フラミンゴ 99年7月号

未来のわたし

海野やよい

吉本 5 カラーであってもやよい先生の作品の基本線は変わらない。カラーでページが減った分いつもの濃さが減っているように思う。
久遠    
歌はともだち

海明寺裕

吉本 8 ここに来て、海明寺先生の方向性は完全に「家畜人ヤプー」と同様の方向に向かっている。イマジナシオンの世界を完全に作り上げ、それに綿密にリアリティのテクスチュアを貼り付けてゆく作業。それは我々が持っている「世界」をずらしながら作られてゆくので印象はきわめて強いものになる。凄えや。
久遠    
渇望

るもいじゅん

吉本 7 出産を機に大きく傾向を変えたるもいじゅん。この作品では「出産すること」そのものをエロの領域に引き込もうとしている。出産そのものの描写は、経験に裏打ちされているのでさすがにリアル。ただ危惧すべきはこれで「抜ける」人がどれだけいるか、ということ。オハナシがダークなのもマイナスに評価されないといいのだが。
久遠    
私の罪はアナタノツミ

白井薫範

吉本 5 いつものパターンの再生産。もうチョイ変わったシチュエーションが欲しいところ。
久遠    
みんなのモモちゃん▽

ウサギの月

吉本 5 スクール水着に貧乳、というキャラクタの造形はいいのだが(個人的にピンと来るのだが)、ウサギの月特有の「きれいな絵でとんでもないことをやる」という面白さが実に少ないのが残念。改造!人体を!!
久遠    
バージェスの乙女たち

蜈蚣Melibe

吉本 7 蜈蚣先生は意図的にオハナシの進行を踏みとどまらせている。それには二つの事情が考えられよう。一つはバージェスとアノマロカリスの物語を作り出すことに行き詰まっていること。もう一つは改造人形たちの新たな造形に取り憑かれていること。できることなら永遠にオハナシをつなぎ止め、改造人形たちのディティールにこだわっていって欲しいものだが。
久遠    
Bagles

しのざき嶺

吉本 8 セックスの現実はほぼ *常に* 通常の「美少女漫画」とは異なっている。そこには常に妥協や感情/感覚のすれ違いが存在する。そうした現実から遊離したところに「美少女漫画」の面白さがあるので、この傾向を否定するつもりはない。ただ、「現実感覚」を表出したエロマンガは強い感興を呼び起こすことになる。嶺先生はそのことに常に留意してきていた。その結果としてこうしたプランパーものの漫画を描くことになる。
久遠    
ブラブラおじさん▽

町野変丸

吉本 6 うむ。ここまで肯定的に/当たり前に人体改造を行う姿勢には心強さを覚える。漫画なのだからどんな表現をしたって良いはずだ。
久遠    
カナリア

古賀燕

吉本 5 ノスタルジアを感じさせる和風な絵柄はとてもよろしい。ただオハナシが和風に使い古されたものなのが残念。オハナシを磨く必要があろう。
久遠    
燃える!!輪姦部

黒犬干城

吉本 5 タイトルでネタをばらしちゃあダメじゃないか。女教師がレイプされそうになったが、実はそれは部活動だった…という意外性がキーになっているはずなのに。マ、エロさは十分あるので良いといえばいいのだが。
久遠    
Birthday Party

童門冬児

吉本 6 男の子をまさに物としてオモチャにする描写がなかなかよろしい。第二次成長期の女子ってのはなかなか残酷で、その残酷さがよくあらわれているように見受けられるから。ただ近親相姦ものにみられるようなヒリヒリした感覚が少ないのが残念。
久遠    

鰤てり

吉本 5 鰤てりはやはり滑っている。フラミンゴの徳目/特殊性は描写の上だけでのハードさにはない。登場人物の心の中にある「通常にとどまることができない」要素を描くことが大切なのだ。随分「引っかかる」作品を発表してきたのに、今ひとつジャストミートした作品ではなかった理由はまさにそこにある。「引っかかる」ことができる力を持っているのだから、是非とも内面性に深化した作品を描いて欲しいと思う。
久遠    

<総評>

吉本 今回はやや低調な感が否めない。天竺と駕籠の欠落がこれだけ影響を及ぼすとは。ただ黒犬干城や古賀燕のような新人が育ってきているところが心強い。
久遠  

<ベスト>

吉本 人間のセクシュアリティは非常に可塑性に富んだもの。やろうと思えばどんなものでもオカズにできる。だが出産をオカズにする、ちゅうのはさすがに特殊といえば特殊にすぎる…ように思う。るもいじゅん「渇望」だっ!
久遠  

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