つれづれなるマンガ感想文5月後半

「つれづれなるマンガ感想文2003」もくじに戻る
「つれづれなるマンガ感想文」5月前半
「つれづれなるマンガ感想文」6月前半
一気に下まで行きたい



【同人誌】・「虚構列伝」The Made-up Lives 海明寺 裕(1993、空色の猫目石)
・「家族の禁断肖像」海明寺 裕(2003、桜桃書房)
・「PRINCESS FILE(プリンセスハンターズ)」 IRIE YAMAZAKI(2001、コスミックインターナショナル)
【ミステリ】・「黒猫館の殺人」 綾辻行人(1986、1997、講談社文庫)
【小説】・「装甲騎兵ボトムズ」I.ウド編 高橋良輔(2002、角川スニーカー文庫)
【小説】・「装甲騎兵ボトムズ」II.クメン編 高橋良輔(2003、角川スニーカー文庫)

【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【テレビ】・「地球維新」(2003、フジテレビ)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第58話(2003、テレビ東京)
【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第59話(2003、テレビ東京)
【雑記その4】・無題
【雑記その3】・ミキサーに入れられた金魚
・「ソニン物語」第3回 姫野かげまる(2003、ザッピィ6月号、メディアファクトリー)
【雑記その2】・ザッピィなど
【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)
【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第14話「発掘! アバレサウルス」(2003、テレビ朝日)
・「フェイスガード虜」(1) おおひなたごう(2003、秋田書店)
【DVD】・「ハロー! モーニング。ミニモニ。ぴょ〜ん星人&ゴマキペンギン物語」(2003、zetima)
【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第13話「アバレてチョンマゲ!」(2003、テレビ朝日)
【映画】・「魔界転生」 監督:平山秀幸(2003、東映)
【アニメ映画】・「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード」 監督:水島努(2003、東宝)
【雑記】・映画、AIBO、「POPZONE」休刊
【アニメ映画】・「名探偵コナン 迷宮の十字路(クロスロード)」 監督:こだま兼嗣(2003、東宝)
【CD】・「ミニモニ。数え歌〜お風呂ばーじょん〜、ミニモニ。数え歌〜デートばーじょん〜」 ミニモニ。(2003、zetima)






【同人誌】

・「虚構列伝」The Made-up Lives 海明寺 裕(1993、空色の猫目石)

現在「K9シリーズ」などの成年コミック畑で執筆している作者の、架空の「栄光なき天才たち」といった感じの連作短編集。「ヤングパラダイス」(ワニマガジン社)に掲載した作品を個人誌としてまとめたもの。ちょうど10年前ですね。

19世紀末、飛翔機で空を飛んだ鋳掛屋の娘、ジェニィ・A・ラインズを主人公とした「飛翔機」、謎の生物である「キャリコ」を発見したドロシイ・ローズ・ドリトルを描いた「キャリコ」、フラクタル理論の産みの親である数学者、イングリッド・M・フラクタルについての「四色定理」の3作。

本作で私がいちばん好きなのは「キャリコ」。キャリコとは、読者からするとただの三毛猫にしか見えない。が、作中の人物たちは「キャリコは動物か植物か?」という論争を繰り広げていたりする。
何の変哲もないモノを、作中の人物が不思議がったりありがたかったりするというのはマンガでもたまにある。とりあえず思い出したのが藤子不二雄の「モジャ公」で、地球人がものすごい野蛮人として他の宇宙人たちから異様に恐れられているという設定だったりするのだが、「キャリコ」の場合は読者も笑ってばかりはいられない。 「キャリコ」は暗闇では体毛が静電発光し、単為生殖によって繁殖する。食糧は「行灯の油」である。ここらあたり、学者たちの研究による誤認か、あるいは「キャリコ」は三毛猫ではなく、本当に未知の生物かどうかは読者には最後まで明らかにならないのである。

これはパロディとしてはかなり周到なやり方でもあり、一歩間違えると読者をおいてけぼりにする危険性もあるが、本作では不思議な味わいを出すことに成功している。

また、後の「K9世界」もかなり近い感覚で描かれていることがわかる。
(03.0530)



・「家族の禁断肖像」海明寺 裕(2003、桜桃書房) [amazon]

成年コミック。A5判。人間を犬のように調教してしまう「K9」シリーズ的展開の作品も含めた短編集。「近親相姦作品集」とあるように、近親者との性的関係を結ぶ話が多いが、それはタブーの侵犯という意味とともに「より信頼できるものと性的関係を結び直すことにより、ヒロインが心の平安を得る」という印象が強い。
ウェブで公開していたH妄想サイトを弟に見られてしまう姉を描いた「おねえちゃんのひみつ日記」や、あこがれのパパと娘がSM的関係を結び直す「そんなパパが大好き!」、母親も「同じシュミ」だったことが判明し、母娘で公開調教の場に出ていく「お楽しみ★学芸会」、プレイの一貫として(?)奴隷市場に出ていたママを競り落とし、主従の関係を結び直す息子を主人公とした「奴隷市場」などはみな同一テーマだといえる。

また、衆人環視の公開調教というシチュエーションが多いのだが、もともとこのテのパターンは「密室での行い」をバレない程度に屋外に持ち出すものや、「そんなわけないだろ」的ツッコミが入りつつも、かなりの大人数が秘密を厳守するというムリヤリな設定になる場合が多い。
が、「K9シリーズ」を含めた諸作品の場合、実は「プレイ」を経験しているのはヒロイン以外のかなり多くの人間で、要するに「普通人」の中に少数の「変態の人」が存在するのではなく、むしろ「変態の人」がなぜかかなりの大人数でコミュニティを形成していて、それを知らないのはヒロインだけだったりする。つまり人数だけ言うと、正常人と異常人(?)の数は逆転しているのだった。
本書では「屈辱のウェディング・ベル」「籠の鳥」「お楽しみ★学芸会」などがそれにあたると思う。

また、細かい設定で「変態だけの住む社会」を描いた場合も興味深いが、「K9」シリーズなどの場合は世界の全体像はどこの断片で切っても明確にならないところがミソ。そこで、読者はどこまでも宙ぶらりんの奇妙な世界に留め置かれることになるのである。
(03.0530)



・「PRINCESS FILE(プリンセスハンターズ)」 IRIE YAMAZAKI(2001、コスミックインターナショナル) [amazon]

成年コミック。その美しい銀髪から「銀水晶」と称えられるエルガード王国の王女・シレーヌ姫。彼女は、依頼を受けて人の価値を調査するという「天秤屋」ガンロックにつかまり、監禁されてしまう。
「天秤屋」は、天秤眼というスコープのようなもので人間の諸要素を数値化し、それをデータとして読みとる能力を持っている。天秤屋が1カ月かけて計測するデータの要素は「体力」、「従順」、「忍耐」、「気位」、「理性」、「快感」、「フェラ」、「バスト」、「ヴァギナ」、「アナル」。それが最大値100ポイントとして量られる。
今夜も、天秤屋ガンロックの調査という名の調教がはじまる。

……パラメータが毎回表示されるあたり、本書あとがきにもあるように、Hパソゲーの調教シミュレーションをマンガでやろうとしたのは自明だが、マンガとしての起承転結の体裁もきちんと整えてある。ゲームをやるのがめんどくさいというとんでもないナマケモノの私としては、こうしたマンガの方が楽しめる。
作者は「西欧ファンタジー風のお姫様が陵辱されたり調教されたりする」作品を執拗に描いている人。あとがきには「同人活動を知ってもらうために商業誌に描いた」とある。
20年前なら信じられないスタンスだが、現在のHマンガの状況を見ると、一定水準をクリアしている作家ならば、フラットにそういうスタンスもありえる(と思う)のが面白いところだ。ちなみにサークル名は「RAT TAIL」というらしい。

ざっと調べたが作者は個人のWebページも持っていないようで、一時期Webマンガが新しい可能性のように言われたけれども、ある程度の実力のある作家の場合、商業誌と同人誌だけでWebページを持たずとも宣伝が完了してしまうという要素はあるね。 それに、ネットで話題だからって必ずしも売り上げにはつながらないと思うし。
(03.0529)



【ミステリ】・「黒猫館の殺人」 綾辻行人(1986、1997、講談社文庫) [amazon]

風変わりな館で起こる殺人事件を描く「館」シリーズの第6作目。
自分が何者なのか調べてほしい……推理作家・鹿谷門実に会いたいと手紙を送ってきた老人・鮎田冬馬はそう訴えた。彼はホテルでの火災でケガを負い、さらに記憶喪失になっていた。
手がかりとして渡された、彼自身が書いたらしい「手記」には、「黒猫館」と呼ばれる屋敷での奇怪な殺人事件が綴られていた。惨劇に潜む真相とは?

