つれづれなるマンガ感想文5月後半

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「つれづれなるマンガ感想文」6月前半
一気に下まで行きたい



・「妄想戦士ヤマモト」(2) 小野寺浩二(2002、少年画報社)
・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 4月増刊号(2002、蒼竜社)
・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 5月増刊号(2002、蒼竜社)
・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 6月増刊号(2002、蒼竜社)
・「牛娘の恋」 あうら聖児(2002、茜新社)
・「エイケン」(5) 松山せいじ(2002、秋田書店)
・「出世する酒しない酒 ザ・飲みニュケーション」 聖 日出夫(1993、メディアファクトリー)
・「海にはばたけ」 石井いさみ(1979、日本海事広報協会)
・「本命は俺じゃない」 北鏡太、とんぼはうす(2000、WALK&白夜書房)
・「奴隷っ娘」 北原武志(2000、東京三世社)
・「TISSUES TIME ティッシュ・タイム」 おかもとふじお(1997、久保書店)
・「ウォーB組」マガジン・ウォー!6月号増刊(2002、マガジンマガジン)
・「マガジン・ウォー」2月号(2002、マガジンマガジン)
・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」5月号ふろく、小学館)
・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」6月号ふろく、小学館)
・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」7月号ふろく、小学館)
・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」8月号ふろく、小学館)
・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」9月号ふろく、小学館)
・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」10月号ふろく、小学館)
・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」11月号ふろく、小学館)
・「YOUNG キュン!」4月号(2002、コスミックインターナショナル)
・「YOUNG キュン!」5月号(2002、コスミックインターナショナル)
・「YOUNG キュン!」6月号(2002、コスミックインターナショナル)
・「バキ」(12) 板垣恵介(2002、秋田書店)
・「バキ」(13) 板垣恵介(2002、秋田書店)

【映画】・「スパイダーマン」 監督:サム・ライミ(2002、米)
【書籍】・「オメガ・プロジェクト UFO遭遇と臨死体験の心理学」 ケネス・リング:著、片山陽子:訳(1992、1997、春秋社)
・「ガタピシ車でいこう!」(1) 山本マサユキ(2002、講談社)
・「全日本妹選手権!!」(2) 堂高しげる(2002、講談社)
・「週刊少年マガジン」24号(2002、講談社)






・「妄想戦士ヤマモト」(2) 小野寺浩二(2002、少年画報社) [bk1] [amazon]

アワーズライト連載。オタク的妄想パワー最大級の男・ヤマモトと、美少女フィギュアにしか興味のない渡辺、眼鏡っ娘教団教祖・南雲鏡二、そして彼らを否定し尽くす男・黒崎堕美泥(ダビデ)
そんな奇人たちに囲まれて「平凡であること」にコンプレックスを持っている松下、さらに普通の少女・高橋さん。彼らが巻き起こす妄想ダメ人間のパワフルなドタバタギャグ。これは燃える(「萌える」ではなく)。必読。

……なんか5月下旬は個人的に波乱のマンガ読書体験であった。マガジンの「代表人」終了で落ち込み、「全日本妹選手権!!」のやおい(というよりオタク排除自虐ネタ)で落ち込み、最後は本作「妄想戦士ヤマモト」で盛り上がるというのは我ながらお里が知れるとは思うが(笑)、少なくとも自分の中では深い納得がある。
「妹選手権」のオタクネタに、けっきょく私はあまり好意的ではない。これは男オタクの妄想を女の子たちに語らせてしまったチグハグ感から起こる感覚だと思う。どうしても決定的な何かが不足してしまうのだ。

それこそが「燃え(「萌え」ではない)」だ!!
まあ本書や「猛爆おたく先生」(まだ2巻読んでない)から多くの読者が受ける印象は、「まあこれはあくまでギャグでやってるんだから、あんまり深入りするのもどうもねェ」という感覚だと思う。私もそう思う。
しかし、あんまりのめり込むのもおかしいと同時に、あんまり突き放すのもそれはそれで矛盾ではないか。だいたいそれほど対象となる作品を冷静に分析できるのなら、それはもはや「鑑賞する、味わう」とは違う楽しみだろう。そもそも興味がなければ分析する気も起きないはずだから、仕事だの研究だの義務だのでないかぎり「完全に突き放して対象を見る」というのはそれ自体自己矛盾だと思う。

で、キモはどこにあるかというと、やっぱり「その対象物の何が、どこが好きか」ということを常に己に問うていくということだろう。それは自分を問うことでもある。
そういう意味では、本作のキャラクターたちは(主人公のヤマモト以外は)「おれはこれが好きだ!!」と宣言する前に、かなりの葛藤や煩悶を経てきていることが察せられる。そこがイイんだよな。
本作では、妄想戦士がお互いの妄想をぶつけ合う前後編の「熱闘! 妄想甲子園」も傑作だが、やはり普通人が奇人・黒崎堕美泥となったきっかけをぶっ描いた「愛と悲しみの堕美泥」や、愛するブルマーが日本からほぼ絶滅してしまったことを悲しむブルマーフェチの男を描いた「濃紺の旗の下で」なども傑作。

前者は「スパイダーマン誕生編」を思わせる黒崎堕美泥誕生編であり、後者は奇人が奇人としてしか生きられない哀しみを描いているとすら、思う。山田正紀の短編小説で、江戸時代初期に「キムチ」を広めようとして、だれの理解も得られず孤独に旅立っていく侍の話「辛うござる」というのがあるが、それを思わせる。

そりゃ、実際のオタクをおかしいとか気持ち悪いとか思う人は多いと思うし、十把一絡げにするのもいろいろ問題あるのだが、やっぱり最初は「ダメ」と言われてたものをやった人がいるから、今の文化状況があるってのはけっこうあるからね(あ、犯罪とかはダメよ)。

むしろ、現在「ありゃダメだ」というシチュエーションのものを考えてみるといい。
それが次代を担う日が来るかもしれない。
もちろん、来ないかもしれないが。
(02.0531)



・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 4月増刊号(2002、蒼竜社)

基本的にパチスロの情報収集のために本誌を読んでいるわけではないので、どうしてもいつの間にか買った後、時間が経ってしまったりする。
しかしここ数カ月の「ヤマアラシ」宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎は、熱い。
この号では洋服店に勤めるスロット仲間の中島(女性)が、自分の人生にふんぎりをつける。本作は基本的に、二十代後半くらいで後の人生を決めかねている人の葛藤がよく出てくるが、コレが実に心にひびく。
私はもうちょっとトシとってますが、この「仲間が人生を決めていく」とか「違う道を歩んでいく」ということに対する焦り、あるいは寂寥感は、非常に共感するものがある。いや、私自身がフリーの仕事しているわけじゃないんだけどね、どんな立場の人間でも多かれ少なかれ感じていることじゃないだろうか。そこを、本作はズバッと描いてくる。
でも、自虐とか落ち込むだけではない。残されていく者には迷いもあるけど矜持もある。それがカッコいい。人間の心境って1か0かじゃないもんね。
(02.0531)



・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 5月増刊号(2002、蒼竜社)

「ヤマアラシ」宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎は、新しいスロット仲間で市原という男が入ってくる。明るくて爽やかで、人見知りはしないし楽しくスロットを打っている。それにひきかえ、余裕のない自分に嫌悪感を覚える堀田。しかし市原の「境遇」が明らかになるにつれ、堀田の焦りは軽蔑に変わる。そして軽蔑してからも、またそんな自分に嫌悪感を覚える。
こういうことも、ことの大小はあれだれもが一度は感じることじゃないだろうか。この葛藤、すごくしみじみする。
(02.0531)



・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 6月増刊号(2002、蒼竜社)

「ヤマアラシ」宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎は、堀田のライバル、飯塚の様子がおかしい。どうやら堀田の知らない店で打っているらしい。後を付けてみると「真相」があきらかになる。前回の市原に似た感情、飯塚に対する少しの失望と同時に、また焦りと自分への嫌悪感が襲ってくる堀田。そのもやもやした苛立ちを、スロットを通して飯塚にぶつけてしまう。そしてまた自己嫌悪におちいる。
……この感じ、プライドと自己嫌悪がコインの裏表になっているような感じ。でも決して自暴自棄にはならない堀田の心情が伝わってくる。真にハードボイルド的とも言える。スロットの腕があることはもちろんだが、ここで激しく絶望したりしないことが、彼が主人公であることの理由のひとつかも。もっとも、いちいちささいなことで落ち込んでいたら、スロプロってのはできる商売ではないとは思うが……。
(02.0531)



・「牛娘の恋」 あうら聖児(2002、茜新社) [amazon]

成年コミック。とある村に住んでいる牛嶋乳子は、村人の性欲処理係のメス牛として育てられた美少女。とうぜん、すごい巨乳。牛柄のボディコンみたいな服を着てる。しかしその巨乳の理由は「牛と一緒に育てられ、搾りたての牛乳を飲んできたから」というきわめてアイマイなもの。
「性欲処理係」とは言っても、なんちゅーか拉致監禁調教みたいな感じではなく、村全体が閉じた世界であったときにはそれなりにうまい関係ができていたっぽい。乳子は、ふだんは家畜の牛の世話をしている。
そんな彼女が、ある日診療所に新しくやってきた医者、源ノ助にひとめぼれしてしまう……。困った村人たち、とくに乳子の養父はあくどい陰謀を考える。どうなる。

