2002年3月(1)

2002/03/01 ・・・とりこ(1)
反在士の鏡/反在士の指環
川又千秋『反在士の鏡』/早川書房/1979
『反在士の指環』/徳間デュアル文庫/2001


シンプルな指輪を一つ嵌めた手で、主人公が宙に円を描く。
ぬらりとした「鏡面」が空中に、ゆらり、現れる。
主人公は鏡の中へ、すいと消えてしまう。
鏡面も消える。

「不条理」への扉は、このように、簡単に開いてしまう。

虚界と実界が混ざり溶け合う悪夢。
物語の始まりは火星。語り手はインターセプター乗りの傭兵、ポーン。
兵隊相手の荒っぽい町、カラザにふらりと現れた、赤毛の美青年。

昨年5月に出た『指環』で、22年ぶりに完結しました。
再録に際し「鏡」は全体的に加筆修正され、未収録だった続編2本と書き下ろし1本を加えての刊行となりました。

「鏡」の後書きに、「(物語の)収束はシリーズ次作」とあるのですが、実はワタシは、未完のままでもヨイようにも思ったり。
未完であることの不安定さ、宙ぶらりんさも、「不条理」を描いたこの物語の魅力の一部のようにも思うのです。
だって、ラスト、こうなのだ。

「宇宙が夢から醒めるまで、もう時間は残されていない……」


「鏡」という、それこそ古典的なアイテム。
でも、例えばハリポタの「みぞの鏡」で、初めて「鏡」の怪しさ(魅力)に目覚める向きだってあると思うのです。
(「みぞの鏡」って、基本押さえててワタシはスキです。
使い捨てるには、惜しいアイテムだと思うのですが・…再登場しないかなー。なんつて)

「世界が揺れる不安、この面白さをコイツに教えてやりたい」とか、そんな時、後輩に手渡してやりたいようなお話です。
ある種のお楽しみの、基本中の基本が、このお話の中に確実にとらえられてあるのだ。

デュアル文庫で、近頃の若人向けにラインナップされたというのは、だから、実にめでたく嬉しいなあと思います。
牧野修さんの濃ゆい解説もついております。

あ、あとね、語り手男子(傭兵)→主役男子(美青年)
というナニか、も、あったりする。
著者が男性で、ワリと男っぽい口調で、
女子向けサービスというよりむしろ、男子に共感を促すような方向性、の何か、なので、とり的には結構ふふふというか(って、おい)。


2002/03/01 ・・・とりこ(2)
鏡の国のアリス/迷子になる
●ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」

子供の頃「アリス」シリーズを私はあまり好きでなくて、というのも「怖い」からでした。
結構ブキミだと思う。アリスのお話って。

アリスが迷い込む異世界は、どこかひんやりした怖い場所で、出てくるキャラも結構怖い印象が。
公爵夫人も女王様も、ぜんぜん親切じゃないじゃん。

例えば、「ワタシをお飲みなさい」も、家からはみ出すほどでかくなる、ってのも、ユーモアと言うか、何だか怖い展開だし。
赤ん坊が豚になる、とか、首が伸びるとか。

何度も何度も繰り返し読んだけど、ある意味「こころやすい」本ではなかったです。
安心できないんだよね。
テニエルの挿絵も、またなんか怖いし。

いつの間にやら、スッカリ
「そういうトコが美味しいんだよ!」
って趣味になってしまっておりますが。

「鏡の国のアリス」も、大きな鏡が異世界の入口です。

・・・実は「反在士の鏡」の追記ネタで、アリスの話になってるのでした。
「反在士」、「鏡の国のアリス」をモチーフとしてるのです。

作者がスペオペを楽しんでお書きなのもひしひしと伝わってくるのに、実は「騙し絵」(※解説引用)の物語でもあるの。
ハードな癖に、感傷的な色合いも感じるし。

――君はどこにもいないんだ。だって、君はただ、王さまの夢の中のものに過ぎないんだぞ!
(「反在士」に引用の「鏡の国のアリス」)

