各論3−あずきちゃん

 私はこれまで、いくつかの例を挙げて「真実の愛」に到達する方法を説いてきた。念頭に置いていたのは常に少女ではあるが、すべての年代の人に対する説明をしてきたつもりだ。小学6年生〜中学2年生ぐらいの、第二次性徴を迎えた頃の少女については、「セイント・テール」や「水色時代」を通じて、詳細な説明をしてきた。中学3年生以降の思春期を迎えた「少女」に関しても、少女の心を持ち続けることによって少女主義=「真実の愛」は達成できるという見解を明らかにしてきた。また、少女になる以前、まだ本当に子供である頃は、その思いは男女という性別やジェンダーに関係なく共通して寄せられるため、これは私の説明の範囲外となる。水色時代的に言えば「無色透明なとき」であるし、年代で言えば大体小学3年生頃までといえる。

 が、これらの説明には一つの空白があった。年代で言えば大体小学4年生から5年生頃の、第二次性徴を控え、恋することとは、少女たることとはどういうことかを知りはじめる年頃、「水色がかってくる」年頃については説明が為されていなかったのだ。少女主義の芽生えに関する部分は、その例の不足から、私にとってもなかなか捕らえきれるものではなかったのだ。例はあるにはあるのだが(クリィミーマミ&ママは小学4年生)、私には入手することは出来なかった。この年代はいわばミッシング・リンクであったといえる。

 ところが今回、私は良い例を手に入れた。NHKで放映中の「あずきちゃん」である。この作品は、このミッシング・リンクを解明するのに好適な素材であるだけでなく、少女主義=「真実の愛」の新たな側面を切り開くものを持っている。今回はこの優れた作品について語ろう。

あずきちゃん勇之助くん

 あずきちゃんは本名野山あずさ。お父さんとお母さんと弟のだいずと暮らしている。例によってあまりキャラが立っていないけれど、おとなしいかおるちゃんと、活発で男嫌いのじだまが脇を固めている。いつも仲良し三人組で行動していたけれど、あずきちゃんは5年生の春にやってきた、運動神経抜群でかっこいい転校生の勇之助くんに一目ぼれ。勇之助くんはクラスのアイドルで、他の女の子も狙ってるんだけど、あずきちゃんは何とかして(このあたりは見てないので分からないのだ)勇之助くんと付き合うことに成功する。はい、めでたしめでたし…というわけにはいかず、あずきちゃんの幼なじみで、以前あずきちゃんのことが好きだったケンくんのことをかおるちゃんが好きになったり、あずきちゃんをめぐってケンくんと勇之助くんが一触即発になりそうになるが、勇之助くんが「イイ奴モード」を発揮して仲良しになったり、いまだに勇之助くんを狙っている、あずきちゃんの「炎のライバル」ヨーコちゃんとあずきちゃんの対決があったり、他のクラスメートの色恋ざたに巻き込まれたり…と、まあ連続アニメなので当然だが、視聴者を飽きさせない話に満ち溢れているのだ。また、言うまでもなくディティールは細かい。当然のことながらあずきちゃんと勇之助くんは交換日記をやっているし、ケンくんに思いを寄せるかおるちゃんはまさに「けなげ」としか言いようのない行動を取る。マラソン大会でケンくんが優勝するように朝早く神社にお参りに行ったりするのだ。他にも、告白したくても告白できない女の子達が(かおるちゃんも含む)、「片思い友の会」(略してKTK!)を作ったりと、押さえるべきディティールはきっちりと押さえた作品となっている。

かおるちゃんじだま

トモちゃんヨーコちゃん

 この作品から、二つの発見をする事ができる。第一の発見は、「水色がかってくる頃」の少女たちが、どのような感性と感覚を持って少女主義を実践しているかということである。確かにこの時期の、プレ=少女たちの、「好き」という感覚は、中学生あたりの少女たちに見られるような、自分自身のエゴに由来…いやいや、自分自身をもとろかしてしまうような物凄い集中力をもった感覚に比べれば、まだ幼く、ぎこちないものといえるだろう。だが、十二分にこうした心性は「真実の愛」と呼ぶことが出来る。交換日記やおまじないといったさまざまな実例がそれを証明している。こうして、ミッシング・リンクは埋められる。個人差はあろうが、女児はある瞬間から急激に少女に変身するのだ。そこには連続は少なく、断絶がある。

 第二の発見は、そうした変化のきっかけがどこにあるのかという質問に対する答えのヒントが示されかけているということである。これまでは、ちょうどこの部分がミッシング・リンクであったがために、そうした質問に対する答えを、私自身見出す事ができなかった。しかし、ここで描かれているさまざまな微笑ましい話の数々によって、私は一つの仮説にたどり着いた。すなわちこうである。女児から少女への変化をなさしめるのは、内面的な要素よりも、まわりの状況−すなわち、メディアを通じて得られる情報(漫画、雑誌、「あずきちゃん」自身を含むアニメ)と、友達関係のネットワークによるのではないか、と。簡単に説明すればこうだ。女児たちは、少女主義を含んだものを摂取することにより、次第に「人を好きになることはどういうことか」といったことを学ぶ。そしてそうしたことは、友達関係によって強化される。引込み思案な女の子の「告白」を手助けしたり…もちろんこうした行為もメディアを通じて得られる情報に基づいている。少女主義=「真実の愛」を大量に含んだ表現が、新たな真実の愛を拡大再生産しているのだ。

 こうしたメディアによって育成された様式について、不快感を持つ人も居よう。「気持ちさえもメディアに支配されるのか!」と。だが私の唱える「真実の愛」理論においては、そんなことは全然関係ない。要はどれだけ「様式」が踏襲され、盲目的な「思い込み」があるかが重要なのである。

 それに、ここではもうひとつ、大いなる可能性が示されていることが分かる。少女主義は十二分に啓蒙可能なのだ。いや、啓蒙があってはじめて少女主義が成り立つのだ。これは、女児に限らず、少女主義を多く含んだ表現に接する者全てに対して有効であろう。そこで私の研究&啓蒙活動にも力が入る。「吹き込まれなければ」少女主義=「真実の愛」は現実のものにならない。しかし、「吹き込みさえすれば」、どんな人でも「真実の愛」を我が物にする事ができるのだ。

 私は強く勧めよう。あずきちゃんに「吹き込まれなさい」と。絵はぞんざいに見えるが、だまされたと思ってとにかく見てみることだ。そして、そこから得られる「真実の愛」のエキスは、他では得られない精神的快楽を君に与えるだろう。そして君も実践するのだ、あずきちゃんが勇之助くんに対して抱く「想い」を。現代特有の自我の問題はそれで解決する。没入−それこそが重要なのだ。

ケンちゃんだいず


他にも「あずきちゃん」に関する優れた研究がある。以下を参照のこと。