つれづれなるマンガ感想文1月前半

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「つれづれなるマンガ感想文2000」12月後半
「つれづれなるマンガ感想文」1月後半
一気に下まで行きたい



・「斬鬼」第3号(2000、少年画報社)
・「モーニング」6号(2001、講談社)
・「独身アパート どくだみ荘 福谷たかし氏追悼総集編Vol.1」 福谷たかし(2000、芳文社)
・「いけ! いけ! 清田 傑作選」 newどおくまんPRO(2000、徳間書店)
・「月刊マガジンZ」2月号(2001、講談社)
・「COMIC夢雅」2月号(2001、桜桃書房)
・「バラグーダの秘宝 沖渉二作品集」 沖渉二(2000、ソフトマジック)
・「週刊漫画アクション」4号(2001、双葉社)
・「ディスコミニュケーション 精霊編」(3)(完結) 植芝理一(2000、講談社)
・「デビルキング 神になった男」全4巻 さいとう・たかを(1969、1984、リイド社)
・「魔法陣グルグル」(13) 衛藤ヒロユキ(2000、エニックス)
・「菜々子さん的な日常」 瓦敬助(2000、コアマガジン)
・「週刊少年チャンピオン」6+7号(2001、秋田書店)
・「月刊ヤングマン 2月号」(2001、三和出版)
・「パチスロ7 2月号」(2001、蒼竜社)
・「爆射!! 弓道MEN」(2) ながしま超助(2000、双葉社)
・「ミルククローゼット」(2) 富沢ひとし(2000、講談社)
・「青春にジャンプ」 司敬(1986、日本文芸社)
・「魔法陣グルグル」(10)〜(12) 衛藤ヒロユキ(1998〜2000、エニックス)



・「斬鬼」第3号(2000、少年画報社)

う〜ん、かなり前に出たのだが、コレも読むのが遅くなってしまった。
再録中心の時代劇専門コミック誌で、ヤングキングの増刊扱い。

「御用牙」 小池一夫、神田たけ志は2話ぶん70ページを一挙掲載。70年代にヤングコミックで連載されていて、中盤くらいからものすごく面白くなる。「斬鬼」では、わりと地味めの初期の方から再録を続けていて、ファンの私は現代の読者がこの地味さをどう思うのか心配だったのだが、どうやら今後も出続けるらしい。よかった。「お雪献上」 久保田千太郎、松森正は雪を献上される加賀百万石・前田家の秘録。80年代前半の作品だそうだが松森正の絵が現在とほとんど変わっていないので驚いた。「武蔵外伝・五輪の剣」 小島剛夕は84年の作品。年老いた武蔵について描く。「九頭竜」 石ノ森章太郎も再録。70年代半ば、ビッグコミック連載。己の出自を探して旅を続ける富山の薬売り・九頭竜の話。今後も分載のようなかたちで続くという。70年代半ばのいろんなことが変わりだす時期に、作者が悩みながら描いていたらしいことを考えるとしみじみ。

「幕末エッセイ 挑戦者たち」 みなもと太郎は、「西部開拓時代に海をわたったサムライはいたのか?」を調べたエッセイ。面白い。たぶん新作? 「KLEIN−ZES−小六−」 もりもと崇も新作か。17世紀半ば、東インド・バタヴィア(現在のジャカルタ)辺りで日雇い仕事みたいなことをやっているナゾの日本人・小六の活躍を描いた歴史アクションロマン(とでも言えばいいのか?)。
歴史的背景の説明も比較的わかりやすく、展開も後半に行くに連れて盛り上がる。今後の伏線らしきものもあるので、ぜひこれ1回きりで終わらせず続きを読みたくなる作品。なのだが、1点、狂言回しであるはずのオランダ人の登場が非常にわかりにくい。ナマイキなこと書いて申し訳ないが、導入部のツカミの部分がよければもっともっと面白くなったと思う。

他に村野守美吉田かずひろなどが描いている。呉智英も歴史作品における差別表現をどうするかについてエッセイを書いている。
(00.0115、滑川)



・「モーニング」6号(2001、講談社)

・「リーマンギャンブラーマウス」 高橋のぼる

競鼠編。EPISODE18「敗因」。「競鼠」というのは文字どおり競馬のように鼠を調教し、競争させる競技。コレに金を賭ける。マウスと東大生時代に野球部のチームメイトだった男・中澤伸司(現在東大講師でリーディング調教師)が現れる。彼は学生時代の試合でのマウスのミスを、いまだに根にもって怨んでいた。

