結構長く続いているシリーズもの。現在「学園編」12冊(3冊ずつをまとめた合本として現在は刊行)と「東京編」2冊を入手することができる。 「ダヴィンチ」でも村上知彦が褒めていたし、ネット上でも、あるいはさまざまな同人誌でも褒められていたので、確かに今更、という気がしないでもない。しかしこの連作は十分に語るべき「なにか」を持っているし、語られるべき存在でもある。
まず驚かされるのはその描線である。高橋葉介「先生」の流れを汲んでいることは分かるのだが、その線は葉介先生より細く、繊細である。それでいて葉介先生の線が持つ線のダイナミズムと描写の雄弁さは失われていない。 この線はまた、描かれている世界の世界観をも構築している。あるいは渋蔵自身の世界認識の方法がこの線を必要とした、というべきかもしれないが。世界には確固たる基準は存在しなくなり、同時にリアリティの形もどこか白けた、実体を持たないものとなりつつある。ヨリ子の存在、描き方そのものがまさにそうしたリアルのあり方の寓意となっている訳だが、それに描線が大きく貢献していることは言うを俟たない。 加えて漫画的技法に習熟しているということも指摘されねばならない。簡単に言うと「引き」が非常に上手く、次の作品が読みたくてたまらなくなるのだ。その他、コマ割、構図の取り方なども、ただならぬものを感じる。
渋蔵はその雄弁かつ繊細な描線と、そこから紡ぎ出されるオハナシによって、読み手たる我々に「リアル」の再考を求める。それに対する答え、渋蔵なりの考えは各所に用意されてはいるものの、明示されはしない。これは非常に巧妙、かつ高度なやり方であり、強い「こころのうごき」を生む。何度読んでも読み切れないし、読むたびごとに新たな発見がある。そして読み手もみずからのリアルを再編成して行く。上等な、本当に上等な表現が持っている「深み」がこの連作にはある。
この作者は、Comic BiNGOで「神様ゆるして」を連載し、世に問われたが、この作品も同様に世に問われるべきであるといえる。いや、これだけの作品が同人というある程度範囲にかぎりのある世界にとどまっているのはあまりにももったいない。何らかの形でメジャーになって欲しい作品である。