ああー。巨乳マンガ家のあうら聖児なので、収録されている他2本も巨乳の女の子が出てきます。基本的に陵辱モノの場合が多いけど、ヤられちゃう女の子の「まんざらでもない度数」が高いので、読んでてすごい罪悪感にさいなまれるとか、そういうことはありません。
それとこの人の描く女の子って、乳はスゴイけど顔はほそおもて。
あと教師とかすごい恥ずかしがり屋とか、シスターとか、なんかそういうのが多い。軽いタブーの侵犯。
ラストは、ハッピーエンドだったりギャグっぽかったりする。

人生に疲れたとき、私は読むよ、こういうのを。
(02.0531)



・「エイケン」(5) 松山せいじ(2002、秋田書店) [bk1] [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。「エイケン部」という女の子ばかりの謎のクラブに入った伝助が、ドタバタに巻き込まれたりなんとなくメンバーの女の子一人ひとりに微妙にホレられたりするマンガ。でも伝助の本命は美少女・東雲さんただ一人。

何回読んでも変なマンガ。表現のみが、「絵」のみがひたすらにヘンで(「絵柄」という意味ではなく、「見せ方」というか……)、ラブコメとしてはわりと王道。
顧問の女教師のお見合い壊しのエピソードにはのけぞった。まだこんなことやってんのか! という感じで。しかもプロットにぜんぜん新味なし。
バレンタインのときは、さすがに学校でチョコを渡すの渡さないの、というのがありきたりだと思ったかエイケン部一同がなぜか温泉へ。ま、やることはけっきょくチョコを渡すの渡さないのということなんだけどね。

個人的にはここんとこ台頭してきた東雲さんの妹・百合子と、関西弁少女・美八留はあんまりいらない。だってフツーのキャラじゃん。何の特殊能力も持ってないもんな。

・「エイケン」(3)〜(4)の感想

(02.0531)



・「出世する酒しない酒 ザ・飲みニュケーション」 聖 日出夫(1993、メディアファクトリー)

えー、まえがきには「酒は仕事の上でとてもたいせつ。だから『飲みニュケーション』として、さまざまな職種の人(大半がサラリーマン)の酒の飲み方を取材し、聖日出夫がマンガ化。コラムとして酒場のプロから聞いた話を盛り込んである(大意)」と書いてある。
読む前の印象としては、一種のハウツー本で「こういうときにこういう飲み方をしろ!」みたいのが書いてある気楽な本だと思ってた。

また桜が見られると思ってた。

……ハッ、「コメットさん☆」にトリップしちまったよ!! 違ってた。私の印象は大きく裏切られた。
本書を読んだ結論:「デキるやつがいい酒を飲むので、いい酒が飲めるからデキるやつではない」

当たり前のことである。だが、当たり前のことを読まされるのは苦痛だった。
本書はだいたい三十代の情報通信会社営業マン、広告代理店営業マン、百貨店宣伝マン、商社営業マン、都市銀行営業マンなど10人から入社してからの「酒との関わり」みたいなものを取材し、マンガにしている。
とにかく(私から見れば)みんな恐ろしいほどのモーレツ社員だ。「宅訪」といって、取引先担当者の自宅を探しては日曜日ごとに訪問する営業マン、結婚式の司会、組合の会合、クリスマスパーティの幹事まで何でもこなし、夜は青山、六本木、ベイエリアと飛び回るお祭り男、骨折したレスラーが運ばれる救急車に飛び乗って記事にしては「写真がない」と文句を言われ、選手の秘密を握り、彼をおもんばかって記事にしないことを酒の席で上司から非難されるスポーツ記者等々……。

もちろん、無能なヤツに取材したって意味はないが、有能な人間の酒の飲み方を取材すればするほど、けっきょくは「有能無能は酒とはカンケイない」ということが強調されてしまう。
もちろん、サラリーマンだから内に閉じこもっていていいわけはなく、いい人間関係を築くために酒の席で気合いを入れるのである。100パーセント。

……なんだか一生懸命本書の解説しちまった。 10人中6人が学生時代はスポーツのクラブで過ごしているから、私の偏見では本書には「体育会系的酒の飲み方=正義」という結論がどのエピソードにも通底していると思う。とくに下戸のことなんかは、ほとんど書いてない。世界を陰で支配しているのはユダヤ人でも地底人でもなく、誤解を恐れずに言えば体育会系の人々だと思う。彼らの人間関係はどこでも濃密だし、学閥という意味だけでなくとも体育会同士で通じるものがあるらしいし(もし体育会系の人でこれを読んでいて不愉快な人がいたらスイマセン。単なる外野の嫉妬だと思っとってください)。

そして、酒席に体育会系お祭り男がいたりすると、彼自身が場の雰囲気すべてを支配する。まさに空間プロデューサーである。

ま、そんなことくらいしか書いてなかった。間にいくつかはさまったコラムもなんかキザ。イカしたバーのバーテンかなんかにインタビューしてるんだけどね。「出世する人は、お酒もキレイです」なんて、知るかっつーの。おまえが出世しろ。バーの出世ってどんなんだ? バーのビルでも建ててみやがれ。通称「酒ビル」。
「さけびる」じゃなくて「しゅびる」って読むのな。
国会でそう決まったから。バカボンのパパが決めたのだ!!

……とにかく、自分がいかにダメ人間か思い知らされる。「プロジェクトX」見て感動している場合じゃない。「プロジェクトX」に出られるような仕事をしている人のほとんどが、当たり前のように本書のような酒席を経験しているかと思うと、自分はまったくダメ人間だと思い知らされる。悪かったな。悪かったな、世界!!

あ、それと、こういうこと書くとすぐヤイヤイ言ってくる人がいますが、マンガのすごく好きな人なら許すが、マンガに興味ない人はココを見ないでください。イヤなら見なけりゃいいっつーの。
あ、でも新卒のサラリーマンや、これから就職活動しようっていう学生はこれ読んで間違いなくダークになると思う。それは確実だと思うわ。もう売ってないけどな、たぶん。
(02.0530)



・「海にはばたけ」 石井いさみ(1979、日本海事広報協会)

ガン吉は静岡県F港に住む漁師の息子。父は小さい頃事故で亡くなってしまったが、たくましい母親に育てられている。本名は真吉だが、ガンコなので「ガンコのガン吉」とあだ名がついた。彼は、海が大好きな元気な少年だ。

この頃の石井いさみの絵は、系統的には矢口高雄に近い。そして上手い。だから漁師町や、そこで働く人々、海岸や岩場などを描くのが達者だ。
本書が刊行された79年……まだ60年代、70年代テイスト、すなわちちょっと前なら白土三平、貝塚ひろし、あるいは望月あきら、梅本さちお……、まああげたのはランダムだが、とにかく土や泥、緑の匂いが漂ってくるような作風・画風の作品もまだなくなっていなかった時代である(「俺たちの好日」みたいな絵柄を想像してもらえればいい)。

ところがそれは石井いさみ。元気な海の子であるガン吉も、40ページをすぎたあたりで(ちなみに彼は中学生)「ははは いいですね退学も」と言ったり、100ページをすぎたあたりでは「くだらんことに時間をさくのは ははは きらいです!!」と「750ライダー」で多用された「です、ます」調になってしまうのだ。
カラッとした性格の幼なじみの道子には片想いされ、東京から病気療養のために別荘にやってきたなぎさちゃんには恋をする。
なぎさは、死んだ父のプレゼントのコンパクトを「幻ヶ淵」へ落としてしまったという。そこは町の大人たちさえ「絶対に入ってはいけない」と言われたところだったが、ガン吉はなぎさのため、ガンコに幻ヶ淵へ潜ると言ってきかない……。

……というわけで、場所は海辺の漁師町でも、内容は見事に750ライダーしてしまうのだった。もう東京のいいとこ育ちの「なぎさちゃん」のたたずまいが、「750ライダー」のスタティックな部分を引き寄せてきている。

あとがきで初めて知ったけど、石井いさみって東京生まれで東京育ちなんだってね。聞けば確かに、まあ東京モンのリリシズム、って感じはするなあ。なんとなく。
それにしても昔は貧乏人の少年とお金持ち、あるいは中流家庭の女の子とのカップルというのは少年マンガで頻繁に出てきたが。ユーミンの「ダウンタウンボーイ」って歌もありましたな。彼らはうまくいったんだろうかね。

テレビCMで、「ド根性ガエル」のひろしがサラリーマン姿でOL姿の京子ちゃんと踊ってたが、あれはありえないだろう、連載当時のひろしん家の貧乏さかげんと学力じゃあ? マンガ版では、ゴリライモはちゃんと魚屋を継いだことになっていたが、ひろしの将来については子供心に心配したもんだった。

