メビウスひみつきちミレニアム |
#35
01/01/21〜
【単行本・漫画】(漫画)
岩舘真理子「アマリリス」1巻 / 赤松健「ラブひな」10巻 / 西川魯介「屈折リーベ」
/ 羽海野チカ「ハチミツとクローバー」1巻![]()
【単行本・漫画】(小説・ノンフィクション)
梨木香歩「裏庭」 / 田中啓文 「神の子ジェノス
神の子はみな踊る」「神の子ジェノス 神の子は来たりて歌う」![]()
【雑誌】
近代麻雀ゴールド 3月号 / アフタヌーン 3月号 / OURsLITE 3月号 / OURsgirl
No.2![]()
【etc.】
01/01/30(TUE)
点取り占いおかわり
○ な わ や 何 1 い か ら が 点 ら 何 |
○ 職 軍 球 私 5 決 に 防 設 点 定 就 衛 地 |
○ だ ケ く ま 2 な な チ っ 点 あ 奴 ン た |
○ 返 の と 白 2 し 繰 悪 昼 点 り 夢 夢 |
○ メ ブ 無 1 ン レ 礼 点 | 面 |
● 入 学 陵 祝 0 学 院 辱 私 点 御 女 立 |
● 破 で エ チ 0 産 自 ッ ョ 点 己 グ コ |
○ 急 ル こ そ 2 医 の レ こ 点 療 緊 ベ そ |
○ が 面 マ イ 5 好 の ウ ン 点 き 君 ス ス |
○ 血 師 淫 1 指 の 獣 点 導 熱 教 |
○ ビ て ラ リ 1 ン 社 賭 ス 点 ゴ 内 け ト |
ネタがない時使用。
【単行本・小説】 田中啓文 「神の子ジェノス 神の子はみな踊る」 集英社スーパーファンタジー文庫
【単行本・小説】 田中啓文 「神の子ジェノス 神の子は来たりて歌う」 集英社スーパーファンタジー文庫

神の子ジェノスシリーズ前後編。出たの4年も前だから新刊で手に入れるのは難しいのかもしれない。BOOKOFFとかで探したほうがひょっとして入手の早道かも……と思ってちょっと悲しい。集英社スーパーファンタジー文庫でヤングアダルト枠、そしてイラスト:なるしまゆりだけど、そんなささいなことはまったく意に介さないかのように暴走する田中啓文(ひろふみ)ワールドがここに!!

主人公ジェノス。彼は世界(アスカ)を統べる神(シヴァ)の息子にして<傍観者>である。彼の仕事は世界を旅して、訪れた町の民が、神の定めた十の戒律を遵守しているかを見極め、それを神である父親に報告する事。報告に用いる道具はなぜかトロンボーンでこれは戦闘の時には武器にもなる組立式スイスアーミー楽器。これをぱぱらぱーとか吹くとレポートが天上界にアップロードされて、その結果に応じて神が天罰下して火の雹が町に降りそそいだりするわけ。つまりは全滅〜。だいたい町の住人全員が極悪人というわけでもなく、その町に巣食う悪魔の手によって洗脳されたような普通の人々ばっかりなんですけど、そんなことはお構いなしに37564(みなごろし)。しかもジェノスくん憂いを秘めた美形なものだから、その町その町ごとに親しくなった女の子とかいたりするんですが、そんな彼女たちも、町もろともお亡くなりになってしまったりして後味悪いことこの上なし。そんな悲惨な出来事の記憶を忘れるために(ヒドイ…)ジェノスくんは昼間っから酒に溺れる毎日だったりして、ここで一言、なんだかなああ。
そもそも田中啓文作風3大特徴として
・暴走しまくるグロ描写(食い物ネタ多し)
・かなり間違った方向への読者サービス
・最後は必ずダジャレオチ
があるのですが、この作品も間違いなく大適応!これはネタバレなのですが(第1話の途中、40ページくらいで判明することなのでたいしたネタバレではないです)、ジェノスが最初に訪れる町マティナで人々が珍重する高級食材、レッド・バーの正体はなんと人間の赤ん坊。赤ん坊、アカンボウ、赤い棒、英語でレッド・バー、ばんざーい!ばんざーい!ばんざーい!………ダメだこりゃ。いきなりカニバリズムで駄洒落ですよ。田中啓文イズム大全開!!ほんとにヤングアダルトか!
