乙葉を「おつは」と読む男

つれづれなるマンガ感想文 8月後半
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一気に下まで行きたい

2001年

8月31日(金)

午前中、雨。
いつも、時事問題(あんまり政治とか関係ない系の)を取り上げるか超個人的なことを書くか、常に揺れ動いている当日記なワケですが、同時に、毎日書くか、とびとびに書くか、あるいは毎日書いて推敲してまとめてアップするか、という方法論にも揺れ動いているワケです。
今月は1回を短文にし、なるべく毎日書くことを心がけてみました。

子供たちは夏休みの最終日、またテレビのことでも書きますか(テンション低い)。

「コロシアム」(確か水曜深夜、テレビ東京)、当初パンクラスとか絡みの格闘番組として始まったと記憶しているが、現在「雨上がり決死隊」が司会で、水着タレントがゲームをする前半と、格闘技の試合を放映する後半にはっきり分化しているようだ。
スペシャル企画なのか海辺でゲームをやっていたが、知っているタレントが久志麻里奈しかいなかった。元チェキッ子だ! おニャン子ブームのとき、おニャン子とおニャン子以外のアイドルとの間にそれほど格差は感じなかった。それは、おニャン子内のタレント予備軍がソロを基本にしていたこと、おニャン子にまったくプロ意識を感じなかったことが「あれはちょっと別」という感覚をもたらしたからだと思う。
しかし、「モー娘。」は基本的にプロ志向のため、ソレに入れなかったアイドルたちはどうしても「冷や飯を食っている」という印象が否めない。久志麻里奈もその一人。がんばれ。

・ロンドンブーツのなんちゃらいう番組で、幸田まい子を発見(代表作:新しい方の「ブースカ」かなんかのお嬢様役)。もともと水着タレントで「処女」という設定で売っていたが、数年後、イメチェンして「おちついた感じの美少女」路線に変更。今回見たら、「髪の毛を金髪に近い色に染めたワーワー言うタイプ」にまた変更。明日はどっちだ。どうでもいいか。

あと、今年中に矢野健太郎毛野楊太郎のおすすめページをつくりたい。今日は毛野先生の方のリストを作製する。矢野健太郎の方は作品数が非常に多いので、どうするか検討中。

コミティアのサークルチェック。

やはり「稲垣メンバー」ネタは、だれもが口にしている模様。ここに書いたのはちょっと安易だったか。

8月30日(木)

イライラしていたら、腹が痛くなってきた。

・今年の夏は、なぜか怪談話のテレビを多く見たように思う。しかしその大半が、話者の話の途中でスタッフが「ガタッ」などと変な音を出し、それに女のタレントが「いや〜!」などと言って大声を出す(話の腰を折る)ものだった。
考えてみれば、この「話の腰を折られた」ときにどうするかに、話者に限らずその場にいたテレビタレントの真価が問われるのかもしれない。見る側も、その状況が楽しめるかどうかでテレビに対するスタンスがはかれるのではないか。
・今年の夏の興味深いテレビでの怪談話は、やるせなすの石井ちゃんでない方の「くつがない……くつがない……」と言う幽霊の話か。しかしその「石井ちゃんでない方」も、しっかり話の腰を折られていた。そして桜金造も定番で見かけた。
・そんな中、今日の「ごきげんよう」に出た稲川淳二だけは、まったく話の腰を折られず通して怪談話をしていた。大物の貫禄か。しかしこの人の話がもっともオーソドックスだ。「後で聞いたらそこにお墓があって……」といったタグイのもの。

今、南野陽子のトークが熱い
・そして、同時に「ごきげんよう」に出ていたのが南野陽子。この番組で、おれは現在の南野陽子に俄然注目をはじめた。フリートークがそこはかとなくしっかりしているのだ。オチもちゃんとある。もしかして作家がついているのか? しかしそれにしては「前へ出よう、出よう」という雰囲気でもない。
そもそも、南野陽子の私のイメージとは、「女優然とした女」というものであった。それが本当かどうかはわからないが、いわゆるアイドル人気が下降してから「女優」というイメージをまとおうとしていたことは間違いないだろう。
だから、「演技をするときに目の前に天使が降りてくる」くらいのことは言うかと思っていた。そうしたら、その逆で実に力の抜けている人だ。むろん「力が抜けている状態」をアピールするでもない。こういう人は、飲みにいった先で異様に面白時空にみんなを巻き込んだりするのだが、たぶんテレビでの威力はゼロに近いだろう。 そういう能力が見られるのも「ごきげんよう」の面白いところだ。

他に私が「ごきげんよう」で発見したことは、「三沢あけみはフリートークが異常につまらない」ということ。まあ三沢あけみにトーク能力は要求されないから、一流芸能人でいられるのだろう。私にとって「ごきげんよう」における、ダウンタウン浜ちゃんのかみさん(名前忘れた)や京本政樹などの常連は、むしろどうでもいい。

酒飲んだら気持ち悪くなった。

8月29日(水)

またちゆさんネタ。8月27日の「藤田くん、女性週刊誌に載る」にはやられたー!  いちおうマンガネタはどん欲に探しているつもりなんだが、時事ネタは早い者勝ちとも言える。いや、これは完璧に先を越されましたワイ(要するに、藤田の同人誌を論評した記事らしいのです)。
まあ、どちらにしろ私は「カノン」っていうゲーム(藤田のお気に入りらしい)の内容を知らないんで、的確なツッコミができたかどうかわかりませんが。ギャルゲーのパロディが「不条理マンガ」だと解されてしまうトンチンカンぶりはもう「いただきっ」って感じなんですけどね。

最近はアニメ好き・ゲーム好きがマスコミ業界にも入ってきていると思うので大きなトンチンカンはないと思っていたが、「わざととぼけて記事を書いている」ということも、考えられなくはないですよね。そうすると「無理解」よりも微妙にイヤ〜な世界に入ってきていると思う。

・まあだれもが思っているだろうけど「稲垣メンバー」って呼称はねえ。ダメだ。数分考えたけどうまいコメントが見つからない。とりあえずお笑い芸人で「山田メンバー」とか芸名を付けるやついないかな。

・あ、あと昨日だか一昨日だかににちゃんねるでいろいろあったらしいね。私ももう少しパソコンに詳しければその状況を興味深く見れたんだけどね。

・「ハローモーニング」で、モー娘。の「ゼリー早食い競争」において、辻が「これお酒入ってるの? 入ってるの?」ってしきりに聞いていた。お酒の入ったゼリーが好きじゃないらしい。それで司会のナカザワが「はいっ、お酒は入っておりまーせーん」って司会口調で言ってたのが面白かった。

・1週間くらい前に「ともえちゃん祭り」という篠原ともえのライブをテレビでやっていて、ライブとは別に極楽とんぼがそれのゲスト出演者とトークをするコーナーがあった。
そこでゲストのEEジャンプの男の子の方(ゴマキの弟)に「最近チータしてる? チータしてる?」(要するに勃っているか)とふざけて聞いたら、EEジャンプの女の子の方(ソニンって変な名前)が「チータって何ですか?」とマジ顔で聞いていた。

以上、今日のトピックス終わり。連日暑ィなちくしょう!

8月28日(火)

ベットリと蒸し暑く、はっきり言って軽くバテてます。

伊集院光のラジオでの、「何百人というリスナーがおもしろTシャツを着て街を徘徊し、他のリスナーに見つけてもらうゲーム」は思ったよりずっと面白かった。もともと伊集院ラジオ関係のスペシャルイベントってあんまり好きじゃないんだけど、これは面白かったなあ。ところでゲストのピエール瀧は、突然「このやろう」とか言ったりするんで反応の読めない恐さがある。前からだけど。
それにしても、Tシャツを着たリスナーの大半が秋葉原にいた、というのに少なからずショックを受ける。やはりタク=電脳に詳しい人々、なのか。パソコン音痴の私は寂しいよ。

新宿のマンガや同人誌の専門店「とらのあな」に、初めて行く。マンガのところでは、平積みになっているいちばん上の単行本だけ中身が少し読めるようになっていた。これは大変いいサービスだと思った。

しかし、おれの考えだとやっぱり書店売りの同人誌って割高だなあ。その店の前で、路上で売られている雑誌だったら100円だし。まあそういう問題じゃないのはわかっているけどね。

8月27日(月)

新メンバー増員ですな。エスロピで知った、松山千春がモー娘。を批判

なんでも「モー娘。を公然と批判することは業界のタブー」だそうで、それを破った松山千春にみんな拍手したんだと(「みんな」ってだれだ?)。
「拍手」ってどういうこと? それは、単に業界内部の話にすぎないんじゃないの。
巷ではモーニング娘。を批判することなんて、タブーでも何でもねえよ。とくにヤスダ圭(笑)。