変人の建築家・中村青司がつくった変わった館。どれもこれも不思議なかたちをしており、必ず一つだけ抜け道があるとかいう設定じゃなかったっけ。

結論から先に書くと、非常に面白かったです。使用するトリックの性質にもよるのだろうが、どうも個人的にはこの作者の作風になじめず、これでいちおう「館」シリーズはぜんぶ読んだけど、順位を付けるとしたなら「黒猫館」、「人形館」、が1位、2位で次が「時計館」、そして「十角館」、「水車館」、「迷路館」は同率3位……というところでこの順位を見て「ああ、真のファンじゃないな」と思う人は思うと思う。

とつぜん脱線するが、本作についてネット通販書店での書評で「これはどれそれの作品へのオマージュである」とか「これはどれそれのトリックと同じことをやっている」などと書かれてあったが、それはネタバレと同じコトじゃないですか。みんな知識をひけらかしたいのだろうか。
それと、ミステリ系の書評というのはネット上に山ほどあるが、「いつその作品が書かれたのか」をきちんとメモっていないところがすごく多い。これではぜんぜん資料にならないよ。

さて、物語の「新しい、古い」ということについてときどき考える。で、考えるときにミステリの存在は欠かせないと思う。
というのは、ミステリは「必ず驚かせなければいけない」からだ。「結末には驚かなかったけど、いいミステリ」というのもあるにはあるのだろうが、それはたとえば「水戸黄門」を楽しむ感覚とはまったく違う。トリックを分類・整理してどこかに当てはまったとしても、とにかく読書体験として驚かせればいいわけで、それは「ワンパターンであることと『新鮮である』ということは違う」ということにもなる。

たとえば、特撮ドラマの場合、まあ斬新な設定とか物語というのはそんなにはない。
はっきり言って、別になくてもいい。
少年・青年マンガも、設定として驚くほど斬新ということはあまりないし、ドラマの展開としても「キャラクターのだれそれが死んだ」などを別にすれば、どうしてもさまざまなパターンの順列組み合わせになってしまう。
繰り返すが、まあそれでもいいんだけど、だからといって「斬新なプロットができない」ということではない。
それともうひとつは「新しい物語」というのは、必ずしも「テーマの新しさ」とは直結しないのではないか、とも思えてくる。「テーマの新しさ」というのは、ひとつの作品を時間軸で見た場合の比較論になるとも思うのだが、ページを開いたときの「一瞬のインパクト、新しさ」というのもあると思うのだ(そういえば、私のマンガにおける作品評価にはそういう要素が強いかもしれない、と自問自答してみる)。

本作「黒猫館の殺人」は、心ないネットの書評家によれば「だれそれの作品のオマージュ」であり、「だれそれの作品とトリックは同じ」であるという。ネタバレじゃん。ちくしょー。つまり、パーツとしての分類・整理はたやすくできてしまう。
しかし私が重要だと思っている点は、多少ネタバレになってしまうかもしれないが、本作が、読者が解明したいと思っている「謎」とは多少ズレていることをトリックの主眼においているところにある。
……まあ、そういう作品は他にいくらもあるのだろうが、それは広い意味で同じエンタテインメントでありながら、「テーマ」と「キャラクター」重視のマンガやアニメとはまったく違う位相にある方法論だ。

綾辻行人個人の作品ということでいえば、この手法がアダになると非常なガッカリ感をもたらすことにもなる。「探偵役」をやっているつもりの読者を裏切ることになるからだ。そういう意味では、なぜみんながそんなに「十角館」を評価するのかはわからない。ディクスン・カーの密室ものの次に「十角館」を読んだら「ハァ?」ってなると思うよ。

余談だが、最近は知らないがデビュー当時の綾辻行人を含めた「新本格ムーヴメント」は、「最初ヘタだった人が、だんだんうまくなってくることを読者が確認する」面白さが含まれていた。これって、かつてマンガがやっていた方法論だと思う。

話を戻す。やや勇み足をして書けば本作は「殺人事件」そのものが読者への目くらましになっているわけで、人を食っていて面白い。そういう意味でも私は「人形館」が好きです。
(03.0529)



【小説】・「装甲騎兵ボトムズ」I.ウド編 高橋良輔(2002、角川スニーカー文庫)
【小説】・「装甲騎兵ボトムズ」II.クメン編 高橋良輔(2003、角川スニーカー文庫)
 [amazon]

ギルガメスとバララントの2つの星系は、100年以上も戦争を続けていた。ようやく終戦の希望が見え始めた大戦の末期、兵士であるキリコ・キュービィーは、作戦の最重要機密である、見てはならないものを見てしまう。
このために尋問というより拷問にかけられたキリコは脱走、ヤミ市で栄えるウドの街で治安警察から追い回される。しかし、彼を利用しようとする武器密売人・ゴウトや、お調子者のバニラ、彼らにまとわりついている女の子・ココナの協力を受けながら、自分が見たものの謎に迫ろうとする。

キリコは全高4メートルほどの人型機動兵器・アーマードトルーパー、通称AT、または通称「ボトムズ」に乗って戦場を駆ける。

……1983年から翌年にかけて放送されたリアルロボットアニメのノベライズ。監督みずからがテキストを手がけている他、表紙はメカデザインの大河原邦男、本文イラストはキャラクターデザインの塩山紀生という「ホンモノ感」がファンには嬉しい企画。
この後、「サンサ編」、「クエント編」が出て全4巻になる予定。

このように、企画自体はしっかりしているものの、肝心の本文がいわゆる「ライトノベル文体」というか、ページ数の都合もあるだろうが必要最小限のことしか描写されておらず、非常に物足りない。それでも2冊、最後まで読めたのは、もともとのアニメの面白さによるところが大きい。
1巻解説にあるとおり、放映後20年もしてノベライゼーションが出ることの驚きは理解しているつもりだが、この20年間は同時にライトノベル方面からさまざまな才能や作品が出てきた20年間でもあった。その中にあってもう一段飛躍するには、別に奇をてらう必要はないが「小説を読む」ことの充足感をもう少し与えてくれても良かったのではないかと思う。

まあ、何にしても「ボトムズ」は好きです。

「装甲騎兵ボトムズ」(1)〜(2) 原作:高橋良輔、原案:矢立肇、作画:のなかみのる(1983、2003、講談社)

(03.0525)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

5月25日放送分。
いろいろなものが出てきて、それの順番を当てるというゲーム。年齢不詳の外人さんが出てきて、年齢順に並べ替えるとか。
今回も、藤本美貴は微妙。まあこの番組をどんな人が見ているのかは知らないが、あきらかにイメージとしてはマイナスだよなぁと思った。でも、別にたいして仲の良くない人たち(かどうかは知らないが)とゲームをやって、楽しそうにしろというのにもムリがあると思うんだけどさ。
コント「ハロモニ。劇場〜駅前交番物語〜」では普通にやってたけど。ミキティー。

