発行されていた模様(休刊の時期は不明)。

ギガテック1996年1月号をお持ちの方から情報を頂いた。その号には村崎作品は掲載されていないとのこと。また、バックナンバーの案内ページがあり、「ライズ」は1995年5月号から12月号まで、「ギガテック」は1995年6月号から12月号までが記述されているとのこと。いずれも毎月発行されていたらしい。

***コミックPOT (2001/9-2006/6) [#z35d6698]

読みは「コミックポット」。「コミックライズ」の後継誌。2001年9月号(?)〜2006年6月号まで毎月発行されていた模様(最終号が2006年6月号であることは現物確認済み)。
//雑誌コード:03949?

***(参考)そのほか [#lbc5ac4e]

:ジャンケンポン|正確な誌名は不明。「花いちもんめ」の増刊として1992年から1993年にかけて発行されていた模様。くわしくは「花いちもんめ」の項を参照のこと。

:コミックジオトピア|「花いちもんめ」の増刊として発行されていた。1994年2月号が創刊号。休刊号は1995年1月号か? くわしくは「花いちもんめ」の項を参照のこと。 

:コミックライズEX|詳細不明。創刊号は2000年10月号で、休刊は2001年との情報あり。 

:コミックファンタジーライズ|創刊号は2001年6月号で、休刊号は2002年11月号。コミックポットに合併とのことらしい。雑誌コードは 07484 か?

***(参考)「花いちもんめ」の「通巻」の数え方について [#vde19d42]

前述のとおり、「花いちもんめ」の「通巻」の数え方((いわゆる「巻号表示」における「通巻」の数字を問題にしている。))は一般的なものと異なっている可能性がある。通常であれば、「花いちもんめ」独立創刊号を「通巻1号」として、本誌のほか「花いちもんめ増刊」として発行されたものをすべて含めてカウントするのだが、「花いちもんめ」休刊号の通巻表示を見るとそうはなっていないようだ。

以下は仮説である。

まず、休刊号(1995年2月号)には「第5巻 第2号 ''通巻51号''」と表示されており、同号掲載のバックナンバー案内のページを見ると、前号の1995年1月号に「No.''50''」、前々号の1994年12月号に「No.''49''」と併記してある(休刊号は「No.''51''」にあたる)。そこから、この「花いちもんめ」本誌のNo.数字が、そのまま通巻として表記されているのではないか、と推測できる。だとすれば、増刊号がカウントされていないことになる((なお、「花いちもんめ」休刊後に後継誌として1号のみ発行された「コミックゲイザー」は、雑誌コードと通巻を「花いちもんめ」から引き継ぎ、巻号表記を「第5巻 第3号 通巻52号」としている。))。
//休刊号のバックナンバー案内では、1994年6月号(No.43)から記載

また、この通巻の数字を休刊号の51から逆算していくと、通巻1号(No.1)は、当時「デラべっぴん」の増刊号として発行された「花いちもんめ」創刊号(1990年12月号にあたる。ただし、正式な号数表記は“No.1”)に相当し、ぴたりと数字が合う。この点からも、休刊号における通巻の数は「花いちもんめ」本誌のみをカウントしたものと推定できる。

しかし、ここで「花いちもんめ」独立創刊当初の何号かの通巻表示を参照すると、実はそれとは異なる数え方がされている。

創刊当初は「デラべっぴん」の増刊だったため、号数表記は「No.x」のみで月号表記が無く((一般に、増刊号では「月号」表記がなされず、「No.」や「Vol.」など号数表記がされる傾向がある。))、通巻の表示も無かった。その後、独立創刊((雑誌コードが独立ナンバーとなり、増刊扱いから「本誌」扱いになることを「独立創刊」という。))となった1991年4月号は未確認だが、次号5月号は「第1巻 第2号 ''通巻2号''」、次々号6月号は「第1巻 第3号 ''通巻3号''」と、独立創刊号を通巻1号とする一般的な通巻の数え方がされているのである。独立創刊時点でのこの数え方が、どの時点で休刊号での数え方(増刊時代の創刊号を「通巻1号」として本誌のみをカウントする)に移行したのか、今のところ不明である。

ただ、1991年6月号(「第1巻 第3号 通巻3号」)には背表紙にあたる部分の号数表記に「6月号」と(やや小さく)「No.7」の2つが併記されており、独立創刊以前、増刊扱いの頃からの通し番号が付けられているのが興味深い。((前号5月号には“No.6”の表記は無い。))


トップ   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS