ヴェルヴェット・アンダーグラウンドから取ったとおぼしきタイトル。神経症的な画面構成は、必然的にVUGのファーストを思い出させる。あの繊細で、かつ人間的にやや壊れたファーストを。
主人公ニコは心を壊してしまっている。義父から受けた性的トラウマ。それは決して言うことができないものであるために、兄への盲目的な愛という形に転化してゆく。そしてその愛は、最初から破綻した構造を持っているために、兄の回りの人々や、兄との関係さえも傷つけてゆく。楽になるための逃げ道を最初から失っているために、思いは限りなく加速し、暴走する。拒絶によって作られた精神の迷路は、さしのべられた手さえも受け入れることができない。最悪の閉塞状況。答えの見出せない堂々巡り。読者はニコの閉塞状況を追体験することを半ば強制される。極めて強いストレス。読んでいてこれほど胃が痛くなる漫画も珍しい。
追いつめられた心は何を暗示するのか。病んだ魂は対岸の火事なのか。そうとは限らないだろう。ここにあるのは誰もが抱えてしまう可能性がある魂の行き止まり。そこに読み手は戦慄する。明日はわが身の問題なのかもしれないから。どこにも逃げることができない、ニコの姿の悲しさが、その戦慄に加わる。痛い。本当に痛い。
小野塚の筆は、第一話こそやや甘いが、その後は徹底的に容赦ない。作者と読者の、きつい精神のすり減らしあい。だが小野塚は最後に救いを提示する。すべては解放され、「とらわれた」魂は安らぎを見いだす。はめ違っていた釦はかけ直される。それは甘い、と見られるかもしれない。しかしそれは難渋した果てに何とかたどりついた、つらい戦いの末にかちとられたものである。だからそれは深い響きをもって、読み手に説得力のあるカタルシスを与える。
いつのまにか、この系統の漫画はとんでもないところまで来てしまった。予想されなかったことではない。しかしそのスピードは予想をはるかに越えていた。ここまで人間の内面に鋭く迫る作品が生まれてくるとは。しりあがり寿が、永野のりこが10年以上かけて、ようやく辿り着いた境地に、小野塚カホリは数年で到達してしまった。この作品によって、彼女は一つの頂点に達したといえよう。読まれなければならない作品である。