「ミニモニ。かっぱの花道」は、「料理の鉄かっぱ」の後編。
みんなで好き勝手にケーキづくり。次回は「クイズマメオネア」というクイズ形式らしいんで、やはりバラエティ色が強くなる模様。

「チャーミー石川」のイメージを定着させた「ハロプロニュース」は、今回が最終回らしい。花ももらってたし、ホントの最終回っぽかった。

なんだかどんどんコント色の薄い番組になって来ちゃって、私としてはすでにレビューを書く役割を終えたかなという気がし始めている。だれも私にそんな役割を頼んだ覚えはないと思うがね。そんな孤独感。
(03.0525)



【テレビ】・「地球維新」(2003、フジテレビ)

5月18日深夜、放送された1時間のドキュメンタリー番組。窪塚洋介が案内役となり、これから人間はどう自然と共生していくべきかを、さまざまな人に会いながら考えていくという内容。

窪塚氏は最近トバしているらしい。「大麻礼賛」発言をしているとか(実際にどうだかは、よく知らない)。しかし、少なくともこの番組では相当にトバしている。
まず、窪塚くんが話を聞いて回るのは、以下の人たちだ。

・「水は答えを知っている」の著者
・大麻のさまざまな利用法を研究している人
・フォトンベルトの研究をしている人
・船井幸雄

まず「水は……」というのは、プラス思考を送ると水は良い結晶になり、マイナス思考を送ると悪い結晶になるということを唱えている本だ。よくは知らないが、これはちょっとどうかと思う。たとえば「優しい気持ちで『バカヤロー』と唱えたらどうなるか」などの実験成果がぜひ見てみたい。
それと、番組内でクボヅカ氏も「これが感謝の気持ちを持つとよいことの証明になれば」みたいなことを言っていたが、別に水がよい結晶になるから人間は感謝の気持ちを持つわけではないだろう。
こういうことを(事実かどうかは別にして)教育とか、子供をさとすときとかに使おうという人がどっかにいたが、関係ないだろ別に。水がどう思おうと。それとも襲ってくるのだろうか。スーパースリーのフリーみたいに。古い。しかも名前忘れたんでネットで調べた。

次に「大麻」だが、大麻で紙をつくったり、大麻を食べたり、そうしたことに利用してそれが環境保護につながるのなら大いに結構だが、やはり「吸う」ことを抜きにしては、「なぜ大麻なのか」の説得力は大幅になくなる。この番組では、「吸う」側面に関しての是非についてはひとことも触れられていなかった。

フォトンベルトと船井幸雄に至っては、ボクは関わりたくないです。

で、けっきょく結論は「一人ひとりが、ポジティブで思いやりを持った考えを持っていれば世界は変わる」みたいなことになる。まあ船井幸雄がすでにそういう考え方らしいから。いや、ポジティブで思いやりを持った考えを持つことはいいことだ。自分もそうしたい。
しかし、それで世界が変わるとは思わない。世の中にはいろんな「ポジティブ」や「思いやり」があり、それが対立するからいつまで経っても争いごとがなくならないのであって。

この番組、クボヅカ氏の出した本の宣伝も兼ねているらしいのだが、それにしてもリミッターを振り切ってトバしまくった内容であった。ここまでおおっぴらに、いわゆる「トンデモ」に接近している芸能人というのも近頃珍しいのではないか。
なんかいいのかな〜とか思ったが、別に私と関わりがあるわけじゃないから別にいーや。でも周りのスタッフとか付き合うの大変そう。いや、逆にたきつけてんのか。謎。
(03.0525)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第58話(2003、テレビ東京)

公式ページ。

第58話「ミルモとムルモの兄弟船」(5月10日)

人間界には「母の日」というものがあることを知ったミルモとムルモ。2人は、母親であるサリアのために何かしてあげようと妖精の里へ。しかし、とつぜんサリアが病気でたおれてしまった。その病気をなおすためには、人間界の海底にある幻の海草が必要なのだという。サリアの命を救うため、ミルモとムルモは潜水艇に乗りこむ。だがそこに、またしてもアクミが立ちはだかった!

いつもいつも「ミルモ」を観ながら思うのだが、私はこういう妖精みたいのが人間と同居していて、しかもテンポがいい作品というのが本当に好きなのだ。
しかし「サリアが大変なことに」みたいに楓はオブラートにくるんだ言い方をしていたが、要は「死ぬ」ということだろう。
「一番星が見える頃までに、薬草を飲ませないといけない」という事態に対し、ミルモたちをジャマするってことはアクミは間接的にサリアを殺そうとしてるってことで、ミルモを助けてやろうとする結木くんに対し「そんなことどうだっていいじゃな〜い」という安純も、妖精の死に対してあまりに冷酷。
まあ、そんなことの指摘は揚げ足取りだってことはわかってる。けど気になるんだよな。
(03.0525)



【アニメ】・「わがままフェアリー ミルモでポン!」第59話(2003、テレビ東京)

公式ページ。

第59話「ついに解散、ワルモ団!?」(5月17日)

仲間われをしたワルモ団は、ついに解散してしまう! ミルモ打倒の夢を捨て、それぞれ新しい生活を始める元団員たち。イチローは八百屋、ジローは大富豪、サブローが運送屋、シローはアイドル歌手、そしてゴローは占い師となる。
ヤシチ、サスケ、ハンゾウは、ミルモを倒すこととは何の関係もない彼らの仕事につき合わされて、迷惑このうえない。そこでなんとかワルモ団を再結成させようとするが……。

録画していた最初の数分間を、あやまって上から録画した「セクシー女塾」で消してしまい、見られなかったためにお話に最後までのりきれなかった。しかしジローが大富豪っていうのが面白い。実は「日本経済を裏で操っている」くせに、荒廃した関東の制圧に血道をあげるスラムキング的発想かそれは。
(03.0525)



【雑記その4】・無題

・「課題」をテキスト化してみよう
たまに笑いを考えるMasaru Shimada's HomePage)はもう1年半くらい前のもので、当時はんらんしていた「フォント弄り系」に対して思うところをこのサイト管理人のしまださんが書いた文章なのだけれど、ここで、ひとつの「課題」を提示し、それを「つまらないフォント弄り系」などに改変しているのが面白かった。
「普通のテキスト」による回答例も載っていて、面白いので自分もこの課題に回答してみたいと思う。
でも書いてみたら、しまださんの基準にはかなり合わないものになってしまった……。やっぱり擬音とか好きなんだよねどうしても。まあ以下の私の文に擬音は入ってないけど、擬音みたいなもんだから。

それにしても、自分の作文例はつくづく、反則づくしでどんな局面においても通用しないなあと思った。しかし、私の自分探しはまだ終わらない。パーティタイムは終わらない。ポニーテールは馬のしっぽ。先生、修学旅行で戦争資料館に行くのが恐いから、お腹が痛いフリをして旅館でゲームボーイやってます。
注:自分探しはもう終わってると思います。でも宝探しはしたいね。糸井重里によると、釣りは「おもつらい」そうだが、埋蔵金探しは何だったんだろう。「おも埋蔵金つらい」だったら、ほぼ日刊イトイ新聞をほぼ日刊で読むんだけどな。

【課題】
 あなたは自身のWebページで毎日日記をつけています。主にその日1日で印象に残った出来事をおもしろおかしく紹介しています。
 今日1日で一番のエピソードを概要で示すと以下のようになります。この内容をページに載せるためにHTML化してください。

