「からっぽの世界」(山田花子)に続く、二冊目の青林工藝社の単行本。内容は、登場人物の紹介、各話の内容紹介、デュエルと挿入歌の紹介、シーザーと幾原へのインタビュ、対談−などとなっている。「エヴァ」と違って、ウテナの分析本、二次テキストは出版された形では殆どなく、これがおそらくは最初のもの。私は「ウテナ」を実に実に熱中して見ていたし、特にJ.A.シーザーの挿入歌にはぞっこんだったので、非常に期待して買ったのだ。高取英&竹熊健太郎が大きく関わっているということだったし。
ところが期待に反して内容は薄々。興味深いコンテンツはないわけではないが(シーザーへのインタビューと「ウテナ」のために書き下ろした詞など)、全体から見れば割合は少ない。下手に「論じて」しまい、とんちんかんなものになることを避けようとしているように、初期の「エヴァ」本の失敗を繰り返さないようにしているように見受けられるのである。まあこの事は理解できなくもない。しかし、それを恐れるあまり表面的な紹介ばかりに終始してしまっているのだ。版形が小さくなったロマンアルバム、って感じ。ちょっと宣伝文句と違うんでないかね。濃厚に漂うのは「やっつけ」感。
「ウテナ」は思ったより文化人たちの注目を集めることはなかったが(これから?)、実にさまざまな参照の「枝」を持っており、それはエヴァ同様非常に面白い評論/批評の対象になり得ると私は考えている。ブニュエルを連想させなくもない映像表現の面、癖のありまくる(でも王道の)キャラクタ造形の面、濃厚なアングラカルチャー=寺山修司へのオマージュ、演劇的構造(万有引力の姿勢との共通性)、などなどと、非常に多方向の、今までのアニメ的感覚では読み切れないような「枝」を持っているので、確かにすべてを網羅するような評論はなかなか難しい。しかしこのことは、文化のジャンルを軽々と超越したような、興味深い言説を成り立たせることにもなるのではないか。私はすっかりこの本がそうした試みの一環であると思っていたのだが、その期待は見事に裏切られたのだ(期待し過ぎか?)。そしてあちこちに見受けられるツメの甘さ、やっつけ感、逃げ腰の姿勢。納得がゆかん。
「マンガの鬼」「からっぽの世界」でも感じたことなのだが、青林工藝社の姿勢というものはこんなものなのか。いいものを作ろうとして飛び出していったのではなかったのか。まあ二冊目なので、見切るにはまだ早いかもしれない。「マンガの鬼AX」は心を入れ替えてか?良くできていた*1ことだし。しかしこの本のような出版姿勢を続けていては、「手塚ガロ信者(もしいるとすればだが)」からすらも見放されるであろう。もはや「サブカルの旗手」を気取っているだけでは駄目なのだ。「ガロ」という名前をみずから棄ててしまったのだから。「サブカルを主導しよう」なんていう高慢な考えではすぐに行き詰まるだろう。
なんとか目を覚まして欲しい。「旧ガロ」の熱心な読者でもあった私の率直な願いである。「AX」も良くできているのでつぶれて欲しくはないし。漫画だけをやれ、とは言わないが、もっと足元を固めた方がいいのではないか。
*1 「AX」が良かった理由は簡単である。第一にマンガの質が良かったこと。第二にマンガの量が多かったこと。こんなに簡単なことだったのか、と拍子抜けすらする。