芸能評論家の「子供の教育上よくない」って言い方にはさすがに笑ってしまった。お前らの存在も決して教育上よくはないだろ。それにさあ、もっとスゴイ「女衒」は決して表舞台には出てこないんじゃないの? うん?
まぁ松山千春やビートたけし、デビ夫人といった面々が「過激な」発言をして、それを取り上げれば紙面が埋まるんだろう。そういう図式があるのならそれもいい。

しかし、少しガックリ来るのは「芸能評論」が、「『芸』至上主義」と「ゴシップ」にほぼ完全に二極分化していることだ。コレは昔から変わらない。

松山のように、芸に、音楽に、たぶんこだわり続ける人々とは平行して、「学芸会的な」、「顔見せシステムのキャバクラ嬢のような」、方法論は連綿と続いている。今に始まったことじゃないのだ。
しかし、その子供だましでいいかげんで、何の基礎もないような歌手やタレントの、抗いがたい、合成着色料の入った駄菓子のような魅力については、言及されることはほとんどない。
おそらく、視聴者もその「くだらなさ」、「くだらないものを見ている自分」から目をそらしたいからなのだろう。ホントは好きなクセにね。

とりあえず、松山千春の「びっくり箱の歌」は本人はどう思ってるんですか?(笑)。

関係ないけどドラマ「はるちゃん」のOPがラブリー。旅館の人々と郷ひろみが、ダンス☆マンの歌を歌い、踊る。

8月26日(日)

引き続きお祭り。
ウチはお祭りのカネを払っている以外、無関心なのだが、このままで大丈夫なのかと気になってしょうがない。まあ死んだ父親が一生懸命やってたみたいだからな。
おれの代になって(まだなってない)、なんか言ってきやしないかと恐れている。
店では、「腹いせにいろんなものを槍でつつきたい」などのウィットに富んだ会話をして、親をあきれさせた。「くだらないことをしている三十代」の大会があるなら、十位以内に入る自信はある。で、おれよりもっとくだらないことをしている三十代もいる。その辺はもう恐くて、関わり合いにならないかぎりここでも言及しないだろう。

シャレにならないくらい幼稚っぽい人間ってのはいるもんだよ。

体調が思わしくなく、帰ってきてすぐ寝てしまった。

8月25日(土)

お祭りなので、店の周囲が騒がしい。親戚連中も異常とも思えるほどお祭りに熱心なことに恐怖を覚える。

ひさしぶりにある人物と池袋の日吉丸で飲む。「ある人物」とかってもったいぶってるけど、単なる知り合い。

飲み屋に行く前に、その人物が本屋で「少女革命」とかいう篠山紀信の写真集を、中身も見ないで買ってた(念のために書くが、篠山紀信が映っているのではなく篠山紀信が写真を撮った写真集)。

日吉丸は比較的高い店だということに、最近やっと気づいた。たけえよ。静かでイイんだけどね。静かに金払ってる感じ。念のために書くと、静かっていうのは「ドラえもん」のしずかちゃんのことじゃなくて、本来の意味での静かってこと。

飲み屋から出たら、一緒に飲んでいた相手は「やっぱり『少女革命』を買わない方がよかったか」とか後悔していた。ボクにはどうすることもできなかった(BGM:「そして僕は途方に暮れる」)。

8月24日(水)

・アニメ「アリーテ姫」(監督:忘れた、脚本:忘れた)
塔の中に幽閉同然の状態で住んでいるアリーテ姫は、自らの生き方を探るために冒険するのだった。

実は酷評を事前に聞いていて、さらについコミケで本作の監督のインタビュー本を勢いで買ってしまったという、妙な状態で見た。
結果から言えば、なんだか不思議なアニメだった。
「塔の中のお姫様が勇者様の助けを待たずに、自分から行動する」と一言で言ってしまえば、我々の頭の中にある「お姫様を助ける騎士物語」を反転させようとした作品であることは、見ずとも理解できる。 ところが、その反転の仕方もそのままじゃないのだよね。
本作は、冒頭からすべて、まず「お姫様を助ける騎士物語」からはずれようとし、またそこからはずれる物語からもさらにはずれようとする。
そういう意味で言えば「元気で知性があるお姫様が、行動力を発揮して大冒険」みたいな内容を想像するとまず裏切られることになる。容易に連想されるのは「カリオストロの城」だが、あのパターンからどこまでもはずれていく。
この世界内の「魔法」は、滅び去った超文明の遺産(つまり科学)だし、アリーテ姫は抜け穴から逃げ出そうとするが果たせず、彼女がもらった「三つの願いを叶える指輪」も予想どおりの使われ方はせず、姫の「自力でがんばる」的思想も、今までの知識や経験から出てきたものではない。
また、アクションぽい描写になってからも、……1回見ただけだからよくわからなかったのだが必ずしもアリーテ姫の「自力」ですべてがうまくいったわけではないんだよねコレが。

「セリフに頼りすぎ」という意見も耳にしたけれど、どこまでもアクション的な部分、映像的な部分をずらしていって、むしろセリフに耳を傾けさせようとしたのでは、と私は好意的解釈をした。そういう意味では「よくこんな静的な原作を映像化したな」とも思う。セリフ重視という点では、演劇などに印象が近い。

そのデンで行くと、本作を「魔法が科学だから」という点で「SF」と呼べるかというと疑問ではある。魔法に合理的な説明があるように見せているのは、ファンタジーにありがちな「気持ちの持ちよう=視覚的な力」という解釈を避けたからではないのか(実際、「魔法」はアリーテ姫によって「職人の技術」の延長線上と解釈されている)。その意味では「魔法」は、あくまでもテーマを内面世界に持っていくための仕掛けに過ぎず、通常の意味での「SF」とか「ファンタジー」とかとは意味合いが異なっているように思う。

そんなわけで、実に静的な作品ではあるが、内容は刺激に満ちていると思った。
ただし。子供はぜったい退屈すると思う。本作が子供向けだと解釈した場合、子供の喜びそうなモノがあまりに少ない。もう少しカワイイキャラとか出してもよかったのでは、とも思う(旅芸人の連れていた小熊がかわいかった)。

・映画「アンドリューNDR114」(監督:忘れた、脚本:忘れた)
ロビン・ウィリアム主演。人間になりたいロボットの一生を描いた作品。
まあこういう話だろうな、と思ったらまったく想像どおりだった。でも見なきゃ始まらないから。
ブレードランナー的ではない、テカテカした未来の映像がよかった。そんくらい。

・映画「フック」(監督:確かスピルバーグ、脚本:忘れた)
コレも酷評を聞いていたが。仕事人間になってしまった男が、子供を海賊・フック船長にさらわれたことからピーター・パンとして復活する。
確かに、「イイ年した大人がはしゃぎ回ってピーター・パンとして活躍する」という、だれにも感情移入できない映画。であるにしても、スピルバーグのアクションものの常道がキッチリ守られている(確かスピルバーグ監督だったよな? 忘れたよ)。 もうネタバレすると(どうせ見ないでしょ?)、世間知に長けた少年は死に、いちばんミソっかすだった男は最後に空を飛ぶ。「ジョーズ」と同じパターンだ。
「sabra」の映画評で、山川健一が「スピルバーグは選民意識があるのでイヤだ」とワケのわからないことを書いてたが、スピルバーグはファンタジー的な作品では無能なキャラクターほど優遇する、ってのパターンだと思うんだけど。
あとあいもかわらず、出てくる女が少しもかわいくない。ティンカーベルはさとう珠緒から色気を抜いたような人だし。主人公の奥さんもまったく印象がない。
全体的には「ヤングシャーロック」よりは面白い。そんな程度。

あ、あと公開当時の「シティロード」のちょうちん記事はヒドかった。人間、考えすぎはよくないいい見本。

8月23日(木)

休みだったんで、1日中マンガを読んでいた。
バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳では、藤田くんと田中くん事件の今までの顛末を、非常にコンパクトにまとめてある。
また、朝日新聞の投書欄についてのコラムが面白いからオススメ。……といってもみんな知ってるかもね。ココはアクセス数がハンパじゃないし。

さて、藤田と田中ですが、こういうネタへのコメントもなかなかむずかしいので、ズルをして「どんなコメントが多いか」ということから考える。
・エロゲーなんかやってるから犯罪を起こす
・逆に、エロゲーと犯罪とは無関係
・無職でプラプラしていたから犯罪を起こす
・オタクバッシングへの懸念
・「ミホちゃんお手柄」
・「ミホちゃんお手柄」みたいな記事ばっかり載せると、今後、誘拐犯が子供に危害を加える可能性があるのでまずい
・おれもさらいたい、とか言う人
・おれならもっとうまくやる、とか言う人