そんなこんなで、尋ねた町や親しくなった人々が、精神的に常軌を逸した神である父親の手によって次々と消えていく中、ボロボロになりながら世界を放浪し続けるジェノスくんでありましたが、事態はそれだけにとどまらず(トホホ…)「神の子は必ず俺が堕落させてみせる…」とかいって美形の悪魔くん、メフィスが彼をつけ狙ってみたり、彼のお供でちんちん型の杖持った悪魔っ娘<淫夢鬼>エロスもついでにジェノスを追っかけてきたりとか、展開暴走しまくり、やりたい放題。しまいにゃジェノスのスペアまで出てきたりして。
しかし、こんな物語が綺麗な大団円を迎えてしまうこの奇跡。なんだか不思議ですねええ。特にこの人の場合、こういうキチンとしたオチのほうがめったないかもしれません。ラスト、駄洒落オチじゃなくてよかった………。
【雑誌】 アワーズガール No.2 少年画報社
藤原薫の表紙イラストは前号のほうがいいな。なんかカラーセンスとかイラストとかで不思議少女色出しすぎないほうがいいような気がします。たぶん、普通少女はこの雑誌そもそも買わないんだけどさあ、それでも。
たぶん、この雑誌が受け入れられるか否かのバロメーターとなる作家は今市子、川原由美子、藤原薫あたりかなあ、と。今市子の連載漫画、君には読み解けるのか?2話目にして早くもストーリー解説のページがあるぞ!ってのがあるし、川原由美子のは「え?」って感じのオチだし、藤原薫のなんかこう、突き刺さってくるような「だいじょうぶ?この漫画」っていう作品全体を覆う不安感、日常と悪夢の境界が揺らぐところ、それをオーヴァードライヴさせるかのような独特な構成に君はついてこれるか?あたりが、この雑誌の読者たりえるかの分水嶺となってくるのかも。おがき、犬上、小石川あたりのライト勢は問題ないでしょう。おがきちか「先生のラブ時計」にしても犬上すくね「君のためにできないこと」にしてもライト読者向けのそれとほとんどストーリー構成的な差異は無い気がするし、小石川ふに「ぎゅー」は可愛いことがわかればオッケー作品だし。ところで前述の今市子「夜と星のむこう」。基本的にこの人は連載物向いてないのでは…という思いが僕の中でずっとあります。というのは明らかにそんなの必要ないだろう的なエピソードや伏線入れまくりになっちゃうからなんですよねこのヒト。肝心の話の流れはそれに飲みこまれて見失われてしまう。話の中心人物が固定されない集団劇的作品ならまだなんとかなるんですけど、今回みたいに3人を中心とした物語を展開させるときにはそれがネックになるというか。もっとお話の流れ、単純化させていいのに。不安なのかなあ。川原由美子「MANI−MAX」。近所で見かける不思議な包みを巡っての主人公とその友人、女性2人のだらだら会話が非常に微妙な「???」的ラストへと。前回の中国話と同じくホラと現実話の境界が揺らぐようなお話。でも、「ふーん」ですんじゃう可能性もあるようなお話。藤原薫「アダルトハーフ」は何か秘密を抱えてそうな少女、杏子、そして彼女とつき合いはじめた男の話。どこか現実から乖離したような主人公、杏子の描写、独特な台詞回しとかすりぬけていくように移動する視点の移動とか、ラストの余韻の異様さったらないですね、1冊読むのはヘヴィーなんだけど短編単位で読むと神経にくる感じが気持ちいい。「きみとぼく」離脱組の中でもっともっと描いてほしい作家さんの1人です。逆柱いみり「カッパドリル」は就職漫画です。(嘘)異界の描写と主人公のぶっきらぼうなセリフの取り合わせがすーばらしー。あ、有元美保が麻雀漫画描いてたのは元竹書房の編集者だからですね。前にどっかで描いた気するけど竹書房版「燃えよペン」の実写パートで編集者役として出演してた。ところで真中くらいに広告載ってるMAYってすごい雑誌だなあ、MAY増刊も。
01/01/29(MON)
今日のは
いいねえええ。2本とも素晴らしい。
オモロ
タイピング練習フリーソフト:SpeedStroker
おりゃ、おりゃおりゃおりゃ―――。
以下、打ってていろいろつらい問題。
「アラブ首長国連邦の首都はアブダビ」
「恋もカード集めも、だれにも負けない!」
「エアリスは、もうしゃべらない..もう笑わない..泣かない..怒らない」
「相手が誰だって、恋する乙女にはかなわないんだから!」
「プッシュプル回路とブリッジ回路のフライバック電流」
「メイは世界一の幸せ者なのだーっ」
「スピアマンの順位相関係数」
「コペルニクスもガリレオも!ふたりの前では天動説!!」
「プッシュプル回路とブリッジ回路のフライバック電流」
「私のことが..好きにな〜る、好きにな〜る。」
いまんとこ 俺HIGHSCORE:23,376だって、ぬる〜〜。3.22stroke/secondだよ。
【単行本・漫画】 西川魯介 「屈折リーベ」 白泉社

好奇心旺盛な男子校生・秋保宣利(あきうのぶとし)は、突然、1年先輩の
大滝篠奈(おおたきすずな)を好きになってしまった。
「どうして私は篠奈せんぱいのことが
好きになったんだろう?」
不思議に思った彼は篠奈とともに答えを探しはじめる!
物語のキーワードは、
「メガネッ娘ダカラ好キニナル!」
………えーと。とりあえずジーク!メガネっ娘!!当然のように辞書登録までしている俺。
めがねがねとかめがねのままのきみがすきとか読んで予習もしといたよ!というわけで「屈折リーベ」であります。その当時ぜんぜん漫画読んでなかったので今日始めて読んだ俺。勉強不足ですね。ぽっくん。
