今はなき竹書房「コミックガンマ」に掲載された作品。黒葛野藍は地方都市に住む16歳。友人のおテツや、憧れの先輩美鶴とカラオケで遊んだり、おじいちゃんの家の農業を手伝ったり。いつも通っていた神社で彼女はある事に気づく。神社のコマ犬が実は生きていることに。その不思議なできごとをきっかけに、彼女は手紙を書きはじめる。誰に宛てるのでもないのだが、その日の出来事を書き記してゆく藍。裏の雑木林はさら地になり、最後に残った乳歯を抜き、そして慕っていたおじいちゃんが倒れる…。
「パーコレイション」とは「浸透」の意である。コーヒーをつくる機械に「パーコレーター*1」というものがあるが、それは湯の中にコーヒー粉を投じ、「浸透」させてコーヒーを抽出する。
この作品で、パーコレイションという言葉は、じわじわと染みとおっていくという印象を伴って使われている。祖父の死、恋人の登場、一歩大人にならざるを得ない状況。そうした条件が藍を少しづつ大人にしていく、というものだ。子どもの要素を失ってしまったわけではないにしても、少女は少しづつ大人になっていくというものだ。
だが、私の印象は、やや違うものである。「パーコレイション」という言葉には、「相の変化」という意味もある。固体から液体へ、液体から気体へ。特にその変化が劇的に起こる瞬間も「パーコレイション」という(特にアメリカ語)。コーヒー沸かしでいえば、サイフォン*2でそれを見ることができる。下のフラスコをバーナーで温めていると、ある瞬間、一気に中のお湯が上部のコーヒー粉がセットされているところに昇っていく。その劇的な瞬間もパーコレイションなのだ。
この作品での藍の変化は、実に急激で、かつ鮮やかなものだ。もちろん台詞や説明的描写では、それは「浸透」という印象を持たせるように使われている。しかし、おじいちゃんの死を経て、恋人と初体験を済ませることによって、たった一夏で少女は女へと大きく変化していく。今日の藍は昨日の藍とは違う、いろんなものを吸収して、急激に女へと、大人へと変化した藍なのだ。
作者も企図しなかったであろう鮮やかな変化。実はそれがこの作品のキモなのだ。そしてその鮮やかさは、読者をくぎづけにする。蝶の羽化。ちょっとしたショックで瞬時に結晶する過飽和水溶液。それにつながる美しさを、この作品は持っている。
*1 アメリカで良く使われるコーヒー抽出機。短時間に、簡単に、大量にコーヒーを抽出できるという利点があるが、濃いコーヒーは出しづらく、雑味も出やすいという欠点がある。アメリカンコーヒーのような薄いコーヒーに適している。
*2 沸騰した水蒸気の圧力を利用してコーヒーを抽出する装置。見た目が派手でしっかりとした味が出るが、管理と手入れが面倒、雑味が出やすいという欠点がある。
Last-Update: Monday, 15-Aug-2016 09:52:40 JST