当然のことではあるが、ディジタル・ナルシスにも、程度の違いというものが存在する。ナルシス度が高い者もいれば、低い者もいる。その違いは、通常は画像、文章、リンク、使用しているテクノロジーなどといった、さまざまな要因から、トータルに判断される。しかし、その一部を細かく分析していくことによっても、全体的なナルシス度を判定することは可能である。ここでは、ディジタル・ナルシスに特徴的で、決して欠かすことのできない、自らの画像からナルシス度を判定してみたいと思う。
ディジタル・ナルシスに必要なのは、自らを少しでも美しく見せようという気概である。だが、こうした写真からは、そういった気概が全く感じられない。そこでナルシス度はゼロとなる。
映りのよい写真。これはナルチシズムの基本である。数あるであろう写真のうちから、映りのよい写真を選び出す、そこにディジタル・ナルシス的な心の動きの萌芽が見て取れる。が、これはまだまだ序の口。この程度ではもっとも初級のディジタル・ナルシスであるといわざるをえない。
斜に構える。比較的簡単に、自らを美しく見せる方法である。簡単な方法ではあるものの、そうした写真を選択した所に、多少向上したナルシス性を見ることができる。
真のナルシス者は常に自らの表情に気を配る。斜に構えるのと同様、比較的少ないコストで自らの見た目の印象を美しくすることが出来るからだ。この場合は、「写真をとる際に表情に気を配っている」「そうした写真を多くの候補の仲から選び出している」という二重の気配りがあるので、より点数が高い。
手は口ほどにものをいうと言うが、手はまた非常に複雑な表情を写真に付加することが出来る。自らの知的なイメージ、活動的なイメージ、そのほかもろもろは、手が介在することによって非常に強化される。ディジタルナルシスでなくても、世にあまた存在するナルシスティックな傾向をもった人は、自らの手を写真に含めることを忘れない。
ユニフォームにもいろいろあるが、ここでは自らの趣味を反映し、それでいてある程度スタンダードがある服装のことを指す。会社の制服は含まないが、学校の制服は含まれたり、含まれなかったりする。サバゲの迷彩服、バイク乗りの革のつなぎ、スポーツのユニフォーム、コスプレ、それぞれ皆含まれる。また特定の会社のTシャツ(アップルやBeなど)といった、その人の主義主張を訴えかける服装も含まれる。これらは皆外見で内面の高潔さや「深み」を出そうとしているのである。
この場合は、単に何げなくとった写真ではだめで、自らがもっともよく写るようにポーズが工夫されている必要がある。
<例>
ディジタルレタッチに飽きたらず、ついには自らの顔や髪、姿などに直接手を加えるに至った写真を指す。入念に施されたメイクアップ、髪形、などなど。「Webに載せるため」「わざわざ」手を加えている場合に限る。
たとえば上半身裸とか、競泳用水着一丁とか。
ああ、ピンク・ナルシス。ああ、琴桃川凛。ああ、ピエールとジル。ああ、まだプリンスと呼ばれていた頃の殿下。人間の真の美しさは裸体にこそあり。一糸まとわぬ姿はそれ自体で美しいが、さらにそれに「美しいもの」を組み合わせたとき、その効果は最大になる。花を背負うのだ。宝石で自らを飾るのだ。