つれづれなるマンガ感想文7月後半その1

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「つれづれなるマンガ感想文」7月前半
「つれづれなるマンガ感想文」7月後半その2
一気に下まで行きたい



・「超暫定版オタク(論)年表」
・う〜ん……。(無題)その3
・「スーパージャンプ」9号(2002、集英社)
・「スーパージャンプ」13号(2002、集英社)
・「マガジン・ウォー」7月号(2002、マガジンマガジン)
・「マガジン・ウォー」8月号(2002、マガジンマガジン)
・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 7月増刊号(2002、蒼竜社)
・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 8月増刊号(2002、蒼竜社)
・「週刊少年チャンピオン」34号(2002、秋田書店)
【アニメ】・「地球防衛隊まおちゃん」 第3話「空の防衛隊 みそらちゃん」
・う〜ん……。(無題)その2
・う〜ん……。(無題)
・「平成義民伝説 代表人(だいひょうびと)」下之巻 木多康昭(2002、講談社)
・「ニニンがシノブ伝」(1) 古賀亮一(2002、角川書店)
・「ちゃお」7月号(2002、小学館)
・「ちゃお」8月号(2002、小学館)
【CD】・「ボーイズ・ビー・スタイリッシュ!」 ボーイスタイル(2002、テイチクエンタテインメント)
【CD】・「ミニモニ。ソング大百科 第1巻」 ミニモニ。(2002、zetima)
・「がんばれ酢めし疑獄!!」(3) 施川ユウキ(2002、秋田書店)
・「月刊少年マガジン」3月号(2001、講談社)
・「月刊少年マガジン」4月号(2001、講談社)
・「月刊少年マガジン」5月号(2001、講談社)
・「スーパーパチスロ777」6月号(2002、竹書房)






・「超暫定版オタク(論)年表」

・う〜ん……。(無題)その3などに関連し、AbikoNet/diaryAbikoNet)などについて思ったことを書こうと思ったんですが(興味深く読ませていただいています)、「論壇」がらみのオタク論の概要をつかむには惑星開発大辞典惑星開発委員会)という興味深いところを発見したりもして、急にやる気がなくなったりした。それより、ラブコメ語るなら「ラブひな」ぜんぶ読まなきゃいけないんだよな……とかぜんぜん関係ないこと思ったりしてたんですが、「オタク論」の書籍って、案外サクッと絶版になるし(まあ書籍一般が案外サクッと絶版になるんですが)、同じようなことが繰り返し起こっても過去を検索しにくかったりするので、個人的メモの意味も含めちょっとまとめてみました。
あくまで私見(また後から足すかも)。

・「空飛ぶ冷やし中華」、「空飛ぶ冷やし中華part2」(70年代後半、住宅新報社)
詳細忘れた……。「日本冷やし中華愛好会(全冷中)」編著(たぶん)。メンバーにはタモリや山下洋輔がいた。冷やし中華について研究したり論じあったりという、「一般的にクダラナイと言われているモノをしゃれっけ混じりに研究してみる」ことのハシリ。

・「私、プロレスの味方です」 村松友視(1980、情報センター出版局)
「イイ大人が一生懸命見るモンじゃない」と思われていたプロレスに対し、「見方」を指南したという点において広い意味で「オタク的」。単なるプロレス論ではなく、見る対象物に対する「視点」の問題を扱っていると思う。ちくま文庫から出ているはず(と思ったら在庫ぎれ)。

・「パンツをはいたサル」 栗本慎一郎(1981、光文社)
「人類は過剰にモノを生産し、蕩尽するという性質がある」という観点を持つらしい「経済人類学」をモトにいろいろ斬った本。栗本による「経済人類学」の本はもっと前に出ていると記憶しているが、検索したらすぐには出てこないので不明のまま。マルクス主義だかマルクス経済学だかの固定されていた(らしい)観点に対する、カウンター的な意味があった。そういう過去の価値観の破壊が、80年代の「面白主義」みたいなものにつながっている。「アイドルもガンダムも語っていいんだ!」みたいな感覚の時代の気分を表した1冊。

・「快傑のうてんき」(1982)
自主制作映画。「怪傑ズバット」のパロディ。見ていない人すら替え歌の主題歌を知っていた。

・「愛国戦隊大日本」(1983)
自主制作映画。「太陽戦隊サンバルカン」のパロディ。見ていない人すら替え歌の主題歌を知っていた。「論」ではなく実践としてあげた(以下にあげた、狭義の創作作品はすべてそうした意図による)

・「漫画ブリッコ」6月号(1983/06、白夜書房)
初めて中森明夫が「おたく」について書く。もちろん批判的な文脈。

・「構造と力 記号論を超えて」 浅田彰(1983/09、勁草書房)
オタクとは直接関係ないけど、まあサブカル的に話題になってたんで。
当時、コレをファッションで持ち歩いていたやつがいたっていうの本当? それとも都市伝説???

・「逃走論 スキゾ・キッズの冒険」 浅田彰(1984/03、筑摩書房)
上に同じく、オタクとは直接関係ないけど、まあサブカル的に話題になってたんで。

・「東京女子高制服図鑑」  森伸之(1985/07、弓立社)

・「大映テレビの研究 不滅のテレビジャンキー」 竹内義和(1986/10、大阪書籍)

・「〈まんが〉の構造 商品/テキスト/現象」 大塚英志(1987/04、 弓立社)
私が知るかぎりでは大塚英志の、現在の主張に連なる最初の著作。

・「清純少女歌手の研究 アイドル文化論」 竹内義和(1987/06、プラザ)

・「VOW 現代下世話大全 まちのヘンなもの大カタログ」 月刊宝島編集部/編(1987/10、JICC出版局)

・アニメ「王立宇宙軍 オネアミスの翼」(1987、東宝東和系)

・「ニセ学生マニュアル いま、面白い〈知〉の最尖端講義300」 浅羽通明(1988/08、徳間書店)
大学に囲い込まれた「知」を在野に解放する、といった志によって書かれたマニュアル本(あるいはマニュアル本を装った本)。

・アニメ「トップをねらえ!」(1988、BANDAI/VICTOR/GAINAX)

・マンガ「世紀末同人誌伝説」 同人誌糾弾委員会、作:水谷潤、画:藤宮幸弘(1988/09、大陸書房)

・1988年〜89年、宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件。

・「別冊宝島 おたくの本」(1989/12、JICC出版局)
たぶん宮崎事件を受けて企画された本。おそらく「『おたく』の誕生!!」(宝島社文庫)[bk1] [amazon]の元。

・「Mの世代 ぼくらとミヤザキ君」 太田出版/編(1989/12、太田出版)

・「ニセ学生マニュアル 平成元年〈逆襲版〉 ミーハーのための〈知〉の流行案内」 浅羽通明(1989/09、徳間書店)
「ニセ学生マニュアル」の批判に答えた本。

・「ニセ学生マニュアル 死闘篇」 浅羽通明(1990/10、徳間書店)
「知のおたく粉砕」として、学問・論壇おたくを徹底的にコキおろした本。

・「イカす!おたく天国」 宅八郎(1991/10、太田出版)
まだ「おたく」=宮崎勤、というイメージが強かった頃に、気持ち悪さを自己演出しつつ、「おたく的感性」からいろいろなことについて書いた本。

アニメ・「おたくのビデオ」、「続・おたくのビデオ」(1992、YOUMEX/GAINAX)

・「怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち」 切通理作(1993/07、宝島社)

・「おたく少女の経済学 コミックマーケットに群がる少女達」 荷宮和子(1995/02、広済堂出版)
やおいについて。

・「ぼくたちの洗脳社会」 岡田斗司夫(1995/12、朝日新聞社)
(朝日文庫)→[bk1] [amazon]
直接のオタク論ではなかったと記憶しているが、いろいろ面白い本。

・「オタク学入門」 岡田斗司夫(1996/05、太田出版)
(新潮OH!文庫)→[bk1] [amazon]
現在「オタク」って使われるときの「オタク」という用語は、たぶんここから来ている。

マンガ・「大同人物語」(1) 平野耕太(1998/06、ワニブックス)

・「国際おたく大学 1998年最前線からの研究報告」 岡田斗司夫/編(1998/07、光文社)

・「トンデモ創世記2000 オタク文化の行方を語る」 唐沢 俊一、志水 一夫(1999/08、イーハトーヴ) [bk1] [amazon]

・「ブンカザツロン」 唐沢俊一、鶴岡法斎(2001/04、エンターブレイン) [bk1] [amazon]




「オタク」について語る際、ソレがアングラな活動であるがゆえに、商業出版物だけ追いかけていると片手おち。さらに「論」と「創作物そのもの」があり、両方見ていかないと全貌が見えてこないことをふまえつつ、思いつくだけ書いた。
しかし「少女マンガ評価」にしても、80年代からすでに「男が少女マンガを読むことはマンガマニアの間では普通」だったりすることが、この年表では浮かび上がってこない。どうしたものか。
(02.0722)