『ネット通販の支払い(\9,980)をしにコンビニへいった。財布には1万円札1枚が入っていると思いこんでいて、レジで財布の中の紙幣1枚を差し出したら、実は財布に入っていたのは千円札1枚。ここで恥ずかしい思いをした後、コンビニには銀行のATMがあるのを思い出し、1万円をおろして無事支払いできた。』

【新田五郎の回答例】
ネット通販の支払いをしに、コンビニへ。ネット通販、いまどきの表現で言うなら、ネット・TWO・ハーン(チャンピオンでやってる「TWO突風」みたいな感じで、「ハーン」の部分にキラー・カーンを連想させながら)。
金額は9980円。1万円ピッタリでないところがニクい、というか、これが高度資本主義社会の罠、ってやつである。村上春樹的に言えば。まあ村上春樹的、っていうのは若干ウソだけどね。それにしても、最近の学生は村上春樹で卒論書いているやつもいるそうだよ。時代は変わったな。そう、室町時代に……。

それもうそだけどね。

財布には1万円札が入っていた。右のポッケにゃチューインガム、左のポッケにはビスケットが2つ。ポケットを叩くとビスケットが3つ。子供の頃、「じかにポケットにビスケットを入れるなんて汚ないなあ」と思っていた私は、後にいわゆるデオドラント文化を担うことになる。

で、レジで財布の中の紙幣を、上原さくらを「舞舞(チョムチョム)」でボコボコにしたような感じの女の店員に渡して、後はレジの傍らに陳列されていた「回転寿司」の食玩を「こんなの売れんのかなぁ。儲かってんのかな、フィギュア業界」などと、「やじうまワイド」程度の知識で物色していたところ、そのチョムチョム上原さくらから声が。

「あの(笑)、これ(笑)千円な(笑)んですけど(笑)」
見ると、上原さくら崩壊寸前女は、私が1万円札だと思って渡した千円札を見せながら、私に対してではなく、隣にいるブッチー武者みたいな女店員に対して笑いかけていた。
「何、この人。ゴリエどう思う?」みたいな感じで。
おまえ、人間ならおれの目を見ろ!
と思ったけど、当然私は気が弱いのでそんなことは言えません。私はツメで手のひらから血が出るくらい拳を握りしめた後、「あ、千円? 千円なんだ。すいません。こりゃ間違えちゃったなー」と、「そんなにあやまらなくていいよ、おっさん」と言われるくらい丁寧に頭を下げた。
「あーあ、恥かいちゃったよ。三宅裕司かなんかのラジオでネタとしてはがき読まれるくらい恥かいちゃった」
……と思いつつ、コンビニには銀行のATMがあるのを思い出した。

ATM。アーマード・トルーパーと、もんじゃの略。ウソ。大ウソ。
しかし、「ウソをつくのが小説家の仕事だ」ってだれか言ってたじゃん!!
すいません、小説家でも何でもありません。

で、そこから1万円をおろして無事支払いできた。(完)

ラストはあっさり風味で。完。

でも、あの女店員二人ムカつくんで、古本屋で買った古賀新一(エコエコアザラクとか描いている人)かなんかが表紙の黒魔術の本をつかって呪いをかけておきました。
(ほんとにおしまい)
(03.0524)



【雑記その3】・ミキサーに入れられた金魚

ミキサーに金魚を入れて展示するのは虐待か?……デンマーク 海外ボツ! News)(←見下げ果てた日々の企て

ミキサーに入れられた金魚。

この春、デンマークのタラフォルト美術館で行われた展示会に出品された、マルコ・エヴァリスッティというチリ生まれのデンマーク人アーティストの「作品」だという。
全部で10台並べられたミキサーには電源が入っていて、スイッチを入れると作動する。当然、ミキサーが作動すると中の金魚はヒキ肉なってしまう。
しかし、電源が入っている事実は観客には明らかにされず、「お望みならばスイッチを入れてもかまいません」というメッセージだけが伝えられる、らしい。

作者は、制作意図として「人々に良識との戦いをさせたかった」、「見る人を『生と死』のディレンマに置きたかったんだ」と説明している、らしい。

当然、動物愛護協会は文句をつけ、この作品を展示した美術館館長を訴えた。まあその後の展開に関しては、私は興味皆無。ひとこと動物愛護に関して言っておくと、いわゆる「飼い犬に服を着せるような」犬っかわいがりにも違和感を覚えるが、だからといって「動物が苦しんでいるのを見て何らの痛痒も感じない」という人も、ちょっとどうかと思う。
要は、人間と動物との関係性の問題というのは、日常生活におけるバランス感覚の問題であり、その斟酌がどの程度なされているかが、動物愛護ではかなり重要になってくる。そのレベルに達していない議論は、犬っかわいがり系愛護にしろ、「タマちゃんをブッ殺して平和ボケの日本人の目を覚まさせろ」という意見にしろ、なんかねえ、という感じだ。

さて、この「ミキサーの中の金魚」について「へええ」と思ったのは、この作者の、あるシステムをつくっておいて、「金魚が死ぬ(金魚を殺す)」という直接の行為を観客にゆだねてほくそえんでいるという底意地の悪さ、こういうものが海外にあるんだなあということだ。

最近、ある種の(何と言っていいのか不明。少なくともサブカルとか意識している)テキストサイトの大部分が毒舌サイトになっていると言っていいと思う。当HPも、広義の毒舌サイトに入るかもしれない。
それだけ、ギャグとかユーモアの中に「毒舌」が浸透していったということだ。

日本における「毒舌ギャグ」の歴史は、浅学にしてわからない。ただ、二十年近く前、さだまさしのコンサート中継で、さだが暗にビートたけしに対して「お年寄りの悪口を言って笑いをとるなんて良くない、許せない」と言っていたのを鮮明に覚えている。さだまさしと言えば、ユーモアたっぷりのMCが当時から有名だったし、落研にいたことがあると記憶している。
すなわち、「私はギャグに一家言ありますよ」と思っているさだまさしが、ビートたけしに強い違和感を感じていたということだ。

脱線するが、さだまさしに強烈な違和感を表明したのが「タモリ」だった。今から考えれば当然という気がするが、逆に言えばさだまさしに対する違和感をはっきりさせなければいけないほど、さだまさしが浸透していたと言える。 タモリもまた、さだまさしの他にも「名古屋は嫌い」など名指しの毒舌で一時期話題になった。

さらに脱線するが、そんな「名指しの毒舌ぎらい」のさだまさしが、自作の歌「あまやどり」の替え歌で「雨に放射能が混じっていたかどうかは知らないが、私の頭の毛が抜けた」と歌っていたことも思い出す。さだ基準では、「放射能で毛が抜けちゃった人」を暗示的に笑うのはいいらしい。

さてさて、ビートたけしの毒舌というのは、基本的に「タブーと思われるところにあえて切り込んでいく」というような感じだったと思う。老人、子供、貧乏人、女性などをターゲットにして毒舌ギャグを展開していた。
しかし、そこには弱者を徹底的に痛めつけようという嗜虐性はなかったように思う。
ズバッと切り込んでいってサッとひく、あるいは「権威」にまでなりつつある不可侵性を破壊するという意味合い。
その後、ビッグになりすぎて「御意見番」的な意見を求められるようになったせいかどうか、「逆説的なことを言うことがかえって社会風刺になる」というパターンになっていった。