いや〜相当面白い。すばらしい。まぐろ子の女体盛りも出てきたし、お話全体も面白く、マウスの存在感も出ているし。

何かの本に、「吸血鬼ドラキュラがほとんどコメディにしか登場できなくなったのはダンディズムが崩壊したからだ」と書いてあった。まあうがちすぎなような気がするが、一理はあるかも。
同じリクツで言うなら、ダンディズムのカタマリのようなマウスも、それを応援するけなげなキャラクターのインドまぐろ子も現代では成立しにくいはずなのだが、「架空のギャンブル(それもかなり飛躍した)」という基本設定と「けなげに応援」を因果地平の彼方にまでぶっとばさせた「創作女体盛り」が、それを成立させている。しかもダンディズムそのものを茶化すことなく。……っていうか茶化してるんだけど。
でも物語が成り立っていてしかも突き放した感じじゃなくグイグイ引きつけていくところが、実にすばらしい作品なのである。
(00.0115、滑川)



・「独身アパート どくだみ荘 福谷たかし氏追悼総集編Vol.1」 福谷たかし(2000、芳文社)

週刊漫画TIMES1月4日増刊。「週刊漫画TIMES」に10年以上にわたって連載されていた「独身アパート どくだみ荘」の総集編。昨年、作者の福谷たかし氏が亡くなってしまい、その追悼の意味を込めての増刊号。

「どくだみ荘」の基本ストーリーは、地方から東京に出てきて貧乏一人暮らしをしている主人公・掘ヨシオの、妙にモテたり逆にヒドい目にあったり、といったなんてことのない(でも美女はたくさん出てくる)生活を描いたもの。

個人的にはその存在自体は知っていたのだが、ちゃんと読んだのは今回が初めてだった。「主人公がトシをとらず、基本設定自体に変化がなく、ずっと続いていくマンガ」というと「こち亀」を思い出す。4コママンガならもっとあるだろう。
だが本作はそれら以上に変化がない。いつもヨシオはキタナイ四畳半の部屋でゴロ寝していて、「いい女とヤりてえな〜」と思っているだけ。ときどき帰省して、そのつど微妙な変化はあるものの、何か大事件があるわけでもない。

しかし、人間本当にヘコんだときには、本作のようなマンガを見るとものすごくホッとするかもしれない、と思う。みつはしちかこのようにほとんど変化のないマンガをずっと描き続けていられるのは偉大な才能だが、やはりデフォルメされたキャラクターであるぶん、「マンガなんだし」と思ったりする。しかし「どくだみ荘」は劇画タッチであるため、登場人物の変化のなさに、自分と重ね合わせてちょっとシミジミするときが……ないですか? ボクはあります。
小堺一機関根勤が、もうTBSで二十年も同じラジオ番組をやっている。たとえばお昼の主婦向けであるとか、漫才コンビで場所を変えながらであるとか、そういう長寿番組はあるだろうが、コンビとも言いきれない二人が同一スタッフを含む番組、しかも若者向けで二十年続けているというのは最近でも珍しいと思われる。たけしだってタモリだって電気グルーヴだってやめちゃったもの。
そんな中、パワーダウンしたとか昔の方が面白かったと言われたりすることもあるけど、3年とか5年のブランクを経てラジオをつけてもまだ変わらずやっている、そのこと自体にホッとすることがある。「どくだみ荘」も、そんな安心感を読者に提供していたのではないかと思われる。

ぜんぜん関係ないが映画版「どくだみ荘」は主演サード長島、ヒロイン役には松岡千重が抜擢されていた。松岡知重は宇宙刑事モノでキャッツアイみたいな怪盗を演じていた(確か)他に、ほとんどの雑誌の表紙になったことがあるという元祖巨乳アイドルであった。麻田奈美も悪くないけど、巨乳マニアは松岡知重の再評価を早急にすること。
(00.0114、滑川)



・「いけ! いけ! 清田 傑作選」 newどおくまんPRO(2000、徳間書店)

週刊アサヒ芸能増刊、10月20日号。週刊アサヒ芸能に連載している「いけ! いけ! 清田」の総集編。
「ワイがなにわの番長や! 文句ある奴ァしばきあげたる!!」って表紙に書いてある。