・う〜ん……。(無題)その3

遅れてきた青年の転叫院さんから、7月19日の日記の「追記」において、解説いただきました。私自身、孫引きから連想で書いてしまい、大塚氏と東氏の「システム」に対するスタンスがわからずじまいでしたので、混同した感じの文面になったこと、申し訳なかったです。

そんで、また「Y氏とその友人の二〇代の男性と東浩紀以外の何か」といったリンク集ができてるそうでビビりました。

……というようなわけで(?)、今回初めて転叫院さんのコメントについて私見を書きたいのですが、何度もなんども念を押しますが偉そうに説教したり、あるいは「説教するわけじゃないけど」と言いつつ説教したりというコトではないので念のため。 だいたい、私がいろいろ言われる立場な場合も多いですしね(それがいちばん恐かったりする)。

それで、転叫院さんの「裏があるような感じ」に対するいらだちってのも、わからないではないです。だけれども、……うーん、この辺も断定していいかどうかわからない、何か自分が非常にバカなことを言っているような気もするんだけど、「裏がある」、「その裏の裏がある」、「そしてまたその裏の裏の裏が……」というような言説にも、必ず着地点はあります。
これは私個人の偏った読解法かもしれない。要するに私にとっての「納得」を「着地点」と勝手に決めることにしています。ただ、その「納得」にたどりつくまでの作業そのものを「めんどい」と言われるとしたら、何とも言えないんですけどね。
引用させてもらいますが、

(以下引用)
だけど、このアイロニーで差別化をはかるってのは、本質的な議論を先送りしてしまうわけです。「本気になっている奴カッコ悪い」⇒「アイロニーに本気になっている奴カッコ悪い」「アイロニーに本気になっている奴へのアイロニーに本気になっている奴カッコ悪い」……。それは例えばVOWの何号かで「日本一まずいラーメン屋」っていう看板の写真の投稿に対して編集部が「こういう奴を見ると殺したくなる」って書いているように。この、「分かっている側に立とう」「相手を出し抜こう」「裏を掻き合おう」の競争の結果待っているのは、言葉がただの記号になっちゃって、誰が本気で誰がネタなのか分からなくなる、という状況ですよね。こういう状況になると、理屈ぬきに笑うことも泣くこともできなくなっちゃって、それはもう面白くないし飽きました。
(引用オワリ)

個人的には、そういういらだちにはある程度共感しますが、ここまで泥沼化することはあまりないと思う。格闘技でバックをとりあってグルグル回っちゃうみたいな感じですかね。そこまで言っちゃうと、そのこと自体がもうギャグですから。その状況自体を笑ってやればいいです。その「笑う」という状況を俯瞰ととらえずに、自分に引きつけて考えればいい。自分がそうなっている場合はないか? と。
常にアイロニーで武装して「自分は完全に分かっている側に立っており、一分のスキもない」っていうスタンスは、たとえば文筆を職業としている人だったらほとんどいないんじゃないかと思うし、いてもたいしたやつじゃないです。
……っていうか私は信用しないです。まあでも、言論レベルでダメでも、別の才能の分野で天才的な人はたくさんいますから、あくまでも文章のレベルで、ってコトですけどね。

それと、「着地点がないものに着地点を見いだす必要もない」とわりきるのも、ひとつの着地点です。たとえばビートたけしが映画の試写会で「狂言師の和泉某のダブルブッキングについてどう思いますか?」とインタビューされてテキトーなことを言ったとき、それは「この場を笑わせよう」と思って瞬間的に何かを言っているだけで、別にそれ自体に意味はないです(むろん、そういうコメントばかり集めて「意味」を見いだすことも可能でしょうが、それはまた別の話)。
「ネタかマジか」ということで言えば、「完全ネタ」な言説にいくら意味を見いだしてもしょうがないです。それはその場で笑うのもいいし、顔をしかめるのもいいけどそれだけのことです。
後は「すべってるかすべってないか」を見ればいいんです。そういう場合、要は見る側が「面白いか面白くないか」だけですから。

「アイロニーによる差別化が本質的な議論を先送りにする」ということも確かにありえますが、それは「本質的な議論が必要かどうか」というTPOにもかかっている、と私は考えることにしています。逆に言うと、何も「本質的な議論」をすることばかりが文章の目的ではないわけですし。さっきのたけしの話がそうですが。
個人的には「アイロニーによる先送り」を、本当に自分で結論だと信じ込んでいる人というのが困ったなあと思いますが、「それはまあそういう人なんだろう」と思うしかないですね。

ということで、私見としては「屈託があるのもないのもTPO」ってコトだと思います。ただ広い意味でもともとだれも屈託を持ってないかというとそうでもないわけで。その辺はどこまで意図的に狭く、あるいは広く差異をとるかということなんでしょうけれども。

あ、あと、「年上の人からイキナリやりこめられる」ことは、どんな世界にも必ずあることなので、それを特定の世代論などに帰結させるのはどうかと、私は思う。ヘタをすると年下からもやりこめられますからな。
そこであやまって考えを変えるか、あやまって考えを変えないか、反論するか、ケンカするか、等々は「政治的判断」です。「汚い」とか言われるかもしれないけど、コレはだれでもやってることです。そこら辺をやり過ごすのも一種の処世です(自分にそれができてたかと言うと、心許ないんですが)。
(02.0721)



・「スーパージャンプ」9号(2002、集英社)

すいません。ずいぶん前に出た号です。

「暁!! 男塾 −青年よ大死を抱け−」宮下あきらは、W男杯開催中。巨大な麻雀牌を用意、ドつき合ってダウンを奪ったらツモる権利が生じるという麻雀「闘蛮雀(トウバンジャン)」の最中だ。
「週刊プレイボーイ」の「空より高く」が面白くなくはないとは言え薄味なので心配していたが、本作はわりと面白い。
「狂四郎2030」徳弘正也は、続けて読めば面白いのだろうが、途中からなのでお話つかめず。

「なっちゃん」たなかじゅんは、エピソード42。工場の工作機械の修理の名人・ナッちゃんが活躍する話らしい。修理&人情みたいな。
工作機械の修理とかメンテが、マンガに登場することはほとんどないといっていい。だから、工場で働いてる人の士気も上がるかもしれないのでがんばってほしいマンガ。
だけど人情部分がちょっとありがちかな。

「Oh! 透明人間21」中西やすひろは、第4透。イクラを食べると透明になって、女の子のシャワーを覗いたりするある意味伝説的なマンガの続編。
でも、21世紀でもやることは同じ。

「DESIRE」小谷憲一は、FILE:119 ANIMAL。エリートサラリーマンがいろんなシチュエーションでいろんな美女とヤりまくるという、願望充足的展開ここにきわまれりというマンガももう100回以上やってるのか……。
今回は、動物園の飼育係の女性・鹿田が、なんか動物の好むフェロモンを出していてライオンに抱きつかれたりして飼育にならない。そこで「ライオンをあきらめさせるには、目の前で人間同士セックスするしかない!」とかいって、獣医の白馬先生と檻の前でヤっちゃう。「せ 先生 そんな優しい求愛はだめです もっと荒々しく!!」とか言って、もうほとんどSFの領域である。バンザイ。

「ゼロ」愛英史、里見桂は、第260回。単行本は40巻を数えるそうだ。究極の贋作師・ゼロを主人公としたマンガ、まあ「ギャラリーフェイク」とか「オークションハウス」みたいな感じか。
今回は「ナポレオンの死体がすり替えられている説」を追う。が、どこまでが真実なのかよくわからず、その辺少しイラッとする。あと、ネームが多い。ストーリー自体は悪くないと思うので、なんというか、床屋や病院などの待合室、あるいは時間つぶしのためのマンガ喫茶などで威力を発揮する作品だと思う。
いや、コレは悪口言っているつもりはない。そういうこともマンガの効能の一種だ。
(02.0720)



・「スーパージャンプ」13号(2002、集英社)

すいません。5月末発売の号です。

「リストラ大王」立原あゆみは、新連載。リストラにあった中年男の話らしい。第1回なので、まだよく展開見えず。

「暁!! 男塾 −青年よ大死を抱け−」宮下あきらは、W男杯開催中。悟空みたいなやつと戦ってます。

「DESIRE」小谷憲一は、FILE:123 ELEVATOR GIRL。痴漢されたい願望のある美人エレガと、エレベーター内でH。よくあるパターンだが、それだけにエロい。

