エイジアの海賊盤いろいろ

〜アナログブートレッグLP・ブートビデオ・資料・グッズ〜

エイジアのアナログ盤とビデオの海賊盤コレクションです。
30年間コツコツと集め続けてきた新聞・雑誌記事などの資料や
チラシ、グッズ、漫画なども幅広く紹介してあります。


『LOVE OF SCIENCE Vol.1』
Live date : Montreal Forum, Quebec, CANADA, USA / 1983. Aug. 5 (?)

アナログ時代の有名なブート。
アメリカ製のブートらしいのですが、日本製という噂もあります。
Vol.1とVol.2を合わせて一公演なのですが、
当時のセットリストと比較すると、曲順がバラバラにカットされています。
公演日は1983年8月5日・モントリオールとなっていますが、
本当かどうか怪しいです。でも、セットリストと演奏から判断して、
83年の北アメリカツアー時の演奏である事は間違い無いです。
1LP。
『LOVE OF SCIENCE Vol.2』
Live date : Montreal Forum, Quebec, CANADA, USA / 1983. Aug. 5 (?)

上記のVol.1と合わせて一公演です。
当時は、こんなヘボいブートでしか、83年のエイジアのライブの様子を
窺い知る事が出来なかったんですよね。
1LP。
『ONLY TIME WILL TELL』
Live date : Spectrum Sports Arena, Philadelphia, Pennsylvania, USA. / 1982. June. 22

アナログ時代の有名なブート。3枚組です。
公演日は1982年6月22日で、4月22日から始まった82年のアメリカツアーの
中でも、演奏に深みが出てきている時期の演奏でもあります。
特に、ここで聴ける「The Smile Has Left Your Eyes」は名演中の名演。
今となっては同内容のブートCDが幾つか出回っていますが、
全部このブートから落とされています。
音質も良く、名盤です。
3枚組みLP。
『OPEN YOUR EYES』
Live date : "Budokan" Tokyo, JAPAN. / 1983. Dec. 6

アナログ時代のブート。3枚組の超名盤です。
これのマスターになっているのは、アメリカのラジオ・ネットワーク『Westwood One』の、
トランスクリプション・ディスク(Transcription Disc=放送用音源盤)で、このブートは
その放送用音源から落とされています。
勿論、本物のトランスクリプション・ディスクもブート屋で出回っていましたが、
目が飛び出る程高価だったので、これはそれの廉価版(?)という処でしょうか。
(その割には高価でしたが・・・当時、確か西新宿のディスクロードで8980円で購入)。
放送音源落としなので、勿論サウンドボード。
とにかく音が良く、最高です。
ジャケ裏には"Maple Leaf Garden 1983"と記載されていますがこれは誤記で、
正しくは武道館初日・1983年12月6日の音源です。

ところで・・・
画像←を見るとジャケの左下が折れていますね。(T_T)
これは1998年頃、もう廃刊になった当時のゴールドワックス誌で
エイジア特集の記事を書く際、ジャケの写真撮りが必要なので
西新宿の編集部までこのLPを持って写真を撮りに行った時に新宿西口の
人混みにの中で人にぶつかって地面に落としてしまったためです。
あの時は荷物が多くて、このLPの他にもジャケ撮影用のCDとLPを
両手に余るほど抱えて持っていたんですが、それがアダになりました。
幸い踏まれはしなかったものの、補強せずに持ち歩いていたので
落ちた衝撃でこうして折れてしまったんですね。
もう気分真っ暗になったなぁ・・・。(-_-;)

この件以来、LPを持ち歩く必要がある時は、必ずLP専用の段ボール箱に
入れたうえ、更に厚紙で補強して持ち歩くようになりました。この折れ跡を
見る度に、新宿の街中で地面に落としたあの時のショックと、レコード盤に
対する基本的な扱い方について襟を正される思いがします。

3枚組みLP盤。
『1983 WORLD TOUR IN JAPAN』
Live date : "Budokan" Tokyo ,JAPAN. / 1983. Dec. 8

稀少なブートレッグLP。レア盤です。
存在は知っていたものの一度も現物を見たことが無く、
よく通っていた西新宿のブート店数件はもちろん、
新宿・御茶ノ水ディスクユニオンやその他のレコード店でも一度も
お目に掛かった事が無い一枚で、恐らくもう二度と手に入らないだろうなと
半ば諦めていた一枚でした。しかし今回、縁あって鹿児島在住のエイジアファンの方から
御厚意でお譲り戴く事が出来、万感の思いでアップデートする事が出来ました。

ちなみに彼の情報によると、これは1984年の春頃に鹿児島市内唯一の輸入レコード店(当時)で
販売されていたものを入手されたそうで、価格はおよそ6000円ぐらいだったそうです。
「鹿児島で84年の春に購入した」わけですから、この公演(83年12月8日)の後、
約3〜4ヶ月後には本盤が日本各地で出回っていた事になります。今も昔も、
ブートはリリースが素早いですね。(^^;)

音源的な観点からみると、このブートLPに収録されている1983年12月8日公演は
オーディエンステープによる数種類の同日音源が存在していますし、
本LP盤から直落としされたブートCDも『BURNING CASTLE』という
タイトルで出回っていましたので、収録音源そのものはさほど珍しいとは言えません。
しかしパッケージメディア・アナログブートレッグ盤という観点から考えると、
84年春のリリースから約30年間一度も現物を見なかったという個人的経験上、
結構なレア盤と言っても過言ではないと思います。正確な数は知りませんが
たぶんプレス枚数も少なかった筈です(恐らく再プレスもしていない筈)。

また、←の画像で確認して戴けると分かりますが
それぞれの盤面中央のレーベル面に
「AAAAAAAA」
「BBBBBBBB」
「CCCCCCCC」
「DDDDDDDD」
・・・と、それぞれの面を表す文字が印刷されています。
(デザインは全て同じ銀ラベルで、文字だけAAA、BBB...と違っている)
こういう安っぽいチープなデザイン(←これ褒め言葉です)って、
いかにもブートっぽい雰囲気があって良いですよね。
僕は好き。(^^;)

このエイジアのページ開設以来約12年間、そして個人的には約25年間、
ずっと埋まらなかったアイテムの穴を塞ぐことが出来たばかりでなく、
こうしてデータベースを画像付き←で作成する事が出来ました。
お譲り戴いた鹿児島在住のK.Oさん、本当にどうもありがとうございました。
末永く大切にさせて戴きます!! (^_^)

2枚組アナログLP盤。
『WESTWOOD ONE - TRANSCRIPTION DISC』
Live date : "Budokan" Tokyo, JAPAN. / 1983. Dec. 6

超レアな一枚です。
当然持っていませんが、アナログブートの名盤『OPEN YOUR EYES』を初め、
ブートCD『STILL TOO YOUNG TO REMEMBER − Disc 1』『YOUR EYES WILL TELL』など、
多くのコピー音源を産み落としました。
ラジオの本放送用に実際に使用されたマスター音源なので、当然サウンドボード、
超高音質で収録されている名盤です。
もちろん売り物では無いのでプレス数も極少(各ネットワークに配るだけ)ですから、
現物はメチャクチャな高値が付いています。


『THANKS OF THE MOMENT』
Live Date : Massey Hall, Toronto, Ontario, CANADA, USA / 1982. May. 8

素晴らしい演奏で御馴染みの、82年5月8日の映像版。
ブートCD『INTERMISSION』と同内容です。
ただ、残念ながら一曲だけ「Sole Survivor」が未収録です。
これは痛い・・・(^_^;)

しかし、映像は凄いです。
ブート特有の画質の粗さは若干あるものの、かなり近い位置から撮影していて、
メンバーの表情や手の動きまでもが明確に分かります。
しかも手ブレが少なく、非常に安定した画像が楽しめる一本です。
各メンバーのアップも大変良く撮れており、よく当時こんな映像が撮れたものだなァと
感心してしまいます。録画した人に拍手を贈りたくなる映像で、
82年のライブ映像としては間違い無く一番愉しめるビデオだと思います。

中でも特に「Midnight Sun」では、4人がステージ上段にあるキーボードの要塞に集まり、
4人が同時にキーボード(カールはリン・ドラム)を弾きながら歌う様子が
克明に収録されており、未発表の新曲として特別にショウアップされていたこの曲の
全体像を一部始終鑑賞出来ます。これはファンなら絶対に見逃せない必見シーンでしょう。
曲の後半から先ずハウがステージ下段に下り、
30秒程間を置いてからカールが下段に下がり、
更に30秒程してから最後にウェットンが下がって行くというスタイルは、
未発表の新曲だったこの曲を視覚的にも斬新に見せると同時に、
ステージ構成そのものが非常に緻密に計算されていた事を教えてくれます。

画質は少々粗いですが、そんなのは全く気になりません。
最高です。

約80分。
オーディエンス・ショット映像。
『TEXAS 82』
Live date : Summit, Houston, Texas, USA. / 1982, June. 30

割と有名なブートビデオです。随分と昔からリリースされているので、
持っている方も多いのではないでしょうか?
演奏も素晴らしく、特にここで聴ける(観れる)、「Midnight Sun」の演奏は
迫力満点の凄まじい演奏です。
カメラの位置はステージの左上から撮影されていて、その為に
画面はずっとステージを『見下ろしている』という映像が続きます。
画質はそんなに良く無いですが、愉しめる一本です。
ただし、アンコールで必ず演奏されている筈の「Heat Of The Moment」が
未収録です。きっと、テープが足りなくなっちゃったのでしょうねぇ・・・。

全85分。
オーディエンス・ショット映像。
# このブートにはジャケが存在しません。テープのみです。
『MONTREAL 83』
Live date : Montreal Forum, Quebec, CANADA, USA / 1983. Aug. 5 (?)

