
倉阪鬼一郎初の講談社ノベルス作品。
舞台はとある地方都市、風袋。物語の中心となる皿沼家は古くから領主の血を継ぎ風袋に君臨してきた由緒ある家系。かつては栄華を極めた皿沼家も今では以前の面影はなく、今では精神病棟と外科病棟を有する皿沼病院を同族経営することと先代から受け継いだ資産を食いつぶすことで何とかしのいでいるような状態。その皿沼病院でさえも自慢の近代設備はとっくにかつての近代設備になってしまっており、市民病院と比べられても分が悪い様子。つまり皿沼家は没落の一途を辿っており、皿沼病院には閑古鳥が鳴いている。そんな寂れた皿沼病院、精神病棟の一室で不可能犯罪が起こったことから物語は始まる。
殺されたのは病院長であり皿沼家の党首である皿沼伯の娘、皿沼紅。彼女は精神病棟の一室、施錠された室内で皿沼家ゆかりの短剣によって刺殺されていた。しかも凶器の短剣は川と崖を越えていかなければならない別棟にある応接室の(ここも施錠されていた)、これも同様に鍵のかけられた貴重品用のボードから持ち出されたものだとわかった。つまり、単純に考えると凶器の短剣がひとりでに貴重品ボードを突き破って空中を飛び、精神病棟に舞い降りて鉄格子の間から皿沼紅の胸めがけて突き立った、としか考えられない状況なのである。
こんな不可能犯罪に挑むのは捜査一課きっての腕利き、古川新一警部。巨漢かつ一言多い性格の部下、大石橋とともに事件の捜査を進める彼であったが何か隠してることのありそうな皿沼一族、精神病棟の(当然のように)ひと癖もふた癖もある容疑者たち、ニンフォマニアな妖艶看護婦長など、たんに事情聴取一つをとってみても混乱を極め、捜査は遅々としていっこうに進展しない。そうしてるあいだに関係者は次々と殺されていく。ぎにゃ―――!たった200pでなんとかなるの?これ?
かつて倉阪鬼一郎は『赤い額縁』(幻冬舎ハードカバー)あとがきの中でこう語っていた。
ホラーとミステリーは源流をたどれば一つになるのですが、ベクトルは正反対です。
謎を論理的に解くのがミステリーの要諦ですが、ホラーでは「理に落ちた」といえば貶し言葉になります。意識レヴェルで読者に眩暈を与えるのがミステリーなら、ホラーは無意識レヴェルにまで訴え、存在を根こそぎ揺るがそうとします。憑き物を落とすミステリーと、取り憑かせるホラー。作中に惨殺屍体が登場するのは同じでも、目指す方向は正反対なのです。(中略)
しかしながら、「あり得ない」と言われると書きたくなるのが人情です。源流をたどると、ゴシック・ロマンスやクラシック・ホラーは入れ子形式や引出し小説を得意としていました。これはミステリーの叙述トリックやメタ・ミステリーの構造と一脈を通じています。このあたりを融合し、物語に重層性を与えれば、本格ホラーにして本格ミステリーという作品は可能ではないかと筆者は考えます。
引用が長くなってしまったが、この本格ホラーと本格ミステリーの融合、第2作がこの『迷宮
Labyrinth』である。密室殺人 /
被害者が残した小説に残されたメッセージ
などのミステリーガジェット、狂気の人体実験 / 輪廻転生 /
滅びた新興宗教の生き残り
などのホラーガジェットが散りばめられた物語はおどろおどろしくもならずになぜか乾いたユーモア感覚に包まれて進行していく。ここらへんは倉阪作品らしい。たとえば猫見ミーナ。物語内でけっこう重要な位置にいるキャラである彼女はなぜか猫耳美少女であり、話し言葉も「ねこみみにゃ」とか「にゃおん!」とかそんなのばっかし。物語の雰囲気にそぐわないことこの上ない。物語にそぐわないといえば探偵役である古川警部と巨漢大石川のコンビもどこかスラップスティックで物語の核心にあんまし迫っていかなそうである。なんせ大石川は雪の巨人が犯人だといいかげんに主張するようなボンクラだし、なんせ台詞が「失礼しました――」だし。失礼文体?かっつうの。
そんなこんなでオフビートな感じでギクシャクと進行していく物語はやがて鬼畜的カタストロフィともいえる終盤へとなだれ込んでいく。独特の倉阪文体で描かれるそれはなぜか禍禍しくも神々しい。なんだか個人的にはサム・ライミとかピーター・ジャクソンらの映像作家の作品にみられるやり過ぎの美学に近いものを感じた。ピーター・ジャクソン『ブレインデッド』の行き過ぎスプラッタシーンに近い、とくらべるのはダメ?失礼しました――!
肝心のトリック解明に関してはまぁ、怒る人もいるかもしれないけど、それは気付かなかったあなたが悪いってことで。この本が講談社ノベルスから出てること自体が最大のトリックなのだよ。
(00/04/06)