「ゼロ」愛英史、里見桂は、第264回。阿修羅像の話。字が多い。

「リングにかけろ2」車田正美は、「COUNT 58 ブロッケンドッペルゲンガー」。統一ドイツと戦ってます。

「マーダーライセンス牙&ブラックエンジェルズ」平松伸二は、「黒き十字架12」。牙が全裸で、炎の中で戦ってます。

第51回、スーパージャンプ漫画大賞発表。入選者のほとんどが30歳以上、35歳以上もチラホラいて衝撃を受ける。この人たちは、ふだんはアシスタントなどで生計を立てているのか? それとも本職の傍ら、マンガを描いているのか? いずれにしろ、その持続力・継続力に感服。自分を省みて反省。
(02.0720)



・「マガジン・ウォー」7月号(2002、マガジンマガジン)

すいません。先月号です。
巻頭グラビア、MEGUMI。バックナンバーについてはここを当たってみてください。

「騎乗位の天使 長瀬愛物語」長瀬愛、近石雅史、構成/小林藤彦+Kプロダクションは、新連載。人気AV女優・長瀬愛を主人公とした「半」ノンフィクション。マンガはロリ・ぷに・恋愛・和姦といった言葉からかけ離れた、それとは正反対のエロマンガばかり描いている近石雅史。今回は少しマイルドになっている。
すいません……私、AVってほとんど見ないんでこの長瀬愛というヒトの人気とかよく知らないんですよね……。でもこういう、AV嬢を主人公にした実録マンガって、いまだにあるんだなあって思った。

「風俗魂の伝道師 イカされ屋」ペン獣☆やざま優作は、第14回目。「宇宙刑事、胸男!!の巻」。「イカされ屋」がとつじょ宇宙刑事に任命され、エイリアン(外見はまったく普通のギャルと変わらず)のデリヘル嬢と性技対決をする。

「黒い乳首のブルース」杉作J太郎は第27回。「乳首」だけをテーマに、これだけ無意味なことを27回もやっているというのは、偉業だ。

文章のみのコラム、「人でなし稼業 乃木坂血風録」福田和也は、以前2月号かなんかを読んだときにあまりのいいかげんさにあきれて何行も思ったことを書いてしまった。
今回は、中国の大使館の事件について言及していて、前回読んだときよりはマシだった。こういう、(おそらく)自分の得意分野のことを書きゃいいんだよ。面白いことや放言を書こうったって、同じ雑誌には杉作J太郎や小倉優子が書いてんだから。そういう人たちに勝てるわけないんだから。
(02.0720)



・「マガジン・ウォー」8月号(2002、マガジンマガジン)

6月27日発売。来月号がいつ発売か、どこに書いてあるのかよくわからないのはどうかと思う。
巻頭グラビアは緑川のりこ。どのグラビアを見てもポージングがエロいのばっかりで、私個人は緑川のりこに対する評価はすごく高い(まだしゃべったところ見たことないんでナンだが……。しゃべってるところを見てガッカリすることもよくあるからね)。しかしまだ活動としては地味だ。

「騎乗位の天使 長瀬愛物語」長瀬愛、近石雅史、構成/小林藤彦+Kプロダクションは、新連載第2回。AVにスカウトされて、初めての撮影。「初めてなのにワタシすごい感じちゃった……」だそうです。

「黒い乳首のブルース」杉作J太郎は第28回。「ワールドカップもおわって……」「いよいよ」「ワールド乳首の開幕である!!」 天才かも。

「風俗魂の伝道師 イカされ屋」ペン獣☆やざま優作は、第15回。「手コキ バカ一代!!の巻」。「空手バカ一代」のパロディ。作者は格闘技マニアらしい。

文章のみのコラム、「人でなし稼業 乃木坂血風録」福田和也、今回はつまらん。話題はW杯日韓共催の話。何度も書くが、この人いったい何者か?(学者だということくらいはわかる)何かヨソですごい偉業を成し遂げている人なのか? そうでなければ、このエッセイの良さは理解できん。 田島寧子がテレビに出られるのは、水泳がうまいからだ。同じ理論が働いていないかぎり、このエッセイの存在の理由がわからん。

エロ雑誌には、もともと若者の憧れるようなビッグな人がエッセイを書いたり人生相談をしたりする。その人がビッグであることが重要だから、内容はそれほど面白くなくてもいい。
このヒトの場合、そう解釈していいのか? だが、私はこの人をよく知らないし、たぶん他の読者もそうだろう。「ガチンコ」の先生とかの方が、まだ読者の知名度としては上のはずだ。では文筆家としての評価が高いのだろうか。

しかし、それにしてはちょっと……。放言としても中途半端だし、きちんと政治の裏を説いてやろうという感じも薄い。このヒト、たぶん「不思議の国こりん星プリンセス 月刊小倉優子姫」と、記事として同じ雑誌内で読者が等価に接しているということなど、夢にも思っていないんだろう。しかし「小倉優子姫」は最終回だそうだ。納得いかん。
それと福田某の文章の最後に「記」って書いてあるが、本当に書いてるのか? 口述筆記じゃなくて? べらんめえ口調だったら、もっとたいした人たくさんいるよな。
でももしかして、この人がすごいバックが付いているとか、そういうんだったら恐いからもうあれこれ書くのやめます。でも私、どんなに苦労人をよそおってても出自がよくてイイ大学を出ている人の場合、その苦労話を3分の1くらいにしか見積もりません。これはしょうがないだろ。
(02.0720)



・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 7月増刊号(2002、蒼竜社)

また遅れてしまった。すいません。先月号です。

「パチスロクイーン銀子」高島龍一、スタジオふ〜は、毎回題材となるスロット台にまつわる敵が銀子の前に現れるという設定なんだけど、どんどん極端になってる。今回は「スペースバニー」という台で、対抗するのがスペース中村というUFOを信じてしまった青年。
とにかく出てくるUFOのいいかげんさがスゴイ。たぶん用いた資料ゼロだろうと思う。まあそれが本作の場合、いいんだけど。

「スロリーマン テルチン」藤波俊彦は、「不二子2」という台の話なんだけど、オチが最高にバカバカしかった(いい意味で)のでここに記しておきたい。

「ヤマアラシ」宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎は、堀田のライバル、飯塚のモトカノが登場。まだ彼女に「縁」が残ってることを感じてケリを付けようとする飯塚と、それを察する堀田。なんとなくオトナの雰囲気漂う話。
(02.0720)



・「パチスロ7Jr.」パチスロ7 8月増刊号(2002、蒼竜社)

次号は8月10日発売。

「ヤマアラシ」宮塚タケシ、原作/鶴岡法斎は、堀田たちを知る女性設定師が登場。次号に続くのかな???
(02.0720)



・「週刊少年チャンピオン」34号(2002、秋田書店)

正直、昨今のチャンピオンはもう買わなくていいかとも思ったのだが、新連載が載っていたので1話だけでも目を通してみるかーと思って購入。
で、その新連載が「ひもろぎ守護神(ガーディアン)」緋采俊樹。小学5年生の少女・聖舞咲(マサキ)、「マサキと結婚したい!」と願う変わり者少女・愛梨(アイリ)は「心友」。2人も含めた5年生は林間学校先で、肝試しの際、霊に生気を吸い取られてしまって……という話。どうも妖怪退治モノになるらしい。
第一話ではまだなんとも言えん。「ゲッチューまごころ便」の作者だからキャラは立ってるが、妖怪退治ものとしてはまだ未知数。

「恋愛出世絵巻 えん×むす」瀬口たかひろは、さえない主人公にロシア人美少女のメイドがついて、御守りの争奪戦に巻き込まれるという話。最終的に勝利すれば大財閥の後継者になれるというような、広い意味で「俺の空」系統の作品。「女大太郎」とかね。
この人のSM描写って……けっこうエグいんだよねえ。先週読んでて予想してたらやっぱりそうなった。

「BOYSTYLEの達人スタイル」福本岳史、鈴木伸彦は、アイドルユニット「BOYSTYLE」のPRマンガ。ゲストは稲川淳二。稲川淳二、怪談ばなしだけで全国をまわっているとは知らなかったよ。
「BOYSTYLE」に興味のない読者にとってはどうでもいいことこのうえない作品だが、マンガとしては少ないページ数でがんばってると思うなあ。毎回実在のゲストが出るから工程としても手間かかってると思うし。がんばってほしい。

「エイケン」松山せいじは、まあやりたくてやってるんだろうけど東雲さんの妹と関西弁の女の子が出てきてから、普通のラブコメになって面白味が減った。
(02.0720)



【アニメ】・「地球防衛隊まおちゃん」 第3話「空の防衛隊 みそらちゃん」

「地球防衛隊まおちゃん」の、第3話。

陸・海・空の3人の幼女がそろって「かわいい侵略者」を撃退しようとするアニメ(らしい)の第3話。今回は「海」のみそらちゃんが登場。「陸」のまおちゃんのピンチを救う。