くらいのことかなぁ。なんかそれ以外の意見は思いつかないね。他の人に任す。

個人的に気になるのは、前にも書いたけどさらわれた子をクローズアップしすぎ、ってこと。だけどどうしようもないのかもしれないし。「ちょっとここで思いとどまってみよう」みたいな力学が、ぜったい働かない世界でしょマスコミって?
だから書いてもムダだと思うけどいちおう書くと。
藤田&田中の誘拐目的がわからないうちから、やたらと誘拐されてた子を出してたでしょ。でもさあ、懸念してたのは「いたずら目的だったらどーすんだ」ということでしたよ。あるいはすでにいたずらされているとか。
暴行事件の場合、その事実をどの程度報道するのかのガイドラインってあるんですかね? 米兵暴行事件なんかを見ていると、被害者の名前や顔は出さないみたいだけど。じゃあ誘拐して暴行された場合はどうするのか? 誘拐された時点で名前と顔出ちゃってるよね。どうすんだろ。
今回の場合は、誘拐された子は入院もしなかったみたいだし「無事」、「危害は加えられていない」という報道だったので何もされてないとは思うが。ただ「かわいかったからさらった」っていうのは、世間って意地が悪いから、みんな「いたずらされてんじゃねえの?」って勘ぐるよ。あらぬ噂も立てられるだろう。
それがとても不憫だよ。しかも誉め讃えられると、世間も嫉妬してくるから。
佐木隆三の「宮崎勤裁判」では、被害者の名前をすべて仮名にしていたけど、それはひとつの見識だと思いました。

あと、関連したことで言えば車の中から赤ちゃんがさらわれた事件。ねじめ正一が「5分でもカギをかけなかったことは親が悪い」的な発言をしてて、子育てしたことがないからわかんないけど、普通5分くらいならカギ閉めないこともあるだろ? 熱中症の危険とか考えれば、カギをかけない方がいいってことだって考えられるわけじゃん。
それを被害者が悪いみたいなこと言ってっからいいのかな、と思ったら、あそこの夫婦のところに「親が悪い」という誹謗中傷の手紙が何通も届いているそうだ。だからあんまり顔出すとマズイんだよな〜。
ねじめ正一、なんぼ小説が面白いかしれんが(読んでない)、コメントに関してはアホなものが多い。
以前も「運動会でおむすびを食べたかったのに、親が太巻きを持ってきたのでイヤだった」とまったく意味不明の発言をしていた。「太巻きってのがわからないんだよね」って、オマエの頭の方がよっぽどわからんわ。黙って太巻き食べろ。

8月22日(水)

メビウスひみつきちで紹介されているので読んだ、ムーノローカルの、メッセージおよびムーノローカルの作り方
8月18日みたいなことを考えていたので、たいへんに興味深かったですよ。いわゆるニュースサイトの運営方針みたいなものを、ここまで文章化したものを今まで読んだことがなかった。
ものすごいクール。「おはスタ」のミカ的に言えば、スーパークール(ミカ的に言わなくても)。いろいろ考えちゃうね。
まあウチのサイトは、ここに書いてあることの多くとは逆のことをやってるけどね。煩悶しまくりだし。

最近、言いたいことをウェブで書くか同人誌に書くかでも煩悶している。どのくらい労力を割くかにも煩悶している。
ウェブでは後に残らない。同人誌だって残らないが、宝くじを買うのとまったく買わないのくらいの差はある。また、「後に残らないのが当然」のモノほど、後に残った方がいいのは(質とは関係なしに)歴史が証明している。おれさまは「自分の書くモノなんて消えていっていい」というようなカッコいいことは言えない。後に残したいし、おれさまをいい意味で覚えていてほしいし、モテるならモテるようなものを書きたいし、儲かるなら儲かるものを書きたい。
どれもムリだからあきらめたけど。

書いたものの反応というのは、最終的には作者にはまったく、本当にまったくコントロールできない。それをここ数年で思い知った。それからあきらめのような感覚が出てきた。上記のムーノローカルは、サイト運営にあたって「終了」まで念頭に置いていたという点が珍しい(実は「終了する」と知ってからその存在を知ったりしたのだが)。
週刊連載のマンガや、話数が決まっているテレビドラマでもないかぎり、たとえば素人の活動はある日突然始まってある日突然終わる。だから「終了すること」を意識したことは、批評性を持つ。

たぶんおれさまのやってることも、ある日突然、あるいはだらだらと、終わる。始まりはだれかが覚えているかもしれないが、終了はだれも覚えていない。膨大な参加サークルを誇るコミケだって、10年前とは人間自体が相当入れ替わっているはずだ。しかし当然ながら「サークル参加をやめた」ことに関してはコミケカタログのマンガレポートにも載らない。
そういう「やめるときの心境」ってどんなだろうとずっと考えてきたりしたのだが(前も20年前の「ぱふ」を読んだときにそう思った)、そこら辺は非常に言語化できにくい部分ではないかと思う。

この間冬コミの申し込みをやめて思い出したが、私の人生、何かを突然やめたくなって、やめるとたいてい失敗している。しかしやめずにはいられない。そんな人生でした。

8月21日(火)

・「ハンバーグカレー」
台風が来るというので、家に帰ってからまた外に出るのも面倒だし、弁当を買って行こうと思った。
いつもは「松屋」で適当に済ませてしまうのだが、気分を変えてここで弁当を買うことにした。
そういえば、吉野家も「牛丼一筋80年」というのを「牛丼一筋280円」と変え、牛丼弁当を受け取ったガキが「やったねパパ、明日もホームランだ!」と叫ぶ懐かしのCMを復活させて放映している。つまり、牛丼屋において「弁当」は巨大な収入源であり、それなりのメンテナンスもバッチリ、「どうぞ! おいでませ! おいでませ! 山口県」と言わんばかりの勢いであるわけである。

ところで、SPEED1回だけ再結成するってね。

さて、吉野家が本腰を入れて弁当体制をとっている以上、ライバルである松屋も同様、いやそれ以上のことを考えているに違いない。そう、何かの秘密兵器を。黒い秘密兵器とか。なんかそういうのを。お手軽な値段で。OLに人気みたいな。と、思ったわけなんである。とくにOLに人気ってところが。

松屋は最寄り駅のひとつ戻ったところにあった。ここは元ファーストキッチンで、友人とダベるのに利用したりしていたがアッサリと我々の青春の1ページは無惨なり、資本主義の論理によって取り壊され松屋へと変貌。つったってまず最初のファーストキッチンが資本主義の論理で建ってたんスけどね、とにかくそんなホロニガな思い出(たいして思い出ねーけど)を持った独自の霊的地場を備えた牛丼屋として、私に固有の意味を訴えてきていたというあんばいなわけである。

松屋に入ると、そこには「TAKE OUT」のコーナーがまずあった。このことから、あくまでも弁当がオオヤケのものとして存在していることがわかる。近所の中華屋が、仲のいいニイチャンにだけスブタ弁当とかをつくってやるのとはわけが違う。
松屋が弁当に対して並々ならぬ熱意を抱いていることがわかる。
そこで私は「ハンバーグカレー」の弁当を注文した。

……なーんて、長々書いてきたが、結論から言うと「ハンバーグカレー弁当」とは、飯とハンバーグがまずコンビニ弁当のパックのようなものに詰められ、さらにカップにカレールーが入れられてボコンと飯の入ったパックの上に乗せられているという、とても安定性の悪いシロモノであった。
これでは袋に入れてブラブラしただけで、パックに乗せたカレールー入りカップが転倒したりして、中身が染み出すともかぎらない。
だまされた……! とまでは思わなかったが、ある種の裏切られ感は否めなかった。 というのは、私はこの松屋のある駅からもうひとつぶん電車に乗って、さらに歩いて家路につかなければならないからだ。その間にカレーがこぼれでもしたらそりゃもう大惨事である。人情紙風船的、あるいは「未来警察ウラシマン」的ネオトキオな昨今、カレーがこぼれたのこぼれないので、電車に乗り合わせた人間からどんなひどい目に遭わされるかしれない。

所詮、牛丼屋においては牛丼弁当こそが王道であり、その他のメニューはあくまでも「弁当にすることもできます」程度のものだったのではないか。「十得ナイフ」の機能のうち3つくらいはどーでもえーものが付いているように、「カレー弁当」は、すべてのメニューを弁当化しなければらないという無理難題を表面的にクリヤするためだけにつくられたものではないのか。その不安定性に、私は疑問を感じざるを得なかった。

たとえるなら、やたらとメニューの多い定食屋で、ラーメンからカレーから、カツ丼から刺身定食からあるものを、お客はたいがい生姜焼き定食を食っている、なぜなんだ? こいつら全員宇宙人が入れ替わってるんじゃねえの? えらい生姜焼き好きの宇宙人なんじゃねえの? こ、恐い。捕まる前に早く食ってすぐ出よう。そう思ってかた焼きそばを頼んだら異常にマズく、ああそうか、宇宙人じゃないんだ、単にこの店でいちばんマシなのが生姜焼き定食なんだ、と思ったら、もう遅かった。もうかた焼きそば頼んじゃった。

