1989年エイジアの考察


(1)
『1989年の第1期ヨーロッパツアーを部分的に垣間見る』


不明な部分がかなり多い1989年エイジアの活動ですが、
ここにきて凄い資料が出てきました。これは、実際に89年エイジアの
ロード・クルーとして働いていたGLENN WILLIAMS氏から借りた貴重な資料です。
これは、正式には『TOUR ITINERARY (=ツアー日程表)』と呼ばれる物で、
ロード・クルーは勿論、メンバーも全員携帯している『今後の予定表』みたいな物です。
実寸は縦21cm×横15cmで、大きめの手帳というよりは、小型のノートという感じですが、
ここには1989年8月26日〜9月4日までのライブ予定地・移動/行動予定・宿泊先・その他が
事細かに記載されています。以下に、このTOUR ITINERARYの全ページを
全て画像で取り込んであるので、それぞれの行動を見てみて下さい。

表紙です。
なかなか味があって良いですよね。
目次です。
このノートに記されたツアーの一覧が記載されています。
8月26日

この日はオフの様です。
『TRAVEL DAY』となっているので、移動日なのかもしれません。
8月27日

この日は"Migros Footballground"という場所で演奏しています。
ここで面白いのは、午後3時という中途半端な時間からショウを行っている点でしょう。
理由はよく分かりませんが、夜の試合前のオープニング・イベントだったのかしら?
持ち時間枠もやはり1時間で、この日もショートセットだった事が伺えます。
8月28日

オフです。
前日のMigros FootballgroundがあったEGERKINGENからTUTTLINGENに
移動しています。
8月29日

昨日移動してきたTUTTLINGENの『AKZENTE CLUB』で演奏している筈ですが、
何故かステージ時間・その他が書かれていません。
宿泊しているホテルは昨日と同じです。
8月30日

移動も無く、この日は完全なオフだった様です。
宿泊ホテルも、3日間全く同じ処に宿泊してますね。
8月31日

3日間滞在したTUTTLINGENから、首都BERLINに移動しています。
完全に移動だけの一日だった様ですね。
9月1日

BERLIN市内のWALDBUHNEでライブ。
ステージでの演奏予定時間枠が19時25分〜20時15分という
妙に中途半端な時間帯で組まれており、予定枠も50分という短さ。
しかも終了時間が深夜0時という事から考えると、この日はエイジア以外に
他の幾つかのバンドも出演していたブッキング・ステージだった可能性もありますね。
宿泊ホテルは前日と同じです。
9月2日

BERLINからHANOVERに移動していて、その日のうちに
『Sportanlage Garbsen』という場所でプレイしています。
演奏時間枠はやはり1時間で、短いステージだった様ですね。
9月3日

HANOVERからLORELEYに移動し、この日も昨日同様、その日のうちに
『Lorelei Freilichtbuhne』という場所でプレイしています。
精力的ですね・・・(^_^;)
この日の模様は、ブートビデオ(『LORELEY, GERMANY 1989』)で観る事が出来ます。
このビデオを観ると分かりますが、この日は雨の中のステージでした。
9月4日

この日の表はどう見たら良いのか分からないのですが、
上から2つ目の画像(目次ページ)の、この日の部分には『TRAVEL HOME』と
書かれているので、恐らくこの日が第一期89年ヨーロッパツアーの最終日、
もしくは解散日だったのでしょう。団体の『ウェットン御一行様』とは別に、
カール・パーマー、ジョン・ヤングがFRANKFURT空港から別々の飛行機に乗って、
それぞれ別の土地に移動しているのが分かります。

・・・という訳で、第一期89年ヨーロッパツアーはこの日で終った様ですが、
ブートや未ブートで存在が確認されているこの時期以降の音源を見てみると

11/12/1989-RASTATT,GERMANY (THE CIRCLE OF TREASURES : 6CD BOX SET)
11/15/1989-STUTTGART,GERMANY (未ブートですが、この音源は有名です)
11/26/1989-KOLN,GERMANY (ブートビデオ『KOLN, GERMANY 1989』)

・・・というのがあるので、ツアー期間は不明ながらも
この後、第2期ヨーロッパツアーが行われたのは確かです。



(2)
『この当時のセットリストについて』



上のTOUR ITINERARYに記載された『ライブの開催時間帯』を見てみると、
どれもが1時間という枠が予定されているのが分かります。
実際、テープトレーダーのリストにあるこの時期(8月26日〜9月4日)の音源の
収録時間を見ても、大体55分〜65分程度です。まぁ、多少は長引いた日が
あったにせよ、それ程長い時間枠が与えられていなかったのは確かの様です。
しかし、そうなると当時はどんなセットで演奏されていたのか、という疑問が浮上します。
ここに、ヨーロッパ・ツアー時の基本セットリストが書かれた、当時のステージの様子を知る
上で非常に貴重な手掛かりとなる紙が残っています。これもTOUR ITINERARYと同じく
GLENN氏から御好意で借りた物ですが、これを見ると実に面白い事が分かります。

