オルタ・カルチャー日本版
メディアワークス/主婦の友社
本体1600円
誰のプランニングかは知らないが、かなり上等の出来といえよう。
ネタの揃え方は、アニメ/漫画サイドにも、オルタナ系でのハヤリものサイドにも、完全に偏りきっていないバランスの良さ。それでいてマイナーなものであっても重要な位置を占めるものや、さまざまな要素がクロスオーヴァーして新たなステージに進まんとしているもの(ウテナなんかはまさにそうだと思うが)はきちんと取り上げている。私の言うところの「濃い」ものも、「ディープ」なものもまたまんべんなく押さえている。意外な、目から鱗が落ちるような項目もまた多く、トータルで見ると良くバランスが取れている。
中には、今時「ゴー宣」を手放しで褒めるような呆れ果ててしまうようなライター(*注)もいるが、湯浅学、椹木野衣などの力あるライターが主要部分を引き締めているので、文章の内容もまた良くできている。企画力と編者の力量が感じられるかなりの良書といえよう。
しかし、山形浩生が思いっきりハズしているのが悲しい。私自身はかれのことを良く知らないし、好きでも嫌いでもないが、何とも辞典的であるこの本には似つかわしくない感情的な文章を書いているので、どうも読んでいて恥ずかしい気持ちになる。「場」のコンテクストに徹底的に合致していないのである。いつもはデマゴギーである湯浅学がここではみずからの役割を認識し、淡々とした文章を書いている(それがまた実に味があって面白い)ことと好対照を成している。ある種テイストレス(まさにそのまま=日本語的な意味で)である辞書的な文章に、無意識的に伸びてしまった「我」が加わってしまったのが失敗の原因であるといえる。慢心、ととられても仕方ないであろう。
*歴史修正主義ははっきり言って議論の対象にもならないと、私は思う。負けず嫌いの気持ちは理解できなくもないが、だからと言ってそんな理由で歴史的出来事を自分たちの都合の良いように解釈し直すことが許されていいはずもない。歴史認識はどうしても主観的になりがちなため、その弊害を取り除くためにも対話を前提とし、当事者同士で合意を作り上げていかなくてはならないと考える。そういった前提に立つと、他者の存在を排除する歴史修正主義は害毒であるといえる。大体お話にもならないからアカデミズムは沈黙しているのであって、アカデミズムの沈黙を持って「歴史修正主義は支持を得ている」と考えるのはおこがましいもいいところだ。自分なりの主張をすることは大切だが、それが権威と結びつくと他者の主張を圧殺する方向に簡単に向かう。「ゴーマンかます」ことは結局は不毛なのだ。権威を批判してきた小林よしのりの行動は結局はみずからも権力を欲するが達成することができなかったことへのルサンチマンなのだ。現在は、パワーゲームの輪廻で満足していてはいけない時代ではないか?