「ヤングマガジンアッパーズ」などに掲載された短編をまとめたもの。著者の処女単行本である。
人間は多かれ少なかれ、こころに暗黒を飼っている。人間は一方で限りなく崇高になり得るが、限りなく暗闇に陥ることもできる。その可塑性こそ、実は人間の本質なのであるが、普段それは認識されることはない。そして純粋なこころの暗闇は、非常な恐怖をもたらす。一つはそれが悪につながるから。もう一つは、説明することのできない圧倒的な無意識の前に人間を立たせるから。最後の一つは、同じ暗闇を、自分自身持っているとうすうす感じさせるから。
田中ユキが描く人物は、多かれ少なかれそうした暗闇を抱えている。例えば女教師と関係を持つ主人公の友人。かれは体育用具室で女教師を抱いた後、服を持ち去ったうえで彼女を置き去りにする。それは彼女に性的興奮を味あわせるためではない。彼女に恐怖を与えるためだ。女教師に思いを寄せる主人公は、それに対して何もすることができない。いや、何もしないのだ。一方で確信に満ちた友人の行為を改めさせることが無理だと知っているから。もう一方では、女教師に対する性的欲望を誤魔化すために、友人の行動が必要であったから。田中の筆はそうした理性に還元され得ないような人間の暗い部分を容赦なく暴き出す。
あるいは悪という表象につながらない暗闇も描き出す。つきあっている男を独占するために、男と何らかの関係を持つ女を襲撃する、独占欲の強い女。引っ越してゆく男の子を引き止めるために、土手からその子を突き落とす、まだ年端も行かない女の子。それは単に子どもじみた単純な感情に由来するものではない。強烈なエロスに裏打ちされた打算的行動として描かれている。どちらも行動は計画的だが、背後には理性に還元されないものが蠢いている。
田中の筆はこれだけにとどまらない。これ以上ネタバラシをするのは止めよう。実はこれ以上の、さらに「痛い」作品が、この作品集には収められている。単行本の最初に載っている、「白い恋人」という作品である。是非とも手にとってみて欲しい。本当に、きわめて深く、こころ動かされる作品であるから。
この作品集の読後感は、きわめて重く、そして沈痛だ。しかし「よい作品」が、読者の内面にあるものを問い直し、読者の姿を映し出すものであるなら、田中の作品は間違いなくよい作品であるといえる。このきわめて反射率の高い鏡の前に、私は沈黙せざるを得ない。