センチメントの季節

榎本ナリコ

小学館

 主人公の男は塾講師。眼鏡をかけたガリ勉タイプの女子に少々手を焼いている。かれはだれもいなくなった塾で彼女とセックスし始める。ところがそれをガリ勉の女子に見られてしまう。主人公はのちにその子を呼び出して弁明しようとする。ところがその子は言い放つ。「うらやましかったです」と。

 「スピリッツ」に連載されているシリーズの第1巻。内容はとにかく素晴らしい。線の神経質さ、構図の取り方、表情の付け方、取り上げているテーマ。たとえばそれはどこにも行き場のない閉塞感=絶望的なカーブ。「高校生」という「瞬間」に対する強迫観念。セックスを媒介としないと取り戻せないリアリティ。それらは高度に現代的であり、現代の「ありさま」を活写したものとなっている。

 だが…だが。これらのことを評価したうえで、あえて言おう。何かが引っかかる、と。

 戻らない日をうらやむ心。素直になれない思い。比較対照するものを持たないがゆえの少女のわがままな自意識。そうしたものに対しては妙に素直なあとがき。

 そこから分かるのは、この作品集の世界は、少女の自意識に対するうらやみによって構成されているということだ。自分はすでにそれを失ってしまったからという告白。だから彼女は登場人物にも語らせる。「うらやましかったです」と。そう、それはルサンチマンなのだ。

 そして彼女はそれを現代に刻みつけようとする。このような「青春を謳歌できなかった元・少女がいる」と。誰かを思い出さないか?そう、山田花子である。もちろん死んだほうの。

 ここで描かれている少女たち、それは一見現代の、「イマの」少女たちに取材したものであるかのように見えるが、それは違う。榎本ナリコ自身も後書きで述べているように、それは榎本ナリコの解釈によって作り出された作中人物であり、「こうなりたかった榎本ナリコ」なのだ。

 それは確かに辛い。読んでいて物凄く切ない。そしてそれはすなわちいい漫画の証拠でもある。ここまで自分の内的世界に突っ込むことができる作家はほとんどいない。が、山田花子の筆が非常に饒舌だったのと同様、榎本ナリコの筆はあまりにも流暢だ。上手に生きることができなかった自分を上手に描く、ここに大きな違和感が、そして反感が生じる。簡単にいうとそれはズルいのだ。

 このことに榎本ナリコが気がついていることに注意しなくてはならない(あとがき参照)。が、気付いているからといって、彼女はそのやり方を変えることはない。いや、彼女はあえてそうしたスタンスを選択しているのだ。そして私は身をよじる。漫画のできがよいことを知りながら、痛いほど心を動かされながら、そのズルい構造が見えてしまうから。そしてそうしたスタンスをとってしまう−−取らざるを得ない−−彼女があまりにも切ないから。

 まだ書かねばならぬことはあるが、それは次の巻のお楽しみ、としておく。ただ言えるのは、この作品は非常に書くべきことを多くもっていることである。だから読みがいは非常に多くある。とにかく購入は必須であろう。

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