何故私はこのシリーズに惹かれるのか。私自身の社会的な立場を考えると、戦争のゲームに惹かれることに疑問も感じはする。だが、苦労してもなお、大金をつぎ込んでもなお、私はヨーロッパシリーズに惹かれ続けている。この、あまりの壮大さに、あまりの突き抜けかたに、あまりのマニアックさに、あまりの「濃さ」に、惹かれないではいられないのだ。
このシリーズは、過剰の固まりである。楽しむためのゲームとして作られながら、まずはプレイするための場所を確保することが難しい。もし場所が確保できたとしても、莫大な駒の数によって、事実上プレイすることは難しい。こうした量的な過剰に加え、質的な過剰も凄まじいものがある。特殊コマンド部隊まで駒に含めるその完璧主義。一つ一つの部隊の人数や細かい装備まで調べて決定された戦闘力。登場しない機種がほとんどない空軍の駒(もちろんドイツのロケット戦闘機も出てくる)。2分の1インチ四方の駒にびっしりと書き込まれた海軍艦艇の能力値。どれをとってもまるで熱に浮かされたように徹底的である。
もうひとつ、子供が感じる「わくわく感」に近いものを、このシリーズは持っている。全部揃えれば、合体させて一つの巨大なゲームにできるということに、「コン・バトラーV」の超合金を集めた感覚を思い出さないか?戦隊もののロボットに加えて、巨大な秘密基地まで揃えて一大ジオラマを作り出すような感覚に似てはいないか?
まずは数である。圧倒的な数である。そしてそれを生み出す、根元を失った(であろう)情熱。これに私は惹かれてやまない。人間はここまでのものを作り出そうとする情熱を持っているのである。人によっては、暴走した情熱と見るかもしれない。もはや人間性が失われているとみるかもしれない。それが戦争ゲームであるからなおさらに。だが、私はこう言いたい。「だったらあんた方にこれだけのことができるのか?」と。それに加えて、このシリーズはオトコを燃え立たせるさまざまなガジェットを含んでいる。合体、戦略、闘争心の満足。野蛮であるのかもしれないが、こうした要素は私の中の「男の子の部分」をくすぐって仕方ないのだ。
最近、恐ろしい情報をキャッチした。同じスケール、同じコンセプトで、第一次世界大戦と、太平洋戦争を描いたシリーズがGR/D社から発売されるというのだ。なんとも搾取的なことだ。だが、私は結局全て買ってしまうだろう。彼らの「濃さ」は変わることはないだろうから。そして、ある種「崇高な」ものさえ、彼らには感じているのであるから。