現在、「毒舌」と言われてもっとも座りがいいのがこの「逆説的なことを言うことが、かえって社会風刺になる」というパターンである。
そこには、意外と首尾一貫した倫理観が通底していて、「毒舌」といってもある程度「わかっている」人ならば、そうは違和感を唱えることはない、といったテーマ性のようなものが潜んでいる。
ちなみに、コレはかつて「シンサヨク」とか呼ばれていた知識人の何人かが言っていた毒舌ギャグとはまた違うことを留意されたい。
「シンサヨク」的ギャグは、現状を撃って、最終的にキョウサンシュギとかシャカイシュギに人々を導くのが主旨なので、「たけし的毒舌」よりも小回りがきかないという弱点があるのだ。
そして、おそらくその弱点が、「シンサヨク的毒舌ギャグ」が広まらなかったことの一因だ。それと「右」はまたちょっと別なんだよね。そこはまた考察の対象になるだろう。

こうして、日本はいわば「逆説的なことがかえって真実を突いている」毒舌があまねく蔓延した。だが、その「毒舌」パターンがこわごわと触れなかった部分がある。

それが「弱者が弱者であるという理由で、悪口を吐きかけること」だ。
もちろん、そういうことはたけしもやっていた、タモリもやっていた。しかし、それはどこかに聞き手の倫理観に対して逃げ道を残しておくものだった。
内容的にヤバければ、カラッとして突き抜けた感じにするか。本当にヤバければ、「自分が悪口を言ってもいい」相手に対して言ったりしていたから、真に「弱者が弱者ゆえにぶったたく」ということではなかったと思う。

しかし、最近は「弱者が弱者であるという理由で叩かれる」ギャグというのをけっこう目にするようになった。これに対してはいろいろな考えが自分の中で去来する。もしかしたら「戦後、最後のタブーだったんだな」という気持ちが、まずある。
たけし、タモリがもてはやされてきたのは、全共闘的な感性というか、「社会風刺をすることによって権力を撃つ」みたいなところからの支持がかなりあったんじゃないかという気もする。

そこでこの「ミキサーに入れられた金魚」の話に戻るのだが。
これぞ「弱者が弱者であることを利用したブラック・ジョーク」の典型であるように思われる。
まず「金魚」という「弱者」がいて、「スイッチを押す観客」という「弱者」がいる。観客が弱者かどうかは異論があるだろうが、「ちょっとした好奇心で、『殺す側』に回ってしまう罠が仕掛けられている」というのはまさに「弱者」だろう。
通常、観客というのは完全に蚊帳の外にいるものだが、この場合、完全に関係性の外に出ているのは罠を仕掛けた作者以外にはおらず、観客は巻き込まれることになってしまう。

私の興味は、こうした「底意地の悪さ」がデンマークの伝統のものなのか、あるいは現代美術における世界的なトレンドなのかということだったり、「社会風刺」とか「反骨」とされていたような過去のブラック・ジョークも、もしかしたらこの「ミキサー」と同じ底意地の悪さを持っているものなのではないかとか言ったことだ。

毒舌というのは、「社会風刺」とか「反骨精神」というのが明確だと、そんなに聞いていてイヤな思いはしないものだ。
あるいは逆に、無意味方向へ昇華してしまうような勢いがあれば。
しかし、まったく行き場のない事象……たとえば「弱者は弱者ゆえに迷惑である」とか、そういうことを暴かれると、いいようもなくイヤな気持ちになるものでもある。

こうした「弱者は弱者ゆえに叩かれてもいいのだ」という考えを表現するものは、今後増えてくる気がする。それがいわゆる「強者の論理」と結びついて、「毒舌を言っているようで、最終的には『雨が降ったら天気が悪い』ということしか表現しないグロテスクなもの」になるか、新しいものになるかはわからない。が、これだけは言える。

むかし、アニメの「ど根性ガエル」で、火事場見物の大好きな屋台のおでん屋のおっさんというのが出てきた。火事場見物というと物騒だが、昔はわりとそういう人はいたような気がする。
で、その屋台のおっさんは近くで火事があるともう商売にならない。すっとんでいきたくてうずうずしている。それを察したひろしとピョン吉が、店番を引き受ける。
火事場に飛んでいくおっさん。

ところが、何らかのハプニングが起こって、おっさんが戻ってくると自分の屋台が火事になっている。もう消すこともできない。そこで、涙を流し、やけになりながらおっさんが叫ぶのだ。「チクショーメ、燃えろ燃えろーっ!!」って。
粋な話だ。

「弱者は弱者ゆえに叩かれてもいいのだ」と主張する人が弱者に回ったとき、「自分はこの場合弱者だから仕方がない」とどっしりかまえるのか。ジタバタするのか。自分の主張などなかったかのように、わが身の不幸を訴えるのか。
実は、それがいちばん興味のあるところだったりする。弱者に「おまえは弱者だ」ということは、おそらく最後のタブーだったのだ。そのタブーを侵犯した以上、それなりの覚悟があるものと思っている。
自分がミキサーに入ったとき、この人はどうするんだろう?

とにかく、同じような感性とその表現はデンマークにも、日本にもあるということは確かめられた。

次はあんなにも自信たっぷりな、やくみつるのルーツ探しに出発だ。
(03.0523)



・「ソニン物語」第3回 姫野かげまる(2003、ザッピィ6月号、メディアファクトリー)

ザッピィに先月号から連載されている、実在のアイドル・ソニンを主人公にしたマンガの第3回(全5回)。

ユウキの突然の失踪に動揺しながらも、「イキナリズム!」のイベントをこなすソニン。しかし一人になった不安感は隠せない。
ユウキは、ひとまず3カ月の休養をすることになる。
その間、ソニンは「WINTER〜寒い季節の物語〜」をEE JUMP featuring ソニンとして発売。
その後、和田マネから「今後は、ソニンのソロでもいいと思ってる」と言われつつ、ソニンはユウキの帰りを待ち、彼の復帰後にEE JUMPとして再出発することを決意する。
2002年6月、ユウキ復帰とともにアルバム制作決定。6thシングル「青春のSUNRISE」を制作、発売するものの、いろいろトラブルがあったせいかチャートは12位どまり。しかし、がんばろうと決意を新たにするソニンであった。
そんな中、今度はユウキがキャバクラに行ったところをフライデーされる。

そして、EE JUMP解散。

初めて「解散」と聞いたとき、ショックで鼻血が止まらなくなるソニン。失意のどん底に落ちるが、友達のはげましによって何とか立ち直る。
そして「マラソン」の企画が持ち上がった……(続く)。

……ソニンとユウキの直接の会話はまったく描かれないという、とにかく奥歯にモノの挟まりまくったマンガだとは言えるのだが、よくまとめているとは思う。たとえばユウキとソニンの話し合いがソニンの一人称で語られたりとか、「青春のSUNRISE」のジャケ写も、ユウキの顔が巧妙に文字で隠されていたりする。
考えてみれば、諸般の事情で抹殺されたり自ら消えていったりした芸能人は数多いが、それは正真正銘「消される」のであって、本作のような伝記ものなどの場合、最初からなかったかのような扱いを受けるのが普通だ。
個人的に思い出すのは、「おニャン子クラブ」結成直後にタバコを吸っているのを見つかってしまった子。この子なんかは完全抹殺である(その後、「プレイメイトジャパン」で準優勝か何かしていたが)。おそらくジャニーズで飲酒が発覚した子などもそうだろう。

しかし、ユウキの場合、(私のようなミーハーからすれば)「EE JUMP」においては「ゴマキの弟」という点で当初は注目度がソニンより高かった気がするし、2回も問題を起こすなど、やることも派手だった。さらに、その後のソニンのとった「苦労してます路線」が、ユウキを完全抹殺するわけにもいかない。それを「苦労」の中に取り込んでいかないとダメなのだ。もちろん、すでに一般人の彼を一方的に悪人に仕立て上げてもダメだ。
そのようなわけで、本作でユウキは「出すわけにはいかないんだけれど、ソニンの半生に影を落としている」という非常に微妙な扱いになってしまっている。
それを「もどかしい」ととるか、「面白い」ととるかで、少なくとも今回の評価は人それぞれ、変わっていくだろう。