「川又千秋という作家が、SFに出会ったことに深く感謝する。これは、そうでなければ生まれなかった小説だ」
(解説より)
至言だなあ、とか思いました。


山名沢湖「迷子になる」
/アワーズライト2002年4月号掲載/少年画報社

山名沢湖最新作。
表題から想起される如く、「迷子になる」マンガです。

日常に潜む「ヒヤリ」
=日常における、ささやかな冒険・非日常。

踏み込めば幾らでも怖くなる話を、敢えて踏み込まずに作ってあるなあ、とか、怖い物好きのワタクシは思うです。
今回も、紙一重でほのぼのに転じてある。これもまた、とてもよいです。

けど、ホントは幾らでも怖くなると思うのよう。
いつか、うーんとシュールなこわいヤツも描いて下さい。
なんてね。
(そんなんが商業誌に載る日が、果たしてくるのか…勝手な意見でスマン。)


2002/03/02 ・・・とりこ
『指輪物語 旅の仲間(上・下)』
J・R・R・トールキン『指輪物語 旅の仲間(上・下)』(1954) /瀬田貞二訳/評論社(邦訳1971)

「フロドの足の毛」を見に、映画、行くことにしました(俄然行く気になった)。
※S‐Fマガジンは読み中です。皆さま、ナゼそんなに読むの早いの(涙)。

●序章について
「序章」でコケる方があるそうなので。

「序章」とは、「民俗史料・ホビット族の暮らし」というか。
設定資料的記述というか。
ホビットとは如何なる生き物か、生態など(?)が、ちょい硬めな筆致で語られてます。
丸い扉がスキ、とか、穴に暮らす、とか、最低でも1日6度食事をとる、とか、血筋やルーツとか。
薄い人はそりゃ逃げますって。

アタクシにもココロ当たりあるですが、濃いファンて薄いファンに意地悪なキモチがどこかにあるから、つい
「そっか、序章、きついかもね。ふーん」
といって、流す。
ある意味「あなたは指輪ワールドOKか」の試金石っぽくもある。
そりゃ読んだほうがお楽しみは増えますが、飛ばしても筋自体へのダメージは、さして、無いと思うです。

ちなみにアタクシはまず「序章」にハマったです。
何しろ、何歳になっても「ごっこ遊び」の大好きなお子様だったので。
そりゃあノリますとも。
オトナがごっこ遊びの相手をしてくれてるような感じで。

●翻訳
瀬田貞二訳を気軽にくさす方は、もしかすると、あのう、背中に気をつけた方が。
知らぬ間に敵作ってる可能性が。

児童ブンガクに濃い向きに「せたていじ/瀬田貞二」の名は、輝けるブランドでありましょう。
アタクシにとってもですが。
「三びきのやぎのがらがらどん」「三匹のこぶた」「ねむりひめ」「おだんごぱん」「ブレーメンの音楽隊」「三匹のくま」(略。まだまだあるです)
大体、ナルニアの翻訳も瀬田さんだし。

単語の訳出に限らず、語りそのものに対して、瀬田訳への賛否はあると思うですが、翻訳につきものなアレであって、一定水準以上のハナシだと思う。
単語なんかを現代風に直した新訳で新規ファンが増えるなら、それはそれでいいと思う。

個人的には、アタクシは「赤表紙」(ハードカバー版)を愛してます。
瀬田さんの日本語ってとてもいい匂いだし、アタクシは大好きなのです。

●お話について
初読時、一番スキだったのは「序章」でした。
安心できるのって、ある意味そこぐらいなので。

指輪は子供向けに書かれてなくて、だからコドモが読んじゃまずいってことはないけど、オトナになってからの方が色々判りやすくはあると思う。
何故なら、主人公達は万能ではない。
オトナ年齢の主人公達が「不完全」であることは、コドモには多少辛いものもあったよ。
オトナには、しっかりしてて欲しかった。
読み手のコドモとしては。

