帰ってきたひとさらい帰って来たひとさらい

野火ノビタ

ビブロス

 エヴァンゲリオン批評で名を馳せ、スピリッツに「センチメントの季節」を連載している作者の少し前の単行本。短編4本から構成されている。

 共通して描かれているのは、ひとがひとを求める気持ちや、「そばにいてあげたい」「そばにいてほしい」という気持ちである。その背後にあるのは、きわめて現代的な、あるいは都市的な、 孤独である。

 ここに登場する人物は、みな例外なく、孤独を抱えている。不死の座敷わらしである花火しかり。お嬢様の理香しかり。アケチも小林もまた同様。彼らの抱える孤独は、どれもかなり解決の難しいものだ。人一人の力ではなかなか何ともし難い、構造的な孤独。だからその孤独は絶望に直結する。
 しかし登場人物たちは皆その絶望を知っているために、その辛さを知っているために、他者の辛さや痛みを理解することができる。共通点がないというところに生じる絶望、その果てから生じる共通の地平。絶望の果てまで行って初めて人同士が結ばれるとは、ああ、何という皮肉! が、ここにコミュニケーションは回復され、癒しが訪れる。「孤独な魂」を慰めてあげたい、という気持ちが起こる。寂しさを埋めてあげたい、という気持ちが起こる。そのようにして描かれた打算のない気持ちには、感じ入るところしきりである。

 確かに少々御都合主義であることは否めない。「打算なき気持ち」とあるが、それは相手が可愛いから生まれるのだ。見た目は最終的には関係なくなるが、大きく影響することは間違いない。容姿の良さを持たない人の絶望はより深いものとなろう。また、こうした「打算なき気持ち」が「傷をなめあう道化芝居(富野)」であることもまた事実である。むかしの人から見れば、この程度のふれあいじゃ話にならないだろう。このように不足する部分もあるが、この作品集においてはそれは大きな問題ではない。なぜならこの作品集が示しているのは「一つの可能性」なのだから。「抜け道が示されている」ことに意義があるのだ。そう、ジョーカーがドロボーに道を示したように。

 作者が「オレなりのラブ&ポップ」と称する、「星より近く」こそ、この短編集の白眉である。ここに現れる現代性=援助交際をしてしまう女子高生と、作者の「玄田生的な」のぶつかり合いは…後は皆に読んでほしいものであるが、こうした紋切り型に陥ってしまいがちなテーマを逃げずに正面から描ききっているところに、実に好感を覚える。

 その繊細な、神経質ともいって良い描線にも注意すべきである。伝統的、ともいえる少女漫画の丸ペンを使った描線であり、単体だけを取り出してみると大きな特徴を持った描線とはいいがたい。しかし、描いているテーマを表現するのに、この繊細な描線は大きく貢献している。

 ビブロスだからといって敬遠するなかれ。現代漫画の到達した一つの高み。知らずに通り過ぎるにはもったいなさすぎる作品である。

Back