金平劇場
金平守人
アスペクト
ビームの巻末でさりげなく続いていた連載がついに単行本になった。アクションでも連載しているが、筆者初の単行本である。
第一に特徴的なのは、アニメ、そして広義のオタク文化に対するシニカルな視点があることである。たとえばこんなオハナシがある。転校生の女子高生桜ノ宮ゆきる(笑)は典型的な(今風の)アニメキャラ的存在。彼女はとにかく特異な存在だ。まず目が異様に大きい。頭蓋骨もまた同様だ。髪の毛はピンクで、しかも自毛だ。嫌なことがあると頭身が縮む。肩には変なマスコット状の物体が載っていて、しかもどうやらそれは生物らしい…と、リアルタイプの高校生が彼女の正体を暴こうと調査する、という。
この一連のシーケンスでは、現在のアニメや、オタク系の文化状況で暗黙のうちにオヤクソクとなっていることが、鋭く指摘されている。うすうすおかしいとは思われていたかもしれないが。たとえばちょっと冷静になってみると、今のアニメは全てではないが、強烈なバロック状況になっている。たとえば「アキハバラ電脳組」「セイバーマリオネット○○」などに登場するキャラクタは、アニメ的文脈から見れば理解できるものであるが、その文脈を共有していない人にとっては異様以外のなにものでもない。完全に崩壊した人体のバランス、とくに顔の描き方。立ち過ぎたキャラクタ。大張正巳などもまた同様。癖があればあるほど受け入れられる傾向すらある。
これはオタク文化でも同様である。たとえば「ときめきメモリアル」。藤崎詩織の深紅の髪*は、ゲームに「入り込んだ」人にとっては自然なものに見えるかも知れないが、ゲームをやったことのない人にとっては異様この上ない。皆同じ顔の造形である、ということもまた。
いわば、現在のオタク文化には「こう読まなくてはならない/こう見なくてはならない」という、隠れた強制力、大きな言葉でいえばイデオロギーが潜んでいるのだ。金平の筆は何げなくそのイデオロギーを暴き出す。金平の優れたところはそれを爆笑もののギャグにしていることである。
ただ、表現はそれだけにとどまらず、非常に重層的である。第二の特徴として、オタク文化のバロック状況を指摘する一方、それを楽しみ、愛さざるを得ないということを前面に出していることが挙げられる。非常に複雑なファン心理。非・合理性や、みえない権力関係に気づきながらも、金平は進んで、喜んでオタク文化に身を投じているのだ。無論その文化をメタ視する立場を失わずに、であるが。
たとえば前述のリアルタイプの高校生。彼は結局どうなるかというと、アニメ美少女の魅力とパンチラに骨抜きにされてしまうのだ。彼は至福の表情で彼女を見つめるようになる。そこにあるのは没入である。
現在のオタク文化が強力なのは何故か。様々な要因が挙げられようが、そのひとつに魅力的である、ということがあろう。そこにどっぷり浸かることの心地よさ。「読み」が介入しうるだけの奥深さ。他者とは異なる独自の文脈を使うことの選民思想の喜び…などなど。これについてはここでは説明しきれないのでこれ以上は述べないが、この快楽に対して非常に肯定的なのが面白い。アンビバレントな状況に自分を進んで置くことで、金平は絶妙な笑いを生み出しているのだ。
このほか、オタク的文脈からはややはずれるものの、女子高生(パンチラ)が快楽のために日本刀で周囲の人を惨殺しまくる「斬」や、普通の少年マンガ(ビーム掲載作品)なども楽しめる。幅の広さにも注目する必要があろう。
ヒネたオタクが持つ重層性。これが金平の面白さだ。アニメ絵の表紙にだまされてはいかん。その向こうにはとんでもない世界が広がっている。
*関係ないことだが、アニメキャラの髪の毛の色をカラフルにしたのは湖川友謙であるらしい。先駆的なものとしては「ダイターン3」のコロスがあり、炸裂したのが「イデオン」である。当人曰く、異星人だから違っても良く、異星人であることを強調したかったからこそ色を変えたとのこと。ギジェのコバルトブルー、マヤヤのピンクの髪はそうした意図で設定されたのだ。「イデオンという伝説」参照。