「フィール・ヤング」誌上で「ハッピー・ファミリー」を連載している作者の、短篇作品を集めたもの。「ハッピー・ファミリー」が、ある程度「連載漫画の型」にはまってしまい、どことなく懐かしさを感じさせる作品になってしまっているのに対して、この作品集に収録されている作品は、鋭い問題意識に彩られ、非常に読み応えのあるものになっている。
この作品集の中で顕著に現れるのは、近未来のモチーフである。子どもたちが性欲を失ってしまった未来。臓器提供用に「飼育される」クローン人間たちの生きる未来。人間に絶対服従するアンドロイドのいる未来。作品中で近未来であると明示されているため、一見するとこうしたことは単なる純粋な想像力の産物であるように感じられる。しかし、ことはそう簡単ではない。ここで描かれていることは「すでに起こりつつある」ことなのだ。
オハナシに共通して描かれているのは現代の不安である。セックスと心が別の次元に分裂する傾向が強まっている現在、「愛」は可能なのか(吉本隆明)。「後期(晩期)資本主義」の徹底的な進行の中、身体さえも機械の如く売り買いされてしまうのではないか。「メディア化」(中野収)が進むなか、コミュニケーションの量は増えるものの、拠って立つ次元のあまりの多様化によって、コミュニケーションの不確実性も同時に増えているのではないか。そうした不安が描かれているのである。 こうした不安は、三原においては解決されることはなく、ほとんどは悲しい結末を迎える。三原は、不安を、良質で、かつ切ない、悲劇として描いている。現代の、最良の部類に属する悲劇作家。
それを支えているのが、きわめて達者で、硬質な描線である。上条敦士の流れを汲んでいるであろう、ナイフで切り裂いたような鋭い描線は、読み手に強いインパクトを与え、そしてオハナシの悲劇性を強化している。
現代の不安をえぐりだし、描線のナイフで切り刻む三原ミツカズは、一見パンクのようにみえるが/パンクのようなスタンスを提示しているが、実は上手にオハナシを紡ぎ出すことのできる吟遊詩人のような存在だ。「見者(Voyer)」ではなく、語り部。そして彼女は闇へ向かう。心の中の闇へと。(「テッサの鉄の檻」参照)
闇の住人、闇の語り手、三原ミツカズ。彼は以前の闇の語り手とは異なったスタンスを持つ。灰野敬二ほどアングラ寄りではなく、寺山修司が持っていたような「土着性」とのつながりは持っていない。一方彼女が持つのは「都市の不安」「資本主義の不安」である。現代の闇の吟遊詩人。注目せよ。