最初にIon1を作った頃から比べると、私も随分ずるくなりました。そこでその違いを出すためにIon3からはマニフェストを外しました。しかしちょっと誤解されているところもあるようなので、再びマニフェストを載せることにします。
マニフェスト・その3
Ionisationは、「教科書に従った」サブカルチャーとは一線を画した「意味の生産」を目指します。
Ionisationは、「大きな物語」を排除し、ちまちました読みを志向します。
Ionisationは、一方で「大きな物語」にすがろうという人の心の動きを否定しません。
Ionisationは、カウンターカルチャーを志向しません。
Ionisationは、文化の受容者という視点からの発話を徹底します。
私の以前のスタンスは、サブカルチャーがある意味迫害されていた(正当な評価を受けていなかった)ために、それを取りあげ、「正当な」評価に位置づけるというものでした。ですからそれはどうしてもドミナントなカルチャーに対して対抗的になっていました。
しかし、数年前までサブカルチャーであったものは、いまやすっかりドミナントなカルチャーになっています。対抗的である必要は今やほとんどなくなり、私の「闘争」は意味を失ってしまいました。
ですがまだ発話の余地はあります。私の扱ってきた文化エリアについての言説は、まだまだ大ざっぱです。明らかな誤読もありますし、議論を深めたり、多層的な視点から語ることによって、大きな「力」となる部分も多く残っています。そうした部分を精緻化してみたいと考えるのです。
サブカルチャーの持つ批判力とか、現実に対する抑制力などを維持したいなどという、大上段にふりかぶったようなことをいうつもりはありません。「大きな物語」はきわめて胡散臭いものです。それより、一つ一つの事象をちまちま調べ、個別に語ってゆくことの方が、現在においては有力なのではないかと思います。