これも昔からある有名なブートビデオです。
同音源として『LOVE OF SCIENCE Vol.1 』『LOVE OF SCIENCE Vol. 2
などのアナログブートや、『BETA LIVE at MONTREAL』『ARABIA』等の
ブートCDがあります。
画質はブートとしては良い方で、カメラの位置もステージのほぼ中央から
撮影されており、83年アメリカツアーのステージの様子がよく見渡せます。
また、ブートCD『BETA LIVE at MONTREAL』ではカットされてしまっていた
数曲の演奏も愉しむ事が出来るので、これは嬉しい処ですよね。

約100分。
オーディエンス・ショット映像。
# このブートにはジャケが存在しません。テープのみです。


『ALPHA TOUR MONTREAL 1983』
Live date : Montreal Forum, Quebec, CANADA., USA / 1983. Aug, 5 (?)

上段で載せた『MONTREAL 83』の別パッケージ・バージョン。
内容は『MONTREAL 83』と全く同じですが、
画質はこちらの方が1〜2ランク上です。
しかも『MONTREAL 83』ではやたらと目立った、テープのヨレがありません。
フラストレーションが溜まる事無く鑑賞出来ます。
恐らく1つか2つほど、ジェネレーションの若いマスターから落としているのでしょう。

ただし、残念な事にこちらの方が『MONTREAL 83』よりも
冒頭の「Wildest Dreams」の収録が短く、出だしの30秒程がカットされています。
まぁそうは言っても、やはり「The Last To Know」の演奏が映像として観られるのは
非常に嬉しいですよね。
多少とはいえ、画質もアップしてますし。(^_^)

約99分。
オーディエンス・ショット映像。




雨が降る会場全体


Alan Darby


SuzieとZoeとJohn Young


SuzieとZoe
『LORELEY, GERMANY 1989』
Live date : Lorelei Freilichtbuhne, Loreley, GERMANY. / 1989. Sep. 3

このビデオは素晴らしいです。
ショット位置は少し遠めですが、ブートとしては画像も綺麗な方で、音も非常に良く、
かなり愉しめる内容になっていますが、残念なのは、たった6曲のみの不完全収録
という点です。ちなみに、収録されているのは

1. Time Again
2. Voice Of America
3. Kari Anne
4. Prayin' 4 A Miracle
5. The Heat Goes On
6. Heat Of The Moment

・・・の6曲。
この時期のブート音源は出ていませんが、この頃に割り当てられていた
ステージの時間配分から推測すると、あと数曲は演奏している筈です。
事実、ビデオには明らかに@とAの間とBとCの間、そしてDとEの間にカットがあり、
「Don't Cry」「Only Time Will Tell」「Sole Survivor」「The Smile Has Left Your Eyes」等を
プレイしていると思われます。

またこのビデオではギターのAlan Darby(これは、ウェットンが「Alan Darby !」と紹介
しているので間違い無いでしょう)や、コーラスのSuzieとZoeの両嬢を観る事が
出来るのも嬉しいところです。どちらがSuzieとZoeなのかは分かりませんが、多分、
金髪の巨乳がSuzie、黒髪のスレンダーな方がZoeだと思います。

それと、面白いのはこの演奏は強い雨の降りしきる屋外ステージで
プレイしているという点です。左の上から2つ目の画像をクリックして戴くと分かりますが、
皆、雨合羽や傘を差して演奏を見ています。こういうのは、なかなかテープ音源だけでは
分かりにくい事です。つまり、そうした演奏風景も映像でよく分かるという点で、これは
とても貴重な資料と言えるのではないでしょうか。
繰り返しになってしまいますが、不完全収録というのが非常に残念です。

尚、このビデオにはジャケがありません。背表紙ラベルのみです。
約34分。
オーディエンス・ショット映像。




holger larish


一番左John Young
『KOLN 1989』
Live date : Koln, GERMANY. / 1989. Nov. 26

ブートビデオです。
珍しい89年エイジアの映像ですが、ツギハギがあったり、何故か『Go』から
収録されていたりで、完全収録ではありません。しかしながら、
ここではあの謎のギタリスト、holger larish氏の姿を観る事が出来ます。
「Kari Anne」演奏後、ウェットンが『Guiter, holger larish !!』と言っているので
間違い無いでしょう。シャーベル製のギターを掻き鳴らすハードロック君ですが、
その姿はザッパバンドやアルカトラス時代のスティーヴ・ヴァイそっくりです。
(holger larishの姿は、左の画像をクリックして下さい)
ビデオを廻している位置からはコーラスのSuzieとZoeの両嬢は見えませんが、
演奏にはコーラスが加わっているし、途中でウェットンが2人を紹介するので、
ちゃんとステージに参加してます。

ブートとしては画質はなかなか良く、楽しめる一本となっています。
テープ音源ではこの日の完全収録がありますが、
こうして映像で楽しめるのは嬉しいですよね。
尚、このビデオにはジャケが無く、しかも背表紙ラベルには『KOLN 1990』と
なっていますが、これは完全な誤記です。

約50分。
オーディエンス・ショット映像。
『GERMANY 1990』
Live date : "EAST MEETS WEST fest",East-Berlin,GERMANY. / 1990. June. 6

ブートビデオ。
1990年6月、ドイツの『EAST MEETS WEST FESTIVAL』で行われた、
ショート・プログラムのステージ。他のバンドもこのフェスティバルに
参加している為に、演奏時間(各バンドの持ち時間)は約30分で、
このビデオで聴けるエイジアの演奏も、たった5曲だけのステージです。
他の出演バンドは、ポンプ・ロックで有名なマリリオン等が居たそうです。
内容は、現地でテレビ放送された番組から落とされているので、
画像は当然プロショットですが、マスターがダビングされまくっているので、
ヨレが目立つ部分もあります。
しかしながら、メンバーの様子も鮮明に観る事が出来ますし、
ブートビデオとしては割と良質の部類に入るのではないでしょうか。
また、エイジアに加入した直後(恐らく、加入して2週間経っていないと思う)の
パット・スロールを観る事が出来るのも嬉しい処です。
ただ、『黒の革ジャン+オールバックの長髪+口を半開きにしてギターを弾く』
・・・という姿で、マイケル・シェンカーにそっくりですが・・・(^^;

全28分。
オーディエンス・ショット映像。




Wetton,Palmer,Downes


Pat Thrall
『FRANKFRUT, GERMANY 1990』
Live date : Frankfrut Music Halle, Frankfrut, GERMANY. / 1990. Dec. 13

ブートCD『DANKE SCHON !』の元になったブートビデオ。
収録内容も全く同じで、カットが多いです。
ただ、僕は個人的に『DANKE SCHON !』は編集されているのだと思っていた
(つまり、マスターは完全収録で、テープヨレが目立つ等の何らかの理由があって
その部分をカット・編集してリリースしたのだと思っていた)のですが、
こうしてマスター画像を観ると、このマスターそのものが途切れ途切れに
録画されていた事が分かります。

・・・という訳で、勿論完全収録ではありませんが、日本公演・モスクワ公演以降の
エイジアの姿を観る事が出来るという点で非常に興味深いと思います。
また、こうしてこの時期のエイジアのギタリストをAlan Darby→holger larishと観てくると、
結局はこのパット・スロールがこの時期のエイジアには一番合っていた事が
よく分かる様な気がします。

約55分。
オーディエンス・ショット映像。





左から
Thrall,Wetton,Palmer,


Pat Thrall
髪を下ろしてます


司会者とDownes


解散直前のステージの様子
91年4月初旬頃
『BRAZIL TOUR SPECIAL 91』
Live date : (Brazil TV Show "SOM POP"- ON AIR) / 1991. April

海外のディーラーから手に入れたブートビデオです。
非常に珍しい、1991年4月頃のエイジアの姿が収録されています。
まさに解散直前ですね。

1991年4月12日・Dama Xok, San Poulo〜4月18日(?)Circulo Militar, Curitibaまで、
エイジアはブラジルで4回だけライブをしていますが、この4回のブラジル公演は、
『THEN & NOWツアー』の最終公演であると同時に、
ウェットン+パーマー+ダウンズ+スロールという布陣での最後のライブでした。

このビデオの内容は全25分で、ブラジルの音楽番組『SOM POP』という
番組に解散直前のエイジアがゲストで招かれている様子が収録されています。
番組中、少しだけ(約40秒程度)ブラジル公演の様子が映るのですが、
番組の半分はインタビューで、正直なところ、もっと当時のライブが見たいなぁ
という感じがします。
また、ライブ中もインタビュー中も、パット・スロールが髪を下ろしていて、
最初に観た時はデイヴ・ムステイン(MEGADETHのギタリスト)かと思いました。
髪を下ろしているパットの姿は、左の画像を観てみて下さい。
なかなかセクシーですよ。美男子は得ですねぇ・・・。(^_^;)