テーブルの下にあったヨレった「少年マガジン」の表紙の釈由美子が、うつろな目をしてこっちを見つめていた、店のテレビではコニシキが創作料理をやっていた、そんな夕暮れ時。
……っていうような心境。

それと、俳優の吹越満って広田レオナと結婚してたのな。ぜんぜん知らなかったよ。
やっぱり家で「ロボコップ演芸VS金閣寺まりも」とかやってんのかな(絶対やってない)。 あ、「金閣寺まりも」ってのは、広田レオナ演じる、タモリの「中州産業大学」の教授みたいな固定キャラでさあ、ってそもそも「中州産業大学」自体若い人はもう知らんな。慎吾ママ? うーん、あんな大それたものじゃないんだよ。
おわり。

8月20日(月)

エロCGのサイトを見ていたら、そこの管理者のヨメさんの子育て日記みたいのがアップされていて、それを読んだら世の中に対してものすごくすまない気持ちになりました。

伊集院光のラジオの録音失敗。だれか貸してください。

録画していた「ハローモーニング」を見る。モーニング娘。がゲームをしたり歌を歌ったりという他愛ない番組。リニューアルしてゲームが一新してから、そこはかとなく盛り上がらない展開になっている。ツジとカゴのわんこそば早食い競争では、食い意地のはっている二人が意外に食うのが遅いことが発覚。
4人同士の縄跳び対決では、「相手の記録をクリヤした方が勝ち」というサドンデスみたいなルールにして、縄跳びがえんえんと続くというだらけた展開に。まあそこがいいんだけどさ。

少女誘拐事件、「誘拐された子がいろんなことをよく覚えていてお手柄」みたいな記事がいっぱい載っているが、あんまりもてはやすとだれから恨みを買うかわからないし、被害者の子をクローズアップするのは疑問。それとまだ捕まってないんだから捕まってからだろ何事も。遠足は家に着くまでが遠足。

8月19日(日)

sawadaspecial.comで紹介されていたHマンガレビューサイト、WEB黄色い楕円や、さらにそこからリンクされていたビバ!エロまんが島、その他モロモロを読んで、フツフツと自分の中に疑問が沸いてきた。
「エロの素晴らしさを強調する者ほど、自分の内なるエロ心を絶対視して他人の趣向を排除しがち」であるということはここでも何度も書いてきたのだが(上記のHPがそうだと言っているわけじゃないので念のため)、もしかしてHマンガにおいてきわめて最大公約数的な「エロ」の基準があるのかなァとか思って。
……というのは、Hマンガのレビューサイトって点数制にしているところが少なくない。これは「実用」重視ゆえだと思うんだけど、最初は気にもとめなかったけどあまりに点数制のところが多いんで、なんか普遍性あんのかなァと考え始めている。
AV紹介とかどうなんスかね? ぜんぜん見ないんでわからないんだけど。「週プレ」に載ってるレビューでは、どういう行為が何回出てくるかとかの紹介だった。そういうのは実際的だと思う。しかし点数制はどうか。

上記の「ビバ!エロまんが島」では、プロフィルで管理者の趣向がきちんと明記されているのが非常にいいと思った。そこを読んだだけでそのHPを自分が利用できるかどうかがわかる。
後は、Hマンガのレビューでできるだけ普遍性を獲得するには、とにかく紹介点数を膨大にすることが得策だろう。
意識的に偏るか、普遍性を目指すか、だと思う。……などと思考が中途半端になって、この話題終わり。

24時間テレビの研ナオコが走る必然性はどこに? 間寛平やトミーズ雅はスポーツマンだからまだわからんでもないけど……。私がきちんと番組を見ていなかっただけで、なんか必然性があったのかな。バラバラになったミートくんの身体を取り戻すためとか。

夜、突然「ウイスキー飲もう」と思って買ってきて飲んだら、最悪気持ち悪くなって泣いた。強力な胃薬を用意していたのだがそれを飲んでもあまり効かず。カネを使って気持ち悪くなるという最悪パターン。

8月18日(土)

ネットウロウロをしていて、日記系サイト、あるいはテキスト系というか、そういうところでまず第一段階で取り上げられやすい話題というのを考えてみた。

1、「自分探し」に対する素朴な疑問
2、教科書問題に対する素朴な疑問
3、環境問題に対する素朴な疑問
4、フェミニズムに対する素朴な疑問
5、オタク的なものの賛美(あるいは反感)
6、コジャレたものの賛美(あるいは反感)
7、エロものへの愛着
8、ネット論(ネチケット、トラブル、バトルなどを題材)
9、少年犯罪、未成年に対する犯罪
10、政治(政治家)問題
11、宗教問題
12、オカルト批判

実はこれらは、第一段階として模範解答がある。それを列挙してみよう(注:私自身の考えではない)。

1、「本当の自分」は幻想に過ぎない。他人の評価が社会的な「自分」を決定している。
2、史実を直視していない教科書はよくない。
3、「自然なもの、ありのままのもの」が人間にとっていちばんいい、と考えるのは正しくない。あるいは捕鯨問題をからめた動物愛護批判。
4、主に「ミスコン反対」反対、田嶋陽子を揶揄する、など。
5、(これは思想的背景によって解答は異なるので、元となっている人の著作を読んで考えよう。)
6、(「コジャレ」も最近は複雑化してきていて、単純な二元論にはなりにくい。)
7、エロは人間の本能である。ゆえにそれを否定するのはおかしい。
8、(これもテーマは多岐に渡るので、その人のスタンスによる。基本的には言論の自由を擁護。)
9、ヒドいことをするやつは、顔も名前も出して八つ裂きの刑にするべき。
10、小泉首相に人気が偏りすぎ、など。
11、外国の宗教がらみの内戦、国内のカルトなど。「人間何事も偏った考え方はダメだ」的考えから、ぶっちゃけて近代的な人間像を裏で賛美するような感じ。
12、論理的思考による否定。

だいたい私が「若いな」(エラソーで申し訳ないが)と思うのが、上記の模範解答だけでテキストが構成されている場合。
ざっと見てわかるように、実は「新ゴーマニズム宣言」で1回でも取り上げられたことのあるテーマだ。すなわち、社会問題一般であると同時に、軽くタブー視されていることどもである。賛否いずれにしろ、テキスト系でどうしても「新ゴー宣」が話題にならざるを得ない理由もわかる気がする(この日記でも、取り上げたことがある)。

さて、「若いな」と思わざるをえないのが、これらの解答にはさらにいくつの疑問があるからだ。あるいはわざわざ読んでもらうための「芸」をどうするかという問題でもある。
以下は、私が上記の解答に対する疑問、あるいはわざわざテキストで書く場合、模範解答ではないふうにするにはどうすればいいのか、あるいは模範解答以外の答えとはどういうものなのかを、書いたモノである。今日はコレで終わり。

1、「他人の評価が社会的な『自分』を決定している」ということは、9割方正しい。しかし「自分」を決定している「他人」が正しいかどうかは、だれが保証するのか。周りの人間全員が「死ね」と言ったらあんたは死ぬのか。
2、まず史実を検証することが先決。左右どちらにせよ、情緒に流れすぎる解答は危険……というよりも、ヨタ度が倍増してしまう。私は内容の真偽がイマイチわからないのであまりコメントしたくない。でも教科書反対運動の父兄で泣き叫んでいるおかーさんがいたが、泣くヒマがあったら教科書のマチガイ部分を自分で教えてやれや。あ、こういうのが情緒か(笑)。
3、これも基本的に正しいと思う。しかし、環境運動の極端な部分ばかりをあげつらっているような気がしないでもない。このあたりのことは知識よりもリクツでわかるのだから、「あるべき環境運動」をアピールしてもらいたいんだけど私も含めて外野からヤイヤイ言っている場合、その辺よくわからん人も多いのじゃないかなあ。
4、フェミニズムに対しても、極論を小馬鹿にするというスタンスが多すぎる。あるいはいちばんどうでもいいところを箸帽でつついて、自分は巨乳がイイだのご飯つくってもらいたいだのといった欲望を保護している場合も多いよ。
5、6、そもそもオタクだのコジャレだのということの自分のスタンスを表明することで、何かを語ったことになる時代はもう終わるんじゃないのかという気がする。
7、前にも書いたが、エロを賛美する人ほど「自分にとってのエロ」は認めて、他は排撃する場合が実に実に多い。まず偏見を取り去ってから書こう。
8、この辺、門外漢なのでノーコメント。マジにわからん。
9、大きく二つにわかれ、事件に対する憤りをあらわにするか、一方でその犯罪を自分がやってみたいとか、加害者に同情するとか、被害者にも責任があるとか、そういうのに分かれる。いずれにしろ、パターン化されているからそれ以外のことを考えよう。
10、政治モノも、単純に分けて為政者を徹底して批判するものと、為政者側に立ったものに分かれる。しかしそう簡単にはわりきれない。とりあえずエリートや金持ちに対する嫉妬を取り去ろう。
11、自分が果たして本当に近代的な人間なのかについて考えよう。実は「近代的人間像」ってのもつっこまれるとよくわかんないんですけどね。あんまりイジメないでね。
12、自然科学による批判と人文科学による批判に分かれる。大槻教授の落ち度は、自然科学的批判に偏りすぎて、人文系の論理武装をほとんどやらなかったこと。以前「なぜお墓参りするんですか」と聞かれて「懐かしいから」と答えたっちゅーのは単純すぎますよ先生。