老舗パロディ同人サークル「少年チンプ」のみろくじさんが「まおちゃん」へ激怒のコメント(7月14日)を寄せているんでビビった。どうも本当に賛否が分かれる作品らしい。

で、1話は見逃したが2話、3話と見て、制作者側の「萌え」に対する明らかな悪意を感じた。もう悪意のカタマリ。すべてが「かわいいもの」に優先されている狂った防衛体制のわが国、「かわいいもの」を浸食しないハリボテの戦車、飛行機。出来レースのごとき、「かわいいもの優先」を破壊どころか補完する「かわいい」侵略者。
ナニゲに、戦車を組み立てていた防衛隊の隊員(なんだろうな、たぶん)が全員女性だったりというのもたぶん悪意。

似たような構造のアニメの「シスプリ」は、おそらく天然系の企画と「売らんかな」の機械的な思考の産物だったと思うが、本作は完全に狙っていると思う。たぶん「ちゃんとした萌えアニメ」や「ちゃんとしたドラマ」を期待する人の神経を逆撫でしまくる作品だとは思う。「これはギャグです、パロディです」という明確な信号をまるで発していないし。たとえばまおちゃんがドブスであるとか、もっとギャグがハジケてるとかすればわかりやすいのだろうが。

ちょっと、わたし的に今後注目。
(02.0719)



・う〜ん……。(無題)その2

東浩紀氏が「経歴と近況」で何か怒ってる小心者の杖日記(7月16日)OUTDEX:外環視点
繰り返すが、怒りの内容に関して、その怒りの元が事実かどうか、その怒りの内容については何も言うことはない。いや、言論活動を続けていくなかで、いろいろ大変なんだろうなあとは思いますよ。それは思う。
それと、以下の文章は東氏の怒りの対象となっている人を直接批判しようという意味合いは微塵も思ってないのでそれは明記しておく。だいいち、だれだかわかんないしね。

……今回は、ここでの東氏の文章でちょっと気になったところについて感想(メンドくさいので、敬称略したりしてしまった)。

(以下、「経歴と近況」から引用)
しかし実のところ、僕自身は、ネットに満ちる噂話にはうんざりしているし、迷惑もしている。とりわけ、ライター経験も編集者経験もクリエイター経験も何もないくせに、業界通を演じている若いやつには吐き気がする。
……というのはちょっと言い過ぎかもしれないが、なぜ僕がここで怒りを表明しているかというと、(後略)
(引用オワリ)

まあ「ちょっと言い過ぎ」と自己フォローもされているし、ホントはもうちょっと寛容な人なのかもしれない。でも気になったのは「モロモロの経験も何もないくせに業界通を演じているやつ」が続出するのがオタク台頭時代だということを、もしやわかってないってことはありませんよね、ということだ。

中森明夫が「おたく」という言葉を初めて使った20年くらい前、コミケ批判を「漫画ブリッコ」でやったとき、ライターとして生きていこうと決めた彼が「プロでもないくせに偉そうなことを言うやつら=おたく」に対して言いしれぬ怒りを感じていたことは想像に難くない。
いや、私の想像だけじゃないんだってば。当時の文章からそういう感じがにじみ出ているんだよ。気になる人は宝島社の「『おたく』の誕生!!」(宝島社文庫)[bk1] [amazon]かなんかにいろいろ載ってるから、そっちを見てください。

大塚英志は、そういうことに関して、当時から意識的だったに違いない。現に「漫画ブリッコ」におたく批判が載った当時にもそれは考えていたはずだし、一昨年出版された「物語の体操」でも、「プロ/アマボーダーレス」に対する興味が現在でも引き継がれていると感じられた。
もちろん、大塚英志の考える「プロ/アマボーダーレス」は、プロとアマチュアの間に「才能や技術力の差がなくなってくる」ということであって、「経験もないのに偉そうなことを言う」人間がたくさん出てくることではない。だけれども、出てくる(きた)ことも厳然たる事実だし、そういうのすごく経験してきてると思う。まあ想像ですけどね。でも、それこそいわゆる「困ったちゃん」に押しかけられるなどの「経験」って大事なんじゃないかと思う。
・う〜ん……。(無題)では「『システム』そのものにどういうスタンスを持つかを確かめることによって、その立ち位置を読み手が確認できる基準になりうる」と書いたけど、もうひとつの基準のひとつは、この「プロ/アマボーダーレス」をどのようにとらえているか、にある。
「オタクに支持されている作家」でも、非常に厳しいプロ/アマの選別をひいてケジメをつけている人もいるし(唐沢なおきなんかはそうなんじゃないかな???)、「プロ/アマボーダーレス」ということに考えが至っていないっぽい人もいる。それってけっこうマズいことなんじゃないかと思うが、でも事実いる。

細野不二彦の「あどりぶシネ倶楽部」[bk1] [amazon]とかに「おたくにおけるプロ/アマ」といった感じのエピソードがありましたな。

もともと、大衆文化って「だれでもできるという安易さ」から批判されることが多い。20年前の「オタク批判」って、そういうのが多かった。逆に覚悟の問題を問われたんだよねすごく。
そのタイプのオタク批判者って、たとえば小林よしのりがそうでしょ。
あと浅羽通明。彼の「ニセ学生マニュアル 死闘編」は、「知のおたく粉砕!」と銘打たれ、現代思想を含めた広義の「知」関係のイベントなどをやっていた彼が、そこにやってくる悪い意味でのおたく的「困ったちゃん」にウンザリし、「もう本当に困ったちゃんはイヤだ! イヤだ! イヤだ!」と、何百ページにもわたって知の大衆化の負の面から根性論から、「どういうヤツがイヤか」の具体的描写まで、こまごまと書いたある意味名著だった。彼の「困ったちゃんをまとめて追い払いたい」という気持ちがヒシヒシと伝わってくる本だ。
で、検索したらもう絶版なのな。確かに「ニセ学生マニュアル」のマニュアル部分は古くなってしまったとはいえ、現代に「知」と向き合うことの覚悟を描きに描いて、思い上がった「自称インテリ」や生活の「下部構造」の部分をぜんぶないがしろにしている地に足の着いていない小僧をぶったたきにぶったたいた部分、これは「おたく論」を展開する上で歴史上はずせない文章だろう。
古本屋で見かけたら、興味のある人は即ゲットをオススメする。

それと、なんではっきりと書物で呉智英がコミケ批判をしないのかずっと不思議だったんだけど。とりあえず私の目に触れるところではしてない。読者が減ると思ったのかなあ。それか「大衆文化だ」ということに深いところで納得があるのかもしれないし。ただ「覚悟」、「どれだけがんばれるか」っていうがんばり主義的なところは、あるね。

まあとにかく、すべてがダダモレて20年(か30年)。私は「経歴と近況」で書かれたことが事実かどうかは知らないし、興味もない。けれども、ちょっとメンドクサイことがあると思ったら「経験」を今さら持ち出して云々するのは、なんからしくないと思ったんですけどね。
いや、ふだんからそういうこと言ってないっぽいから何となく。
あと、大塚英志が「困ったちゃん」みたいな人をどう追っ払ってきたのか……には興味ないや別に。「キミには才能がない」って言えばすむタグイの「プロ/アマボーダーレス論」だからねたぶん。
(02.0719)



・う〜ん……。(無題)

私のようなトーシロが、ネットであれこれ書くのは簡単なようでいてむずかしい。むずかしいようでいて簡単。
農家の人には及ばないかもしれないが、家庭菜園程度のむずかしさと簡単さ、そしてその両方の機微っちゅーかなんちゅーか、そういうのがある。
端的に言って、それで食ってるわけじゃないからね。

東浩紀氏が「経歴と近況」で何か怒ってる小心者の杖日記(7月16日)OUTDEX:外環視点
怒りの内容に関して、その怒りの元が事実かどうか、その怒りの内容については何も言うことはない。有名になっていくうえでそういうトラブルってあるんだろうなあくらいの印象。いや、言論活動を続けていくなかで、いろいろ大変なんだろうなあとは思いますよ。
怒りの内容についてはいったん置いて、直接は関係がない東浩紀氏の以下の文章に興味を持った(引用させてもらったが、たぶんここだけ切り出して誤解されるような切り方はしていないつもり。しかし、行き違いがあってもイヤなので興味のある人は原本を読んでください)。

(以下引用)
僕はいままで、そんな若者のお喋りも寛容に聞いてやることにしていたのだが、仕事も忙しくなってきたし、今後は無視することにした。他方で、僕の仕事を妨害する中傷には断固抗議する。これだけは言っておくが、君たちのような愚か者がいるから、オタク系の評論サイトはいつまで経っても内輪受けを超えられないのだ。そして大塚英志に嘲笑され続けるのだ。
(引用オワリ)

どうも大塚英志氏はオタク系評論サイトを嘲笑しているらしい。その「嘲笑」の内容って何なんだろう。この文章の中ではその「嘲笑」の内容までは示されていない。

……で、その「嘲笑」部分の全部ではないのだろうが、遅れてきた青年東浩紀さんの近況が……という文章で、「小説 TRIPPER」2001夏号、「批評とおたくとポストモダン」(大塚英志×東浩紀)の一文が引用されている。
これに関しては孫引きになってメンドくさいので引用はしない。原本も読んでないしね。

で、この部分を読むとぶっちゃけ「マーケティング理論が社会システム理論や権力理論と整合性を持つことで、人間がロボットみたいンなってまとまりはよくなるだろうけど何となく気持ち悪い」と大塚英志氏が思っているらしいことがわかる。その気持ち悪いと自分が思っている状況を、若い世代が何の疑問もなく受け入れている(ように見える)ことを大塚氏が……まあ嘲笑しているかはわからないが、違和感を持っているということなのだろう。

この意見を、一般的な消費者側の「悪しきお客様根性(自分ではマグロみたいに何もしないで、ただ快楽だけを送り手に要求する)」批判と平板化してしまってもいい。そういう意味なら同意できないではない。
けれども、おそらくこの一文のニュアンスでは「何か完璧な方法論を構築することによって、人間をコントロールできる」という確信、前提があるのが気になることのひとつ。
もうひとつは、それを前提とした上でそうした完璧性に反抗するものとして批評が存在する、という考え方であるだろうということ。

大塚英志氏は、昔っから人間の感性(?)みたいなものがマーケティングにからめとられていくことになぜか(私にとっては「なぜか」としか言いようがない)危機感を持っていて、「都市伝説」という言葉が流行り始めた頃にも、「都市伝説」をシステムから人間の心が逸脱させたサムシングだと思っていたフシがある。そしてそういう点を評価し、それでいて「でも都市伝説の本とかつくったら、たちまちそれ自体がマーケティングに回収されてしまう」というようなことを言っていた記憶がある(ここで「言った言わない」になるのイヤなんだが、本が手元にないからな……)。

まず第一に、「何か完璧な方法論を構築することによって、人間をコントロールできる」のだろうか? 個人的には、「できるとも言えるしできないとも言える」としか言いようがないと思う。
ある「閉じた系」の中で完璧に近いコントロールができたとしても、個々の「閉じた系」がどう影響しあうかはわからないし。私が真っ先に私が思い浮かぶのは「ディズニーランド」なんだが、「ディズニーランド」にみんながこぞって行くからといって、……そりゃ多少は面白くはないが、まあ私にとっては「多少は」程度のことでしかないし。
それと、「人間をマーケティングその他で実験動物のラットみたいに管理できることが可能」だとして、だからどうだかっていうと、実はあんまり何にも思わない。思わないと言うか、まさにそれは人生の不条理そのもの、ってことじゃないっスか。マーケうんぬん以前に。何か、すべてシステムとしてとらえることに、言い方は悪いけどある種の詐術があるのではないかと思ってしまう。
だって、たとえば徴兵制だとか税金をすごくとられるとか、政治的な争いでテロに巻き込まれて死ぬとか、そういうことは地道な手続きを持って自己防衛するか、一歩ずつ反対していくしかない。それは抽象的にいろいろ言っても仕方がないこと。何かが目の前に問題として現れたとき、具体的に対処すべきことだと思う。
それを不快だと思いつつ、「そういう側」に加担している自分も不快だと思っているようなスタンスをファニーだと思えるかどうかで、大塚英志氏の批評活動を評価するかどうかが、まあ決まって来るんだと思うけど。

もちろん「言うだけ番長」という言葉があるように、悪しき「お客様根性」を剥き出しにすることが「オタク的批評」だと勘違いしてしまうことがあるとすれば、違和感を覚える。しかし、まあマーケティング理論でも社会システム理論でもいいが(よく知らないから)、それによって全員ではないにしろかなり多くの人間が操られるのは、それは仕方がないだろうたぶん。
こういう「人間は何かによって操られているからどーのこーの」というのは、「個人の自立」みたいな問題とからめて近代的自我がどうのこうの、という文脈で語られやすい(誤解されないように書いておくと直接大塚英志氏がそういったわけではないが)。
だけどさー、ぶっちゃけそういうのって当然じゃないのかな? いや、操られるとかそういうことが。そういうことで悩むことによって、人は幸せになれるのですか?(それがいちばん問いたい)

工場の流れ作業などでは、いちばんバカなやつを想定して作業手順とか危険防止とかを考えるわけでしょ。「丸く収まったら不快」とか言ってられないですよ。むしろ完璧でなければならない。ケガ人が出た後からでは遅いから。
たとえば、ヘルメット着用を義務づける部屋に入るときには、ヘルメットをとらないとドアが開かないようにするとかね。こういうの、確かに「バカじゃねえの」って思う場合もあるかもしれんよ。だけどそうしないと、しょうがないじゃん(大塚氏が、工場のフールプルーフに直接文句を言っているわけではむろんないが)。
私は個人的には自我がどーのというのはいいから、そういうことで「幸せになれる」のかどうかをだれか示してくれ。

個人的には、あまりに「システムにからめとられるワレワレの自我がうんぬん」といってナイーブに考えるのは、けっきょく古いタイプの文学青年的ナイーブさを引き寄せるだけだと思っている。
それって「お見合い結婚より恋愛結婚の方が幸せになれる」と思い込むようなものなんじゃないかなあ、とか。
もっとも、これは逆に「オタク論」を展開している人々がそういう「システム」そのものにどういうスタンスを持つかを確かめることによって、その立ち位置を読み手が確認ができる基準になりうるような気もするんだけどね。
ただその「揺れ」の部分だけに過剰にこだわりたくはないなあ。それはナイーブすぎると思うよ。

あのさ……だれに言うわけでもないんだけど、私がもっともっと長生きしてジジイんなって、そんとき言うなら説得力もあると思うんだけど……、何かモノを考えるときは「自分にとって何がいちばんうれいしいのか、得になるのか」という基準を常に考えていた方がいいと思うんだよね。「考えることそのものが楽しい」というのは、もう学生時代くらいで卒業して。
でないと、どこまでもむずかしいジャーゴンの中に入り込んでいってしまって、何がなんだかわからなくなるよホント。カルトが強いのも「何が幸せか?」をストレートに考えるからだろうし。それに対抗するにはやっぱり思考の目的が明確でないと。
批評家とか評論家とか、そういう人にもそういう基準をはずさないことを目指してほしい。
(02.0718)



・「平成義民伝説 代表人(だいひょうびと)」下之巻 木多康昭(2002、講談社) [bk1] [amazon]

週刊少年マガジン連載。宇宙飛行士になるため、アイドルグループIGARASHIを辞めた米良だったが、いろいろあってキレてしまい、スペースシャトルをハイジャック。 状況を打開すべく、NASDAでの米良の上司・米村が提案したのは、不可能を可能にする義民・佐倉惣五郎にお願いすることだった! 14代目を名乗る佐倉惣五郎が立ち上がる!!

まずたいへんに恥ずかしいことなのですが、私は実際の佐倉惣五郎伝説が有名なものだとはちっとも知らなかったのである!! 千葉の話であり「幕張」の作者が題材にしたのもうなずける……とか言って我ながら自分の無知にあきれました(佐倉惣五郎総州佐倉義民の世界 佐倉惣五郎伝説国立歴史民俗博物館)。

さて、下巻ではますます「元ネタありのギャグ」(「山ちゃん」似の「サトラレ」)や「意味不明のギャグ」(「シャクレキリシタン」)が増殖し、何がなんだかまったくわからないことになっている。ボボボーボ・ボーボボもビックリだ。
マガジン掲載時のラストはありがちな内輪ネタだったが、単行本化されても実にいいかげんな描き足ししかなされていなかった。それにしても佐倉惣五郎伝説を現代に蘇らせようとした(?)この作品、意図はいったい何だったのだろうか。わざと元ネタアリのギャグを積み重ねることによる、……てんで恥ずかしい言い方だがサンプリング効果を狙ったのか? 単なる思いつきか?
まったくわからない。だがめっぽう面白かったことも確か。マガジンもハジケればハジケられるじゃん!! とか思ったけど、本作が失敗例になって後が続かないかもしれないな……。まあそんときはまたマガジンがなにがしかの正念場を迎えるに違いない。違いないってばさ。

自分の1巻の感想

(02.0718)



・「ニニンがシノブ伝」(1) 古賀亮一(2002、メディアワークス) [bk1] [amazon]