約25分。
プロショット映像。
『ASIA IN ASIA (co)』
Live date : "Budokan",Tokyo,JAPAN. / 1983. Dec. 7

これもブートビデオです。
1983年12月7日(欧米時間で6日)、東京の日本武道館から世界初の
衛星生中継ライブをした『ASIA IN ASIA』のステージ。
ここに収録されているのは、その時全米でリアルタイムで放送された
MTVのドキュメンタリー放送です。
オフィシャルビデオでも冒頭で映る、MTVのマーク・グッドマン氏が、
当日の武道館の様子、関係者のインタビュー、メンバーの日本での様子などを、
武道館内の自動販売機で、自動で出てくるカップラーメンを物珍しそうに
食べたり、スルメをしゃぶったりしながらレポートしてくれます。(^^;
また、各メンバーの少年時代の様子や日常の映像も数多く収録されていて、
これだけでも非常に興味深く愉しめる一本です。

映像は全編通して非常に綺麗で、勿論、こうした貴重な映像の後には、
この日のライブも収録されています。
ただし、この日(7日)は『Daylight』を最後に演奏しているので、ライブは
厳密に言うと完全収録ではありません(これはオフィシャルビデオでも同じ)。
あくまでも、『当日の全米放送された番組が、完全収録されている』という物です。

また、このビデオには82年当時のエイジアのステージの様子が鮮明に
映っている映像が随所で部分的に観られるのも特徴です。

約90分。
プロショット映像。
『ASIA & UK』

ブートビデオです。
エイジアとUKのビデオクリップが収録されています。
収録されているのは、

1. In The Dead Of Night
2. Nothing To Lose
3. Heat Of The Moment
4. Only Time Will Tell
5. Sole Survivor
6. Don't Cry
7. The Smile Has Left Your Eyes

の7曲。「Go」が未収録なのが残念ですね。
画像はまあまあです。

全37分。
プロショット映像。
『UK & HISTORY '80 - '85』

UK時代からも含め、エイジア始動から85年の空中分解までの
エイジアの足跡を辿る事が出来るブートビデオです。
資料的に興味深い映像も幾つか含まれていて、なかなか見応えのある
一本に仕上がっています。
基本になっているのは『ON LINE / PROFILES IN ROCK』という番組で、
1stアルバムについてインタビューされている物です。
また、85年か86年のインタビュー映像も収録されていて、恐らく『ASTRA』に
ついてのインタビューだと思われます。
また、ウェットンがMTVの司会を務めた時の映像も収録されており、
アコースティック・ギターの一人弾き語り「The Smile Has Left Your Eyes」を
観る事が出来るのも嬉しいところです。
また、83年夏(7月後半〜8月半ば)の、エイジアのアメリカツアーの
ライブ・スケジュールを宣伝する場面もあり、資料の少ないエイジアの
ツアーデータとして非常に価値があるのも魅力です。
画質は全編なかなか良好なレベルだと思います。

全70分。
プロショット映像。
『ASIA - PROFILES』 / (VD-00407)

幾つかのビデオクリップとインタビューで構成されているブートビデオです。
インタビューは、ブートビデオ『UK & HISTORY '80 - '85』でも
観る事が出来る『ON LINE / PROFILES IN ROCK』の物と、
『NIGHT FLIGHT TAKE OFF』という番組に出演した時の
カールとジェフリーのインタビューが収録されています。
どちらも82年の映像で、当時の彼らの動向が如実に分かるだけに、
資料的にとても興味深いものです。

ジェネレーションを少し重ねた為なのか画質にやや劣化はありますが、
それでも基本的に画質は良いと思います。

全36分。
プロショット映像。


『PROFILES -LONG VERSION-』 / (VD-1474)

上段で載せた『ASIA - PROFILES / (VD-00407)』の長尺完全版。
追加映像としては、イエスやバグルスといった各メンバーの
過去のバンドでのビデオクリップ、MTVのホストを務めた時の
ウエットンの映像("The Smile Has Left Your Eyes"をアコー
スティックで演奏してるやつです)、果ては83年ASIA IN ASIAの
武道館ビデオ(日本版)でカットされた一曲目「Time Again」などが
追加され、大幅に収録分数が増えています。

またこれも『ASIA - PROFILES』同様にやや経年とジェネレーションを
感じる画質ですが、それでも基本的に良好な部類だと思います。

全69分。
プロショット映像。
『ASIA - SPECIAL』

これもなかなか見応えのあるブートビデオです。
幾つかのエイジアのビデオクリップに加え、
イエスの「Into The Lens」や、バグルスの「Video Killed The Radio Star」の
ビデオクリップも収録されています。
また、同じブートビデオ『ASIA IN ASIA (co)』の短縮版も入っており、
多岐に渡って色んな映像が愉しめる一本です。
画質もそんなに悪くありません。

全48分。
プロショット映像。
1983年アメリカツアー時のパンフレット。

83年の北アメリカツアー(7月24日〜9月10日)の時のパンフレットです。
ジョン・ウェットン在籍時のパンフレットなので、これは嬉しいですよね。
82年のアメリカツアー・ヨーロッパツアー時も、こうした
パンフレットが存在したという話を聞いた事があるのですが、
僕は一度も見掛けた事がありません。
オフィシャルビデオ『ANDROMEDA』の宣伝チラシ。

当時、レコード屋に置いてあったものです。
アオリ文句が妙に雄々しいですね。(^_^;)
1990年・日本ツアー時の公演チラシ。

パット・スロールが中央に居るというのが、とても興味深いショットですよね。
この時のライブは良かったなぁ・・・。
90年エイジアは、それぞれの曲をエイジア史上一番ハードに表現
していましたよね。あの、メタル系バンドの演奏と言っても過言では無い
ゴリゴリの演奏は、今でもブートなどを聴くと胸を熱くしてくれます。
たった一年弱で空中分解してしまったのが非常に残念です。
1990年・日本ツアー時のチケット。

再結成して、ウェットン・パーマー・ダウンズ・スロールの布陣で来日した時の
チケットです。日付は10月1日。中野サンプラザでのステージです。
ここまで書けばお気付きの方も居ると思いますが、そうこれは、
あのAyanami製の名作ブート『DRAGON ATTACK』の日のチケットなんです。

このブートを聴くと如実に分かりますが、とにかくこの日の演奏は
本当に最高・最強でした。
僕がエイジアを生で観たのは後にも先にもこの日だけですし、
日本ツアー時の他の未ブート音源も幾つか持っていますが、
それらと聴き比べてもこの日は別格のステージだったと思います。
エイジアのロゴステッカー。

1990年の日本ツアー時に、中野サンプラザ近くの露店で
売られていた物です。ライブに行った10月1日に買いました。
勿論オフィシャルグッズではありません。完全なバッタ物です。
本当は会場内のグッズを買いたかったのですが、当時は友達に
借金をして無理矢理この日のチケットを買った程にお金が無い頃だったので、
仕方無くそのバッタ屋で記念に買いました。
懐かしいなぁ・・・。
エイジアのロゴ入りCD保護シート。

ベスト盤『BEST OF ASIA - ANTHOLOGY』に
販売促進用で付いていたCD保護シートです。
色は他に、赤・緑・水色があったと記憶しています。
また、写真では黒っぽくなってしまいましたが、文字やロゴは
綺麗な銀色でプリントされています。
エイジアのベースピック/ウェットンのサイン入り

元の持ち主の方はフェルナンデス・ジャパンのウェットン&フリップ担当さんから
貰ったものだそうで、それを御好意で譲って戴きました。
裏面にウェットン直筆のサイン(本人から貰った本物)が入ってます。
一生の宝物です。
本当にどうもありがとうございました。 (T_T)←感涙
ALPHA発売時の販売促進用バッヂ (非売品)

これはネット・オークションで手に入れたのですが、元の持ち主の方の話では、
『ALPHA』発売時にレコードを買ったら貰えたバッヂだそうです。
多分、予約とかして発売と同時に買うと貰えたのでしょうね。
僕は東京・上野のレコード屋で『ASIA』『ALPHA』の2枚を83年の冬に買ったのですが、
リアルタイムではなかった為、何も貰えませんでした。(T_T)

"HEAT GOES ON"と銘打ってあるのがカッコイイですが、
これは2ndアルバム『ALPHA』が発売直前まで『THE HEAT GOES ON』という
タイトルだった頃の名残です。結果的に『ALPHA』に落ち着いたものの、
当時のCBS SONYレコードは、販売促進用にこの幻のタイトルを記した
グッズを先行して作製してしまった訳です。或る意味では貴重な一品かもしれません。
エイジアのキーホルダー。

1985年5月頃に購入。実際に5・6年間、ずっとベルトに付けて使用していたの
ですが、下のキーを付ける部分が破損してしまい、使えなくなってしまいました。
ロゴ部分はガラスでコーティングされており、なかなかイカすアイテムでした。(^_^;)
バックステージ・パス(未使用)/ver.1 (1983年)