「解 散」という文字が、1ページ全面スミベタに白ヌキで出るところなんかは、マンガ的迫力があって良かった。

・「ソニン物語」第1回感想

・「ソニン物語」第2回感想

・「ソニン物語」第4回感想

(03.0522)



【雑記その2】・ザッピィなど

雑誌情報は早くないと。ということで、ザッピィに今月も「ソニン物語」が載っているようです。まだ読んでない。

仕事場でテレビつけっぱにしているが、リニューアル後の「いいとも」は実につまらない。
まず、正式タイトルは忘れたが「大物ゲストが控えていて、それがだれだか当てる」というのと、「ゲストが覆面を被って出てきて、自分に関するウワサ話についてコメント、それがだれだか当てる」というのは、「ゲストがだれだか当てる」という点でまったく同じだ。
しかも、ゲストが正体を現してから、ゲスト本人のコメントがとても少ない。
「タモリと爆笑の太田のどちらがウソを言っているか当てる」というのも、今やってるかどうか忘れたがダンカンとかがゲストで出てきて、3人のうちどちらがウソを言っているか当てるコーナーとかぶってるし。

あと、「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観たからそう思うのかもしれないが、テレビのニュースって最近、バラエティ化が激しくなって本当に「見ている人の不安を煽る」ことしかしていない気がする。
「ニュース番組内にバラエティ的な要素を入れてきている」というのは、たまたま読んだ国友やすゆきの女子アナマンガ「コッコちゃん」でも指摘されていたけども。 「片づけられない女」くらいならまだ愛嬌があるが、「不安を煽ってる」という観点で観ると、全部そういうふうに見える。やれタマちゃんの顔に釣り針が刺さっただの、ハトに矢が刺さっただの……。

最近、昼のニュースまで「そんなに切実でないニュース」を入れてきている。イラクの少年が手術で日本に来て、また帰国していく話とか。そんなのぜんぜん昼間観る必要、ないでしょ。
それと、午前9時から10時代に限られていた「主婦のウワサばなし的内容」、すなわち「ご近所のボスにこんなのがいる」、「こんなイヤな姑がいる」などの視聴者からの投稿、これもお昼に進出してきている。
この間、「アパートの上の階に引っ越してきた一家の騒音がものすごい」っていうのを、わざわざ再現ドラマでやってんだもん。知らねえよ、そんなどこのだれとも知らないやつのことなんか。

まあ「ご近所うわさ話系」は、何の教訓もないだけまだいい。「いかにも社会派ヅラして内容がない」っていうのがちょっとなあ。夕方のニュースだと「迷宮の扉」っていうのがやってて、ちょっとした事件をより掘り下げて調べてみようという主旨なんだけど、少し取材したり調べただけで意外な事実なんて出ないんだよ。
んで「やめた会社を放火した男」の事件で現地まで言って、だれもその男のことをよく知らなくて「心の闇は永遠にわからないのでしょうか」って言ったりして、構造的には、ネッシーとか幻の怪獣が「出る出る」って言ってけっきょく出ない探検モノとかと同じなんだよな〜。なんなんだよ、もう。
(03.0521)



【テレビ】・「ハロー! モーニング。」(2003、テレビ東京)

公式ページ

5月18日放送分。
「藤本美貴SP」ということで、モーニング娘。に新加入する藤本美貴がゲストっぽい扱いで登場。「藤本美貴の好きなご飯のおかず」とか「藤本美貴がやってもいい罰ゲーム」などを他のメンバーが当てる。

他のハロプロ系テキストサイトで「ゲームに興じる娘。たちを藤本美貴が冷笑」みたいに書いてあったんだけど、実際見るとそれほどではない。それほどではないが、何かものすごく変な空気が流れていたのも確かだ。

まあ、スポーツ新聞レベルの裏事情などすべてなかったことにするのがハロモニ。だからどうっちゅうことはないのだが、ゲームに優勝したのが安倍なつみで、「優勝者の商品が藤本美貴の写真集」っていうのはちょっと笑った。もらった写真集をパラパラめくる安倍なつみの表情に、私ですら何かを読みとってしまいそうになりましたよ。
っつーか、たとえどんなに仲のいい知り合いでも、同性の写真集なんてぜったいもらってもありがたくないよなあ。

コント「ハロモニ。劇場〜駅前交番物語〜」にも、藤本美貴が女子高生役で出演。この人、松浦亜弥がいないとコントでは輝かないことを発見した。
よく、いわゆるモーヲタの発言で「(今回の娘。加入に際し)藤本美貴が他のメンバーを絶対食ってしまうに決まってる」的なものがあるが、「関係性」の妙が重要な多人数ユニットの場合、必ずしもそうとはいえないだろう。後藤真希だって、娘。内の「関係性の妙」が神秘性を付与していたのだからね。
というわけで、藤本美貴が輝きたければ、早くお互いを引き立たせ合うような人間を見つけるのが大切だと思う。松浦亜弥のような。

「投稿! 笑わん姫」は、「笑わないお姫様」ゴマキを、執事の安倍なつみやキノコに扮した矢口と吉澤が投稿ハガキのギャグで笑わせようとする内容だ。毎度説明しているが。
やっぱり、この中では安倍なつみが意外に面白かったりする。矢口が携帯電話のマナーモードのマネをやってゴマキに少しウケたとき、「ね!? これ地味に面白いでしょう!?」などと言っていたのが少しかわいく思えたりして。おじさんは。
何を書いてんだろうね私は。きっと気が狂いかけているのだと思う。

「ミニモニ。かっぱの花道」は、高橋愛のコントできなさをスタッフが察したのか、「料理の鉄かっぱ」と称して、つじっぱ、かごっぱ、コンガニがケーキづくりにチャレンジするバラエティ色の強い展開となった。
今後の方向性として、こっちの方がいいんじゃないですかね?
(03.0521)



【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第14話「発掘! アバレサウルス」(2003、テレビ朝日)

公式ページ

5月18日放送。
ある日、恐竜やに飾られた絵の裏から一枚の地図が見つかった。アバレンジャーの、他のみんなは子供の落書きだと取り合わないが、らんるだけは「宝の地図」だと信じ、宝探しに出かける。たどり着いた先は、スケさんの旧友・伝次郎が「アバレサウルス」と名付けた恐竜の化石がねむる山奥であった。伝次郎から、化石に対する夢を語られるらんる。
もともと「爆竜」は恐竜から進化した存在。このため、「アバレサウルス」の化石にも、ダイノガッツが感じられた。
エヴォリアンは、このアバレサウルスの化石をギガノイド「復活」に変身させる。町中を暴れ回る「復活」。こいつを倒すということは、伝次郎の長年の「夢」を壊すことでもあった。そして、自分たちの仲間だと察知している爆竜たちにもためらいが……。
伝次郎の夢を理解しているらんるも、「復活」と戦うことを拒否するのだが……。

いわゆる「かわいがっていたペットが、怪獣に変身して暴れ回る」というパターン。
実際に、伝次郎が「復活」に対して「こんなことはやめてくれ〜」などと叫ぶシーンがある。
しかし、単に「ここで『復活』が優しい心を取り戻して改心してどーたらこーたら」というだけの展開にせず、「恐竜の化石も夢だが、戦後自分たちが立て直した街も夢だった」的なことを言うのは、わりと納得が行った。
ラスト、爆竜たちを見て伝次郎が笑顔になるシーンが入るが、これも「爆竜は恐竜が進化した存在」というのが未来を暗示していてなかなか良かった。
脚本は會川昇、調べたら「三陽五郎」の名前で「ぼくのマリー」(→感想)の原作をしていると知って、びっくりした。
(03.0521)



