平日の昼間と夕闇のあいだの空間3

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平日の昼間と夕闇のあいだの空間
平日の昼間と夕闇のあいだの空間2
一気に下まで行きたい

 この地区は、「平日の昼間と夕闇のあいだの空間」その1その2に引き続き、「ぶっとび地区」内でも分類が困難で、かつ独特の味わいのある作品が紹介される場所である。完全にものすごいぶっとびのときもあるし、「これって『ぶっとび』かあ?」という微妙なモノもあるんだけど、ま、理屈ぬきで楽しんでいただければ幸いである。




・「のりピーちゃん」 さかいのりこ(1989、小学館)
・「スーパー巨人」全5巻 滝沢解、森村たつお(1978〜79、秋田書店)



・「のりピーちゃん」 さかいのりこ(1989、小学館)

まあ世代的には「のりピー語」とともにかなり幅広く知られているのではないかと思われる「のりピーちゃん」ですが、いちおう説明しておきます。
まずアイドル歌手・酒井法子が「のりピー語」なる不思議ちゃん語をよく使っておりました。
で、彼女がファンクラブの会報に描いていたのりピー語頻出の手すさびマンガ「のりピーちゃん」をキャラクター展開していこうという動きがあったようです(今で言うあややの「アヤンキー」みたいなものか?)。というわけで、ぬいぐるみやTシャツになっているようです。

本書は、おそらくそうしたプロジェクトの中で発売された1冊のマンガ本であります。4コママンガ集です。

マンガ史的には当然、見事なまでに無視されきった作品です。いや、マンガとすら認められていないでしょう。いざ読んでみても見るべきものはまったくありません。なんかこう、親戚の小学生のラクガキをえんえんと見せられているようでクラクラしてきます。

個人的に思い出すのは、私が当時とある女の子とどこぞの展覧会に行ったとき、併設展示でなぜかこの「のりピーちゃん」を展示しておりました。
その頃の私はまだぶっとびアンテナが発達していなかったものですから、この「のりピーちゃん」に大いにひかれながらもその理由が自分でわからずニヤニヤしておりましたところ、私の隣でそれを見ていた、青山ブックセンターやビレッジヴァンガード大好きなその娘もまた、「のりピーちゃん」に自分でもわからないメラメラとした敵意を燃やしていたように感じます。

・マンガアイドル事情
ちょこっとアイドルの広い意味でのマンガ事情を思い出してみました。
まずアニメの「うる星やつらが好き」といって、シナリオまで書いていたという西村知美が86年デビューですがオタクシュミを全開にし出したのはもうちょっと後という記憶が。
で、「マンガを描くのがシュミ」といって実際に「ポワトリン」のムックに自作のイラストを載せていた花島優子が90年デビュー、そして後の「付加価値アイドル(何かアイドル性以外のアピール点を持ったアイドル)」のさきがけとなり、ゲーム好き、パソコン好きを公言した千葉麗子が91年のデビュー。

84年デビューの岡田有希子も「イラストが趣味」とは言っていましたが、それを商売にしようという動きは少なくとも現役時代はなかった記憶があります。

そういう意味では87年デビューの酒井法子ののりピー語&のりピーちゃんという展開は、一方で不思議ちゃん路線、もう一方でアイドルのつくったものを売り物にするという意味でのエポック的な意味はあると思います。

とくに、後者の「のりピーちゃん」は、著名な芸能人のやったこととしてはポップで、アート寄りにもオタク寄りにもなっていなかった点にオリジナリティと、時代を感じます。
実際、絵を描くのがシュミだったり絵本を出版したりという芸能人は少なくないですから(奥田英二とか鶴ちゃんとか)。一方で、アイドルの場合は前述のチバレイを期に、アピール点が急速にオタク臭くなっていくわけです(ネットアイドルやガンプラ好きの類家明日香は、その最終形態でしょう)。

「ポップである」という点では、原宿に一時乱立していたタレントショップで売られていた、ほとんどそのタレントの属性と関係ないファンシーグッズなどと同列に見るべきものなのでしょう(まんじゅう屋を出したというくわまんが、昔「だっておれ、甘いものきらいだもん」と言っていたのには笑った)。

現在では、アイドルが「マンガが好き」と公言することは過去より多くなった気がします。素朴すぎる読後の感想が面白い宇多田ヒカルや、ももち麗子の単行本を読んでニッコリ微笑む石川梨華など、飯島真理がオタクにバッシングされた20ウン年前からだれが想像したでしょうか。

