Comic GON!Comic GON! 1号

ミリオン出版

本体429円


 わはははは。GONはやっぱりGONだった。

 一方でとことん「非オタク若者向け」なコギァルネタをかますかと思えば、もう一方でとても読めないような細かいデータをぶち込む。そして例によっての品のないこき下ろし。図版の許可が下りないのもさもありなん。もっとやれもっとやれ!

 呉智英や大塚英志、四方田犬彦などといった人々が、いわば「まじめ」に漫画を分析する一方で、その動きに茶々を入れ、笑い飛ばすことは重要だ。可能性は少ないとはいえ、悪い意味でのアカデミズムに漫画評論が矮小化してしまうかもしれないからだ。そも漫画とは、アナーキーで、混沌たるものであったはずだ。またそもそもアミューズメントのために生み出されてきたもののはずだ。それを無理にアカデミズムの手法で語ろうとすると、「なにか」を失ってしまう(島本和彦)ものとなろう。

 それに、秩序大好き人間からは毛嫌いされるだろうが、あえて状況をわやくちゃにすることはまた重要なことである。わやくちゃであること、そしてそのようにできることは、とりもなおさずその文化に活気があることである。そして本当によいものとは、その活気の中で、まったくの混沌の中で、圧倒的に多い屑の中から、ほんのわずか見出されるものである。混沌はまったくのマイナスではない。文化を生み出す母体となるものだ。それゆえ、混沌を作り出してしまっているこの雑誌は評価されるものとなる。

 

 もう一つこの漫画誌の重要なところは、昔の「消えた漫画家」を復活させていることである。名たんていカゲマン、うわさの姫子、そしてまいっちんぐマチコ先生!今の文化を担っている人のノスタルジアをこれでもかと直撃するこの人選。この点を徹底させているあたり、漫画秘宝や漫画地獄変より爽やかである。おそらくはGONはノスタルジアの利用といったこと以上のことは考えていないだろうが、それでよいではないか、と私は思う。ノスタルジアは「自分」を成り立たせている重要な要素である。そのノスタルジアが満足されるのだ。また、ノスタルジアを満足させることによって、すなわちGONに利用されることによって、昔の漫画家の新作が読め、漫画文化が(結果的にではあるが)保護されるのだ。GONに利用されるのもまた良し、良し。良いではないか。

 

 うわさによると第二号も出るとのこと。よりナニなネタも載りそうである。某J誌の○○が崩壊していく過程…などなど。これは期待大である。私のリクエストは「冒険王」の付録のドリフの漫画と、「ボロっ殿」、そして「とよみタンとえーこタン」である。

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