マイナー漫画の常として、いくらいい漫画でも、面白い漫画でも、すぐに絶版になってしまう。或はなかなか重版されず、版元品切れが長く続く。市場規模を考えても流通を考えても、経済原理から見れば仕方のないことなのかもしれないが、文化面からいうと惜しいことこの上ない。漫画文化の危機すら感じる。多様性が失われた文化は急速に衰退の道を歩むからだ。その流れを押しとどめようという意図もこめて、私の所有するレアーな漫画を紹介しよう。
「天国に一番近い島」に至るとり・みきの経緯を知るのに、あるいは「いかにしてとり・みきはメジャーから脱落したか?」という問いに、明快に回答を与えてくれる好著。最近「レア・マスターズ」に「贋作 時をかける少女」が収録されたが、単行本の初出はこの本。いかにも80年代的なアイテムが画面を埋め尽くし、ノスタルジーに浸れること請け合い。しかしとり・みきという人は結構時事ネタからかけ離れたギャグをやってるような印象を持っていたが、こうして振り返ってみると結構恥ずかしくなるような時事ネタをやってるのだなあ…と思うことであるよ。
(C)泉昌之「かっこいいスキヤキ」より 青林堂
最近新版が出たものの、オリジナルとはあまりにもかけ離れた構成がかなり残念。「夜行」「ロボット」「最後の晩餐」「ARM JOE」といった名作は残ってはいるが、初期泉昌之を彩るウルトラマンネタが一切削除されているとはどういうことか。「アパート」が一部屋少なくなっていることはどういうことか。著作権が絡んでくるからわからないでもないが、現在よくある「ほのぼのウルトラマン」の元ネタはみんなこの本じゃないか(もっとさかのぼれば実相寺になるのだろうが)。金のないものはネタをパクられても泣き寝入りをせざるを得ず、広告代理店がアングラネタをみんな消費してしまう。世の中の矛盾に憤りを強く感じることだ。 ちなみに新版で載ってないのは「普通の夜」「退屈な日」「のってる日」の3本。特に「アパート」の6部屋めの「のってる日」は名作なのに収録不能とは。ますます怒りが増すというものだ。
主要部分は「かっこいいスキヤキ」新版と「かっこいいスキモノ」に収められているものの、面白いのは実は再録されてない久住昌之の文章。「ナルトが俺を呼んでいる」「私はハゲたい!」など。特に「決闘!廻り寿司」などは未だに私の精神に深い影を落としている。単なる回転寿司にも食の盛り上がり・ドラマを導入するとは。鉄火巻に始まりカツオでしめる壮大な回転寿司ドラマ。そして現れるライバル。回転寿司の直接注文は邪道!ふ、かかったな似非回転寿司喰い師め。いまやエビは回転寿司界のバナナと呼ばれてるのよ!
ああ、こうして育った筈の私でもついサラダ軍艦だけは直接注文してしまう…。
これも作品の大部分が青林堂刊「豚小屋発犬小屋行き」に再録されているが、死体漫画の部分が袋とじになっているのが実にほほえましい。村田一家がとことんいじめられる「生活」シリーズが載っていて、なるほど80年代の根本敬はこういった感じの漫画を描いていたのか、と実感させられる。いま(といってもあまり漫画を描かないか)一徹などといったキャラクターは出てこないものなあ。
「Let's Go
幸福菩薩」と同じシリーズ。このころはまだ芸能活動は本格化してなかったはずだが、漫画の内容はすでにヘロヘロ。つまんないことこの上なし。だがそれこそ蛭子の味と考えるとまあいいか、とも思えてくる。
発行は最近なのだが、内容のあまりの凄まじさにすでに絶版と聞く。たしかにここまで救いがなく、ここまで絶望的な内容ならさもありなん。読後、とてつもなくイヤーな気持ちになれること請け合いの超特濃特殊漫画。エロ漫画的なエロシーンは少ないのに青年指定なのもそれを裏付けている。全く人間の業って奴は。
しかしカリカチュアライズされているとはいえこういう絶望的な話は現実世界じゃいくらでもあるんだろうなァ。人間、いくら気取っていても本当に育ちがよくない限り必ず何かのボロを出す。あるいは解放されない何らかの業を背負っている。このため現実世界は基本的に間抜けで、どうしようもなく、絶望的であることが多い。だがマスコミ・マスメディアがそれを巧みに隠そうとしている(面もある)ため、現在ではそうした現実世界の「現実」が見えにくくなっている。山野一の偉いところは(これは根本敬や幻の廃盤解放同盟の人々にも共通していえることではあるが)、こうした「現実」に目をそむけることなく表現を行うというところである。結果、それは多くの人に不快感を持って受け止められるものになるが、その表現は人間の本質に一歩近づいたものになる。漫画の中くらい現実を忘れたい、という人もいよう。しかしそうした人はどれだけ現実を注視し、どれだけ「リアル」に生きているのであろうか?リアルを知るためにはまずは人間の間抜けさとどうしようもなさ、そして業を知らねばならぬ。その意味からもこうした漫画があまり巷に出回らないのが実に残念に思われる。