月刊コミック電撃大王連載。単行本は今年の2月に出ていて、連載も長いらしいから「何を今さらレビューか」と思っている人もいるかもしれない。私もそう思ってます。

内容は、くのいちのが普通の女子高生・不知火楓(おおいに忍者っぽい名前だが、あくまで普通の女子高生)の家に忍び込んだりお供の音速丸という人語を解する出自不明の怪生物(自称「鷹」)と騒いだりしているうちに、なしくずし的に仲良くなって男の忍者たちも交えて忍法修行したり遊んだりして、日々楽しく過ごすというギャグマンガ。
この作者の他の作品で私が読んだのは「ゲノム」(3巻)[bk1] (2巻)[amazon]というやつで、コレはエルフのエルエル(ボケ)とロボットのパクマン(ツッコミ)という関係だったが、それがそのまま忍(ボケ)と謎の生物・音速丸(ツッコミ)に移行したと思って間違いない。
まあボケとツッコミは瞬時に変わるんですが。

「何を今さらレビューか」と思っている人もいるかもしれない。しかし今、私は映画「アルタード・ステーツ」に出てきたとか出てこなかったとかいう羊水のようなものの入ったタンクにたゆたっている。そして考える。そもそも私は子供の頃、どうしてマンガを読んでいたのか? それがラディカルだからか? 人間の心の中の何かをえぐりだすからか? 自分の成長のためか? すべて否である。

その空間が楽しいから、心地いいから読んでいたのだ。むろん、正確に言えばそれだけではないが、「アルタード・ステーツ」に出てきたとか出てこなかったとかいう羊水のようなものの入ったタンクにたゆたって考えると、そういう心地よさしか頭に浮かんでこない。本作はそういうマンガだ。
女の子はかわいくて、なんかワガママだけどにくめない怪生物がいて、毎回おもしろおかしいことが起こって、決してそれが過激に逸脱せず、読後、さあがんばるぞと。吸っていたタバコをきちんともみ消して、飲み干した缶コーヒーの缶もきちんとゴミ箱に入れて、夕方の会社に戻っていく。あるいは暑い中、夏期講習に出かけていく。
私にとっては、マンガはそういう潤滑油的な要素が強かった。まあ「どう潤滑するのか」には人それぞれたいへん多彩な好みのヴァリエーションがあるし、マンガの話題なんてたいていそういうことに帰結するんですけどね。

会話が面白い本作だが、個人的には「暑いから涼しい話をして涼しい気分になろう」というときに音速丸がした話、

「え〜とね この前とてもデブい人が弁当屋さんの前で カラ揚げが小さいってすごい怒ってた!!」
「ど どこが涼しい話ですかーっ!! 暑い!! 暑くるし過ぎるっ」

……というのがものすごく面白くて、デブデブ病の私も大笑いしてしまって腹がよじれました。
(02.0718)



・「ちゃお」7月号(2002、小学館)

すでに先月号ですね。すいません。

「こいき七変化」 もりちかこが新連載。名門女子校の生徒会の面々が、不思議な「まが玉」によって変身し、「宝」を探すという話になるらしい。ちなみに生徒会長のこいきが変身するのは忍者。後も剣士とか、和風の設定です。
第1話を読んだかぎり、ここまで忍者に思い入れのないヒロインが忍者に変身するってのもめずらしい。
作者は同誌で「ミニモニ。やるのだぴょん!」を連載しているヒト。同じ雑誌に連載2本。すごいね。

「未来(みく)▼(←ハートマークの代用)pureボイス」 五十嵐かおる

連載第3回。テレビ東京系子供向けバラエティ「おはスタ」とのタイアップ企画。
番組のマスコットグループ「おはガール」にあこがれる少女、未来がおはガールの妹分「おはガールシスター」に選ばれる。彼女の成長を描く。

今回は、イベントでうさぎの着ぐるみを着て関西仕事をやらされるけど、カッコいい男の子に励まされて未来がんばるもん! みたいな話。

「ブリリアントな魔法」 宮脇ゆきのは、本誌では珍しい、マジメな三角関係のマンガ。なんかロマンティック〜、けんかをやめて〜二人をとめて〜みたいな。

「まじっく☆レボリューション」 うえだ美貴は、読みきり。ドジで不器用なマジック好きの少女・ユーリーが、生前マジシャンだったおかしなニワトリの力を借りてマジックを特訓、舞台に立つ。
少女マンガなのにパンチラとかがあった。マジックグッズの会社とのタイアップ作品らしい。
(02.0717)



・「ちゃお」8月号(2002、小学館)

またレビューが遅れてしまった。現在発売中、来月号は8月3日ごろ発売。

「ミルモでポン!」 篠塚ひろむは連載第12回。恋を成就させる妖精たちが、三角関係の登場人物一人ひとりについて、お互いのパートナーである人間の恋を実らせようとするというラブコメ。
アニメがかなり面白いが(オススメ!!)、マンガも肩がこらずに読めるコメディになっている。

「も〜っと すき▼すき▼だいすきっ」 中原杏

連続3回の集中連載だった作品「すき▼すき▼だいすきっ」[bk1] [amazon]の続編。16歳の相原つぐみが、カッコいい担任の拓人先生を大好きになり、かなりの強引な方法で結婚。当然二人のことは学校には秘密だが、近くの男子校から遠山亮太という男の子が、つぐみに「つき合ってくれ」と強引にせまってきて……!?
今までのあらすじについては、ここ参照。

典型的な恋愛ものの後日譚なんだけど、あいかわらずつぐみというヒロインがかわいらしい。ムリヤリ亮太にデートへ連れ出され、ゲームやプリクラをやって「なんか すごくたのしいかも!! 大人の拓人先生とじゃできないようなことばかり……」とか思うところとか。
好評らしく、8月発売の「ChuChu」とかいう雑誌にまだ続編が載るらしい。

「未来(みく)▼(←ハートマークの代用)pureボイス」 五十嵐かおる

連載第4回。「おはガール」を目指す主人公・未来のがんばりを描く、テレビ東京の番組「おはスタ」とのタイアップマンガ。
今回は、イベント会場に遅れてしまいそうなおはガールの代わりに、舞台でバトンの演技をしろとディレクターから言い渡される未来のピンチと機転を描く。
マンガはそれなり。

記事部分では「おはガールフルーツポンチ」(作中の「おはガール」とは別の実在グループ)のHP開設、9月4日、CDシングル「それゆけ! おはマーチ」発売決定の告知など。

テレビ番組「おはスタ」と本作との関連については、当サイトの5月11日付のここや5月21日付の緊急補足!!「未来▼pureボイス」の元ネタである「おはスタ」の変質についてを参照のこと。

・「おはスタ」番組展開のその後
さて、「ガチンコ(あるいは電波少年)路線に走るのか!?」と思わせたテレビ番組の「おはスタ」だが、どういうわけか「バトンへの道」のような「おはガールたちが毎回特訓するミニドラマ」が、彼女たちが「フルーツポンチ」として認知されて後も再び流されるなど、虚構性の強い番組に戻ってしまった。
「バトンへの道(正式名称忘れた)」は、CGを多用し、モニターの中の中沢プロデューサーから指令が来たり、おはガールが未来っぽいメカを装着してバトンの特訓をしたりと、逆にかつてないほど虚構性の強い展開となった。
「他のレギュラー陣には課せられない試練を、なぜおはガールだけが課せられるのか」というのが私の大きな疑問だったが、それも緩和の方向に向かっている。
おはガールのミニドラマの中にみお(出演者の一人)をからませたり、「よゐコーン」(「よゐこ」が演じるトウモロコシのキャラクター)が番組内で流されている「サルゲッチュ」のアニメ台本をつくって中沢プロデューサーに認められようとする「試練」を与えられたりと、「おはガールに試練が与えられる」不自然さを無くそうとしているように、私には見える。
実際、朝見ていてダークになるほどの「失敗したら解散→再挑戦」という何週間にもわたる電波少年的展開が、計算どおりのことだったのかハプニングだったのかはどうでもいいことだ。繰り返すがそれがお茶の間(死語?)に向かって流されたとき、「電波少年的演出」になっていたことが重要なのだから。

9月4日のCD発売へ向けてのプロモーションということを考えると、スケジュール的に見ても「電波少年的演出」は番組側にはっきりと失敗だと判断されたと考えていいだろう。これは「よゐコーン」の「アニメ台本をプロデューサーに見せる」という展開が、大きな発言テロップを多用した明らかに「電波少年」のパロディだったことからもうかがえる。
私はこれを見て、まるで「おはガール解散→救済措置」という一連の流れも「なかったことにしてネ」と言っているようにすら感じたものだ(このあたりは、私の「妄想」が少し入っている)。