例えば、『指輪』の前日譚に相当する『ホビットの冒険』(※)の主役、愛すべきビルボ=バギンズ氏をはじめ、様々な人物が、指輪の魔力に影響される場面があるのですが、コドモのアタシは、そんなオトナ見たくなかった。
そういうアレ。

J・R・R・トールキン『ホビットの冒険』
(1937/改訂1951)瀬田貞二訳/岩波少年文庫/邦訳初出・1965)
「指輪」より先に、こちらをお読みになることを推奨いたします。
てか、読まないと損するだけだと思う。
児童書だからスグ読めますし、寺島竜一さんの挿絵もスバラシイですし。)

万能な魔法使いやエルフ達が、スーパーサイヤ人同士の如く戦ってしまえば、構図は単純だし、話は早い。
けど、これ、そういうお話ではないのでした。
あくまでも不完全な彼らが「指輪」を継承し、云々、という部分にこそ、物語がある。

序盤の、ガンダルフ(魔法使い)と主人公フロドの会話は、象徴的です。

「なにもわたしの時代に力を盛り返してくれなくても」
「なんでこんなものがわたしのところにきたんでしょう?
なぜこのわたしが」

「このような時代に生まれ合わせたものすべてにとってそうじゃとも。
わしらが決めるべきことは、与えられた時代にどう対処するかにある。」
(本文・部分抜粋)
再読し始めたら、舐めるように読んでしまい、全然はかどらないのでした。

************
ココまで書いて、やもたてもたまらなくなり、行って参りました。公開初日の地元映画館へ。
そして、観てきましたっ。

急いでレビューも書きますが、
あのね、まあ、まず、四の五の言わんと観てきなよ。

「指輪物語」をちゃんと愛してる人たちが作った映画だな、
って思いましたよ!


2002/03/03 ・・・とりこ
映画『ロード・オブ・ザ・リング』
ピーター・ジャクソン監督『ロード・オブ・ザ・リング』
(公開中)

物語が既に存在する以上、様々な人が色々な愛し方をすると思う。
映画だって、一つの解釈の呈示なので、アタクシの読み取ったそれと違う、ということは、仕方がないのだ。

あの長大な物語をたった3時間に…、作り手も「ホントウはこんなんじゃないヤイ!」て部分もあるのでは。

脚本化に際し、「読んだことのある人々の記憶、彼らが憶えている物語に忠実であろう」としたそうな(パンフ情報)。
てことは、複数の読者にとっての「指輪」、何処が愛され何処が譲れないか、の最大公約数を用いたのが、勝因かな。
ナルホド。

彼らのココロに刻まれ、譲らないでくれた部分に、アタクシにとって大事な部分も含まれてたようです。

パンフに荒俣宏も寄稿してて、曰く“魔法を棄てる旅”の物語。
FTファンなら、食わず嫌いはしないほうがいいと思う。
勿体ないです。

怒涛のような3時間でした。

◆とり的「ミドコロ」
・もー、もー、もー、黒の乗り手! 
エンヤの音響参加が効果的です。監督がホラー経験有なのもいい目に出てると思う。

・「指輪を嵌めるとどうなるか」。
これはいい。

・フロドの足の毛
視認・良し。
ねえ、この夏は乗馬とくりくりヘアと裸足が流行るんじゃ。あとシンプルな金の「指輪」…

・ホビット庄の光景
非常に宜しい。家の中含め。

・ニュージーランドでのロケ
宜しい!!

・サルマン(白の賢者サルーマン)
クリストファー・リーじゃん(大喜び)。

・カザド=ドゥム/モリア
いいね。

・弓矢
カッコいい!!(そりゃレゴラスもだけど…)

◆ブーイング
・バタバー。
・アルウェン(リブ・タイラーに恨みなかったけど、出来てしまったぞ)
・エルロンド(うーんうーんうーん。回想シーンはまだいいけど…)
・そもそもサム・ギャジーは…
・裂け谷の会議の進行具合(難しいな…)
・グロールフィンデルは? (泣)
・トム及び塚山エピソード。仕方ないとは言え…
・黒の乗り手の出自バレ早スギ!
・50歳だつーの。>パンフ