「バイアンツ」の選手・清田を主人公にしたプロ野球を舞台にしたマンガ。
清田はもちろん清原がモデルで、その他のキャラクターも全部実在の選手がモデルになっている。実は私は野球をまったく知らなくて、清原ってむかーし、ドラフトで巨人に入れなかったんで涙していた若い頃しか知らないので現在の高橋選手だっけ? あの人みたいに甘いマスクのハンサムタイプだと思っていたけど、ぜんぜん違うということを知ったのはこのマンガを読んでからであった。
ホントはかなり前、昨年のシーズンが終わる直前か直後に出ていたんだけど、読むのが遅くなってしまった。

内容は典型的などおくまんキャラ・清田が清原を極端にしたような行動で周囲に騒動を起こすというもので、他のキャラクターも実在の人物を5割増しでエキセントリックにしたような感じ。超絶的にクダラナイ(いい意味で)回としての第2話「幻のマル秘打法の巻」(タマキンを股に挟む打法でタマが破けてしまうという話)と第3話「イメージ大作戦の巻」(嶋長監督のイメージトレーニングで選手全員がイヤな考えに取りつかれ成績がさらに落ちる)が収録されている。

ちなみに「ワイ」というのはだれかがつくった架空の清原用語で、関西弁には「ワイ」ってないんだって。
(00.0113、滑川)



・「月刊マガジンZ」2月号(2001、講談社)

・「仮面ライダー SPIRITS」 石ノ森章太郎、村枝賢一

村枝賢一による、「仮面ライダー」のコミカライズ作品、連載第2回。
第2話「たった一人の戦場」前編滝和也は戦場カメラマンとして一文字隼人(仮面ライダー2号)がいるというガモン共和国へ向かう。そこは「もうひとつのベトナム戦争」と呼ばれるほどの激しい内戦状態にあった。

そこではあきらかに2号ライダーと思われる何かが、「悪魔(ディアブロ)」、「紅い悪魔」、「紅腕の悪魔」と呼ばれて恐れられていた(2号ライダーの手袋は赤いから)。

今回は「人々から悪だと誤解されている正義のヒーロー」の話だあ。石森版「ライダー」の設定である「顔のキズ」についても描かれ、「人々に恐れられる存在」であるライダーが描かれる。そしてヒキのものすごいカッコよさ! 泣けるなあ。

・「濃爆おたく先生」 徳光康之

第19話。前回からの続き。暴尾先生がニセ暴尾先生とジオン妄想対決。
ニセが「ザクレロ量産によりジオン勝利」という妄想をたたみかける。そうか、最初のモビルスーツ採用ってザクとザクレロが競り合ってたのか! 本当? それと「コロニー落としに益なし」というのもね、思わずポンと膝を打つリクツですよ。しかもヒキで終わりだぁ! 続く。
(00.0113、滑川)



・「COMIC夢雅」2月号(2001、桜桃書房)

成年コミック雑誌。

「黒帯の天使」 海明寺 裕

柔道と似て非なるスポーツ「道」をきわめるため、日本と似て非なる国へ行った美少女選手のスプリング。本家の「道」は恥ずかしい胴着を着て恥ずかしい修行をして、技も投げ技ではなく寝技中心、しかもねちっこく攻めて相手をイカせなければならない。

しかし本家「道」が本当にいやらしい武道なのか、それともスプリング選手が外国人だから異文化に対しそう感じているだけなのか、師範や他の選手もいやらしいと思っているのか、その辺はナゾのままというか、わざときちんと描かないでいる。

「エッチな目で柔道を見る」→「エッチな胴着で柔道するマンガ」という発想は他にいくらもあるし、ギャグにしてしまえばそれなりのハジケ具合にもなると思うのだが本作ではそれをあえてしていない。微妙にズレた異世界での微妙にズレたできごとなのである。作者はこのパターンを完全に確立したと思う。しかもそれが多元宇宙の別世界であるかというと、どうもそうでもないらしい(こっちの世界のできごとかもしれない)というところが、またワビサビというかシミジミする部分である。