同時に、本作「未来(みく)▼(←ハートマークの代用)pureボイス」も実際の「おはガールシスター」オーディション次第だが、このまま番組側が虚構路線を続けるかぎり、最初から予想されたそらぞらしさをまといつかせざるを得ないことは、まあ確実ではあるだろう。それがマンガの面白いつまらないとは別の問題だとしても。

・おはガールフルーツポンチ
それほどまでにして売り出そうとしている肝心の「おはガールフルーツポンチ」はどうなのか。彼女たちの歌と踊りを、この間初めてテレビで見た。
バトンはタカラとのタイアップ、CDはavexからリリース。詞と曲は「おはスタ」ファンページによると元「センチメンタルバス」の人がつくったらしい。サビが学校チャイムと同じメロディというアイディアはあまりに秀逸で、思わずポンと膝を叩いてしまった。ただし、個人的には歌詞が弱いと思った。小学生向けということでこうなったのだろうが、もっと思いきって抽象的な表現を入れてみてもよかったのではないかと思う。

フルーツポンチのバトンと踊りだが、コレが驚くほどにいまだにおぼつかない。どうしてなんだろう……理由はサッパリわからない。私は一介のダメ人間にすぎず、評価の資格など何もないのだが、一人ひとりのかわいさのレベルはかなり高いと感じている。
ロリ系のさおりん、上品系美少女のコンちゃん、ちょっと不思議な感じ(ギャルっぽいが上品なたたずまい)のえびちゃん、将来ギャル候補(と勝手に決めた)のゆりん、元チェキッ娘の五十嵐めぐみ的ムチムチ感を備えたえりボンと、一見似た感じながらよく見ると個性もハッキリしている。それなのに歌と踊りはかなりたどたどしい。たどたどしさがかわいさにつながるのはアイドルによくあることだが、バトンを操る以上、そうそうヘタクソなわけにも行かないだろう。

どうするのだろうか。今後、もうちょっとうまくなってほしいと、外野ながら思う。

……などと書きつついきなり本誌のマンガの話題に戻るが、「エンジェルハント」 おおばやしみゆきは、広義のゴーストハンターもの。「第一部完」という感じで最終回。10月号より再スタートの予定。
(02.0717)



【CD】・「ボーイズ・ビー・スタイリッシュ!」 ボーイスタイル(2002、テイチクエンタテインメント) [amazon]

週刊少年チャンピオンでPRマンガ「BOYSTYLEの達人スタイル」福本岳史、鈴木伸彦が連載されている女の子4人のアイドルグループ・「BOYSTYLE」のデビューシングル。
メンバーの一人・ユキナは「おはスタ」の元おはガール。他は知らん。
タワレコではビビって買えなかったが(「ポスターつきますけど?」とか聞かれるのがイヤ)、けっきょく買ってしまった。ポスターはもらわなかった(ポスターの趣味、ゼロだから私)。

曲は「ZONE」のデビュー曲を思わせる元気のいい……なんつーの? ロックっぽいって言っていいのかな? それともそういうこと言うとロックの人に怒られる? とにかくそういう曲。テレビで歌っているところも何度か見たが、とにかく元気がウリらしく、いきおいがあった。今の状態を見るかぎり、もっと売れてほしいな、と思った女の子4人でありましたよ。
そういえば「ZONE」は、その後のナントカいう曲が売れてしまったせいか、デビュー曲の路線はもうやらないんですかね? 私はあっちの方がずっと好きだったんだけど。

「アイドルしても、ギャグりたい!」というキャッチコピーで、このCDにも最後に「BOYSTYLE SHOW」というアイドルコント的なものが入ってるんだけど、コレはまったくダメ。本人たちのせいというより、脚本がなんか面白くないの。
アイドルのやる「面白いこと」ってのは、たいていがファンサービスの域を出ない埋め草的なものが多いが、「アイドルしても、ギャグりたい!」っていうフレーズである以上、ツッこまれても仕方ないとは思う。しかしなあ。本気で面白いことやれっていう方がムリな気もするし。
どうせラジオドラマ風にするなら、いっそのことケラリーノ・サンドロヴィッチとか松尾スズキとか、そっち方面の人に頼んでみてはどうか。まったく外野だからって適当なこと言い過ぎだな、私も。

歌詞は当たり障りのないものだけど、個人的にはちょっとずつ、ほんのちょっとだけ耳に残るフレーズとかがあったりした。いいバランスなんじゃないでしょうか。などと偉そうに書いてみた。
(02.0715)



【CD】・「ミニモニ。ソング大百科 第1巻」 ミニモニ。(2002、zetima) [amazon]

個人的には、こんなに早くアルバムが出るとは思わなかった。ベスト盤とかになると思ってた。新曲が7曲入ってて、「じゃんけんぴょん」「アイ〜ン! ダンスの歌」「ミニハムずの愛の唄」など主要曲はみんな入ってるから、お得と言えばお得(しかし他アルバムに入ってた「ミニモニ。のテーマ」などが入っていないのは商売上手)。
いちおう「ミニモニ。ゆうえんち」にCDを買った人が遊びに来た、というミニ設定が付いていて、「ご来場バッジ」やトレカ、しおりなどのおまけも付いている。私は正直、おまけはいらないんだけどね……。

新曲の中に「これぞ!」というか「シングルカットするべき!」という曲がないのが残念。えんえんと「すき・きらい・すき・きらい」をループする「すき・すき・きらい・きらい・すき・すき。」なんかはライブで盛り上がりそうな気はするけどね。しいてあげるなら全員がわざとアンニュイな雰囲気を出そうとしている(でも出せない、というギャグになっている)「あいらぶぶる〜す」ですかね。

ライナーノーツ見てわかったけど、いつもモー娘。関連の曲にしつこいくらい入っている加工したおっさんみたいな声、あれつんく♂の声らしい。「おっちゃま声」というのが正式名称らしい。
それとぜんぜん関係ない話だが「セクシー8」の曲などに入っている「アー、アー、イエー」っていうヒップホップの合いの手みたいな声、あれEEジャンプのユウキ? そんなわけねえか。

とにかくねえ、「モー娘。」みたいな、ものすごく詳しい人がどこかで何か言ってそうなものにたいして何か書くのは、非常に疲れるんだよ!!(逆ギレ)

考えてみれば、おれの人生はそういう人生だった。必ずどこかにおれよりもっと詳しくて愛情のある人がいて、そいつが何かを発言してんだよ。そして賞賛を得、いい会社に入り、チャーミングな子と結婚して幸せな家庭を築いている。そして毛足の長い小さな犬を飼っている。嫁は姑とうまくいっている。
「『Xの悲劇』の方が『Yの悲劇』よりアメリカでは評判いいんですよねェ」とかさあ。すぐ言うんだよそういうやつ。そんなにアメリカが好きなら、アメリカの子になりなさい! ドロンパになりなさい! プレッツェル食いなさい!

それにつけても、「色っぽい女」以降の「カントリー娘。」のりんねの「どうでもいいことやらされ感」にはエロさを感じる。
(02.0715)



・「がんばれ酢めし疑獄!!」(3) 施川ユウキ(2002、秋田書店) [bk1] [amazon]

週刊少年チャンピオン連載。率直に言って「シュール系」4コママンガ。このテのヤツではずすと本当にイライラするし、最近はなぜか和田ラヂオの亜流みたいなやつが多すぎる!! 和田ラヂオ、そんなに売れているのだろうか? それとも偶然? シンクロニシティ?
思うに、和田ラヂオ的な(和田ラヂオ本人ではなく、あくまで「和田ラヂオ的」なだれか)マンガって、ベタネタに対する色気があるからそうなっちゃうんじゃないか。っていうかベタネタとシュールとのバランスというかね。まあそういうのって狙って狙えるもんじゃないしね。そういう意味では風間やんわりってたいした才能だと思うね。

でも本作は、そんな疑い深い貴兄にも安心だ。実に丹念に言葉選びやネタセレクトをしている。作者本人は少し気にしているふうだが、シュールもの独特の鼻につく感じもない。今回、単行本化にあたってとりとめないエッセイのようなものが書いてあるが、それによると(それが本当だとすれば)作者はほとんど本を読まない人らしい。
そのぶん、「○○風がカッコいい」などと思うこともない強みがあるのだろう。

