怪奇版画男

唐沢なをき

小学館

 「スピリッツ21」に連載されていたもの+「別冊少女フレンド」に載った「怪奇版画少女」。全編、絵から吹き出し内の文字から、擬音からページノンブルから後書きから奥付けまで、効果として使われているものを除けば*1すべて版画。すべて、である*2。物凄い手間暇のかかった作品。絵だけを見ても物凄いインパクト。とり・みきが「人達」で吃驚していたのもうなづける。  それでいて、オハナシの方に手が抜かれているということはない。いつもの唐沢節といやあ唐沢節、という作品もまた多いのだが、版画であることそのものをギャグにする、という、唐沢ならではの「媒体特性を生かしたメタ・ギャグ」もあって、非常に楽しめる。文字の左右が逆になってたりとか、モブシーンをやったり(!!)するのだから。流石は現代の実験漫画家。「停滞した」漫画界に活を入れまくっている。

 この作品を読んでいると、いまだ漫画には表現の可能性が残っているのだなあ、と、実感させられる。確かに、木版画で漫画を描くことは、可能性としては今までずっと存在してはきた。しかし手間を考えてか、誰もやってくるものはいなかった。一部を効果として取り入れたものはあっただろうが。  木版画に限らず、「可能性はありながら漫画に取り入れられてこなかった」ものは多い。西洋の絵画技術・版画技術、日本画・日本版画の技術の多くは、漫画に取り入れられてはこなかった。水彩はあるが油彩はない。トーンや点描はあるがメゾチントやエッチングはない。選択基準になっていたものは、おそらくは生産性の問題と、一般性の問題であったろう。誰にでも描けて、速く描くことができる。その基準によって導入されるか否かが決定されていったのだろう*3。この事は、漫画を描く層を拡大することに貢献し、現在の漫画文化の隆盛と一般化を導く大きな要因となったが、同時に漫画の「絵」が持つ可能性を制限してきた。漫画はペン画へと自己閉塞してゆくようになったのだ。「漫画の描き方」が持っている害毒の側面である。それが少なくとも絵の面の、漫画の「停滞」を生み出したことは間違いないだろう。

 唐沢なをきは、そうした閉塞状況を軽々と飛び越える。もともと、唐沢とその師匠筋に当たるとり・みきが、描線につけペンを使うことを止め、サインペンを使い始めたのは、「ペンのみの世界」からの脱出を目指していたからだ*4。唐沢はそれに満足せず、漫画に取り入れられてこなかった要素を、みずからのエネルギーをすり減らしながらも、暴力的、といってもよいくらいに、どんどん取り入れる。  ところで、カンのいい読者ならもうお気づきのことであろうが、唐沢と同様に、日本の漫画に取り入れられてこなかった表現様式を、強力に漫画に取り込んだ作品がある。古屋兎丸の「Palepoli」である。メゾチントやエッチングの技法といった、西洋の技法を大幅に導入したこの漫画が、漫画界に与えた衝撃ははかりしれない。この「怪奇版画男」も、まったく同様の意味で、漫画界に強烈な衝撃を与えている。この作品は、「Palepoli」と並ぶ、実験漫画の王者であり、巨大な爆弾である。漫画の可能性を開く冒険者であり、既存の漫画をすべて無化してしまう危険性を持ったドレッドノート*5である。読まなければならない本であろう。

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*1 版画男に敵対(?)するものとして、プリントゴッコ男やMacの出力男というものが出てくるが、それはプリントゴッコやMacで描かれている。
*2 ほとんどが木版画であるが、文字の多くはゴム版画である。一部効果として紙版画や芋版などもある。
*3 現在漫画に大幅にCGが導入されているのは、絵的なインパクトの向上と同時に、生産性の向上が見込まれるからである。画面効果や背景の多くを省力化することができるし、過去のデータの再利用は容易である。
*4 もうひとつ、描く内容に強弱のない線が必要だった、という理由もあるが。大友克洋が劇画に丸ペンを取り入れたのも、同様のモチベーションによるものである。多少違うが、須藤真澄の一点鎖線も近い意図のもとに成り立っている。
*5 1906年に完成したイギリスの戦艦。それまでの戦艦をはるかに凌駕した性能を持ち、それまでの軍艦を(建造中のものを含め)すべて旧式化させた。「弩級(ド級)戦艦」の語源。