映画「クラッシュ」の感想

<警告>

ネタバレあり!まだ見てない人は近寄らないように!

 

 

 一言で言って「凡庸な映画」。まあクローネンバーグという人は、下積み時代&Z級映画監督時代に結構つまらん映画を撮ってたというが、これもまた同様。かなり残念ざんす。クローネンバーグといえばフェティシズムというイメージがあり、原作もまさしくフェティシズムに関するものなので、非常に期待大だったのだが、これが全くといっていいほど「愛」が感じられんのよ。ねちっこい、本当にベタベタした描写で、クラッシュド・カーに対するひりひりするようなフェティッシュを描いたバラードの原作のテイストと異なり、せいぜい医療器具に対するクローネンバーグ本人のフェティッシュが感じられるだけで、肝心のクラッシュド・カーに対する描写は冷え切ってることこの上なし。メジャーの制約のせいか、血とSemenが全くといっていいほど登場しないのがそれに拍車をかけている。それに、車に対するジェイムズ&ヴォーンの脅迫神経症的な耽溺と、スピードとその向こうの死によってはじめて「リアル」を感じる事ができるといった、ほとんど離人症的な感覚の描写もかなりあっさりして、原作のテイストをかなり損なう結果になっている。その上、だからといってクローネンバーグの解釈が入り、「クローネンバーグの映画」になっているかというと全然そうではない。単に原作の筋をそのまま画像にしただけ、という印象が強い映画なのであった。完全に原作負けしているのである。

 では、原作を読んでない人なら良いか、というと、多分この程度の画像じゃ、なーんにも知らない人にも受けないんじゃないかと思うのであった。まずセックスシーンのあっさり感が良くない。パンフレットに記された「セックスシーンが全体の8割!」っていうアオリ文句はインチキもいいとこだし、ひりひりするような感覚をもたらすのはせいぜいジェームズ(攻)*ヴォーン(受)のホモ・セックスのシーンぐらい。成人映画指定を受けたのはセックスシーンよりも、その内容の反社会性からということだったが、肝心のセックスシーンがこれだから、やらしい映画を期待したおじさま方はがっかりするのではないだろうか。チンポ勃たないし。次には、「死」を予感させるシーンがあまりないのが良くない。スピードのエクスタシーはまさしくニアデス感覚によってもたらされるものであるが、劇中に提示される「死」のアイコンが余りにも少ないがために、「死と隣り合わせの快感」という、「分かりやすい」ものでさえ、ぼやけてしまって良く現れてこないのだ。そしてまたそのために、観客の目を引くショッキングなシーンも、映像的に息を呑むような「引っかかる」シーンも、実に少ない、というか全然ない。映画は1シーンでも観客を感服させるシーンがあればそれで良い、というのが私の持論なのであるが、それすら満たす事ができていないのだ。

 そこで、ひとつの疑問が生じる。何故、クローネンバーグは、原作に溢れる「バラードのフェティシズム」を払拭したのだろうか?単に才能の欠如、といえるかもしれないが、ここまで潔癖にやられると意図的としか思えない。残念ながら、今の段階では私にははっきりとした解答は示せないので、何も言うことはできない。本当は凄い意図がこもっているのかもしれないし、現代を揺るがすようなクローネンバーグなりの解釈がここにはあるのかもしれない。「ひょっとしたら、凄い映画なのかも…」という気もしないでもない。しかし、今のところ、少なくとも凡庸な映画であったという正直な感想は変わることはないだろう。

 

 

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