・オレ流のりピー語講座

さて、一方ののりピー語ですが、こっちがわからない。
のりピー語ほど多分に「不思議ちゃん気分」を振りまいているモノは他にありませんが、私個人は酒井法子が不思議ちゃんであったと思った時期はまったくありません。
高橋愛の「なまり」のような、事務所の方針色の強さがうかがえる、としか言いようがないです(高橋愛も、自然になまっちゃうときがあるんですけどね)。
まあそういう意味では、のりピー語は不思議ちゃん語というよりは幼児語、幼児がつくる造語に近いのかなと思っています。

流行語、新造語的に興味深いのは、「ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たる」的にいちじるしく数が多いこと。一般的に知られているのは「語尾にピーをつける」、「マンモスラッキー」、せいぜい「ごちそうサマンサ」くらいまででしょうかね。

本作「のりピーちゃん」には、のりピー語がたくさん収録されています。今回は、この「のりピー語」を、私のコメント付きでテキトーに抜粋して終わりたいと思います。

ありんこ:ほんの少し
「マンモス」の正反対が「ありんこ」とは! 意外や意外。でもまったく流行らなかったなぁ。

くろまピィ:まっ黒
クロマティ……クロマティー!!!!!(絶叫)

ゴジラパワー:ファンの協力
まあ「大きなパワー」というほどの意味でしょうな。

グリコ:おいしい
酒井法子がグリコのCMをしていたからって、直接すぎる! ジャイアント馬場との「グリコジャイアントコーン」のCMを思い出しますね。

ごちそうサマンサ:ごちそうさま
サマンサってアレか。「奥様は魔女」の。

てれピまん:テレてしまう
のりピー語は、酒井法子の出身地である博多の語尾などが混ざっている場合が多いそうだが、「まん」ってのはわからん。

マンモスラッチー:すっごくラッキー(ラッキーの最上級)
「ラッキー」じゃなくて「ラッチー」だ!

ヤバイぞうりむし:ヤバイぞおー!
こんなこと言って許されるのは当時の酒井法子だけだろう。普通だったらハイキックもらっても文句は言えんよ。

それにしても、三十過ぎた酒井法子がいまだにテレビで「のりピー語」を言わされているのを見てかわいそうだなあ、と思っていたら……。

・「のりピーちゃん」(上記の本とは別モノ)(2003、小学館) [amazon]

2003年って、去年出た本だよ! まだ現役バリバリで商売してんじゃねーか!!
(04.0904)



・「スーパー巨人」全5巻 滝沢解、森村たつお(1978〜79、秋田書店)

週刊少年チャンピオン連載。本田工作は、無線やマイコンにかけては専門家級の知識と技術を持つ少年。やっと念願のマイコンを組み立ててそれを「ダン」と名付ける。しかしそのとたん、ダンは謎の存在「スーパー巨人」からの不気味な情報を受信する。
マイコンは「スーパー巨人」に操られているという。そして、スーパー巨人は工作をも服従させようと、工作の両親やガールフレンドのユリッペ、一般市民までもまきぞえにしようとする。
すべてのコンピューターを支配できるスーパー巨人は、人類滅亡をたくらんでいるらしい。工作は、知恵と勇気と自作マイコン「ダン」、ユリッペや友人たちとともに、果敢にスーパー巨人に戦いを挑む。

・いまいちよくわからない話なんです
原作者の滝沢解は、「女犯坊」、「怪物横丁」などぶっとび的な作品を何作か手がけており、それらは数年前の劇画再評価の波に乗って復刻されたり紹介されたりした。
本作は「少年チャンピオン」というメジャー誌に連載され、なおかつ「ぶっとび」としての資質はじゅうぶんに備えている作品なのだが、リアルタイム読者の間でも、懐かしばなしにものすごく盛り上がるという感じではなかった。
それには理由があるように思える。まず「これこれこういう作品です」とか「こういうエピソードがありました」と、説明しづらい作品なのである。

「大リーグボール養成ギブス」とか「山籠もりして片方の眉毛を剃った」とか「まったりしてしつこくない」とか、ひと言で表せる作品というのは強い説得力を持つ。しかし、本作は各エピソードが微妙なリンクでつながっているため、ワンエピソードを取り出して説明することがむずかしい。しかも、聞いた方もよくわからないような話が多いのだ。

たとえば、単行本第2巻でスーパー巨人の正体を突き止めようとした工作とユリッペは、電流の通ったトーテムポールが林立し、巨大なスフィンクスがそびえる謎の場所に放り出される。
そこは、LSIのギッシリと組み込まれた多数のトーテムポールと、出力装置としてのピラミッド、そして入力装置としてのスフィンクスで構成された超巨大なコンピューターの回路だったのである。