8月17日(金)

昨日は「いつかギラギラする日」を見に行こうと思ったんだが、同時上映の「忠臣蔵外伝四谷怪談」をすでに見ているのでめんどくさくなってやめた。
今日は「黒薔薇の館」と「黒蜥蜴」の2本立で、「黒薔薇の館」はすでに見ていたが丸山明宏の「黒蜥蜴」をどうしても見ておかなければならない、と思って行った。 「黒薔薇の館」は一度見たが、内容をほとんど忘れていたので得した気分。しかし筋らしい筋もないような感じで、忘れても仕方ないかな。田村正和が出てたなんてすっかり忘れてたよ。
「黒蜥蜴」も、内容は知っていたのでほとんど「観る」というより「確かめる」という感じだったが。京マチ子の「黒蜥蜴」も見てたし。両方見て、おれ的には同じくらいの面白さだと思ったが。

その後、「みんみん」とかいう店で餃子定食を頼んだら、ギョウザが普通の5倍くらいの大きさで泣いた。なんで「みんみん」という名前に記憶があったのかと考えたら、昔は「ギョウザがデカい」という理由で行っていたのだ。今はただ食べきれないほどデカいので、黙って涙を流すだけだ。

時間を潰さなければならなかったので、アニメイトに行ったりゲーセンに行ったりしてそこら辺をウロウロしていたら、3回も同じおねーちゃんに「マッサージ行きませんか」と声をかけられて何となくバツが悪かった。

「アニメイト」では、中学生くらいの女の子が大勢ダラダラとマンガやCDを眺めていた。このうちの70パーセントくらいは、あと5年もすれば「ケッ、アニメなんてよー」と言いながら漬け物の残り汁でもう1回漬け物を漬けることと、亭主の小遣いを削ることと、近所の小生意気なおハイソ主婦をイジメることしか考えなくなる。 当然、自分のガキの読んでいるエロマンガは焼き捨てる。
残りの28パーセントは、「私、まだこんなことやってるんですゥ〜」と、自分のシュミに対する言い訳を考えながらまだアニメイトに通っている。だが同い年でアニメとか好きな男は徹底的に軽蔑し、職場でアニオタ風の社員に戯れで本命っぽいバレンタインチョコをあげて反応を見て楽しんだり、「彼氏に暴力を振るわれる」と相談してきた友人の話を神妙な顔で聞きながら、内心せせら笑ったりしている。

残りの1パーセントはカルトにはまり、残りの1パーセントは……よく知らないけどたぶん幸福に暮らすんだと思う。

どうでもイイが、レジ前で「アラレちゃん」の「サラダきのこ」みたいな刈り上げ頭をしていた女子高生みたいな人がいたがありゃいったい何か。しかもおしゃれってんじゃなくて「便宜上」みたいなニュアンスなんだけど、「便宜上刈り上げ」っていう状況がこの世にあるのか。知らない。

家に帰って、突っ伏して泣いた。

8月16日(木)

映画を見に行こうと思っていたが、めんどくさくなっていかなかった。
とにかく部屋に雑誌とマンガ単行本が散乱している。「SFおしかけ女房ものの同人誌を出そう」などの理由でマンガを大量購入し、その後断念したので消化しきれていないままなのだ。
……というわけで、家でちびちびとマンガを読んでいた。

田中康夫が、着ぐるみと一緒に高校野球を応援して文句を言われたんだって。
田中康夫がイイモンかワルモンか知りませんが、「高校生らしくない」とかって文句を言われ、「チアリーダーならいいのか」って言ったら「チアリーダーは部活の延長」と言われたんだそうだ。
好きな人には申し訳ないが、私は高校野球があまり好きではない。

明日から夏休み、やっとゆっくり家でゴロゴロできると思ったら同僚たちが海外旅行に行くだの田舎に帰るだのと言う話をしていて、「家でゴロゴロしよう」と思っているのが自分だけで、恐くて言えなくなり、私は「どこそこに旅行する」とウソをついてしまう。
本当は旅行なんて行きたくないのに。
どうしようか。本当に行った方がいいのか。いや、単なる雑談なんだからそんなことは忘れているだろう。しかし、もし覚えていたら休み明けに旅行について聞かれるし、さらにおみやげも要求されるかもしれない。行かなかったら引きこもりだとか言われるんじゃないか。
そう思ったら、楽しいはずの休みがちっとも楽しくなくなってしまった帰り道。

どっかの店のディスプレイとしてテレビが何台もあり、そこには汗を流す高校球児たちが映っていた。彼らをじっと見つめてみる。私は高校野球を、はなはだ不当だとは思いながら憎みました。あのさわやか少年たちを。
そしてふと、決しておとしめているつもりはないのに、結果的に日本でいちばん高校野球の裏側についてバクロしてしまった石橋貴明や、「学校にはマクラを持っていって、授業中はずっと寝ていた」と品行方正な高校球児の夢をブチ壊してくれた某野球選手のことに思いをはせる。
彼らの言動に、密かにほくそえんでいました。
インタビューで「お客さんを喜ばせたい」と言った球児に、アナウンサーが「そんなことは考えなくていい」とも言ったらしい。なにやらむかつきます。おまえが言うことじゃないだろ、と思います。しかし、球児から思ったとおりの答えが返ってこなくてつい口がすべったのでしょう。

私が総理になったら、どこぞの参拝だの構造改革だのはせず、高校野球を自分の理想状態にすることを夢想する。
まず観客全員に、田中康夫のマスクを被せる。そして「♪ルパン〜ルパン〜ルパン〜」という音楽をかける(注:「どっちが勝つか三代目」のネタです)。
チアリーダーは十代の小娘なんかじゃなく、23〜24歳くらいのエロエロなレースクイーンを呼んでやらせる。カメラ小僧大歓迎。
9回は「ジャンピングクイズ」で、点を入れたらどんなに差が開いていてもその場で大逆転とする。
高校球児は好き勝手な髪型をしてOK。しかし坊主だけはダメ。
高校球児は「小さい頃、何を最初にエロいと思ったか」を全員告白すること。「何番、だれだれ君」って呼ばれるときに、そのアイテムも一緒に読み上げられる。
「小さい頃、いちばんエロいと思っていた」ものが、「闇のパープルアイ」で鎖につながれた雛形あきこだった球児はラッキーポイントが得られる。
石原都知事に「おまえ、まばたき多いんだよ!」と叫ぶ。
始球式は前田愛とかその辺を呼んで、ロリコンの人も満足させる。
ラッキーポイントを得た高校球児は、「ガオレンジャーソーセージ」食べ放題。
付いてるオマケは没収。

8月15日(水)

過ごしやすいと言う予報だったが、じんわりと蒸し暑かった。カネもないのに、高田馬場ビッグボックスの古本市に行った。いや、家にいると近所の倉庫がうるさいから。 手ぶらで帰るのが寂しくて、SFマガジンのバックナンバーとか買った。

近所の外科医院の先生が亡くなったらしい。ほとんど生まれた頃からお世話になっている先生。10年くらい前に倒れたが、またテニスをするくらいに回復していたのだが。私が最後にかかったのは、部屋の窓ガラスをつまずいて叩き割ってしまい、ガラスの破片を指から出してもらったときだから去年か一昨年だった。合掌。

13日に小泉総理が靖国に参拝。今日もいろんな人が参拝。だいたい、友人がどんな仕事をしていようが、近所にどんな100円ショップが開店しようが興味のない空想中年の私が、実際の政治に興味があるわけはない。優しい優しい先生が教えてくれれば別だが。なんか。田舎の政治学科の女子大生みたいのが。カーディガンの第一ボタンだけとめているような。しかし、いるのは三宅久之みたいなハゲっ子めがねオヤジだけだ。
おそらく新聞を丹念に読めばわかることなんだろうが、ホントに素朴にわからないことがいくつか。
テレビだけ見ていると、戦争関係者は賛成派も反対派も全員靖国にこだわっている錯覚を起こすが。国会議員も、ここまで靖国にこだわるということは、何らかの利益があるからで、利益というのはまあ素直に考えて一定量の人間の支持が得られるということだろう。ここがわからんのだよね。いや、支持者はいると思うが、いったいどれくらいなのか。