1983年、ASIAが初来日した日本公演『ASIA IN ASIA(12月6日〜9日)』で
実際に使用された未使用のパックステージパスです。
当時、ウドー音楽事務所にツアースタッフを派遣する会社で実際に
アルバイトされていた方から譲って戴いた正真正銘の本物です。
彼はこの日本ツアーに初日から最終公演まで派遣され、ツアー最終日に
ツアーマネージャーから記念としてこの未使用品を戴いたのだそうです。

このバックステージパスはASIA IN ASIA公演だけでなく、
その年のワールドツアー(7月24日〜9月10日)でも使用していた物で、
83年ツアーを象徴する一品です。大きさは底辺18cm×高さ11cmで、
ちなみに材質は布地で、ウラ面はシールになっています。
通常は服にペタリと貼り付け、その日が終わると服から剥がし、
そのままゴミ箱にポイッと棄てるそうです。
勿体ない!!! (^_^;)

※裏面はツルツルのシールで無地の為、画像は載せていません。
バックステージ・パス(未使用)/ver.2 (1983年)

三角形タイプのバージョン違いです。
大きさは同じです。

※裏面はツルツルのシールで無地の為、画像は載せていません。
バックステージ・パス(未使用)/ver.3 (1983年)

こちらは長方形のタイプです。
譲って戴いた方のコメントによると、こちらの方が三角形タイプよりも
アメリカツアーでは多く使われていたそうです。
日本公演でもこちらを使用していたスタッフは居たそうですが、
三角形タイプよりは少なかったそうです。
大きさは、横12cm×縦8.5cmです。
ちなみに、これも三角形タイプと同様に材質は布地で、
ウラ面はシールになっています。

※裏面はツルツルのシールで無地の為、画像は載せていません。
バックステージ・パス(未使用)/ver.4 (1983年)

長方形タイプのバージョン違いです。
大きさは同じです。

※裏面はツルツルのシールで無地の為、画像は載せていません。
1982年度・年間オリコンベスト50

何と、日本のオリコン年間チャートでもランクインしています。
すげーッス。
1982年度・年間全米ベスト50 (Radio & Records 誌)

Radio & Records 誌の、アルバム/シングルの82年度年間ベスト50です。
アルバムはブッちぎりで1位です。
シングルも「Heat Of The Moment」「Only Time Will Tell」がランクインしています。
すげーッス。
1982年度の年間アルバム部門・総評 (週刊FM・1983年1月17日号)

82年の夏は、街中でよくエイジアが流れていたんですねぇ。
僕はこの頃、クィーンとマイケル・シェンカー命の中学1年生で、
エイジアの音は勿論、その存在すら知りませんでした。
もしかしたら、街のどこかでエイジアの曲を耳にしていたのかもしれないのですが、
フライングVから繋がるクライベイビーに掻き消されていた様です。(^^;
まだ、プログレという言葉すら知らない頃でした。
1983年初頭のインタビュー記事 (週刊FM・1983年1月17日号)

ジョン・ウェットンへの国際電話インタビューが記事になっています。
なかなか興味深い記事で、
『Progressiveと言いながら、実はもうRegressiveなのさ』
などという発言もあります。
面白いのは、『83年のツアーは長期に渡るだろうね』という事が
この時期既に彼の口から発言されていて、それが実際にはたったの
1ヵ月半しかツアーをしなかったのですから、如何にこの83年9月10日に
バンドが突然の空中分解を迎えたのかが分かりますよね。
ウェットンだって、まさかこのインタビューから僅か9ヶ月後に
バンドから追い出されるとは思ってもいなかったでしょう。(@-_-)y-~~

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かなり拡大して画像を取り込んであります。
画像サイズは352Kです。
やや容量が大きいのでご注意下さい。
『ASIA IN ASIA』のチケット販売広告欄(1983年10月4日・朝日新聞/関東版)

下の10月9日のチケット広告と見比べて下さい。
これは10月4日のチケット販売欄ですが、この時点ではまだ来日メンバーに
ジョン・ウェットンがノミネートされています。
ところが・・・・(下のアイテムに続く)
『ASIA IN ASIA』のチケット販売広告欄(1983年10月9日・朝日新聞/関東版)

ところが、上の10月4日のチケット公告と見比べて下さい。
この9日のチケット宣伝では、グレッグ・レイクが既にノミネートされています。
グレッグのエイジア加入が正式発表されたのは10月5日なので、
この様な形で急遽それを告知しているんですね。
ASIA IN ASIAのチケット(1983年12月6日公演/南側スタンド席)

6日・武道館初日の、スタンド席のチケットです。
行きたかった・・・(T_T)
ASIA IN ASIAのチケット(1983年12月6日公演/アリーナ席)

6日のチケットです。
スタンド席とは色が違います。
アリーナで観た、この日の「Cutting It Fine 〜 Daylight」の名演奏は、
一体どんな感じだったのでしょうか。
非常に羨ましいです。
ASIA IN ASIAのチケット(1983年12月7日公演/南側スタンド席)

12月7日公演の、本物のチケットです。
これは勿論僕のでは無く、実際に当日行った人のチケットで、
その方から画像を送って戴きました。

いいなぁ・・・。
僕も本当に行きたかったです・・・。
やはり地方に住んでいるというのは、こういう時に非常に不利ですよね。
ASIA IN ASIAのチケット(1983年12月7日公演/アリーナ席)

7日のアリーナ席のチケットです。
色が違ってVIPな感じです。

ASIA IN ASIAのチケット : UDOロゴ入り通常版 (1983年12月8日公演/アリーナ席)

8日のアリーナ席、P列のチケット。
他のチケットとはデザインそのものが違っていますが、恐らくこれが
ノーマルタイプのチケットなんだろうと思います。でもこの公演に関しては
↑や↓で見られる様な色違いのデザインで製作された「ASIA IN ASIA専用チケット」が
主に使用されたと思われるので、UDO音楽事務所のロゴが入ったこの通常タイプの
チケットで発券されているのはむしろ珍しいんじゃないでしょうか。
チケットを入れる封筒が当時のまま残っているのも嬉しいところです。

ちなみこのチケットは2005年頃にネットオークションで入手したんだけど
机の奥に仕舞い込んだまますっかり忘れておりまして、今回別の探し物を
していたらポロっと出てきたので慌ててアップデートしました。まさに
7年越しのアップデート(これ書いている現在は2012年)です。(^^;)
ASIA IN ASIAのチケット(1983年12月8日公演/南側スタンド席/日付時間表記訂正版)

非常に面白いチケットです。
8日・武道館最終日のチケットですが、
手書きで日付が訂正されているのがお分かりになると思います。
更に、このチケットには7日の開演時間が『開演:6時30分』と表記されています。
勿論、実際の7日の開演は午後2時でした。
この理由の推測については、下段の『ASIA IN ASIAのチラシ/初回告知版』を
参照して下さい。


ASIA IN ASIAのチラシ/初回告知版(ウェットン在籍版)

非常に珍しい、初回配布版のチラシです。
上に紹介した『12月8日公演のチケット/日付時間表記訂正版』と
合わせて御覧戴くと分かりますが、この初回配布版チラシの表の面には、
8日の公演が『12月7日・PM6:30変更分』と表記されています。
つまり、上に紹介した『12月8日公演のチケット/日付時間表記訂正版』を
裏付けている訳です。
この初回告知チラシ、及び8日の訂正版チケットから推測すると、
12月7日公演は当初、

@昼の部(衛星放送分)と、夜の部の、同日2公演が組まれていた
A最初は6時30分開演の1公演のみだったが、欧米との放送時間の兼ね合いで
午後2時に急遽繰り上がってしまい、その時間枠変更が決まる前に
『7日・6時30分開演』として既にチケットを買っていた人の為、
代用策として8日を追加公演という形で組み、ツアー日程そのものを組み直した
(つまり、もともと8日はオフで、翌日9日・大阪公演の為の移動日だった可能性あり)
Bウドー事務所の単なる表記ミス

・・・という3つの事が考えられると思います。
しかし、ひとつだけ確かな事は、このチラシはウェットンが在籍している時に
作られた物であるという事です。
僕はこのチラシをオークションで入手したのですが、
元の持ち主の方の話では、このチラシの入手時期は
『正確には覚えていないけど、まだ残暑の残る暑い季節だったと思う』
・・・との事ですから、チラシの配布時期は、
おそらくアメリカツアー放棄後〜グレッグ加入前の
83年9月中旬〜10月初旬だった可能性が高いと思います。

つまり、このチラシが配布されていた83年9月中旬〜10月初旬頃には、
既に8日が『12月7日・PM6:30変更分』とわざわざ表記されているのですから、
12月7日は初期計画では@の『昼夜2回に分けた公演だった』か、
それに付随したAの『時間枠繰り上げ・8日代用』という可能性が
高いのではないでしょうか?