『Kari Anne』 は 『Oh Carolanne』(キャロレーン? キャロライン?)
・・・となっており、
『Prayin' 4 A Miracle』 は 『Prayin' For A Miracle
( 4を意味する"Four"ではなく、"For"となっている事に注目)

・・・となっています。
どちらも、この曲の原タイトルを伺わせる物ですが、これは実に
興味深い記載だと思います。そして、何と言ってもやはり1時間という予定枠の為か、
10曲のみの特別なセットとなっており、やはり当時はこれを基本にして、
時間枠内に収まる様なステージ構成にしていたのでしょう。
また、
『Time Again』も、わざわざ『Time And Time Again
・・・と表記されている事も面白いですね。


(3)
『この時期のギタリストについて』


この89年は、まだ正式なギタリストが決定しておらず、
何人かのセッション・ギタリストが在籍しています。
現在分かっている、名前が挙げられたギタリストは、
『Alan Darby』『Allex』『Dann』『Kevin』『holger larish』という5人ですが、
情報が不鮮明な部分が多く、よく分からない部分があるのも事実です。
しかし、少なくともこのうち

『Alan Darby』
『Dann』
『holger larish』

・・・の3人は確実に参加している様です。
再結成したかなり初期の頃は『Dann』と『Alan Darby』がプレイしており、
ツアーに出られないとの理由で途中(少なくとも8月26日)から『Alan Darby』が
メインでプレイし、その後、11月のステージから『holger larish』に交代している様です。
従って、Alanは9月、やっていれば10月迄プレイしていると思われます。
また、この他の『Allex』『Kevin』の二人は、情報としては居たと言われていますが、
果たしていつ頃、どの様な形で在籍していたのか僕には分かりません。
もしかしたら、Alanやholgerに急なオファーが入ってステージに出られない時などに
ピンチヒッターで1回か2回程度プレイしたのかも知れないし、
再結成した本当に最初期頃に、とにかくピンチを埋める為だけに取っ替え引っ替えした
時のギタリストなのかもしれません。


(4)
『この時期のキーボーディストについて』


ジェフリー・ダウンズは、89年中は不参加です。
ただし、正式メンバーとしては決定していて、初期の2・3回のステージだけは
実際にウェットン、パーマーと共に演奏した事がある様です。
その後直ぐに、キャンセル出来ない他の仕事をこなす為に
途中から抜けて、89年中は殆ど不参加となります。

で、当然そうなると代打のキーボーディストがこの時期メインで参加するのですが、
このキーボーディストは現在の『QANGO』でプレイしているジョン・ヤングでした。
上で紹介した『TOUR ITINERARY』の最後のページ(9月4日)でも、ヤングの名前が
確認出来ますね。ですから、89年エイジアは或る意味で現在のQANGOの
プロトタイプだったとも言えます。


(5)
『女性コーラス隊について』


89年エイジアというと、女性コーラス隊が居るかどうかという点が
気になるところですが、色々な情報を繋げてゆくと、どうやら少なくとも
ヨーロッパ・ツアー中は全て同行していた様です。
コーラス隊は2人で、両嬢の名前は、上の『TOUR ITINERARY』の
最後のページ(9月4日)で確認する事が出来る通り
『S WEBB』『Z NICHOLAS』・・・という二人のお嬢さんだった様です。
GLENN氏によると、フルネームは

『SUZIE WEBB』
『ZOE NICHOLAS』

だそうです。
ロキシー・ミュージックの有名な女性コーラス隊『THE SILENS』みたいに、
コンビの名前が何か付けられていたのでしょうかね? (^_^;)


(6)
質疑応答
『教えて、GLENNさん!!』


ここでは、僕がGLENN氏に聞いた89年エイジアの質問と、
それに答えて戴いたGLENN氏自身の解答を載せてみたいと思います。
質疑応答の仲介には、西新宿のレコード店DUST an' DREAMS (※ 現LIGHTHOUSE)に
御協力戴いています。
自分がした質問は以下の3つでした。

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(質問)

(1) 89年のエイジアには、ジェフ・ダウンズが参加していないと
聞いていますが、本当でしょうか? もしそうならば、
89年エイジアでキーボードを弾いていたのは誰でしょうか?
御名前を御存知でしたら教えて下さい。

(2) この日程表の最後のページに記載された『Passengers』には、

MR J WETTON
MR A DARBY
MS S WEBB
MS Z NICHOLAS
MR G WILLIAMS
MR C PALMER
MR J YOUNG

・・・とありますが、まずこの『MR』と『MS』というのは
『ミスター』『ミセス』の事なのでしょうか?(多分そうだと思いますが・・・)
また、『MR J YOUNG』とありますが、これは現在の
『QANGO』のキーボーディストJOHN YOUNGの事なのでしょうか?

(3) セットリストの書かれた紙がありましたが、
これは誰が書いたか分かりますでしょうか?
また、このヨーロッパツアーのセットは、
どこの場所でもこの紙に記載された通りのセットで固定され、
演奏されていたのでしょうか?