ホントはもっとあるです。そりゃね。
特に怪物方面。

そうそう、「旅の仲間」再読時の、my最大の萌えは、
エルロンドでもガンダルフでも馳男(アラゴルン)でもなく、
ビル!
(※ウマ。)でしたが、
一応ビル、出てきた。名前呼ばれてた。
良し。


2002/03/06 ・・・とりこ(1)
「指輪物語」考(1)
今シゴトがアホのようにしんどく(タクシー帰りの日々)、とても「とりイカ」どころでないのですが…
いつも拝見しているサイト(3月5日)に、気になる記述がございましたもので…。
いつもより、絞ったり纏めたりしておりません。
失言ございましたら、ご容赦下さい。

※長いので分けました(このまま下にスクロールすれば(2)に続いてます)。

◇その1:何故フロドが指輪を持つのか

皆様のご指摘のとおり、確かに、映画だけでは判りにくいかも、です。
原作の読者として書いてみました(僭越でホントウに恐れ入ります)。

「指輪処理・対策会議」の面々、魔法使いやエルフら(指輪の本性(?)を解する者)は、力の自覚ゆえに、指輪を所持出来ないのだ、と思われます。
時速200キロを出すクルマと人力車では事故時の酷さが違うとか、そういうカンジかなあ、とか。

「意志力も能力のうち」等の考え方もあると思いますが、指輪は「所有者の精神に働きかける」という設定なので、何人たりともその影響からは逃れられない、と言うことだと思います。
(とりあえずトールキンの世界観では、誰しもが暗黒面を抱く、が前提のような。)

私的解釈ですが「指輪の誘引力は、内在する力に拮抗する」ように思われます。
よって「力」あるものが指輪を持つためには、それだけの抵抗力を要する、ようにも思われます。

ここで、ホビットの「力を持たない」(弱者である)面が唯一の頼みになるわけです。
「忍耐強い」性質は、むしろ「指輪という重荷を投げ出さない」点についての言及かと思うです。

ところで、私は、原作を読んでいて特に、
「弱者が弱者であることが強みになる」という状況描出に強く惹かれます。

エルロンドが、フロドに「我々はあなたを行かせる(強制的に)ことはできないが、あなたが自分の意志で行くと言うなら、助力は惜しまない」という主旨のことを言ってたような。

しかし、あの流れではフロドに「行け」と言ってるようなもので、当然無言の圧力(のようなもの)が。

だから、周囲は、フロドに対して負い目があるわけです。
この「負い目」が、ある意味、力あるものたちをしてフロドを支える原動力にもなっていて。
力があるものが・力があるが故に・弱者に対し負い目を負う!
素晴らしい(笑)


2002/03/06 ・・・とりこ(2)
「指輪物語」(2)/S-Fマガジン4月号
(1)の続きです。

ところで、売れてるらしいですね、指輪。
聞いたトコによると、版元でも品切れとか・増刷が追いついてないとか。
スバラシイ!いいぞー!(泣)

◇その2
「ホビット」ってトールキンが創出した種族であった気が…?
(違ってたらゴメンなさい、いつもなら調べてから書くのですが…シゴト片づき次第調べてみます)
ゲーム等の設定で「魔法力に抵抗がある」とあるって、「指輪」の設定を踏まえて、かも?とか思いました。

◇その3:ついでなので。

知人の方が「主人公の受動的性格に、今ひとつ共感できなかった」旨を仰っていて、これはワタクシには、鋭いご指摘でした。
私は、主人公が受動的であるが故に、この物語に惹かれるのだろうなあ。
(「ウォーターボーイズ」然り…)
フロド、弱いですよー(映画)。
やられっ放しなんですが、彼は彼なりにすごく頑張っていて、私がこの映画が成功していると思ったのは、まずココでした。けなげだよフロド。スバラシイ。