ちなみに私の亡父は戦争に行ってシベリアで抑留されて、戦後も2年くらい向こうにいた。その兄は、やはり戦争に行って死んでしまったそうだ。
しかし「総理大臣に、靖国神社へ参拝してもらいたい」とか、そういう話が家で出たことは一度もない。うーん、確か「戦争で死んだ人間を犬死にと言われるのは忍びない」みたいな話題は出たことがあったけど(戦争がムダだった→死んだ人間もムダだった、という文脈から、このあたりの言葉のすれ違いというか投げ合いは昔からあったとは思う)、私の記憶だと父親が直接言った覚えはないなあ。
母親にいたっては「靖国神社」ってのが何なのかよく知らないみたいだし。

ぶっちゃけた話、「どうでもいい」と思っていたらしい。何をしようが、死んだ人間が生き返るわけじゃなし。もちろん直接ひどい言葉を投げられれば別だが、一国の総理がそのような発言をすることはまずなかっただろうし。「新しい歴史教科書云々」もそうだが、だいたい戦争中も戦争が終わってからも、いろんな受け取り方をした人間がいたはずなのに、自分の都合のいい考えの人だけ呼んできて、そういう人の意見だけ聞いて、声の大きいやつだけが「私はサイレントマジョリティの代表です」みたいなことを言う。
しかし「どうでもいい」と思っている人は、かなりの人数いるはずなのに、「どうでもいい」がゆえにまとまった意見が聞けることは少ない。と思った。

8月14日(火)

やっぱり申し込みしたくなって(大爆笑)、申し込み用紙の入手方法を探すが、けっきょくどこにも売ってないことがわかってかえってホッとしたり。ティアズマガジンを読んで(みんな上手いので)凹んだりした。
もうこういう性格なんだから、仕方ないんですよ。自意識過剰でなければ、最初っから同人誌なんてやりませんもん。

午前中、恵比寿ガーデンシネマで映画「テルミン」を見る。世界初の電子楽器「テルミン」を発明した科学者・テルミン博士の一生を描いたドキュメンタリー。にわかには信じがたいほど数奇な運命を辿った奇人科学者の話なんだが、面白いことは面白いんだけどこちらの期待があまりに大きすぎたのか、普通に面白いという感じでした。 どうも「世界情勢に振り回されてかわいそう」という意識が先に立ってしまったからかもしれん。
物語内のマッドサイエンティストや宗教家、格闘家は、「政治」をも凌駕するパワーを持ち得ると人々に錯覚を起こさせる。しかし実際にはやはり「政治」がすべてを規定しているのだな、とホロニガな気分になった。

夕方から某MLの飲み会。やっぱり飲み過ぎてしまいましたよ。まあでも楽しいからいいか。

ここ2、3日、カネを使いすぎたので、月末までおとなしくすることにします。

8月13日(月)

昨日書き漏らしたこと。
隣のサークルさんが撤収する際、そこのセンパイみたいのが来て、ダンボールをバーン、バーンって乱暴に机の上にのっける。こちらの本が揺れるくらいに。後輩らしき人が「やめてください、隣もいるんですからやめてください」と一生懸命止めるが、その先輩はやめようとしない。
いらないダンボールを潰すときも、すごい勢いでやってて隣にいて肘で顔を直撃されないかとハラハラ。仕方がないので席をひとつ隣にずらした。

実はちょっとムッとしてたのだが、その後輩らしき人が「すいません、ほんとすいません乱暴しちゃって」としきりにあやまってきたので、あ、後輩は礼儀正しいんだと思って気分を直す。
で、隣のサークルの帰る準備が整って、後輩らしき男女が帰っていったのだが、先輩らしき人には挨拶もそこそこ、目も合わせなかった。先輩らしき人は一緒に帰らずに彼らに対してこう言った。
「じゃ、また2年後くらいに!」
なんだよそれ(笑)。察するに、メイワクな、あまり会いたくない先輩に偶然遭遇し、おせっかいで手伝いを買って出られたのではないか。

今日は昨日買ってきた自主制作アニメビデオ「浅瀬でランデブー」と、同じサークルの自主制作特撮ビデオ「聖ジェルノン」を見た。どちらもオタクアミーゴスで紹介されていたものだが、実際自分の目で通してみるとまた違った楽しみ方がある。……って微妙な書き方してますが。

あとビデオにとっといた「e−Cluber」を見た。司会が小池栄子で、ゲストが佐藤江梨子のトーク番組。小池栄子が「ウインナーを棒に刺して、コンロで焼いたら手を火傷した」と衝撃的にどうでもイイ話をしていた。
いや、女がウインナーを棒に刺して食っていたというクダラナイ下ネタじゃなく、神妙な顔をしてウインナーをコンロで焼いている小池栄子を想像したらなんか面白くて。
オレだけかそれは。

8月12日(日)

コミケ当日。昨晩ちょっと飲み過ぎたが、遅刻がコワイので朝4時頃起きる。そして6時半頃家を出る。
もともと会場に行ってからはそれほど忙しくない私は、コミケって行くまでがいちばん大変な気がする。

ヒーヒー言って会場に着くと、手伝いをお願いしている児玉さんはすでに来ており、時間までいろいろ準備。
毎度毎度気になっている、見本誌提出の際の準備会からのクレームも今回はなかった。

始まったのでいろいろ本を買いに回る。いちおう事前にチェックをしていたが、会場の雰囲気に煽られたのかかなりどうでもいいものまで買ってしまったので、一瞬反省。しかし自分でサークルをやっていると、がんばってほしいサークルには御祝儀的に買いたい気にもなったりするんだけど。

昔っからそうだが、買うだけでもかなりの労力がいる。今回も、気力と財力がなくて創作系はほとんどあきらめざるをえなかった。

委託したPCエンブレムは、私が見たかぎりけっこう売れていた。私の「ぶっとびマンガ」は、まあだいたいいつもどおり。ここで気になるのは、他の評論分野の本がどれくらい売れているかと言うことだ。おそらくケタ違いの有名どころはともかく、「秋元文庫の全リスト」とか「サザエさんのじゃんけんの全データ」、それとアニメや特撮系のデータ本などはいったいどれくらい売れているのか。いやマジに知りたい。
こうした本は、手間が容易に想像できるものの、あまりにも対象読者がピンポイント的なので実際のところどうなのかと。似たようなことをしている身としては非常に気になる。

アサクラさんが来て挨拶できたのがうれしかった。ネット上で偶然発見した日記が非常に面白く、ヒトに勧めているウチに相互リンクするようになった。とくに激しく趣味が合致しているとか似たようなHPをやっているとか、そういう共通点がない中での遭遇。年齢も離れてるし。実に不思議な出会いでした。

また、特撮エリアでひさしぶりにおちゃるさんに挨拶。ここらあたりで大月ウルフの本(レインボーマンのファンの人が出してるらしい)や自主制作アニメのビデオなどを買う。

で、いろいろあって終了。気楽院さん、Gさんとともに「混むから」という理由で東京テレポート駅まで歩き、そこから天王洲アイルに行ってモノレールで浜松町、渋谷というルートで某学会の打ち上げに参加させてもらう。そこでぼちぼちと買った本を見せてもらうが、伊集院のラジオのネタを本におこしたモノはあらためて買えなかったことを後悔した。単なるネタおこしだけではなく、レイアウトも構成も、オマケ的な内容もかなりよくできたものだった。

それと、これは開催時間中ずっと悩んでいたのだが、冬コミはけっきょく申し込み用紙を買わなかった。今回、とにかく同人誌をつくることが大変すぎ、時間をとられすぎた。コミケも何回か出ているうちに「売り部数もまあ、これくらいだろ」という限界が見えてきたこともある。毎回新刊を出すのも(年2回でさえ)キツくなっているので、ここらで頭を冷やそうという感じ。他のことが何にもできなくなってしまうし。
ここで決断できたのは、少ないながらも周囲の人が評価してくれたからだと思う。私は個人的に評価されたいあまり、無駄な悪あがき的努力に時間を割いてしまい引き返す地点を見失ってしまうことが多いのだが、少数でも支持してくれる人がいるなら、むやみにテンパったりしないで活動していこう、という今までにはない心境に達することができた。

やっぱり本を出す以上評価されたい。部数であったり特定個人の評価であったり、その基準はいろいろだが、WAIWAIスタジオにおいて部数は限界が見えたが、少数だけれど評価してくれる人がいたことは実感できた。だから冷静になることができたということか。過去5年半くらい、同人誌に関しては精神的にあがきの時期が続いたので、足下を見つめようというところ。

私の人生、いつも過度な期待と裏切られ(私が勝手に裏切られたと思っているだけだが)の繰り返しだったので、煽られずに一度冷静になってみようと。

ヘトヘトになって帰り、爆睡。

8月11日(土)

同人誌もできてホッとして、頭の中もすっかり盆休みになってしまい、店で何度も計算間違いをして凹む。

だれかと話したい欲求がたまっていたので、力学(ちから・まなぶ)に連絡、吉田等と会う予定だというので3人で会うことにする。
3人揃うのは実に久しぶり。思えば「生まれたときは別々でも死ぬときも別々」と誓い合った仲であった。何言ってんだよおれ。つまんねーよ。世界陸上、織田裕二はああいう芸風を確立したから許すけど、後はプロレス的な煽りが多すぎるよ。走る冷血美女? 知るかー!(絶叫)