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・・・以上です。
以下が、それに対する答えになります。
僕は英語が出来ない為、かなりマヌケな質問もしていますが、
かなり興味深い答えも書かれているので、じっくり読んで下さいね!!

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(答え)

(1)
89年ASIAのキーボードはJohn Youngです。
Geoffが89年にASIAに参加したとは聞いたことが無い。
少なくとも自分は知らない。
ASIAのリハーサル・ルームの別のスタジオ・ルームにGeoffが自分の
キーボードセットをセットしていたのを記憶している。
彼は、ソロで何かやろうと(やっていた?)してたんじゃなかった?

> また、ダウンズが正式に参加したのはいつ頃からでしょうか?

分からない。90年に入ってからでは?

(2)
> まずこの『MR』と『MS』というのは
> 『ミスター』『ミセス』の事なのでしょうか?(多分そうだと思いますが・・・)

そのとおりです。

> また、『MR J YOUNG』とありますが、これは現在の
> 『QANGO』のキーボーディストJOHN YOUNGの事なのでしょうか?

そのとおりです。

> ・・・の4名のフル・ネームを御存知でしたら教えて下さい。

> MS S WEBB → SUZIE WEBB
> MS Z NICHOLAS → ZOE NICHOLAS
> MR G WILLIAMS → GLENN WILLIAMS
> MR J YOUNG → JOHN YOUNG


回答は上記の通りです。
SUZIEとZOE は、いつも一緒に仕事をしていた女性コーラス隊で、
ASIAの前はSCOTT GHOHAM'S WESTERN FRONTにもいた。
最近のBRIAN MAYのTOURでもコーラスを2人でやっていたよね
(注 : GLENNはオーストラリア・ツアーでニールマレーと彼女たちと再会している)

(3)
セットリストはGLENNが書いたそうです。
ウェットンから言われた曲目を、コピーマシンとかは使わず人数分書いたそうです。
コンサートは5回行われて、基本的には

BEACH BOYS / IT BITES / ASIA / KID CREOLE & COCONUTS

・・・の編成でBEACHBOYSは1時間半のセット、ASIAは40分のセットでした。
2回目のTUTTLINGENのクラブ・ギグだけはASIAオンリーだったので1時間のショウでした。

≪興味深い話≫
ウェットンが私(GLENN氏)に、「このラインアップをどう思う?」と質問してきた。
私は「3人はいいけど、ギターのALAN DARBYは良くない」と正直に答えた。
ALANは良いギタリストだけど、ベストじゃないし、ASIAにはあってない、と。
ウェットンもこのラインアップでASIAをやっていくのは自信がないようだった。

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・・・という事ですが、如何でしたでしょうか?
(2)の女性コーラス隊の質問に対する答えで、彼女達の過去の経歴と、
最近の様子を知る事が出来たのは良かったと思います。
しかし、クィーンのブライアン・メイの処でもコーラスをやっていたとはブッたまげました。
ということは、この2人ってコージー・パウエルがドラムやっていた
ブライアン・メイのツアーでもコーラスをやっていたのでしょうかね?

また、(1)で『ダウンズは完全にタッチしていない』と答えていますが、
僕が雑誌やファンクラブ会報などで知っていた情報では、89年のエイジアは
『ウェットン・ダウンズ・パーマーの3人で再始動する模様』・・・と
なっていたのですが、これはあくまでも『模様・予定・様子』だったのですね・・・。
僕はそれを鵜呑みにしていた為、少なくとも初期の頃はダウンズが
参加していたのではないかと思っていたのですが、アッサリ否定されましたね。(^_^;)
それにしても、エイジアとは別のリハーサル室で自分のセットを組んでいたとは・・・。

あと、(3)で当時の他のバンドとの時間配分が分かったのも非常に良かったと思います。
こういうのは実際にその場に居た人でないと分からないですよねぇ。
また、ウェットンがこの当時のメンバーでエイジアをやってゆく自信が
無さそうだったというエピソードも、非常に興味深いと思います。
でも、もしそうだとしたら、何故この時のメンバーが居る現在の『QANGO』を
やる気になったのでしょうかね? しかも、個人的にはデビッド・キルミスターのギターは、
ALAN DARBYよりも合っていない様に思えるのですが・・・(^_^;)


・・・という訳で、知っている事を全て書いてもこれだけしか情報の無い89年エイジアですが、
誰もホームページ・その他でこの89年当時の事を詳しく書いている様子は無いし、
誰も書かないなら自分で書こうと思ってこのページを創ってみました。
僕程度の知識や情報量ではこの程度しか分かりません。ごめんなさい。
どなたか他に有力な情報をお持ちの方が居らっしゃいましたら、
何でも構いませんので是非御教示下さい。

最後に、この貴重な資料と、GLENN氏との仲介役になって戴いた、
西新宿のレコード店『DUST an' DREAMS (※ 現LIGHTHOUSE)』様に感謝致します。