話がそれましたな。しかもダークな方向に。本作は、おそらく日本海事広報協会の広報誌かなんかに連載していたものじゃないかと思う。青春ですネ。風になって海へ行こう。
(02.0530)



・「本命は俺じゃない」 北鏡太、とんぼはうす(2000、WALK&白夜書房)

四国在住の競輪マニアの青年が、かつて好きだった女性のストーカー疑惑をかけられる。彼は競輪好きの刑事とともに、自分のアリバイを証明するために四国の競輪場を見て回っては風呂に浸かったりうまいものを食ったりするという「ナントカワイド劇場」風ミステリー仕立ての劇画。

原作の北鏡太は「ゴルゴ13」、「サバイバル」などを手がけた人だそうで、オビにある「犯人が仕掛けた巧妙なトリック、その綻びはラインの裏側にあった。」という惹句にも期待させるものがあったが、実際競輪と事件はたいして関係がない。
巻末に奥田渓竜が競輪観戦入門マンガを描いていたり、その他競輪用語解説やエッセイなども載っている、一種の競輪PRマンガ。値段が付いてないけど、どこでどうやって流通してたのかは不明。私は古本で購入。
(02.0529)

その後、「なの」さんから掲示板にて、本書は「競輪の一般化をはかる為の企画で、香川県の『書店』『うどん屋』等で無料配布されていた」と教えていただきました。ありがとうございました。
(02.0601)



・「奴隷っ娘」 北原武志(2000、東京三世社) [amazon]

成年コミック。これは恐い。恐すぎる。まあ今までこの人の作風くらいは聞いていたんだけど、話を聞いただけでコレは恐いと思った。読んだらやっぱりスゴク恐かった。

短編集で、基本的にはロリ系の女の子が想像を絶するイジメや虐待に遭う(これが本当に想像を絶する。その部分が作品のアイディアのキモになっているといっていい)。だけど一時期のもりしげとかと違って、猟奇的な感じはしなくて、もっと根源的な恐怖がある。つかまってサルにつがわされて、そのサルが想像を絶する悪臭で何カ月もそのサルとつがってると20年は匂いがとれないとか、つかまって蟲の卵をうえつけられるとか、つかまって唾液フェチの女二人に何カ月も調教されるとか……。
で、ほとんどの作品に唐突にとってつけたような救いがもたらされて、終わる。
この「とってつけた救い」が必然的なものなのか、何らかの要請か、作者の気分か、これ1冊読んだだけではわからない。しかし読んでヒいた。ヒキまくった。この人の作品を今後読み続けられる自信は、とてもない。いや、何か倫理とか道徳とかを持ち出してきて嫌悪感を表明しているわけじゃない。この人の作品にはサムシングがある。それはわかる。ただ、私の心のかなり急所を付いてくる恐さがある。

その理由としてひとつ言えるのは、この人のマンガって陵辱モノが多いけど陵辱自体を目的としていないと思う。しかしいわゆる羞恥ものとかともどこか違う。何というか、セックスによる精神と肉体の溶解。人間←→動物、とか人間←→昆虫とか。人間を他人とくっつけ、溶解させる唾液とか粘液とか。さらに必ずしもセックスそのものには直結しないいやがらせとか(めがね少女が、股間にめがねの入れ墨を入れられたりする)。
しかし、そうした「人間と他者、動物、モノとの結合」を描く作品は他にまったくないわけではない。もう少し開放的な作家だったら「他との融合」を開放的に描くだろう。吾妻ひでおとか。だが少なくとも、本作においてはそれらは徹底的な悪夢でしかない。
その後唐突に訪れる「救い」(監禁していたところを助け出されるなど)によって、「他との融合」などは一時期的な、あるいは閉鎖系の中でのできごとにすぎないと再認識させられる。だからある少女は融合からひきはがされて慣れない「個人個人の世界」でまた生きていかなければならなくなるし、またある少女は解放されてからも自分がある種の「融合」から解き放たれていないことを知る。
そういう意味では「とってつけた結末」は、「監禁調教」という非常時と救出後の平常時を並列して描くと言う意味で、実はまったく無意味というわけではないのだ。

それにしても恐すぎる。なまじのホラーの1億倍は恐い。夢に出そう。
(02.0529)



・「TISSUES TIME ティッシュ・タイム」 おかもとふじお(1997、久保書店)

B5判、成年コミック。この人の描く女の人はムチムチしていてなかなか好きで、やたらと腰骨のあたりでひっかけるヒモパン(なんか「PLAYBOY」でパツキンのチャンネーがはいているようなやつ)が出てくるのも特徴。

そして最大の特徴は、女の子たちが読者側に向かって挑発ポーズをとることがメインとなっていることだ。性交のポーズではない。あくまで挑発のポーズ。
このため、内容はセックスよりも、男の子が女の子の身体を見てオナニーし、精液をぶっかけまくるというものが多い。挑発ポーズが描きたいのか、それともぶっかけシーンが描きたいのか……おそらく両方だろう。
ストーリーはあってないようなもの。あと、確かこの人ラムちゃんのHなファンサイトやってる。むかし、この人のラムちゃんの同人誌買った。
(02.0528)



・「ウォーB組」マガジン・ウォー!6月号増刊(2002、マガジンマガジン)

エッチ寄りグラビア&情報雑誌。次回は6月7日発売。

毎号読んでる「ぼくとメス犬」野田ゆうじ、今回落ちてた。知らないで買っちゃったんだよな……。

まあ熊田曜子の巻頭グラビアがよかったので、許すか。マジで、「ウォー!」ってグラビアがすごくキレイ。それと、知名度はイマイチでもかわいい子をちゃんと載せてる。(好みにも寄るだろうが)モデルの将来が心配になってしまう企画モノとかも少ないし。「ペントハウス」とか、700円近くするじゃん?(だれに話しかけてんだ?)それに比べるとリーズナブル。
まあ「リーズナブル」とか言ってる年齢じゃないんだけどね私は。

「ドピュッ!」海生那智は、中村愛美とかいう実在の女優が、過去にブルセラショップでパンツを売っていたという、現実のスキャンダルを素材にしていたHマンガの後編。こんな小さなネタでよく引っ張るなァ、と思った。
(02.0525)



・「マガジン・ウォー」2月号(2002、マガジンマガジン)

地元の古本屋をブラブラして購入。巻頭グラビアが小倉優子。「ロリロリ120パーセント増量中!」というキャッチフレーズがなんとも。小倉優子のグラビアの惹句はちょっと集めてみたい誘惑にかられる。
実は姉妹誌(?)のB組はよく読んでるんだけど、本誌の方はちゃんと読んだことがなかった。で、読んだらけっこうオモシロかった。

「うっかり兄妹」櫻見弘樹は、読みきり。クソマジメな兄とプータローの妹。「マジメになれ!」と兄は説教するが妹は耳を貸さず、なんだか知らないがイキナリ近親相姦してしまう。兄がカタブツ、っていうのがタブー感をよく出してる。それにひきかえ「そういうことあんまり気にしなさそう」な妹との対比。設定上、年齢もけっこう離れてるんじゃないか。あんまり近いとヒくから。私が。
この人の描く女の子はなかなかエロい。

「風俗魂の伝道師 イカされ屋」ベン野獣三は、第9回目らしい。サブタイトルが「仁義なき風俗 完結編」。風俗店同士の抗争をパロディチックに描いた作品。
途中から読んだんでよくわからないんだけど(第一、「イカされ屋」っていうのが本作を読んだだけではなんだかよくわからん)、広島から進出してきた風俗店の店長っていうのが「仁義なき戦い 広島死闘編」の千葉真一。木刀でそこらあたりを蹴散らして回るヤツね。
実は一昨日、私は映画館で「広島死闘編」を見たんで、シンクロにシティだねこりゃ!(どうでもいい)性闘技マンガかは不明だが、そうカテゴライズするにはちょっとパロディっぽいような気はする。

「黒い乳首のブルース」杉作J太郎は、第22回目らしい。マンガ&文章というこの人らしい形式。とにかくこの人の描くことのいい意味でのどうでもよさは本当にスゴイ。今回は「2002年乳首大予想」と題し、「乳首を染めるのが流行」、「乳首にタトゥをするのが流行」、「乳首をとりはずしてラジコンで動かすのが流行」と、流行るわけないことを絵で描いてた。しかもラジコン乳首を動かしてる女の子の髪型が綾波レイだった。
本当にすごすぎる話だ。もしかしてずっとこの調子で22回書いてるのか。……本当にすごい!(ため息)
リリー・フランキーの、「面白いけど、女にモテることに最終的には重点を置いている」コラムに対抗できるのは杉作さんしかいないと思いました。

それにひきかえ、文章のみのコラム、「人でなし稼業 乃木坂血風録」福田和也は、何なんですか? とりあえず前半はイイよ。「こんな時代だけど、こういう時代こそ若者が出てこれるチャンス。元気出せ!」みたいな感じでね。