どうせ4コマのレビューなんて何回書いても同じようなものにならざるをえない。今回、3巻目だから3回も本作について私も書いてるわけで。この際だから関係あるようなないような話を書くが、私はマンガ評論家としての呉智英が好きで、当HPでも呉智英の作品リストみたいなページとリンクしてある。が、シュール系4コマに対する考えには疑問があって、どっかに書いてあった吉田戦車批判、ありゃ単に吉田戦車がワカンナイってだけなのではないか!?
まあギャグの好みなんてひとそれぞれだけど、あのヒトのアキレス腱ってギャグ評価にあると思うな。だって吉田戦車は「日常に帰ってこれるルートがある」からダメで(大意)、根本敬は「アチラ側」に行きっぱなしだからいい(大意)というのは、明らかに理屈でしょ。アムロがシャアに「それは理屈だ!!」って言ったときの「理屈」ね。
私は根本敬のマンガもスゴイものがあると思うけど、「こちら側」に帰り道があるかないかで作品評価をするのは、ちょっと単純すぎる気がする。呉智英が他に押してる作品って安藤しげきとかだし。安藤しげき、面白いかぁ?(ちなみに普通の4コマ誌に載ってるような作風の人です) 極端すぎるっつーの。

そうそう、それと本作の作者の施川ユウキに感じることは、あまりにもネタ重視のため、量産がきかないっぽいところが気になるということ。もちろん「ラムニー君」(サマツなことを見つけては悲しんで泣く羊)みたいなキャラもののマンガもあるけど、たとえば吉田戦車の「かわうそ君」みたいな強烈なやつがいないし。 ネタ重視ということで言えばお笑い芸人の「いつもここから」を見ているときのような印象を受ける。いや、ホントはそういうの大好きなんだけどね。ただ量産がきくかどうかということで言うと。

自分の2巻の感想

(02.0715)



・「月刊少年マガジン」3月号(2001、講談社)

当「マンガつれづれ」は、毎月15日で折り返す習慣だったが、なんだか長文が多くなって70キロバイト近くになり、ウチのパソコンではそれくらいになると重くなってイライラするので早めに折り返すことにした。

さて2001年はマチガイではない。積ん読していたら1年以上経ってしまったのだ。掃除したら出てきたので読んでみたりした。
やはりウワサどおり、「ベック」ハロルド作石が面白い。簡単に言えば高校生がバンドをやるマンガ。キャラクター立ち、ストーリーテリングなど、数回読んだだけでも納得のいく正統派少年マンガだと思う。
レビューは漫画に関するWebページ「OHP」ここに詳しい。

バイクで峠をせめるマンガ「紡! DANGAN☆DRIVE」佐々木飛朗斗、奥谷通教は新連載(……っつってもこれ書いてもう1年以上経っちゃったから、今どうなってるのか知らない)。

「なんと孫六」さだやす圭は、なんとまだやっていた。20年以上経ってるらしい。メジャーリーグに行ったのか? よくわからん。
ぜんぜんどうでもいい思い出話だが、今から20年以上前、少年キングでさだやす圭が「雷光だ!」っていう野球マンガをやって、それがすごいシゴキの厳しい野球部に孫六みたいな破天荒な雷光という名前のやつが入ってくるというマンガだった。で、シゴキのシーンが毎週まいしゅう続いて、雷光が活躍するかしないかで終わっちゃった(打ち切りだったか、雑誌自体が休刊になってしまった)。
要するにけっきょく野球部シゴキマンガだった(でも単行本にはなったんだよな確か)。
この項続く(?)。
(02.0714)



・「月刊少年マガジン」4月号(2001、講談社)

「OLC」小川京美が新連載。パソコン同好会の名前だが、「online communication」の略だそう。パソコンのパの字もわからない超初心者の女の子が、パソコン部ではないアヤシゲな同好会「OLC」に入るというマンガ。
また昔ばなしになるが、80年代に「マイコンランデブー」という、読者のほとんどがマイコンを持ってない時代だったがゆえにけっこうええかげんなことを描いていたマンガ(もちろん別作者)が同誌に連載されていたことを考えると、隔世の感がある(まあこの作品がその後ちゃんとしたパソコンやネットについての解説をしてたかは知らないんだけどね。その後、1年経ってどうなったか)。
(02.0714)



・「月刊少年マガジン」5月号(2001、講談社)

「紡! DANGAN☆DRIVE」佐々木飛朗斗、奥谷通教はこの時点で連載3回目、初回はけっこう引き込まれて読んだが、その後主人公と、主人公以外の峠攻めの勝負が平行して描かれたりして印象がバラけ、わかりにくくなってしまった。
「海皇紀」川原正敏は2001年3月号から3回読んだが、よくわからなかった。だいたい、どこの国かもわからんし。ムリしても「前回までのあらすじ」を載せてほしかった。

「OLC」小川京美はこの時点で連載第2回。どうもパソコン部と同好会の対立や、ヒロインが何をやりたいのかなどのメリハリがあまり良くないように感じた。第2回の段階で、ヒロインがネットで何をやりたいのか、あるいはアヤシゲな「OLC」の面々にどう影響を与えるのか(与えられるのか)が描かれなければならないと思う。

3月号「孫六」についての文章の続き。さすがマガジンというべきか、本誌にはスポーツマンガが多い。拳法もの、バスケもの、テニス、野球……。で、実際にスポーツをやる人、部活でやっていた人と帰宅部の私とで考えは分かれると思うが、「シゴキ、特訓をどう描くか」っていうのがスポーツものの大きなポイントじゃないかと思う。
……というか、「強くなるためにやらなければならないこと」を他人にやらされるか、内面から湧き出てくる気持ちからやるか、ということに作者が気持ちをくだいているかということがポイントなんじゃないか。
だから「シゴキはシゴキ。必要悪だからどーでもいい」と考えている人とは考えが違うと思うけど。
「勉強しよう」と思ったときに「勉強しろ」って言われるとやる気なくなるでしょ。読者もそういう感覚に常に左右されているわけだから、そこをどう描くかでいいバランスのスポーツマンガかどうかが決まると思うね。

で、さだやす圭の「雷光だ!」がすごくヘンな印象を残しているのは、「シゴキで有名な野球部に破天荒な主人公が入ってきてメチャクチャにしていく……」みたいな爽快感がないうちに終わっちゃった。しかも、たぶんそういう描き方しようと思ってなかったんだよね作者は(当時読んでいて、そう感じた)。ただ「雷光」という主人公だけがやりたいようにやるマンガになっていったと思う。後のことは知らないよみたいな。

まあメッセージ性が全面に出るとウザいだけなんだが、「シゴキシーン、特訓シーン」を記号的に、形式的に扱っているスポーツマンガはまずマンガとしてはダメだね。……というのが私の評価基準。他人に押しつけようとは思わないが。
スポーツマンガというのは、主人公の内面や「なぜこのスポーツをするのか?」という問いかけが常に作中で問われながらも、それを無視しても何とかなっちゃうという変なジャンルなんだよね。でもそこはぜったいはっきりさせなければならない部分だと、私は思ってる。でないと、どんなにスポーツの駆け引きがうまく描かれていても、「マンガ」として普遍性を獲得することはできない。

ギャグマンガの「ソップ型」西本英雄「花鳥風月紆余曲折」佐佐木勝彦は、コンスタントに面白い。佐佐木勝彦は大槻ケンヂ原作の「グミチョコレートパイン」を描いている人ですね。
(02.0714)



・「スーパーパチスロ777」6月号(2002、竹書房)

本誌は出てからだいぶ経つ。時間が経っちゃってすいません。次号はたぶん7月17日頃発売だと思う。
パチスロをやらない私のパチスロマンガ誌購読挑戦第2弾(1弾目は蒼竜社の「パチスロ7」のシリーズ)。
数誌を読んだかぎりでは、パチスロマンガ誌はスロプロや勉強もせずスロに熱中する浪人生などの根無し草的悲哀を描くことは、麻雀マンガ誌よりなぜかずっと少ない印象。本誌でも、明るく楽しいスロットマンガが中心で、それの代表格なのが「SLOT☆STAR」しけたみがの
連載第4回。この作者は私の知るかぎり、異世界での少女ばかりの戦車隊のマンガを描いていたようにかなりマニアックというかオタク寄りの人。本作の内容は、美少女が主人公でカラッとした仕上がり。

「新台特急☆777」岸上寛は、第13回。トチローならぬ「コズロー」とか、話し言葉に何かと濁点が入る「濁点ハーロック」などが出てくるパロディもの。

「ディープスロット」村崎百郎、森園みるくは、確か単行本になってたかな。第28回。鬼畜なことばっかり書いたり言ったりしている村崎百郎が「鬼畜流」のスロット術を読者に伝授するという話。森園みるくは奥さんでしたっけ? マンガ風にカワイク描いてある村崎百郎のキャラが妙。森園みるくの髪型とサングラスは、何……? ポリシー……?

基本的に攻略を知るのが主体で、お話はあってないような感じのが多いけど、学習マンガとして機能していればそれでいいんだろう。「マンガ日本経済入門」がバブルの直前だったか最中だったかに出たとき、ずいぶん「学習マンガの可能性」が取り沙汰され、私はそれに対してマユにつばをつけてきたんだけど、スロットにおいては学習マンガがうまく機能しているのではないかと思った。
(02.0714)

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