・・・まァ、どれが真相なのかは分かりませんが、どれにしても
世界初の衛星同時中継ライブという、かつて誰もやった事の無い
歴史的な大イベントだけに、全ての辻褄を合わせる事が
如何に難しかったのかが表面化している様な気がします。
ASIA IN ASIAのチラシ/後期版(グレッグに変更版)

後期配布版のチラシです。
10月中旬以降のチラシである事は確かだと思いますが、
特に目立った告知文も無いままグレッグが居ますね。(^_^;)
既に8日の告知も『12月7日・PM6:30変更分』と、
わざわざ表記されていない点も面白いです。

しかしこうして見ると、7日だけは特別料金だったのですね。
しかもS席(アリーナ)・A席(スタンド)共に、安くなっています。
これはつまり、7日は他の日に比べてステージ内容や演奏時間が変更された
『短縮版・特別プログラム』である事を、最初から観客に対して意図的に
理解させようとしていたのかもしれません。

でも、それにしたって2000円・3000円は安過ぎますよ。
当時の物価を考慮しても非常に格安だと思います。
こんな低価格であの素晴らしいライブを生で観れたのですから、
ウェットンが居なくて裏切られたとか、グレッグが肉まんとか言う人の
神経が僕には分かりません。
あの日の武道館に行けた人が本当に羨ましいです。
エイジアの新聞記事(1983年11月19日・スポーツニッポン)

当時のスポニチの記事です。
何と一面の殆どをブチ抜きで記事が組まれています。
新聞でこれだけ扱いが大きい事から考えても、当時どれだけこのイベントが
センセーショナルな事だったかが分かりますよね。

記事を読むと、来日時のエイジアの様子や、彼らを取り巻く関係者の様子、
更にはMTVの思惑や、全米中継はもともと8日(欧米時間で7日)に予定されて
いたという事実、そして何故日本のテレビ局が海外への衛星生中継を
拒んだのかが実に詳しく書かれていて、この『ASIA IN ASIA』という一大イベントを
考察する上で、非常に興味深い貴重な資料である事は間違い無いと思います。
是非読んでみて下さいね。

# 左の画像をクリックすると記事の全文を見る(読む)事が出来ますが、
元々が新聞記事という小さな文字の為、文字が読み易い様に
かなり拡大して画像を取り込んであります。
画像サイズは586Kです。
やや容量が大きいのでご注意下さい。
1983年12月7日のテレビ欄 (朝日新聞・関東版)

TVKテレビの午後14時の欄を見ると、『ASIA IN ASIA』の全米中継を
生放送しているのが分かります。
この時、僕は九州・博多に住む中学2年生で、この日の東京地区の放送を
何とか音だけでも受信出来ないかと、ハム無線をやっている友達に
ワイロ(河合奈保子のラミネートカード)を渡して、必死に頼んだ事を覚えています。
でも、博多から想う日本武道館は遥か遠く、音は受信出来ませんでした。
地方に住んでいる事を、あの時ほど呪った事はありません。
この日のライブを含め、あの一大イベント『ASIA IN ASIA』に行けた人を、
僕は今でも本当に羨ましく思います。

さて、テレビ欄の画像を見て戴くと分かりますが、14時の本放送前に
『ASIA IN ASIAの予告番組』をやっているのが確認出来ると思います。
親切な方からこの予告番組をダビングして戴いたので、以下にそれを
一字一句残さず、全て書き記しておきます。
ビデオを全て動画にして取り込む訳にはいかないので、雰囲気だけでも
感じて戴けたらと思います。メンバーのインタビュー内容は勿論ですが、
バグルスの「Plastic Age」など、非常に珍しいクリップも含まれています。
放送時間は約40分で、イエスの名曲「Into The Lens」のビデオクリップから
番組が始まっています。

**************************************************************

ビデオクリップ :
『YES / Into The Lens』
『YES / Madrigal』
    ↓
画面にジェフリー・ダウンズが映り、コメントを語る

『僕らが活動を始めたばかりの時は、本当のロックバンドとは呼べなかったと
思うんだ。小さい処でプレイするにはエイジアの音はラウド過ぎるし、ヘヴィ過ぎて
思いっきりプレイ出来なかった。そういった点で今度のコンサートは、
問題無く実力を出し切れるんじゃないかな』
    ↓
画面がジョン・ウェットンに替わり、コメントを語る

『前回のツアーと違うのはアリーナベースで行う事で、今までは3000人位しか
収容出来なかったけど、今回は1万から2万人位入れる場所を選んでいるんだ。
前回、最後の方でアリーナを試したら、これが最高でね。ライトは強くなるから
後ろの方まで見渡せるし、音が通るんだ。そう、ファンとコミュニケートできるんだ』
    ↓
ビデオクリップ
『YES / Don't Kill The Whale』
    ↓
CM前の番組ジングル −ASIA SPECIAL−

CM明ける。ビデオクリップ
『EL & P / All I Want Is You』
が流れる。
    ↓
画面にカール・パーマーが映り、コメントを語る

『誰でも、レコードが売れて世界各国で人気が出て欲しいと思って
アルバムを出すのは当然で、僕もそう希望していたんだけど、正直言って
これほど成功するとは考えてなかったんだ。
だから、ここからもっと成長する様に、出来る限り頑張るつもりだよ』
    ↓
画面がジェフリー・ダウンズに替わり、コメントを語る

『今度のアルバムはロックっぽい音に戻ったよ。1枚目ではヴォーカルとシンセに
重点を置いたけど、2枚目では実験的。ところどころに変化を付けたかったんだ』
    ↓
ビデオクリップ
『BUGGLES / Plastic Age』
『BUGGLES / Video Killed The Radio Star』
    ↓
CM前の番組ジングル −ASIA SPECIAL−

CM明ける。ビデオクリップ
『ASIA / Heat Of The Moment』
『ASIA / Only Time Will Tell』
    ↓
画面にジョン・ウェットンが映り、コメントを語る
今回のコメントでは、インタヴュアーが質問をしている。

『今回のツアーはアメリカで始まって、カナダ、中近東、日本、そしてヨーロッパと、
約4ヶ月かけるんだ』
『Q : 皆がアッと驚く様な事をやる予定がある?』
『A : それを言ってしまったら驚かないでしょ (・・・と言って微笑む)』
『Q : でも、前回とは違った感じのステージになる?』
『A : もう完全に違ったステージにするつもり。勿論、去年歌った曲もやるけどね。
両アルバムからいいものを選んでやるよ。2・3時間のステージになるかな』
    ↓
ビデオクリップ
『ASIA / Sole Survivor』
『ASIA / Don't Cry』
    ↓
画面にスティーブ・ハウが映り、コメントを語る

『僕らは昨年、アメリカ、ヨーロッパをツアーしたから経験も積んだし、
それによってメンバー同士もより理解を深めた。言葉を交わさなくてもお互いが
分かるんだ。そういったバンドの体制が、音に現れてくると思うんだ』

『Wildest Dreams』がBGMで流れる中、スタッフロールが流れる。

VJ : 中村マリ
ナレーション : ランディー木崎

制作著作 TVK

***************************************************************

・・・という感じなんですが、面白いのはグレッグではなく、
ウェットンがインタビューに答えている事です。
という事は、このインタビューは少なくともグレッグが加入する10月5日以前に
収録されているという事になります。インタビューの内容から考えて、
恐らくアメリカツアー中期頃か、終了後の9月11日〜10月4日までの期間に
収録されたのでしょう。こんな処からも『ASIA IN ASIA』の企画は、
かなり早い時期から具体的に進められていた事が分かります。

また、ウェットンはここでのインタビューコメントで
『今回のツアーはアメリカで始まって、カナダ、中近東、日本、そしてヨーロッパと、
約4ヶ月かけるんだ』
・・・と言っていますが、現実の83年のツアーは9月10日のデトロイトでの
ステージを最後にたったの1ヶ月半で打ち切っているので、どれだけこのバンドが
急激に内部崩壊を起こしてしまったのかが伺えます。
更に、このインタビューでは『約4ヶ月かけてツアーをやる』と言っているのですから、
少なくともこのインタビュー収録時期では、日本公演『ASIA IN ASIA』終了後に
ヨーロッパツアーを組んでいた事が伺えます。
是非観てみたかったですよね。

もうひとつ面白いのは、やはりウェットンのコメントで
『前回のツアーと違うのはアリーナベースで行う事で、今までは3000人位しか
収容出来なかったけど、今回は1万から2万人位入れる場所を選んでいるんだ。
前回、最後の方でアリーナを試したら、これが最高でね』
・・・と言っている事で、この『前回、最後の方でアリーナを試したら・・・』というのは、
82年ヨーロッパツアー後半でやった、地元ロンドンのWembley Arena辺りの事を
指している訳で、この様子はブート『BRITISH DEBUT』でも確認出来る通り、
よく音の通る、そしてファンとの距離が近いという点で、当時のウェットンが描く
『エイジアのステージ』が、思惑通り出来ていたのでしょう。
そして、だからこそウェットンが、日本の誇る屈指の大会場である日本武道館での
ライブに対して、当時どれだけ入れ込んでいたのかが分かる一面だとも思えますよね。
エイジアの珍しいステッカー

1984年3月頃、博多・天神コア内にあったレコード屋で購入。横17.5cm×縦6cm。
もしかしたらバッタ物かもしれないのですが、面白いのは、
メンバー構成にグレッグの名前が入っている事です。
という事は、オフィシャル物にしろバッタにしろ、本当にごく僅かな期間しか
販売されなかった訳で、メモリアルなグッズとして面白いと思います。