しかしさあ、後半の文章、これ何? 話題がフーリガンに移って、そういう暴動的な暴力の話になるんだけど、「このごろは、WTOとか、サミットとかやると、必ず反グローバルの団体がでてきて、街をぶっこわしたりするけど、日本の若い奴は、それもやらねぇな。マクドナルドとか、スターバックスとかを襲ってぶっ壊すのが、一応見識のある先進国のたしなみってことになってると思うんだけどね。(中略)まあ、そうはいっても、次第に世の中はあれてくるからね。どんどん店もぶっこわされたりするんだろうな。でも、そういうことがあると、みんな元気になっていくと思うよ。  要するに、生きている緊張感がないから、生きている喜びもないんだよ。(後略)」
この人、漫才師とかじゃないよね? 思想家……かなんか? 確か親父さんが偉い学者だってのは知ってます。で、やくみつるじゃあるまいし、こんないいかげんなこと言っていいの?
最近ずっと疑問に思っていることがあるんだけど、こういうとこにコラム書く人ってのは、まあはみ出し者が多い。はみ出した人ってのは、自分の才覚や要領ひとつでやってきた人が多いから、多少世の中が乱れてもやっていけるという自信がある。だからこういうことが書けるんだよね。
こんなの、普通の人には通用しないでしょ。やっぱり、法とか道徳とか、善意とか、そして少しのずるさ、悔しいけどそういうのにすがって生きて行くしかないのが一般庶民なんだよ。最近の私はそういう主張。

で、一見こういった「暴力肯定」みたいのは、パンキッシュに感じられる。しかし、この人、冒頭で「痛みをともなう小泉の改革なんておかしい。『痛みを伴う』って言われて我慢している国民なんて、アメリカ人なんかバカじゃないかって言ってる」(大意)とか言ってる。
でも、この人の肯定する「暴力により日本が元気になる」っていう考え方も、けっきょくは痛みが伴うわけでしょ。実際に街がブッ壊されたりすんだから。

物事が閉塞しているときに、どんな提案をしてもたいていは痛みが伴うもの。要は、「どういう痛みにどういうふうに耐えなければならないか」が問題なのであって、多少不良っぽく「暴力によって生きる緊張感を云々」って言ったって、そっちの方が一般庶民としては断然痛みが多いに決まってんじゃんねえ。スターバックスだって、働いてるのは同じ一般庶民だろ。
そんなメチャクチャな世の中を、才覚や要領のよさで渡っていけ、というなら小泉の言ってることと変わりませんよ。そういうことは、海千山千でやってきた近所のおじさんに聞かされるとイイ話なんだけど、この人、やっぱり東大とか出てるんでしょ? そんなやつに言われるスジアイ、ないよ。(←私の東大&学歴コンプレックス(笑))

話は戻って、この人「フーリガン礼賛」もしてるんだけど。私、フーリガンってよくわかんないんだけど、テレビで見てて「ただ暴れてる人」という意味にとっていいのなら、そんなのいない方がいいに決まってんじゃん。
いや、遠巻きに見て面白いかもしれないよ。あるいは本人が暴れて楽しいかもしれない。そういう暗黒的な欲望は、人間にはあるから。それは否定しない。
でも「思想家」っぽい人がそういうこと言っていいのかな? いつだったか、確か椎名誠が「最近は路上でケンカする若者がいなくなった」みたいなことを言って嘆いていたけど、肉体的な「ケンカ」とか「暴力」のあるなしをそのままその国の生命力とか活力に還元するという考え方は、私はあまり好きではない。
関係ないだろそれ? 別モノだろ? 別に。
国の軍事力と、それ以外の文化とは別であるのと同じように。戦争に強い国の文化が絶対的に正しいとは言えないのと同じように。

だいたい、フーリガンも含めた「暴動」って単なるガス抜きでしょ。暴動が終わった後も、本質は何も変わらない。そこで暴れられた人が後かたづけを強いられるだけ。
日本とか先進国はまだいいかもしれんけど、貧しい国のフーリガンとか、ぜったい目をそらされてると思うよ。その場しのぎでストレス解消してるだけで。まあ「そうでもしないとやっていられん」っていう気持ちがあるのかもしれないけど。
それを、少なくとも飢え死にすることはない国の人間がやることはないだろうよ(そういう意味では、電気グルーヴの「ニセモノフーリガン」という曲は実にガンチクがある。「ニセモノ」と付けるところに奥ゆかしさを感じる)。

私、フランスのワールドカップのときに、日本人でフーリガンが出てきたらやだなあ、と思ってた。なんでかっていうと、恥ずかしいから。「外国ではこういう応援の仕方だからこうしよう」っつってマネして、まあそこまではいいけど、「外国ではフーリガンっつうのがあるから」ってマネして、機動隊にブン殴られて脳漿でもはみ出させたら、それこそバカの骨頂じゃん。
だいたい、「アメリカではこう」、「ヨーロッパではこう」って言い過ぎなんだよ。
政治や経済は大いに参考にすべきなのかもしれんが、サッカーの見方までどうこう言われるスジアイないよ。その前に「赤き血のイレブン」と「コスモスストライカー」読めよ。

コミケに行って、「こんなにたくさん人がいて暴動ひとつ起こらない。日本人はバカだ」って言ったらそれこそバカでしょ。いやこの福田って人は、このコラムにおいてはそんなこと言ってないけどさ。

以前勤めていた会社で、私がけっこう尊敬している先輩がいた。仕事もできたし、女にももてたし、気配りもすごかった。でも、飲みに行ったときに路上の自動販売機を思いっきり蹴っ飛ばしてたんだよね。もう本気でぶっ壊れるくらいに。
で、酔っぱらうとよくそういうことやるらしい。で、なぜかすごく誇らしげだった。その瞬間だけ暴力に目覚めてるっていうか……。以前にも何度も酔ってなんか壊したりしてたらしいし。

でもそれが何かにつながるか? っていうと、別に何にもつながんない。ただストレス解消しただけ。
何が言いたいかっていうと、暴力性の解放、について実は私は全否定しているわけじゃないんだけど、それを肯定することがカッコいいかのような物言いは、なんかいやだなあと思うってこと。60年代じゃあるまいし、まだそういうこと言ってんのか、って感じで。
「暴力性が解放される」そのこと自体はもしかしたら善でも悪でもないのかもしれないのであって、その辺りは「デビルマン」とか「バイオレンス・ジャック」とか「北斗の拳」とかを読めばわかることじゃん!
「暴力性が解放される」、「暴動が起こる」ことの快楽と痛みをきっちり描いてるよ。こういうのはコラムなんかでちょこちょこ言われるより、物語にどっぷり浸かってきっちりシミュレーションした方がいいんだよ。

それと、このコラム「人でなし……」、前半と後半で話題が微妙に分かれてしまっているから、コラムとしてもあんまりよくないと思った。読み返してみるといちおう一貫してるんだけど、フーリガンの話題で転換したように見えるから。

あとこれ口述筆記くさいよなあ。週プレの、松山千春の人生相談みたい。それでいいの?

さらに追加すると、もしかしてこのヒトが他にすごくいいことを言ってるかもしれないのでそのときはホメるかもしれない(笑)(←一般庶民的フォロー。「はれときどきぶた」の、一般庶民の歌を歌いながら)
(02.0525)



・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」7月号ふろく、小学館)

少女マンガ雑誌「ちゃお」の別冊ふろく。どこかの古本屋のワゴンで、50円くらいで売っていたのを1冊ゲットして以来、ある程度の号数を読みたくなってヤフーオークションで入札してまとめて購入した。
その頃まだ入札の方法がわからず、スナイプがメンドクサイので「こんな額で買うやつぁいねえだろう」というほどの高額で入札してほっておいたら、「こんな額」のギリギリまで入札してきたヤツがいて、値段がギリギリまではね上がってしまった(そこまでの値段設定をしたのは私なんだが)。
全部で7冊購入したため、おそらく市場価格の10倍以上の値段で落札したことになるのではないか。そんなホロニガネットライフ。

この号はうえだ未知が描いてる。
後は、

「恋人▼(←ハートマークの代用)したいっ!」生島ゆう。吉原くんとケンカばかりしている素世子は、なかなか素直になれない。そんなとき、吉原の親友の安田が素世子を好きだと言い出して……。
まあ典型的な話。無骨でケンカっぱやい応援団風外観の安田クンがフラれてカワイソウ。

「ぼくのヰタ・セクスアリス」沢田杜井。キスしたい、初体験したい、エロ盛りの中学生・知(さとる)が彼女とキスするためにあれやこれやと知恵を巡らす。
今や「赤ちゃんのつくり方を知らない女子高生」が登場するほどファンタジー路線&児童向けといった印象の「ちゃお」だが、本作では知(さとる)がオナニーの準備(笑)をしているシーンや、それをアネキに見とがめられるシーンなどが入っている。 ネタバレだが衝撃的なのはラストで、あまりにエロ妄想が先走ったために彼女にフラれておしまい。いろんな意味で驚いた。

