「日刊 吉本良明」の4コマ部分+「東京防衛軍」の前半+新作2本+未収録作3本、という構成。旧版所有者への配慮かそれとももう一冊売るための戦略か。どちらにせよ、この一冊では「日刊 吉本良明」も「東京防衛軍」も完全には読めないので、注意が必要である。
ここでは新作2本(「Jr.」「ライディーン」)について述べよう。元々よしもとは、竹中直人などと同じく、思い出を描くのに長けた作家であるといえる。そしてその傾向は、97年に至って、さらに強まり、おのれのノスタルジアに強固に立脚した作品を描くようになってきている。「ライディーン」はまさにそんな作品で、ここで描かれているのはオヤジになってしまった元・若者の、失ってしまった過去への思いである。
そしてもう一つ強まっているのが、「オヤジ化」の進行である。「青い車」の頃に比べると、自分の立場を決め、そこから決定的な物言いをすることが多くなっているように思えるのだ。それは、30男がなぜか小学校5年生に編入するという寓話、「Jr.」に顕著である。「今の子どもは分からん」「今の子どもはなっとらん」と、よしとももイライラしているのだ。それは、「君の世界は正常に機能しているか?」というよしともの問いかけから読み取ることができる。ここでの「正常」は、30男の正常なのだ。正常さを措定できない現在に、何とか判断の基準を打ち立てようとする試みなのだ。
ただ、こうしたノスタルジックな&オヤジ的な物言いが、説教臭くなっていないところが、よしもとの上手いところであるし、また自覚的なところだといえる。ああしろこうしろ、という押し付けがましい主張ではなく、「俺達はこうだった。ではお前たちはどうする?」という問いかけになっているのだ。誰しも年齢を重ねると、守らねばならない自分がどうしても生じるし、保守的になる。よしもともその例には漏れないが、そこで陥ってしまいがちな押し付けがましさの罠から、かれは自覚的に逃れようとしているのだ。
よしもとのこの方法は、一方で乗り越えがたい壁を下の世代に感じながら、その中で最善の道を探ろうとする方法である。決定的、とも言える世代間の断絶を感じながら、それを前提にして「何を伝えられるか?」を追求する試みである*。実に真摯なやり方であるといえよう。誤魔化しの無さとともに、こうしたところがよしもとの徳目なのであり、作品の少ない理由であり、感動を生む要因なのであろう。
双葉社には、よしもとの作品集をこの調子で出しつづけて欲しいものである。「珠玉短編集」と「レッツゴー武芸帖」の再発もまたお願いしたいものである。
*ここに山本夜羽との微妙な違いがある。夜羽は過去の方法が正しいと実感/確信している。ゆえに必然的にある種の押し付けがましさが生じてしまうのだ。「昔に戻れ!」という。しかしよしもとは昔に根拠を求めようとするものの、その一方で絶対的な物言いを巧みに避けようとしている。