これは、僕の持っているキーボード「DX−7」のハードケースに貼っている物で、
もう15年近く貼っているので汚くて済みません・・・。(^^;
エイジア・リユニオン日本追加公演のチラシ

1999年8月5日分のチケット予約終了後に配布された、前日4日の追加公演のチラシ。
実際には、この時既にリユニオンは空中分解の危機にありました。
にも係わらず、日本ではこうして追加公演のチラシまで創っていたという事は、
最初から予定が不透明だったダウンズの動向に左右され、
リユニオンの継続があやふやだった為に、ギリギリまで各国の召還元に
キャンセルの連絡が行かなかった結果なのでしょう。

こんなチラシ一枚からも、リユニオンがいかに不安定な見切り発車のまま
始動していたかが、ひしひしと伝わってくる様な気がします。
エイジア・リユニオンの日本公演はパーになりましたハガキ

そのまんまです。
このハガキの消印日付けを見ると7月20日になっています。
つまりこれはライブ予定日である8月5日の、たったの2週間前に
突如届いた公演キャンセル通知という訳です。

当時は僕もリユニオンの動向をそれなりに追っていたので、6月後半に
発表されたウェットンとパーマーのリユニオン停止声明を知った後、
何度か召還元であるザック・コーポレーションに問い合わせたのですが、
何を聞いても『まだ分かりません』との事でした。
で、ライブ予定日のたった2週間前にこの告知です。
しかもこの時、ザック側は『チケット代金の払い戻しはしません』という
一方的な対応しかせず、これには皆怒りまくったものでした。
ひでェっス。
エイジア・リユニオンの日本公演チケット。

1999年4月に10年振りに再結成し、アッと言う間に空中分解した
幻のエイジア・リユニオンの日本公演チケット。
発売後1時間も経たない内にソールドアウトし、急遽追加公演で
前日の8月4日も決定しましたが、結局は同年6月12日にダウンズが
不参加を表明した為、同18日にウェットンとパーマーがそれを受けて
『リユニオン活動停止声明』を公式に発表し、たったの2ヶ月で何も活動
する事無く終わってしまいました。
その為、復活後初の会場に予定されていたL..AのGreek Theaterを始め、
4月のリユニオン発表直後から組まれていたその他のワールドツアーが
全てキャンセルされ、当然この日本公演に予定されていた8月4・5日もパー。
このチケットは、その時の残滓です。

結局この日は『ジョン・ウェットン・バンド』が代打で来日し、最低の
ライブをしてくれました。
僕はチケットぴあの会員に加入していない為、電話予約で手に入れた
席は最悪(1階の後方から3列目辺り・最右席)でしたが、演奏内容は
それ以上に極悪で、まるで悪夢の様でした。


完全未発表曲の曲名が書かれたマスターテープの写真 (ASIA SOUNDS)

これ、凄いです。
カナダにあるLE STUDIO ( 『ALPHA』の録音に使用されたスタジオ)の棚に並ぶ、
『ALPHA』のマスターテープ・ボックスの写真なのですが、箱に書かれた曲名の中に、
何と未発表曲らしき曲名が書かれたものが!!!!
以下に、画像から読める各マスター・ボックスに記載されたタイトルを表記します。

Feb1983
M1
@IN MY OWN TIME
ATRUE COLOURS
BDAYLIGHT
--------------------------------
Feb1983
M2
@LAST TO KNOW
AHEAT GOES ON
BJODI
--------------------------------
Feb1983
M3
@EYE TO EYE
AMIDNIGHT SUN
BBARREN LAND
--------------------------------
Feb1983
M4
@THE SMILE HAS LEFT YOUR EYES
AOPEN YOUR EYES
--------------------------------
Feb1983
M5
@NEVER IN A MILLION
AKEEP THE LOVE ALIVE
BTHE SMILE HAS LEFT YOUR EYES
--------------------------------
APRIL1983 ”DEMO”
M1
@KEEP THE LOVE ALIVE
ATHE SMILE HAS LEFT YOUR EYES
--------------------------------

・・・となっています。
Feb1983-M1-@の『IN MY OWN TIME』というのは、『MY OWN TIME』の
原タイトルだと思われます。
しかし、すぐに目がつくのは、

Feb1983-M2-Bの『JODI 』
Feb1983-M3-Bの『BARREN LAND』
Feb1983-M5ーA及び、APRIL1983-M1-@の『KEEP THE LOVE ALIVE』

・・・という、3つの見慣れぬタイトルが書かれている事です。
ウェットンやダウンズのインタビュー記事等を読むと、エイジアは『ALPHA』の制作の為に
14曲をレコーディングした事が分かっています。このうち、アルバムには10曲が収録され、
カセットテープと一部CDには『Daylight』を含む11曲が収録されました。
その他、『The Smile Has Left Your Eyes』のB面曲として、もう1つの未発表曲
『Lying To Yourself』があるので、アルバム『ALPHA』に関連した曲は全部で12曲が
知られている訳ですが、この写真に書かれたクレジットはそれ以外だと思われるので、
暫定的ながらレコーディングした曲は『15曲あった』という事になります。
但し、『ALPHA』以降のアルバム『ASTRA』と『THEN&NOW』に収録されている
既発表曲の”仮”曲名の場合もあるし、歌詞の中で上記の言葉を言って(歌って)いる
という可能性もあるので、何とも言えません。
しかしながら、『ALPHA』『ASTRA』『THEN&NOW』に収録されている曲の
歌詞を調べてみた限りでは、『JODI 』『BARREN LAND』『KEEP THE LOVE ALIVE』
という言葉は見付かりませんでした。
ただ、私的考察と色々な方からの情報により、この3曲に関して分かっている事を書くと、

JODI 』・・・・謎です。
謎です謎です謎です。全く分かりません。
『ALPHA』『ASTRA』『THEN&NOW』のどの曲にも、
"JODI "という言葉は出てきません。
やっぱりこれは、完全な未発表曲なのかもしれません。

BARREN LAND』・・・・これは、スティーブ・ハウの
ギター曲で、「Lying To Yourself」の原曲です。
後に、彼のソロアルバム『HOMEBREW1』に収録されました。

KEEP THE LOVE ALIVE』・・・・これは『ウェットン・マンザネラ』(87年発表)に
収録された「KEEP ON LOVING YOURSELF」の原曲である可能性があります。
88年頃のウェットンのインタビューで、彼はこの曲について
『実はこれはちょっと前に創った曲なんだ』という発言をしているからです。
もしくは、これは「Don't Cry」の仮タイトルという可能性もあります。何故なら、
このマスターボックスの箱の表記には、『ALPHA』に収録された他の11曲が全て
書かれてるのに、何故か「Don't Cry」だけが無いからです。しかもこの曲は
M5とAPRIL 1983-M1に2つ(或いはそれ以上)のテイクがある訳で、
それだけ練り込んでいたという意味合いからも、アルバム内からシングルカット
されてもおかしくない様な、比較的重要な曲である事が伺えるからです。

また、各テープボックスの日付けや記載を見てみると、
APRIL 1983-M1は”DEMO”となっていますよね。
・・・ということは、Feb1983-M4 の

@THE SMILE HAS LEFT YOUR EYES

及び、
Feb1983-M5 の

AKEEP THE LOVE ALIVE
BTHE SMILE HAS LEFT YOUR EYES

・・・は、デモテイク以前の、ラフなリハーサル・セッションという可能性もあります。
まぁ真相は不明ですが、どちらにしてもここで言える確かな事は、
「THE SMILE HAS LEFT YOUR EYES」には3種類(以上)の、
「KEEP THE LOVE ALIVE」には2種類(以上)のマスターテープ(或いは、テイク違い)が
あるという事です。
しかし、4月の時点で"デモテイク"という事は、それ以前のM1〜M5のマスターボックスに
収録されているのは全てテイク違い、或いはリハーサルセッション音源と考える事も
出来る訳で、もしかするとM3-Aの「MIDNIGHT SUN」は、1982年のアメリカ・
ヨーロッパツアー全般で聴けた『リン・ドラム使用バージョンのMIDNIGHT SUN』の
マスターテープである可能性があります。
1983年11月のインタビューで、ダウンズは次の様に答えています。

『Q : エイジアで、リン・ドラムを使ってレコーディングした事はありますか?』
『A : うん、あるよ。でも大失敗だった。「Midnight Sun」をそうやってレコーディング
してみたんだけど、このバンド本来のサウンドにならなかった。リンを使うと、
どうも個性の無いサウンドになってしまうみたい。誰もがリン・ドラムは買えるけど、
カール・パーマーはどこにも売っていないよ』