また、柔道についてもけっこう調べてあると思う。組み合ってるシーンとかけっこうリアルだし。「エッチなスポーツ」のシリーズらしいので、今後が楽しみ。

「I・dol・翔子」 柿ノ本歌麿

今回で最終回。アイドルの翔子がコンサートの舞台上で延々と犯される(犯されると言うか、そういうショーらしい)という話なのだがそれが尋常ではなく、200人以上の人間にヤられまくり、最終的には7万人を目標とするという異様な迫力のマンガ。

ただ、個人的にはここまで来ると恐さが先に立ってしまう。主人公の翔子がロリキャラで、その彼女を「いかに壊す寸前までヤリまくるか」というところに目的が行っちゃってるからだろう。そういう意味では私が個人的にかなり苦手な「肉体改造もの」に近いテイストである。ある意味、恐怖マンガ。
(00.0112、滑川)



・「バラグーダの秘宝 沖渉二作品集」 沖渉二(2000、ソフトマジック)

70年代に活躍したSM絵師&劇画家の沖渉二作品集。数年前まで「東スポ」で挿し絵を描いていたというから、絵柄がすぐ思い浮かぶ人も多いと思う。
何で買ったかというと、「バラグーダの秘宝」ですよ! 秘宝。海洋冒険。そしてエロス。こりゃ読むでしょう。
で、表題の「海賊バラグーダの秘宝」は、17世紀半ば、フランス軍と海賊ブラックがバラグーダという海賊の隠した宝の争奪戦を繰り広げるといった内容。しかし大半は、ブラックに捕まったフランス総督の娘ジャネットと侍女ロンネが延々と海賊たちにイビイビされるさまを描くことに費やされている。
連続ものなのだが予告と展開がぜんぜん違っていたり、あまりにもヘナヘナなラストだったりするのだが、なんつーかこういう作品としては紙芝居的なヒキがひとつの定型だったのかもしれないし(よくわからない)、エロを描くのが目的だからプロットはまあどうでもいい。

画風は小島剛夕や平田弘史と同系統だが、登場する女性はどれもバタくさい美人タイプ。またよくわかんないけど船内の様子とか小道具の描写がすごく細密、ひげもじゃの荒くれ男たちもものすごくキッチリ描かれている。

個人的にストーリーのないAVとか緊張感・タブー感のない妹ネタ近親相姦モノとか、ほんっとにどうでもいいんで「洋風お姫さまもの」とか「海賊もの」とか読みたいんだけど、掲載当時でもそういうのは劇画としてはあまりなかったらしい。

同時収録作の「黒縄魔人」という読みきりシリーズは、スケバン暴走族とか女をさらってきて縛っちゃうSM作家とか、そういう悪人のところにブラックデビルみたいな黒縄魔人がやってきて成敗するという謎の話で、掲載当時の状況などがわからないので笑っていいものやらよくわからないのであった(たぶんギャグ的なモノだと思われるが)。
(00.0112、滑川)



・「週刊漫画アクション」4号(2001、双葉社)

グラビアが女子レスラーの白鳥智香子工藤めぐみなんですけど、女子レスラーってトシ取らないよねー。まあデビューが早いってことがあるにしても。

「ぷるるんゼミナール」 ながしま超助

主人公・深瀬菜々美の所属する女性学の田嶋ゼミが、スキー場でゼミ合宿。
おお、ゼミ生全員がなぜか巨乳なのには理由があるっぽい伏線が……。いや、思わせぶっといて何にも関係ないかもしれないんですけど。

「オッパイファンド」 山本よし文

仕手筋の介入を退ける秘策を思いついた本郷タケシ「ぷるるんゼミナール」に比べると1回分の情報が少ないのが利点であり欠点なのだが、う〜んちょっと話の進みが遅いような。
(00.0110、滑川)



・「ディスコミニュケーション 精霊編」(3)(完結) 植芝理一(2000、講談社)

アフタヌーン連載。奇妙な力を持つ松笛とその彼女? 戸川安里香がまたもや摩訶不思議な事件に巻き込まれる……という体裁だが、実質的な主人公は古来より続く呪術集団「夢使い」三島塔子・燐子の姉妹である。

燐子はロリコン美少女だが火を「カレ(彼)」と呼ぶ、火の精霊を操る少女、塔子は大酒飲みの女子高生で、左目で「視る」ことによって精霊を使う。
そして夢遊状態にあっては巫女神を名乗る吉本麗珠(よしもと・つぐみ)を治すために調査を開始、そこには事件に関わるだれもが予想外の出来事が起きつつあった。