「メガネっ娘とメガネ好きがいかにしてつきあっていくのか」、「眼鏡を外した瞬間にその少女は恋愛対象から外されるのか」、「メガネっ娘としての実存はその眼鏡にあるのか」、秋保と篠奈、主人公2人がその答えを見つけるべく、不器用ながらも悩み、傷つき、そして互いに理解を深めていくようす。それが全国の特殊な若人の心をガッチリ掴んでtanomi.com
で単行本化希望票ガンガン入ったりだのオツアン「単行本化希望の未収録作品」ぶっちぎりの1位だのになったのではなかろうか、そう思います。
物語世界の中に存在する眼鏡っ娘の意義、たとえば、キャラの性格を読者にわかりやすく伝えるための道具立てとして使用される眼鏡、またその眼鏡によって作り出される物語内での役割(ロール)としての眼鏡っ娘というのはあると思います。賢者、主人公の援助者的な役割を担うケースが多いでしょうか。もしくは物語の起承転結、その転にあたるイベント、さすがに今では陳腐にも程があると思いますが……「眼鏡を取ったら目立たなかったあの娘がビックリ、大変身!」みたいな使い方とか。
「屈折リーベ」が画期的だったのは、いわばこれら記号的、もしくは物語を機能させるための要素の一つとして使われていたことの多かった、「ステロタイプで安直かつ無思想な」眼鏡っ娘の存在に「NO!」の言葉を唱えたところにあると思うのです。「なぜ僕は君を好きになったんだろう?眼鏡だから?」、眼鏡が先か、それとも彼女が?鶏と卵の命題みたいなものです(みんな、ダマされるな)。その答えを明らかにするために、たとえば秋保と篠奈、主人公2人を邪魔するキャラとして眼鏡度でいうとゼロ、だけど秋保に惚れてる唐臼というバーサク娘を出して秋保の心に葛藤を生じさせてみたりとか、「自分は眼鏡が好きなはずじゃなかったのか?」……(;´Д`)
一見もニ見も、とにかくふざけてるようにしか見えないこの作品、それでも眼鏡少女という存在についての思考実験をテーマとした漫画としてほとんど唯一の存在だと思いますし、何より非常に真摯であると思います。いやあ、いいです。ホント。
ところで、「ディスコミニケーション」のバッタ企画やって!といった非常に具体的な編集部依頼からスタートしたらしいこの作品、じつは「ワカラナイカラ好キニナル!」と言ってた本家よりストレートにその命題に答えを出してるあたりもまた興味深いと思います。あくまで抽象的な中から解を導き出そうとして、結果、フェティシズムへとスライドした「ディスコミ」と眼鏡という1点へのあくなきこだわり(=とうぜんフェティシズム)、解は最初から出ている、あとはどうやってそれに自分なりのQ.E.D.をつけ足すかだけだった「屈折リーベ」。その物語の描く軌跡が対照的であったあたり、非常に興味深いです。恋愛漫画の進化系としての2つの形。まずは読んでおこう。
やっぱ、秋保のそれは「ちょっとだけ自分の上位存在でいてほしいよ」眼鏡っ娘趣味だな。キスティス先生〜(笑)
【単行本・漫画】 羽海野チカ 「ハチミツとクローバー」 1巻 宝島社

築25年、風呂なし6畳+3畳、家賃38,000円、絵に描いたような貧乏学生アパートでくらす、やはり貧乏美大生たちと、彼らのアイドル(?)コロポックルライクなちっちゃい子、はぐちゃん(花元はぐみ)らを中心とした学園ラブコメディ。ほかに食うものないからコロッケだの素麺だのばかりずっと食べてたり、彼らの生活がきちんと(?)描けてる気がするのが素晴らしい。色気よりまず食い気な微妙なバランスとか、なんだか読んでて微笑ましいことこの上なし。
しかもただのほほんライフなだけじゃなくって、純粋青年竹本のはぐちゃんへの想いだの、妙に醒めてるように見える男、真山の恋焦がれる相手だの、複雑な人間模様もちゃんと描けている。ここらへんのバランス感覚はここ最近の学園ラブコメの中で1番だと思います。個人的にそんな真山にかなわぬ恋をする山田さん(通称:鉄人)が登場する第7話くらいから爆発的に素晴らしくなったような気が。
これ、初の単行本、初連載作なんで、まだまだ知名度は低い作家さんだと思うんですけど、絶対にチェックしておいて損はない人です。凄い才能を感じます。
01/01/28(SUN)
ふとみると
外はもうシャーベットの海。
雪と雨と氷と。もとは同じものなのになあという思い、靴の中の冷たさがちょっと嫌。
朝になって世界はアイスバーン。
俺は転んでぽっくり死ぬのではないかという漠然かつ、ろくでもない未来ヴィジョン。
意味なく怯える。
陽は照って、ぽつりぽつりと雪溶けの音。
少しづつ形を失っていく雪だるまたちの引き際。
もう普通です。
たまってる雑誌を
ちょっと片付けたい。(でも無理っぽい)
【雑誌】 アフタヌーン 3月号 講談社