新宿のどっかの焼き肉屋でさんざん飲み食いした。明日、コミケなので精が付く方がイイやとか思って。
吉田等と力学(ちから・まなぶ)の会話を聞いていたら、仕事の話など、けっこうまともな話題を取り上げていてショックを受ける。ポッポコピーとかプップクプーとか、そういうことはあまり考えていないらしい。あ、この場合のポッポコピーとかはちゃんと「ネタ」になる面白さとかではなくて、本当に真に無駄なことね。

いいかげん無駄なことを考えるのはやめよう。1日並牛丼1杯だけで生きていけないかとか。もうダメだ。

8月10日(金)

朝、同人誌をコンビニにコピーしに行き、帰って製本。ページ数も少ないし部数も少ないからけっこう早く終わった。
次はカタログのチェック。ほとんど受験勉強みたいだ。
実はこのカタログチェックというのが個人的にぜんぜん楽しくない。辛い。分量があまりにも多いから。実は今までもそんなに一生懸命やってきたわけではないんだけど、いざ本気出してチェックしようとすると、辛い。……もともと、同人誌を買うということに向いていないのかもしれない。細密さと、フットワークを要求されるから。

映画「猿の惑星」(監督:ティム・バートン、脚本:知らない)を見に行く。
行く途中で、銀行に行って明日のために両替。駅まで着いて忘れ物を思い出し(ガスの元栓閉め忘れ的なモノ)、いったん戻ってまた行った。

なんだか雑誌とかでやたらとこきおろされているのでどんなもんだろと思ったら、案外面白かった。
映画をそんなにたくさん見ているわけじゃないが、最近のハリウッドのSFX映画って、いちおう脚本は練れているし特撮もスゴイ。ただどうしても「物足りない」という感触を抱かざるを得ないものは多い。「ハムナプトラ2」もそうだったが、映画を見ている間の満足度に比べ感想として「絶賛」とか「ぜひ見に行った方がいい」みたいな意見が聞かれない。だから評判聞いてから見に行くと、「言われるほど退屈じゃないじゃん」って思う。でも、自分も映画館から出て、10分もすれば忘れてしまう。そんな感じのものが多いし、本作もそうだった。

ところでどういうわけか、映画が始まる前からずっと断続的に叫び声をあげている観客がいて、……あれは何なのかな、何かの病気なのかもしれない。で、映画がやっている最中も、ずーっと断続的に叫び声をあげていた。

ちなみに「千と千尋」には行列ができていて、立ち見状態だった。

8月9日(木)

昨日も半日ガタガタやって、今日やっと同人誌の原稿あがる。22ページ、少ないが今の私の全力だ。
過去の日記を読み返すと、同人誌製作時のテンパった状態がわかるので(私にとっては)興味深い。
今回はモチベーションを維持するのが大変だった。エラソウなことを言うようだが、だれにも頼まれてもいないことをこだわりだけでするっていうのも、これはこれで大変だと思う。

8月7日(火)

昨日の夜、急に涼しくなって、クーラーをガンガンにかけっぱなしだったので寒くて夜中に目が覚めてしまった。

近所のコンビニで買い物をしたときに「ご一緒にフランクフルトもいかがですか」とか言われるようになった。なんか言う方も照れちゃってて、微笑ましいと思って気にしなかったが(ここは店員教育がすごく行き届いているということもあり)、最近は「ご一緒にフランクフルトもいかがですか」という問いに対し「いいです」と言うと「次にはお願いします」とか言われるようになった。

しつこい。いっぺんにイヤになった。だからもう行かないかもしれない。

・「新・トンデモ超常現象56の真相」 皆神龍太郎、志水一夫、加門正一(2001、太田出版)を、昨日読了。
数年前に出た「トンデモ超常現象99の真相」の姉妹編的な内容。古今東西の超常現象について、コラム的にコンパクトにまとめて解説している。古代文明やUFOなどの昔から語られてきたネタから、最近起こった岐阜県富加町のポルターガイスト事件や「額に1円玉が貼りつく『超能力』」までその題材は多岐にわたっている。
個人的に感心したのは「米国ホプキンスビルで異星人による襲撃があった!?」、「四谷怪談は実話だった!?」など。前者は現地リポート。取り立てて見るところもない、宇宙人騒ぎだけで今でも人が訪れるという町のリポートはなんだかしんみりしている。後者は文献による調査。昔のお芝居は実話を題材にしたものが多いから漠然とそうなのだと思っていたが、そこにはなかなか複雑な経緯があるようだ。
全体的に「トンデモ超常現象99の真相」よりも、うわさ話や伝説の伝播に重点を置いた調査のような気がした。そこが興味深い。しかしいろんなコトが伝わるもんだよねえ。

8月6日(月)

「おはスタ」は、夏休み2週目に突入、わざわざ見るまでもないほどダルくなってます。それにしても慎吾ママに「おっつー」まで取られるとは……あれは確か、ベッキーが言い始めた言葉だったと思うが。たぶん慎吾ママはパクってるとは思ってないだろうが、とにかく「おっつー」ってのがあったのよ。

「世界陸上」で、レポーターに矢田亜希子。ハイチュウのCMで、映画「クロスファイア」で、「ごきげんよう」で超絶的にツマンナイことを言っていた存在として有名な矢田亜希子が。ふだんはやる気なさそうな矢田亜希子が、アンニュイな矢田亜希子が、砲丸投げだのハンマー投げだのの結果に一喜一憂。
心の中では「早く家に帰ってコーヒーゼリーでも食べたい」と思っているくせに。

それにしても、もっと「世界陸上」に似合いそうな女優がいそうなもんだが。

それともイメージ払拭のためか(最近の、髪の毛につけるクリームみてえなやつのCMにもその意図を感じないでもない)、わざと似合わないことをやらせてそこにエロスを感じさせるという深謀遠慮か。

因幡の白兔伝説があるという白兔海岸にサメが出たというニュース。で、安藤優子が「どうですか木村太郎さん」って言うと、木村太郎が「あそこらへんの地方ではサメのことをワニっていうんですよねェ。だから因幡の白兔伝説に出てくるのはワニじゃなくてサメなんですよね」って言う。すると、安藤優子と産休の木佐アナの代わりに出ている女子アナ(名前忘れた)が「へーっ、そうなんですかあ!」と過剰に驚く。
で、「だからあそこら辺はサメが出てもおかしくないんですけど、でもサメが出てきたらまずいですよね」みたいなことを言う木村太郎。なんだかムカついた。

確かに私もサメのことをワニというとは知らなかったよ(笑)。だけど方言がワニだということと、その海岸に頻繁にサメが出るということは意味が違うだろう。別のニュースでは「因幡の白兔伝説があるにもかかわらず、サメはふだんは出ない」って言ってたぞ。

とにかく、このニュース番組では、安藤優子が遠慮しているのか、解説の木村太郎の言うことが絶対正義になってしまっている。解説者というのはやくみ●るも含め暴言を吐くものだが、それはあくまでも「外部」の人間であるから許される。だから解説者の暴言を、「内部」の存在である司会者が諫めることもある。
ところが安藤優子のニュースでは、とにかく木村太郎が絶対正義。木村太郎は王のようにふるまっているとも取れるし、安藤優子ももう一人の女子アナも、木村に対しイエスマンすぎるとも言える。なんとかしてくれ。

もうひとつ、以前同じ番組でムカつくことがあって、「吉野家が値下げ」という話題のときに男のアナウンサーが「牛丼ってたまに食べたくなりますけど、店で食べるのは恥ずかしいですよね」といきなり発言。あきらかに「私のような地位のものが牛丼屋に入っているところを見られたら恥ずかしい」的なことをにおわせる。要するに、それまでやっていた「吉野家値下げ」で喜ぶ一般庶民を愚弄しきったコメントであった。

こういうのこそ謝らせろよ。おれにパンとサーカスを。

8月5日(日)

レイアウト全部終わる。ページ数が前より少ない。悩んでいるうちに泣けてきた。でも少し文章書いたよ。

地元の商店街でお祭り、超ウザい。泣いた。

「地元」っていうのは、私の住んでいるところで、仕事をしているところとは違う。だから手伝わされているわけではナイ。
だけどウザいんだよ! 歩行者天国と出店によって、車道も歩道も自転車で通れない状態だった。

8月4日(土)