そういや再読の印象も「ああ、これって巻き込まれ型小説だったんだな」でした。

アツクなっててスミマセン。ちょっと書き逃げ。
でも映画、いい出来ですよ!次が待ち遠しいです。

(※イカちゃんよ、キミが今・お忙しいのは、重々承知いたしておりやす。
先日は補足アリガトウ。
キミの留守の間に勝手なことしててスマン…)

S-Fマガジン4月号/早川書房
「考課評」に参加させていただくことに(ひえー…)。

点数は考え中ですが、読了分については
「ふじ」の特集=イーガン≧小林泰三>北野勇作>田中啓文=カタシロ 
で面白く読みました。

小林作品には、L・フォワード「竜の卵」を彷彿とさせられました。
あと、シュトゥックなんかにヨロコぶ自分としては、イーガンにクノップフが出てきてニヤリ。
田中光さんのイラスト、美しいです。
女性の目つきのそこはかとない怪しさも、クノップフっぽくてグウ!(生意気で恐れ入ります)とか思いました。

※まだ未読箇所、沢山残ってます(ヨコジュンの連載とか)。
頑張って読みます。わくわく。


2002/03/08 ・・・ヤマナ
孤独の発明
おくればせながらオースター祭りに私も参加。ていうか、書きかけで2カ月ほおっておいた感想文をやっと仕上げました。時間かかったわりにイマイチ生硬で説明不足な文になっちゃったなあ。

ポール・オースター/柴田元幸訳「孤独の発明」(1991/新潮文庫)

オースターは「幽霊たち」があんまり好きで、以前オースターの、他の作品群に当たったとき「なんか「幽霊たち」とちがーう」と、退屈がってしまった過去があるのですが。そしてこの本もそんな一冊だったのですが。

イヤ、すみません。今読むと沁みる沁みる。オースターやその家族自身をモデルとしたこの小説は、描かれた世界が作者にかなり近いせいもあってか、言葉がかなりナマに沁みてきますね。ナマという言葉は不適切かな。「不在の肖像」を描くという、不可能性へのたたかいの軌跡もこの小説には刻まれているのだから。

父の不在を暴く、ということだったらもっと容易だったと思うのです。でも、ここでは父の不在を「描く」ことが求められている。「不在」という、ないものを描く、不毛でかつ実りあるたたかいの軌跡が沁みるし、またそれに挑戦せざるを得ない語り手の心情も沁みます。父の不在を執拗に描くことで、語り手は父の存在を強く強く意識している。父の不在を語り続けた結果、語り手はようやく父と出会う、そんな逆説もここにはあります。

また、語り手が自身の心を語るためになされる多くの引用。ひとのことばで語られる「私」の心、という構図の裏には「私」自身の不在も意識されているのでしょう。
そしてなにより、祖父の強烈な不在のあり方。この本の冒頭に掲載された写真の意味が分かったときの足元を掬われたような気もち。

世代を越えて代々と続く、「不在」をめぐる孤独な物語。せつないです。でも悲しいだけではない、透徹した美しさも感じます。

オースター、他の作品もまた読んだり、読み返したりしようかなあと思いました。あ、掲示板でオススメをいただいて観たオースター原作の映画「スモーク」(ウェイン・ワン監督/1995年)は人の縁の不思議と素敵を感じさせる幸福な映画でした。フィクションや「嘘」の扱い方もとてもとても美しかったです。

2002/03/09 ・・・ヤマナ
明け方の猫
保坂和志「明け方の猫」(2001/講談社)

明け方見た夢の中で彼は猫になっていた。猫といってもまだ新米の猫なので四本の足を動かして歩くこともなかなか自由にはいかなかった。
そんな文章で始まる小説です。猫になった「彼」から見た世界、猫としての体感、そういったものがこまこまと描写されていきます。視覚中心の人間と違う、聴覚、触覚中心の体感。人間とは違う運動能力。この小説を読んでる間、私もまた猫の感覚を借りて世界に触れているかのようでした。みなれた世界がふわりとやわらかい未知の世界へ変わるおもしろさをじっくり味わいながらページを繰りました。

…とまあ、それだけだと心地よい幻想小説だし、それだけでも素敵な小説には違いないのですが。これがなかなか曲者な小説でもありました。

猫になった「彼」にはまだ人間の記憶や感覚が残っていて、人間であることと猫であることの線引きが曖昧であったり、ないまぜであったりする部分もあります。そしてその線引きについて思索したりもしますが、その思索は人間としての「彼」が行っているのか猫としての「彼」が行っているのかそれすらも曖昧であったりして。あらら?