「どうして人は誰かを好きになるのか」という当初のテーマに、最終的には戻っていった結末となった。
「どうして人は誰かを好きになるのか」という謎を解くことは、「自分が誰かを好きになる」ということとはまた別のことである。そんなこと考えなくても人を好きになることはできるわけで、それでもこの謎の解明にこだわり続ける戸川さんに本作のユニークさがあった。もちろんこの問いに普遍的な答えなど出るわけないのだが、本作「精霊編」のラストではなかなかイイまとめ方をしていたと思います。

ところで本作「精霊編」だけのコトで言えば、「オトナと小学生の恋愛」をまっちょうじきに描いたのにはけっこう驚いた。それとも私が知らないだけでまだそういうのがあるのか。とかく「男側の妄想」のみで片づけられるロリコン嗜好だが、ここまで正面から「恋愛」として描かれるとグッと来るものがあるなあ。

出てくる女の子だれもがものすごくカワイイ。そういう意味でもオススメ。

・「ディスコミニュケーション 精霊編」(1)

・「ディスコミニュケーション 精霊編」(2)

(00.0108、滑川)



・「デビルキング 神になった男」全4巻 さいとう・たかを(1969、1984、リイド社)

デビルキング

マンガにおいて「神」を、あるいは「神的なるもの」を表現するときの条件は何だろうか? 光り輝いていること? 響き渡るような荘厳な声? 天から舞い降りてくる白い翼?
どれもが真っ先に思い浮かぶことどもだ。少なくとも、「大きいこと」が第一条件でないことは確かだろう。

しかし、意外にも「神=大きいこと」という表現のみでほとんど一点突破したのが本作なのである。

細胞学者の小早川令次郎は、科学技術文明の際限ない発達に疑問を持ち、それを打開すべく「神」をつくり出そうとしていた。彼は細胞を操作することにより、体長10メートル以上の巨人をつくり、それに神を演じさせようと計画したのである。

「神」には、二流会社に勤め弟と二人暮らしをしているさえない男・藤本正男が選ばれた。正男は過酷な実験に耐えられる強靱な体力を持っていたからだ。

正男は小早川博士によって体長10数メートルに巨大化、さらにそれに伴った超人性(食事は特殊なもので済み、1時間近くも呼吸する必要はなく、身体から高熱を発し、ミサイルごときではやられない強靱さ)を身に着ける。そして神々しい言葉や、小早川博士独自の「演出」により、人々の心を掴み「神」としてあがめられていく。

科学考証がどの程度正しいのかはわからないが、巨大化した正男の起こす「奇跡」にいちおうもっともらしい説明が付くことで、それがあくまでも「演出」であることが強調される。そして、それにノせられていく人々。

「神」となった正男を何十人もの人々が取り囲み、東京へ向かって進撃を開始する! 一方、小早川博士の双子の兄弟である電子工学の小早川洋次郎博士は、「こんなときもあろうかと(?)」プラズマによる兵器を開発していた。クライマックスでは大仏の中に隠されたそのロケット型の兵器が飛翔し、東京の「神」の元へと向かう!
実は最初、「この大仏が立ち上がって戦うのか!?」と思ったがそれはナシ。銀色に輝くロケット型のその兵器からは、何本もの触手が高速で打ち出され、「神」を襲う。さいとう・たかをのSFものって本作以外は「サイレント・ワールド」と「ザ・シャドウマン」しか私は読んだことがなくて、つくづく出てくるメカに色気がないというか当時「ありそうな」かたちにできるだけ近づけているなあという印象なのだが、「金属製の触手を発射するロケット」はエヴァンゲリオンになじんだ世代の方が案外スンナリ受け入れられるかも。あっちの敵も無生物っぽかったから。

とにかく「神」に触発された人々が暴れ回り、大パニックの中、「神」VS「科学文明」の戦いが繰り広げられる。

その他「神」の表現として、正男(「神」)は「GOD!(ゴーーーッド)」と叫ぶ。ううむ、かけ声で「GOD!(ゴーーーッド)」というのはあまりにもすばらしい。

最初の話題に戻ると、おそらくB級映画的コンセプトで「大きい=神」と着想したんだろうけれど、本作は「大きい」ということが意外と「神々しさ」の条件になりうることを表現し得た作品であると言うことはできる。テレパシーとか、サイコキネシスとか、幻覚とか、そういうものをいっさい使わないで「神」を表現するとしたら、その手段のひとつは「大きい」ということだったのである。
(00.0107、滑川)