また、この4月時点でのマスター・ボックスにある様な"デモテイク"という事については、
次の様な事を述べています。

『ジョンも多少ピアノが弾けるので、半分がピアノ、半分がギターで曲作りをしているよ。
そして、二人のアイデアをまとめながら、フォステックスの4トラック・カセットレコーダーで
ラフなデモ・テープを作るんだ』
『Q : どの程度のデモ・テープを作るの?』
『A : リン・ドラムに、ピアノのベーシック・トラックに、シンセをオーヴァーダビングし、
それにヴォーカルを入れるという程度。シンセはムーグかプロフェットを使う。
(僕の個人的な注 : 多分、Mini MoogとProphet-5だと思います)
デモだからね。そんな深刻に考える必要は無いだろう。どんな曲になるのか、という
アイデアがざっと掴めればいいんだからね』
( 『ロック・キーボード』シンコーミュージック刊 / 1985年)

・・・という発言があり、やはり4月付けのマスターボックスに収録されているのは、
割とラフなテイクである可能性が強いと思います。
更に言うと、M4-@、M5-B、APRIL1983-M1-@に表記されている
「THE SMILE HAS LEFT YOUR EYES」についても、1982年10月4日〜28日の
ヨーロッパツアーで聴けた2部構成バージョンという可能性もありますよね。
最後に、実に興味深いダウンズの発言があるので、それも下記しておきましょう。

『Q : これまで、ボツになった曲はありますか?』
『A : そりゃあるよ。ライブではプレイしても、アルバムには収録しなかった曲もある。
アルバムを作る度に、どの曲がそのアルバムに最適なのかをじっくり考えなくては
いけない。そこが、判断の基準なんだ』

・・・という事なんですが、
ライブではプレイしたのにアルバムには未収録の曲』って何でしょうか????
そしてそれはウラを返すと、
完全未発表曲をプレイしているライブ音源がどこかに眠っている
・・・という事を意味する訳で、これは今後のブート音源の発掘に期待したいところですねぇ。(^_^)

2007年/日本公演(新宿・渋谷)の入場チケット (3月7日・東京厚生年金会館 / 3月11日・渋谷C.C.レモンホール)


3月7日/東京厚生年金会館 (東京初日)
と、
3月11日/渋谷C.C.レモンホール (日本公演最終日)

・・の入場チケットです。
7日は漫画家すぎむらしんいち先生×僕という師弟コンビでじっくりと、
11日は彼女×僕というラブラブコンビで愉しく鑑賞しました。
ちなみに3月11日は僕の誕生日。オリジナルメンバー4人による待望の
初来日公演最終日が自分の誕生日と重なっていたのは生涯忘れられない思い出です。


2007年ワールドツアーでのバックステージ・パス (2007年ワールドツアー / 日本公演でも使用)

2007年の来日公演で使用されていた本物のバックステージ・パスです。
入手経緯はちょっと書けませんが、2007年の来日公演時に日本の
某レーベル関係者が実際に各会場で使っていたものです。

来日公演後、用事でその人の仕事場を訪ねたらこれが壁に
飾られていたんだけど、それをジ〜〜〜〜〜〜・・ッと眺めながら
「・・・いいなぁ。コレいいなぁ・・・」
と、用事そっちのけで眺めていたら彼は苦笑いして
「しろみ君に見られたのはマズかったなァ・・・。いいよ。あげるよ」
と言って、僕にプレゼントしてくれたのでした。(^^;)

画像では分かり辛いですが素材はプラスチック製で硬く、
表面が綺麗にコーティングされていて、現物はもっと
ツルツル・ピカピカとしています。

リユニオン・エイジアの新聞記事 (読売新聞・関東版 / 2007年3月15日 夕刊)

2007年の日本公演終了後に出た、読売新聞でのコラム記事。
スティーヴの演奏についてなかなか痛烈な事が書いてありますが、
その抑制の効いた文面の行間から記事を書いた記者の熱い想いが
伝わってきます。きっと昔からのロックファン・エイジアファン
なのでしょうね。(^^)

2008年日本公演 (福岡公演) のチケット (5月8日・福岡市民会館 / フェニックス・ツアー日本公演初日)


"福岡公演"というのが良いでしょう?(^^)

エイジアのライブは東京とか大阪・名古屋では必ずと言って良いほど
行われるけれど、これはエイジア初の、そして現在のところ唯一の
福岡公演の時のチケットです。

僕がエイジアを初めて知ったのは福岡・博多に住んでいた
中学生時代(1983年)のこと。その12月にグレッグ・レイクを
擁して初の来日公演があったけれど、当時彼らは大阪までしか
来ませんでした。あの時の、中学生一人ではさすがに東京・大阪
まで観に行けない悔しさ、切なさは今も忘れられません。
いつかきっと、絶対に福岡・博多まで来てコンサートを
して欲しいと願い続けて25年、オリジナルメンバーで本当に
エイジアが博多に来る事を知った時は夢のようでした。
自分も直ぐに東京からの航空券を予約し、福岡まで観に行く事を
即断・即決したのは言うまでもありません。

ちなみにこの日はフェニックス・ツアーの日本公演初日。そして
自分にとっては25年越しの待ちに待った待望の福岡公演でしたが、
しかし恐らく興行的にはトントンか、もしくは失敗だったと思います。
何故って、開演時刻になっても会場の半分程度しか観客が居なかったから。
東京公演の人混みと熱気を知っている自分にとって、あんなに少ない人数の前で
演奏しているエイジアは後にも先にもこの時以外は観た事がありません。
なんと言うか、地方興行の難しさを改めて肌で感じた瞬間でもありました。

でもそれにもめげず、メンバーは本当に本当に素晴らしい演奏をしてくれました。
僕が25年越しの想いを抱いていた事を差し引いても、個人的にあの博多でのライブが
2008年の日本公演では一番良かったと今でも思っています。それだけにこの
チケットを手に取ると、あの日の演奏とメンバーの様子が今も脳裏に蘇ってくるんですね。
ショウの終盤、確か「Heat Of The Moment」の後半か「Sole Survivor」の終りで
ウエットンが

「Thank You, Fantastic Audience Tonight! フクオカ〜〜!!!」

・・と、会場の半分程度しか人の居ない、しかしとても熱いオーディエンスの前で
叫んでいた姿が忘れられません。僕にとっては思い出の、そして念願の土地で
25年間待ち焦がれた心を、これ以上無いほど潤してくれたライブでした。

この日の演奏、誰か録音してないのかなぁ。
是非もう一度聴きたい。
そしていつか、福岡でもう一度コンサートをやってくれたらと思います。

エイジアのステッカー (2008年日本公演 公式マーチャンダイズ / 未開封)

福岡公演を観に行った時、会場のグッズ売り場で買ったステッカーです。
開封するつもりは無かったので未開封。(^^;)
この他にパンフレット、Tシャツを2種類、エイジア公式サイトのウェブマスター
デイヴィッド・ギャラント(David Gallant)氏が執筆した著書
『エイジア 〜ヒート・オブ・ザ・モーメント〜』の日本語版、
そして自分がライナーノーツを書いたジェフ・ダウンズの1stソロ作品
『THE NEW DANCE ORCHESTRA / THE LIGHT PROGRAM』の紙ジャケCDを買いました。
(※これについては下段↓の欄を参照)
しめて約1万5000円ほどのお買い物。・・高けぇ・・。(-_-;)

うーん、開封してシール貼りたいなぁ・・・。
でも確かこれ、400円くらいした記憶があるんですよね。思い出に一つ買うのは良いけれど、
開封して貼る用にもうひとつ買う=2セット800円は、シールとしてはちょっと高い値段です。
だから2つ買わなかったんだけど、やっぱりもうひとつ買っとけば良かったなぁ。

『THE NEW DANCE ORCHESTRA / THE LIGHT PROGRAM』紙ジャケCDと2008年日本公演プログラム

ジェフ・ダウンズの1stソロアルバム
『THE NEW DANCE ORCHESTRA / THE LIGHT PROGRAM』の紙ジャケCDと、
2008年フェニックス・ツアーの日本公演プログラム。実はこの
『THE NEW DANCE ORCHESTRA / THE LIGHT PROGRAM』紙ジャケCDの
ライナーノーツは僕が書かせて戴いたんですね(※2007年秋に紙ジャケで一斉に
リリースされたその他のダウンズ全ソロ作品のライナーも全て僕が書いています)。

その関係でこの紙ジャケもレーベルから贈与されたものを既に持っていたのですが、
でもその自分がライナーを書かせて貰ったCDが個人的に25年間待ち望んだ
エイジア福岡公演の会場で売られていたのがもう感無量で、思い出として一番
思い入れのあったこの1stソロアルバムを会場で自費でも買ったという訳です。

ダウンズのソロアルバムは数多く出ていますし、1999年リリースの『WORLD SERVICE』や
2003年リリースの『SHADOWS & REFLECTIONS』など名盤も多々ありますが、でも自分が
一番好きだったのはこの1stソロアルバム。リリース当時(1986年)は西新宿の輸入盤屋に
駆け込んでイの一番にオリジナルUK盤の2枚組アナログLPを買い、それこそ擦り切れるくらい
毎日聴き込んだアルバムでしたから、2007年にそのライナーノーツを書いてくれと日本の
ディストリビューターから直接依頼が来た時は信じられない思いでした。
そしてそれが25年間待ち続けたエイジアの会場で売られていたのを見た時の感動ときたら、
それはもう・・・。(言葉にならなくて震えている)