昼は仕事、夜は飲み。昼間は少し胃の調子が悪かったが、家帰って胃薬飲んで寝たら意外と二日酔いにならなかった。

梶原亜紀がヌードで復活。梶原亜紀とは、数年前「ギルガメ」などに少し出ていたが、交通事故と盗撮騒動が重なり引退に追い込まれた巨乳タレント。
復帰してふと気づいたのだが、「交通事故」にしても「盗撮」(着替えシーン)にしても、梶原本人は被害者であるはず(交通事故については確かめていないが、当時の報道として交通違反などの記述はなかったはず)。なのになぜ本人が引退に追い込まれなければならんのか? スキャンダルというのともちょっと違うし。よく考えたらなんだかよくわからない。
盗撮されたのが本人じゃないという弁明や、事故からの長期休養からの復帰にコストがかかりすぎるということなのかな。謎。

・「唐沢俊一の裏モノ見聞録」 唐沢俊一(2001、講談社)読了。
裏的サイトを渉猟して、紹介した本。Web現代連載ということでネタとしては入門的なセレクトをしているが、ひとつひとつのコラムのテーマにそったサイトを紹介していたり、あるいはニュースサイトなどで紹介されていても(私個人のシュミで)まずクリックしないようなところが説明されていて読み物として面白い。紹介者の意図が明確に打ち出されているのが単なるリンク集とは違うところ。「入門編」とはいっても、私自身は9割5分知らないサイトだったし。
ちなみに知っていたのは「巨大娘普及委員会」でした。逆に「小さくなる娘」ってのもあって、「ミニストップ」のCMで手のひらに乗るくらい小さな女の子(松本まりか)がテーブルの上で盆踊りを踊っているやつがあるんですが「こういうのも『小さい娘』が好きな人は好きなのかなあ」と思ったらそこの掲示板でちゃんと言及されていて、なんかちょっと嬉しくなった。余談ですが。

8月3日(金)

「ぶっとびマンガ大作戦」製作中。といっても、ネタセレクト、コピー屋でコピー、それを台紙に張り付ける、などの作業で結局中身を一行も書けなかった。
ピカチュウやおい同人誌やゴーマニズム宣言がどっかを訴えた影響などで、コミケでもコラージュや図版使用にいちいち文句が付いてやりにくくなった。ウチは「文章が主で、図版が従」って言いきってるけど、担当者の印象で左右されるし。
コミケ名物と言ってもいい、「カイジ」や「バキ」をコピーしてセリフだけ張り替えるとか、そういうのも文句がつく。コラージュはリスクが大きすぎるので私はけっきょくヤメた。現在も「これ、一生懸命つくっても当日頒布できないんじゃ意味ないなあ」などと思う。思うとやる気なくなる。
とにかく、コミティアではいつも問題なくパスしてるんで、コミティアまでには間に合わせたいです。

昨日やってたアニメ「デ・ジ・キャラットなつやすみスペシャル」を見る。前回は去年か一昨年のなつやすみスペシャルを見たっきりだったが、いつ見てもすげーなー。
本当にすげえ。この疾走感は(たとえは古いが)ウィリアム・ギブスンでも負けるよ。……っていうか日本人が30年間かけて培ったアニメ・マンガの記号の集積であるため、異文化の人にはまったく理解できないんじゃないかと思えるおいてけ堀っぷり。 「コメットさん☆」も、違った意味で30年間かけて培ったサムシングだと思うけど、非常に対照的で興味深い。

胃の調子がイマイチ。もしかして死ぬかも……。胃の調子が悪いのにちらし寿司を激食いしたりビールをがぶ飲みしたりする。でも体重をはかったら変わっていなかった。
……ホッとするより、おれこのまま痩せ細っていくようななんか知らない病気なのかも……。
「死ぬ」って決まったら、今までガマンしてきたことを全部ヤメて(犯罪以外)、「新田さんってこういう人だったのか」と呆れられて死んでやる。まず今住んでる自宅の近くに自分が入るためのピラミッドを建ててやる。……でも法律で決まった墓にしか入れないんだって……裁判起こせ! だれが。だいたい裁判中に死んじゃうよ。

・やくみ●る問題
テレビをぼーっと見ていたら、ワイドショーにやくみ●るが出ていた。離婚会見の花田憲子に対して、「テーブルをひっくり返してやりたいくらい腹が立つ」とコメント。「大恩ある相撲界に後足で砂かける行為」と憤っていた。
昔からこのヒトのコメントには謎が多い。ワイドショーが主婦の代弁者であるなら、今回の離婚は視聴者から非難一辺倒ではなかったはず。芸能人の離婚ってのはむずかしいもんで、視聴者から支持されれば正義。されなければ悪だ。その点においては、堺マチャアキの嫁さん・岡田美里などはかなりの反感を買ったはずだ。
まあ小柳ルミ子や郷ひろみのように、最初は同情や「仕方なさ」が演出されても、日をおうごとに反感に変わっていく場合もあり、花田憲子の場合も現在のところ微妙ではあるが、すくなくともやくみ●るが今日の視聴者の代弁者であったとはとても思えない。

以前、女子アナの八木亜希子が独立の前に「休業」を宣言してやめたときも、やくみ●るはなぜか憤っており、「忙しかったので少し休みたい」と言った八木に対し、「何が休みたいだ。たいした仕事もせんで」とコメントしていた。
ちなみに、今回の花田憲子の「中途半端になっていた女優の仕事を再開したい」というコメントに対しては「何が『中途半端な女優の仕事』だ。おかみさんの仕事を中途半端に投げ出しておいて」と怒っていた。
花田憲子の女優宣言など、「めっちゃくやしい」とか言ってた元水泳選手(名前忘れた)の女優宣言くらい茶番であることは確かだが、やくみ●るのコメントには、何というか視聴者の意見を代弁していない勘違い感がぬぐえない。
もちろん視聴者の提灯持ちである必要もない。しかしこの場合、やくみ●るのスタンスが顕在化していることが必要だろう。それがテレビ的には、偉い学者先生であったり、頭の固い頑固オヤジであったりというイメージづくりにつながる。

花田憲子と八木亜希子の件で想像できるのは、やくみ●るが非常な勤勉家で、休業自体を許さないという考えの持ち主であるということだ。確かに勤勉ではあるらしいが、それをアピールしているとは言い難い。一時期、保守派知識人の地位が欲しいのかなとも勘ぐってみたが、それにしては軽すぎるし。わからん。
他にも、あのヒトの「芸能人のダレソレが吸っていたたばこのすいがら」とかの「くだらないお宝自慢」とか、どうもわかんねえんだよなあ。ホント、テレビに出てくる人の中でいちばん謎の一人ですわ。

8月2日(木)

ネットを巡回したら、あまりにも「ウタダがピノコの声」に非難囂々なので笑った。
先月の31日に書き忘れたが、そういえば今度のアルバムには「池田小学校の児童」を励ますための歌が入っているらしい。やっぱり、ウタダのCDセールス以外の戦略はぜったいヘンだ。戦略というより「売名」に近い。やらんでもいいことをやっている。
倉木麻衣の方が、せいぜい「大学入学」くらいしか話題づくりをしていないのに比べ対照的だ(倉木のオヤジは……、まさかあれが仕込みってことはないだろう)。

山田風太郎の話続き。
ウチはマンガサイトなのでマンガとの関連を書くと、忍者ブームに貢献したことはもちろんだが、よく指摘されるように「超人同士の団体戦」パターンを確立させたことが大きい。だが山田風太郎の、彼に影響されたマンガとの大きな違いはその「団体戦」の背景をきっちり描き込んでいたことだろう。考証がしっかりしているということね。
逆に言えば、少年マンガでは背景の考証が「必要とされていなかった」ということだとも思う。その辺のことも、だれか詳しい人研究してください。

8月1日(水)

山田風太郎氏逝去。数年前に買った山田風太郎のムックみたいなやつに、「何年死んだ」まで書いてあって、戒名まで載っていたので実は少し前まで亡くなったものだとばかり思っていたのだが、ジョークだったらしい。
実は山田風太郎、読めばほとんどハズレがない(と思われる)のにも関わらずそんなにたくさん読んでいなくて、それは出てくる戦国武将とか豪傑が、おそらく講談などで語られてきたヒーローだということに尽きる。
それも、猿飛佐助や宮本武蔵といったメジャーどころだけではなく、もう少しマイナーな人物が多かった。だからその人物についてのオリジナルの本を読んでから読もうなどと思っていたら、いつの間にか20年くらい経ってしまったということ。

少年時代は山田正紀や菊地秀行などのフォロワーに注意が向けられていたということもあるし。菊地秀行は「エイリアンシリーズ」などのあとがきに、1作ごとに「原典」であるB級ホラー映画について書いていたけれど、もしそれらの映画が忘れ去られてしまえば彼の小説の意味合いも変化してしまう。山田風太郎の忍者モノには、もちろん超時代的な面白さもあるけど、どこか原典を知らないでパロディを読んでいるようなもどかしさもあるにはあった。

忍者モノだけに限っても、マンガ界ではやたらと賞賛された「合理的な忍術」である白土三平との関係とか、気になるところはあるんだけどだれか詳しい人研究してください(白土三平の方が参考にしてたらしいですけどね)。



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