・「魔法陣グルグル」(13) 衛藤ヒロユキ(2000、エニックス)

本当は10巻から12巻まとめ読みしてすでに簡単な感想をアップしてあるんで、最新刊の13巻を読むときも「12」を「13」に書き換えるだけでいいやとか思っていたのだが、う〜ん、なんか読んだらやっぱり感動してしまいましたよ。
今回は「レフ島」という時間の止まった島からの脱出が大きなイベントになっていて、そのために島を歩き回ったり、村の人に話を聞いたりというRPGライクな設定がより強調されていることに加え、「止まった時間から脱して大人になる」という、イイトシしてマンガ読んでいる人間(おれだ、おれ)にとってはウルウルくることがテーマになっているからだろうと思うけど。

まあ謎の解明のきっかけになる「ミウチャ(レフ島の女の子)が職業を決める」過程があまりに安易だとは言え、あんまり書くとネタバレになるが「すでに冒険(?)を終え、とりたてて輝かしい日々を送っているわけではない」大人が子供を導いていくというのには、やっぱり私は弱いですね。その意味では実に陳腐な言い回しではあるが「深いなぁ」とかつぶやいてしまいました。
(00.0107、滑川)



・「菜々子さん的な日常」 瓦敬助(2000、コアマガジン)

A5。いちおう成年コミック扱い。高校時代に遭遇しそうな、あるいは遭遇したいHな場面(最も単純なモノとしては、女子の着替えを偶然見てしまうなど)を脚色し、全部統一されたキャラクター・菜々子さんがそれを演じるというのが基本コンセプトの作品。
いつもたまたまそういう場面に出くわしてしまう主人公が瓦くん、そしていつも人騒がせに無防備なのが菜々子さん。わりとどこでも着替えてしまったり、パンツが見えていることに気づかなかったり。

……世のオトコも年がら年中、目を皿にしてそんなことばかり見ているわけではないが、まあたまたま見えちゃったり、「見たいな〜」と思ったりすることもあるわけだ。「見た〜いものは、見たい、見たい、見・た・い〜」とアニメ版ダッシュ勝平のように。古いですか。
それを執拗なまでにぶっ描いたのが八神ひろきの「G−taste」ではないかと思うワケで、そのコロンブスの卵的企画にはいくつかのパクリすら目にしたりしたんだが、本作はソレとは根本的に異なっている。

それは瓦くんの、ときどき悪さをしたり、部活は意外とマジメにやったりという日常のディティールが実に細かに描写されているためで、そういう意味ではまさに「瓦くん的な日常」だ。北国の、かったるいながらも極端に走らずに日々を過ごす高校生活が浮き彫りになっている。そこではまぁエッチな場面に出くわすこともあるだろうさという感じである。

その日々の生活の中でのいくつかのシーンを、全部「菜々子さん」が演じているために、彼女は結果的にとんでもなく無防備で無邪気な、天真爛漫なキャラクターになっている。とてもかわいくて、元気な女の子として息づいている。
でも、あくまでも「生活のワンシーン」を演じているせいか、瓦くんとの間に恋愛関係は(この単行本においては)まったく芽生えない。そこにあるのは「同級生」的な関係というか。ゲームの同級生じゃなくて。学生時代にしか成立しない関係、恋人にしたいとか仕事のパートナーであるとか、そういうのとはまったく異質な関係。
そこ、狙っているかどうかわからないんだけど、私から見ると「会ってはケンカばかりする幼なじみ」とか「セックスだけのただれた関係」とか「手を握ったの握られたののラブコメな間柄」とか、そういうのよりずっとリアリティを感じる。
この辺り、私がいくら説明してもなかなか他人に理解してもらえないんだけど、まさに中高生時代にしか成立しない(まぁだから普通はマンガにはしにくい)「同級生な」関係、すなわち友情と同胞意識と性欲がないまぜになったような感覚(むろん異性に対して)が、ここにほとんど初めて表現されたのだと勝手に決めつけさせていただく。いや、あながち私の勘違いではあるまい。
イイですよ本作は。
(00.0105、滑川)



