「戦国子守唄」表紙 森秀樹
Hideki Mori

「戦国子守唄」
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 大坂城を作ったのは誰か? 普通答えは豊臣秀吉だが、こまっしゃくれたクソガキなら「人足」などと答えるだろう。とはいえ、「人足」などという名前の人間などいない(珍名な方は別として)。雑草という名の草などないように。だが、そういった人々の名前が歴史に残ることはない。「戦国子守唄」は、個々の人間として認識されることなどまったくない、戦争の道具である「雑兵」にスポットライトを当てた物語である。

 時は戦国末期。浅井長政を攻め滅ぼした織田軍の木下藤吉郎だが、その許に長政の遺児を殺せという信長からの命令が下される。もともと長政の妻であるお市に想いを寄せていた藤吉郎は、コッソリと長政の長男である万福丸逃亡の手引きをしていたのだが、再度捕まえ泣く泣く処刑する。その万福丸捜索の途中、雑兵3人組が赤ん坊を抱えた不審な農民姿の男を見つけ槍で刺殺する。実はその男は浅井長政の遺臣であり、抱いていた赤ん坊は長政の末子・万菊丸だった。遺臣・佐藤敏長は、福田寺という寺院へ万菊丸を届けてくれと言い残して死ぬ。最初は恩賞につられて引き受けた3人だが、しだいに万菊丸のために必死になっていく。追手は迫る。
 戦の経験は初めての双六、藤吉郎の昔の名前と同じで年も一緒なことからコンプレックスを抱いている日吉、逃げ足が早いことを生かして50年間死なずに雑兵人生を送ってきた老兵のトンボ。もちろん彼らは吹けば飛ぶような、その日暮らしの雑兵である。戦場ではもちろん使い捨てだ。後で思い返してくれるものだっていやしない。だがそんな彼らが、自分がこの世に生まれてきて生きてきた意味を刻みつけるべく一世一代の意地を発揮する。その努力は歴史的にはまったく影響を及ぼさないし、その姿は不格好でもある。だが、実に力強い。悲愴感に包まれていながら、しかし鮮烈に輝いている。名もない雑兵とはいうものの、彼らにだって名はあり、モノを考え、そして生きていることを実感させる。

 森秀樹の作風は一見地味だ。ピチピチした女の子が出てくるような、うわっついた華やかさはカケラもない。だが、その表現は骨太で逃げがまったくない。土、泥といった、ほかの人が描こうとしないようなものでも質感を感じさせてシッカリ描写できる力量の持ち主だ。それだけに、華々しい武将の影で泥臭く生きそして死ぬ雑兵たちの姿が、読者の目に実に生々しく映る。だからこそ、この物語は感動的だ。ズッシリとした読みごたえをもって響く。
 考えてみると、森秀樹の作品はハズレがほとんどない。古くは少年ビッグで活躍していたころから、その物語作りの腕は一級品だった。そのころはキャラクターの絵は今よりだいぶコミカルだったが、現在はだいぶ劇画タッチになり、その分重厚感を増した。目立つ人ではないが、すごくいい仕事をしている。職人と呼ぶにふさわしい。