「ディスコミ」完結から4ヶ月、植芝理一の新連載「夢使い」がスタート。精霊編での実質的な主役だった三島塔子、燐子の夢使い姉妹が活躍するシリーズ。今回のエピソードは学園で2年前に起こった猟奇殺人事件とその被害者の同級生たちが次々と妊娠するという事件のつながりとは?といったもの。万葉集だの虹の持つ不吉の前兆という意味だの、伝奇ホラー+ロリ趣味という非常にわかりやすい感じで突っ走っている。そもそも前作「ディスコミュニケーション」は、「人が人を好きになる理由」といった、どう考えても答えが出せないような命題について、松笛と戸川といった物語の中で上手く機能しなさそうな主人公2人を使っていろいろ考えてみるといった、いわば「無理を承知で」漫画だったのではないかと思う。だから「dis」つーのがついてたんだろうけど。ところがそれが1周ぐるっと回って開き直り、わかりやすいダイナミックな物語として仕切りなおし、という感じです。ここらへんからはあくまで僕の想像なんですがどう考えても今回の話の少女変形・解体シーンはアフタヌーンのロリ作品3巨頭(俺命名です)「なるたる」「ミルククローゼット」との共時性を感じさせるなあ、ロリ作者3人衆、互いに切磋琢磨しながら読者を得体の知れない地平にまで連れ去っていこうとしているのだきっと、などと思いましたとさマル。ところで世界各地の神話では虹を巨大な蛇とみなすものが多くて、だから堕落、邪淫の象徴だったり、あと性の転換を示すこともあるので、まあ今回のエピソードみたいな感じかなあ、と。そして鬼頭莫宏「なるたる」。今回も2話構成だけど、結局この人って断片でしか物語を作れないのかなあという気もします。2話あっても30ページだしね。やはり注目は2話目、万朶学園のお嬢様だとばかり思ってたさとみは実は……という話。これは勘だけど、さとみって片親なんでは?二文字は「庶民」かな。四季大賞受賞作品、江戸沢敬史「僕の歌は君のうた」はこれこそ四季賞受賞作、そしてアフタヌーン掲載作品といった端正な絵柄で若者の挫折とか悩みを描くといった物語。ストーリーテリングでいうと、まだまだかもしれません。読者に与えるべき登場人物の情報からイベント(事件)発生までが唐突でお話としての余韻がないというか。何か別の形、読者にこれから何が起こるのかを予想できるくらいのほうがよかったかも。「そもそも駆け込み受験できるのかよ〜」とか「1次試験で油彩はきっとない、デッサンだろ普通」とかちょっと思ってしまいました。スマン。黒田硫黄「茄子」は自転車レース後編。物語の緩急バランスが上手いですね。富沢ひとし「ミルククローゼット」は黒葉菜登場。この人の漫画はこれくらいのバランスがいちばんいいな。岡崎二郎「緑の黙示録」は植物好きで木々の声を感じ取る事ができる少女が学校の温室で起こった教師の変死事件を解決するといったジャンル:サイエンス・ミステリーかなあ、とい作品。これって犯人を確定するための情報が与えられているわけではないので純粋な推理ものではないんだけど、知的好奇心を満足させるという意味でよくできた作品だと思う。よく考えてみるとラストで少女の特殊能力が何か役に立ったわけでもなかったのは不思議だったな。
【雑誌】OURsLITE 3月号 少年画報社
俺、この雑誌の持ち味って痛々しさだと思うんだけど違うのか。たとえばオオシマヒロユキ+猪原大介「What a Wonderful World」。むむむむ。勤めてた会社が倒産して以来小説家を志望して小説家を志すもいまだ「一行も書けず」日々悩んでる青年が常識人で堅実な人生を送ってる友人を「俗物が!」などと心の底では馬鹿にしつつでも何もできない、といった感じのストーリー。彼が花屋の店員さんに恋したりとかなんなりで結局フラれて絶望、そして書きたいものを再び見つける…といった展開でよく考えてみるとこの男の絶望のレベルもたいへん低いし、花屋の歌子さんと話したのも1回だけじゃないか、よく考えてみると。うーん。その程度で入る作家スイッチだったらさっさと入れておきやがれ、というのを強く強く感じます。これってどこまで本気で描いてるのだろうか?本気で描いてるとしたら、かなり性格悪いよねえ。犬上すくね「恋愛ディストーション」。自分の部屋の鍵かけないまほ先生に業を煮やした大前田くんがおしおき兼ねて自分のプレイに。これラスト1ページ、こんなふうに終わるんかな。巻頭カラー、石田敦子「純粋!デート倶楽部」、水原賢治「紺碧の国」とかも凄いことになっているとにかく。この雑誌で痛々しさをともなわない連載作ってひょっとして伊藤伸平「素敵なラブリーボーイ」だけか?とも思うのだがどーか。今回はバレンタインネタだけど本当に上手い。大好き。山名沢湖「カエルBOX」はお隣りさんがカエルだった若奥さんのおはなし。冷凍うどんがいいな。そのうどん、あとで食べたのかなあ。食べたとしても旦那さんだな。西村竜「ウルトラニンジンケーキ」は絵柄として完成してきてますね。ところで月下冴喜「脳貫EDGE」は簡単に言うと脳みそに日本刀を刺してヤクザの事務所に殴りこむヤンキー漫画なんだけど、なんだろうコレ?世の中って何かすごいね。計りしれないなあ。小野寺浩二「妄想戦士ヤマモト」は誰がどう見ても世の中でかなり下のほうの漫画です。コンタクトレンズ撲滅!をはかるヤマモトとめがねっ娘教団の人々の活躍。まったく、素晴らしいですね。めがねっ娘教団制服の背中に「はずき」とか「紅蘭」とか書いてあったりするし(;´Д`)
01/01/26(FRI)
あら
雪が白くて世界で静かです。
外出する気もばっちし起きないままになぜか買い置きしてあったマクドナルドのフィレオフィッシュとかチーズバーガーなんかをぼそぼそ食べてたりしますが、たしか作って30分経過したら廃棄処分になるはずのマクドナルドのバーガー類を30分どころか半日以上経過させて食べてるっていうのは間接的に生ゴミ食べてるってこと?…とかちょっと思ってしまって軽くブルーになります。もちろん、傷んでなければゴミなわけもないのですけど。こんな気持ちなることない?