・「フェイスガード虜」(1) おおひなたごう(2003、秋田書店)

週刊少年チャンピオン連載。ギャグマンガ。まだら社長のつくった、不思議だけどあまり役に立ちそうもないグッズの中で、「書いたらぜったい消えないマジック」で顔にメガネの落書きをされてしまった少年・虜。顔の落書きを隠すため、役に立ちそうもないグッズのひとつであるフェイスガードを着けて生活することになる。

前作「おやつ」に比べるとストーリー性がより強くなったというか。いや、単にコマ割りが大きくなったからそう感じるのかな。
藤子不二雄(とくにF)へのオマージュって感じのギャグが多い。「その笑い声は夜遅くまで響いていたということです」→「……」「昨日笑いすぎた」なんてところ、本当に藤子不二雄好きなんだなあというか、普通藤子不二雄のそんなところの踏襲しないですよ。逆に言えば、そういうところが他の藤子パロディとか、「ドラえもんは単なる子供向けではない」的なHPで見かける論評(それはそれで賛同するが)から抜け落ちてくる部分なんだけど。
(03.0519)



【DVD】・「ハロー! モーニング。ミニモニ。ぴょ〜ん星人&ゴマキペンギン物語」(2003、zetima) [amazon]

テレビ東京系「ハロー! モーニング」内の人気コントコーナー「ミニモニ。ぴょ〜ん星人」と「がんばれゴマキペンギン」のダイジェストを収録したDVD。
「アイドルコントの歴史を塗り替えた」と私が勝手に思っている「ぴょ〜ん星人」が、奇跡的にDVD化されたというのでさっそく買う。
ところが、コレがまだミニモニ。たちがおっかなびっくりやっていた初期の頃と、中澤裕子扮する「ポロリ星人」が出てくる最終回しか収録されていない! 真に面白かった、「毎回いろんな敵がやってきてはあの手この手でぴょ〜ん星人がそれを撃退する」というパターンのものが、1本も入っていないのだ。

おそらく、その「敵」が「ピカチュウ」だったり「キン肉マン」だったり「ハム太郎」だったりといった、権利関係が面倒なものばかりだったからだろう。非常に残念である。
これでは後世の研究家が「なんだ、『ぴょ〜ん星人』ってこんなものだったのか」と思ってしまうではないか。まあしょうがないんだけどね。

「ゴマキペンギン物語」は、ペンギンの巨大な着ぐるみを着た後藤真希が、坂を登っていっては滑り落ちていくという繰り返しコント。今見ると、妹ペンギン役のよっすぃ〜の妙にサバけた感じがきわだって見えるような気がする。
(03.0519)



【特撮】・「爆竜戦隊アバレンジャー」 第13話「アバレてチョンマゲ!」(2003、テレビ朝日)

公式ページ

5月11日放送。
先週、ギガノイド「時計」によって江戸時代に飛ばされてしまった凌駕、幸人、らんる。悪者に追われていた、えみぽんソックリの笑姫を助けてやり、親しくなる。
現代に帰る方法がなく、姪の舞ちゃんを守ることができないにも関わらず、「子孫を繁栄させて、未来で舞ちゃんを守るように言い伝える!」と超前向きな凌駕であった。
一方、作戦の成功を祝い、記念写真を撮ったリジェ、ミケラ、ヴォッファの3人は、その写真の中の自分たちがだんだん消えていくのを発見。新聞の見出しもじょじょに変わり始めている。どうやら、過去に送り込んだアバレンジャーの3人がむちゃくちゃがんばったために、歴史がエヴォリアンが滅びる方向で変わってしまったのだ。
ミケラは、再生怪人を江戸時代に送り込み、凌駕たちを抹殺しようとする……。

個人的には、けなすとこないです。
アバレンジャーに変身して江戸時代の悪者をやっつけるというかなりアホなシーンで、悪者役の人のマジなやられっぷりがイイなあ、というところから始まって、新爆竜のディメノコドンの出現、リジェそっくりの謎の少女の登場、アスカとジャンヌの関係、江戸時代で何かと危ない目にあっている笑姫(さきひめ)が、「未来はきっと平和になる」と言うシーン、遠景で爆竜たちのデカさを表現するカットなど、詰め込むだけ詰め込んで違和感がない。
新オモチャのためのロボット初登場の回って、ロボットの戦闘シーンメインでドラマ部分があんまりなかったりするんだけど、そういう感じがぜんぜんなかった。良かった。限られた時間と予算の中で最大限引き出されているというか。イイなあ。
(03.0518)



【映画】・「魔界転生」 監督:平山秀幸(2003、東映)

公式ページ

島原の乱で死んだ天草四郎(窪塚洋介)は、神を捨て、魔界の妖術でクララお品(麻生久美子)とともに蘇る。そして、密かに野望を抱いている徳川頼宣(杉本哲太)に、蘇らせた剣豪たちを使って天下を取れとそそのかす。
柳生十兵衛(佐藤浩市)は、成り行き上、天草四郎が転生させた者たちと戦うハメになる。

上記で「アバレンジャー」を絶賛しておいてナンだが、「どうして映画だとこうなっちゃうんだろう」みたいな感じ。映画を見終わった後、話していた二人組(知らない人)が「CG使いすぎじゃん?」などと言っていたが、なんで「CG使いすぎ」に見えるかというと、なんか使い方がチャチいんである。どうしても、アメリカのCG使いまくり映画のパクリっぽく見えてしまう。
でも特技監督、戦隊もののヒトらしいんだけど……なんでテレビと比べてこんなに差が出てしまうかは謎。劇場で「アバレン」をやればいいというものでもないと思うし、むずかしいもんですな。

それと、なんだか時代劇の演技だと違和感のある人が多くて、天草四郎役の窪塚を始め、宝蔵院胤舜役の古田新太も、宮本武蔵役の長塚京三も「アレ?」という感じ。老中役の柄本明もそう。やっぱり時代劇の演技って現代劇と違うのかな。
柳生十兵衛(佐藤浩市)は、キャスティングを聞いたときにあまりにも無難だなと思ったけど、実際に観るとこの人がある程度あぶなげないから、窪塚がフォローされている印象だった。これで十兵衛役まで冒険して時代劇経験のない役者にしていたらたいへんなことになっていたと思う。
そんな中、クララお品役の麻生久美子は良かった。「RED SHADOW 赤影」のときは「コレって、ただカントクが麻生久美子を好きなだけなんじゃないの?」みたいな扱いで結果的にソンをしていたと思うが。今回はちゃんとしていた。

脚本について言えば、十兵衛と転生した剣豪たちとの戦いと、江戸へ向かおうとする徳川頼宣の行動がリンクしなくなってしまい、また最初に剣豪たちが何人出てくるかわからないのでかなり緊迫感をそがれる。戦う理由がハッキリしている天草四郎に比べ、巻き込まれ型の十兵衛のモチベーションは見ていてギリギリといった感じ。
殺陣ももうちょっと工夫してもいいんじゃないかと思った。

公式ページを見たら、この監督って「学校の怪談」のヒトで、脚本家は「コンセント」のヒトだった。珍しく私、過去に両方ともの作品見てるな。しかも両方とも「ああ、ねえ」といった感じの作品だった。ああ、ねえ。
(03.0518)



【アニメ映画】・「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード」 監督:水島努(2003、東宝)