「空色の翼」岸かおり。最年少のオリンピック候補と言われた陸上部の少年・恭本は、陸上の名門校へ転校していったがアキレス腱を切ってしまったためにまたちをりのいる高校へ戻ってきた。
もう昔のようには走れないのに、まだ陸上を続けるという恭本。彼は一種のエリートから転落したことに対する周囲の驚き、嘆き、さげすみをいっさい気にしない。しかしちをりにはいたいたしくて見ていられない……。
コマ割りとかかなり見づらいんだけど、往年の少女マンガの方法論(「おとめちっく」とかか?)を継承しててある意味懐かしい。昔の大塚英志が好きそうな作品だな、と思った。
ラストもうちょっとわかりやすければ、かなり感動できたんじゃないかと思う。
(02.0524)



・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」6月号ふろく、小学館)

少女マンガ雑誌「ちゃお」の別冊ふろく。現在の「ちゃお」と比べると読者の年齢層はかなり高いことがわかる。
この号もうえだ未知が描いてる。
後は、

「月夜見の娘」穂実あゆこ。暗い中でも夜目がきく香名子は、小学生時代強盗に襲われる。命には別状なかったが、両親にとって大事な何かが盗まれる。その三日後、両親は交通事故で死んでしまう。 香名子が祖父に預けられて六年後、刑事なども動きだし、彼女の両親の死の謎が解かれはじめる……。
いちおうサスペンス調なんだけど、香名子の「夜目がきく」という設定があまり活かされていないな、と思った。

「OPERA−GLASSパラドックス」稲田ひろみ。これぞ、おそらくSFをまったく知らない&興味ない人が描いたSFマンガだと思う。
小林真奈は、珍発明家を祖父に持つ水橋くんのことが好き。ある日、水橋くんのおじいさんの発明した「未来が見えるオペラグラス」を偶然覗いてしまう。そこには、向かいの家の窓から転落する水橋くんが見えた。オペラグラスが映す未来は1週間後。
なんとかして事故を防ごうと、真奈は奮闘するのだが……。

冒頭、イキナリ「物質転送装置の故障から生まれた水橋くんのコピー」という人々が4人も登場して驚かせるが、伏線かと思ったらそうでもないんだよなコレが。
作者が「何にも知らなそう」だから腹が立つとかそういうんじゃなくて、何にも知らない人がそれらしいものを描けるまでSFが浸透したってことじゃないですかねえ。などとありきたりなことを書いてみる。

まあ「水橋くんが向かいの家から落下するとはどういうことか?」の結末があまりにもありきたりすぎるところは、ちょっと難かな。
(02.0524)



・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」7月号ふろく、小学館)

少女マンガ雑誌「ちゃお」の別冊ふろく。この号もうえだ未知が描いてる。
後は、

「御乱心(おみだれごころ)」野坂由紀子は、80ページの読みきり。
義臣(よしおみ)たち悪友仲間は、永島が柏木理佳子とつきあい始めたと聞いて嫉妬の炎を燃やす。とくに義臣は理佳子のことが好きだったのでよけいに。彼らは、永島に「自分たちの見ている前で理佳子にキスしたら1万円やる」とけしかける。結果は惨敗、永島は理佳子にひっぱたかれる。
けしかけた方も勝手で、理佳子の容赦ない振りっぷりに怒りを覚えた義臣は、彼女に仕返しをしてやろうと思いつく。そして、「理佳子を誘ってその気にさせておいてからこっぴどくふる」という作戦をけしかけられ、実行してしまう……。

このマンガ、通常パターンとはちょっと違うけれどもわかりにくさをうまく回避している。まず理佳子は「男をとっかえひっかえしている」というウワサを立てられ、さらにトロいところがあるという矛盾した存在だが、「一種の男好きのするトロさ」を周囲の女子たちから嫉妬されているという設定にはなかなかガンチクがある。しかもそこに嫌味がない。
やりすぎると「ママレードボーイ」みたいに、読者からも「なんだ、コイツただの思わせぶりな女じゃん!」とか思われてしまうからな。いや、「ママレードボーイ」、いろんな意味で好きなんですけどね。
第二に、義臣たちの「理佳子をその気にさせておいてふる」という作戦は、理佳子の本当の姿が明らかになってからのことなので非常に残酷に感じるが、永島(最初に理佳子にふられた男)がその話を聞いて怒って義臣をぶん殴るという、青春ドラマ的な展開があって読者の不満は解消される。……っていうか、こういう展開は私は好きだ。
後はちょっとご都合主義的なハッピーエンドで、どーとでもなれってやつですが。

「ぼくのヰタ・セクスアリス」沢田杜井、なんと第2弾。エロ盛りの中学生・知(さとる)が初体験をしようと奮闘努力する。
風呂屋の番台を頼まれた知(さとる)は、一も二もなく引き受けるが、女湯で倒れたおばあさんを介抱したお礼にその孫娘・麻衣子と付き合うことになる。
しかし麻衣子の色っぽい女子大生の姉に誘惑され、キスまでしてしまうのであった。
こういうチェリーボーイものって、男が書くとどんなにユーモアを交えてもどこかある種の悲惨さがつきまとって離れないんだけど、コレは他人事っぽくサラリと描いてあって、脳天気でいいね。
(02.0524)



・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」8月号ふろく、小学館)

少女マンガ雑誌「ちゃお」の別冊ふろく。この号もうえだ未知が描いてる。
後は、

「波の告白」穂実あゆこは、6月号ふろくにも描いていた人のサスペンス。産院で入れ替わってしまっていたことが3年前に発覚、本来の家庭に移ることになった真利と織江。しかしそう簡単にわりきれるはずもなく、2人はケンカばかりしていた。
ある日、両家が旅行に行った先の海で、織江が溺死体となって発見される。そのあたりの海岸を知りつくしていた彼女がなぜ死んだのか……。真利は調べ始めた。
前作同様、真相が単純すぎるのがどうにもこうにもだが、前よりは展開としてはメリハリがきいててよかったかも。
「月光地帯(ムーンライト・ゾーン)」宮畑牧子は、自殺した姉を殺したのは、姉の恋人の岩島だと思い込み、彼につきまとう久美。真相はどこにあるのか……。
これも、ネタがあまりに単純で逆に驚いた。
現在の「ちゃお」にも「なかよし」にもないような絵柄。いや古いっていうわけじゃないとは思うんだけどね。
「CITY HEART」本條日吉は、ムリに縁談を進められてキレた高原麻保が、家出先の見知らぬ街でやくざにつけねらわれたり、俳優の財布を盗んだと思われたりするドタバタサスペンスコメディ。
どーっちゅうことのない話ではあるが、「人気俳優」のモデルが渡辺徹なのが「昔」を感じる。随所に作者のファンらしいヘビメタのアーティスト名だか曲名だかが書いてあるのはご愛敬。
(02.0524)



・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」9月号ふろく、小学館)

少女マンガ雑誌「ちゃお」の別冊ふろく。うえだ未知本條日吉生島ゆう瑞原芽理一色みお
生島ゆうの絵柄と展開は懐かしすぎてのけぞってしまった。少女マンガにおいて、もうこういうのは見られないのだろうか。もっとも時代を反映する分野のひとつだからねえ。
一色みお、これはこれで時代を感じる作風。ギャグに属するのだろうが、ポップな感じというかトーンの貼り方とか図案化された感じが80年代。「プチ・アップルパイ」に載っててもおかしくないようなカンジ。
(02.0524)



・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」10月号ふろく、小学館)

少女マンガ雑誌「ちゃお」の別冊ふろく。巻頭にうえだ未知

「ハート・オブ・ゴールド」やまだ裕子は80ページ読みきり。祖母の死をきっかけに、父のいるサンフランシスコに留学してきた遠藤薫。彼女の目的は、5年前にこっちへ来た初恋の人・三村紀久を探すためだった。
しかし紀久はなかなか見つからない。カッコいいが薫をからかう日本人教師・ミックが、実は紀久ではないかと薫は疑い始めるのだが……!?

これ、途中までちょっと感動した。「ハート・オブ・ゴールド」ってのは薫の「初恋」のことなんだね。異国の地で、多少辛いことがあっても自分の初恋探しをあきらめない薫の気持ちが伝わってくる。
まあ最初からバレバレなんではっきり書いてしまうが、ミックが紀久だった。彼には彼で、薫を忘れたわけではなかったが名乗り出ることができない理由があったのだ。惜しいのは、紀久が自分のわだかまりをどう解消したかがきちんと描かれていないこと。
そこが描かれていればもっと傑作になったと思う。薫の生きざまというか立ち姿には、共感が持てる。

「ふたつめの幻想曲(ファンタジー)」野坂由紀子は40ページ読みきり。男の子にも間違えられかねないボーイッシュなかずみが、サッカー部の小早川先輩に恋をした。親友の今日子や、好きとは思ってないが友達である毅彦(サッカー部の補欠)に恋の相談をするかずみ。
実は毅彦はかずみのことが好きで、おとなしめで髪の長い今日子は小早川先輩の好みで2人は付き合いはじめて……という実にありきたりな話なのだが、持って行き方が実にうまい。「マイラブコミックス」(「ちゃお」7月号ふろく)にも「御乱心(おみだれごころ)」という作品を描いているが、格段にうまくなっている。

