「馬」の字は中国の簡体字。中国語で「いいかげんな奴」の意。
展開されるきわめて亜細亜的な風景。西欧的な都市計画などくそ食らえ、てな形で極小の空間に徹底的に詰め込まれた人の生業。前作「象魚」で展開されたような、公害対策など一切存在しない、なんか悪いモノでも作っていそうな工場。一日中太陽のささない裏小路。ありえない光景、今の我々の社会ではあい見えることのできない光景ではあるのだが、何かどこかで見たような光景が、パノラマのごとく繰り広げられていく。どこだろう?この漫画の原風景は。なぜだろう?この漫画がどうしようもなく懐かしく思えるのは。
一見、太陽のささない光景ばかりを描いているようだが、この漫画に出てくる空と海は、どこまでも青い。ビルの谷間から見えるほんのわずかの空は、スクーターが飛び出す空は、常に青く、澄み切っている。まごうかたなき田舎の夏空だ。そして行き着く先としての海は、海岸こそゴミにまみれてはいるものの、きっと青い、汚されていない海に違いない。その風景はつねに夏だ。そう、地底世界のようでいて、この漫画で描かれているのは、他ならぬ夏なのだ。うだるような熱気の向こうに思い出される甘酸っぱい思い出なのだ。
日常と非日常の狭間を、ノスタルジーと現実感の境目を、これまた良く分からない存在であるなめくじ猫が通り抜けていく。南伸坊はこれを「夢」と呼んでいる。確かに夢でもあろう。ノスタルジアに満ち溢れた夢、いつかどこかで見たような夢、それがこの漫画なのだ。97年前半のベスト3に入る好著。非常にお勧め。