・「週刊少年チャンピオン」6+7号(2001、秋田書店)

今回は全体的に低調。休み明け的雰囲気。

「ななか6/17」 八神健は、精神と記憶が6歳に退行したななかが、他の人々の忘れ去った夢を思い出させてゆく。イイ話。「満天の星」 楠本哲は、ライバルの死に落ち込む満天を慰める凛花さん。この慰め方はグッと来るなあ。
(00.0104、滑川)



・「月刊ヤングマン 2月号」(2001、三和出版)

今回は全体的に低調。休み明け的雰囲気。

「どろろん艶靡ちゃん」 永井豪はパロディ色がキツすぎるような気が。「東洋鬼」 原麻紀夫、唯上拓は主人公・金城に恋人が。張華神というロリ顔巨乳のロックシンガー。このコカワイイ。この作者は色っぽいおねーさんよりこういうのの方が得意なのか。「爆音THE80」 古沢優は、80年代にタイムスリップしてしまった2000年の暴走族・比呂人の話。「松田聖子は2回結婚して2回離婚した」とか「ソニーは一流企業だがベータは敗退した」とか、サマツな未来図に一喜一憂する石原(比呂人の行きつけのレストランのマスター、80年当時はやはり暴走族)が面白い。新連載「夜がまた来る」は、作画が上田しんごで、原作は石井隆。
企画記事「バカリズムの男の教化書」では毎回、ムカシのマンガを紹介しているがいまいちなヌルさが気にかかる。今回織みゆきの「ふられ竜の介」なんだが、「滝の介」と2カ所も誤植が……。しかももしかして2巻しか読んでいないんじゃ……? 別にマンガ評論コーナーじゃないので詳しくなくてもいいが、全巻読んだ方が面白い場合はそうも言っていられない。「ふられ竜の介」は全巻読むこと。

「月刊ヤングマン マンガ賞」が新設。「筆を休めている方」も募集、というのは妙なリアリティが。あと細かいこと言うようだが、ときどきページに入る写真集の広告の写真がすごく印刷が悪いんですが。
(00.0104、滑川)



・「パチスロ7 2月号」(2001、蒼竜社)

何度も書くようだが、パチスロをやらないので個々の作品に対する感想が書きようがない。じゃあ読まなきゃいいのだが、「ランブルアイズ」 石山東吉が単行本にならない以上追い続けるしかない。あ、でも「爆裂いんふぇるの」 こやまけんじは、パチスロのことがよくわからなくても面白い4コマ。
(00.0104、滑川)



・「爆射!! 弓道MEN」(2) ながしま超助(2000、双葉社)

爆射!! 弓道MEN

アクションヤング連載。B6判、成年コミックだけど成年マーク付いてない。
「ぷるるんゼミナール」の作者のマンガ。

名門漫(すずろ)高校(通称マンコー)の弓道部員・石田準一、後輩の中森明は部長の水野由香ら女子部員にいつもしいたげられている。弓道もヘタ。そこに新顧問として美人教師・藤崎真理子が登場。その真の目的は弓道部を「セックス・パラダイス」に変えることだった。
このため彼女は石田準一を誘惑、彼は「最強のセックス・マシーン」となる。このことにより石田は「マンコー射法」という性欲と弓道を結びつけた新射法を開発、石田の弓道で認められたいという欲望と、真理子先生のセックスパラダイスをつくるという野望は達成されたかに見えたが……というのが第1巻。

第1巻終盤になって石田は失踪。今まで影の薄かった中森(石田の子分的存在)が「病的な巨乳フェチ」だということがわかり、「天然のレイプマン」として覚醒する。
しかしいろいろあって中森も廃人に。真理子の野望はまたもやあと一歩というところで達成されない。そんな折り、卒業した水野由香の弟・水野ハルオが新入生として弓道部に入部。彼は姉に似ずそうとうスケベで情けない男であった。真理子は、今度は彼を第三のセックスマシーンとして育てることを考えるが……!?