「かずみの兄」というのが冒頭出てきていて、車を乗り回しているが事故にあってしまう。それもよく事故ってるし、ちょっとしたケガ程度なのでそれは大きな事件ではない。かずみは、小早川のためにとふだん着たことのない女の子らしいスカートを買って、それを家で着ている最中に毅彦から兄の事故の報せを聞く。
兄のいる病院に毅彦とともに着替えを持っていく途中で、かずみはデート中の小早川&今日子に鉢合わせ。ショックを受ける。
ショックついでに、病院にいた兄にスカート姿を見られて爆笑される(←ここがきいている!)。ふられたショックとともに涙がポロポロ出てくるかずみ。このシーン、兄に悪気があったわけじゃなくて、しかもかずみ自身がふられたと感じていたからショックを受けたことになっている。なんというか人それぞれの感情のすれ違いというか。この前に戻れば、小早川と付き合うことになった今日子がかずみに抱いている罪悪感も少し描かれていて、まったくうまい。

病院に同行した毅彦になぐさめられ、今度はたやすく彼にときめいてしまうかずみが描かれるところがクライマックス。かずみの心変わりの早さと衝撃がいっぺんに描かれていて、ユーモラスできっちり恋愛マンガしているのが気持ちいい。実によくできている。

ちなみにこの作者は「痛快!! OL通り」(昔そういうドラマがあったのです)のマンガを描いていた人らしい。絵は少し江口寿史っぽいところが時代ですな。
(02.0524)



・「マイラブコミックス」(1986、「ちゃお」11月号ふろく、小学館)

少女マンガ雑誌「ちゃお」の別冊ふろく。巻頭にうえだ未知。うえだ未知大人気。

「星になった嘘」岸かおりは、「マイラブコミックス」(「ちゃお」5月号ふろく)「空色の翼」より時間的には前と思われる作品。「空色……」では、高校生の恭本がケガで競技記録の更新をあきらめなければならなくなってからの話。本作は、彼が中学で陸上の才能を認められた頃の話。松本美雪との初恋を描く。
展開としてはありきたりだが、本作があることでよけい前作での恭本の「漢(おとこ)」っぷりがきわだつことになった。この連作は少女マンガではあるが「漢(おとこ)」を描いたマンガだ。

「ぼくのヰタ・セクスアリス」沢田杜井は、連作第4弾。エロ盛りの中学生・知(さとる)は同級生と修学旅行で京都へ。ここでもまた彼のスケベ心から騒動が……。
実はなんでコレが続いているのかよくわからんのだけど、まあとりあえず読んじゃうマンガかな。今度は同級生の秋庭久美子が登場。勝ち気だが知(さとる)にはまんざらでもない感情を抱いている。
今回、初めて少女マンガらしいシーンというか、いいシーンがある。久美子が京都の繁華街で友人とはぐれてしまい、パニックになりかけたときに知(さとる)を見つけて、その安心感と同時に彼を好きだ、という気持ちを再確認する。ちゃんと伏線もあるのだ。あなどれないね。

「LUCKY!」左柄きょうこは、男性恐怖症で「男の子がみんな恐い大工さんに見える」(←いいのか?)という祐梨が主人公。男女共学の高校に転校せざるを得なくなり、悩むが隣の席に座っている桑折(こおり)は、男なのに女の子みたいな顔をしているので祐梨は恐怖感を感じない。しかし桑折の幼なじみの久乃に目を付けられて……という話。

「男が恐い」と学校のトイレにまでこもっていた祐梨の男性恐怖症が、途中でうやむやになってしまったのが残念。絵柄は今見ると懐かしいが、創作系同人誌サークルなどでたまにこういう人、いるなって感じ。

私が持っている「マイラブコミックス」はここまで。次号予告が載っているので、もう少し続いたらしい。
(02.0524)



・「YOUNG キュン!」4月号(2002、コスミックインターナショナル)

成年コミック雑誌。Hマンガにしては、長編の連載作品が多いところが特徴みたいな雑誌。ちょっとモロモロ忙しくて、買ってはいたんだけど積ん読になってました。すいません。

「めい探偵網笠栗須登場!」あろひろしは、先月で「桃色物件」が終了して後の読みきり。温泉で起きた殺人事件を解決するため、エッチをすればするほど推理力が増す網笠栗須(あがさ・くりす)が助手の小林くんとHしまくるというもの。まあ脳天気なのは悪くないし、あろひろしだから作風もあろひろし以外の何者でもないのだが、オチがひどすぎる(笑)。

「アブナイ課外授業」毛野楊太郎は、第4回目、「ギブ&テイク」(前編)。すでに完結編まで読んでしまっているので、感想はまとめて。それにしても、今回は今までのシリーズの番外編的内容? ずいぶん話があちこちに飛ぶなあ。久美先生たちを犯しまくっている生徒の一人、倉田を主人公にした作品。
……あと、毛野先生貧乳好きってホントですか?(どうでもいいか)

「チョコレート・メランコリー」島田晴海は、なんだか大団円で最終回。
「プリンセスハンターズ」IRIE YAMAZAKIは、敵国にとらえられたエルシャナ王女が3人のブタ顔の王子に犯されまくる話。この作者は前作もとらえられた王女様を調教する話だった。今回はくすぐり拷問と三角木馬。隔月連載らしい。
(02.0522)



・「YOUNG キュン!」5月号(2002、コスミックインターナショナル)

成年コミック雑誌。「他人にいえない花粉症」あろひろしは、読みきり。実は先月の推理ギャグが連載だったらどうしようとひそかに恐れていたら、違ってた。

「アブナイ課外授業」毛野楊太郎は、第5回目、「ギブ&テイク」(後編)。すでに完結編まで読んでしまっているので、感想はまとめて。
(02.0522)



・「YOUNG キュン!」6月号(2002、コスミックインターナショナル)

成年コミック雑誌。「アブナイ課外授業」毛野楊太郎は、第6回目、「ギブ&テイク」(完結編)
最初からあらすじを書くと、女教師・武内久美村崎あやめを犯し、調教し、奴隷とした生徒たちの一人・倉田は、夏期講習に通うために彼女らを犯すヒマがない。激しいセックスライフを送ってきたために欲求不満の反動はすさまじく悶々としていたが、ある日電車の中でチカンを撃退する。そんなつもりじゃなかったのだが、偶然そういうなりゆきになってしまったのだ。
しかし助けてもらったと思った女の子・小山内ひなに感謝され、同じ予備校に通っていることもありいつの間にか行動をともにするようになっていく。

女性に対して過剰な不信感を持っている倉田は、どんなに仲良くなってもひなに対する警戒心を解くことはなかったが、彼女に好意を持っている自分を否定することもできない。
ある日、悪いやつらにレイプされてしまったひなは、「いい思い出をつくりたいから抱いてくれ」と倉田に告白する。何がなんだかわからない倉田は、とりあえず自問自答しながらもホテルでひなとHする。しかしそこには悲惨な結末が待っていた……。

まあ普通、「同じ予備校に通ってる女の子」をチカンから救ったの救わないので仲良くなること自体、ありそうにないことだし、倉田自身も女性不信と打算と保身の権化のような男なのだが、そういう倉田がひなに、自分自身の気持ちを疑いながらもひかれていくさまに思わずひきこまれた。
小山内ひなのめがねっ娘、三つ編み、気弱、ダサめの外観などはギャルゲーっぽい。私はあまり熱心にギャルゲーやったことないんだけど。考えてみれば倉田とひなのデート(?)の積み重ねそのものがギャルゲーっぽい。

だが結末は思いっきり皮肉。皮肉っていうか、読んでてヒきました(笑)。なんかもう本当に救いがないというか……。前編、後編にひきこまれただけに、完結編はショッキングな内容。ちょっとこれではヴァイオレンスすぎてヌケない(まあこの辺りひとそれぞれだとは思うが)。

で、そんなラブコメ的、ギャルゲー的展開をみごと裏切るというか、もうホテルに入った瞬間からひなと倉田の心のズレはすごいものがあって、その辺の展開ははみごとだと思う。毛野作品を読んでいていつも思うんだけれど、ただ読者を裏切るだけじゃなくて、キャラクター描写とかお話の展開がうまいから、「血が通ってるんだけど、突き放した作品」になっている。

ただ、ラストのラストはやや唐突だと思った。もうちょっとひながあーなってこーなってというシーンを入れた方がよかったんじゃ……。いっそのこと、顔が変わるほど殴られたんで整形したら気持ちもふっきれて変わっちゃったとか。それでひな自身が倉田をボコにしてから変わっていくとかね。いや、ちょっと思いついただけの例なんですが……。

それにしても、あいかわらず迫力のあるHマンガを読ませてもらいました。

「プリンセスハンターズ」IRIE YAMAZAKIは、敵国にとらえられた王女が3人のブタ顔の王子に犯されまくる話。隔月連載、第4回。
今回は浣腸したままの連続フェラチオとかノーズプレイとか。いやあ、こういう作品は用語を覚えると説明がラクだ。覚えていいんだか悪いんだかって話だが。ちなみにウンコにも消しが入ってた。この雑誌、コンビニ売りだからな……。