ところで、e-novelsで特集組まれてたりする田中啓文という作家さんのこと。たぶんこの人くらい奇怪にマトモでない作家さんも珍しいだろうということで、最近とみに注目していたりするわけですが、特集読んでみてもみんな相手がこの人だと思ってメチャメチャ書いてるな、と思いました。だいたいなんでタイトルが「さらば田中啓文」なのか。死んでもないし旅にも出てない(笑)しかも寄稿エッセイの内容がみんな出鱈目だったり作家の特集なのにメインコンテンツが適当なセッションの音楽ファイル(ちなみに曲名は「三途の川の子守歌」「どくろの歌」「富士山麓の子守歌」など。あいうえお作文もなぜか収録)だったりとおよそマトモでない。昨日渋谷のBOOK1st行ったらこの人の集英社スーパーファンタジー文庫単行本「神の子はみな踊る」「神の子は来たりて歌う」「緊縛の救世主(メシア)」なんかがあって買おうかなとちょっと悩んだけど「今日はいいか、明日明日」とか思って買わなかったら今日雪だ。いざ読めないとなると絶妙に禁断症状が出て困る。気持ちぎりぎりまで高まってから読んだら案外期待外れでがっかり、とかになったりして悪循環。買っとけばよかったと心底後悔する。
たぶん屋根から雪が滑り落ちる音がどーんどーんと鳴っていて怖い。
【単行本・漫画】 梨木香歩「裏庭」 新潮文庫

バーンズ屋敷と呼ばれる丘の麓のお屋敷には何か秘密がある。その辺りの子供たちなら誰でも知っていることだった。この屋敷には庭が2つあるという。戦前、この屋敷を所有していたバーンズ夫妻が丹精こめて世話をした草花が咲き誇る「奥庭」、そして玄関の突き当たりにある大鏡が出入り口となってるという「裏庭」。この世界とは違う、むしろ「死の世界」にとても近いところにあるという「裏庭」。戦争が始まってバーンズ一家が帰国、長い年月の間、主人不在のままに放っておかれた屋敷は今では近所の子供たちにとっての絶好の遊び場所となり、今では荒れ放題の「奥庭」と同様にまだ「裏庭」もそこにある。この庭には辛い思い出があって、足を運ばなくなって久しい少女、照美は、ふとしたきっかけで洋館の中、秘密の「裏庭」へと迷い込む。
そして孤独な少女の魂は異界への旅に出る。なくした自分自身に再び出会うために。
この物語のテーマは「死」について。身近な人間の死をどのように自分の中で受け止めるか、また、「死」を受けとめることで、どのように自分の「生」を受け入れるか、ということだと思います。
たとえば主人公である照美、彼女はバーンズ屋敷の奥庭で一緒に遊んでいた双子の弟、純が肺炎をこじらせて死んだのは、池に落ちた純をそのまま放って遊んでいた自分のせいらしいことを気づいてしまいます。それは六年も昔のことで、照美にとっては大昔のことだったので忘れていたのですが、ひょっとするとあの時から自分はいらない子になってしまったのではないかと彼女は悩み、絶望します。両親が照美に冷たくなったのは、どちらかというとそれがあまりに悲しい事だったので感情を上手く表現する事ができなくなったせいであり、しかも照美の母親であるさっちゃんは自分の母親がどうも自分に愛情を持っていないのではないかとずっと思いながら育ってきた人でもあります。彼女にとっては母親である自分というのを実感するということすらも難しいのです。一方、当の屋敷の持ち主、バーンズ家の娘であるレイチェルは身体の弱かった妹、レベッカを「裏庭」の力によって失い、レイチェルの遊び相手で照美の同級生、綾子の祖父である丈治はレイチェルとともに、レベッカを呼び戻すため「裏庭」の中に入る勇気が自分に無かったことを今だに後悔しています。
つまり登場人物はほとんど全員バーンズ屋敷にある「裏庭」の存在がきっかけとなって何かを喪失したままの人々であり、照美は彼らを代表して失ったものを再び取り戻すために「裏庭」へと冒険の旅に出かける。そしてその「裏庭」への旅は、同時に「裏庭」の世界が失ったものを取り戻すためでもある……というお話です。
「裏庭」の中の世界では照美はテルミィ、tell me
と呼ばれ、謎の存在であるスナッフとともに3つの藩に分かれそうになってる王国を元のひとつのものに戻すための冒険をすることになり、そしてその活躍が現実世界へも少しづつフィードバックしていく、喪われた関係性が少しづつ回復していくことになります。ファンタジー小説の文法で描かれる寓話的で象徴的なエピソードと現実世界のリンク、少しづつ謎が解き明かされ、何が起こったのかがわかるようになる後半の展開は本当に、言葉をなくすほど美しいものだと思います。
じつは秋山瑞人「猫の地球儀」と同様、寓話として物語を純化させている分、読み手の心をぐっと掴む力が強くなってるのだと思うのですけど、それにしても、ここまで強力なものにしなくても……という思いすら湧いてきます。物語の構造としては本当に近いのですが、現実世界とのリンクがある分、さらに凶悪といえるかも。後半部分は外ではぜったいに読めません。一種の爆弾です、これ。
この作品を読まれる方、ゆめゆめ生半可な気持ちで読まれぬようお願いします。
これ以上ないほどに美しい文章と、すさまじい何かが、ここに。
01/01/25(THU)
蕎麦。
後輩に連れられて蕎麦を食べに行った。おすすめの店があるというのだ。どちらかというと蕎麦よりうどん派であり、讃岐うどんをつるつると流しこむときの喉ごしにこの上ない幸福を感じてしまう俺のような人間にとっては蕎麦専門店に行くという行動はあまり気乗りがしないものであったが、隣りの席の皆口という男が毎日のように俺の席にやってきてはその凄さを訴えるのでついふらふらと誘いに乗ってしまった。催眠術にかけられたのもしれない。反復効果。睡眠学習。まさか、夜中に俺の枕元で繰り返し呪文のように「蕎麦、蕎麦……」と唱えていたのではあるまいな。