……というイメージはすばらしいのだが、ではそのピラミッドやスフィンクスが何だったのかについては最後まで明らかにならないのである。

・いまいちよくわからない話の例「紅団」VS「影の会」
ラスト近くでは、不良グループ「紅団」と「影の会」の勢力争いに工作が巻き込まれる。
なんと、紅団は影の会に対抗するための戦闘ロボットを工作につくれと命じるのだ。
こうなると、もはや不良同士の戦いではない。
しかし、影の会のリーダー・飛鳥響子は、「ラジコンマネキン」なる戦闘ロボットをすでに完成させていた。ラジコンマネキンが口から出す催涙ガスで紅団がひるんだすきに、響子は工作をさらって行ってしまう。

……と、ここまでなら「戦闘ロボットをつくって戦う不良グループ」として記憶に残るのだが、お話はもっと変な方向に進むのだ。
響子は大金持ちの娘で、江戸時代のお城をそのまま買い取ってもらってアジトにしている。通称、忍者城。部下はみんな忍者の訓練を受けている。
響子が工作をさらった目的とは、最新モデルのコンピューターシステムを使って、自分の手足のように動く八匹の犬たちの脳にマイコンを仕込み、さらに忠実な部下にすることだった。
……と、ここまでなら「犬の脳にマイコンを仕込もうとする不良少女」として記憶に残るのだが、お話はもっともっと変な方向に進むのだ。そして、そこまで書いたらネタバレになってしまう。

こうして、読者側はいつしかわけがわからなくなってしまうのである。

・マイコンマンガと「見えない敵」
もちろん、わざわざ紹介するくらいだからただのわけのわからない作品ではない。
細かく見れば考証はかなり大雑把だが、興味深いエピソードもある。
すべてのコンピューターを支配できるスーパー巨人が、ATCが付いている新幹線の事故を起こさせようとしたり、ラジコンで操れる自転車で後楽園球場をジャックしたり、コンピューター付きのクーラーを誤作動させて街中を混乱に陥れたりする。
こうした話は、そりゃ確かにネットワーク化されていないコンピューターをどうやって支配するんだという根本的な問題はあるにせよ、次第にマイコンが社会の重要部分に使われだした世相を反映していて興味深いところである。

個人的には、マイコンを題材にしてここまでファンタジーに肉薄したのは、似たようなコンセプトでも鷹見吾郎、下條よしあき「マイコン刑事」(→感想)すがやみつる「マイコン電児 ラン」(→感想)おおやま黎「マイコンランデブー」などと比較しても本作以外にないと思う。
まあ、そのぶんメチャクチャなのが気にくわないという人がいるかもしれないが。

さらに、敵のかたちが明確ではない、「見えない敵」との主人公との戦いを描いたという点でも少年マンガとしては珍しいと言えるかもしれない(こっちは、手塚治虫や石ノ森章太郎がやっていそうな感じではあるが)。
けっきょく最後まで敵が明確ではない少年マンガなんて、ここのところほとんどないのではなかろうか(ちょっと違うし青年マンガだが「寄生獣」はそうしたコンセプトに近かったように感じる)。

・滝沢解なところ
「女犯坊」などと比べても、この時期の滝沢解作品は明らかにイメージ先行である。
そして、明確に少年誌を意識した工作とユリッペのキャラクター造形、さらにイメージ先行のお話に「いかにも少年誌」な森村たつおの作風が乗っかっているところを見るのも、現在からすればひとつの鑑賞方法ではある。

さらに、大筋は「いかにも少年誌」なネームの本作に、ギョッとするセリフが入ることがある。
冷凍庫に閉じ込められた工作とユリッペ。クスリと断熱塗料を混合し、電流を流すことで爆薬をつくることを思いついた工作は、それでドアを破壊しようとする。
まさに少年誌らしい展開なのだが、いざ爆破するだんになって工作は、

工作「もし失敗して爆発しなければ……」
「そのときは……」

ユリッペ「そのときは……?」

工作「生きるってことをあきらめるんだ……」

とか突然言い出すから恐い。もちろん、すぐに工作少年は熱血を取り戻すのだが、梶原一騎や牛次郎だったらぜったいこんなネーム、書かないと思う。
そういう少年誌らしからぬところも、まあそれが滝沢解なのだろう。

何にしろ、マイコンが現在のパソコンとは比較にならないほど特別な存在であった頃のマンガである。まさに「心と体力がつくる汚れなき電流」によって、「マイコンと友だちになりたい」と思っていた時代……だったのかはわからないが、私はこういうスタンス、嫌いではない。
(04.0124)

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