〜フェミニズムを越えて〜

吉本 松明


 ああ、少女よ。そはどこへ行ったか。少女よ。再び我らがもとへ帰れ。少女よ。かつての美を取り戻し、世に愛をふりまけ。

 昨今の社会の現状には由々しきものがある。少女に限ったことではないが、人々は自分を見失っており、夢も希望もない世界に生きている。その中で少女たちは自分を捜し求める。ポケベル、PHS、様々な電話サービス、自己啓発セミナー、コスプレ、個人情報誌、そして宗教、等々。一人でいるのは淋しくて仕方がない。しかし頼りになる自分は存在しないし、積極的に他人と関わって行くほどの勇気も経験もない。そこでその不安定なコミュニケーションを、とりあえずは不変のモノと金が媒介する。だがしかし、先に述べたように、自分探しの手段も結局は「モノ」から抜け出すことはない。そしていつしかモノと金が精神を凌駕し、少女たちは自らを商品化しはじめ、それで得た金によって動くようになる。まさに「援助交際」はそうではないか。自らの寂しさを紛らすために、彼女らは自らを商品というモノへと変質させるのだ。現代、少女と呼ばれる可能性を持つ女子中高生たちは、確かに見てくれは少女かもしれない。しかし、特に都市部において顕著だが、その内面はもはや少女ではない。その内面は帰るところを失ってさまよう現代人のそれだ。少女世界は危機に瀕している。

 だが考えてみてほしい。少女とは、もっと夢多い存在ではなかったか。少女とは、もっと確固たるものを持ってはいなかったか。現代人が忘れてしまったものを当たり前のものとして持ってはいなかったか。

 あこがれ、思い込み、恋に恋する状況。こういった状況下では、少女は決して迷わない。この間、意識下のものか、または無意識のものかに関わらず、少女たちは確固たる信念をもって行動する。打算もなく、その視野をまさしく針の先のように狭めて目標に向かって邁進する。まわりがどうなろうと問題ではない。これを迷惑と思う人もいよう。しかし、情報過剰の現代、ある一つの目標に向かって一心に打ち込むという状況がどれだけあろうか。これほど純粋な形の愛、すなわち「真実の愛」が他にあろうか。そしてこれほど確固たる自分を持つことのできる瞬間が他にあろうか。そう、ここに現代の問題を解決する可能性が隠されているのではないか。

 そして何よりも。恋という目標に向かって突き進む少女たちの姿に、どれだけわれわれがほほえましい思いをし、心の安らぎを覚え、そこからどれだけの明日への活力を得ることか。バレンタインのチョコレートを作ろうとして失敗してみたり、ラブレターを渡そうと待ち伏せしてみたり、「告白」しようかしまいか迷ってみたり、学校帰りに二人きりになってちょっとドキドキしてみたり……少女特有の甘酸っぱい「ときめき」は、生のエネルギーそのものだ。現代社会=高度資本主義・大衆社会においてどうしても圧殺されがちな人間のナマのエネルギーがここにある。どんな栄養ドリンク剤も、どのようなモノも、このエネルギーに匹敵しうるはずもない。

 それゆえ、少女性は回復されなければならない。少女が街にあふれ、「真実の愛」を振りまくことによって、われわれは自分を取り戻すことができる。少女のときめきの生のエネルギーで、われわれは生きる力を取り戻すことができる。いまやこれは観念の問題ではない。早急に行われなければならない急務であり、実践されなければならない問題なのだ。そしてこれは現代を救う、まったく新しい「イズム」なのだ。

 全世界の少女主義者よ団結せよ。少女たちの少女性を取り戻し、その「真実の愛」をもって現代の問題を解決するのだ。現代哲学も民族主義も精神科学も宗教も現代の深刻な問題を解決することはできない。殊にフェミニズムはいけない。問題は「女性」ではない。「少女」こそが重要なのだ。この文章を読む者よ。もし君が上記のどれかを信じているなら、すぐにその信頼を捨てることだ。そして即座に少女を信じるのだ。いま私はここに宣言する。少女はすべてであり、少女こそが世界を救うのだ。「少女主義」は新たな世紀の方向を指し示す明けの明星だ。

残り時間は少ない。少女を信じよ。そして自ら少女となって、少女主義を実践するのだ。それこそが問題多き世界を救う、いまや唯一の道なのだ。