また、非常にリアルで丁寧な日常描写が続く一方で、このおはなしがあくまでも夢の中であることが繰り返し「彼」の意識に登ります。現実と夢が地続きのように感じられたり、乖離して感じられたり。

いくつもの層が絡まり溶けあい乖離する、その意識の波を追いかけるだけでも実はとてもスリルのある小説だと思いました。一種、崩壊感覚もあって、それはデビュー前に書かれたという同時収録作の「揺籃」により顕著です。「徹底的な描写文」の中で記憶が壊れ絡まり塗り替えられ、未知の場所へと導いていく。

保坂和志さんの作品にはこの本ではじめて触れたのですが、実験的で私小説的で、かつ皮膚感覚をとても大事にしているという点では笙野頼子の作品とも近いものを感じました。いや、文体とか思想とかは笙野さんの激しさとはまた別物の魅力なのですが。でも猫好きなとこも共通するかな。

保坂作品ですが、芥川賞受賞作「この人の閾」も読みました。こちらはより日常的な感じ。おもしろかったです。川上弘美好きにもイケるかも。
保坂さん、読み終わるのがもったいなく感じられるような、かなり好きな文章です。もうちょっと追いかけてみようと思います。


2002/03/11 ・・・とりこ
モンスターズ・インク
ピート・ドクター監督「モンスターズ・インク」
2002年/アメリカ
(公開中)

「ジェットコースター小説」って表現ありますが、まさしく「ジェットコースター映画」でした。
比喩でなく、本当にそうなの。いやはや。(※観れば判るよ…)

色とりどりの扉によるOPアニメ、お洒落で可愛くて、とっても好みでした。
「セサミストリート」や「ポンキッキ」なんかの数(かず。1、2、3、4…てヤツ)のアニメに、ちょっと似てるというか。

物語の舞台は、コドモの悲鳴をエネルギー源とする、モンスター界。
エネルギー工場に供給される様々な扉が、それぞれ、世界中のどこかのコドモ部屋に繋がってる、って設定です。
ドア開けて「ガオー!」「キャー!」
 →ほい、充填いっちょあがり。
またドア開けて「ギャー!」
 →ほい、エネルギーゲージMAX。
そういう工場。(うーむ…)

小学生と一緒に観ました。
隣りで笑うお子様の笑いのツボが、懐かしくも新鮮でした。
例えば、モンスターがニンゲンのコドモの靴下に怯えるって場面があるのですが、何かに対して一瞬で「エンガちょ!」状態になるのって、相当有効なネタみたいです。
キャーキャーいって喜んでおったよ。
…そんなもんだったっけ?
(しまった、覚えてないなあ…)
そういや「千と千尋」でも、あの辺って大受けだったよなあ…。

ディズニーのCGアニメってまともに観たことなかったのですが、ニンゲンのコドモ造形(?)に、冒頭、思わずひるんでしまいました。
けど、慣れてくると(特に後半)、かわいくって。
人間の順応能力ってスゴイんだなあ(?) 頭でっかちオデコちゃん。うーん・だっこしたい(笑)
声も可愛かった。
何より、やっぱ「ちいちゃな女の子とでっかいモンスター」の構図は、見る者の目じりを力いっぱい垂らさせるな…。

個人的お気にキャラは、サリー(主役のでっかいモンスター)と消える敵役(ランドール)、それから受付の一つ目お姉ちゃん(セリア嬢)でした。
彼女、いい味してます。おもしろラブリー。ワタシ、すっかりファンなの。
けどさあ、一つ目って、どうやってアイメイクするんじゃろか。
気になる。
(……)



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