<魔法のステージ・ファンシーララを語る!!>
登場人物
吉本 松明先生 | (設定)例によって少女主義の伝道者、「真実の愛」の探求者。少女性と少女の持つ「背伸び感覚」に崇高なものを感じ、それを保護せんと日々戦う。モットーは「世の中はきたないものときたないものときたないものでできている。」 |
川崎/阿部幸雄 | (設定)松明先生のゼミに所属する大学3年生。現実世界の女性に裏切られまくったあまり2次元の世界をこよなく愛するようになる。ホームグラウンドは「サクラ大戦」「センチメンタルグラフィティ」「ピュアガール」。 |
幸雄 先生のことだから当然見てると思うんですが、「ファンシーララ」ってどうですか?
松明 うむ。当然毎回テレビにかじりついて見ている。思えば長い道のりだったのう。「パステルユーミ」が惨憺たる失敗に終わったがために、次の企画が出来上がっていたにも関わらずアニメという形にはならなかった。それが「ファンシーララ」だったのだからな。が、幸いなことに全く日の目を見ないわけではなかった。君は知らないだろうが、こういう形でごく一部の好事家の目には触れているのだ。
幸雄 …わ。これ、何ですか?セイカの塗り絵?ファンシーララ着せ替え?パズル?よくこんなもの持ってますね!いつのものですか?
松明 おっと、不用意に触ってはいかん。これは私の宝物なのだからな。そう。アニメ化の話が流れた後、その名の通りファンシーグッズとして展開したのだよ。私の居宅にはもっと沢山のコレクションがあるぞ。
幸雄 でも…ちょっとキャラクターデザインが違ってますね。
松明 まあそれは仕方あるまい。さすがに10年近く違うのだ。高田明美の筆も以前のままというわけにはゆくまい。まあそれはそれとして、私はこの復活を積極的に歓迎するぞ。あの懐かしいテイストが甦っているのだからな。
幸雄 で、どう思います?俺には何だか古くさく見えてしまってしょうがないんですが。キャラデザは骨っぽいし、お話の内容も、これだけネットやらバーチャルやらが発達した現在ではちょっとつらいように思うんですけど。
松明 確かに、キャラデザに関してはちょっと辛いものを感じなくもないな。高田明美の柔らかい線が死んでしまっているものな。また変身に関してもさすがにいまの感覚、とくに「大きくなってしまったお友達」の感覚では辛いかもしれない。今となってしまえば…特に美少女マンガとカテゴライズされたエロ漫画で育ってしまった君のような世代にとっては、大きくなったララでさえエロ味を喚起させるものではないだろう。だから古くさく見えてしまうのだろうな。
幸雄 確かにそう思います。ララの15歳って設定はどうにも微妙なんですよね。劣情を催すにはちと色気的に不足している。ですがもはやロリの範囲には入らない。そこで「サービスの足りなさ」みたいなものを感じるんですよ。
松明 (天を仰いで)やはりな…ああ、世の中の「わかりやすさ」はここまで進行しているのか!!
幸雄 何ですか?それ。
松明 まあよい。今の世の中はダメなオタクどもに対して非常にサービスがいい、いや良すぎるということなのだ。まあ逆に、そうであるからこそこの「ファンシーララ」の重要性があるのかもしれない。(真顔で)いいか、良く聞け。私はこの作品で展開されているオハナシに関しては一歩も退くつもりはないぞ。ここにこそ少女主義的な良さがあるのだ。
幸雄 というと?
松明 まずは変身する前のみほちゃん…ああみほちゃん…の造形から考えてみよう。彼女は漫画家などを志す夢見がちな少女として描かれている。
幸雄 ただのオタク向けのサービスなんじゃないですか?そしていたいけな少女をオタク世界へ引き込もうという策略かもしれませんよ。
松明 それは違う。9歳の…小学校3年生だぞ!…少女に、そのような打算はなかろう。そこにあるのは純粋な少女のあこがれだ。「こんなこといいな、できたらいいな」ではないが、まあそれに近い打算なきものであるといえよう。なんといってもそこには邪念がない。悪しき女オタクどもが同人誌即売会で何百万円も稼ぐというのとは訳が違うのだ。
幸雄 そうですかねぇ。
松明 まあよい。続いて変身後のララのことを考えてみよう。ララはみほちゃんがマンガの登場人物として考えたキャラクターが元になっている。その造形も当然、みほちゃんの理想や希望、「こうなれたらいいな」といった自分を反映したものとなっている。ここには清らかで、そして絶対的な「思い」が存在する。
幸雄 ああ、例の「思い込み理論」ですね。
松明 そういわれるのは不本意だが…。劇中ではそのラインは決して外されることはない。つまり、この作品は少女の側に立って、少女の思いを汲み尽くし、それを表現せんがために作られているのだ。ララはみほちゃんの理想の、「思い」の、実現された姿なのだ。そしてもう一つ、それが「魔法」という超越論的な存在によって成し遂げられているということを忘れてはならん。そこに介在する要因は「あこがれ」だ。魔法を要求するほど、かほどにここでの「あこがれ」は強いのだ。それだけ体現しようという「思い」が強いことも意味しているわけだ。分かるか?
幸雄 …はあ。まあ何とかわからなくはないんですが…。じゃあ先生、何か気に入らない点はありませんか?
松明 うむ。地に足のついた、実際に「好き 」という感情をぶつける存在がいないところが不満だな。少女の思いのなかには「恋愛へのあこがれ」も多く存在する。…恋愛をすることがいいと言っているのではないぞ!…ゆえに、今までの魔法少女シリーズでは、恋に恋する少女としての主人公が必ず描かれ、その対象となる年上のお兄さんも必ず登場していた。「マミ」には俊夫が、「ペルシャ」には学と力が。が、今のところこの作品にはそうした存在は登場していない。同年代の男の子はいるがガキンチョだしな。まあこれについてはきっと今後登場すると思うのでそんなに心配してはいないがな。
幸雄 俺はあの歌と声がどうにも気にくわないんですが。もっと訓練を…
松明 馬鹿者!そこがいいのではないか!(立ち上がり)よいか、あの声はあえて「引っかかる」ように選択されているのだ!なぜ引っかからせるかって?それは少女性を最大限に印象づけるためだ!そこが分からないとは、こうしてくれる、こうしてくれる!(鉄拳をふるう)
幸雄 ああ、また「地雷」を踏んづけちゃったよ。ぎゃふん。(昏倒する)
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