おもしれー。1巻はまあ面白いことは面白いんだけど、普通のエロコメという感じ。
……というか、なんか作者の手のうちが読めないんで普通のエロコメと解釈するしかない感じか。
しかし回を追うごとにバカバカしさが倍加され、この巻では毎回のプロットもさることながら(毎回女の子とヤっては「弓道のために爆射〜ッ!! 親子で爆射ーッ!! インターハイ前夜爆射〜ッ!! インターハイエキシビション爆射〜ッ!! 部長爆射〜ッ!! といったキメ文句が入る)、「マンコー射法」の欠点を改良した「新マンコー射法」だの「女版マンコー射法」だのが登場し、すばらしくバカバカしいことになっている。作者のやりたいことはこれだったのかと感激することになる。

エロコメといってもいろいろあるが、作者のながしま超助はもともと絵柄がホンワカした感じなのと、内容の脳天気さでなんつーか読んでいる間だけは浮き世の悩みを忘れられる感じ。読もう。

それにしても第3巻は発売されるのか? 続きはあるのか?

・「爆射!! 弓道MEN」(1)

(00.0103、滑川)



・「ミルククローゼット」(2) 富沢ひとし(2000、講談社)

アフタヌーン連載。近い未来、子供達が消える現象が続出。彼らは「並行宇宙」へ行っては帰ってきているらしい。小学三年生のやまぐち葉菜も、数百回の「宇宙ジャンプ」を経験している。葉菜はオタマジャクシみたいな謎の怪生物をしっぽとして付けることによって帰還する。

この怪生物とともに帰還した少年少女は「ミルク隊」として消えた子供達を救出する義務を負っていた。弱虫の葉菜もまた、ミルク隊のメンバーとしてジャンプすることになる。

う〜ん、ちょっと「やりすぎ」じゃないかなあと思ったりする。もう単行本の中盤あたりで話がまったく追えなくなり、お話の不明瞭さとともにピンチに追い込まれるミルク隊たちの様子がとてもグロテスク。富沢ひとしに、私ごときに簡単に説明されうる話は描いてほしくないとは思っているが、それにしてもわけがわからなすぎるというのがこの巻の素朴な感想です。

「ミルククローゼット」(1)

(01.0103、滑川)



・「青春にジャンプ」 司敬(1986、日本文芸社)

青春にジャンプ

松本守は、来年受験をひかえた浪人生。内気な性格のため、陸上部のハイジャンプ競技でも納得の行く記録が出せず、「翔べない男」などと先輩や同級生からもちょっとバカにされている。

彼の「人生の目標とは?」とか「恋愛とは?」といった内省を、いかにも80年代っぽいタッチで描いたマンガ。単行本発行は86年だが、作中にピンクレディーが出てくるところを見ると雑誌連載はもう少し前だったかもしれない。

新春第一弾レビューはコレだ!! ということで青春にジャンプだ!! バンカラモノというか、ガクラン着た男たちが集団でケンカするマンガばかり描いているイメージのある司敬が描いた文字どおりの青春モノ。
浪人しながら悩む守、男に手ひどくふられてから美人になり一流大学に進学した従姉妹の登美子、守のハイジャンプする姿を見て惚れてカノジョになった幸子などの人間模様が地味にからむ作品。
印象としては70年代の「飛び出せ青春!」みたいなややクサ目のノリと、80年代ぬるま湯ラブコメとの中間のような感じで、個人的には執筆された雑誌とかこうした作品の企画の経緯が知りたいところ。いまさらだが「青春もの」というのは現在のラブコメと違って、「うじうじしたことで悩んでいいんだ、内省していいんだ」というそのこと自体に意味を見出していた印象がある。それはその悩みの内容や解決過程に主眼を置いたり、悩みの出し方、描き方のスタイルにこだわった後世の作品とは別種の感動をもたらす。……まあそんな大げさなもんじゃないんだけど。
(01.0102、滑川)



・「魔法陣グルグル」(10)〜(12) 衛藤ヒロユキ(1998〜2000、エニックス)

少年ガンガン連載。ニケククリが魔王ギリを倒すため、ミグミグ族の魔法「グルグル」の謎を解きながら冒険していくファンタジー。

このマンガの場合、いつも最新刊を読むときは前の巻を読み返す。それは、単行本発行時期の間隔が開いているという理由もあるんだが、一見わかりやすいようでいて、本作が「たとえ」と謎解きに満ちているという理由もある。
そういう意味で言うならば、従来の意味でのファンタジーらしいファンタジー。しかもポップ。それが重要。
(01.0102、滑川)

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