歩いて10分くらい、知らなければ駐車スペースか何かだと勘違いしそうな白州の中央にはたしかに石畳で出来た道がその店に向かって続いていた。オフィスビルと雑居ビルで囲まれた約50m四方、そこだけ時間が停止したかのような空間の中、木立に覆われたこじんまりとした店が姿をあらわす。最初はそれが神社もしくはなにか文化財にでも指定された建物なのだと思った。いくらバブルの時代は終わったとはいえ、こんな都会のビルとビルとの狭間にこんな店が存在しているはずがない。しかし皆口は単なる普通の蕎麦屋なのだと言う。
「こういう店を穴場っていうんですよね」
全くおめでたい奴だ。こんな目立たない立地にお客が殺到する気もしないし、だいたい俺たち2人以外客の気配もしない。流行らなければきっと月々の賃貸料すらままならないだろう。考えるべきデータがないので、おそらく土地持ちの爺さんの趣味が昂じて始めた店なのであろうと勝手に判断する。さっきは神社か文化財といったが、この店の外構えを的確に評するとしたら茶室のスケールを大きくしたもの、という表現が一番近いだろう。ひどく手の込んだ数奇屋造りだ。とても一介の蕎麦屋が使う建物とは思えない風格がある。年月を感じる木彫りの看板には「瑠流家庵」と彫られている。「るるいえあん」とでも読むのであろうか。家と庵で意味がかぶっているような気がしないでもない。
数寄屋造りにはちと不似合いな気もする暖簾をくぐって中に入ってみると、拍子抜けするくらい普通な蕎麦屋であった。客席は四人掛けの席が四つ、二人掛けの席が二つ。意外なことに店は賑わっていて、二人掛けの席が一つ空いているのみ。当然のようにその席へと案内される。
「すぐ座れるなんてラッキーですよ」皆口が小声で囁く。
「そうなのか」
「前に来た時なんて二時間待ったんですよ。ディズニーランドか何かに間違ってやってきた気分でした」
「行列でもできてたのか。今日はそんな気配、微塵もないが」俺もつられて小声で喋る。
「いえ、それが僕の前に一人だけ。みんななかなか帰らないんですよ」
「帰らないってどういうことだ」
「食べればわかりますよ」
「ところでここの店は私語厳禁なのか」一人でやってきている客ばかりなら頷けるが、老夫婦、俺たちのようにおそらく会社の同僚二人組×2、そしてまだ二十代前半だろう若夫婦、もしくはカップル、二人で来ている客たちの誰ひとり喋っていない。だから自然に声も小さくひそひそ話になる。聞こえるのは蕎麦をすするずずーっずずーっという音だけ。
「それも食べればわかります」
注文を取りにこないままいきなり蕎麦が運ばれてきたのにも驚いた。そういえばお品書きもない。なんと、冬は掛け蕎麦、夏はざる蕎麦しかないそうだ。なんという店だ。なるほど一種類しか出すものがなければ、注文を取る必要性もない。納得はしたが、なんとなく割り切れない気がする。それ程までに蕎麦に自信があるのだろうか。
まずつゆを一口啜ってみる。美味い。驚いた。俺がいつも食べている立ち食い蕎麦屋のそれと比べるのはいくらなんでも失礼だとは思うが、それでもこれは違う。別物だ。鰹だしが、昆布だしが、醤油が、味醂が、おそらく材料自体には特別なものはないはずだ。しかしこんなに差ができるとは。このつゆだけで最上級のコンソメスープの持つ美味さに匹敵するだろう。考えてみると動物性と植物性の旨み成分のハーモニーという点においては両者は同じ思想で作られたレシピのはずだ。感動のあまりして硬直してしまった俺に向かって皆口が言った。
「いいですか、これからが凄いんです。噛んじゃだめですよ。舌と喉ごしで蕎麦を味わうんです」
「わかってるよ。田舎もの扱いするな」
凄かった。夢中になって啜った。たぶん味覚というのは舌だけで感じるのではないのだろう。舌、喉、口内の全ての触覚を総動員させて感じるものなのだ。蕎麦が喉を通っていく時のなんともいえない喉ごしが引き金となって、舌の表面に分布する味蕾細胞の感覚をオーヴァードライブさせ、その味蕾細胞が知覚したつゆと蕎麦の絶妙なハーモニーが快楽となって大脳に伝わり、オナニーを憶えた猿のように夢中に、涎を垂らしたパブロフの犬のように自動的に、俺は蕎麦をすする。そこには尽きる事のない快楽のループが出来上がっていた。その輪が途切れることなく続いていれば俺は快楽のあまり悶死していただろう。しかし、途切れた。食べ終わってしまった。
「おかわりは」
「勿論」
「わかったでしょ」
「何が」
「みんな帰らないんですよ。この前俺は十二杯食べました」
「いくらなんでもそれはないだろう」
「本当ですよ。それよりも蕎麦食べるとき噛んじゃだめですよ」
「わかってるよ。五月蝿いな」
本当だった。十杯食べた。しかも十一杯目のおかわりをしてしまった。いくらなんでも異常だと思う。でもいくらでも食べられる気がするし、食べたい。しかしなぜ皆口は何回も何回も蕎麦を噛むなというのだろうか。そんな野暮天なことをする筈がないし、何よりこの蕎麦の美味さ、凄さを知っていたら勿体無くてそんな食べ方はできないはずだ。蕎麦が新しく運ばれてくるたびにそんなこと一回一回口にしなくても良いではないか。ひょっとしてこの食べ方を守らないと店の人間につまみ出されたりするのだろうか。これだけの蕎麦を作っている人間ならば傲慢になっている可能性もあるし、皆口自身そうして以前つまみ出された事があるのかも知れない。さすがに十一杯目ともなると最初の頃の感激も薄れてきたのか、自分の勝手な想像でなんだか腹が立ってきた。一口だけくちゃくちゃ噛んで食べてやろうか。一口だけなら誰にもわかるまい。蕎麦を目一杯頬張ってそのまま一度に分断するようにがぶりと……。
ぷち、という音とともに、なんともいえない腐った魚のような生臭い味が口いっぱいに広がり、その身をくねくね捩じらせて、舌の上でぴちり、と何かが、跳ねた。