「EHK ああ かるい農村」あろひろしは、読みきり。テレビの取材でレポーターがとある村を訪れる。村おこしのために、「青姦しやすい環境づくり」を行っているから……。
そこにあるのは、まさに青姦のテーマパーク(笑)。これは面白い。「桃色物件」終了後の作者の読みきりでいちばん面白かった。
(02.0522)



・「バキ」(12) 板垣恵介(2002、秋田書店)[bk1] [amazon]
・「バキ」(13) 板垣恵介(2002、秋田書店)[bk1] [amazon]

刊行ペースが早くて、先に13巻を買って家に帰ってから12巻を買ってないことに気づいた。

12巻は、オリバVSドイルオリバ柔道編(?)など。全編これ格闘で気持ちがいい。
13巻は、ドイルVS鎬昴昇および刃牙と梢江ちゃんがヤりそうになってヤらない話。いつだったか、ヤングチャンピオンで刃牙と梢江の初体験、描くんでしょ? 内容はどうあれ、ヤンチャンでわざわざやるっていうことは「そのシーン」をキチンと描こうという意志の表れだと思う。
13巻での刃牙と梢江が一緒に布団の中に入っているシーンでは、ネタバレだから書かないが最終的に大爆笑な展開になるのだが、「ヤンチャンでやる」という段取りがきっちりついてしまった後では、なんだかつまらなく感じる。
おそらく少年誌でセックス(行為そのもの)が描けないことと、梶原少年マンガ的な禁欲主義(私は個人的に、「カラテ地獄変」と「巨人の星」で本音とタテマエをみごとなまでに描き分けていてしれっとしていた梶原一騎はきらいではないが)に対するアンチテーゼだと思うんだけど、まあ実際に描かれたものを見るまで、お手並み拝見、ってコトにしときますよ。
(02.0522)



【映画】・「スパイダーマン」 監督:サム・ライミ(2002、米)

映画や本の感想を当HPのコンテンツ上、あっちこっちに書き散らしていると後の検索で困るのは私自身なんだが、日記を封印したのでこっちに書くよりしょうがないんである。

化学の成績は抜群だがひ弱なオタク青年、ピーター・パーカーは、ある日遺伝子操作されたクモに手をかまれ、自身の遺伝子も変質してクモの特殊能力が身に付いてしまう。
最初は力を試すことに夢中になり、自分を見失っていたピーターだが、ある事件をきっかけにスーパーヒーロー「スパイダーマン」となることを決意するのだった。

アメコミヒーロー「スパイダーマン」は、原作のマクファーレンの描いたカックいいやつ、東映特撮作品(「レオパルドン」という巨大ロボが出るやつね)、平井和正・池上遼一コンビの日本でのコミカライズ[bk1] [amazon])など、いろんな意味で味わい深い作品が多いのだけれど(そういえば小説もあった。20年くらい前にハヤカワから出た)、映画はなぜか最近までいいのがなかった。以前に映画化したやつも1本見たけどあまりにタルく、眠かった。

で、本作は巨額の制作費を投じ、「これぞスパイダーマン!!」というスタンダード的な作品に仕上がっていると思う。スパイダーマン誕生編から、敵の「グリーン・ゴブリン」との対決のクライマックスまで一気に見せる。
「クモの能力が身に付いたからってそんなに強くなるもんなのか?」という根本的な疑問をうまく解消する説明がついていたり、反面、「ピーターが化学実験によりクモ糸を開発」というムリがある設定がサラリとなくなっていたり、というところがウレシイ。ピーターがぞっこんホレてしまう幼なじみの女の子が微妙にブサイクだったり、「スパイダーマン悪人説」の記事を書きまくっている新聞社の編集長の顔がアメコミソックリだったり、まあそういうところがいちいちウレシイわけだ。

脚本もよくできていると思う。ピーターの人間的成長を骨子に、単純な話をグイグイひっぱって見せる。父代わりの叔父と、親友の父親が善と悪の導き手だったりと、意外に象徴性が高く、すばらしい勧善懲悪モノに仕上がっている。

「虎ノ門」(あの井筒監督が映画見に行って怒るやつ)を見ていたら、「シーンがつながってないとか、ツッコミどころ満載」とか言ってたけど、そんなの実にどうでもイイ話だと思う。まあヒーローモノに対する根本的なツッコミは定番として、お話上の矛盾は、他の映画でもそうだけど、個人的にはどうでもイイんだな。要は1回通して見て、マイナスの意味での強いひっかかりを感じたりしなければいいわけで。

で、「虎ノ門」見ていて、まあ番組全体のトーンとしては「笑って気楽に見るバカバカしい映画」っていうことになっててそれはそのとおりだと思うんだけど、そういうの認めつつ、「でも腹の底では程度低いと思ってんじゃないの?」とか思った。
まあテーマを語る作品ではないし、エンタテインメント作品を過剰に深読みするのもやめにしたいと思っているんだけど、それでも確かアメコミの「スパイダーマン」って当初スーパーヒーローもののパロディを意図してつくられたんじゃなかったっけ?
それがスパイダーマンが悩める思春期の高校生であるところや、マスコミからは悪人扱いされているところ、「クモ」という怪奇チックなモノの能力を持っているという理由じゃなかったっけ?

そのあたり、この映画は実にワカッテルと思う。もともとパロディ的なものを、そうだとわかってて、さらに監督なりのプラスアルファをして仕上げた感じ。そして重要なのは、単なる悪ふざけじゃなくてちゃんとヒーローものになっているということだ。
スーパーヒーローものはもともと象徴性が高いし、本作はそれを意識してつくられているから、テーマの打ち出しという点では非の打ちどころのないモノになっている。 勧善懲悪モノって、そのテーマの選択自体単なる「型」と思われているフシがあるけど(井筒監督の感想もそういうトーンだった)、私はそうは思わない。意味があるからこそ、勧善懲悪って選択され続けているのだと思う。なんかねえ、「エヴァ」とかもそうだけど、みんなそういうこと忘れてんじゃないの、という気がする。
「型」を壊すからいいんじゃなくて、登場人物全員が活き活きとした上で、「型」を守るために「型」に従って動くからいいんであって。そういう点では、本作は登場人物すべてが「正義」をテーマとして完遂するために動いている。もちろん、悪人も。

CGの導入で特撮シーンにあるぬぐいがたいチープさから逃れたぶん、映像面での面白味がかえってなくなったような気がする昨今のハリウッド映画。しかし本作は、スパイダーマンがビルの間を通り抜けていくシーンなどはぐりんぐりんカメラが動いて見ている方も飛んでるような気になって気持ちよく、でも作品全体がアメコミ的チープさ(=カッコよさ)を残している。
惜しむらくは音楽が特徴的でないことなんだけど、映画が終わって最後の最後にアニメ版「スパイダーマン」のテーマ(「♪ああ〜クモ人間だ〜」ってやつ)が流れたのでよしとする。あの歌は今でもカッコいいと思うんだけどなあ。

まあ個人的には、お話が単純だ、ということに起因する感動が大きいんだけど。のび太くんもそうだけど、オタクのルサンチマンって不滅だし、それがストレートに人間的成長に昇華していくところがイイのよ。それがファンタジー。
(02.0519)



【書籍】・「オメガ・プロジェクト UFO遭遇と臨死体験の心理学」 ケネス・リング:著、片山陽子:訳(1992、1997、春秋社) [bk1] [amazon]

「コミックバンチ」の、大賞賞金が5000万円という「世界漫画愛読者大賞」は「エンカウンター 〜遭遇〜」木ノ花さくやが受賞した。まあ5000万円の価値があるかというと、疑問を呈する人もいるだろう。
しかし、どんなに傑作な読みきり作品でも「5000万円」という値が付くと「?」ということになるだろうし、今後の責任や妬みやそねみやプレッシャーも含めての金額だろうから、まあ景気づけにいいんじゃないの、という気はしてる。
で、この「エンカウンター 〜遭遇〜」だが、宇宙人に誘拐された人=アプダクティーを主人公として、実際に宇宙人にさらわれたとする人々の証言などをたたき台にして描かれた作品である。私の知るかぎり、いわゆる「ムー」的な作品を描いているあすかあきおなどを除いて、マンガでアプダクティーをネタにしたのは珍しい。今後、どんな超常現象ネタをどんなふうに料理するのか、5000万円もらったこともあるが注目したい。

さて、本書「オメガ・プロジェクト」は、UFOや宇宙人との遭遇と「臨死体験」が同じ原因から起こるということを、UFOを見た人、宇宙人に遭ったと称する人、臨死体験者などにアンケートをとって、それらのデータをもとに証明しようとした本。著者は「臨死体験」の専門家であるらしい。
例によって私には真偽のほどはわからないが、UFO遭遇と臨死体験を同列に考えたというのは非常に面白い着想で、それだけでもスゴイな、という気はする。

本として出た以上、作者の見込みどおりアンケートから「UFO遭遇と臨死体験」はきわめて酷似した現象であることがわかってくる。現象としてのいちばん大きな違いは、臨死体験が文字どおり病気やケガなどで死にそうになったとき、ぶっちゃけた話「夢」として起こるのに対し、UFO、宇宙人との遭遇は夢かうつつか幻か、現実と地続きで起こったり複数の人間が同じ体験をしていたりといったことらしいが、そこらへんも仮説に仮説を重ねて、って感じだが説明にがんばっている。

