新さん

泉昌之

マガジンハウス

今はなき「アレ!」の末期に連載されていたもの。

 新さんには飲み屋がよく似合う。いや、飲み屋で生まれ、飲み屋の無駄話、馬鹿話の中から育った存在、それが新さんだ。飲み屋の申し子。

 日常は、カッコいいこと、スマートなことだけで出来上がっているわけではない。繰り返す日常は、抑揚、起伏に乏しいように見え、圧倒的にカッコ悪いことの方が多い。しかし、だからといって日常がつまらない、ということはない。些細なこと、くだらないこと、貧乏臭いことのなかに、面白いことはしっかりと存在している。カッコ悪くても、じっと目を凝らしてみると、けっこう日常は面白いものだ。割合としてはわずかかもしれないが。

 新さんは、そんな日常の中の些細な面白さを、1000倍くらいに煎じ詰めた、過剰な存在だ。過剰さは、特に酒の入った過剰さは、得てして押し付けがましくなってしまいがちなものだが、新さんの過剰さはそうしたレベルを軽やかに突き抜けている。ここまで過剰さを煎じ詰めると、もはや清々しさを感じるばかりである。そして、畳み掛けるような、しょうもないギャグの連続に、ただ圧倒されてこちらは骨抜きにされ、笑うほかない。その後、そのギャグが日常に深く根差したものであるために、「そんなこともあるよなァ」と安心を覚えるのだ。

 日常の些細な面白さの過剰な集合体。
 飲み屋の無駄話のエッセンス。
 どこにもいそうだけれど、どこにもいない。
 新さんは、そういう存在だ。しかし、そうであるがゆえに、新さんは日常の希望の星となる。そう、新さんは、「飲み屋のヒーロー」なのだ。

 一方で「健康屋台」みたいな大駄作(わざとやってる節もあるが)を作っときながら、もう一方でこうしたスマッシュ・ヒットを飛ばす。泉昌之はこれだから侮れない。90年代後半の泉昌之コンビの最高傑作であることは間違いないだろう。とにかく笑える。素晴らしい。

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