01/01/24(WED)
昨日は
いろいろヒドかったですね。「何が何やらわからないっ!」
ふだんの生活はとてもとてもじみすぎて驚くほどに書くことがない。寂しくて胸がつぶれそうになるけど、お酒飲んだらいい気持ち。へへ。こんな事でいいのだろうか?明日からは生活を少しずつ改善していくぞ!と拳をつきあげてみるも、一晩寝たら元の木阿弥。はは。
OURs LITE
はとうとう生活圏内のセブンイレブン2軒とも入荷せず状態と相成りました。よってまだ入手できておりません。わりにとほほです。平日は本屋行かないのでひょっとすると週末まで手に入らないのかも。
梨木香歩「裏庭」はたいへんによい感じです。こんな美しい文章なかなか書けないな…と思います。児童文学ファンタジー大賞受賞というのはだてではない。
【単行本・漫画】岩舘真理子「アマリリス」1巻 講談社

出遅れた感があるのですが。
この人くらいキャリア長くて、それでいて作風が進化しつづけている作家さんも珍しい気のではないでしょうか。「まるでシャボン」「うちのママがいうことには」読み返して考えたのですが、岩舘真理子の作品の持つ独特の雰囲気は、物語を紡ぐときの各エピソードの繋げかたによるものではないのかなあ、という気がしています。普通に繋げればただひたすらに美しい詩的なシーンのはず。だけど岩舘真理子は「何をやっとるのだ君は」的なコミカルなエピソード、ヘンテコなシーンを突然挿入してみたりして、物語自体をどこか不安定に組み直してしまう。でも組みかえられた物語は最初とはちょっと違った輝きかたをして……みたいな感じでしょうか。崩れるぎりぎりのバランスで危うげに揺らいでるあたりが読者の心を惹きつけるのかなあと思います。
で、「アマリリス」なんですけど、これって危うげどころか、見事に崩れちゃってるんじゃないの?という印象です。暴走、そして崩壊した(笑)ラブ・コメディー。素晴らしいの一言です。突然辞職して実家の花屋を継いだ桃田さんと、桃田さんの元同僚の編集者赤井のラブストーリー、2人は互いに惹かれあってるはず、なんですが桃田さんは桃田さんで超絶的な妄想体質、わけわからない考えが頭の中をぐるぐる回ったり独り言を突然叫んだりゾンビ大好きだったり、赤井は赤井で花粉症で鼻水ずるずるだったり年増趣味がみんなにばれてたり怖いもの大嫌いだったり、すれ違いというよりはまったく噛みあわない2人のドタバタものとあいなっております。各エピソードがとつぜんブツッって終了するあたりなんかももう。なんでこんなにずっと安定しない物語ばっかり描いてるのだろう?と不思議になるような絶妙なアンバランスさ加減。大間違いラブコメの傑作。楽しいなあ。でも続巻はまだまだ先だな……という感じです。
【単行本・漫画】 赤松健「ラブひな」10巻 小学館

とにかく表紙がエロいことこの上なし。何これ?といった印象です。水着の日焼け跡が〜
物語的には東大も受かったし、何やらなるともカップル成立な景太郎がむつみたん(^.^)と沖縄行ったり実家帰って留年のいいわけしたり(;´Д`)
とかそんな感じですが、誰かそんなこと気にしてるんでしょうか(笑)
【雑誌】 近代麻雀ゴールド 3月号 竹書房
集中新連載、秋重学「ヒドく澄んだ瞳」。しなやかで透き通るような強さと美しさを持った男、凛。彼と、凛の持つ輝きに魅せられて変わった少年、ジョー、この2人がおりなす青春ストーリーみたいな感じ。凛は渋谷のカリスマ雀士(なんだろうそれは)らしいですが、麻雀とはほとんど関係なく、人と人との繋がりをテーマにした物語になるのではないでしょうか。そのほうがいいと思います。ところで、ゴールドでは致命的なまでに浮きまくりな気がしてなりません。画、画が〜。なんだか不憫で不憫で(;д ;) なんでオリジナルでの連載にしてあげられなかったのでしょうか?だってその前が桜井章一主人公のジャンル:雀鬼漫画、沖田龍児「無限」でそのあとがビデオ「真・雀鬼6」のカラー広告です。清水健太郎がこれ以上ないくらいに睨みきかせてます。原田大二郎です。中野英雄です。そしてそのあとが萩原はっさく「じゃんでらでん」だったりして。つ。辛い…。安達哲(原作:有元美保)「ギャル雀」は金や体目当てのエロディレクターだの店長だのの魔の手がカオリに迫る…といった感じでこちらも麻雀とはまるで関係ないです。そのほうが持ち味が生かせてもちろんいいのです。
01/01/23(TUE)
ジョギング。
時間がない、などという言い回しを使う方々をよく目にしますが、そんな言葉を聞くたびに「何を馬鹿なことを」などと思ってしまうのは私だけでしょうか。時間というものはこの世に存在する生けとし生きるものに平等に与えられたほとんど唯一のものであり、生から死へと向かう絶対的な流れを「ない」と言い切ることがいかに傲慢な物言いであるのか。「あなた方は空間に一人静止しているのですか。」などと尋ねてしまいたくなる心をぐっとこらえながらこの文章を書いています。それにしても時間がないです。