公式ページ

みさえのつくった朝食があまりに貧相なために、大ブーイングのしんちゃんたち。しかし、それはみさえが食費を切りつめ、夕食を豪華な焼き肉にしようとした結果であった。「晩ご飯は焼き肉!」ということで家族全員納得したのだが、そこに謎のオッサンが車ごと乱入。「悪いやつに終われている、助けてくれ!」といきなり言い出す。
何のことやらサッパリわからない野原一家だったが、謎のオッサンが託した「あるもの」のために、このオッサンの所属しているらしい組織に追われるハメになる……しかも託されたものがなんだかまるでわからないのだ。

「夕食には一家で焼き肉が食える……。」それだけをモチベーションに、野原一家は真相を知るために謎の組織のある熱海へと向かう……。

ネットをざっと見て多くの感想にあるように、脚本に少々ムリがある。「焼き肉」は一家団欒の象徴としていいとしても、向かうべき土地が熱海である理由がまったくないし、その他にも「なぜ野原一家が狙われるのか」、「謎の組織の存在理由」、「謎の組織の崩壊後」など首をひねるところがたくさんある。悪役のキャラクターも「もっと掘り下げれば面白いのになー」というところにとどまっている。
途中で野原一家を助けたドライバーも、後にもっと活躍するかと思ったのだがしなかった。

ただし、ギャグで面白いところはたくさんあった。顔の表情とか間とかで笑えるのね。モデルはだれだか浅学にしてわからんのだけど、女装したひろし(しんちゃんの父)にホレてしまうドライバーも、「外国の映画にこういうヤツ出てくるよなー」という感じで面白いんですよ。

それと、一度はしんちゃんを裏切った友達(名前忘れた、いちばん気の弱そうな子)が、信頼を取り戻そうと敵に立ち向かっていくところとか、敵のおっさんがそれを讃えてやるところとか、「これこれ!」という描写だった。映画的には当たり前の描写なんだけど、こういうのができないマンガが何と多いことか。

時間的にガラガラの映画館で見たんだけど、やっぱりコメディ映画はお客さんがほどよく入っているところで見た方がいいね。大声で笑うのがはばかられるもん。
(03.0517)



【雑記】・映画、AIBO、「POPZONE」休刊

「POPZONE」リイド社)休刊
コンビニ売りのエロ寄りマンガ雑誌、「POPZONE」がVol.6をもって休刊だそうだ。
同時期に創刊した、同社のCOMICうさまんが休刊したというのでイヤな予感がしていたのだが……。
マンガの「面白い面白くない」くらいなら勝手に言うことができるが、雑誌の「売れる売れない」に関しては、どうしたら売れるのかなどサッパリわからないのでコメントはさしひかえます。

ある日のことだ。「嵐を呼ぶ クレヨンしんちゃん栄光のヤキニクロード」が、11日までで新宿、渋谷、池袋などでは終わってしまっていることに気づいた。 しかし、「ぴあ」を見たら、東武練馬とかいうところではまだやっているという。

新宿紀伊国屋近くのチケット屋で「クレヨンしんちゃんの前売り券ありますか」と聞いたら、カウンターのおねーちゃんに「もうこの辺ではやってないんですけど……どこで見るおつもりですか?」と聞かれたので「東武練馬」と答えたら、「あっそうですか。『ワーナー・マイカル・シネマズ』ですね」とすぐにわかったらしく、前売り券を売ってくれた。
ついでに、現在新宿でも公開中の別の映画の前売り券も「買いたいんですけど」と言ったら、「それはどこで見る予定なんですか?」と聞いてきた。

おいおい、コレは今でも新宿あたりで絶賛公開中なんだから、どこで観ようといいじゃないか、と思ったが、私は「ここで決めないとマズいんですかね?」と普通のトーンで聞いた。すると、カウンターのおねーちゃんは「いや、別にかまいません」と言って、前売り券を売ってくれた。

私は前売り券のシステムというものを知らないのだが、「新宿のチケット屋だから新宿で観なければならない」という決まりでもあるんだろうか?
私が何かマズいことでも言ってしまったとか?

なんだよー!!!!!
もう何もかもイヤだー!!!!!

なんちゃってAIBO動物園零魂
AIBOの類似品ばかりを集めたページ。これ、やりたかったんだよなぁ! しかし、現物を集めるのがさすがにムリと判断、断念した。このページもすべてを購入したわけではないだろうけど、つくったものがとにかくエラいのだ。
(03.0517)


【映画】・「名探偵コナン 迷宮の十字路(クロスロード)」 監督:こだま兼嗣(2003、東宝)

公式ページ

京都や大阪で、謎の連続殺人が発生。5人の人間が殺される。捜査の結果、この5人は仏像や美術品専門の盗賊団だったことが判明。ボスが「義経」、部下は全員、義経の部下の異名を持っていた。

一方、小五郎とコナンは、京都に来ていた。ある寺の住職からの依頼で、8年前に盗まれた仏像のありかがわかるという絵の暗号解読を行っていたのだ。しかし、コナンたちも謎の男に命を狙われ、盗賊団の連続殺人事件と仏像のありかの謎解きは交錯を始める……。

「名探偵コナン」は、マンガはあまり熱心に読んだことはないが、劇場版アニメは「天国へのカウントダウン」、「ベイカー街の亡霊」と続けて見ている。今回が劇場第7作目だそうだ。

結論から言うと、「なぜコナンは高校生から子供になってしまったのか」というシリーズ通しての伏線がスリリングにからんでいる「天国への……」、脚本に推理作家の野沢尚を起用し、「ヴァーチャル世界の19世紀ロンドンでの推理」という魅力的な設定を用意した「ベイカー街……」と比較すると、少々スケール的には小さくなった。
「金田一少年」以降の推理マンガにおける、推理小説を少しでも読んだことのある者が感じる決定的な物足りなさは「小さなトリックをバラまいて1本の作品に仕立て上げた」ような感触にある。これは「土ワイ」などの2時間ドラマにも言えることなのだが、本作もどうにもこうにもそんな感じになっている。
「義経記」にからめたのも中途半端で、もっともっとこの辺を強調すればいびつな怪作ができたと思うのだが、そこはそれで仕方がないんだろうな。

ただ、謎解きをするときの大見得を切るシーンや、ラストの本筋とは関係ない手毬歌の謎解きなどは楽しい。関西の高校生探偵、服部平次も大活躍している。コレはねえ、子供はハマると思うよ。
(03.0517)



【CD】・「ミニモニ。数え歌〜お風呂ばーじょん〜、ミニモニ。数え歌〜デートばーじょん〜」 ミニモニ。(2003、zetima) [amazon]

メインの「ミニモニ。数え歌」に関しては、ここにさんざん感想を書いたので繰り返さない。

で、カップリングの「ミニモニ。ジャンケンぴょん!(2003ば〜じょん)」について。
新メンバーによりセルフ・カヴァーが行われるのは「モーニング娘。」のもはや恒例。
今回は抜けた矢口のパートを高橋愛が歌った新バージョン。音楽専門サイトを見たら「アレンジがドラムンベースからバウンス寄り」になったそうだが、私自身は「バウンス」ってのが何か知らない。
最初のバージョンと比べてみると、辻・加護の成長がいちじるしい。コメディ調の声、歌い方が完全に板に付いてきた。「2003ばーじょん」を聞き比べると、当時がおっかなびっくりだったように聞こえる。

また、よくも悪くも高橋愛は辻・加護と非常に声質が近い(矢口が異質だったということ)。だから、細かいパートは知らないけどまんま矢口と交替したということらしいが、もしゼロから現メンバーで「じゃんけんぴょん!」を歌うとすればパートは変化すると思う。このバージョンで、ステージなどでまた盛り上げてほしいもんです。
(03.0517)

「つれづれなるマンガ感想文2003」もくじに戻る
「つれづれなるマンガ感想文」5月前半
「つれづれなるマンガ感想文」6月前半
ここがいちばん下です
トップに戻る