(C)丸尾末広「キンランドンス」より 青林堂
まだ市場に出回っているものの、作者の意向により絶版が確定している本。丸尾にちょっとでも惹かれるところのある人は本屋へGoだ。「ガロ」誌上で行っていた丸尾の原稿1枚1万円セールは是非とも欲しかったなあ…。絵に少々ぎこちなさが残るものの、すでにデヴュ当時から丸尾は丸尾だったのだなあ、と実感させられる。私のお気に入りは「ウコンゲツボ」。
(C)唐沢商会「脳天気教養図鑑」より 青林堂
最近再販されたとの噂だが、一時期1500円ほどのプレミアがついていたこの本、内容は実に衒学趣味にあふれ、唐沢商会の「いい面」が遺憾なく発揮されてかなりハイレベル(ちなみに「悪い面」がでて空回りしちゃってるのは「蒸気王」)。一行知識対決や有名人ポーカー(町で見た有名人の組み合わせで役を作り競う)などゾクゾクするようなネタが満載でしびれまくり。「ガロ」に拾われたあとの作品群も扉がいちいち凝っていてうならされる。そういえば、まだ唐沢なをきがここまで売れる前、「ガロ」で何回か連載を始めたはずだったのだが、それはどうなっちゃったんだろう。
「青い車」がたまらんよしもとよしともの旧作。これも某所で1500円なりのプレミアがついていた(ちなみに「レッツゴー武芸帖」も)。そこかしこに溢れるロック的アイテムに作者の愛を感じる。「ギズモトロン」や「三軒茶屋フジヤマ」なんてのが出てきたときには涙が出たなあ。そして遠藤賢司の「東京ワッショイ」。こうした前向きさは学ばないといかんなあ、などと思ってしまう。特によしもとは最近も実に積極的な作品を描いてるからなおさらに。こうした良い本が絶版になっているとは、実に残念である。
1993年(92年だったか?)に自殺してこの世を去った女流漫画家、山田花子の処女作品集。自称多感なガロ系少女たちに大ウケして、この初版は5000円でも買い手がつくという(西荻スコブル書房談)。そういや最近太田出版から800円本シリーズで山田花子の自殺直前日記が出たっけなあ。はっきり言って私はこの山田花子ブームみたいなものには大反対で、山田花子を食い物にしている(向きもある)太田出版の姿勢には大きな疑問を感じる。皆さんも考えてみて欲しい。「もうだめだ」という心理状態で書かれた日記が、自分の死後に大勢の目にさらされたら、どう感じるだろうか?確かに日記というものは他の人の目に触れることも考えて書かれるものではあるが、ひどい状態のときのものはさすがに見られたくはないだろう。「山田花子展」みたいなものも何回か行ったが、どれも私には辛すぎて最後まで見れたものではなかった。「死者をそっとしておいてやれよ!」と何回も思ったものだった。
まあそれはともかく。私が最初に山田花子に触れたのは忘れもしないヤンマガ海賊版。この物凄い絵に圧倒されてその晩は何回も読み返したものだ。「全滅コーヒー」に大笑いし、その絶望的な話にしびれたものだった。それに、回を重ねるたびに深まる絶望感。もう毎回楽しみだったのを思い出す。同時に連載されていたイワモトケンチのカラー漫画(サイボーグ花ちゃんだったかもしれない)も楽しみだったけれど、後には「神の悪フザケ」を目的に海賊版を買うようになったものだった。線が整理されてくるにつれてあまり読まなくなってくるが、それでもずっと「気になる」漫画家のひとりだった。死んだときには「ああ、死んだか、やっぱりな」という気持ちもあったが、「死なないでいたら大化けしていたかもな…」という気持ちの方が強かった。今でも、死なないでいたらきっとおもしろい漫画を描いていただろうな、という気がしてならない。だから山田花子の死について語るものに反感を感じるのかもしれない。
(C)丸尾末広「丸尾地獄II」より 青林堂
高額が期待できる本その2。1200部限定で元値6500円。青林堂への直接注文のみだったので店頭には出回らず、入手できなかったマニアも多いと聞く。噂によるとすでに数万円の値がついているとか。ああ、買っといてよかった。ただ、この本でしか読めなかった漫画(「耳なし芳一」と「無抵抗都市」)が今度発売される単行本、「月的愛人」に載るとのことなので、多少値を下げるかもしれないのが少々残念。本の作りはさすがに素晴らしく、まさに好事家向けの一冊。難しいのだろうけれども、もっとこういう形の出版がなされると良いのになあ。
ちなみに、丸尾地獄Iの方は10万は下らないとのこと。これは私も見たことさえない。ぜひ一度お目にかかりたいものである。