そんな僕ですが早朝ジョギングだけはきちんと毎日続けているのです。ずっと内緒にしてきたのはちょっと気恥ずかしかったからです。きっかけは3ヶ月前のこと、渋谷の街で買い物していた僕がふと足を止めたムラサキスポーツ店先にあった1足のランニングシューズ、ナイキのエアアレイトでした。もともとそんなに高い商品では無かったうえ、なんと40%の値引きがしてあった(ちとダサいからか)そのシューズはなぜだか僕の心をガッチリと捕え、ふらふらとレジの前へと僕を誘導していったのでした。買ってみたものの、そんな面倒な事するのかよ!と内心思う僕。しかし履いてみるとこれがなかなかいい感じ。自分でもビックリ、走ってみたくなったんですが、やはり近所をジョギングするのは恥ずかしい。ということで(安物の)BMXで15分くらい、代々木公園のジョギングコース、中央広場の周りを走ることにしたのでした。だいたい1周6kmくらいです。公園に着いてからまず15分は念入りにストレッチ。最初は面倒だったのでいきなりコースへ出ていたのですが、身体を丹念にほぐしてからでないとのちのち筋肉痛で酷いことになるのがすぐにわかったので、これは必ずしておくことにしました。さて、ジョギングのスタートです。最初はペースを控えめに、ゆっくりと身体の中にあるエンジンに点火していくように徐々にペースを上げていきます。ひところとくらべると幾分ましになりましたが冬の朝の冷え込みはまだまだ厳しく、木々の根元、たぶんそこは木陰になっているのでしょう、あたりには先週末の雪がまだ少し残っているのが見えます。そんな中僕は舗装されたジョギングコースを一歩一歩踏みしめながらジョギングを楽しみます。次第に全身がほぐれ、身体の内側が熱をおびてくるのを感じます。イチョウの森や百日紅の木立の中、ただひたすらに歩を進めます。左右に流れては消えていく白くはかない吐息。僕はそれを美しく感じます。夏に始めたらこんな気分はきっと味わえなかったのでしょう。停止していた自分の肉体にじょじょにスイッチを入れていく感覚。僕のジョギングペースはしだいに上がっていって、いつしか石畳の上を滑るように全速力で。あ、きたきた。毎朝顔を合わせる黒人の青年と今日もすれ違います。彼はいつも同じ時間、僕と反対周りにジョギングコースを回っているのです。
「Hey ! Suzuki !」
「Good Morning , Bob !」
たわいもない挨拶ですが、それでも心が和みます。
田所さんの犬、コロとも毎朝顔を合わせます。もちろん飼い主である田所さんも一緒です。
「やあ、コロ!元気だった!」
芝生の上で転がりながら無心にコロと戯れていると、日々の生活の疲れを忘れます。
「あははは、くすぐったいよ!そんなとこ舐めるなよ!」
ああ、生きててよかったなあ、と心の底から思える瞬間です。
野鳥たちの楽園、バードサンクチュアリの周りはメープルの落葉で覆い尽くされていて、その葉っぱはよく見ると黄色の葉と赤色の葉、2種類があるみたいです。こう考えてみるといかに自分が普段何も見ていないのかがわかります。僕が認識している世界なんて、本当の世界の1%にも満たないのかもしれないな、そんなことをふと考えます。自分は本当にちっぽけで、世界は本当に大きくて。未だ陽は高く昇らないものの、雲ひとつ無い澄みきった碧の空を見ていると、なんだかその中に吸い込まれて行きそうな気配すらします。シイノキの森に目をやると、なんと珍しい、野生のリスたちが僕を出迎えてくれました。その向こう側には野生のエゾジカの姿も見えます。
”願わくば花の下にて春死なむ”と詠う西行と、”空”に解脱した仏陀は、ともに同じことを言っていたのでしょう。自然のもとにこそ生があり、そして死がある、と。この自然の真理を人工物で埋め立ててしまってはいけない。そんなことを思いました。朽ちる事の無い人工物の中に、生そして死の流転が訪れることは永遠にないのでしょう。
生物はみな、瞬間毎に”自らの死”を観想しながら生きています。都市に生きる人間だけが”死を忘却”してしまった存在と成り果てました。死の観想の無い生は”生の亡霊”なのです。かくいう私も早くに連れ合いを無くし、一時は自暴自棄になり、ただひたすらに自らの死を願ったこともありました。あの頃の私はたしかに死んでいたのでしょう。しかし自ら死ぬ事もあたわず、来年には還暦を迎える身の上になりました。若い頃にした無理がたたって、この頃はただ静かに死と向かい合う心境で日々をすごして参りました。しかしながら、毎朝のジョギングから得る、規則正しい生活、自然とのふれあい、そして適度な運動のおかげで、長い間無くしていた「生の喜び」を自分の中に見出す事が出来たように感じます。まだまだ若い者には負けやせんわい、と書いて、この筆を置くことにします。
馬鹿かな?俺。
01/01/22(MON)
すみません。
3日くらい忙しくて本読まなかったら、そのまんま読めないそして文章書けない身体になってしまったようで、まるでピアニストみたいななんぎな身体です。どーにもならぬとほほ。つーことで今日は無いも同然日記なのでした。リハビリにしばらくかかるのかもしれんぞ。本も同時並行でちょっとずつ読んでてみんな中途半端。

感想書こうかなと思ってるのはここらへんの作品。
岩舘真理子「アマリリス」1は本当に素晴らしい。このひとにしかきっと描けない種類の天然ボケコメディ。最近読者へのサーヴィスの度合いが異常な領域にまできてる気がするのだが、どうかしたのだろうか。そして、デュアル文庫から出てた少年テーマ短編オムニバス「少年の時間」(まんま)は巻末の山田正紀×西澤保彦(進行:大森望)の対談が興味深かった。対談テーマは小説ジャンルにおけるクロスオーバー、ハイブリッド的作品の意義について。その中で山田正紀が映画「チャーリーズ・エンジェル」をプロットレスでレビュー的なものとして評してたけど、そういえばこれもそうかも、な赤松健「ラブひな」10巻。なんで買っとるんじゃ>俺とか思ったりしますが、だって、この単行本表紙スゴイよ。何これ!なる以外胸・胸・胸。水着の日焼け跡がやらしいね―――。梨木香歩「裏庭」はきっと素晴らしいでしょうファンタジー小説。まだ読んでないから。重層構造をともなった小説が最近好みなのかも。そういえばまだ読み終わってない
久世光彦「一九三四年冬―――乱歩」もそんな小説だなあ。菅浩江「メルサスの少年」は半ズボンがポイントなのかなあ。まだ途中だけど。秋山瑞人「E.G.コンバット」はえーと。アレ![]()
の感想はまだだす。スマン。