しかし気になるのはその結論で、それらの体験をした人々に、体験後ある種の意識改革がなされていることを重視し、そういった人々が人類全体の進化をうながす(大意)としている。そして人類が「オメガ」となるのだと(「カルロストシキ&オメガトライブ」の「オメガトライブ」ってコレのことかな?)。

まあ辛かったり異常な体験をした人が、それを前向きにとらえて後の人生に活かそうとする姿勢を後押ししたい気持ちは共感できなくはない。しかし、たとえばUFO遭遇の場合、マスコミを通じてだれもがみんなそのことを(信じる信じないは別にして)知っているということに本書の筆者は無頓着だし、社会変革に対してもあまりに楽天的という気はする。
また、気分的には恍惚と恐怖、正反対である場合が多い臨死体験とUFO・宇宙人との遭遇体験を、けっこうやすやすと「同じ」としてしまったり、疑問も残る。本書は瀬名秀明の小説「ブレイン・ヴァレー」の元ネタだろうと思うが、その辺に不満を持ったのが案外「ブレイン・ヴァレー」執筆の動機かもしれない。

実録宇宙人ネタは、マンガにはなりにくい。「本当にあった話」というのをお話の説得力にしていると、フィクションにしたときにどうしても弱くなるからだと思う。その点、ある意味驚天動地の発想で関係ないモノを結びつけた本書はウソかホントかは別にして、なかなかすごい。
出たのは10年近く前だが、実録宇宙人ネタのフィクションの独創性をはかる、ひとつの指標ではあろうと思う。
(02.0519)



・「ガタピシ車でいこう!」(1) 山本マサユキ(2002、講談社) [bk1] [amazon]

週刊ヤングマガジンなどに連載。旧い車のレストアや改造を趣味とする俺(山本)と、エンスーの金田君のコンビを中心とした、毎回旧車を紹介していくマンガ。
車のことはまったくわかんないけど、俺(山本)のムチャな改造や旧車への情熱がしみじみ伝わってくる。俺(山本)を取り巻く車マニアの人々も、それぞれ個性が出ていて面白い。

読みきり作品、「FIATは元気?」「香奈ちゃんとFIAT500」は、ルパン三世が確か「カリオストロの城」で乗ってた車「フィアット」をめぐる話。どちらも恋愛風味だけど、女の子の視点に比重が置かれていたのが印象的。

エンスーって、平たく言えば車オタクのことだが、とりあえず女の子誘ったりするのに実に面倒がなさそうだ。そういう意味では読んでて暗黒魔界にひきずられ、我が身を省みて号泣した。
おれ免許持ってないから。
(02.0519)



・「全日本妹選手権!!」(2) 堂高しげる(2002、講談社) [bk1] [amazon]

・テーマは「男オタクに出口ナシ!!」
ヤングマガジンアッパーズ掲載。実の兄に憧れている(恋に恋しているニュアンス?)の妹、しばらく離れて暮らしていた腹違いの兄(1巻のレビューでは間違えて「義兄」って書いちゃった)と同居することになった妹、姉の旦那に横恋慕して誘惑しようとしている義妹と、3人の妹が出てくる、彼女たちを主人公にしたギャグマンガ……だったのだが、2巻では完全にこの3人も含めた女子ばかりのやおい専の漫研が舞台のオタクマンガになっている。

オタクの生態を自虐的に描いたマンガは少なくはないが、コレは1巻よりエスカレートしていて、なんだか読んでてすごくダークになったなぁ……(笑)。漫研の美少女たちが口をきわめて男オタクをバカにするマンガがえんえんと続くんだけど、個人的にはぜんぜん笑えなくて(笑)。
「妄想戦士ヤマモト」「濃爆! おたく先生」や、あびゅうきょの絶望男のシリーズではそんな感情はひとつも沸いてこないのになぜだ……!? と思ったら、要するに女性が男のオタク的妄想に一片の価値も置かない、ということをダメだ、と断じているからだねこのマンガが。まあ本当のことなんだけども。
そういうところから20数年前に違う方向に行きましょうというのがオタクだったはずなのに、けっきょく舞い戻ってきちゃってるんだなあと思うし。
本当に出口ないよね。

登場人物たちの「やおい妄想は絶対化し、男オタク妄想は全否定する」という考えは、まあ現実世界にあまりにあることなんで、なんだかダークになっちゃって。コレ、逆は成り立たないんだよ。なんか性サベツっぽいでしょそうしちゃうと。
それと、「エロ雑誌に載ってるヌルい女性作家の4コマ」も作中で批判されてたけど、実はそれも読者である男の妄想をかき立てるということばかりじゃない。
「性について、女性があけすけに語る」ことが許されるようになってきたからでしょ。だから「ヌルい」ってだけで全否定できるのかと。そこも気になって。
要するに、内容はオタクネタだけど、主人公を女の子にしたがために、オタクの性差まで考えざるを得なくなっちゃうんだよな。あくまで結果的にね。

しかも「オタクにおけるやおい絶対論」って、中島梓先生の「コミニュケーション不全症候群的考え方」でしょ。もう作品の主張うんぬんではなく、完全にコチラの「妄想」が先走ってしまうんだけれども、本作に出てくる女の子たちは外見はカワイイし、社交性もあるから意外とあっさり「こういう世界」から足抜けできるのね。おそらく。そうは描いてないけどさ。
で、「コミニュケーション不全症候群」って、確か「やおい妄想は社会性があってOKだけど、男オタクの妄想は出口がないからダメ」っていう主張だから。それ思い出しちゃって。

ここまでミもフタもないくらいにどんづまりにしちゃうと、けっきょく「オタクの幸せ」とか「社会性」って、「個人の要領のよさに尽きる」ということで終わっちゃうんだよね。本作のヒロインたちがたくましくてチャッカリしているから、そういう考えを結果的に補完することになっちゃってる。
でも「要領が悪いからオタクになる」ってヒトも多いわけだし。その無限悪循環ですよ結局。

そういう意味では、「どんづまりのオタクライフに何のサジェスチョンもしていない」という点では、なんかあまりにテーマ主義というか勧善懲悪的考え方かもしれないけど、あんまり……とか思った。
お返しに(?)藤宮幸弘の「世紀末同人誌伝説」でも読みますかねェ。やおい徹底的こきおろしマンガ。

あと字が多いっていうのと(あんたのオタク知識の濃さはよくわかったからもうイイよ、って感じ。作中のオタク議論の流れもあまりに「オタク的」。そんなところにワンダーはあるのか? おれは田中陽子支持するよ?)、エロシーンが少ないのがよくない。
登場人物たちのリレーマンガと、作者の同人活動カミングアウトにはちょっと笑った。
(02.0516)



・「週刊少年マガジン」24号(2002、講談社)

「洪明甫(ホン・ミョンボ)物語」むつ利之は、韓国のサッカー選手・洪明甫を生い立ちから描いた実録もの。読みきり。
あまりの韓国スポーツ界の厳しさに、読んでてダークになった……。それとすごい学歴社会なんだって。自分だったら生きていけない……。いや、お話はまともなサッカーマンガです。

「ジゴロ次五郎」加瀬あつしは連載第3回目のヤンキー的クルママンガ。「ドキドキしないキスなんてぜったいイヤッ! ちゃんと先にハート焦がしてヨ!」というセリフにヤンキー魂が……(笑)。

「探偵学園Q」天樹征丸、さとうふみやは、推理もの。でもイヤだ! まず「探偵学園」とか言って、せっかく探偵ものでも読んで浮き世のウサをはらそうとしているのにまた受験地獄を思い出す。
第二に、ネームが非常に多い。これはマガジンの他のマンガにも言える。こんなに字が多いなら、小説読むよ!
第三に、中途半端なお涙頂戴的結末がイヤだ。そんなに世の中イイやつばっかりかよ! でもトリックはちょっと面白かった。

「霊長類最強伝説 ゴリ夫」刃森尊。この人のマンガはいつ読んでいつページを開いても同じだ。打撃戦、その後ごほうびの巨乳がチラリ。もう飽きた。マガジンって乳首NGなのか? なんで悪いヤツの顔に変な斜線がたくさん入ってんだ?

「コータローまかりとおる!L」蛭田達也。前回のヒキだった狂死郎の秘策は単なるギャグで、肩すかし。どう考えても耐打撃用スーツを着用した相手なら、関節技の方が簡単に効くと思うが……。

「平成義民伝説 代表人」木多康昭は、面白いと思ってたら最終回。しかも何も結末らしい結末を迎えないまま……。単行本2冊ぶん出るらしいが、描き直されたりするのだろうか? まあそれにしても、編集者2人もいて、マガジンってすごい管理システムってイメージがあるけどそれでもって、こんな調子っぱずれな作品が載っていたことが僥倖なのか、あるいは終わってしまったことが不幸なのか。
2秒くらい考えた。
(02.0516)

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