まぁそれはさておき、シンセサイザーがまだ完全にデジタル化されていなかった頃の
デジタル・インストゥルメンタル・ミュージックですから、エイジアの切なくて壮大な
ミュージック・センスが好きで80年代のシンセサイザー・ミュージックが好きな人ならば
凄く気に入るアルバムだと思います。未聴の方は是非。素晴らしい名盤です。

デイヴィッド・ギャラント著 『ヒート・オブ・ザ・モーメント』 (2008年 マーキー・インコーポレイティド刊)

エイジアの公式本・日本語版。
これも2008年の福岡公演の会場にあったグッズ販売コーナーで買いました。
↓で紹介している本とは全く別の本です。

英語が全くダメな僕にとって、日本語で公式本が読めるのは嬉しかったなぁ。(^^)
どのページも興味深い記事満載で堪能しましたが、中でも巻末の方に掲載
されているメンバー自身による各楽曲の解説は非常に興味深いと思います。
エイジアファン必携のバイブルでしょう。

David Gallant 『ASIA - The Heat Goes On / The Authorized Asia Biography』
(※2001年 カナダ国・刊 / 限定1000部・ギャラント氏の直筆サイン入り)

上段↑で紹介しているデイヴィッド・ギャラント氏が2001年に刊行した
エイジア初(たぶん)の公式ブック。限定1000部。

2001年、まだオリジナルメンバー4人のリユニオンなど夢物語だった頃、
知人で英語堪能な缶屋のシーバさんが「今度こんな本が出るみたいですよ。
僕は買おうと思うので、しろみさんも欲しかったら一緒に注文しますけど・・」と
仰ってくれたので、お願いして発売直後に購入したものです。
でもその"注文"というのがポイント。

というのはこの本、当時は確かAmazonでは売ってなくて(※というより、
そもそもAmazon自体が現在ほど日本に浸透していなかったと思う)、当時の
エイジアの公式ホームページからメールオーダーで直接ギャラント氏に
申し込まないと買えなかった筈なんですね。つまり、振込みの方法とか
エアメールの運賃計算、住所の伝達等を全て英文メールでやり取りしないと
いけない。僕は当時も今も英語が全く出来ないので、英語が堪能な彼が
あの時声を掛けてくれなければ買えていなかったと思います。

手元に届いてみたら、ギャラント氏の直筆サインとナンバリングが扉ページに
書かれており、シーバさんが気を利かせて僕に若い方の番号(24番 / 1000部)を
渡してくれました(=つまり彼は25番を持っている)。

英語なんで僕には全く内容が分かりませんが、他では見掛けないプライヴェートな
写真が結構使われていたり(1989年のドイツツアー中に撮影された、バス移動時での
スタッフとメンバーの車内写真とか、他色々と珍しいものあり)、
1982年〜2001年までの(=つまりAURAツアーまでの)完全なツアーデータが
初めて公開されていたりで、廃刊したGOLD WAX誌や現在のbatleg誌で
エイジアの特集記事やディスクレビューを書く時の資料として非常に
重宝したものでした。かなり使い込んだのでポロくなっていますが、
現在も調べごとがあるとよく手に取る一冊です。

エイジアのキーホルダー (2008年日本公演 公式マーチャンダイズ)

2008年のフェニックスツアー日本公演の時に会場で販売されていた
ゴム製のキーホルダー。当時結局買わずに居て後悔していたところ、
鹿児島在住のエイジアファンK.Oさんにプレゼントして戴いた一品。
でもいざ手元にあると、使うのも何だか勿体無いような気がしてくる
から不思議。でもまぁこうして画像も取り込んでデータも残したので
やっぱり使おうかな。(^^;)K.Oさん、どうもありがとうございました。

1982年米国ツアーの公式Tシャツ (1982年 5月28日・29日 / 米国サンタモニカ公演限定・公式マーチャンダイズ)

1982年5月28日・29日の2日間行われたサンタモニカ公演はLAのラジオ局
「KLOS 95.1/2」が後援していました。これはその会場となったシビックセンターで
2日間限定で販売されたTシャツで、フロントに「KLOS 95.1/2」の公式ロゴ(※当時)と、
バックプリントに「May 28th & 29th Santa Monica Civic 1982」と書かれているのが
確認できます。82年ツアー中でもこの2日間しか販売されなかったTシャツなので、
これ結構珍しいんじゃないかなぁ。1985年頃、御茶ノ水のロック座で購入。
新品未着用のデッド品です。

1983年米国ツアーの七分ラグラン袖公式シャツ ("INVASIAN '83"ツアー 米国公演 公式マーチャンダイズ)

83年のアメリカ公演中に各会場で販売されていた七分ラグラン袖の公式シャツ。
バックプリントに「INVASIAN '83」の文字があるのが良い感じです。
フロントのロゴ+鳥のデザインも一風変わったデザインで面白いです。
ただこれ、古着として入手したのですが裾がカットされているんですね。
なのでこれがオリジナルの状態なのか、前オーナーが裾をカットしたのかは
ちょっと不明。どなたかデッド品持っている方が居られましたら
オリジナルの裾の状態を教えて下さい。(泣)

エイジアの公式Tシャツ (1990年 "THEN AND NOW"ツアー 日本公演 公式マーチャンダイズ)

1990年の"THEN AND NOW"日本公演の時に各会場で販売されていた公式Tシャツ。
僕は10月1日・中野サンプラザで観たので、これもその日にサンプラザ内の
マーチャン販売所でパンフレットと一緒に買いました。
購入後、一度も着ずに大切に保管している未着用のデッド品です。

エイジアの公式Tシャツ (2008年 "PHOENIX"ツアー 日本公演 公式マーチャンダイズ)

2008年のフェニックス・ツアー日本公演での公式Tシャツ。
これがレアなのは、バックプリントのツアー日程内に
初日の福岡公演がプリントされている点でしょう。
一番上に"May.08 / Fukuoka Shimin Kaikan"と書かれています。
もちろんこれは、エイジア史上唯一行われた福岡公演です。

僕は当時その福岡・博多公演を観に行きましたので、これもその時に
会場となった福岡市民会館で買いました。東京や大阪、名古屋の会場でも
同じものは買えましたが、しかしその唯一行われた福岡公演で、福岡の
地名が入ったTシャツを買えたという点が個人的にとても嬉しいわけです。(^_^)

エイジアの漫画作品 『栄光のエイジア 女王陛下の国から日出づる国へ / 画: 園田 光慶 * 原案: 宮原 安春』
(※FMレコパル西版 1982年8月16日〜29日号)

これ凄いです。
1982年のFMレコパル(※西版。たぶん東版でも載っていると思う)に掲載された
エイジアの漫画作品です。描いたのは名作『あかつき戦闘隊』とか
『赤き血のイレブン (原作は梶原 一騎)』等を描いていた人気漫画家、
園田 光慶(そのだ みつよし)さん。
彼が描いた、エイジアのデビューにまつわる物語の漫画作品です。

この「レコパル・ライブコミック」はFMレコパル誌の人気コーナーで、
あるバンドやあるミュージシャン、作曲家などにスポットを当てた
12ページほどの短編漫画が毎号掲載されていました。これは後に
『FMレコパル・ライブコミック』というコミックス単行本としても刊行され、
様々なミュージャンの短編漫画を集めたものが確か3巻くらい出ていた筈です。

しかしその単行本に収録されているのはレコパルの誌面に載った膨大な作品のごく一部で、
コミックスに収録されなかった作品が山の様に眠っているのはコアな漫画マニア、洋楽マニア
には有名な話。例えば、石森章太郎さんが描いた『クイーン』、バロン吉元さんが描いた『オノ・ヨーコ』、
上條淳士さんが描いた『カルチャー・クラブ』、望月三起也さんが描いた『レインボー〜ヘビー・メタルの騎士』
極めつけは「博多っ子純情」で御馴染みの長谷川 法世さんが描いた『ジミ・ヘンドリックス』
『レッド・ツェッペリン』等など、その号限りの単行本未収録作品がゴロゴロしています。
園田 光慶さんが当時描かれたこのエイジアの漫画も、その埋もれた作品の一つです。

読んで戴ければ分かりますが、或る意味凄い作品(=迷作とも言う)なので
本当は全ページ載せたいのだけど、そこはやはり著作権というものがあると思います。
僕もエロとはいえ漫画家ですし、誰かが自分の作品を全ページ無料でweb公開しやがったら
腹も立ちますので、サンプルとして前半の6ページ分だけ←に載せました。
園田先生はもう故人ですし、FMレコパルも既に廃刊してますからこの作品の権利が
どこにあるのかは分からないけれども、でも全ページではなく、サンプルとして6ページ分だけ
公開するならば、園田先生もきっと許してくれる様に思います。何故なら同じ漫画家として
僕が自分の死後を想像した時、自分の単行本に未収録の作品を、自分が死んだ後も誰かが探して
続きを読みたいと思ってくれるのはとっても嬉しい事だから。

という訳なので、もし全ページ最後までお読みになりたければ古本屋とか
ネットオークションを探し、是非御自分の手で見付け出してお読み下さると幸いです。

最後に、素晴らしい作品を残してくれた園田 光慶先生の御冥福を改めてお祈り致します。